だから現實主義の藝術も、この點に於て空想主義の藝術と選ぶとこ てしまはない間に、そし・て尚出來得べくば、それが甚だ強勢の暴威 を逞しくしてゐる間に、早く早く、君の今日の思想を發表しろ。でろはない。ばかりでなく、それが感覺的、如實的であるだけ、それ だけ空想主義よりも美的恍惚への刺激が強いわけである。そしてこ ないならば、恐らく永遠に物言ふ機會を失ふであらう。君自身の思 の事實は、すべての優秀な現實主義の藝術によって、我等にまで明 想をひっくり返して、新しく敵の側に立てない限りは。 白に證據立てられてゐる。たとへばあのロダンに於て、「靈感をお 地平線を越えて樂天的な思想は、私にまで氣分として面白くな捨てなさい。空想はいけません。現實ばかりが本當です。現實ばか りを凝視しなさい。現實から趣味を求めなさい。」と言って彼の弟 い。厭世的な思想は、私にまで思考として望ましくない。さらば究 極のところ、この一つの展望を越えて、私の地平線はどこにある子を戒めたロダンの作品ーーーあの極めて現實的で、そしてまた極め などに於て見る如く。 て夢幻平な作品 , 刀 ああ、更にた地平線を遠く越えて。 幻像の都會深山の奥に於ける賑やかな温泉場の燈火や、溪谷の 現實主義者の幻想藝術上での現實主義とは、靈感や空想や VI- S 一 ON やを礙して、現實の「モデルある自然」を描けといふ主張で底深く見える發電所の建築や、人氣のない山林に捨てられた工夫の シャベルや、閑靜の田舍にみる停車場のシグナルや、樹の深い山 あらう。けれどもどんな藝術が VISION なしにーーー・ち美の恍惚 的氣分なしにーー・眞の現實的實感で表現される筈があらうぞ。なぜの遊歩地に置かれた新式のべンチや、すべてさうした幽邃の自然に といって藝術品の讀者に買はれる價値は、そこに何の「事實」が描於ける文明的の人工物は、我等にまで何かの幻想的な、しかも朝の かれて居るかといふ點でなく、何が「如何やうに」描かれて居るかやうな鮮新な氣分を感じさせる。この鮮新な氣分こそ、實に我等の といふ點にある。つまりいへば我等は、藝術品から寫眞をーーあ「文化的感情」と呼ぶもの、よって以て自然を人間の生活に反映さ せふふく の「事實そのまま」を忠實に映寫した無趣味退屈な寫眞をーー求め せ、進んで自然を慴伏しようとする、人間的の強い欲情から縹渺す はしない。我等の求めるものは作家の個性であり、趣味である。言 る幻想ではないか、さればこの幻想は、山が一層深く、森林が一層 暗く、田舍が一層荒寥としてゐるとき、そして反對に、その自然の ひ代へれば、その現實の自然の上に投げかけた作家の氣分、感情、 情調の影が、そこでどんな特殊の色合を漂はしてゐるか、そしてそ環中に於ける人工物が、一層新式で一層文明の匂ひを強く感じさせ るとき、約言すれば、より原始的な自然に對して、より文明的な人 の色合が、どれほどの魅惑ある VISION にまで我等を誘惑する か。印ち我等の趣味性にまでどれほどの美的評價をもっかといふと生を對照し、そこに兩者の極めて鮮明な對色的反映を感じさせると ころにある。されば現實主義の藝術とは、我等の主張するごとく き、我等にまで最も芳烈な力強い情慾を呼び起させる。そこではた 欲 VISION を描かない藝術といふわけでなく、事實上では「現實性しかに人間の最も原始的な生活意志・・ーーあの荒寥たる大自然の中 をの し ある VISION 」「眞に迫った VISION 」を捉へようとする藝術で で、その怖るべき強迫の中で、賴りのない孤獨に戰のいてゐた我等 新 ある。具體的に説明すれば、彼の目前に立ってゐる現實のモデル女の先祖を思へ。さらにまたけなげにも勇氣をふるって彼等の強敵 ( 自然 ) に戰ひを挑んだ先祖の生活を思へ。そこに人間のけなげな の豐麗な肉體が、彼の畫室にまで縹渺させてゐる香氣の高い「夢」 2 る意志がある。ここに人類の文化的本能が遺傅された。それは自然 現實性のある「夢」ーーを描くのが聞ち現實主義ではないか。 、 0
た。 ) のみならずそれだったら、人は生活の中にのみ滿足して、創想するにすぎないのである。一般に藝術家等は、宗敎家や Spirist % 造への強い情熱を失ふだらう。なぜといって藝術は、生活に現實さの如く、それほど非理性的な人物ではない。 れない「非有のもの」を、美に於て實現しようと欲するところの、 人生の已みがたい情念にもとづいてるから。 眞實から離れて自然の「眞實」を描くといふことが、もし藝術 の目的であるならば、女に女のモデルを描かせ、男に男のモデルを れたいた 悲劇の意向人間の臆病さは、傷々しさから目をそむけて見ない描かせなければいけない。その反對は禁じられる。なぜといって、 ゃうに、悲劇の原因の實について目をつぶってゐる。