人の手札とメクリの場札とを對照して、次に打ち當るであらうとこ それ故にまた、一般に何人に就いても知られることは、世に無用 ろの、大體の幸運札を豫想して居る。豫想がもし、川に對する 2 の の技資家がなく、決して浪費者が居ないといふことである。何人の 割合であるならば、彼等は番を休むであらうし、もっとプロバビリ 場合にまれ、彼が投資したすべての者は、結局皆彼自身の「用」に ティの率がよければ、勇敢に札を切って出るのである。競馬の賭け歸って來る。よし ! 私は百萬の金を費消しよう。それによって何 も同じであり、賽轉がしの場慣れた賭博者も同じである。熟練すれ物も得るところがなく、何一つ有益な體驗もなく、ただの快樂すら ばするほど、勝に對する豫想の計算が悉しくなり、馬鹿な無鐵砲をもなく、全くの浪費に過ぎないところの、朝の悔恨のみが白々しく しなくなる。そして一般に、これが賭け事の技術と呼ばれる者なの殘るとしよう。尚且っそれでも利益である。なぜならこの傷ましい である。 體驗から、富と人生の虚妄を知り、再度もはや昔の如く、無用な幸 それ故に熟練した賭博者は、常に籤の紛れ當りをすくなくして居への幻想を持たなくなるから。 る。彼等は一時に多く負けもしないし、一時に多く勝っこともな 人生の功利的な算盤でなく、他の場合の數理で言へば、すべての 、終始を通じて常に平均した勝負をして居る。然るに賭博の目的出費は實價によって報いられる。浪費といふ事實はないのである。 は、始めから蓮の繞倖を狙ふのであり、百千の空籤中から、一本の 當り籤を引きあてようとするところの、無鐵砲な冒險心に出發して カントの悲哀カントは典型的な敎授であった。それ故にまた、 居る。賭博の心理は、始めから勝敗の率に關する、プロバビリティ 人生を儿帳面に、範疇的に、無爲平凡に暮さねばならなかったとこ の合理的數學を持って居ない。しかも一方で常習者等は、その反復ろの、すべての平凡人の悲哀を一人で背負ってる。それはあの懷疑 する經驗と技術とから、欽第に勝負の合理的數學をおぼえて來る。 思想の外套を着た、十九世紀末の小説に現はれて來るところの、一 そして遂に矛盾を感じ、睹博への興味すらも無くしてしまふ。賭け人の寂しい孤獨者。平凡人の悲哀を表象して居るところのカントで 事の祕訣に關して、多くの職業的賭博者が敎へるところはかうでああった。秀れた詩人だけが、彼の範疇的な哲學から、その意味深い る。「賭博の最大な祕訣は、始めから賭博をしないといふことであ悲哀を直覺する。 る。」 餘生餘生とは ? 自分の過去の仕事に關して、註釋を書くため 浪費の哲學 シャルル・ポードレエルは、巴里の耽溺生活と無節の生涯を言ふ。ーー如何にまだ、餘生でさへも仕を持ってる ! 制から、親の遺産七萬法を一一年間に使ひ果した。そして「惡の華」 一册を書き、煙草錢にも足りない報酬を得た。つまり言へばポード 忙しさの得忙しさの得は、餘技や娯樂に於てさへも、切りつめ そろ 逃レエルは、千百の投資に對して一錢を得、あらゆる不生産的な、算た貴重の時間を利用すべく、全力を盡して遊び得るといふことにあ 望盤に合はない浪費をしたのだ。しかしながらポードレエルは、結局る。閑散者はこれに反し、娯樂や遊興の時でさへも、人生の緊張し して聰明な投資家だった。なぜなら彼がその耽溺によって得た「惡た時間を知らず、生命の充實感を味はひ得ない。 の華」は、金錢に換算した場合ですら、到底七萬法によって買へな 2 いほど高價であるから。 都會の忘却都會の生活の樂しさは、常に至るところに、どこに
言ふ。 はそれに近い親密の間に呼び換はされる。今のロ語では「お前」 あなた 「貴郞」と呼ぶ場合の親しい言語である。勿論實際の關係はさう 驗き戀をもするかタされば人の手卷きて寢なむ子ゅゑに でなくとも、さうした情愛の氣分を出す場合に用ゐられる。玖に 「君」は崇拜尊敬の意味を持ってる場合。印ち未だ互に深い情交が ひさま・ 戀の對手は人妻か、もしくは他に定まった情人があるのだらう。 く、相手の前に跪づいて戀を訴へ、遠く崇拜讃美の情熱を送って この場合の「人」は吾ならぬ人、部ち他人を指してゐる。苦しい戀 る場合であって、これは情痴關係に人らない前の、純粹に騎士的な プラトニック・ラブの言語である。もしくはまた、さうした愛靑をの心境を歌って秀歌である。 表現する場合に使用される。今のロ語ではこれに適合する言語がな あま 立ちて居てたどきも知らずわが心天っ空なり地は踏めども い。 ( ロ語の「あなた」には「君」のやうな崇拜感も親愛感もない。 常かくし戀ふれば苦し暫くも心やすめむ事はかりせよ ロ語の「あなた」は細君が良人を呼ぶ時だけの愛情語である。 ) いつまでか生きむ命ぞおほよそに戀ひつつあらずは死なむまされ 最後に「兒」は上述の通りであって、愛人を子供のやうに嘗めつけ る可愛ゆさの表出である。故に「兒」といふ字が正しいのだが、自 分は他に思ふところがあって、故意に此の書では「子」といふ字を 註。「あらずは」は「あるよりもむしろ」の意味。 代用した。 なら 君に戀ひいたも術なみ平山の小松が下に立ち嘆くかも たらちねの母に知らえず吾が持てる心はよしゑ君がまにまに みなせがは 戀にもぞ人は死する水無川下ゅわれ瘠す月に日にけに 同書十三卷には かさのをとめ 以上一一首、作者は笠女郞。萬葉女流中最も異色ある才媛である。 たらちねの母にも言はず包めりし心はよしゑ君がまにまに 「相思はぬ人を思ふは大寺の餓鬼の後に額づく如し」といふ豪放で といふ別歌が出てゐる。「母に知らえず」と「母にも言はず」だ けの相違であるが、前者の方には、どこか祕密を心ひそかに樂しん奇警な歌を作って居る。 でゐる餘情があるので、いくぶん優ってゐる如く思はれる。 かり′ャも 草まくら旅にし居れば苅薦の亂れて妹に戀ひぬ日はなし 思ふにし餘りにしかば術をなみ出でてぞ行きしその門を見に 歌 註。「草まくら」は「旅」の枕詞。「苅薦」は「亂れ」の枕詞。 うつつには逢ふ由もなし夢にだに間なく見え君戀に死ぬべし 名 朝寢髮われは梳らじ美しき君が手枕觸れてしものを あらゐ 草蔭の荒藺の崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ わが心燒くも吾なり愛しきやし君に戀ふるもわが心から 田園的野趣に富んだ萬葉の歌として例外であり、むしろ平々朝以 1 ノ 天地のを祈りて吾が戀ふる君に必ず逢はざらめやも 後の女流作家を思はせる。濃艶無比である。一説には人麿の作だと しる しに
に、當時僕は無爲とアンニュイの生活をし、ショ ー。ヘンハウエル的ので、皆がどっと笑ふのである。子供の遊び事に、一人が號令をし じゃくめつゐらく 虚無の世界で、寂滅爲樂の夢ばかり見て居た。 て、一人がその眞似をするのがある。「右手を上げて」「左手を上げ 「靑猫」の英語 BLUE は、僕の意味で「疲れたる , 「怠情なる」 て」と一人が言ひ、一人がその通りにする。すると今度は「兩方の 「希なき」といふ意味であった。かうした僕の心境を表現するにあんよでスッキリ立たずに」と言ふ。最後の「ず」に來る迄は、否 は現代ロ語、特に日常會話語のネパネ・ハした、退屈で齒切れの惡い定か肯定か解らないので、つい釣り込まれてスッキリ立ってしまふ 言葉が適應して居た。文章語では、却って強く彈力的になり過ぎるのである。 おそれがあった。 この日本語の構成は、意志の斷定を強く現はす場合にいちばん困 「虚無」のおぼろげなる景色のかげで る。例へば「僕はそんなことが大嫌ひだ」といふ場合、否定の NO 艶めかしくもねばねばとしなだれて居るのですよ。 をいちばん強く、いちばんアクセントをつけて言ひたいのである。 といふやうな詩想には、かうした抑揚のない、ネパネパした蜘蛛然るにその「嫌ひだ」がフレーズの最後に來るので、カがぬけて弱 の集のからみつくやうな口語體が、最もよく適應して居るのであっ弱しいものに感じられる。普通の會話の場合であったら、それでも た。「靑猫』の詩法は、つまり、ロ語の缺點を逆に利用したやうな用は足りるのだが、言葉の感覺に意味を燒きつける詩の表現では、 ものであった。しかし、それは偶然だった。『氷島』を書いた頃に これが非常に困るのである。これは僕等ばかりでなく、昔の日本の は、もはや『靑猫』の心境は僕になく、それとは逆に、烈しく燃え文學者も、同様に困った間題だったと思ふ。そこで彼等の文學者 たつやうな意志があった。當時の僕は、寂滅無爲のアンニュイではは、かうした場合に支那語の文法を折衷して、「決して」とか「斷 はんぜい なく、敵に對して反噬するやうな心境だった。「靑猫』の詩語と手じて」とかいふ言葉を、フレーズの前の方に挿人した。例へば「余 法は、もはや僕にとって何の表現にも役立たなかった。僕は放浪の の斷じて與せざる所なり」といふ風に言った。この「斷じて」は英 旅人のやうに、再度また無一文の裸になって、空無の中から新しい 語の NEVER などと同じことで、判定の語が出て來る前に、豫め 詩語を創造すべく、あてのない探索の旅に出かけた。そして最後否定を約東して居るのである。そこで讀者は、この文を終りまでよ に、悲しく自分の非力を知ってあきらめてしまった。今日の日本語 まないでも「余の斷じて」迄で否定がはっきりしてしまふ。