抒情詩 - みる会図書館


検索対象: 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集
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1. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

詩人與謝蕪村』を書き、それによって″實在思想からとおい地點にいたことになるが、しズムはあまりひろく關心を呼ばないようだ 6 和への鄕愁 ~ を語ったのも、このような " 虚無かし作品の實際において萩原朔太郎は音樂とが、しかし萩原朔太郞はこの表現形式を大事 の人生論〃がその基本にあったからである。抒情詩だけの詩人でなかった。そしてその思にし、『新しき欲情』『虚妄の正義』『絶望の 近代の詩人・作家におけるニヒリズムの地想的なものは、詩において″情絡に溶解され逃走』『港にて』の四册の著作を出し、その 帶を描くとすれば、そこに私は昭和四、五年た思想〃という形をとり、文章においてア總計千二百篇を數える。數からいっても大 ころの一群の詩人たちを思い浮かべる。辻フォリズムやエッセイになった。 だが、それらの千二百篇に結品した認識も特 潤・武林無想庵・宮島資夫・生田春月、そしひろい意味でのエッセイはおびただしく殘異に注目すべきものであった。 て萩原朔太郎と、これらの人たちはその交友っているが、生前に出した體系ある理論的著普通にアフォリズムは機智的批判や逆説を の輪によって " 虚無の季節〃を形成した。昭作は『詩の原理』一卷だけである。ほかに織りこんだものが多いが、萩原朔太郎のア 和五年二月創刊の『ニヒル』が、辻潤・萩原『戀愛名歌集』『鄕愁の詩人與謝蕪村』があるフォリズムのすぐれたものはそうでなかっ 朔太郎の共同編集ということになっていたのけれども、この二著はかならずしも體系的でた。自然、人事、社會、歴史、藝術全般にわ も、その虚無の季節の一事態だった。これまはない。したがって思想的なもの理論的なもたって獨得の認識をしめし、或るものはそれ で辻潤との往來はあまり知られていなかったのの表現は、情緖に溶解された思想としてのを詩に似た形で書きつけた。「意志 ! そは が、その交友は意外に熱い心情によって成立詩や、散文詩や、アフォリズムによっておこ夕暮の海よりして、鱶の如くに泳ぎ來り、齒 っていた。『日本への回歸』『歸鄕者』などのなわれた。たとえば『靑猫』中の「佛の見たを以て肉に噛みつけり。」これはその全作品 著作によって、傅統の美を主體とする " 日本る幻想の世界」「蒼ざめた馬」「思想は一つの中でもいちばん″詩的〃な表現をしたものだ 的なもの〃へ回歸したのは、この″虚無の季意匠であるか」など、これらの作品の表面のが、ここにも情緒に溶解された思想をみるこ 節″を過ぎてからのことであった。 型態は抒情詩にちがいないが、その内容からとができる。 概括的な言い方になるけれども、近代の詩すれば″思想詩″と呼ぶことのできるもので 人たちは一般に思想的要素に缺けていた。そある。ここでは思想というものが論理の形を れは抒情そのもの、題材としての事象そのもとらずに″思い〃において語られ、その " 思 のが″詩″たり得た時代だからである。そうい〃において作品に陰影が付與された。「自 いう時代の雰圍氣の中にあって、おそらく萩分は詩人としての出發以來、一方で抒情詩を 原朔太郎はもっとも思想的陰影の濃い詩人だ書くかたはら、一方でエッセイ風の思想詩や った。すでに『月に吠える』がそうであり、アフォリズムを書きつづけて來た。」と、こ 「靑猫』がそうであった。 れは『宿命』の序文の言葉である。これが 音樂や詩は " 論理〃ではない。情絡の流動″思想詩人萩原朔太郎。の輪廓だったのであ である。まして萩原朔太郞は音樂と抒情詩とる。 に情熱をかたむけたのだから、その限りでは詩の裏手にかくれやすいためか、アフォリ ( 編集部註 ) 「戀愛名歌集」中、次の二首の作者名が誤って記され ているが、正しくは次の通りである。 本文一三四頁下段 悔しきかもかく知らませば靑によし国内こと・こと見 せましものを ( 誤 ) 大件放人 ( 正 ) 山上憶良 本文一三五頁上段 世の中し苦しきものにありけらく戀に耐へずて死ぬ べき思へば ( 誤 ) 坂上郎女 ( 正 ) 坂上大

2. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

277 絶望の逃走 自序 詩人としての出發以來、私は常に二つの文學を對立的に書き續けて來 た。一は「月に吠える」「靑猫」等の抒情詩であり、一は「新しき欲情」 「虚妄の正義」等のアフォリズムであった。抒情詩とアフォリズムとは、 私の詩精祺の兩面であった。二者の形態は異なるけれども、共にひとしく 私にとっては、同じ詩情の生活する表現だった。つまり後者のアフォリズ ムは、私にとっての「思想詩」であり、他の「抒情詩」と相對して、私の 詩人生活を生成して居た。 抒情詩は、私の生活に於ける「夜」であり、思想詩は、私の生活に於け る「晝」であった。抒情詩するところの私は、夜の夢の中で恐ろしい夢 にうなされたり、靑猫の居る幻燈の町々を歩いたりした。夢の中で見る世 界のことは、様々・の錯覺と幻影とに充たされて居り、到底晝間の常識では 捕捉されない。時としては、平常の意が全く思ひがけないやうな意外の ことさへ、夢の現象の中には現はれて來る。抒情詩人としての過去の私 は、つまり言って夢遊病者のやうなものであった。しかしながらどんな夢 も、自分の心象にないことを浮べはしない。夢を科學的に分析すれば、そ の人の全精過程が歴々と現はれて來る。夢は魂の最も正直な告白であ る。そしてこれがまた、魂の告白の文學として、抒情詩の最高に奪ばれる 所以でもあるだらう。 ひるま 白晝に於ての私は、しかしながら、常に健全な理性を回復して居た。夢 絶望の逃走 は無意識の世界である。だが現實の世界は、常に意識の支配する世界であ る。そして詩人が意識する生活ほど、世に痛々しく惱ましいものは無いで あらう。なぜなら詩人は、社會の如何なる情態の下に於ても受難者であ る。詩人が常に美の幻影を求めて、夜のイメージの中に遊行するのも、彼 がそれを好むからではなく、現實世界の忍びがたい苦惱が、避けがたくそ れの逃避にまで、詩人を追ひ立てるからに外ならない。それ敵に詩を作ら ない時の詩人、白晝の意識を回復して居る時の詩人は、穴を這ひ出した土 鼠のやうなものであり、いつも環境の不安と焦躁におどおどして居る。彼 等にして若し多少の理性を有するならば、かかる悲劇の生ずる人生の第一 原因にまで、避けがたく懷疑を提出するやうになるであらう。 それ故に詩人の一面は、常に必ず哲人の風貌を具へて居る。夜に於ての 抒情詩人が、晝に於ての思想詩人を兼ねることは、世界を通じて共通であ 、詩人とエッセイスト、詩人と文明批判家の名は、常に同義字として考 へられてる。しかもこれは避けがたい運命であり、詩人にとって必然の悲 劇的回歸である。詩人は彼の名譽のために「文化の指導者」と呼ばれるの でなく、逆にその呪はれた宿命のために呼ばれるのである。げにエッセイ ストとしての私、思想詩入としての私ほど、私自身にとって忌々しく悲し いものはない。私の實の樂しい時間は、夜のイメージの中で美を幻覺し て居る時間、抒情詩して居る時の時間にすぎない。だがその時間は短く、 刹那に過ぎ去り、しかも容易に捉へられない。そして白晝の長い時間、意 識の醒めてる時間ばかりが續いて居る。否でも應でも、私は「絶望の逃 走」を思想しなければならなかった。 前のアフォリズム「虚妄の正義」を出版してから、既に六年の時日が經 ってる。この六年間、ノートに書き溜めておいた時々の斷片が、今や漸く この一册の書物にまとまって集編された。すべてこの書の思想を、私は自 分の日常生活から發見した。特に大部分のトピックは、たいてい戸外の漫 歩生活。ーー街路や、森や、電車の中や、百貨店や、珈琲店や、映畫館や で啓示された。晝家が寫生帳を持って歩くやうに、私もまた常に手帳を懷 中にして、行く先々の感想を記録して居た。そこでこの書は、一方から見 て私の日常生活の記録であり、一種の日記帳みたいなものである。ただ私 の日記帳には、生活様式の個々の事實を省略して、事實の背後に暗示され た普遍的の意味だけを、直覺に提へて書いたことでちがって居る。友人室 ひるま

3. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

295 港にて って主觀上のモ一フルであっても、讀者にとっては、何の意味もない リリシズムと呼ばれるものの、最も内奥的な悲哀である・ 事柄である。詩や文學の價値づけする倫理性は、それの美しく樂し い魅力によって、讀者を悅ばせるといふ、藝術的才能の恩惠に存す抒情詩と敍事詩抒情詩の美は音樂的であり、敍事詩の美は建築 るのである。 的である。前者の魅力は、時間の持續する旋律の。ヘーソスと、その 曲線的な流動の美しさにある。後者の魅力は、空間上に固定した律 興奮と灌漑詩作に必要な動機は、感靑や絡の興奮ではなく、 動の均齊美と、その莊重典雅な雄大性とにある。ところで日本で 平常、常識によって抑壓されてゐたそれらの物が、何等かのはずみは、建築そのものさへが抒情詩化し「物のあはれ」のペーソスを表 によって、解放されることの機縁である。それ故に詩は、アルコー 現するところの、茶座敷風な物に造られてゐる。日本に抒情詩だけ ゅゑん ルの酩酊によって生ずる如き、情緖の。ハッショ・ネートの興奮ではな が發育して、敍事詩の無かった所以である。 く、心に貯へられてあった池槽の水が、靜かに美しく律動しなが くわんがい デンケン ら、平地に濯漑して行くやうな状態でのみ、常に藝術され得るので詩人と隨想詩人は思索する必要がない。しかしながら、絶えず ェッセイ ある。詩がもし「興奮」であるならば、詩は知性的に盲目者でなけ隨想せねばならぬ。事物の本質、瓧會と人生、モラルの課題、その ればならぬ。だがその反對に、詩は澄み切った知性の眼で、常にそ 他日常臥居の様々なる事のすべてに就いて。 本源的な意味で言 の周圍の風景を見渡しながら、悠々として情緒の浪に漂ひつつ、靜はれる詩人とは、韻文作家といふことではなく、人生の多感な第想 かに美しく律動して行く。詩は「情緖の灌漑」であって興奮ではな家といふことである。 い。 アルコール 詩人が酒場に居る風景酒精の醉ひは、人をセンチメ / タルにす 詩と激情性。ハッショネートの激情性は、いかなる詩の本質にも る。しかしただそれだけである。單純な感傷からは最も素朴な牧歌 存在しないし、いかなる詩人の素質にもない。或る詩作品や詩人やさへも作れはしない。ヴェルレースや李太白やは、おそらく詩が書 が、パッショネートと呼ばれる場合は、その詩傾向の特色してゐるけなくなった悲しい日だけを、町の旗亭や居酒屋で過してゐた。 ところの、ポーズについてのみ言はれるのである。野獸的な身振り 詩人が居酒屋に居る風景こそ、もっと本質的な意味に於て、感 によって、荒々しい粗野の言葉を、故意にポーズしてゐる詩や詩人傷的なものではないか。 はある。だがそれを眞に素質してゐる詩や詩人はない。もし實に在 るとすればそれは、眞の詩藝術でもなく詩人でもない。なぜなら詩抒情詩の種抒情詩の種は、ヒステリイと智慧とである。ヒステ の本質してゐるものは「美」以外にないからである。 リイが起らなければ、詩の不可思議な幻想や、甘美な韻律感が浮ん で來ない。だが澄み渡った知性の觀照が、心の眼に冴えない限り、 リリシズムの悲哀獸の如く、心に烈しい怒りや情熱やを持ちな リリシズムは表現の言葉をもたない。そこで女のヒステリイが、詩 がら、獸の如く、常に忍從して語らず、靜かに智慧深く、そして音にならないと同じゃうに、常識人の聰明さが、常識の故に詩になら ない。 樂のやうに美しく、風なき薄暮の空に燃えのぼる火事の炎。それが

4. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

的現象と現實感覺を一切無視して、純粹に心理的内界の純精禪現象 詩といふ文學は、すべての藝術の中に於て、感情の最も純粹な、 6 だけを、フロイド流の精分析學で記人して居る。かうなってくる 高調した波動を傅へるのである。これはひとり抒情詩に限らず、敍 と、詩は藝術の領域を踏み切って、殆んど全く科學や學間の世界に 事詩でも劇詩でも、すべて皆「詩ーといふ名のつく文學には、一つ 人り込んで居る。それほど近代詩は、「抒情詩」の部門的敎室に於 の共通した原則である。例へばホーマーの『オディッセー』とか、 日本の『平家物語』とかいふ類のものは、一種の格調韻律を踏んだて、専門的に深人りをして居るのである。所でかくの如く、何故に 文によって、英雄や戦爭の歴史を書いたもの、ちいはゆる「敍事近代では、敍事詩や物語詩が廢ったかと言ふに、その主なる理由 詩」であるが、かうした物語風の詩であっても、散文の歴史や小説は、近代の新しい散文精御が、部文精訷を壓倒してしまったからで とちがふのである。散文の場合では、純にレアリスチックの熊度にある。今の一般の人々は、文で書いた軍記物や戀愛物をよむより よって、さうした事實や事件やを、單に外面的、客観的に敍述するは、散文で書いた同じものを讀みたがってゐる。今日の人にとって のみであるが、敍事詩の場合では、作者がその英雄に感激し、そのは、實際のところ、抒情詩以外に「詩」といふ文學は必要が無いの である。何故にまた、今日に於てさへも、抒情詩だけが必要である 戦爭の悲壯美に興奮し、自らその情感の浪に溺れて書いてゐるので ある。故にその表現は、自然に「歌」の形態をとり、作者の感動のかといふに、心理現象のデリケートな實在相は、今日の發逹した散 波動によって、言葉におのづからなる高低抑揚の節奏〈節廻し〉が文でさへも、到底完全に表現することが不可能であり、詩を藉りる 付いて來る。詩に必ず韻律があり、散文にそれが無いのはこの爲で外にないからである。近代の小説、特に自然主義以後の小説は、心 ある。 理描寫に於て驚くべき發育をした。ドストエフスキーの『罪と罰』 すた などを讀むと、人間の複雜した心理を克明に描寫して、殆んど餘す しかし近代では、かうした敍事詩や物語詩が度ってしまって、も 所が無いやうに思はれる。しかしそれにもかかはらず、散文の書く つばら抒情詩ばかりが行はれるやうになった。抒情詩といふのは、 心理描寫は、決して人間の實感する姿を捉へて居ない。その理由を 外界の事件や現象を敍述しないで、直接作者の主観的な心境や感情 説明しよう。 やを述べるのであるから、つまり詩の中での「心理學」みたいなも 人間の心といふものは、絶えず何事かを感じ、不斷に流動して居 のである。これに對して敍事詩や物語詩は、詩の中での「歴史學」 るものである。ジェームズの心理學や、ベルグソン哲學が敎へるや や「會學」に相當する。昔は詩といふ文學の世界が廣汎であり うに、眞實の心 ( 意識 ) といふものは、常に全體としての統一的流 かうした、瓧會學や歴史學やの一切を、詩文學の分課敎室に綜合し たのであるが、今ではその各部の分課教室が獨立して、小説や傅記 動であって、分析的に抽象したり、散文的に説明したりすること の散文學に編入され、ただ一つ抒情詩の敎室だけが殘ったのであのできないもの、單にこれを全體として直覺的に感觸する以外に、 る。その代りに、その部門の研究は専門的に深くなって、益心理眞相を知ることの出來ないものである。眞の人間心理といふものは 常に生きて呼吸し、生活し、必然に氣分や感情やと結合してゐるも 學的に進歩して來た。即ち浪漫派から象徴派へ、象徴派からイマジ ズムへ、イマジズムから超現實派へといふ工合に、心理的表象としのなのである。ち言へば、眞の人間の心といふものは、それ自ら てイメージや聯想性やを、益専門に深人りして、純精現象學的氣分や感情の表象であり、氣分や感情を離れて、實際の人間意織と に扱ふやうになって來た。特に最新の超現實派の如きは、外界の物いふものは無いのである。然るに小説等の散文學は、かうした人問

5. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

327 詩 人がすくなく、詩人その人が時代的に散文化して居ると共に、詩そ 心理を分析して、無機的に敍述するのであるから、眞の生きた人間 のものが次第に韻律性を失喪して、不純に散文化して居る有様であ 心理の、呼吸する實相を表現することが不可能である。これをその 如實の實相で表現し得るものは、その言葉に心臟の鼓動する呼吸る。特に日本の自由詩といふ文學の如きは、ポエジイとしての形態 からも内容からも、殆んど全く散文と選ぶところのないものであ ( 印ち律 ) を傅へ、氣分や感情やのセンチメントを、そのまま言 り、極言すれば「散文の一種屬」にすぎないのである。 葉に寫眞して表現する文學、ち抒情詩より外にないのである。故 かうした時代ーー詩の失喪した時代ー・ーは、かって昔の日本にも に詩といふ文學は、この意味に於て最もレアリスチックの文學であ る。詩に比すれば、小説のレアリティ 1 の如きは、虚妄の生命なき實在した。印ち德川の江戸末期がさうであった。江戸德川政府は、 影にすぎない。 朱子學の儒敎によって國民精を統一し、すべての浪漫精訷や詩的 今日、散文精と散文文化が、すべての韻文學を壓殺して居る時エスプリを禁壓した爲、國民の精訷が卑屈に散文化し、全く高邁な 代に於て、獨り尚抒情詩だけが殘って居るのは、それが詩の中での詩的精紳を無くしてしまった。勿論その當時に於ても、詩 ( 韻文 ) といふ形態上の文學は有ったけれども、それは、地ロ、狂歌、ー 核心な詩であり、上述のやうな特殊の武器を持ってるからである。 未來、散文が如何に長足の進歩をした所で、それが散文である限 柳、雜俳のやうなもので、昔の奈良朝にあったやうな、眞の純眞な り、到底この詩の表現的領域を犯すことはできないだらう。「すべ抒情精といふものは、全く時代の文化から失はれて居た。江戸時 ての詩は亡びた。だが人間が呼吸する限り、律そのものは亡びな代に於ける唯一の藝術詩は俳句であったが、それも芭蕉以後はその い。」と、ヴァレリイが或る場所で言ってゐる。詩が韻律を有する詩精紳を失喪して、概ね地ロ、狂句のやうなもの、ちいはゆる月 以上、その生命は永遠である。 並俳句に低落して居た。芭蕉以後の江戸文化は、全くプロゼックに 卑俗化して、完全にポエジイを失って居たのであった。 現代の日本が、丁度またかうした時代である。江戸時代のそれと 近代詩の中に、多分の散文精が人り込んで居るといふことは、 はちがった、或る別の會的事情によって、今日の多くの民衆は希 否定しがたい事實である。人はいかにしても、その生活して居る環望を失ひ、生活の意義を失喪し、全くプロゼックに卑俗化してしま 境から孤立し得ない。今日のプロゼックな散文時代に、プロゼック って居る。現代にあっては、殆んど純潔の詩精が失はれて居るの な文化環境に住んでる僕等は、いかに自ら努めて拒絶しても、必然である。そこで或る人々は、今日がもはや抒情詩の時代でないこ 川柳や狂歌の如き、諷刺詩の時代であることを説き、眞の詩精 に避けがたく散文化せざるを得ないのである。もし極言的な見方を すれば、今日の「詩人」といふ人々は、多少皆例外なく「散文人」 への告別をさへ宣告して居る。そして或る他の人々は、詩の散文 であるとさへ言へるのである。眞の純粹の韻文人といふものは、お化を強調し、詩精祁をプロゼックに低落させることを以て、逆に時 そらく今の瓧會に一人も居ないであらう。すべては皆、この時代の代の新しいポエジイの如く考へて居る。しかしながら眞の詩人は、 プロゼックな瓧會的環境に侵害されてゐる。 かうした時代に於てさへも、頑として一切に抵抗し、詩の純潔を守 この一つの事實は、獨り僕等の日本に限らず、世界的に共通してらうと欲するのである。もちろん、人はその環境から孤立し得な ゐる現象である。外國の詩壇を見ても、もはや背のやうな純粹の詩い。今日の詩人が、この時代に生活してゐる以上、多少とも散文精

6. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

解題一般 名 歌が最も榮えたのは、上古から鎌倉時代の初期迄である。この問に萬葉 愛 戀集を始めとして、古今集、後撰集、拾遺集、後拾遺集、金葉集、詞花集、 千載集、新古今集等の名勅撰歌集が版行され、日本歌史上の精華を悉く盡 3 2 してしまった。特に此等の中、萬葉集、古今集、新古今集の三者は有名で あり、日本古典の三大名歌集と呼ばれて居る。本書の選歌は主として此の いギャップを感ずる。來るべき未來の詩壇は、當然過去の歌を破壊し、別 の新しい韻文形式を造るだらう。 ( それ故にこそ、著者の如きも、今日歌 を作らないで、未來詩形への建設的捨石たる自由詩等を、自ら意識して書 いてるわけだし ) 現代は過渡期であり、正に日本文化の大破壞時代である。 むしろ今日の詩人の仕事は、創造でなくして破壞の方面にあるかも知れな い。だがそれだけ時代は惱み、心の荒寥とした空虚感から、過去の完成し た美と藝術にあこがれて居る。とりわけ現代の過渡期詩壇ーーああ ! そ こには何物もない。 にとって、この憧憬は一層深く、昔の美しく完成 した抒情詩が懷かしまれる。げに我々の詩人にとって、歌は美と藝術への 恨めしき懷古である。 かうした詩人としての立場からして、著者はこの名歌選集を編纂した。 他人のための出版ではなく、主として著者自身のための編纂であり、今日 の韻文空白時代に於て、多少でも自分の渇情を醫やすところの、日常愛吟 の古歌を集めた。とはいへこの種の選集として、多少自ら誇る所がないで もない。著者は所謂歌人でもなく、また勿論歌學者でもないけれども、歌 を一個の抒情詩として鑑賞する立場の上で、決して彼等の歌壇人に劣ると は思って居ない。のみならず著者は、今日の歌壇に對して尠なからぬ不滿 を持ってる。遠慮がちに言って今の歌壇は決して歌の正統な道を歩いて居 ない。すくなくとも或る本質の點に於て、彼等は歌の精を踏み外して居 り、且っ偏狹固陋の妄見に提はれて居る。局外者たる著者の強味は、この 點で一の修整を説くであらう。 西脣一九三〇年春 著者 三歌集から取って居るが、他の六代歌集からも、概的に極めて少数の秀 歌をんだ。 明治以後の復興歌壇は、歴史上に於ても空前の盛觀を呈して居る。それ で始めは以上の外に、明治以來の現代歌選を編人しようと思ったけれど さんいっ も、文獻が廣汎に亙って散供して居り、選歌の基本とすべき者がないので 止めてしまった。昔はたいてい半世紀毎に、政府 ( 朝廷 ) の命令で勅撰歌 集が編纂された。明治以來既に半世紀を經てゐる今日、當然新日本歌集の 編纂があるべきである。 選歌は六代集を別として、萬葉集最も多く、新古今集之れに次ぎ、古今 集最もすくない。この比準は一に原本の總歌集と、一に内容實質の盟値に よったのである。 この書は『戀愛名歌集』と題するけれども、必ずしも戀愛歌ばかりでな く、他の種類の名歌をも所々に編人して居る。故に標題を正しく言へば 「戀愛及びその他の名歌集」の意味なのである。但し卷中の大部分は戀愛 歌で、他は極めて少數の選にすぎない。何故にかく戀愛歌を主題にして、 他を編外的に選歌したか ? けだしそれには必然の事情があるのだ。 萬葉集二十卷、その中七割を占めるのが戀愛歌である。故に萬葉集は、 それ自ら一の「戀愛名歌集」と言ふべきで、全卷の歌を普通の比例で選ん で行っても、戀歌 7 に對する他が 3 の割合にしかならないのである。次に 古今集、新古今集等の歌集になると、戀歌が全體の四・ハーセントに減じて 來るが、卷末の總論にも書いてる通り、古今集以後の歌では戀歌だけが生 きりよ 命であり、他の敍景歌や覊旅歌等に見るべき作が極めてすくない。故に實 質としての比例で言へば、やはり選の大部分を戀愛歌が占めてしまふ。 かく古來の歌集を通じて、戀愛歌が常にその中心であり、且っ實質的に も特に秀れて居るのは何故だらうか ? けだし戀愛は感悩中の感情であ 、人間情緒の最も強い高熱であるからして、抒情詩に於ける最も調子の 高い者は、常に必ず戀愛詩に限られて居る。ち戀愛詩は抒情詩のエスプ リであり、言はば「抒情詩の中の抒情詩」である。然るに日本の歌は純粹 の短篇抒情詩である故に、常にどの時代の歌集に於ても、戀愛歌が中樞機 能となってるのは自然である。戀愛歌以外の者ーー・風物歌や、敍景歌や、 覊旅歌ゃーーーは、實際言って和歌の傍系にすぎないだらう。自然發生的の

7. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

リリシズムは、唯一の「物のあはれ」の に於て純粹詩のイデアと一致し、ヴァレリイ等の説く詩の理念に當ば、かかる人々にとっての ペ 1 ソス以外にないであらう。そしてこの同じ。ヘーノスが、佛蘭西 爲してゐることは、前に自分が他の論文に於て詳説した。 日本の文化は、上古奈良朝時代に於て、ロマンチシズムの主情主の詩人によって歌はれるサンチマンの本質であり、日本の詩人によ 義へ潮流し、詩精の最高な發育を遂げた。それから爾後は、次第って歌はれた「あはれ」の本體なのである。 それ故に「あはれ」とサンチマンとは、すべての抒情詩の中から に詩精が袞退して、代りに散文精が勃興し、レアリズムと主知 リリシズムの核である。平安朝時代の 主義の主潮する時代が來た。紫式部や淸少納言の才媛を生んだ平安追ひ出された、最後の唯一の 朝は、實にレアリズムの主知主義が全盛した散文精溿の時代であっ詩人は、その主知主義のアポロ的端麗を奪ぶために、抒情詩の和歌 の中から、すべての萬葉的情熱と感傷性とを叩き出した。そして尚 た。しかし如何なる時代に於ても、人生にポエジイするものがある 白リリシズムを篩ひ出し、最後にただ一つ、抒情 限り、詩が亡びるといふ事は有り得ない。散文黄金時代の平安朝に且つ、一切の主勺 詩の本質として殘したものが、實に「物のあはれ」のペーソスだっ 於ても、依然として尚詩は生き殘った。しかしその詩は、萬葉集の リリック 如き主情主義のものでなくして、時代の主潮である主知主義に立脚た。そしてこの殘された抒情詩の本質を、僕等は同じ佛蘭西の詩や してゐた。彼等は感傷を排斥し、主覿を追ひ出し、ひたすら知性の文化の中に感ずるのである。特に就中、それを映畫に於て最も印象 冷徹を奪重した。そして内容的なものを詩から除外し、歌を純形式強く感するのである。前に言ふ通り、佛蘭西映畫ほどレアリズムに 主義の文學にした。 ( 佛蘭西に於ける純粹詩の主張が、全くこれと徹底し、知性のつめたさを感じさせるものはない。そこには殆ん ど、何等の感傷主義もなく浪漫主義もない。しかし全卷に通じて、 同じである。ち詩を純粹の翻律・ーー韻律即内容ーーーまで形式化さ 一種の嘆息に似た哀傷感が、縹渺としてうら悲しげに流れて居る。 うと意志してゐる。 ) 所でまた、この時代に於けるポエジイの本體が、實に唯一の「物その果敢なく煙のやうなリリシズムこそ、今日の佛蘭西人と佛蘭西 のあはれ」であったのである。「物のあはれ」の情操には、勿論多文化に殘されてゐる、唯一の佗しいポエジイではないのだらうか。 平安朝の文學を讀んで驚くのは、どこにも「笑ひ」がないと言ふ 分に佛敎からの影響があり、諸行無常の諦等が要素してゐる。し かしより本質的の要素は、彼等の文化所有者たる殿上人等が、自己ことである。諧謔は至るところに弄されてゐる。ただその諧謔が、 如何にまた果敢なく悲しいことであらう。萬葉集の歌の中には、心 の生活に對するアンニュイの悲嘆であった。現代の佛蘭西人と同じ く、そのあまりに爛熟した文化によって、生命意欲のエネルギーをから朗らかになった「哄笑」がある。しかし古今集の歌の中にも、 消耗され、生への強い興味を失ひ、すべての夢とロマンチシズムを源氏物語の卷の中にも、そんな哄笑は一つもない。彼が諧謔を弄す 無くした彼等は、アンニュイの無間地獄を彷徨しながら、すべての る時、それは笑ふのでなくて泣いてるのである。そしてこの同じ 自然と人生とに、果敢なく佗しい物のあはれの哀傷感を感じて居「泣き笑ひ」を、僕等は、トーキーの佛蘭西映畫で耳にしてゐる。 その映畫の中では、若い靑年の男女でさへが、嬉々として戲れなが た。生への強い情熱と、靑春のロマンチシズムとを失った人間は、 うつろ 必然に避けがたくレアリチストになり、ひたすら知性によって人生ら、空洞な悲しい整で笑ってゐる。佛蘭西映畫を見て、彼等の笑ひ を散文的に見ようとする。しかも彼等の魂の中に、尚それで止みが聲を聞く時ほど、文化頽度者の悲哀とアンニ = イとを、日本語の 3 たい情感の世界があり、ポエジイの何物かが要求されて殘るとすれ「物のあはれ」に飜譯して、うら佗しく心に印象づけられることは

8. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

3 イ 2 的情操の極致で表現したものなのである。 較すれば、まことに貧弱極まる葦の葉のそよぎに過ぎない。だがそ この同じ日本的な物の特殊性は、衣食住のすべてに亙って共通しれにもかかはらず、地唄や淨瑠璃やの三味線音樂が奏する情緖は、 てゐる。淡泊にすぎて味がなく、料理法が發逹しないといふ觀察か どんな抒情的な西洋音樂を以てしても、到底表現することのできな いほど深奥で、幽玄極まりなきリリシズムの極致である。すくなく ら、外人宣敎師に未開視された日本料理は、しかし實際には、却っ とも人間情痴の粹を極めた抒情音樂として、日本の三味線音樂にま て洋食や支那料理以上に、味のデリケートな點で發逹進歩してゐる さるものは世界になからう。能に至ってはさらにもっと不思議であ のである。海から漁った生の魚を、何の人工的な料理もしないで、 る。シテとワキと地謠の合唱部から成る能の構成は、すべての演劇 そのまま生の刺身で食ふのは、おそらく世界に、日本人の外には野 蠻人があるだけであらう。しかし野人と日本人とを、その點の觀の母源と言はれる假面劇の中でも、就中最も原始的な形式に屬して びうけん ゐる。しかもその原始的な假面劇が、今日西歐一一十世紀の演劇人を 察から同一視する人があったら、これほど愚かな謬見はない。たし かに兩者は、料理法の原始的といふ點で相似してゐる。しかし日本驚嘆させ、ドラマの究極的理念として思惟されてゐるほど、内容的 人の場合は、その原始的な料理の中に、文化人のあらゆる進歩したには幽玄複雜な進化を極めてゐるのである。白紙に毛筆で描く線畫 デリカシーを、味覺の最上に於て味はってゐるのである。その所謂は、繪畫として最も原始的な手法であるが、而もその日本畫の藝術 「通」の味がわからないものは、却って日本では未開人として輕蔑さ價値は、精緻を極めた油繪等の洋畫に比し、さらに少しも劣るとこ れる。來遊の外國人から、常に嘆賞の的となってゐる日本のキモノ ろはないのである。そして和歌俳句等の日本詩歌は、その外戳上の が、またこれに同じ文化的意味を持ってゐた。前に既に書いたやう見かけに於て、最も素朴的な原始抒情詩であるにかかはらず、詩歌 に、キモノは衣服の原始的な形體である。しかもその原始的なものとしての實質上では、今日世界の最も進歩した抒情詩以上に、知性 と感性の究極的な高度性を内容してゐる。それによって芭蕉等の俳 を、その同じフォルムに於て、幾世紀の長い間傅統しながら、遂に 我等の先祖は、これを藝術的衣服の最上至美のものに作りあげた。 句は、今日西歐の詩人に新しき驚異をあたへ、未來詩のイデーを暗 日本の音樂について、美術について、文學について、すべて皆以示するものと見られてゐる。そして新古今等の和歌は、最近二十世 上の原理は同一である。竹に穴を明けた尺八は、世界の多くの樂器紀の佛蘭西詩人が理念するところの、詩の文化的究極形態としての 中での、最も原始的なものの一つであらう。その限りに於て、尺八純粹詩と、本質に於て全く同樣の發展を爲し遂げたも〕のなのであ は南洋土人の笛に似てゐる。だがその音域の廣く、表情の微妙なこ とで、土人の樂器と尺八とは、到底同日の比ではないのだ。三味線 音樂に至っては、おそらく世界の音樂甲で、最も比類なく不思議に ュニークのものであらう。南洋邊から、琉球の蛇皮線を經て俾はっ かうした日本文化の特殊性は、上述の如き理由によって、文化が たと言はれるその樂器は、原型の素朴のものから殆んど幾程の進化横の發展をせず、ひとへに縱の發展をし、地下に向って穴を掘り下 もしてゐない。そしてこれが歌曲といへば、和聲もなく對位もなげた爲に外ならない。環海孤島の一天地に、外部の交通を絶って生 く、貧しい單音の旋律があるにすぎない。これを西洋の複雜進歩し活してゐた我等の先祖は、二千餘年の長い間、ひとへにその脚下の た近代樂器や、無數の音色と音域を包括する一大宇宙の管絃樂と比地面を掘って、地下へ地下へと文化を深く掘り下げて行った。そこ

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完成しなかった。そのむなしい短歌遍歴の終らためて詩に移行したことからも知られる。生家は財政的にゆとりがあり、家庭には長男 ったところから詩作がはじまったが、そのままた「愛憐詩篇」の編集をする際に除外したを大事にする風習があり、母ケイの溺愛があ ま短歌的なものの一切が消滅したのではな抒情小曲など、除外を當然とおもわせるほどり、 美貌の四人の妹たちに取りかこまれてい い。自分の作歌はむなしかったけれども、そ幼稚なものであった。 たこと。たぶんそれらの一切が甘ったれを培 の詩的體驗を通じて、萩原朔太郎は傅統和歌「處女詩集『月に吠える』を出したのは、た養した。萩原朔太郎は北原白秋の詩集『思ひ の音律美を會得し、抒間の美を攝取した。そしか僕が三十四歳 ( 註。三十二歳である ) の時出』と歌集『桐の花』を、近代詩のもっとも れが「愛憐詩篇」に流れ人って感傷と詠歎のであった。それが偶然にも、ポードレエルのすぐれた成果に數えていた。それゆえ北原白 抒情となり、『戀愛名歌集』における傅統詩『惡の華』と同年であると言って祝輻してく秋を奪敬したのは當然だけれども、その傾倒 の抒情の享受となり、その音律美の分析となれた人があったが、僕としては少し寂しい思ぶりは甘ったれの熱狂以外のものではない。 った。生涯を通じて詩の本質を抒情詩にもとひもした。と言ふのは北原白秋氏や三木露風こういう甘ったれの中で「愛憐詩篇」は靑春 めたのも、詩として完美した傅統和歌〈の愛氏等が、既に早く十七歳位で詩壇に出、二十の哀傷を主題にして綴られ、ようやくその詩 や、自分の作歌體驗がその基調になっていた歳を越えた時に既に堂々たる大家になって居的道程の第一段階を形づくった。 からである。 たことを考へ、自分の過去の無爲と非才とを 悲しく反省したからだった。」 これは「詩壇に出た頃」と題する回想の一第二の段階をなす『月に吠える』への移行 萩原朔太郎の詩の仕事は、時間的におよそ節である。この歎きに多少の扮飾があるとしは飛躍的だった。この詩集におさめた作品 三つの時期に分れている。 ても、先輩詩人の十七歳と、萩原朔太郞の三は、大正三年末から大正五年末あたりまでの その第一段階が『純情小曲集』の前半をな十二歳との對比には甚だしい距りがある。そほぼ二年間にかかるものだが、その二年のあ す「愛憐詩篇」だった。前述のように、十年の晩熟は短歌や抒情小 曲の稚拙さばかりでないだに近代詩の世界に確固とした位置を占め 銓の短歌遍歴を斷ったところから詩 ( 抒情小く、 人間としてもどこか未成熟のところがある數々の作品をつくったのである。萩原朔太 曲 ) へ移行したのだが、その移行は二十八、った。それを端的にしめすのがその當時の書郞の全生涯を通じて、大正三年から同六年に 九歳のときに當っている。近代の詩人として簡類で、大正三年秋の北原白秋あての手紙にわたる時期は、創作力のいちばんさかんな年 門年齡的に遲い出發だった。 「私の戀人が二人できました。室生照道と北月であった。殊に大正四、五年は『月に吠え 郊 いったいに萩原朔太郞の詩的成熟は遲かっ原隆吉氏です。感慨きわまる。」という部分る』の全作品をはじめ、これに關連する作品 朔た。このことは大正二、三年三十八、九歳 ) がある。普通にはとうてい言えぬこういう手 ( 『蝶を夢む』に收録 ) を集中的につくったので 萩にかけて、生地の『上毛新聞』にさかんに發紙を、二十九歳の靑年が臆面もなく去々に書あって、その成熟のおどろくべき速さは、そ 表した短歌が、一半は石川啄木の『一握のきつづけたのであって、これは″戀文″といれまでの吸收や蓄積が、一擧に醗酵したもの ということができる。短歌でも新體詩でもな 砂』の模倣であり、一半は北原白秋の『桐のってもおかしくない文面である。 花』の模倣だったことからも知られるし、あ一面で萩原朔太郞は甘ったれだったのだ。い″新詩〃の内的發見によって、それまで眠

10. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

に、言葉がすぐ文的に舞ひあがってしまふやうな、詩人風の浪漫事詩的精榔を持たないやうな文學者は、すくなくとも小説家とし 主義者やなどに反感して、自分の中の稚態を憎み、自分の詩人を虐て、最高の榮譽を保證し得ない。通例彼等は「詩人風の作家」と呼 殺してしまはうと考へる時、彼等は初めて一人前の小説家になり、 ばれる。そしてこの稱呼は、必ずしも小説家にとって名譽でない。 眞實の散文家として、レアリズム文學の出發點に立つのである。 レアリズム文學の本質は、不幸にも我が國の文壇で、常に誤って 孤獨と就交 考へられてゐる。文學者に於けるレアリスチックの精紳とは、世間 ずれのした俗物意識や、そんな點での經驗から、苦勞人の物解り好内部への瞳孔友人もなく、會もなく、全く孤獨でゐるところ さを誇ることや、別してまた茶飮話の退屈さで、感動もなく熱情もの人々は、だれでも必然にすぐれた心理學者になるであらう。なぜ なく、人生を身邊雜記的に見ることの習得でもない。文學が意味すといって彼の照し得る世界は、彼自身の内部から抽象する外にな る現實主義とは、詩的ロマンチシズムへの反語であって、或る酷いのであるから。 な強い意志から、すべての生ぬるい陶醉を蹴り飛ばし、より寒冷な 山頂へ登らうとするところの、文學に於ける鐵製の意識であって、 反芻獣靑草の上に寢て、靜かに樂しげに、牛はその食物を反芻 リリカル してゐる。 言はば抒情詩的のものに逆説する、他の別種の詩的精に外ならな かく我々の孤獨者等が、いつも冥想の上で長閑かな食欲を樂しん それ故に文學者は、彼が本質的にセンチメンタルの人間であり、 でゐる。食ふことの悅びではなく、既に胃袋の中にあるところの物 詩人的殉情のロマンチストであればあるほど、逆にその一方では、 を、ふたたび反芻して舌に味はひ、日向の暖かい牧場の隅で、長く 彼自身に反撃する冷酷無情のレアリストとして、小説家の偉大な成惰に味はふのである。 功を克ち得るだらう。實際にまた、外國の多くの作家がその通りで ある。彼等のあらゆる典型的小説家とレアリストが、いかに殆んど 淺間山に登りて或る藝術、 豕等の生涯は、間歇火山にたとへられ 例外なく、その若い時代に於て純情の詩人であったかを見よ ! 後 る。彼等は長い時日の間、死んだやうに眠って居り、何事にも興味 あくび に小説家となってからも、その描寫のあらゆる確實な現實性と、殘がなく、退屈の欠伸を噛み續けてゐる。しかもながら或る朝、不意 酷にまで意地惡く見通してゐる眞實の把握の影で、いかにその詩人にまた情熱が燃えるであらう。それから一時に爆發して、尚暫らく 的情熱を高調し、時にまた隱しがたく抒情詩的でさへあるかを見の間だけ、熔岩の美しい火花を噴き續ける。 正 一般に言って、詩的精こそは文學の本質である。すくなくとも精祚的な人物 ? 感覺遲鈍からも、人は精的な人物と言はれる の 妄氣質の上で、詩人的なる何物かを持たないものは、小説家にも戲曲のである。或る多くの聖人や哲學者ーーー釋迦や、ソク一フテスや、ジ ーーー餘はすべて俗物のみ。 家にも、斷然文學者たる資格がない。 オゲネスや、エピクレスや・ーーが、たいてい乞食のやうな生活を平 氣でしてゐた。 7 2 詩人風の作家その抒情的精溿だけを知って、これに逆説する敍 肝腎なことは、それが克己心からされたのでなく、むしろ官能上 チスト らもだ はもすう かんけっ