人物はない。詩人の女から嫌厭される理由である。 の病氣でもなく、怠惰からその一生を寢床に暮したオプローモフ は、あらゆるインテリ中での、最も秀れたインテリだった。反對に 雑音の必要人生をコンファタブル ( 住み心地よく ) にするため生産的な人間。ーー一生を絶え間なく働き續けてる人間 といふも には、多少の雜音といふこどが必要である。街の混雜した料理屋のは、實には何も爲して居ないところの、最も非インテリ的な人間 や、百貨店の食堂で飮食することを好む人々は、多數の人々の出入である。 する足音や、あちこちの卓で聞える話聲や、入り混った笑ひ聲や、 皿を運ぶ音や、給仕人の叫ぶ聲や、床に物の落ちる音や、一隅で鳴 汽車の中て二つの平行したレールの上を、互に同じ速力で走る ってる蓄音器やの、いろいろな物音の構成する雰圍氣を、食物と共汽車に乘ってる時、人はだれしも變な氣になる。こっちの窓から顔 に味はひながら樂しんで居るのである。宴會の樂しさも、同じゃうを出す時、向うの乘客の顏が見え、しかもそれが、いつも同じ所で にまた、多人數の入り混った話整や笑聲やが構成する、陽氣な雜音ぢっとして居る。もしそれが知人であったら、互に手を出して握り の空氣に外ならない。雜音のない生活環境は、宴會のない人生と同合ひ、煙草の火をつけ合ふこともできるのである。それから尚、列 じである。あまり靜かで閑寂すぎる田舍の環境は、都會の生活に慣車の扉を開けて踏臺に立ち、向うの車へ乘り移ることもできるので れた人には、墓場のやうな憂鬱を感じさせ、却って經衰弱症を誘ある。實際それは、何でもないことなのである。なぜならこの場合 因させる。今日の文明では、實際に「冥想する精」さへが、雜音 には、二つの列車が同じ物の續きであり、こっちから向うへ行くの の環境から生育してゐる。昔の詩人や哲人等が、深山の奧に庵を結は、同じ一つの列車の中で、座席の位置を變へるとひとしく、何の び、朝夕ただ鳥影を見て暮したのとは反對に、現代の文人や知識人危險もないことだから。しばしば私は、平行して走る汽車を見る 等は、彼等の書齋を街頭に近くし、窓を雜音に面して開放しなが時、さうした「乘りかへ」への誘惑を強く感ずる。だがその誘惑の ら、詩や人生に就いて冥想してゐる。もしその多少の雜音が無かっ衝動を感ずる時、心がぞっとするほど寒氣立ってくる。なぜならこ たら、實際に彼等の頭腦は空虚になり、何事も考へることができなの場合、いっその一瞬間に、列車の速度が變るかも知れないから いのである。 だ。私がもし、踏臺から片足を出した一瞬間に、他方の汽車が速カ を増し、急に離れて追ひ拔けたらどうなるだらうか ? 人間の運命 オプロ 1 モフ的人生一定の職業もなく、何のこれといふ仕事も とチャンスについても、常に同じことを考へて戦慄する。 なく、無爲に怠惰でごろごろしながら、世俗の人々を輕蔑して、自 て 分を高く思ひあがってる人間は、實際に於て、まさしくそれだけの床の中その思想朝、寢床の中で考へる時、今日の一日の生活 に 價値があり、俗人にすぐれた何物かを持ってるのである。たとへ生が、ひどく無意味に退屈であり、何の仕事への興味もなく、人生そ 涯に於て、何一つの仕事をしないでも、實には既に「爲してゐる」 のものが厭はしいほど、暗黒で絶望的なものに考へられる。反對に 港 のである。なぜなら「爲す」といふことの意味はーー藝術にまれ、 また或る場合は、何かしら樂しいことが、何處かで自分を待ってる 礙著作にまれ、その他の何事の仕事にまれ・ーー結果の生産についてでやうに思はれ、漠然とした幸輻の豫感が、朝の麗らかな空の下で、 はなく、それの生産に至る迄の、過程の生活中にあるのだから。何微笑みかけてるやうに思はれる。だが起きて着物をきてしまへば、 ドア
97 散文詩 聽き人れるところとなった。いつでも彼は、の粗野な老婦が居て、測の人にたのみ、手甲板の籐椅子に寢ころび、さうして夢見心 地のする葉蘭の影に、いつも香氣の高いま それの信仰のために惠まれて居り、神の御紙の代筆を懇願してゐる。彼女の貧しい村 にら煙草をくはヘて居た。ああ、いまそこ の鄕里で、孤獨に暮らしてゐる娘の許へ、 利益から幸輻だった。もちろんその貧しい 男は、より以上に「全能なもの」を考へ得秋の袷や襦袢やを、小包で送ったといふ通に幻想の港を見る。白い雲の浮んでゐる、 美麗にして寂しげな植民地の港を見る。 知である。 ず、想像することもなかった。 かくの如くにして、私は航海の朝を歌ふ 人生について知られるのは、全能のが 郵使局 ! 私はその鄕愁を見るのが好き のである。孤獨な思想家の VISION に浮 だ。生活のさまざまな悲哀を抱きながら、 一人でなく、到るところにあることである。 ◎◎ それらの多くの々たちは、野道の寂びしそこの薄暗い壁の隅で、故鄕への手紙を書ぶ、あのうれしき朝の船出を語るのである。 