したが ( ロ語 ) で詩を書くことは、當時の心境を表現するべく、僂にとっ ってまた、 NO の否定感情が非常に強く、十分のアクセントを以て てカの及ばない絶望事だった。 響くのである。 何よりも絶望したのは、日本語そのものの組織が NO, YES, の 一體支那語といふものは、英語や獨逸語やの西洋語と、殆んどよ 決定を、章句の最後につけることだった。例へば「私は梅よりも菊く類似して居るのである。韻律の性質もよく似て居るし、フレーズ の花の方を好む」といふ場合、最後の終りまで待たない内は、「好の文法的構成もよく似て居る。すべて彼等の言葉では、情意の判定 む」と「好まない」との判定ができないのである。この日本語の曖がフレーズの先に來るのであるから、抒情詩など書く場合に非常に 昧さを、逆にユーモ一フスに利用したのが掛合漫才などのやる洒落で都合がよく、思ひ切って感情を強く言ひ切ることができる。日本語 だけが獨りこの點で困るのである。それも普通の詩なら好いけれど ある。「私は酒も女も金も欲し」までは、判定がヤーかナインか解 3 らない。そこで「くない」と言ふかと思ふと、意外に「い」と言ふも、主觀的の意志や感情やを、強く斷定的に絶叫しようとするやう くみ
いやうな感を件ふものであるから、純な相愛者が呼びかける言語こんな言語では不可能である。之れが文章語となると、流石に長い 間藝術的に訓練されただけあって、一通りにはデリケートな感情を は、親愛の中に崇拜の意味を含むものであり、且っ戀愛の本質上か ら、特殊な美的感情をもった言語であるべきだ。この場合に「お前」表白すべき、適切な言語をそろ〈てゐる。 ( 但し文章語の有する範 圍は、開國以前の舊日本的情操に限られてゐる。明治以來の日本人 といふ如き卑俗的輕蔑をもった言語は、いかにしても適切でない。 がもってる新しい情操は、多く文章語の範圍外で、それの字引の中 次に「あなた」といふ言語が、同様にまた面白くない。第一にこ の言語は、語感が漠然として甚だ非人情である。印ち男についてもに這人って居ない。僕等がロ語に不滿しながら、しかも口語で詩文 女についても、また特に親交のない一般の人に對しても、普遍的にを書いてるわけは、一つにはこの止むを得ない事情によるのだ。 ) 文章語の方では、かうした場合に最も適切な表現がある。即ち 漠然と使用される一種の儀禮的言語であって、少しも親しい人情味 「君」といふ言葉である。尤もこの「君」といふ語は、ロ語の方で がなく、空疎で、よそよそしく、他人行儀の空々しい言葉である。 かりにも戀をしてゐる男女が、こんな非個性的な漠然たる言語を使も使用するけれ共、文章語とは場合がちがって居る。文章語の詩歌 って、對手を呼びかけることは無い筈だ。まだしも之れに比べれで使ふ「君」といふ語は、普通に戀人を呼ぶ言語である。即ち「君 ば、或る特別の場合に限って、前の「お前」の方がしつくりしてゐならでたれか知るべき」とか「君に捧げん我が思ひ」とかいふ類で あって、すべて戀人の二人稱は君である。この文章語の「君」とい る。すくなくとも人情味があるだけ好い。 そこで「お前」の親愛感だけを取って、その卑賤感や輕蔑感やをふ語は、實に適切で餘情に富んだ言語である。第一この言葉には、 一方で親友に對する場合の如きーーロ語では専らその意味に使はれ 除き、同時に一方で「あなた」から、その崇拜感だけを殘して他の 空疎感や常識的儀禮感やの、すべての不適切な語意を除き、そしてる。ーー・親愛の深い情がこもってゐる上、一方では君主などを呼ぶ この二つの言葉を、一つに重ね合すことができるとすれば、初めて場合に於ける、特殊の崇拜の語意があって、それが兩方から一語の 僕等の要求する如き眞の詩語ができるわけだ。所がもちろん、そん中に混和して居り、何ともい〈ない微妙の魅力がある。戀をする人 の感情で對手を呼ぶ時、之れより適切な二人稱は他になからう。單 な言語的奇術は不可能だし、と言って外に之れといふ言語もないの で、僕等は實に困って居るのだ。單に作詩上ばかりではない。普通に君と君びかける一語の中に、戀愛のあらゆる感情が盡されてゐる のフプレターを書くのにも困るのだ。尢も僕自身は、近頃全くそんと言っても好い程だ。 この文章語に於ける「君」は、ロ語の「お前」と「あなた」と な經驗がなく、また必要もないけれ共、實際に戀をしてゐる若い人 たちは、どんなに困るだらうと思って心配するのだ。 ( だから近頃を、兩方から合はせて一語にしたやうなものであり、親愛と崇拜と の混合する戀の實有的情操を、藝術的にびったり表白して居る。し の若い戀人たちは、たいてい對手を二人稱で呼ばないで、さんと かし昔の日本人が、文章語を此所まで洗練させてくるには、可成り か、子さんとかいふやうに、名前で呼んでるやうだ。實際これよ 長い時間がかかって居るのだ。ち萬葉集時代の詩歌では、未だ り道はなからう。 ) 「君」といふ言語がなくーーー當時の「君」は主として天皇を指して 實に考 ( れば考へるほど、日本のロ語といふ奴は未熟のもので、 いも いも ゐるーーー情人を呼ぶに「妹」と言ってる。「妹」といふ言語も、ロ 單に日常生活の實用的利便を足す外、何の藝術的表現をもって居な い。少し複雜した感情や、藝術的デリカシーを要する表現は、到底語の「お前」などより遙かにスイートで、且つずっと藝術的微妙感
