水汲みに往來の袖の打ち觸れて散りはじめたる山吹の花 河豚しらず四十九年のひが事よ まをとめの病わらはにて植ゑしよりいく年經たる山吹の花 四十九年の非を知るとは論語にあるべし。「ひが事」の「ひ」の 歌の會開かんと思ふ日も過ぎて散りがたになる山吹の花 字は「非」にかゝりたるなり。 すけどの もんがくふぐ 我庵をめぐらす垣根隈もおちず啖かせ見まくの山吹の花 佐殿に文覺鰒をすめけり あき人も文くばり人も往きちがふ裏戸のわきの山吹の花 「比喩に墮ちてゐるから善く無い」とあれども此句の表面には比喩 春の日の雨しき降ればガラス戸の曇りて見えぬ山吹の花 無し。裏面には比喩の面影あるべし。 ガラス戸のくもり拭へばあきらかに寐ながら見ゆる山吹の花 無縁寺の夜は明けにけり寒ねぶつ である かんねぶつ 春雨のけならべ降れば葉がくれに黄色乏しき山吹の花 寒念佛といふのは無縁の聖靈を弔ふために寒中に出歩行く者なれ そ嶽んろまう 組笨鹵莽、出たらめ、むちゃくちゃ、いかなる評も謹んで受けば此句も無論寺の内で僧の念佛し居る様には非るべし。 ん。吾は只よ歌のやすノ、と口に乘りくるがうれしくて。 此村に長生多き岡見かな ( 三十日 ) 「老人が澤山來て岡見をしてゐる」のでは無く老人の多い目出たい 村を岡見してゐる事ならん。 病牀で繪の寫生の稽古するには、モデルにする者はそこらにある 附けていふ、碧梧桐近時召波の句を讀んで三歎す。余も未だ十分 4 い器か、さうでなければいけ花か盆栽の花か位で外に仕方が無の研究を得ざれども召波の句の趣向と言葉と共にはたらき居る事太 い。其範圍内で花や草を書いて喜んで居るとある時不折の話に、一祗蕪村儿董にも勝るかと思ふ。大祗蕪村一派の諸家共造詣の深さ測 っ二つの花などを畫いて繪にするには實物より大きい位に晝かなく るべからざる者あり。曉臺闌更白雄等の句遂に兒戲のみ。 ては引き立たぬ、といふ事を聞いて嬉しくてたまらなかった。俳句 ( 五月一日 ) を作る者は殊に味ふべき敎である。 ある人いふ勳位官名の肩書をふりまはして何々養生法などいふ杜 「寶船」第一卷第二號の召波句集小解を讀みて心づきし事一つ二つ撰の設をなし世人を毒するは醫界の罪人といはざるべからず、世に かみこ 紙子きて嫁が手利をほゑみぬ は山師流の醫者も多けれど只よ金まうけのためとばかりにて其方法 「老情がよく現はれてゐる」との評なれど余は此句は月並調に近きの無效無害なるは猶恕すべし、日本人は牛肉を食ふに及ばずなど言 ちょんまけれん 者と思ふ。 ふ牽強附會の説をつくり一寸舊弊家丁髷連を籠絡し、蜜柑は袋共に そりわん 反椀は家にふりたり納豆汁 食へとか、芋の養分は中よりも外皮に多しとか途方もなき養生法を 「古くなって木が乾くに從ひ反って來る」とあれども反椀は初より となへて人の腸胃を害すること驚き人ったる次第なり、故幽谷翁な 形の反った椀にて、古くなって反った譯には非るべし。 ども一時此説に惑ひて死期を早められたりと聞けり、とにかく勳位 あた曳めよ瓶子なからの酒の君 官名あるために惑はさるゝ人も多きにゃあらん。世人は藥劑官を醫 此句に季ありや。若し酒をあたゝむるが季ならばそれは秋季なる者の如く思ふ人あれど藥劑官は醫者に非ず、且っ其藥劑官の名さへ べし。或は連句中の雜の句などに非ずや。 十分の資格もなくて恩惠的にもらひたるもありといへばあてにはな せうは ( 二日 )
