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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集
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1. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

っていた可能性が一擧に噴出したのである。「およぐひと」だった。わずか五行のこの詩た。この入りまじりに第三の段階への移行が 和『月に吠える』についての評價はすでに決定は、水中にある人の姿を透明なイメージとし豫見されるが、概括すれば大正六年以降の十 的である。後年になって萩原朔太郞は「僕はて浮き上がらせ、比類のない言葉の妙なは年ほどが " 靑猫″時代に當る。 一躍して詩壇の花形役者になってしまった。」たらきをみせた。そうかとおもうと「春夜」『靑猫』という標題は奇妙である。そのため と回想したが、そのような反響は「月に吠えの終りには「よせくる、よせくる、このしろ知人や讀者からしばしば質問されたという る』の作品が、近代人の心理や感情の切實さき浪の列はさざなみです。」という巧みな形が、「著者の表象した寓意によれば、「靑猫」 をするどく表現したからで、その中心的命題象化がある。總じて『月に吠える』の主題との「靑」は英語の B 一 ue を意味し」「即ち「希 は精御的孤獨の感情の詩的形象化にあった。その表現は詩壇の驚異だったのである。 望なき」「憂鬱なる」「疲勞せる」等の語意を 幼年時代から集くっていたというその漠然と「およそこの詩集以前にかうしたスタイルの含む言葉として使用した。」のだという。この した孤獨感が、この詩集において陰影のあるロ語詩は一つもなく、この詩集以前に今日の寓意は恣意的だけれども " 憂・疲勞 ~ など 近代的心理として表現されたのである。それ如き渡刺たる詩壇の氣邇は感じられなかつの情絡はまさにこの詩集の主題をなすもので とともにイマジスチックな表現手法の特異さた。すべての新しき詩のスタイルは此處からあった。試みに憂鬱の文字を附した標題を擧 や、纖細な感覺や、傷められた生の病鬱が、そ發生されて來た。すべての時代的な敍情詩のげると「恐ろしく憂鬱なる」「憂鬱なる花見」 れにふさわしい言葉とリズムで表現された。 リズムは此處から生れて來た。印ちこの詩集「憂鬱の川邊」「憂鬱な風景」などがあり、 この詩集のもう一つの特徴は柔軟な詩語のによって、正に時代は一つのエボックを作っド聞 ロ中にもしばしばこの二字が使われてい 創造にある。詩集冒頭の數篇はむしろ文語脈たのである。」『月に吠える』再版序文のこのる。まさしく『靑猫』は " 疲勞せる。情意の の言葉に近いが、それでいて語音の感觸は柔一節は、あながち自負とばかりいえぬ言葉だ世界であり、倦怠と無爲の詩的世界だった。 らかい。詩集後半に入ると文語脈はおぼろにったのである。 現實の環境に疎外を感じ、そこからの脱出 消えてゆき、どの作品も語のひびきのいっその詩的道程の第二段階にはもう一つ『靑を願望する詩人にとって、やがて釀成される そう柔軟な " 詩的ロ語。になった。それにと猫』がある。『靑猫』の作品は大正六年春かものは " 幻想としての脱出。や、現實に對す もなって表現型態も自由で柔軟な流動的性質ら同十二年半ばまでに發表したもので、これる無爲や俺怠の意識である。『萩原朔太郞詩 をあたえられ、言葉による情絡の形象化としに次いで『蝶を夢む』「萩原朔太郎詩集』『定集』收録の「風船乘りの夢」は環境からの脱 て、それまでのどんな詩人も試みたことのな本靑猫』が刊行された。『定本亠円猫』におさ出の幻想であり、『靑猫』とそれにつづく作 い獨自性をしめした。このことは「猫」一篇めた最終作品は昭和三年の發表だった。した品の多くは倦怠に身を投げ人れた情緒で、頽 をみても首肯できる。「蛙の死」では「丘のがって萩原朔太郎の意向に從 ( ば、『靑猫』廢の色がただよっている。このとき『靑猫』 上に人が立ってゐる。帽子の下に顏がある。」から『定本靑猫』にいたる十年餘が靑猫時代の詩人は「この詩集を書いた當時、私はショ という奇妙な感覺的表現で、まったくあたらということになるが、その途玖で『純情小曲ウペンハウエルに惑溺してゐたので、あの意 しい詩の魅力をみせた。 集』中の「鄕土望景詩」が發表され、昭和一一志否定の哲學に本質してゐる、厭世的な無爲 このような口語による流動的表現の典型が年には『氷島」收録の作品も發表されはじめのアンニイ、小乘佛敎的な寂滅爲樂の厭世

2. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

彼自らその同じ悅びや、同じ悲しみや、同じ情調やを同感し得 は、その場合として、何を言はうとするのであるか。そもそも彼の 幻意志するところは、ただそれだけのつまらぬ事實。夜があけて朝が た時ーー始めてそれが生命ある者として律動する。換言すれば我等 くる、そして今日の日和は見られる通りの晴天であるといふ、この のすべての表現はーーーー敍情詩であっても、小説であっても、また評 それが讀者にとっての「記 お互にわかりきった平凡無意味なる事實。ただそれだけのくだらぬ論であっても、哲學であっても、 事實を報告するにすぎないのであらうか。若し我等の會話が、すべ述」でなく「説明」でなく、むしろ情感的に魅惑のある「詩」とし てさういふ意味で互に交換されるならば、人生に於ての表現ーー・隣て讀まれた時、その時始めて完全に目的を果したのである。 が、いかに煩はしく、おほむね退屈にして されば讀者よ。いかにして私の欲情が諸君にまで挨拶されて行く 人から隣人への挨拶 迷惑千萬な仕事にすぎないであらうぞ。とはいへ然し、我等のどん か。この靈魂があの靈魂ーーーあれらのおびただしい靈魂ーーにまで な表現もさういふ報告的な意志によって語られない。我等の門口に乘り移って行くか。けだし、私の語り得る主旨は別にある。それは 立って朝の挨拶をする隣人は、實際に何を告げようと欲してゐるの 書物の表面にない。それは隱されたる思想の帷幕の陰影にある。げ か。彼の正に言はうとする所は、實にあの「輝かしい朝の感情」で にただ少數の意地あしき瞳孔ーーー書物の表面を見ないで書物の隱さ はないか。そんなにもじめじめした梅雨の後で、そして今朝の麗はれたる裏面をのぞかうとするやうな、皮肉な意地あしき欲情によっ だけが、よくその祕密を捉へるであらう。ここ て燃えてる瞳孔 しい太陽の輝いてゐる空の下で、我等の生活にまで復活してくる一 に諸君の意地あしき「理智」が、むしろ私の逆説に於てさへ抗辯さ つの湧然たる力、この悅びにあふれた情緒、この睛々とした朝の氣 分、正に彼の言はうとして居るものは、すべてさういった感情の告れんことを。そこにはかの逆説的な賞讃者ーーあらゆる賞讃の辭を 白に外ならない。 0 一 ( is fine to-day! 並べながら、内實では反對に侮辱の舌を出してゐる賞讃者。卲ち彼 の感情の反對を、彼の思想に於て諷刺して居るところの賢い人々。 されば我等の言葉は、すべて我等の感情によってのみ、氣分によ ( 序言その一 ) すらあるからである。 ってのみ、情慾によってのみ語られる。げに「思想そのもの」は、 我等の表現における符號にすぎないであらう。何故といって我等の 隣人にまで傳へようとする者は、言葉が意味する概念の思想「今日新しき欲情人々は新しい欲情を求めて居る。かって何物かが、 は晴大である」といふ事柄でなくして、實はその内面における意そこに有るべくして有ることのなかったやうな、さういふ新しい欲 向、正にその表白をよぎなくされてゐる情意の律動的な躍動にある 情にかわいてゐる。それらの欲情は、我等の果敢ない幻想に於てす からである。我等の願ふ所は、今朝のこの笑ましげな氣分をいかにら、尚どんなに輝かしい書景を展開するであらう。されば米來は かに來るべき未來はーーー我等にとっての怪奇な假象でなく、 もして隣人にまで會得させ、共に共に幸幅の情感を享樂しようとい ふにある。そもそもそこに語られてある事實の如きは深く間ふべきむしろあまり立體的の實有である如く感じられる。この實有なる、 仔細でない。それはただの符號である。よって以てこの感情を傅へしかし空想のできない時の運動は、さまざまの建築の様式に於て、 るための符號、感情から感情への無線電信に於ける符號にすぎないまたその意匠に於て、近く設計される萬國博覽會のやうに、世界の のだ。故に思想といふ電信の暗號は之れを受信者の言葉にまで、そ人心の目新しい興味となるであらう。けれどもその時がくるまで、 の情意生活にまで飜譯して、明らかに節奏を經に感觸し得た時我等は感情の「最も輝かしい部分」を祕密にしておきたいと思ふ。

3. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

して居た。 現代の日常ロ語が、かうしたポエジイの表現に適應されないこと は、自分でそれを經驗した人には、何よりもよく解ってる筈であ る。つまり今の日本語 ( ロ語 ) には、言葉の緊張性と言ふものがな いのである。卷尾に他の論文 ( ロ語詩歌の律について ) で説いた 「氷島』の詩は、すべて漢文調の文章語で書いた。これを文章語で涌り、今のロ語には「に」「は」「を」等の助辭が多すぎる爲に、語 書いたといふことは、僕にとって明白に「退却」であった。なぜなと語との間に區切れがなく、全體にべたべた食っ付いて居て、齒切 ら僕は處女詩集『月に吠える』の出發からして、古典的文章語の詩れが惡く、調子のハズミといふものが少しもない。例 ( ば「日本人 に反抗し、ロ語自由詩の新しい創造と、既成詩への大膽な破壞を意此處にあり」とか「花険き鳥鳴く」といふ場合、ロ語の方では「日 表して來たのだから。今にして僕が文章語の詩を書くのは、自分の本人は此處に居る」「花が啖き鳥が鳴く」といふ工合に、「は」「が」 等の餘計の助辭がつくのである。その爲言葉に抑揚がなく、緊張し 過去の歴史に對して、たしかに後方への退陣である。 た詩情を歌ふことができないのである。 しかし『氷島』の詩を書く場合、僕には文章語が全く必然の詩語 その上にまた、今のロ語でいちばん困るのは、章句の斷定を現は であった。換言すれば、文章語以外の他の言葉では、あの詩集の倩 操を表現することが不可能だった。當時僕の生活は全く破産し、精す尾語である。文章語の方で「をりー「ならん」「ならず」と結ぶ所 禪の危機が切迫して居た。僕は何物に對しても憤怒を感じ、絶えすを、ロ語の方では「である」「であるだらう」「ではない」といふ風 大聲で叫びたいやうな氣持ちで居た。『靑猫』を書いた時には、無に言ふ。文章語の方は、非常に輕くて簡潔であるのに、ロ語の方は 爲と慚惰の生活の中で、阿片の夢に溺れながらも、心に尚ヴィジョ重苦しくて不愉快で、その上に斷定が曖昧ではっきりしない。もっ とも同じロ語體でも、かうした演説口調の「である」に比すれば、 ンを抱いて居た。しかし、『氷島』を書いた頃には、もはやそのヴィ ジョンも無くなって居た。憤怒と、憎惡と、寂寥と、否定と、懷疑日常會話語の「です」「でせう」の方は、まだしもずっと輕快であ り、耳にもよい音樂的の響きをあたへる。しかし困ったことに、こ と、一切の烈しい感情だけが、僕の心の中に殘って居た。『氷島』 の種の會話語は調子が弱く、卑俗で軟弱の感じをあたへる爲に、少 のポエジイしてゐる精は、實に「絶叫」といふ言葉の内容に盡さ しく昻然とした思想や感情を敍べるに適應しない。 ( 演説や論文が、 れて居た。 この會話語の外に「である」體を發明したのは、全く必然の要求か そこで詩を書くといふことは、その當時の僕にとって、心の「絶 叫」を言葉の「絶叫」に現はすといふことだった。然るに今の日本ら來てゐる。 ) 要するに、今の日本語といふものは、一體にネパネパして齒切れ の言葉 ( 日常ロ語 ) は、どうしてもこの表現に適應されない、とい が惡く、抑揚に缺けて一本調子なのである。そこでこの日本語の缺 って文章語を使ふのは、今さら卑怯な退却のやうな氣がして厭であ 點を、逆に利用して詩作したのが、僕の舊著、『靑猫』であった。 ったし、全くそのジレンマに困惑した。その頃書いた僕の或る詩論 と言ふわけは、『靑猫』に於ける自分の詩想が、丁度かうしたロ語 が、表現論の方面で悲觀的となり、絶望的の暗い調子を帶びて居た のも、全くこの自分の突き當った、営時の苦しい事情と間題に原因の特色と、偶然に符合して居たからであった。前にも書いたやう 『氷島』の詩語について . レト・けツーー製・

4. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

いやうな感を件ふものであるから、純な相愛者が呼びかける言語こんな言語では不可能である。之れが文章語となると、流石に長い 間藝術的に訓練されただけあって、一通りにはデリケートな感情を は、親愛の中に崇拜の意味を含むものであり、且っ戀愛の本質上か ら、特殊な美的感情をもった言語であるべきだ。この場合に「お前」表白すべき、適切な言語をそろ〈てゐる。 ( 但し文章語の有する範 圍は、開國以前の舊日本的情操に限られてゐる。明治以來の日本人 といふ如き卑俗的輕蔑をもった言語は、いかにしても適切でない。 がもってる新しい情操は、多く文章語の範圍外で、それの字引の中 次に「あなた」といふ言語が、同様にまた面白くない。第一にこ の言語は、語感が漠然として甚だ非人情である。印ち男についてもに這人って居ない。僕等がロ語に不滿しながら、しかも口語で詩文 女についても、また特に親交のない一般の人に對しても、普遍的にを書いてるわけは、一つにはこの止むを得ない事情によるのだ。 ) 文章語の方では、かうした場合に最も適切な表現がある。即ち 漠然と使用される一種の儀禮的言語であって、少しも親しい人情味 「君」といふ言葉である。尤もこの「君」といふ語は、ロ語の方で がなく、空疎で、よそよそしく、他人行儀の空々しい言葉である。 かりにも戀をしてゐる男女が、こんな非個性的な漠然たる言語を使も使用するけれ共、文章語とは場合がちがって居る。文章語の詩歌 って、對手を呼びかけることは無い筈だ。まだしも之れに比べれで使ふ「君」といふ語は、普通に戀人を呼ぶ言語である。即ち「君 ば、或る特別の場合に限って、前の「お前」の方がしつくりしてゐならでたれか知るべき」とか「君に捧げん我が思ひ」とかいふ類で あって、すべて戀人の二人稱は君である。この文章語の「君」とい る。すくなくとも人情味があるだけ好い。 そこで「お前」の親愛感だけを取って、その卑賤感や輕蔑感やをふ語は、實に適切で餘情に富んだ言語である。第一この言葉には、 一方で親友に對する場合の如きーーロ語では専らその意味に使はれ 除き、同時に一方で「あなた」から、その崇拜感だけを殘して他の 空疎感や常識的儀禮感やの、すべての不適切な語意を除き、そしてる。ーー・親愛の深い情がこもってゐる上、一方では君主などを呼ぶ この二つの言葉を、一つに重ね合すことができるとすれば、初めて場合に於ける、特殊の崇拜の語意があって、それが兩方から一語の 僕等の要求する如き眞の詩語ができるわけだ。所がもちろん、そん中に混和して居り、何ともい〈ない微妙の魅力がある。戀をする人 の感情で對手を呼ぶ時、之れより適切な二人稱は他になからう。單 な言語的奇術は不可能だし、と言って外に之れといふ言語もないの で、僕等は實に困って居るのだ。單に作詩上ばかりではない。普通に君と君びかける一語の中に、戀愛のあらゆる感情が盡されてゐる のフプレターを書くのにも困るのだ。尢も僕自身は、近頃全くそんと言っても好い程だ。 この文章語に於ける「君」は、ロ語の「お前」と「あなた」と な經驗がなく、また必要もないけれ共、實際に戀をしてゐる若い人 たちは、どんなに困るだらうと思って心配するのだ。 ( だから近頃を、兩方から合はせて一語にしたやうなものであり、親愛と崇拜と の混合する戀の實有的情操を、藝術的にびったり表白して居る。し の若い戀人たちは、たいてい對手を二人稱で呼ばないで、さんと かし昔の日本人が、文章語を此所まで洗練させてくるには、可成り か、子さんとかいふやうに、名前で呼んでるやうだ。實際これよ 長い時間がかかって居るのだ。ち萬葉集時代の詩歌では、未だ り道はなからう。 ) 「君」といふ言語がなくーーー當時の「君」は主として天皇を指して 實に考 ( れば考へるほど、日本のロ語といふ奴は未熟のもので、 いも いも ゐるーーー情人を呼ぶに「妹」と言ってる。「妹」といふ言語も、ロ 單に日常生活の實用的利便を足す外、何の藝術的表現をもって居な い。少し複雜した感情や、藝術的デリカシーを要する表現は、到底語の「お前」などより遙かにスイートで、且つずっと藝術的微妙感

5. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

0 7 道路の敷石に叩きつけた。 故鄕よ ! 老いたまへる父上よ。 僕は港の方へ行かう 空氣のやうに蹌踉として はとば 波止場の憂鬱な道を行かう。 人生よ ! 僕は出帆する汽船の上で 笛の吠えさけぶ響をきいた。 古いさびしい空家の中で 椅子が茫然として居るではないか 9 その上に腰をかけて 編物をしてゐる娘もなく 暖爐に坐る黑猫の姿も見えない 白いがらんどうの家中で 私は物悲しい夢を見ながら 古風な柱時計のほどけて行く 錆びたぜんまいの響を聽いた。 じぼ・あん・じゃん ! じぼ・あん・じゃ 古いさびしい空家の中で 昔の戀人の寫眞を見てゐた。 どこにも思ひ出す記意がなく らんぶ 洋燈の黄色い光の影で かなしい情熱だけが漂ってゐた。 私は椅子の上にまどろみながら ひとけ 遠い人氣のない廊下の向うを 幽靈のやうにほごれてくる 柱時計の錆びついた響を聽いた。 じぼ・あん・じゃん ! じぼ・あん・じゃ 猫。靑猫。萩原朔太郞 詩藝術の評論はーーっまりは無駄だ。何より も讀んで感ずるより仕方がない。その人らし く、かって氣ままに感ずるよりほか仕方がな い。だから所詮、僕の氣ままな感想は、僕にま で共感した「靑猫」に過ぎないであらう。 蜘蛛の絲のやうな彼の言葉のつながりを見 よ。最初の一句から、最後までーー言葉のなく なった長い後まで、いつまでもへんにねばりつ いてゐる彼の言葉を見よ。彼の心臟には日本語 の蜘蛛の絲がある。 かれの心臟はもちろんーー古い日本のものだ またさみしい世界の原始の風景でもあ るのだ。さうしてそれは讀者の心臟にまで何と 執念深くねばりつくのだ。よみをはったながい 後まで、そのにほひ、音、風景は、異様にさみ しくのこってゐる。 これはかれのすばらしく成功した一つの表現 だ。表皮感覺ではない。只の印象である譯がな いーーもちろん説明でない、宣傳でもない、じ つにねばり強い靈魂感覺の表現だ。表現は讀者 の心に、完全にその個性の心象を移するにあ る。 かれは蛇だーーーわれわれは蛙だーー何といふ 手あらなことなしに、とかしこんでしまふ悪蛇 は魔氣を吐いて他動物を惱ますといふ。 かれの詩にはふしぎな心靈の策氣がある。 こんもりとした森の木立のなかでいちめ んに白い蝶類が飛んでゐるむらがるむ らがりて飛びめぐるてふてふてふ てふてふてふてふ これはただ蝶が飛んでゐるばかりではない ね。ふしぎなーーさむしい魂のーーーかわけ るあこがれを心の奥に、へんにうすぐらくしめ った森の奧の晩景を、さうしてーーぼくの心は 何といふ理由もなく無しゃうにはがゆくさみ しがる。 かれの詩はかれの云ふ靜かな靈魂のノスタル ヂアであり、かの「春の夜にきく横笛のひび き」である。さむしい人間の心の奥のあこがれ の世界。あけぼのの情緒の流るる彼岸。 かのつかれたる心靈の奧の方に、しだいに生 物意識の消滅しゆく方向、薄暮である、タ月の 仄かに匂ふところ、およおよとおぼめく奇異な 動植物のすがたをみる。 ここにいっぴきの猫がゐる。 このねこがーーー何の變哲もなしに詩になる時 と、一つの象徴の對象として取人れらるるとき と、その人の主観にひんまげられて出て來る時 と只單なる概念として、現はれる時とがあるで あらう。 しかもかれの猫はそのいづれにもそくしな い。ぼくがひそかに興味をもっところは又そこ だ。 ポードレールの猫は我々の見る普通の西洋猫 だが、へんな悪魔主義の玩具である。時に猫族

6. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

供等自身が自覺してゐる。しかも僕等の言ひたいことは、實に供等漫主義の文學と、そして現實主義の文學と。 の時代の詩人が、現代の最も非藝術的な言語を以て、僕等の最も新或る文學、もしくは文學するところの精が、人生を時間的に眺 しき生活を創造しようとしてゐることである。僕等はその努力を感める時、彼等はロマンチシズムの系統に屬するだらう。 じ、藝術家としての誇りを感する。 或る文學、もしくは文學するところの精が、世界を空間的に考 へる時、彼等はレアリズムの系統に人るであらう。 浪漫主義は時間に立ち、現實主義は空間に立つ。この文學に於け とは何ぞや る二の範疇は、對比的でなくして絶對的だ。出發點の初めからし て、彼等は地球の反極に立ち、二つの別々の形式で宇宙を見てゐ 詩の原理概説 文學に於ける浪漫主義は、表現の絶頂に音樂をもつ。音樂に向っ 時間と空間 て、創作する最高のイデアが吸ひあげられる。 時間的に考へるか。空間的に考へるか。認識に於ける宇宙は、一一 文學に於ける現主義は、表現の典型に美術をもつ。より美術に つの形式の外に出ない。 近づくほど、レアリズムの文學は術化してくる。文學が、もしそ れ自ら美術となったら、彼等の表現は完成したのだ。 音樂と美術 詩と散文 藝術の表現が、二つの別々の立脚點から、夫々の美的宇宙を認識 してゐる。音樂とそして美術。音樂は時間について形式を取り、美 文學の世界に於て、詩は時間の宇宙を眺め、散文はその空間を認 術は空間について形式を取る。 識してゐる。 音樂にある形式は、流動、變化、生命、巓律、メロディー 、不斷 詩と散文の區別は絶對的だ。表現の出發點から、彼等は地球の反 に流れて行く時間の美。 極に立ち、各よの別の視軸で、別の宇宙を眺めてゐる。 美術にある形式は、不動、固定、物質、位置、對比、調和、均 詩は時間に立って歌ひ、散文は空間にゐて描寫する。 齊、常に凝固する空間の美。 それ故にまた、詩の形式は韻律やメロディーの流動する浪を求め 音樂はリズムを求め、美術はスペースを要求する。 る。詩は言語の音樂なしに有り得ない。音律と調べとは、詩の必然 音樂は「進行」し、美術は「建築」しようとする。 の形式である。 音樂は「心」を訴へ、美術は「物 , を戳察する。 散文には音樂が要求されない。散文は言語を建築の方に求めて行 く。それは流動を排して固定を取り、物質の凝縮する世界の方へ、 詩音樂は「主觀」に屬し、美術は「客飆」に屬してゐる。 言語のポイントやシンメトリーを摸索して行く。散文の藝術的典型 浪漫主義と現實主義 9 は美術である。 3 すべての文學の形式は、本質に於て一一つの範疇の外に出ない。浪

7. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

和を聯想させる。この句でも、前の「春雨や , の句でも、すべて蕪 0 村の特色は、表現が直截明晰であること。曲線的でなくして直線的 2 荒駸した寺の裏庭に、芥捨場のやうな空地がある。そこには笹竹 や芹などの雜草が生え、塵芥にまみれて捨てられてる、我樂多の瀨であり、脂肋質でなくして筋骨質であることである。その爲どこか 戸物などの破片の上に、晩春の日だまりが力なく漂って居るのであ骨ばって居り、柔らかさの陰影に缺けるけれども、これがまた長所 であって、他に比類のない印象の鮮明さと、感銘の直接さとを有し る。前の句と同じく、或る荒寥とした、心の嵎の寂しさを感じさせ る句であるが、その「寂しさ」は、勿論厭世の寂しさではなく、まて居る。思ふに蕪村は、かうした表現の骨法を漢詩から學んで居る た芭蕉の寂しさともちがって居る。前の句やこの句に現はれてゐるのである。古來、日本の歌人や俳人やは、漢詩から多くの者を學ん 蕪村のポ = ジイには、やはり彼の句と同じく人電生活 0 家鄕に對すで居り、漢詩の詩想を自家に飜案化して居る人が非常に多」。しか る無限の思慕と鄕愁 ( 佗しさ ) が内在して居るそれが裏街の芥捨し漢詩の本質的風格とも言ふべき、あの直截で力強い、筋骨質の氣 場や、雜草の生える埋立地で、詩人の心を低回させ、人間生活の度概的表現を學んだ人は殆んど尠い。多くの歌人や俳人やは、これを 日本的趣味性に優美化し、洒脱化して居るのである。日本の文學 跡に對する或る種の物佗しい、人なっかしい、晩春の日和のやう で、比較的漢詩の本質的風格を學んだ者は、上古に萬葉集の雄健な な、アンニュイに似た孤獨の詩情を抱かせるのである。 因みに、この句の「捨る」は、文法上からは現在の動作を示す一一一口歌があり、近世に蕪村の俳句があるのみである。 葉であるが、ここでは過去完了として、既に前から捨ててある意味 女倶して内裏拜まん朧月 として解すべきであらう。 春宵の惱ましく、艶めかしい朧月夜の情感が、主觀の心象に於て 骨拾ふ人に親しき菫かな よく表現されてる。「春宵怨」とも言ふべき、かうしたエロチック・ センチメントを歌ふことで、芭蕉は全く無爲であり、末流俳句は卑 燒場に菫が険いてゐるのである。遣骨を拾ふ人と對照して、早春 俗な厭味に低落して居る。獨り蕪村がこの點で獨歩であり、多くの の淡い哀傷がある。 秀れた句を書いてゐるのは、彼の気質が若々しく、枯淡や洒脱を本 領とする一般俳人の中にあって、範疇を逸する靑春性を持って居た 春雨や暮れなんとして今日も有り のと、且っ卑俗に墮さない精神のロマネスクとを品性に支持して居 「暮れなんとして」は「のたりのたり」と同工夫。時間の悠久を現た爲である。次にその類想の秀句一一三を掲出しよう。 春雨や同車の君がさざめ言 はす一種の音象表現である。 筋かひにふとん敷きたり宵の春 をちこち 誰が爲の低き枕ぞ春の暮 梅遠近南すべく北すべく 春の夜に奪き御所を守る身かな をらこち 注意すべきは、これらの句 ( 最後の一句は少し別の情趣である 「遠近」といふ語によって、早春まだ淺く、冬の餘寒が去らない日

8. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

人ナポレオンを書いた文章等は、溢るるばかりの詩美と高邁な精 とにみち、しかも哲學的な思想性を、よく藝術的情操の中に體驗化 した好ェッセイであり、我が國の文壇に初めて見たところの物であ る。 ( 過去にエッセイストとして高山樗牛があったけれども、思性 が組雜で藝術的のデリカシーに缺けてた。 ) 保田與重郞君の如き亠円 アフォリズムのことを、日本では普通に「筬言」と言ってる。だ 年が、日本の文壇に新しく登場して來たことは、やがて來るべき何 かの黎明を語る暗示であり、併せてエッセイ文學の新興機運を告げがこの譯は適切でない。箴言といふ言葉は、ソロモンの箴言などの ゃうになにかしら敎訓的、金言的の意味を感じさせ、且っ理智的で る啓示である。 ついでにアフォリズムについて一言しよう。アフォリズムのこと人間味がなく、文學としての内容を指示して居ない。ところでア フォリズムは、決してそんな非人情的なものではなく、詩や小説と は、日本で從來「警句」または「箴言」と譯されて居た。しかしそ れが適譯でないことは、エッセイを論文または隨筆といふに同じで同じく純粹の文學表現 ( 理智からの思索ではなく、生活體感からの ある。なぜならアフォリズムといふ文學は、本質上にエッセイの一直覺的表現 ) に屬する文學なのである。つまり早く言へば、アフォ 種であり、エッセイをより簡潔に縮小したもの、印ち言〈ば珠玉エリズムはエッセイの一種なのである。ェッセイの一層簡潔に縮小さ れ、より藝術的、詩文的にエキスされた文學で、言はば「珠玉ェッ ッセイ 、小品工ッセイとでも言ふべき物であるからである。 セイ」とも呼ぶべきものなのである。 ェッセイが頭腦的思想の表現でなく、情操化した思想の表現であ アフォリズムは「箴言」でもなく「警句」でもない。ではなんと るやうに、それの短篇であるところのアフォリズムも、決して所謂 譯すべきだらうか。それが「珠玉・エッセイ」であるとすれば、エッ 「警句」の如く、單なる理智の反語的奇言を弄する文學ではない。 セイといふ語の譯語から考へて行かねばならぬ。ところが日本には 印ち。ハスカルのそれの如く、ニイチェのそれの如く、グールモン、 まだ、エッセイといふ語の適切な譯語がないのである。或る人はエ ポードレエル等のそれの如く、作者の體驗によって情操化し、モラ ッセイを「小論文」と譯してゐる。或はもっと漠然と、單に評論一 ル化し、直感化したところの詩的思想性を書く文學なのである。私 般をェッセイの名で呼んでる人々も居る。しかし考へる迄もなく、 自身の場合に於ても、過去に二三の書物を著はし、多くのアフォリ ズムを書いてゐるが、すべて自分の體驗から、日常生活の實感した元來ェッセイと論文とは別物である。論文理智の抽象的産物であ 思想性を書いたもので、決して單なる警句の如き、理智の頭腦的産り、したがって非文學的のものであるが、エッセイは主の體驗や 論物ではないことを公言して居る。とにかく今後の日本文壇には、か生活感情を主とした純文學的のものであり、且っその表現も藝術品 としての高い洗練を盡してゐる。 ( 西洋ではエッセイが文章讀本の うしたアフォリズムやエッセイやが、第に新興文學としての新し 手本にされてる。 ) ェッセイを論文と譯することは、如何に考へて い繁殖をするであらう。 も間ちがひである。それで或る人々は、エッセイを「隨筆」と譯し 9 の「小論文」などより遙かに優って適 てゐる。この方の譯語は、前 切である。たしかにエッセイは、日本の隨筆と同じ種類の文學形態 アフォリズムに就いて

9. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

313 詩 鐵鎖のつながれたる惱みをたえたり。 ( 動物園にて ) 本人たる者が、日本語に不便を感ずるなんて馬鹿な話はない。そん かうした詩句に於て、「凛烈」「斷絶」「忍從」「鐵鎖」等の漢語なこと考へるのは、お前の頭が異人かぶれをして居るからだと叱ら は、それの意味の上よりも、主として言葉の音韻する響きの上で、 れたが、後で考へて全くだと思った。つまり僕等の時代の日本人 壯烈なる意志の決斷や、鬱積した感情の憂悶やを、感覺的に強く表は、子供の時から西洋風の敎育を受け、半ば西洋化した文化環境に 現しようとしたのである。漢語がかうした詩情の表現に適するのは育った爲、文學上に於て思惟すること、感情することが、多くみな Danzetsu, Tessa, Ninju 等の如く、アクセンクチアルな促音と拗西洋人式になってるのである。然るに今の日本語は、文法上の構成 音とに富んでるからである。すべて言語は、促音や拗音の多いほどでも、言葉の發音の龍律上でも、依然として昔ながらの日本語であ 彈力性が強くなってくる。然るに純粹の日本語には、この子音の複る爲に、僕等の感情や思想やを表現する時、そこに根本的な矛盾と 數的變化といふものが殆んどなく、單一に母音と結びついて「い」 困惑とが生ずるのである。例へば喉が渇いた時、僕等は「水が欲し 「ろ」「は」と成ってるのだから、この點には甚だ單調で變化に乏し い」と言ふよりは、「欲しい、水が」と言ひたくなるやうなもので いのである。 ある。「欲しい」といふのは、エゴの感情の露骨な主張であり、こ 元來言へば、供は漢語と漢字の排斥論者である。なぜかと言へれが支那語や歐洲語では、最初に強く叫ばれるのである。そして僕 ば、明治以後に於けるそれの濫用 ( 特に飜案語の過度な濫造 ) から等の時代の日本人が、この外國流のエゴイズムと表情主義とに深く して、今の日本語がでたらめに混亂し、耳で聽くだけでは意味の通かぶれて居るのである。 じないやうな言葉、文字に書いて讀まなければ、語義を解しないと かうした現状から推察して、日本語の遠い未來は、文體上にも音 いふやうな、奇怪の視覺的一「ロ語になってしまったからである。こん龍上にも、よほど外國語に近く變化して來ると思ふ。しかし今日火 な日本語は實用上にも不便であるし、詩の韻律美を守るためにも有急の場合としては、漢語で間に合はして置く外にない。前に言ふ通 害である。この點の理念からして、僕はローマ字論者に七分通り同 、支那の言葉は本質的に西洋の言葉に似て居るのである。文法も 倩して居る。しかし殘りの三分だけ反對するのは、今日の場合とし ほぼ同じであるし、韻律の構成もほぼ似て居る。僕は今度『氷島」 て、日本語から漢語と漢字 ( 漢語は漢字で書かないと解らない、 の詩を書いて見て、漢語と獨逸語とがよく似て居るのに驚いた。ニ 「鐵鎖」をローマ字で Tessa と書いたのでは、何のことか解らな イチェは獨逸語を惡罵して、軍隊の號令語だと言って居るが、その い ) を除いてしまふと、後には促音のない平坦の大和言葉しか殘ら意志的で強い響きを持ってる所は、實際漢語とよく似て居る。それ なくなる。それでは『氷島』の詩やニイチェの詩のやうに、彈力的故に日本の軍隊では、今日でも専ら漢語を術語用とし、村を村落と 論な強い意志を持った情想が歌へなくなる。強ひて表現しようとすれ言ったり、橋を橋梁と言ったり、家を家屋と言ったりして居る。 ば、前に言ったプロレタリア自由詩の如く、壯士芝居的口調の政談「はし」と言ふよりは「キョウリョウ」と言ふ方が、拗音の關係で 演説をする外はない。しかし・ハケツの底を亂暴にひつばたくのは、 強く響き、男性的の軍隊氣風に合ふからである。 藝術上の意味の勇壯美でもなく悲壯美でもない。 要するに『氷島』の詩語は、僕にとっての自辱的な「退却」だっ つまり僕等の時代の日本人は、日本語そのものに不便を感じて居た。その點から僕は、この詩集を甚だ不面目に考へてる。その卷頭 るのである。僕はかってこのことを或る親戚の老人に話したら、日の序文に於て、一切の藝術的意圖を放棄し、ただ心のままに書いた