比喩と象徴との區別は、これで大體解ったと思はれる。もし比喩れてゐる。此所で私は ならば「やうな」は形容であり、普通の文法通りの意味に屬するけ 南洋の裸か女のやうに れども、象徴の場合の「やうな」は、もはや文法上の意味とはちが と言ひ、次に ってくる。前に室生君の詩句が解らないといって不思議がった人 夏草の茂ってゐる波止場の向うへ も、つまりこの「やうな」を文法通りの形容に解した結果である。 ふしぎな赤錆びた汽船がはひってきた では象徴の場合に於て「やうな」はどういふ意味を持つだらうか。 と續けてゐるから、文法上の解釋上からは、この「南洋の裸か女」 もしそれが厭ひならば、前に言ふ通り除いてしまって、單に個々の といふ念が、當然「赤錆びた汽船」の比喩となってゐるので、そ 單語を並べても好いのであるし、或はまた「鳥羽玉の闇」式に、連れが「やうに」の形容語で説明されてゐるわけである。しかしさう 辭「の」を以て「やうに」の代用にしても好いのである。然るに私文法的に解釋しては、此等の詩に價値がなくなってくる。何となれ が好んでこの「やうに」を亂用するのは、そこに私自身の特別な詩ば此所では、この「南洋の裸か女」が、それ自ら獨立詩句となっ 想的條件があるからである。先づ私の詩から一篇を引例しよう。 て、さうした島の南國的情景を表象してゐるからである。つまりこ の詩は、次のやうに言ひ換へたのと同じである。 題のない歌 ( 『靑猫』三九頁 ) 南洋の島に日にやけた裸か女が居る。 南洋の日にやけた裸か女のやうに そして夏草の茂ってゐる波止場の向うへ 夏草の茂ってゐる波止場の向うへ ふしぎな赤錆びた汽船がはひってきた。 ふしぎな赤錆びた汽船がはひってきた これでよく解るだらう。ち「やうに」はこの場合「そして」と ふはふはとした雲が白くたちのぼって いふ語と同じほどの意味をもってる。ではなぜ「そして」と言ふ代 船員のすふ煙草のけむりがさびしがってる りに「やうに」と言ふか、それを説明しよう。 わたしは鶉のやうに羽ばたきながら 今、前の書き換へのやうに たけ さうして丈の高い野茨の上を飛びまはった 南洋の島に日にやけた裸か女が居る。 ああ雲よ船よどこに彼女は航海の碇を捨てたか と切って、次に ( 以下略す ) 夏草の茂ってゐる波止場の向うへ 私がこの「やうに」詩體で、特殊なスタイルを作ったといふわけ とする時には、始めの第一行が印象的に獨立したものとなり、次行 は、もちろん單にそれを象徴して用ゐたといふだけの話ではない。 との間に詩情の濃やかなつなぎが切れてくる。その上にこの場合と 單に「墓穴のやうな闇黒」といふやうな詩句ならば、既に人々が普 して、詩句が風物の自然的描寫になりすぎるのである。此所ではさ へうべう 通にやってることであって、何の新しいことも珍しいこともない。 うした島の風光を描くと同時に、或る縹渺たる主觀の情緖的氣分を 上説した所は、單に比喩と象徴との別を明らかにして、以下述べる出さねばならぬ。したがって此の場合では、單純な風光描寫になっ 所の前提としたにすぎない。 ては困るので、一方にその景色の印象を暗示しながら、それと同時 さて此所に引例した私の詩で、最初の第一行に「やうに」が使は に主観の情緒的節奏を傅へねばならないのだ。故に「そして」で次
る。それは人間の最も深い悲哀を知ってるところの、憑かれた惡靈ての紳士生活 ) を表象し、他の乞食ルン。 ( ンによって、永遠に不幸 のやうな人物だった。そこで或る街の深夜に、ぐでぐでに醉って死な漂泊者であるところの、虚妄な悲しい藝術家としての自己を表象 場所を探してゐる不幸な紳士が、場末の薄暗い地下室で、チャップ したのである。つまりこの映畫に於ける二人の主役人物は、共に リンの扮してゐる乞食ルンペンと邂逅する。ルンペンもまた紳士とチャップリンの半身であり、生活の鏡に映った一人一一役の姿であっ 同じく、但し紳士とはちがった事情によって、人生にすっかり絶望た。