も田合の子よりは鈍で不器用である、たとへば半紙で帳面を綴ちさ 東京に生れた女で四十にも成って淺草の麒音様を知らんと云ふの 0 せて見るに高等科の生徒でありながら殆ど滿足に綴ぢ得る者は無がある。嵐雪の句に い。これには種々な原因もあらうが總ての事が發逹して居る東京の 五十にて四谷を見たり花の春 事であるから百事それえ、の機關が備って居て、田舍のやうに一人と云ふのがあるから嵐雪も五十で初めて四谷を見たのかも知れな い。これも四十位になる東京の女に余が筍の話をしたら其の女は驚 で何も彼もやるといふやうな仕組で無いのも其一原因であらう、こ れは子供の事では無いが余は東京に來て東京の女が魚の料理を爲し いて、筍が竹になるのですかと不思議さうに云ふて居た。此女は筍 も竹も知って居たのだけれど二つの者が同じものであると云ふ事を 得ざるを見て驚いた、けれども東京では魚屋が魚の料理をする事に なって居るからそれで濟んで行く、濟んで行くから料理法は知らぬ知らなかったのである。しかしこの女らは無智文盲だから特にかう のである、云々との話であった。道理のある話で餘程面白い。自分であると思ふ人も多いであらうが決してさう云ふわけではない。余 も田舍に住んだ年よりは東京に住んだ年の方が多くなったので大分が漱石と共に高等中學に居た頃漱石の内をおとづれた。漱石の内は 東京じみて來て田舍の事を忘れたが、成程考へて見ると田舍には何牛込の喜久井町で田圃からは一丁か二丁しかへだたってゐない處で でも一家の内でやるから雅趣のあることが多い。洗濯は勿論、著物ある。漱石は子供の時からそこに成長したのだ。余は漱石と二人田 も縫ふ、機も織る、絲も引く、明日は氏紳のお祭ちゃといふので女圃を散歩して早稻田から關ロの方へ往たが大方六月頃の事であった あらと らう、そこらの水田に植ゑられたばかりの苗がそよいで居るのは誠 が出刃庖丁を荒砥にかけて聊か買ふてある鯛の鱗を引いたり腹綿を つかみ出したりする様は思ひ出して見る程面白い。併し田舍も段々 に善い心持であった。此時余が驚いた事は、漱石は、我々が平生喰 ( 二十八日 ) ふ所の米は此苗の實である事を知らなかったといふ事である。都人 東京化するから仕方が無い。 しゆくばく 士の菽麥を辨ぜざる事は往々此の類である。若し都の人が一匹の人 ひな 間にならうと云ふのはどうしても一度は鄙住居をせねばならぬ。 其先生の又云ふには、田舍の子供は男女に限らす唱歌とか體操と ( 三十日 ) か云ふ課をいやがるくせがあるに東京の子供は唱歌體操などを好む 傾きがある、と云ふ事であった。これらも實に善く都鄙の特色をあ 僅かにでた南京豆の芽が豆をかぶったまゝで鉢の中に五つ許り竝 らはして居る。東京の子は活でおてんばで陽氣な事を好み田舍の ( 三十一日 ) 子は陰氣でおとなしくてはでな事をはづかしがると云ふ反對の性質んで居る。渾沌。 が既に萌芽を發して居る。かう云ふ風であるから大人に成って後東 ガ一フス玉に十二匹の金魚を人れて置いたら或る同じ朝に八匹一絡 京の者は愛嬌があってつき合ひ易くて何事にもさかしく氣がきいて ( 六月一日 ) 居るのに反して田舍の者は甚だどんくさいけれどしかし國家の大事に死んでしまった。無殘。 とか一世の大事業と云ふ事になると却て田舍の者に先鞭をつけられ 東京ッ子はむなしく其後塵を望む事が多い。一得一失。 此頃碧梧桐の俳句一種の新調をなす。其中に「も」の字最も多く 三十九日 ) 用ゐられる。たとへば 桐の木に鳴く鶯も茶山かな 碧梧桐