い辻のほとりや、田舍の小さな森の影や、 鉛筆の心も折れ、文字ああ、たれがそれを聽くか ? いてる若い女よ ! 景色の荒寥とした山の上や、或は裏街の人も涙によごれて亂れてゐる。何をこの人生 海 り込んでゐる、貧乏な長屋の露路に祀られから、若い娘たちが苦しむだらう。我々も て居り、人間共の佗しげな世界の中で、しまた君等と同じく、絶望のすり切れた靴を 海を越えて、人々は向うに「ある」こと はいて、生活の港々を漂泊してゐる。永遠 づかに情趣深く生活して居る。 に、永遠に、我々の家なき魂は凍えてゐるを信じてゐる。島が、陸が、新世界が。し のだ。 かしながら海は、一の廣茫とした眺めにす 郵便局 郵便局といふものは、港や停車場と同じぎない。無限に、つかみどころがなく、單 郵便局といふものは、港や停車場やと同ゃうに、人生の遠い放情を思はすところの、調で飽きつぼい景色を見る。 海の印象から、人々は早い疲勞を感じて 魂の永遠ののすたるちゃだ。 じく、人生の遠い旅情を思はすところの、 しまふ。浪が引き、また寄せてくる反復か 悲しいのすたるちゃの存在である。局員は ら、人生の退屈な日課を思ひ出す。そして あわただしげにスタンプを捺し、人々は窓 航海の歌 日向の砂丘に寢ころびながら、海を見てゐ 口に群がってゐる。わけても貧しい女工の 南風のふく日、揶子の葉のそよぐ島をはる心の隅に、ある空漠たる、不滿のだた 群が、日給の貯金通帳を手にしながら、窓 口に列をつくって押し合ってゐる。或る人なれて、遠く私の船は海洋の沖へ帆ばしっしさを感じてくる。 海は、人生の疲勞を反映する。希望や、 て行った。浪はきらきらと日にかがやき、 人は爲替を組み入れ、或る人々は遠國への、 空想や、旅情やが、浪を越えて行くのでは 美麗な魚が舷側にをどって居た。 かなしい電報を打たうとしてゐる。 てつき いつも急がしく、あわただしく、群衆に この船の甲板の上に、私はいろいろの動なく、空間の無限における地平線の切斷か よってもまれてゐる、不思議な物悲しい郵物を飼ってゐた。猫や、孔雀や、鶯やはら、限りなく單調になり、想像の棲むべき 山影を消してしまふ。海には空想のひだが つか鼠や、豹や、駱駝や、獅子やを乘せ、 使局よ。私はそこに來て手紙を書き、そこ まひる に來て人生の鄕愁を見るのが好きだ。田舍さうして私の航海の日和がつづいた。私はなく、見渡す限り、平板で、白晝の太陽が
る。かって靑鞜女によって主張された、あの女權擴張主義の運動多い詩や小説が構想されたり、美しい藝術が生み出されたりするこ も、實は男の意志に服從する、女性的淑德の。ハ一フドックスにすぎな と。そしてまたその故に、文化が常に新しくなり、瓧會が絶えず流 かった。女 ! 彼自ら自發せずして、永久に受動的であるところの動變化するといふことにある。ーーー女の務めは、常に化粧すること 女 ! フラツ。ハーであればあるほど、生意氣であればあるほど、よ の外にない。 り益、、愛らしくなる可憐な動物 ! 家庭 ( 父の悲良 ) 今日の悲劇は、家庭といふ観念だけがあって、 最善の結婚「妻といふものこそ、男の持つまじきものなれ。」と家庭といふ事實が度滅したことである。時代の若い人々等は、この 兼好法師が徒然草の中で斷定して居る。「いかなる女なりとも、明言葉自體の中にさへ、封建制度の古い暗影を感じて居る。或る家出 くれ 暮添ひ見たらむには、いと心なく、憎かりなむ。」と。それからし した名家の娘が、彼を説論した警官に向って言った。「家庭なんて、 て彼は「よそながら時々通ひ住まむこそ、年月經ても絶えぬ仲らひ時代遲れだわ ! 」 ともならめ。あからさまに來て泊り居などせむには、珍らしかりぬ 十九世紀には、人妻のノ一フが家出し、二十世紀には、ノラの娘た べし。」と別居生活による新しい結婚を主張してゐる。ところでこ ちが家出をする。家に一人されてるのは、彼の孤獨な父ばかりで の結婚制度は、日本の上古に於て既に早く實現されて居た。上古奈ある。今の時代に於ては、すべての中で父が一番悲しいのである。 良朝頃までは、夫婦が互に別居し、男が女の許へ通って居た。萬葉 いも 集の歌にもある通り、上古は妻のことを「妹」と呼んで居た。それ戀愛の形而上學戀愛する心理は、現象する女の背後に、形而上 ものそのもの は事實上の戀入だった。彼等は一週間に一度、もしくはそれよりもの「物自爾」があることを考へて居る。 少く、互に人目を忍んで逢引きして居た。人目を忍ぶのは、人々が それを煩さく冷かし、瓧交上での笑話題にするからだった。結婚生老年の戀女の性愛の中には、多くの場合に母性愛が含まれて居 活の俺怠などは、何處へ行っても有り得なかった。今日の場合に於る。それは生理的な欲情以外に別の精訷的なもの、人倫的なものを ても、最善の結婚方法は一つしかない。