それの實體にもし男が女の繪を描くならば、自然の要求からして異性のあらゆる は手を觸れないで、周圍の環境から原因を探し出す。それによって特殊な魅惑 豐滿な腰の肉づきや、優美な股の曲線や、むっちり あらゆる不幸が、自分自身の中に内在するのでなく、周圍の社會やとした乳房や、胴のエロチックな丸味や、その他の女らしきすべて 制度の缺陷に歸せられる。丁度世の母親たちが、子供の瘤の責任をの媚態と艶めかしさーーのみを採り、ただその點だけを誇張して描 柱に歸し、柱を打っことによって泣く兒を慰めようとするやうに、 くであらう。特に天才にあっては、誇張が一層ひどく露骨にされ 我々がまたそれで慰められ、環境への怨恨や復讐から、自分自身のる。げに我々の知る如く、男の書家によって描寫された婦人の像 傷ましい苦痛を忘れてしまふ。何よりも自分自身が、悲劇の實の原は、何等現實のものでなくして、全く藝術上に理想化したもの、異 因でなく、責任を持たないといふことからして、自由の滿足が感じ性の情慾と趣味を飽滿さすべく、その點で婦人を誇張したものに外 ならない。 られ、善い兒になって居られるのである。 概ねの悲劇作者が、かくの如き人生を望して居る。彼等は故意 一方で婦人の畫家たちは、モデルに對してずっと忠實であり、つ に、または無意識に、悲劇の主題を主人公自身から切り離し、不遇つましやかの態度をとってる。婦人の描いた女の畫像は、男子の常 な社會的環境の中に筋を求める。それ故に劇が面白くなり、實際に に描くそれのやうに、決してそんなに誇張された、盛りあがった豐 は單調で味氣なく厭ゃな苦惱に充たされた人生が、一の花々しき、 、冫の乳房を持たない。それほどに肥大の腰や、それほどにエロチッ こわく 悲壯感の詩に充ちたる、無限のドラマチックのものに變ってくる。 クな胴を持たない。そして全體に寫實的であまり蠱惑的な美を強調 かく悲劇のものすらが、人生の陰慘から目をそむけて、讀者を救はせず、軟弱で力が無く感じられる。ち實際に、現實の女性がある うと企ててゐる ! 如く、その如く正直に描寫してゐる。 かくの如き本當の寫實主義は、しかしながら何人にも悅ばれな 藝術的祚祕思想科學的認識がその證明を投げたところに、かれい。何となれば、それが單に「事實」であり、そしてその故に、全 らの靈體の實在を信ずるものは、普通にス。ヒリストと呼ばれて居 く以てつまらない存在にすぎないから。より偉大な藝術品は、事物 る。しかしながら我々の藝術的ス。ヒリストは、必ずしも彼等と同一 の深遠な價値を教へる。しかしながら眞實ではなく、より眞實から でないだらう。我々の象徴詩人や神祕詩人は、さうした靈體 ( 神や遠く離れて。 幽靈 ) の實在を、彼等の如く單純には信じてゐない。我々はそれを 信仰するのでなく、むしろ美的幻想のイメージとして、藝術的に空歐羅巴の鄕愁我々の藝術はーー文明と同じく ーー南國の熱帶地
ってゐる。より偉大なものほど、よりカの強い、恐るべき敵を持っ的であるところの人々は、言語の正しき概念を認識しないで、單に 6 であらう。單純な人物政治家や、軍人や、社會主義者や , ーーは、いそれの附加されたる、感情價値だけを直感する。例〈ば「民衆」と つでも正體のはっきりしてゐる、單純な目標の敵を持ってる。だが か「資本家」とかいふ一一一口語が、實は語義するところの意咊ではなく より性格の複雜した、意識の深いところに生活する人々は、社會の 彼等の多くは、その定義すらも知って居ない。ーー單に或る時 ずっと内部に隱れてゐる、目に見えない原動力の敵を持ってる。し代的の思潮によって、それが憎惡されたり奪敬されたりするところ ばしばそれは、概念によって抽象されない、一つの大きなエネルギの、言語の感情價値だけを直覺する。それ故に彼等は、丁度子供た イで、地球の全體をさへ動かすところの、根本のものでさへもある ちの言語に於て、大將が一切の善きものである如く、もしデモクラ だらう。彼等は敵の居る事を心に感ずる。だが敵の實體が何であ シイの時代に於ては、民衆の語に一切の「善きもの」を分屬させ、 り、どこに挑戦されるものであるかを、容易に自ら知覺し得ない。 もし社會主義の時代に於ては、プルジョアの語に一切の「悪しきも 彼等はずっと長い間ーーーおそらくは生涯を通じてーー敵の名前さへ の」を總括させる。 も知らないところの、漠然たる戦鬪に殉じて居る。死後になって見 概ねの文學者の思想は、この種の子供らしき稚態に屬してゐる。 れば、初めてそれが解るのである。 彼等は理論を爭ふのでなく、言語の感情價値でのみ、經を爭ふに すぎないである。 何所にか我が敵のある如し 敵のある如し・ 北原白秋斷章 惡の定義惡とは無智なりといふ定義は、ソクラテスが考へたよ 思想家と小説家 小説家の苦心は、ウソを事實らしく語り、想像 りも、ずっと本質的の意味に於て、千萬無量の眞理である。 