めに据ゑた處を手柄であると思ふやうになった。甘酒屋と初めに置といふが碧梧桐の選に人って居った。餘り平凡なる句を何故に碧梧 いたのは、丁度小説の主人公を定めたやうに、一句の主眼を先づ定桐が選びしかと疑はるゝのでよく / 、考へて見た末全く中七字が尋 めたのである。假に之を演劇に譬へて見ると今千兩役者が甘酒の荷常で無いといふ事が分った。普通には「夜店出したる」と置くべき を舁いで花道を出て來たといふやうな有様であって、其主人公はこを「夜店に出づる」とした處が變って居るのであった。「夜店出し たる」といへば只よ客覿的に京極の夜店を見て紙帳賣の出て居た事 れからどうするか、其位置さへ未だ定まらすに居る處だ。それが打 出の濱におろしけりといふ句で其位置が定〔まるので、演劇でいふを傍から認めたまでであるが「夜店に出づる」といへば稍よ主覿的 と、本舞臺の正面より稍よ左手の松の木蔭に荷を据ゑたといふやうに紙帳賣の身の上に立ち入って恰も小説家が自家作中の主人公の身 な趣になる。それから後の舞臺はどう變って行くか、そんな事はこ の上を叙する如く、紙帳賣のがはから立てた言葉になる。ち紙帳 こに論ずる必要はないが、兎に角おろしけりと位置を定めて一歩も賣になじみがあるやうな言ひかたである。之を演劇にたとへていふ ならば、幕があくと京極の夜店の光景で、其の中に紙帳賣が一人居 動かぬ處が手柄である。若し「おろしけり」の代りに「荷を卸す」 といふやうな結句を用ゐたならば、尚不定の姿があって少しも落著る、これは前の段に屡よ見てなじみになって居る菊五郞の紙帳賣で かぬ句となる。又打出の濱といふ語を先に置いて見ると、印ち「打ある、といったやうな趣になる。併し此句に就いては猶研究を要す ( 二十三日 ) 出の濱に荷を卸しけり肆酒屋」といふやうにいふと、打出の濱の一 小部分を現はすばかりで折角大きな景色を持って來たゞけの妙味は 七十三 なくなってしまふ。そこで先づ「甘酒屋」と初めに主人公を定め、 欽に「打出の濱に」と其場所を定め「おろしけり」といふ語で其場〇家庭の事務を減ずるために飯炊會瓧を興して飯を炊かすやうにし たならば善からうといふ人がある。それは善き考である。飯を炊く 所に於ける主人公の位置が定まるので、甘酒屋が大きな打出の濱一 かまど 面を占領したやうな心持になる。そこが面白い。演劇ならば其甘酒ために下女を置き竈を据ゑるなど無駄な費用と手數を要する。吾々 屋に扮した千兩役者が舞臺全面を占領してしまふたやうな大きな愉の如き下女を置かぬ家では家族の者が飯を炊くのであるが、多くの 快な心持になるのである。その心持を現はすのには、余が前に片輪時間と手數を要する故に病氣の介抱などをしながらの片手間には、 だと言ったやうな此句法でなければ、しまつがっかぬといふことに ちと荷が重過ぎるのである。飯を炊きっ又ある際に、病人の方に至 なって來る。さうなって來た序に、この「おろしけり」といふ詞も急な要事が出來るといふと、それがために飯が焦げ付くとか片煮え になるとか、出來そこなふやうな事が起る。それ故飯炊會瓧といふ 外に言ひやうもなき故に假に之を許すとして見ると、この甘酒屋の 句は、その趣味と言ひ、趣味の現はしかたと言ひ、古今に稀なる句ゃうなものが有って、それに引請けさせて置いたならば、至極便利 尺 ( 二十二日 ) 六であると迄感ずるやうになった。 であらうと思ふが、今日でも近所の食物屋に誂へれば飯を炊いてく れぬことはない。たま , ・ , 、にはこの方法を取る事もあるが、矢張昔 七十二 からの習慣は捨て難いものと見えて、家族の女どもは、それを厭ふ て成る可く飯を炊く事をやる。ひまな時はそれでも善いけれど、人 乃〇先日週報募集の俳句の中に 京極や夜店に出づる紙帳賣 手の少くて困るやうな時に無理に飯を炊かうとするのは、矢張り女