妻を持たないで、その代り 要素として居るのである。男もまた或る年齡に逹する時、それと同 に妾たち ( 愛人たちと言っても同じである ) を持っことである。 じ性愛を傾向して來る。一般に年を取った男たちは、ずっと若い女 ( 英譯の萬葉集が「妹」 my wife と譯し、「背子」を myhusband と譯を愛し、小娘のやうな女にのみ、純眞の愛を感じて居る。なぜなら して近頃ポノオ博士の非難を受けた。今日の言語が意味する夫婦間で、あ性慾の衰退と逆比例して、精訷的な愛 ( の要求が、次第に強くなる んなにも熱烈な戀歌を交換するのは馬鹿氣てゐるじ からである。老人の性愛は、彼の小娘のやうな女の中に、父として の人倫的な愛撫を感じて居る。豐熟した年增女は、直接の性慾を感 うひうひ 女の必要さ人生に於ける女の必要は、生殖のためでもなく、育じさせることによって、いつも老人を不快にする。ただ若く初々し 兒や家事やの爲でもない。女の眞の必要さは、男の主観に映ったそ い女だけが、老人にとっては可愛らしく、プ一フトニックな戀愛を指 そっ れのイメージから、様々の變った意匠で、流行の衣物が作られた嗾して來る。それは半ば生理的の對象であり、半ば父性愛の對象で り、新しい生活が工夫されたり、深刻な哲學が思想されたり、夢のある。彼の愛する少女の結婚を祝輻しながら、心中で悲嘆の涙にく
萬人中に一人しかないところ、眞の奇蹟的な偶然人であった。全人 2 しれつ 或る哲學の誕生欲情だけが強く、意志だけが熾烈に燃えて居な類の中にあって、ただ彼一人が自由人であった。他の百千萬人の人 がら、一つの實行の勇氣を持たないやうな人々は、彼自身の内部に 間はすべて皆瀧壺に落ちる水の飛沫で、因果に法則されてる宿命人 於て阿片の灯覺を作って樂しまうとする。然るに幻覺する世界は、 にすぎないのである。そこで人類の意志と希望は、ただこの一人の 現實する世界と別物であり、一體に象徴的で蒼白く、瓦斯體の朦朧 偶然人 ( 超人 ) を生むために、百千萬人の宿命人が、進んで自ら犧 とした情趣を帶びてる。それからして人々は、白晝の下に照り出さ牲になることにかかって居る。ニイチェの賭博は、無盡數的な賽の れた、現實の世界に組野を感じ、稀れに實現された幸輻にさへ、も 目の一つに對して、全人類の歴史一切を賭けることであった。人間 はや意志の充足を感じなくなる。彼等は精的の不能者になり、イ が思想した限りに於て、かくも大膽不敵で、宇宙的にヒロイックな ン。ホテントになるであらう。そしてしまひには、世界がただ意志だ賭博は無かった。 けの存在であり、意志の現象としてのイメージ以外に、何物も實在 しないことを確信して來る。熱帶住民の印度人が、丁度かうした哲悔恨としての人生いやしくも悔恨しないことを欲するならば、 學の代表者だった。彼等は熱帶の温氣に蒸されて、いつも物慾と肉人は何事もしない方が好い。しかしながらまた、何事もしないとこ 慾との、烈しい情念に惱まされて居た。しかも彼等は怠惰者で、現ろの人生も、ひとしくまた悔恨なのである。 實の活動力に全く缺けてた。それからして印度人等は、宇宙が夢幻 まろー の假象であり、意志の妄想 ( 無明 ) に過ぎないことを説いたのであ貧乏の餘産貧乏といふ日本語には、或るじめじめした、カビ臭 る。 い濕氣の生活を感じさせるものがある。西洋の Poor はちがってゐ る。そこでは空氣が乾燥して居り、石と金屬とで家が出來てる。西 ニイチェの偶然論 ニイチェの必死の苦惱は、決定論の自律する洋の Poor は、文字通りの窮乏である。一文もなく、マッチ一本買 宇宙の外に、彼自身を切り拔けることであった。 ( でなければ天才ふ錢もなく、それで居てコンクリートの家の中に、かちかちに乾燥 は辨證されない。 ) 彼は「瀧を見て」といふ文章の中で、欽のやう して生活して居る。西洋には「貧乏」といふ言葉がない。日本人の な意味を書いてる。瀧の落ちる百千の飛沫は、あたかもそれ自身が生活に於ける、それの暗く陰慘な意味や、特殊の情味を帶びたしが 自由意志を持ってる如く、各自に千變萬化の方向へ運動する。けれ なさやを、彼等は理解することが出來ないのである。 ども實際には、物理學の法則する原理によって、因果の必然な蓮動 日本人はおそらく、世界一の貧乏人であるかも知れない。だが決 をして居るのである。一つの水の飛沫と雖も、偶然な自由で踊ってして、必ずしも P 。日 man ではない。我々の貧乏人は、しがない生 るのではないと。 活の中にさへも、尚且っ多くの情趣ある餘裕を持ってる。 しかしながら彼は、 女角にしてもそれを切り拔けなければならな かった。ニイチェのあらゆる熱意は、かうした因果の鐵則する宇宙賭博の祕訣骨牌や、競馬や、賽轉がしや、その他の賭け事の勝 の外に、すべての宿命を超越した自由人 ( 印ち天才 ) を求めること敗を決するものは、主として偶然の運である。しかしながら技術も であった。そして遂に超入の思想に到逹した。超人 ! それは百千また、或る程度まで關係してゐる。例へば熟練した骨牌師等は、他 さい