を現實らしく見せるところの、表現の技巧にかかはってゐる。思想 家にあっては、それが丁度反對であり、苦心が裏側にひそんでゐ る。いかにして我々は、我々の實生活を讀者に隱し、個人の具體的 なる經驗や現實感やを、一の抽象的な「眞理」にまで、普遍化しょ うかと苦心する。そこで成功した小説は、空想の世界に讀者を欺き 入れる。讀者は小説にあざむかれ、實には作家の「作り話」にすぎ ないものを、現實の「事實」であると思ってしまふ。天分のある思 想家等が、同様にしてまた成功する。ちこの逆であり、讀者は論 理にあざむかれて、實には思想家の個人的體驗にすぎない「事實」 を一般について演繹されてる、合理性のある「眞理」だと信じてし まふ。 あまりに沒理性的なる理智的であるよりも、もっと單純に感情 いづこ
の強迫的作動を中止した時、後者は除ろに意識の背後から、床しくの流行にふさはしいやうな樂天思想 ( 人道主義や民衆主義 ) の敍情 詩を作るやうにさへなり得るかも知れないと言ふのである。 も幽幻な月光を照らし出すのではあるまいか。 つの心地よい哄笑として。 思想家に就いて誤解するないかに思想家が、いつでも彼の「主 義」ばかりを言ふと思ふか。たと〈ば私の書物における各項が、ど藝術にける實感の必然性かれの閉ぢ込めたアトリエで婦人の れでも皆私自身の人柄に合った私自身の意見や熱望ばかりを主張し裸體畫を描いてゐる畫家の心の中に、少しも性的の實感が動いて居 たものと思ふか。ああ迷惑にして世話のやける讀者よ。諸君は小説ないで、全く純粹の趣味性ばかりが、ち「々しい美術家の良 心」だけが宿って居るかといふことは、事實としても甚だ疑はし をどう讀むか。一篇の小説に現はれた幾人かの人物が、すべて皆一 「趣味 い。ばかりでなく、また實際にそんな「々しい藝術」 様に作者の理想的性格を象徴した者と思ふか。勿論それらの人物 だけの藝術」ーーは、效果に於て充分人を動かすことができないで は、どれも作者の性格から抽象された一部の人格にはちがひないだ あらう。さうした純粹の美は、却って人間味を缺く所から、眞にカ らう。 ( 何故といって、どんな小説家も自分の性格中に存在しない 強い情慾的の魅惑をもたないかも知れぬ。 人格を描出することはできないから。 ) けれどもそれらの中には、 どんな術に於ても、ある程度までは實感の濁りが必要である。 作者自身にとって甚だ願はしくないもの、むしろ彼の倫理學に於け る正面の惡漢であり、むしろ彼の統一された人格中に於ける異分子 と見るべき者すらが描き出されて居るではないか。そしてこの事實意志のための飲酒一般に人が酒をのむ目的は、心地のよい酩酊 に入って忘我の恍惚を樂しむにある。ところがある種の酒飮みは、 。げに我等の書物の は、同様にまた我等思想家の作品に於ても 中では、明らかに著者に反對する一つの精紳が、さかんに聲高く彼飮酒によって全く反對になる。彼等はやきつくやうになり、いらい らして、無鐡砲に意志を押し通さうとする。さういふ酩酊は恍惚と の眞實をしゃべって居る。 明らかに差別される。恍惚では現實の意識が弱って夢幻的な永遠や 凋間説敎日の出から日沒まで、絶え ) すしきりなしに天體の運行實在の方 ( 魂をひきつけられる。所が反對の醉ひ方では、却って現 を觀察してゐる天文學者にとっては、この地球が太陽の周圍を廻っ實の實感を刺激し、したがって憤怒や、復讐や、嫉みや、殺伐性や が強くなる。かういふ醉ひどれは、決して愉快な樂しいものではな て居るといふ學説上の事實が、單なる道理としてでなく、ほんとの 感覺として、正に訷經としてさう感じられるさうである。そこで我いのだ。しかし人々は、この仕方に於て「勇氣をつける」と言って 我もこの人生が偸快なものであり、太陽はいつも明るく、自然は智ゐる。ーー酒は意志を強くし人を無鐵砲にするから。そこで人々 慧に輝き、そしては愛に充ちてゐるといふやうな當時大流行の樂は、革命や、戦爭や、破壞や、喧嘩や、暴れ込みや、人殺しゃの犯 し天家の言ひ分を、こんなにも根氣よく毎日々々聞かされて居たなら罪を決行する前に、しばしば酒精の興奮劑を用ゐる必要を感じてゐ る。 さて今日の世界は、明らかにこの種の不愉快な、いらいら ば、遂にはそれが理窟でなしに、本當の經として、正に「感情そ した刺激性の醉ひどれに充たされてゐる。地球のどこを見ても、樂 0 のもの」として肯定されるやうになるかも知れない。つまり言へ 2 ば、私自身がもっとずっと幸輻の生涯に這入って、その上にも當時しげで閑散な恍惚などはありはしない。藝術が忘我であったり、實