しかもその一方の紳士は、自己の半身であるところのルンペン してゐる種類の人間である。そこで二人はすっかり仲好しになり、 を憎惡し、不潔な動物のやうに嫌厭してゐる。それでゐて彼の魂が 互に「兄弟」と呼んで抱擁し、髯面をつけて接吻さへする。醉つば詩を思ふ時、彼は乞食の中に自己の眞實の姿を見出し、漂泊のルン らった紳士は、ルンペンを自宅へ伴ひ、深夜に雇人を起して大酒宴 ペンと抱擁して悲しむのである。 をする。タキシードを着た富豪の下僕や雇人等は、乞食の客人を見 チャップリンの悲劇は深刻である。だが天才でない平凡人でも、 て吃驚し、主人の制止も聞かないふりで、戸外へ・掴み出さうとする かうした二重人格の矛盾と悲劇は常に知ってる。特に就中、酒を飮 のである。しかし紳士は有頂天で、一瓶百フランもする酒をがぶがむ人たちはよく知ってる。すべての酒を飮む人たちは、映晝「街の ぶ飮ませ、おまけに自分のべッドへ無理に寢かせ、互に抱擁して眠灯」に現はれて來る紳士である。夜になって泥醉し、女に大金をあ るのである。 たへて豪語する紳士は、朝になって悔恨し、自分で金をあたへた女 朝が來て目が醒めた時、紳士はすっかり正氣になる。そして自分を、まるで泥坊かのやうに憎むのである。醉って見知らぬ男と友人 の側に寢てゐるルン。ヘンを見て、不潔な憎惡から身ぶるひする。彼になったり、兄弟と呼んで接吻した醉漢は、朝になって百度も唾を は大聲で下僕を呼び、すぐに此奴を戸外へみ出せと怒鳴るのであ吐いて嗽ひをする。そして髮の毛をむしりながら、あらゆる嫌厭と る。彼は自殺用のピストルをいぢりながら、昨夜の馬鹿氣た行爲を憎惡とを、自分自身に向って痛感する。 後悔し、毒蛇のやうな自己嫌忌に惱まされる。彼は自分に向って すべての酒飲みたちが願ふところは、醉中にしたところの自己の 「恥知らず。馬鹿 ! ケダモノ ! 」と叫ぶのである。 行爲を、翌朝になって記憶にとどめず、忘れてしまひたいといふ願 けれどもまた夜になると、紳士は大酒を飮んでヘべレケになり、 望である。部ちハイドがジーキルにしたやうに自己の一方の人格 場末の暗い街々を徘徊して、再度また咋夜の乞食ルンペンに邂逅すが、他の一方の人格を抹殺して、記憶から喪失させてしまひたいの る。そこでまたすっかり感激し「おお兄弟」と呼んで握手をする。 だ。しかしこのもっともな願望は、それが實現した場合を考へる それから自動車に乘せて家へ連れ込み、金庫をあけて有りったけの時、非常に不安で氣味わるく危險である。現にかって私自身が、そ 想札束をすっかり相手にやってしまふ。だがその翌朝、再度平常の紳れを經驗した時のことを語らう。或る朝、寢床の中で目醒めた時、 士意識に歸った時、大金をもってるルンペンを見て、この泥坊野郎 私は左の腕が痛く、ひどくづきづきするのを感じた。私はどこかで 隨 奴と罵るのである。そしてこの生活が、毎晩同じゃうに繰返されて怪我をしたのだ。そこで昨夜の記憶を注意深く尋ねて見たが、一切 續くのである。 がただ茫漠として、少しも思ひ出す原因がない。後になって友人に 療宿命詩人チャップリンの意圖したものは、この紳士によって自己聞いたら、醉って自動車に衝突し、鋪道に倒れたといふのである。 3 の牛身 ( 百萬長者としてのチャップリン氏と、その瓧會的名士とし もっとひどいのは、或る夜行きつけの珈琲店に行ったら、女給が おもて
だ。この道理をはなれて、私は自ら詩を作る意 でも説明する。詩は言葉以上の言葉である。 極めて普遍性のものであって、同時に極めて個 義を知らない。 性的な特異なものである。 狂水病者の例は極めて特異の例である。けれ どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表 詩は一瞬間に於ける靈智の産物である。ふた どもまた同時に極めてありふれた例でもある。 現しようと思ったら、それは容易のわざではな んにもってゐる所のある種の感情が、電流體の 人間は一人一人にちがった肉體と、ちがった い。この場合には言葉は何の役にもたたない。 神經とをもって居る。我のかなしみは彼のかな如きものに觸れて始めてリズムを發見する。こ そこには音樂と詩があるばかりである。 の電流體は詩人にとっては奇蹟である。詩は豫 しみではない。彼のよろこびは我のよろこびで 期して作らるべき者ではない。 はない。 私はときどき不幸な狂水病者のことを考へ 人は一人一人では、いつも永久に、永久に、 以前、私は詩といふものを紳祕のやうに考へ 恐ろしい孤獨である。 あの病氣にかかった人間は非常に水を恐れる て居た。ある靈妙な宇宙の聖靈と人間の叡智と 原始以來、は幾億萬人といふ人間を造っ といふことだ。