俳句は抒悩詩の一種であり、しかもその純粹の形式である。 下生たる根岸派の俳人に繼ぎ、殆んどすべての文壇者等が、こぞっ に於て、主観は常にポエジイの本質となって居るのである。俳 て皆蕪村の研究に關心した。蕪村研究の盛んなことは、芭蕉研究と 共に、今日に於て一種の流行觀をさへ呈して居る。そして世の定評句のやうな文學に於て、主が稀薄であるとすれば、そのポエジイ は、芭蕉と共に蕪村を一一大俳聖と稱するのである。 は無價値であり、その作冢は「精に詩を持たない」似而非詩人で ある。 しかしながら多くの人は、蕪村に就いて眞の研究を忘れて居る。 ところで一般に言はれる如く、蕪村が芭蕉に比して客觀的の詩人 人々の蕪村に就いて批判し定評するところのものは、かって子規一 派の俳人等が、その獨自の文學観から鑑賞批判したところを、無批であり、客襯主義的態度の作家であることは疑ひない。したがって 判に傅授してゐる以外、さらに一歩も出て居ないのである。そしてまた「技巧的」「主知的」「印象的」「繪畫的」等、すべて彼の特色 これが、今日蕪村に就いて言はれる一般の「定評」なのである。試に就いて指摘されてるところも、定評として正しく、決して誤って みにその「定評」の内容をあげて見よう。蕪村の俳句の特色とし居ないのである。しかしながら多くの人は、これらの客觀的特色の て、人々の一様に言ふところは、およそ次のやうな條々である。 背後に於ける、詩人その人の主觀を見て居ないのである。そして此 まさ 一、寫生主義的、印象主義的であること。 の「主観」こそ、正しく蕪村のポエジイであり、詩人が訴へようと 一、芭蕉の本然的なのに對し技巧主義的であること。 するところの、唯一の抒情詩の本體なのだ。人々は芭蕉に就いて、 一、芭蕉は人生派の詩人であり、蕪村は敍景派の詩人である。 一茶に就いて、かうした抒情詩の本體を知り、その敍景的な俳句を 一、芭蕉は主観的の俳人であり、蕪村は客欟的の俳人である。 通して、芭蕉や一茶の惱みを感じ、彼等の訴へようとしてゐる人生 「印象的」「技巧的」「主知的」「繪畫的」といふことは、すべて客から、主観の意志する「詩」を掴んで居る。しかも何と不思議なこ 觀主義的藝術の特色である。それ故に以上の定評を概括すれば、要とに、人々は尚蕪村に就いて無智であり、單に客欟的の詩人と評す するに蕪村の特色は「客観的」だといふことになる。そしてこれる以外、少しも蕪村その人の「詩」を知らないのである。そしてし が、芭蕉の「主觀的」に對比して考へられて居るのである。 かも、蕪村を讃して芭蕉と比肩し、無批判に俳聖と稱して居る。 ところで藝術に於ける「主襯的」「客観的」もしくは「主情主義「詩」をその本質に持たない俳聖。そして單に、技巧や修辭に巧み 的」「主知主義的」といふことは、本來何を意味するものだらうか。 であり、繪畫的の描寫を能事として居る俳聖。そんな似而非詩人の これに就いて自分は、舊著『詩の原理』に詳しい解説を述べておい俳聖がどこに居るか。 た。約言すれば、すべての客觀主義的藝術とは、智慧を止揚したと ころの主觀表現に外ならない。およそ如何なる世界に於ても、主 かうした見地から立言すれば、蕪村の世俗に誤られてゐること、 の無い藝術といふものは存在しない。ただロマンチシズムとリアリ 今日の如く甚だしきはないと言へる。かって芥川龍之介君と俳句を ズムとは、主の發想に關するところの、表現の様式がちがふので 論じた時、芥川君は芭蕉をあげて蕪村を貶した。その蕪村を好まぬ ある。それ故に本來言へば、單なる「敍景詩」とか「敍景派の詩」理由は、蕪村が技巧的の作家であり、單なる印象派の作家であっ なんていふものは實在しない。もし有るとすればナンセンスであて、芭蕉に見るやうな人生観や、主の強いポエジイが無いからだ り、似而非の駄文學にすぎないのだ。況んや俳句のやうな抒情詩と言ふことだった。友人室生犀星君も、かって同じゃうな意味のこ