判然と對立して來た。 と斷ったのも、つまりこの「退却」を江湖の批判に詫びたのであ 4 る。詩人が詩を作るといふことは、新しい言葉を發見することだ と、島崎藤村氏がその本の序文に書いてる。新しい日本語を發見し それ故にロ語といふものは、日本では純粹の實用語であって、單 ようとして、絶望的に悶え惱んだあげくの果て、遂に古き日本語の に日常生活の利便を足す目的にのみ使用され、複雜な心理的表現 文章語に歸ってしまった僕は、詩人としての文化的使命を度棄したや、微妙な感情氣分を告白する藝術的表現には、長い間全く使用さ ゃうなものであった。僕は既に老いた。望むらくは新人出でて、僕れずに居た。すべて言語は、それが日常生活の實用語に止まってる の過去の敗北した至難の道を、有爲に新しく開拓して、進まれんこ 間は、藝術的に何の洗練もなく發逹もない。けだし日常生活に必要 とを。 な限りに於ては、言語は極めて簡單で事が足りる。日常生活といふ ものは、米を買って來いとか、茶を沸かせとかいふやうなものであ って、言語は單に用をすませるだけの、大體の意味が通ずれば好い のであるから、複雜した文學的の感情や、陰影に富む氣分などは、 詩におけるロ語使用の不滿感 日常生活の實用に必要がなく、したがって言語は一向に發逹しな い。言語はそれが文學に使用され、藝術上に用ゐられるに及んで、 現時の日本に於ける一般的な詩のスクイルは、人の知る如く口語初めて影や、氣分や、餘情や、深い意味やを帶びるやうになってく を用ゐる自由詩であり、僕等も主としてそれによって詩作して居る。歐洲の英語や獨逸語でも、初めは皆雜駁な實用語にすぎなかっ る。このロ語を用ゐるといふことは、僕等の時代の現實感を出す爲たのが、詩文に使用されるやうになってから、立派な藝術的なもの に進歩したのだ。 には、必ず是非必要のことであるけれども、本來言へば甚だ不都合 のことであって、藝術的に滿足のできない所が多い。なぜといふに 然るに日本に於ては、昔から實用語と藝術語とが對立した爲、一 日本に於ては、昔から「藝術語」と「實用語」とを、判然と差別し方が益よ藝術的になるほど、一方の實用語は閑却され、常に發逹も て使って居り、歴史の長い間、 一切の藝術的表現を文章語でして居なく進歩もなく、單に實用専門のロ語として、最も非藝術的な状態 た爲、ロ語の方は常に猥雜のままであって、少しも藝術的に洗練さ に止まって居た。この實用語としての所謂ロ語が、初めて小説等の れて居なかった。 文學に使用されるやうになったのは、最近明治以後のことであっ て、極めて新しい歴史に屬する。故にそれが全く生硬未熟であっ 外國ではどこでも、ロ語をそのまま藝術上に使用して來てゐる。世界に て、殆んど未だ少しも藝術的に洗練されてゐないのは、初めからよ 於て日本だけが、獨り何故にこんな言語上の區別をしたのだらうか。この く解りきった話である。僕等の時代の日常語が、昔の文章語のやう 問については、先に他の論文 ( 自由詩の本道はどこにあるか ) で、事の に洗練され、多少複雜した藝術的氛分や餘情やを發想し得るやうに ついでに大略した自分の考へを述べておいた。朗ち日本語のだらだらした なるまで、思ふに恐らく尚一世紀近くを要するだらう。今の時代に 音律的缺陷が、韻文風の表現に適しない爲、之れにスピリテッドな美と彈 力をあた〈る必要から、自然に迫られて出來たのが文章語である。そしておける文學者は、あだかも實用品たる不器用な道具を使って、微妙 な藝術的彫刻をしようとするやうなものである。 文章語ができた以上は、藝術上にロ語が顧みられなくなったので、兩者が
國心や民族自覺のある筈がない。しかも日本の教育者は、歴史を他 戰ひでも、上古以來幾度も日本が負けてるのだ。特に海軍の方は、 芻上古から秀吉の朝鮮征伐に至るまで、常に連戦連敗の連續史であの諸學課の下位に置いて、極めて輕く見てゐるのである。單にそれ る。日本の海軍が、初めて外國との戦爭で勝ったのは、おそらく明ばかりではない。眞實を隱して嘘を敎 ( ようとさ ( するのである。 坿鏡も大鏡も、學生の讀書課目から禁じられた。そして能樂船辨慶 治二十七年の日淸戰爭が最初だらう。 は、ある史實を語ることによって一部を止められ、源氏物語の上演 すべてこんな事實は、大學や高等學校で公然と敎へるのである。 さへも、同じ史實の理由によって禁止された。眞實の歴史を隱し 小學校と中學校だけで、それを隱して嘘の歴史を敎へたところで、 後ではすぐにばれてしまふ。そしてそれがばれた方では、前に敎はて、一體何を國民に敎 ( ようとするのであるか。今日我が國の敎養 ったすべての歴史を、根本的に懷疑するやうになるのである。こんある靑年や學生やが、概して皆愛國心に缺乏し、民族自覺に無關心 な敎育法が、果して國民敎育上に善いだらうか。かっての帝政露西であるばかりでなく、ややもすれば非國民的危險思想に感染される 亞では、國民の一部だけを學校に人れて敎育し、多數の一般民衆を恐れがあるのは、全く學校に於ける歴史敎育の罪である。歴史が正 無智のままとし、彼等の眞理を知ることを深く恐れた。