コップに盛った一杯の水が絶息 の交靈作用のやうにも考へて居た。或はまた不 た。けれども全く同じ顔の人間を、決して二人 するほど恐ろしいといふやうなことは、どんな 可思議な自然の謎を解くための鍵のやうにも思 とは造りはしなかった。人はだれでも單位で生 にしても我々には想像のおよばないことであ って居た。併し今から思ふと、それは笑ふべき れて、永久に單位で死ななければならない。 迷信であった。 とはいへ、我々は決してぼつねんと切りはな 一。どういふわけで水が恐ろしい ? 』『どういふ 詩とは、決してそんな奇怪な鬼のやうなもの された宇宙の單位ではない。 工合に水が恐ろしい ? 』これらの心理は、我々 ではなく、實は却って我々とは親しみ易い兄妹 我々の顏は、我々の皮膚は、一人一人にみん にとっては只々不可思議千萬のものといふの外 や愛人のやうなものである。 はない。けれどもあの患者にとってはそれが何 な異って居る。けれども、實際は一人一人にみ 私どもは時々、不具な子供のやうないちらし んな同一のところをもって居るのである。この よりも眞實な事實なのである。そして此の場合 い心で、部屋の暗い片隅にすすり泣きをする。 共通を人間同志の間に發見するとき、人類間の に若しその患者自身が・ : : 何等かの必要に迫ら さういふ時、ひったりと肩により添ひながら、 「道德』と『愛』とが生れるのである。この共 れて : : : この苦しい實感を傍人に向って説明し ふるヘる自分の心臟の上に、やさしい手をおい ようと試みるならば ( それはずゐぶん有りさう 通を人類と植物との間に發見するとき、自然間 てくれる乙女がある。その看護婦の乙女が詩で の『道徳』と『愛』とが生れるのである。そし に思はれることだ。もし傍人がこの病氣につい ある。 て我々はもはや永久に孤獨ではない。 て特種の智識をもたなかった場合には彼に對し 私は詩を思ふと、烈しい人間のなやみとその てどんな慘酷な惡戲が行はれないとも限らな よろこびとをかんずる。 い。こんな場合を考へると私は戦慄せずには居 私のこの肉體とこの感情とは、もちろん世界 詩は祕でも象徴でも鬼でもない。詩はた 中で私一人しか所有して居ない。またそれを完 られない。 ) 患者自身はどんな手段をとるべき だ、病める魂の所有者と孤獨者との寂しいなぐ であらう。恐らくはどのやうな言葉の説明を以 全に理解してゐる人も私一人しかない。これは さめである。 え てしても、この奇異な感情を表現することは出極めて極めて特異な性質をもったものである。 詩を思ふとき、私は人情のいちらしさに自然 けれども、それはまた同時に、世界の何びとに に來ないであらう。 月 と涙ぐましくなる。 けれども、若し彼に詩人としての才能があっ も共通なものでなければならない。この特異に たら、もちろん彼は詩を作るにちがひない。詩 して共通なる個々の感情の焦點に、詩歌のほん 9 過去は私にとって苦しい思ひ出である。過去 との「よろこび』と『祕密性』とが存在するの は人間の言葉で説明することの出來ないものま る。
384 度歸京さすべく、計晝して待ってゐるから。 ) その邊の事情、君にはよく推察のことと思ふ。ぬかりなくやって 下さい。 昭和四年七月九日消印在、前橋 その通知あり次第、いつでもすぐ上京する。大森へ行くのは危險 ( 前の部分、失われてなし ) もちろん始から俗物にすぎなかった。あいっ だから、銀座あたりで、場所と時間をきめて待ちあはせ、久しぶり 等は單に乞食であるばかりでなく、人間の純情や詩を理解すること で君に逢はうと思ふ。その時、品物を渡してもらへば好い。 ( 郵便 だがナナ ができないところの、愚劣な現實家にすぎないのだ。 の財布は悲哀だね。その銅錢の乞食について、君再度また『愛の詩は必要のものと、面白いものだけ選んでもらへば好い。 ) 集』の人道詩を書く勇氣ありや否や。供等はこの近年來、人生につ 家庭のことは、尚暫らく人に言はないでおいて下さい。事件は目 ・ : 常に幻滅のみ ! いてあまり多くを知りすぎた。 下進行中であるから、結果が決する迄内緒にしたい。萬一結果が複 離して豫期の通りに行かない時には、僕として大に外聞が惡い故、 恥かしくもなく。 隣家は常に夢を見てゐる ! この際しばらくは絶對に祕密のこと。君にだけこっそりと暗示する 白晝にさへ。 ( 一つの哲學 ) のだ。失禮だが用件を確く御たのみ致します。 馬込の一黨は皆タチの惡いゴシップ屋だから、この邊を特別に御 いよいよ僕は決心した。 家庭を破壞してしまふのである。そのことの内容は、何れ逢って用心のこと。 