夢ー ! 彼等はただそれのみで生活してゐるーーを破壞し、聖書によったもの、納まったもの、平和なもの、彼自身に滿足して、宿命の を敵として、殘酷の意志の惡い快樂か って舊約された、すべてのロマンチシズムを幻滅させた。猶太人等上に超越するもの共。 たくけい がイニスを憎み、欺僞の豫一一一口者として十字架に磔刑したのは、もと ら、ニヒルの齒ぎしりをして戦ふかである。げに我々は、そこにあ より當然すぎる次第であった。 の提婆逹多を見る。あの悲痛な、あさましい、破れかぶれの外道 ! しかしながら羅馬人等は、むしろイエスに同情して居た。そして佛陀と人類の久遠の敵を。 耶蘇の新思想が、正しく理解された後になっては、それが羅馬の國 敎となり、そして一般に多くの屬國と隷屬民とを有するところの、 迷信としての人生偶然といふことは有り得ない。あらゆる事實 統治者の國々に採用された。彼等の支配階級者は、それによって屬は、それが有るべき事情によって、必然の法則に支配される。 これが科學者の命題である。我々の反駁は、その點で力がなく、 邦の民を軟化し、叛逆への意志を絶斷させると同時に、國内に於け る奴隷や貧民やの、多くの逆境にある民を敎化し、運命への悲しき論理の立證を持ち得ない。しかしながらもし、人々がそれを信じ、 あきらめと、無抵抗の平和な滿足とから、統治權に對する不平を抑生活上の實感として、疑ひもなく肯定してしまふならば ? その時 人々は、土耳古人や支那人の乞食と同じく、避けがたく宿命論者に へ、民衆を心服させようとしたのである。しかも世界の中で、獨り たた病太人だけが、執拗にも彼等の信仰を固持して居り、すべての なるであらう。なぜと言って人生は、その前行する必然の事情によ って、どうせ成るやうにしかならないのである。人々は法則の支配 泊害と強制にかかはらず、斷じて基督敎への歸依を拒んで來たので あった。 する就會に於て、必然に生涯の運命を決定される。人がどんなに意 てうらく 今 ! 基督敎は既に落し、新約全書はその信仰と抒情詩をなく 志したところで、一も成功する望みはなく、物體に於けるカ學の法 則と、宇宙の複雜なオルガニズムとで、球突き臺に於ける球のやう してしまった。けれども一方の猶太敎と、その舊約全書の精神する に、突かれた方角に轉がって行く。どうにでもせよ。我々自身には 哀切悲痛な敍事詩的思想とは、何等かの新しき變貌した姿に於て、 人類の遠き未來にまで、ずっと永續した信仰をあたへるだらう。我自由がなく、自然の機械律に動かされて、捨てばちの生活を送るの 我は尚今日生きて居るヨプについて、その實在の姿を見、傅記を書みだ。人々はただ、明日の生活に期待をもち、法則の組合はす凾數 くことができるのである。 律を超越した、未前の「偶然」を信ずることによってのみ、努力や 奮鬪への希望をもち、人生を有意義に感ずるのである。 それ故に敎育は、この點で科學を否定し、偶然の實在するウソの 佛陀の敵自分の不幸について、原因が外部・ーー環境や社會制度 き・ヘん ゃー、ーにあるのでなく、むしろ自分自身の中に、性格として實在す事情を、苦しい詭辯に於てすらも、説かなければならない立場にあ 正ることを知ってる人は、避けがたく宿命論者になってしまふ。彼はる。げに「偶然」と「自由意志」とは、人間の主觀に於て、論理を 妄假象に對して怒らないで、むしろ假象を貫ぬくところの、全體の無超越した信仰であり、今日の科學的な時代に於ても、避けがたく執 一の人間的 慈悲な法則ーーー宇宙の法則ーーに對して腹を立てる。それ故に道拗に支持されてるーーそして支持されねばならない は、彼にとって二つしか選ばれない。佛陀 ( 覺者 ) となって、自らな迷信である。 2 宿命の上に超越するか。もしくは佛陀そのものーー朗ちあらゆる悟
うに、かうした紳々に供物を捧げる人々は、膩ねの、愼ましい祈願をかける人々の々は、同じゃ 海の印象が、かくの如く我々に敎へるのである。 2 きさ 皆社會の下層階級に屬するところの、無智で貧しうに愼ましく、小さな些やかな祠で出來てる。人それからして人々は、生きることに疲勞を感じ、 い人々である。 生の薄暮をさ迷ひ歩いて、物靜かな日陰の小路に、人生の單調な日課に倦怠して、早く老いたニヒリ 「原則として」と小泉八雲の一フフカデオ・ヘルン さうした佗しい々の祠を見る時ほど、人間生活ストになってしまふ。だがそれにもかかはらず人 が評してゐる。「かうした々を信ずる人は、概のいちらしさ、悲しさ、果敢なさ、生の苦しさを、人は、尚海の向うに、海を越えて、何かの意味、 佗しく沁々と思はせることはないのである。 して皆正直で、純粹で、最も愛すべき善良な人々 何かの目的が有ることを信じてゐる。そして多く である。」と。それから尚ヘルンは、かかる訷々 の詩人たちが、彼等のロマンチックな空想から、 を泥靴で蹴り、かかる信仰を讒罵し、かかる善良 郵便局ポードレエルの散文詩「港」に對應無數に美しい海の詩を書き、人生の讃美歌を書い な人々を誘惑して、キリスト敎の僞善と悪魘を敎する爲、私はこの一篇を作った。だが私は、その てるのである。 へようとする外人宣敎師を、仇敵のやうに痛罵し世界的に有名な詩人の傑作詩と、價値を張り合は うといふわけではない。 てゐる。だがキリスト敎のことは別間題とし、か 父 父はその家族や子供等のために、人生の うした信仰に生きてゐる人々が、概して皆單純で、 戰鬪場裡に立ち、絶えず戦ってなければならぬ。 