10. 日本現代文學全集・講談社版60 萩原朔太郎集

は、散文の音樂によって書いた詩といふ意味である。そしてこの言 今日の詩壇に於ける、この種の變態文學を總稱して、自分は「印 語は、韻文の音樂によって書かれる詩、印ち龍文詩と相對される。 象的散文」といふ名をあたへてる。なぜならそれは「散文詩」でな 「韻文詩」と「散文詩」と。二つの詩形は對稱される。しかしなが く、また況んや「散文で書いた詩」でもないからだ。言語の正しい ら共に、效果の音樂を求めるのは一である。音樂へのあこがれなし意味に於て、それは「詩」と呼ばるべき文學でない。むしろ却っ に、如何なる散文詩もなく文詩もない。否、詩それ自體の形式がて、それは小説等の尖端を行ってる文學である。すべての日本の小 ないのである。 説家等は、表現が規範とする最後のものを、彼等の印象的散文に學 ばなければならないだらう。なぜなら彼等の印象的散文は、レアリ 印象的散文は詩に非す ズムの文學表現が求めてゐる、美の最高の典術化を敎へてゐるか 文學は一つの線で兩斷される。時間的視野に立っ表現と、空間的ら。それは文學を空間の建築に地位させようと意志してゐる。描寫 視野に立っ表現と。前の者は音樂にあこがれて行き、後の者は美術の最も強いタッチが、おそらくは彼等の印象短文から、小説に向っ の表現に追從して行く。前 て指示するだらう。 冂の者は詩であり、後の者は小説である。 の者は「情象」し、後の者は「描寫」する。なぜなら情象は時間 彼等は小説家の先生である。しかしながら斷じて詩人の一族でな 上の主觀に存し、描寫は空間上の客觀に存するから。 く、詩人に屬すべき人々ではない。詩と印象的散文と、詩人と小説 それ故に詩が、時間を離れて空間の立場に移り、音樂を忘れて美家とは別々である。詩人は情象し、小説家は描寫する。そして彼等 の印象短文家は、常に小説家と共に描寫してゐる。彼等は情象する 術に行く時、そもそも根本に於て文學を失脚してゐる。或はもし、 一つの新しき文學であるか知れない。しかしながら斷じて、正統の世界を持たない。故にまた音樂を欲求しない、彼等の生れたる氣質 「詩」といふべきものではないのである。正しくそれは、小説や描や性格やが、初めから詩人に屬してないからである。彼等は「詩」 寫文學の中に沒落した、一個の邪道文藝にすぎないのである。 を持たない世界に住み、そこで詩とはちがった文學を創造してゐ 今日の詩壇に於て、僕等はこの種の變態文學を見せつけられてる。彼等は一つの英雄である。けれども詩人と天質がちがふところ の、別の世界の英雄である。 る。彼等の或る者は、自らそれを「散文詩」と呼び、或は「散文で 書いた詩」だと言ってる。だが散文詩の定義は前に述べた。音樂な 詩にける反動思想 き散文詩は考へられない。そして散文で書いた詩とは ? 散文が小 説等の散文であり、描寫を意味する散文ならば、だれが散文によっ 詩を音樂の流動から引き離して、美術の方に固形させようとする て詩を書き得るか。それでもし詩が書けるなら、詩は初めから小説思想は、遠く十九世紀の高踏派詩人に始まってゐる。高踏派の詩人 等の一種屬である。ち「詩」といふ文學はどこにもないのだ。若等は、多くみな學究的の詩學者だった。 ( 學者といふ人間は、概念 し別にあるとすれば、それは小説等と對立する詩でなくして、ひと を取り扱ふことに慣習してゐる。すべての學究的な趣味性は、美概 しく描寫文學の一種類に屬するものにすぎないたらう。そもそもこ 念の空間に配列し、流動を固形化しなければ承知しない。 ) その上 にも彼等は、前代の浪漫派詩人に反動して、散文壇の自然主義と提 ノの場合に於ては、散文で詩を書くといふ言語自身が、奇怪極まるノ 3 ンセンスである。 携しつつ、すべてのロマンチシズムを排撃すべく身構へてゐた。丁