露西亞の兵しい民族の歴史を語り、自國文化〈の正しい批判を敎 ( ないのに、 士は、その無智のために勇敢だった。しかも彼等の軍隊は、世界の如何にして靑年の愛國心を呼び得ようか。 かってナポレオン戦爭の時、敵の砲火に圍まれた伯林の一校堂 どの列強よりも劣等だった。 で、哲人フイヒテがした一場の大演説ほど、獨逸人を強く感動さ およそその根據に、正しい哲學的批判を持たない歴史敎育ほど、 無意味で退屈のものはないのだ。歴史は「事實」を敎〈るのでなせ、愛國心を燃え立たしたものはなかった。その演説の内容は、過 、事實の「意味」を教 ( るところに、學間敎育として意義がある去の獨逸の歴史を遡って、すべての獨逸文化を批判し、獨逸人の藝 のだ。僕の學校時代に於て、歴史ほど退屈で興味がなく、イヤで大術的、科學的、及びすべての文化的世界使命を述べたのである。今 嫌ひな學課はなかった。なぜなら學校の歴史と言ふのは、事件の起日の日本の靑年やインテリでも、かうした歴史批判を根據とする演 説には、おそらく強い民族意識を呼び起すにちがひないのだ。然る った年代や年號、事件に關する人間の名前、及びその場所、地位、 に政府はそれをしないで、國民敎育の根本指導を、もつばら實利的 系圖等のものを、無意味に暗記することの勉強にしかすぎなかった 現實の富國強兵主義に置いてるのだ。歴史も修身も、すべての學校 から。藤原道長といふ人名が出る毎に、僕はすぐにその生存年號、 神武紀元、藤原氏系圖等々を表象した。そしてしかも、道長がどん敎育の敎 ( ることは、物の原理的探究でも批判でもない、そしてた な人であったか、どんな政治をし、どんな性格で、どんな文化事業だ現實の就會に於て、日本を金持ちにせよといふこと。日本の軍隊 をしたかといふやうなことは、殆んど一向に知らなかった。これほを強くせよといふこと。そして國民各自に、處世上での世渡りを上 手にし、如才なく金を儲け、成功のツルを早くんで、その上に身 ど沒興味で煩はしい學課はなかった。 歴史は暗記力の養成ではない。民族の血に流れてる本質の生命體を強壯にせよといふを敎〈るのである。なぜなら各人が金持ちに 力、民族の所有する政治的、文化的の創造力、過去に於ける民族のなり、事業に成功し、身體が丈夫になるといふことは、とりも直さ 事業、及び將來に於けるその使命等を正しく敎〈て、國民の民族的ず日本の國利民輻の增長であり、富國強兵の實をあげることになる 自覺を基本づける學間である。歴史を敎育されない國民に、眞の愛わけだから。そして此處にも、實利主義の儒敎精神 ( 利用厚生 ) が
彼自らその同じ悅びや、同じ悲しみや、同じ情調やを同感し得 は、その場合として、何を言はうとするのであるか。そもそも彼の 幻意志するところは、ただそれだけのつまらぬ事實。夜があけて朝が た時ーー始めてそれが生命ある者として律動する。換言すれば我等 くる、そして今日の日和は見られる通りの晴天であるといふ、この のすべての表現はーーーー敍情詩であっても、小説であっても、また評 それが讀者にとっての「記 お互にわかりきった平凡無意味なる事實。ただそれだけのくだらぬ論であっても、哲學であっても、 事實を報告するにすぎないのであらうか。若し我等の會話が、すべ述」でなく「説明」でなく、むしろ情感的に魅惑のある「詩」とし てさういふ意味で互に交換されるならば、人生に於ての表現ーー・隣て讀まれた時、その時始めて完全に目的を果したのである。 が、いかに煩はしく、おほむね退屈にして されば讀者よ。いかにして私の欲情が諸君にまで挨拶されて行く 人から隣人への挨拶 迷惑千萬な仕事にすぎないであらうぞ。とはいへ然し、我等のどん か。この靈魂があの靈魂ーーーあれらのおびただしい靈魂ーーにまで な表現もさういふ報告的な意志によって語られない。我等の門口に乘り移って行くか。けだし、私の語り得る主旨は別にある。それは 立って朝の挨拶をする隣人は、實際に何を告げようと欲してゐるの 書物の表面にない。それは隱されたる思想の帷幕の陰影にある。げ か。彼の正に言はうとする所は、實にあの「輝かしい朝の感情」で にただ少數の意地あしき瞳孔ーーー書物の表面を見ないで書物の隱さ はないか。そんなにもじめじめした梅雨の後で、そして今朝の麗はれたる裏面をのぞかうとするやうな、皮肉な意地あしき欲情によっ だけが、よくその祕密を捉へるであらう。ここ て燃えてる瞳孔 しい太陽の輝いてゐる空の下で、我等の生活にまで復活してくる一 に諸君の意地あしき「理智」が、むしろ私の逆説に於てさへ抗辯さ つの湧然たる力、この悅びにあふれた情緒、この睛々とした朝の氣 分、正に彼の言はうとして居るものは、すべてさういった感情の告れんことを。そこにはかの逆説的な賞讃者ーーあらゆる賞讃の辭を 白に外ならない。 