正直で、善良な愛すべき人種に屬することは、た 海海の憂鬱さは、無限に單調に繰返されるその困難な戰ひを乘り切る爲には、卑屈も、醜陋 しかにヘルンの言ふ如く眞實である。此等の貧し浪の波動の、目的性のない律動運動を見ることに、も、追從も、奸譎も、時としては不道德的な破廉 い無智の人たちは、實にただ僅かばかりの物しか、 ある。おそらくそれは何億萬年の昔から、地球の恥さへも、あへて爲さなければならないのである。 その飾々の恩寵に要求して居ないのである。田舍劫初と共に始まり、不斷に休みなく繰返されて居だが子供たちの純潔なロマンチスムは、かかる父 の寂しい畔道で、名も知れぬ村社のの、小さなるのであらう。そして他のあらゆる自然現象と共の俗惡性を許容しない。彼等は母と結托して、父 祠の前に額づいてゐる農夫の老婆は、その初孫の に、目的性のない週期蓮動を反覆してゐる。それに反抗の牙をむける。概ねの家庭に於て、父は常 畸着を買ふために、今年の秋の收穫に少しばかりには始もなく繆もなく、何の意味もなく目的もなに孤獨であり、妻と子供の聯盟帯から、ひとり寂 の餘裕を惠み給へと祈ってゐるのだ。そして都會い。それからして我々は、不斷に生れて不斷に死しく仲間はづれに除外される。彼等がもし、家族 の狹い露路裏に、稻荷の鳥居をくぐる藝者等は、 に、何の意味もなく目的もなく、永久に新陳代謝に於て眞の主權者であり、眞の専制者であればあ 彼等の弗箱である客や旦那等が、もっと足繁く通をする有機體の生活を考へるのである。あらゆる るほど、益、・、家族は聯盟を強固にし、益、ゝ子供等 ふやうに乞うてるのである。何といふ寡慾な、可地上の生物は、海の律動する浪と同じく、宇宙のは父を憎むのである。だが父の孤獨は、實には彼 憐な、愼ましい祈願であらう。おそらく神々も祠 方則する因果律によって、盲目的な意志の画動で が生殖者でないことに原因してゐる。子供たち の中で、可な人間共のエゴイズムに、微笑をも動かされてる。人が自ら欲情すると思ふこと、意は、嚴重の意味に於ては、父の肉體的所有物に屬 らしてゐることだらう。だがその々もまた、さ志すると思ふことは、主觀の果敢ない幻覺にすぎ してゐない。母は子供たちの細胞である。だが父 うした貧しい純良な人と共に、都會の裏街の露路ない。有機體の生命本能によって、衝動のままには眞の細胞ではない。言はば彼等は、子供等にと の隅や、田舍の忘られた藪陰などで、佗しくしょ行爲してゐる、細菌や蟲ケ一フ共の物理學的な生活って「義理の肉親」にすぎないのである。それ故 んぼりと暮して居るのだ。常に至る所に、人間のと、我々人間共の理性的な生活とは、少し離れたにどんな父も、子供をその母から奪ひ、味方の聯 生活があるところには、それと同じゃうな階級に距離から見れば、蚯蚓と脊椎動物との生態に於け盟陣に人れることはできないのである。 屬するところの、様々の々の生活がある。そし る、僅かばかりの相違にすぎない。すべての生 しかしながら子供等は、その内密の意識の下で てその祺々の祠は、それに祈願をかける人々の、 命は、何の目的もなく意味もない、意志の衝動には、父の悲哀をよく知ってる。そして世間のだれ 欲望の大小に比例してゐる。ほんの僅かばかり よって盲目的に行爲してゐる。 よりもよく、父の實際の敵ーー戦士であるところ
晴れてしまったあとでは、そして木立や、牧場や、野道やの全景があの陰鬱な、じめじめした、風のない、蒸し熱い天氣を思はせる。 明白に見えてしまったあとでは、どんな午後の自然も我等にまで感 それは我等をして、何らか氣のくさくさする、鬱陶しい、頭痛持ち 興のない平凡の景色にすぎないではないか。げに我等の習慣ではの氣分にしてしまふ。むしろ我等の好みにまで、あの麗はしい亠円空 ああいかにその習慣が風變りであることよーー東雲のまだ明けと、爽快な海の微風と、薫郁する花樹の香氣とを思はせるやうな、 やらぬ情感の中でのみ、我等の郁萍たる眞理を描かうとする。 あれらの明媚な希臘的風光に於ける美學を喚想せしめよ。 的な、くそ眞面目な、澁面づらの者でなく、愴快な、遊戲的な、道 ある自殺者の幻想熱風の海近く、人氣のない白日の砂丘の上樂的な、一括して言へば「自由職業としての藝術」を保證するやう で、かちかちとってゐる小さな時計。それはこの閑寂な自然の中な、我等の悅ばしい感情に於てあれ。 では、永遠に沈默してゐる宇宙の中では、何かのふしぎなる倒景を 感じさせる。さればあの熱を病む蠻人らが、かれらの奇怪な蟲の幻 ジレッタントの悲哀空の高く睛れた麗らかの小春日和は、私に 覺にまで、一つの巨大な石を投げつけたといふのはーーーそれによっまで、どんな書齋の空氣をも陰暗に感じさせる。それらの眞面目く て彼等の見た「生靈」と「時間」とを殺してしまったと考へたとい さった専門的の仕事ーー讀書や冥想や、表現や、およびすべての専 ふのはーーー人間の無智に關する寓話としてすら、いかにも南國的」 尸墨な生活への精進とその勉強。 