から詳しく話すが、さしあたり用件を御たのみする。 昭和四年七月十六日消印在、前橋 第一は留守宅に來てゐる郵便物の整理である。中には必要のもの 先夜は失禮、友人等と一絡のため、充分に話をすることができな があると思ふが、今の場合として、僕がそれを受け取りに歸宅する かった。事件は尚、未解決の間祕密にしておきたいと思ふので、あ のは甚だまづい。 の場合君に話すことが出來なかった。 それでロ實をまうけ、一たん君の所まで持って來てもらひたい。 歸りが佐藤君と一緒になるのでエ合が惡いと思ひ、わざと君等に 第二に寫眞機が人用なのだが、これも同様にして君の家へ取って置 離れて一人で品川ホテルへ行ったが、様子が氣に人らないので止 いてもらひたい。近日中僕は微行で上京するから、その折君から手 め、さらに新宿のホテルへ行き泊った。洋室の暑さに一睡もでき 渡してもらへば好都合だ。 ( 君がもし伊香保へでも來るなら、その す、閉ロした。夏のホテルは禁物である。 時に直接御持參を願へば一層ありがたい。 ) 0 0 0 0 0 0 翌日、淺草へ行き「アリ・ハイ」を見る。從來見たトーキイの中で この郵便物と寫眞機とを、君の所へ取りよせるロ實として、君が 伊香保へ來るにつき、僕から君に持參をたのむだといふことにしては一番面白かった。發聲が好いのではなく、寫眞として好いのだ。 0 點位か ? おいた。僕はその意を留守宛通知しておいたから、君の方で使を出 6 炎暑のため、身心の行爲に窮し、一時も早く汽車に乘らんと欲し し、伊香保行につき萩原から賴まれた品を渡せと言ってやってくれ 給〈。それでないと一寸渡してくれないと思ふ。 ( 留守宅は僕を再たるも、例の寫眞機を受取らないので、約東の時間までを如何にし とを考えていた。
を辭世として、縹渺よるべなき鄕愁の悲哀の中に、その生涯の詩 ふところ 衰へや齒に喰ひあてし海苔の砂 を終った蕪村。人生の家鄕を慈母の懷袍に求めた蕪村は、今も尚我 この秋は何で年よる雲に鳥 等の心に永く生きて、その佗しい夜牛樂の旋律を聽かせてくれる。 蝙蝠も出でよ浮世の花に島 抒情詩人の中での、まことの懷かしい抒情詩人の蕪村であった。 秋近き心の寄るや四疊生・ かうした句の詩情してゐるものは、實に純粹のリリシズムであ 附記ーー蕪村と芭蕉の相違は、兩者の書體が最もよく表象して居 り、心の沁々とした詠嘆である。西行は純一のリリシズムを持った る。芭蕉の書體が雄健で濶逹であるに反して、蕪村の文字は瓢逸「詠嘆の詩人」であ「たが、芭蕉もまた同じゃうな詠嘆の詩人であ で、寒さうにかじかんで居る。それは「炬燵の詩人」であり爐邊のる。したが「て彼の句は常に主的である。彼は自然風物の外景を 詩人であったところの、俳人蕪村の風貌を表象して居る。 敍す場合にも、常に主調の想念する詠嘆の情操が先に立ってゐる、 これ芭蕉の句が、一般に念的と言はれる理由で、この點蕪村の印 附録 象的、客觀的の句風に對して「ント一フストを示して居る。蕪村は決 芭蕉私見 して、子規一派の解した如き淺薄な寫生主義者ではないけれども、 對象に對して常に物的客描寫の手法を取り、主の想念やリリ 僕は少し以前まで、芭蕉の俳句が嫌ひであった。芭蕉に限らず、 ックやを、直接句の表面に出して詠嘆することをしなかった。蕪村 一體に俳句といふものが嫌ひであ「た。しかし僕も、最近漸く老年の場合で言 ( ば、リリ〉クは詩の背後に隱されて居るのである。 に近くなってから、東洋風の枯淡趣味といふものが解って來た。或 芭蕉と蕪村に於けるこの相違は、兩者の表現に於ける様式の相違 は少しく解りかけて來たやうに思はれる。そして同時に、芭蕉など となり、言葉の律に於て最もよく現はれて居る。芭蕉の俳句に於 の特殊な妙味も解って來た。昔は芥川君と芭蕉論を鬪はし、一も二 ては、言葉がそれ自身「詠嘆の調べ」を持ち、「歌ふための俳句」 もなくやッつけてしまったのだが、今では僕も芭蕉ファンの一人で として作られて居る。たと ( ば上例の諸句にしても「この道や行く あり、或る點で蕪村よりも好きである。年齡と共に、今後の僕は、 人なしに秋の暮」等の句にしても、言葉それ自身に節奏の抑揚があ 益よ芭蕉に深くひき込まれて來るやうな感じがする。日本に生れ り、その言葉の節付けする抑揚が、おのづからまた内容の沁々とし 村 て、米の飯を五十年も長く食「て居たら、自然にさうな「て來るのた心の詠嘆 ( 寂びしをり ) を表出して居る。「この秋は何で年よる 騒が本當な 0 だらう。僕としては何だか寂し」やうな、悲し」やう雲に鳥」と」ふ句は「何で年よる」と」ふ言葉 0 味氣なく重た」調 臾な、やるせなく捨鉢になったやうな思ひがする。 