0 一 ( is fine to-day! 並べながら、内實では反對に侮辱の舌を出してゐる賞讃者。卲ち彼 の感情の反對を、彼の思想に於て諷刺して居るところの賢い人々。 されば我等の言葉は、すべて我等の感情によってのみ、氣分によ ( 序言その一 ) すらあるからである。 ってのみ、情慾によってのみ語られる。げに「思想そのもの」は、 我等の表現における符號にすぎないであらう。何故といって我等の 隣人にまで傳へようとする者は、言葉が意味する概念の思想「今日新しき欲情人々は新しい欲情を求めて居る。かって何物かが、 は晴大である」といふ事柄でなくして、實はその内面における意そこに有るべくして有ることのなかったやうな、さういふ新しい欲 向、正にその表白をよぎなくされてゐる情意の律動的な躍動にある 情にかわいてゐる。それらの欲情は、我等の果敢ない幻想に於てす からである。我等の願ふ所は、今朝のこの笑ましげな氣分をいかにら、尚どんなに輝かしい書景を展開するであらう。されば米來は かに來るべき未來はーーー我等にとっての怪奇な假象でなく、 もして隣人にまで會得させ、共に共に幸幅の情感を享樂しようとい ふにある。そもそもそこに語られてある事實の如きは深く間ふべきむしろあまり立體的の實有である如く感じられる。この實有なる、 仔細でない。それはただの符號である。よって以てこの感情を傅へしかし空想のできない時の運動は、さまざまの建築の様式に於て、 るための符號、感情から感情への無線電信に於ける符號にすぎないまたその意匠に於て、近く設計される萬國博覽會のやうに、世界の のだ。故に思想といふ電信の暗號は之れを受信者の言葉にまで、そ人心の目新しい興味となるであらう。けれどもその時がくるまで、 の情意生活にまで飜譯して、明らかに節奏を經に感觸し得た時我等は感情の「最も輝かしい部分」を祕密にしておきたいと思ふ。
マ館の家の中に、戸外で見ると同じゃうな靑空が、 てい自鳴機のオルゴールを用ゐた。 ) 告別することの悅びは、過去を忘却することの 無限の穹窿となって廣がってるのだ。私は子供の パノラマ館の印象は、奇妙に物靜かなものであ悅びである。「、水久に忘れないで」と、波止場に 驚異から、確かに法の國へ來たと思った。 った。それはおそらく畫面に描かれた風景か、そ見送る人々は言ふ。「永久に忘れはしない」と甲 見渡す限り、現實の眞の自然がそこにあった。 の動體のままの位地で、永久に靜止してゐること板に見送られる人々が言ふ。だが兩方とも、意識 野もあれば、畑もあるし、森もあれば、農家もあから、心象的に感じられるヴィジョンであらう。 の潜在する心の影では、忘却されることの悅びを った。そして穹の盡きる涯には、一抹模糊たる馬上に戦況を見てゐる將軍も、銃をそろへて突撃知ってゐるのだ。それ故にこそ、あの」 ~ 、ミ I ミ ~ g 地平線が浮び、その遠い靑空には、夢のやうな雲してゐる兵士たちも、その活動の姿勢のままで、 箜ミ ( 螢の光 ) の旋律が、古き事物や舊知に對す が白く日に輝いてゐた。すべて此等の物は、實に岩に刻まれた人のやうに、永久に靜止してゐるのる告別の悲しみを奏しないで、逆にその麗らかな は油繪に描かれた景色であった。しかしその館の である。それは環境の印象が、さながら現實を生 船出に於ける、忘却の悅びを奏するのである。 構造が、光學によって巧みに光線を利用してるの寫しにして、あたかも實の世界に居るやうな錯覺 で、見る人の錯覺から、不思議に實景としか思はをあたへることから、不思議に矛盾した奇異の思 荒寥たる地方ぞの會話現代の日本は、正に れないのである。その上に繪は、特殊の。ハノ一フマひを感じさせ、宇宙に太陽が出來ない以前の、劫「荒寥たる地方」である。古き傅統の文化は度っ 的手法によって、逶視畫法を極度に效果的に利用初の靜寂を思はぜるのである。特に大砲や火藥の て、新しき事物はまだ興らない。我等の時代の日 して描かれてゐた。ただ望樓のすぐ近い下、観者煙が、永久に消え去ることなく、その同じ形のま本人は、見る物もなく、聞く物もなく、色もなく の眼にごく間近な部分だけは、實物の家屋や樹木まで、遠い空に夢の如く浮んでゐるのは、寂しく 匂ひもなく、趣味もなく風情もないところの、滿 を使用してゐた。だがその實物と繪とのつなぎ もまた悲しい限りの思ひであった。その上にもま目蕭條たる文化の度跡に坐してゐるのである。だ が、いかにしても判別できないやうに、光學によ た、特殊な館の構造から、入口の梯子を昇降する がしかし、我等の時代のインテリゼンスは、その って巧みに工夫されてゐた。後にその構造を聞い人の足音が、周圍の壁に反響して、遠雷を聞くや蕭條たる魘跡の中に、過渡期のユニイクな文化を てから、私は子供の熱心な好奇心で、實物と繪と うに出來てるので、あたかも畫面の中の大砲が、 眺め、津々として盡きない興味をおぼえるのであ の境界を、どうにかして發見しようとして熱中し 遠くで鳴ってるやうに聽えるのである。 