とは、戸外の明るい外光と對 な、怪しい病熱を感じさせるではないか。 照して、あまりに鬱陶しくじめじめして、何かの病的な、むしろ非 人間的な嫌厭をさへ抱かせる。されば私は帽子を被って、いつも靑 倦き易い人日 門いかに私が倦き易い人間であることよ。私自身の 空の下を彷徨する。私は街路の並木が好きだ。あれらの群集のちら 思想に對してすら、ああいかに速やかに倦怠と賤辱とを感ずること ばらする、暖かい小春日和の、落葉のやうな氣分が好きだ。ああ私 それほど人生を荒寥にするものがあるか ! 古い又は新しは孤獨者の散歩を好む。しづかに一人で閑雅な氣分を味はひなが い、どんな私の思想も、私自身にとって興味がないといふほど。 ら、しかも賑やかな群集の浪にもまれて、いつも永遠に歩いて居よ う。どこの茶店にも立寄ることなく、どこの圖書館にも、どこの美 賤民根性の人々彼の仕事に對して、そんなにも一生懸命であっ術館にも、またどこの博物館にも立寄ることなく。げに此日の睛れ たり、苦しがったり、喘いだり、生命がけであったりする様子を、 た空の下では、それらの立派な「藝術」や「學間」も、あの薄暗い さもわざと見せつけるやうにする職人たちは、彼の仕事の能率以上室内の梅雨じみた臭ひのやうで、じめじめと陰鬱に感じられること に、何かの別な報酬を期待してゐるところの、心根のさもしい、油よ。ああされば私は永遠に歩いて居よう。人生のいかなる専門的の 情 斷のならぬ賤民根性を現はしてゐる。みよ眞に彼の仕事を愛する職職業にも近よらず、いかなる専念の仕事にも精進せず、永遠に永遠 し 人たちが、いつもいかに愉快らしく、諧謔でさへもあるか。 に怠惰で居よう。私の天氣の麗らかさから、野外の幻想を夢みなが ら、都會の街路の日向に坐って、永遠に永遠に孤獨で居よう。ああ 希臘的風光の美學にあれ「藝術は遊戲でない」とか「藝衛は道私をして、私をして、いつもかく寂しげなる彷得者、人生のジレッ 2 樂氣分の仕事でない」とかいふ舊世界からの濕風的感情は、いつも タントであらしめよ。
は、それ自ら論理に合はないといふこと、部ち詭明され得ない、概 意志を信じない者の意志粉雪の空にふる日、親鸞上人説きたま念を許されないといふ絶對眞如の境致を意味してゐる。さればヒ「一 ーマニティの純眞性は、ただ「矛盾し得る人格」の中にのみ顯現さ ふやう。彌陀の愛を肌身にかんぜよ、それ愛はカである。意志を信 しばらく、この宿命論の奇蹟につれるではなからうか。 じないものの意志であると。 いて。 エピグロスの樂園いつも明るい海岸を歩きながら、世にも快活 靜物靜物の中にある情緒、靜物の影に漂ふ智慧は言ひ現はせなな精祁をもって「汝自身を愛せよ」と彼の弟子たちに敎へたエピク ロス。そしていつも少量の。ハンと水とを取りながら、いつも熱誠な い。そこには永遠の悲しげな音樂、時ののすたるちゃが流れてゐ 信仰に於て「人生の目的は快樂である」と説いたエピクロス。げに る。ある靜謐な、ひろがりのない建築がそびえてゐる。なにものか の幻想的な、觸手にふれがたい宇宙の象景が遠望される。されば一利己的快樂主義者としてのエピクロスに於てのほど、性格と思想と つの家具を、茶器を、花瓶を、書物を、果物を、椅子を、そこの適の完全な一致を見るものはない。みよいかに彼の生活が質素で、そ の所謂「快樂」なるものが物質的に安價であるか。そしていかに彼 合するやわらかな光線の下に置け。恐らくは君の生涯の中での、最 も奥床しき冥想が鑑賞されるであらう。詩でもなく、音樂でもなの所謂「利己主義」なるものが、快適な明るい精で語られてゐる か。さればエピクロスの樂園に於ては、人生の最も質素な快樂と、 、哲學でもなく、科學でもなく、むしろそれらの全景を含蓄する ああ人生の牧場に於ての、いかに人生のどんな罪惡をも意識し得ないやうな陽快な精とが、ただそ 一つの最も叡智的な感情。 れだけが居住を許されるであらう。そして他のすべての非エピクロ 「ひろびろとした情景」が展望されることぞ。 ス的な精呻 ーー少量の。ハンと水以上に贅澤な快樂を欲求したり、を日 い罪惡に傾斜したがったりするやうな暗鬱の精ーーは、到底一日 いっ私が沒理性そあるか人々は「説明の明白」を願ってゐる。 もこの樂園に止まることができないだらう。かくの如き精紳にとっ 私は「感じの明白」を願ってゐる。されば私の思想が、讀者にまで ては、この樂園のすべての生活が不平と不滿との原因にすぎない。 はっきりと説明され得たとき、その時私はいつも混濁して居り、沒 そこに信仰と欲望との到底一致できない不和合から、彼等は一日に 理性である。 して師を見捨ててしまふだらう。