子。「雲に鳥」といふ言葉の輕く果敢ない音律によって構成され、 の そしてこの調べの構成が、それ自ら句の詩情するリリシズムを構成 愁芭蕉 0 俳句には、本質的の意味 0 リリシズが精して居る。むして居る 0 である。故に芭蕉も弟子に敎〈て、常に「俳句は調・〈を ろんそのリリシズムは、蕪村にも一茶にも共通して居るのであるが旨とす・〈し」と言「て居たといふ。「調べ」とは西洋の詩學で言ふ ( 俳句が抒情詩の一種である以上、それは當然のことである ) 芭蕉 「韻律」のことであり、言葉の抑揚節奏する音樂のことで、そして の場合に限って、特にそれが純一に主調されて居るのである。 芭蕉の場合に於て、その音樂は詠嘆のリリシズムを意味して居たの
意の一對が適合するとき、直ちにその配偶生活が始まってくる。部「運」によって、配偶者の肓籤を引きあててゐる。何人も、結婚し 幻ち彼等の婚姻は、氣流や海潮が運ぶところの、氣まぐれの「蓮」に てしまった後になって、逆に初めて配偶者の何者たるかをーーー眞に 任せてあり、その配偶の選は、いっさい「偶然」が決定する。し いかなる人物であったかをーーー知る。結婚の前にあっては、單に異 かもかくして、一旦定められた偶然の配偶は、彼等が共に老いて死性であることの外、漠然たるよそ行きの概念の外、どんな具體的の ぬまで、生涯を通じて變ることなく、宿命的に結合された夫婦であ人物も知ってゐない。我々は無鉞砲に、運を天に任せて、豫想のつ る。何となればその網籠には、どこにも自由の出口がなく、一旦閉かない結婚をする。ただその日の天候が、氣流が、潮の滿干の流れ ちこめられた以上には、もはや終生出ることができないから。 が、我々の自由意志と交渉なく、ある偶然の配偶を運んでくる。人 偕老同穴蟲。意識なく個性なき海中の微生物の場合にあっては、 は結婚せねばならない。しかしながら何物が、どんな方面から、い この自然の結婚法が最も滿足にして完全なるものであるのだらう。 かにしていっ求婚してくるかを知らない。一切の配偶は縁であり、 何となれば彼等は、その同種屬たる限りに於て、 << もも O も 豫想のつかない、偶然の支配に屬してゐる。 ( それ故に、結果の幸 も、すべてが全く同一の衝動體にすぎない故、任意に選ばれた二箇不幸も、また偶然の蓮である。 ) のものは、常に必ず最善の配偶である。この場合での結婚とは、性 實に數千年の長い間、人は「偶然」によって結婚し、しかも生涯 を異にする二箇の物質が、自然の盲目的な媒介ーーー・蓮や偶然や を通じて離れず、概ね貞操ある夫婦として過ごして來た。 ( 何とな によって結合し、選り好みなき生殖生活をするものにすぎない。 れば道徳が、法律が、就會の制度が、別して子供への責任などが、 人間の場合に於て、萬物の靈長たる人間の場合に於て、これがま それの出口を塞いでゐるから。 ) げに人間のみじめさは、よくも數 た同様にさうであるならば ! 人と人との配偶が、もし ;c の代りに千年の歴史を通じて、偕老同穴蟲たる運命を忍んできた ! を取り、 O の代りに任意の一を取りうるやうな、天運任せの抽籤 的結合であるならば、いかに人間の結婚は非倫であり、みじめな、 童貞マリア處女マリアの肯像は、基督教の浪漫思想が夢みたと 下等動物的のものにすぎないだらう。しかも他の所謂「夫婦」と ころの、悲しき紳聖結婚の幻影である。 は、概ねただ偶然の機會によって、殆んど多くの選り好みなく、運 命的に、抽籤的に結合したものにすぎないのだ。社會はこれを結婚久減の女性マリアは常に嘆いてゐる。憂鬱に、かなしげに、あ まなぎ、し と呼び、外面的な儀式によって聖化してる。ただ儀式だけが、空こがれに充ちた眼眸をして : 虚な胡魔化しの形式だけが、所謂「人倫」を欟念づけてる。だがそ の儀式を除いてみよう。あらゆる多くの配偶者は、眞に文字通りの美しき野獸婦人等は子供と同じく「自然」である。粗野で、 「野合」である。印ち人格と人格との配偶でなく、性と性との、細無邪氣で、單純で、激情に走り易く、天然のままの野性であり、未 胞物質と物質との、一般的なる選なき結合である。 だ開明に慣れないところの、自然の美しい野獸である。されば古代 階老同穴蟲的動物ーー。いかに歴史の長い間、人間はこの非倫的のヘブライや、希臘や、印度や、アッシリヤ等の國々では、概ねの なる、下等動物的なる結婚を續けて來たことぞ。過去に於ても、我文獻や美術に於て、婦人への比喩が野性の猛獸に譬へられてた。た かもしか 我の結婚は常に盲目的で、偶然の「縁」により、豫想のつかない とへば羚羊や、牝獅子や、豹や、鬣の長い野馬や、肥えて逞しい たてがな