る。洋服を着て疊に坐り、アパートに住んで味噌 た。そして遂に、口惜しく絶望するばかりであっ だが。ハノフマ館に人った人が、何人も決して忘汁を礙る僕等の姿は、明治初年の畫家が描いた文 られないのは、油繪具で描いた空の靑色である。 明開化の圖と同じく、後世の人々に永くエキゾチ 館全體の構造は、今の國技館などのやうに圓形それが現實の世界に穹窿してゐる、現實の靑空で ックの奇觀をあたへ、情趣深く珍重されるにちが になって居るので、中心の望樓に立って眺望すれあることを、初めに人々が錯覺することから、そひないのだ。 ば、四方の全景が一望の下に入るわけである。その油繪具のワニスの匂ひと、非現實的に美しい靑 こには一人の説明者が居て、書面のあちこちを指色とが、この世の外の海市のやうに、阿片の夢に 寂寥の川邊支那の太公望の故事による。 さしながら、絶えず抑揚のある聲で語ってゐた。 見る空のやうに、妖しい夢魘の幻覺を呼び起すの である。 その説明の聲に混って、不斷にまたオルゴールの 地球を越えて詩人は常に無能者ではない。 音が聽えてゐた。それはおそらく、館の何所かで だが彼等の悲しみは、現實世界の俗務の中に、興 散鳴らしてゐるのであらう。少しも騒がしくなく、 AULD LANG SYNE! 人は新しく生き味の對象を見出すことが出來ないのである。それ 靜かな夢みるやうな音の響で、絶えず子守唄のやるために、絶えず告別せねばならない。す・ヘての故に主欟者としての彼等は、常に心ひそかに思ひ & うに流れてゐた。 ( その頃は、まだ蓄音機が渡來古き親しき知己から、環境から、思想から、習慣驕り、自己の大いに爲すある有能を信じてゐる。 してなかった。それでかうした音樂の場〈只たいから。 だが彼等は、何時、何所で、果して何事をするの
378 來ました。 奈良君の社費 ( 四月分 ) 昨日振替にて送金しました。五十錢。 0 0 0 0 一言にしていへば眞實無二の男です。あの男に比べればどんな人 大正四年五月二十一日在、前橋 間でもみんな輕薄才子の分子が加って居ます。私は彼の前に自分の 室生のことを考へると涙が出ます。あの男はあの男のもてるすべ醜惡さを懺悔したいやうな場合が幾度も幾度もありました。私の眞 てのものを私に捧げてくれました。 實の足りないことをしみじみ恥かしく思ひました。 彼が東京に漂泊して居たとき私があたへた僅かばかりの好意・ 室生の詩 : : : 殊にその敍情詩があれほどのシンセリチイをもって 併し彼を補助することによって仕舞には私も非常な窮从に落入りま居るといふことは彼の人物として當然のことゝ思ひます。 した。あるときは三日間も二人で屋臺飯の一錢飯ばかり食って居た 自然及び人間に對する彼の愛の深甚なることにも今更の如く驚か ことなどもありました : : : に對して彼は彼の出來得るだけの報酬を されました。よく「物の生命をつかむ」といふことを人が言ひます してくれたのです。室生の心根を思ふといぢらしくて泣かずには居が室生のやうに物を確實に捉まへて居る人は餘りないでせう。草木 られない。彼の生活、彼の周圍を知って居る私は逃げ出さずには居魚烏の如き自然生物に對して彼は實に祈的愛戀をもって常に戦慄 られなくなりました。それ程私を極端に歡待してくれたのです。ど して居る様子です。 んな風に歡待したかはわづらはしいから述べません。ただ私の貴族 今度『アルス』へ送った彼の詩「罪業」を私は近來の名詩だと思 趣味を物質的に於ても精的に於ても間然するところなき迄に充實ひますが、同時にあの詩のリズムは目下の室生が全人格の表現です。 させてくれたのです。その一例をいへば金澤市に於て第一流の藝者 あの男の眞實を極端に押しつめると「罪業」一篇に歸してしまふ を二人も ( 二晩もっゞけて ) 私の枕頭に侍らしてくれました。それことになるのです。 らの費用は實に容易ならぬものだと思ひます。その費用の出所を考 私は曾て室生程眞實の深い男を見たこともなければ「罪業」ほど へると私は彼に對して限りなき苦痛を感じます。私がかへる前の日純一至聖な詩を見たこともありません。 の如きは實にまっ亠円の顏をして居ました。しかも表面にはどこまで あの一篇の詩篇からして室生の近況を御推察あらんことを希望致 も元氣をよそほうて居ました。 します。 彼の父は既に失明し、目下非常な危篤状熊にあるのです。そのた 今度の會見によって私は室生をはっきり知ると同時に、私と室生 めに彼はひどく禪經質になって居ます。一所に酒をのんで居ても急との非常なる人格上の相違をも發見することができました。 にはっと思はせるやうな様子をすることがあります。