ああ然るに尚はっ君等はーーー・君等 非エピクロス的な性格に於ける多數の利己的快樂主義者は , ーー今日 矛盾し得る人物暗い憂鬱な森の中で、宿命論の冥想に耽りなが 尚未練がましく古代の樂園を探險し、あまっさへそこに自ら生活し ら、尚且っその心の殘像には、明るい海の風光を幻想してゐるやう な、一つの最も偉大な精卿、ーー矛盾し得る精御ーーーがありはしないようと願望するのか。愚かなる人々よ、恐らくそこでの生活は、そ こでの「肌に合はない季候」は、君等にまで一層の煩惱と矛盾とを か。さてまたあまりに暗鬱な黒色の中から、あまりに明快な白色の 深徹にするの外、何の望ましい樂園的な幸輻をもあたへはしないで 光輝を感じ得るやうな、一つの幽遠な趣味ーーー矛盾し居る趣味 がありはしないか。げに我等はすべての「矛盾し得るもの」を愛惜あらう。去れ、そこは君の住むべき天地でない。そこはただ少數の 「選ばれたる人」ーーー私はそれを必ずしも善い意味で言ふのではな し、且っそれをのみ崇敬する。なぜといって矛盾するといふこと
一つの流行的な輿論となり、むしろ時には衆愚の俗論とさへ思はれ靑春のらにまで、人生はただむやみに可笑しく、やたらに可笑し 6 るやうになってしまったのだ。遂に日沒が來た時、彼の先導者が立 く笑ひこけることの外の何物でも有り得ない。 ち止った。そこに彼はふりかへって、彼の背後に展開するところの けれども人生は、あの婚期を失った老孃の敎師にまで、その全く 暮色を眺めた。その景色は荒寥として彼の心を傷ましくした。かっ反對の氣分をもって眺められる。彼女は人生の惡い天氣だけを知っ てはあんなにも立派に見えた古い屋敷が、今は跡方もなく破壞されてる。惡だけを知りすぎてる。しかも不幸なるかな彼女は善に就い てしまって、見渡す限り茫々とした草原の上では、彼の無趣味な追てーーあの快睛な天氣に就いてーー全く何事をも知り得ない。そし 從者の群れが、俗惡で騷々しい踊りをつづけて居た。すべてそれらてそれ故に、ああいかに彼女の生徒が彼女にとっての忌々しい羨望 の光景は彼の心をいらいらさせ、彼の「以前の眺望」に對する床しであるか。見よ彼女は言ふ。「眞面目であれ。眞面目であれ。人生 い古雅の追憶と彼の「現實の眺望」に對する厭はしい反逆とを呼びは遊戲ちゃない。浮調子の笑談でない。眞面目に。眞面目に。そし 起すに充分であった。そこで彼の方角を變へた指導者が、突然列の て常に憂鬱な澁面づらに於てあれ。私自身の如く。」と。げに彼女 背後・ーー今までは先頭と見えて居た所の背後ーーー から群集に向っては生徒の幸輻を嫉妬してゐる。單に幸輻ばかりでない。「德」すら 怒鳴りつけた。だれだ、あの古い家を壞した奴らは。かってはあの も嫉妬してゐるのである。 古風な屋敷が、どんなにこの邊の風致を生かして居たか。それに今 およそかくの如き道學者を警戒せよ。彼の仕事の目的は生徒に悳 となっては、ああこんな殺風景な野景しか見られはしないー を敎へるのでなくして、むしろその癪に障る幸輻な奴らにまで、彼 自身の不機嫌を傳染させ、よって以て世界を陰鬱な曇天にしようと 危險人物 ! 「眞面目になる」といふことは、しばしば「憂鬱にするのである。換言すれば、彼は一般的な道德の假面にかくれて、 なる」といふことの外の、何のいい意味でもありはしない。 あ彼自身の復讐を企てようとするのである。危險人物 ! しかしてま の死に面接した人の顔をみよ。この世に於ての最も眞面目な顔をみたかくの如き世の思想家を警戒せよ。我等に向って常に「死の恐 あらゆる眞面目な精溿の中には、一切の快適なものが失は怖」を説くところの、そして常に「眞面目になれ」を強ひるところ れてゐる。機智や愛嬌や寬容やの、すべての悅ばしき懲が缺けて の。然り、彼の説敎の假面にかくれて彼自身の復讐を企ててゐると る。そして德とは ? ああ德とは「悅ばしき精訷」それ自體の總評ころの宗教家たちを。 ではないか。他人を悅ばしまた自分を悅ばす陽快の精を外にし ふくろふ て、どこにどんな善があり得るか。すべての陰鬱な暗い心は、それミネル、、ハの梟 ミネルバの梟は必ずしも哲學者の窓でばかり嶋 自ら惡への傾向ではないか。されば見よ、あの自ら德をもたない陰 くのではない。それはいつも「考へる人」の窓を暗くする。なぜと 鬱な人々が、いかに整を大きくして「眞面目になれ」を絶叫するいって「考へる」といふことは、それ自ら人生を重苦しいものにす か。たとへば彼の敎室に於ける女流道學者を見よ。そしてかの若く る何かの重鬱性をもってゐる。げに我々が思索に耽れば耽るほど、 渡剌としてゐる生徒たちをみよ。後者に於ては、人生が一つの愴快我々の生活に於ける呑氣な陽快の部分 , ーーあの氣輕さや、道化さや、 な航海であり、あらゆる自然が愛と希望に輝いてゐる如く思はれ洒落や、輕ロや、愉快さや、氣轉さや、 が失はれてしまふ。我 る。けだし彼等は米だ惡の感情を意識してゐない。そこで彼等若い我は默り込み、氣むづかしくなり、そして何かの重苦しい憂鬱さに