何しろ神經過 今後室生の行くべき路は「罪業」の路であり、私の行く路はそれ 徽が二人そろったことだからたまりません。第三者にはとても見てとは正反對の路であります。室生は「愛」によって成長し、私は 居られないやうな妻い表情の交歡でした。彼と酒をのむのは面白い「嫌惡」によって成長するでせう。彼は「善」の詩人であり、私は といふよりも苦しいことでした。ほんとに苦しいことでした。彼の 「悪」の詩人である。二人の作品は今後益よ正反對の兩極に進んで 戀人のこと、彼の鄕土のことについては今度あったときにすっかり 行くにちがひありません。 ( 今でも可成ちがった傾向を示して居ま お話をいたします。 すが ) 今度の旅行から室生といふ人物を一層はっきり理解することが出 要するに室生といふ人物は、私とは全く異った方面に於て驚くべ
觀が、自ら詩の情想の底に漂ってゐる。」と言葉においてそうであり、詩的情操の性質に十圓の生活費を送ってもらったというが、こ いうところに落ちこんでいた。この無爲と倦おいてそうである。この兩詩集にはそのようれが生家を離れて一家を構えた最初であり、 怠の主題も、萩原朔太郎によってはじめて形な共通性がある。著者も『氷島』の序文で、生活の實際に觸れた最初の經驗だった。そし この詩集に「鄕上望景詩」五篇を再録したのて萩原朔太郞にとって六十圓のワク内の生計 象化された近代詩の課題だった。 『靑猫』でも詩語にさまざまの試みをした。は、兩者が「詩のスタイルを同一にし、且つは極度の貧乏だった。實際の乏しさよりも、 この詩集の言葉はすべて口語で、それもダル内容に於ても、本書の詩篇と一脈の通ずる精心理的に零落感にさそいこまれたのであっ な語音の言葉で綴られている。意識的に「何紳があるからである。換言すればこの詩集て、そこに「郵使局の窓口で」のような詩が 何のやうに」「何々だらう」などとダルな語は、或る意味に於て「鄕上望景詩」の續篇でうまれた。 その當時、實生活からうけた傷手の一つに あるかも知れない。」と言っている。 音の言葉をもちいたのである。 『氷島』は萩原朔太郎の詩業の究極だった。稻子夫人との離別があった。昭和三年あたり 〇 から稻子夫人をめぐって家庭の内外が紛雜 その後、散文詩集「宿命』が出たけれども、 ここで詩語の面から蕨原朔太郞の業績をみ抒情詩は『氷島』が最後だった。その最後のし、昭和四年夏ついに家庭を解散して二兒と ると、ロ語脈の系列に『月に吠える』『靑猫』詩集に激越な抒情を灼きつけたのだが、しかともに鄕里 ~ 引きこもったが、これも實人生 があり、文語脈の系列に『純情小曲集』 ( 「愛し「鄕土望景詩」とのあいだにはやはりあきの大きな傷手だったにちがいない ( 本卷の室 憐詩篇」「郷土望景詩」 ) 『水島』がある。文語らかな相違がある。「鄕土望景詩」の怒りは生犀星あて書簡參照 ) 。これらの實生活・實人生 脈の系列のうち「愛憐詩篇」は優美で典雅だけっして絶望的でなく虚無的でなかった。怒の傷手が、『氷島』のいくつかの作品にはげ が、「鄕望土景詩」『氷島』ははげしい怒りをりそのものに温熱が燃えている。『氷島』はしい言葉で書きこまれている。 だが『水島」をつらぬくニヒリスチックな つつみ、詩語も硬質のひびきを發している。暗くニヒリスチックである。『氷島』には人 『月に吠える』でロ語のあたらしい美をみせ生的な苦澁がしみこんでいる。どこにも行き激情は、實生活・實人生の傷手だけを意味す た萩原朔太郞として、あらためて文語脈の言場のない人生的な慘苦がある。「國定忠治のるものではない。その暗澁な想念やニヒリス 葉でそれらの詩を綴ったことは後退というべ墓」に「見よ此處に無用の石路傍の笹のチックな叫びは、むしろ人生的な " 渇き。に きだった。萩原朔太郞はその後退を自覺して風に吹かれて無賴の眠りたる墓は立てり。」發している。少年のころから集くっていた孤 という部分があるが、無賴無用の埓もない博獨感や環境からの逃亡のねがいは、これを別 いた。だがそれは單なる後退というよりも、 入 ロ語・文語の兩面に踏み入ったことによっ徒の墓に思いを寄せるほど、この詩集におけの形に置き代えれば " 實在〈の鄕愁。という 太 ことになる。それは同時に人生的な渇きであ て、いわば詩語の極限というべき壁に突き當る萩原朔太郞は苦澁を噛んでいた。 朔 原 實生活の場の萩原朔太郎は極端に弱かつる。その渇きこそが『氷島』の主題だった。 ったものとみることができる。 た。その弱さは生涯を涌じて自力の生計をい永久に充たされることのない課題だった。 時間的に前後するところがあるけれども、 「鄕土望景詩」と『氷島』はその詩的道程のとなんだことがなかったほどだ。大正十四年『氷島』の人生的な渇きをニヒリスチックな 第三段階に屬する。それは一つには文語脈のに一家四人で上京した當時、鄕里から毎月六激情で訴える一方、それに併行して『鄕愁の