282 苦しき時は面會を斷る事もあるべし。其外場合によりて我儘をいひ學の書物を讀んだ事もなければ、又これから讀む事も出來ぬ。若し 指圖がましき事などをいふかも知れず。是等は前以て承知あらん事吾説が謬って居るならば、敎を聞きたいものである。 ( ニ十九日 ) を乞ふ。話の種は雅俗を間はず何にても話されたし。學術と實際と に拘らず各種専門上の談話など最も聽き度しと思ふ所なり。短册、 七十九 書畫帖など其他總て字を書けとの依賴は斷り置く。又面會日以外は 三十八日 ) 面會ぜずといふわけには非ず。 〇夏の長き日を愛すといへる唐のみかどの悟りがほなるにひきかへ 我はかび生ふる寢床の上にひねもす夜もすがら同じ天井を見て橫た 七十八 はることのつらさよ。立ちてはたらく人はしばらくの暇を得て晝寐 〇西洋の審美學者が實感假感といふ言葉をこしらへて區別を立てゝ の肱を曲けなんと思ふ頃、我は杖にすがりて一足二足庭の木の影を 居るさうな。實感といふのは實際の物を見た時の感じで、假感とい蹈まば如何にうれしからんと思ふ。されどせんなし。暑き日は暑き ふのは畫に畫いたものを見た時の感じであるといふ事である。こんに苦しみ雨の日は雨に苦しみ、いたづらに長き日を書も讀までぼん な區別を言葉の上でこしらへるのは勝手であるが、實際實感と假感やりとあれば、はては心もだえ息せまり手を動かし聲を放ち物ぐる と感じの有様がどういふ風に違ふか吾にはわからぬ。例へば。ハノフはしきまでになりぬるもよしなしゃ。此頃すこしく痛みのひまある マを見るやうな場合について言ふて見ると、パノ一ノマといふものは に任せて俳句など案じわづらふ程に古の俳人たちは斯かる夏の日を 實物と畫とを接續せしめるやうに置いたものであるから、之に對し 如何にして送りけんなど思ひっゞくれば、あら面白、其人々の境涯 て起る所の感じは實感と假感と兩方の混合したものであるが、其實あるは其宿の有様あり , , ( 、と眼の前に浮ぶま又にまぼろしを捉へ 物と畫との境界に在るもの印ち實物やら畫やら殆どわからぬ所のもて、一句又一句、十餘人十餘句を得てけり。試みに記して晝寐の目 ざまし草、茶のみ時の笑ひ草にもなさんかし。 のに對して起る所の感じは何といふ感じであらうか。若し畫に畫い てあるものを實物だと思ふて見たならば其時は畫に對して實感が起 芭蕉 るといふても善いのであらうか。又實物を畫と誤って見た時の感じ 破團扇夏も一爐の備へかな は何といふ感じであらうか。其時に實物に對して假感が起ったとい 其角 ふても善いのであらうか。さうなると實感が假感か、假感が實感か 肅山のお相手暑し晝一斗 少しも分らぬではないか。元來畫を見た時の感じを假感などと名付 けた所で、其假感なるものゝ心理上の有様が十分に説明してない以 の花散るや仕官の暇無き 丈草 上は議論にも成らぬことである。吾々が畫を見た時の感じは、種々 靑嵐去來や來ると門に立っ 複雜して居って、其中には實物を見た時の實感と、同じゃうな感じ 智月尼 も幾らかこもって居る。其外彩色又は筆力等の上に於て美と感ずる 義仲寺へ乙州つれて夏花摘 ゃうな感じもこもって居る。然るにそれを唯よ假感と名付けた所 で、どんな感じを言ふのか捕へ所の無いやうな事になる。吾は審美 園女
からう。若し此上さんに輻をやらなければをやるべき人間は外に分が惡くなったから只うつむいたばかりで首もあげぬ。早く内〈歸 ある筈は無い、此上さんが毎晩五錢づ、を貯金箱に入れる事にきめれば善いとばかり思ひつめて居る。車はズー / v¯ズー / \ 往た。暗 て居るのだが、せめてこれを十錢づにしてやりたいよ。すると共い森の間をズー / \ ズー / \ 過ぎた。何だか書生が都々逸を歌って 貯金がたまって後には金持に出世する。併し大鷲の意見と僕の意見居るのに出逢ったが、それもどこか知らぬ。ズー ~ 、ズー / \ 行く 中に餘りひどい音がしたので、今迄熱にうかされてうとうと乂して と往々衝突するから保證は出來ない。 = 一橋を出ると驚いた。兩側の店は檐のある限り提灯を吊して居居たやうな心持が破られた。首をあげて見ると新坂の踏切で汽車に ー / 、ズー / 、行く中に急に明り る。一一階一一一階の内は一一階一一一階の檐も皆長提灯を透間無く掛けて居逢ふたのであった。それから又ズ がさしたから、見ると右側に一面にスリガ一フスを入れた家がある。 る。それでまだ物足らぬと見えて屋根の上から三橋の欄干へ綱を引 いてそれに鬼灯提灯を掛けて居るのもある。どうも綺麗だ。何だか内側には灯が明るくついて居るので鉢植の草が三鉢程スリガラスに 愴快でたまらん。車は「揚出し」の前を過ぎて進んで往た。「雁鍋」影を寫してあざやかに見える、一つは丸い小さい葉で、一つは萬年 も「逹磨汁粉」も家は提灯に隱れて居る。瓦斯燈もあって電氣燈も靑のやうな長い葉で、今一つは蘭のやうな狹い長い葉が垂れて居 る。ゃう 7 ( 、床屋の前まで來たのであった。又曲った道をいくつも あって、鐵道馬車の灯は赤と綠とがあって、提灯は兩側に千も萬も あって、共上から月が照って居るといふ景色だ。實に綺麗で實に愉曲って、とう / 、内〈歸りついて蒲團の上〈這ひ上った。燈爐を燃 やして室は煖めてある。湯たんぼの湯も今取りかへたばかりだ。始 快だ。自分は此時五つか六つの子供に返りたいやうな心持がした。 そして母に手を引かれて歩行いて居る處でありたかった。そして兩めて生き返ったやうな心持になると直に提灯の光景が目の前に現れ 側の提灯に眼を奪はれてあちこちと見廻して居るので度々石につまて來る。横になって煖まりながらいろ / 、考〈て居たが、此家の檐 から庭の木から一面に球燈を釣って其下へ、團子屋鮓屋汁粉屋をこ づいて轉ばうとするのを母に扶けられるといふ事でありたかった。 そして遂には何か買ふてくれとねだりはじめてとう / ねだりおほしら〈て、そして此一一三間しかない狹い庭で園遊會を開いたら面白 ( 明治三十二年十二月 ) いだらうといふ事を考へついた。 せて其邊の菓子屋へはひるといふ事でありたかった。車は早や山へ 上りかけた。左には瓦斯の火で「烏又」といふ字が出て居る。松源 の奥には鼓がぼん / \ と鳴って居る。何となくこゝを見捨つるのが 殘り惜いので車を返せといはうと思ふたがそれも餘り可笑しいから いひかねて居ると車は一足二足と山へ上って行く。何か買物でもせ うかと思ふて、それで車返せといはうとしたが、一寸買ふ様な物が 無い。車は一足二足と又進む。いっそ山下から返れといはうと思ふ たがそれもと思ふて躊躇して居ると車は山を上ってしまふた。もう 病 提灯も何も見えぬ。もう仕方が無いとあきらめると、つめたい風が 明治廿八年五月大連灣より歸りの船の中で、何だか勞れたやうで ふか 昭森の中から出て電氣燈の光にまじって來るので、首卷を鼻迄かけて 2 見たが直に落ちてしまふ、寒さは寒し、急に背中がぞく , く、して氣あったから下等室で寢て居たらば、鱶が居る、早く來いと我名を呼 病
ふ。 右の端の障子には「にごり」と假名で書いてある。其次のは「さ 8 幻暗い丈夫さうな門に「質屋」と書いてある。これは昔からいやなけ」とあるらしいが、繩暖籬の陰になって居て分らぬ。其次のには 感じがする處だ。 「なべ」と書いてあって、最も左の端の障子には蛤の畫が二つ書い 竹垣の内に若木の梅があってそれに豆のやうな實が澤山なって居てある。「蛤」「なべ」といふ順序であるべきのが「なべ」「蛤」と るの . が車の上から見える。それが嬉しくてたまらぬ。 逆になって居るので不思議だとよく , ・見ると、どうも三枚の障子 狸橫町の海棠はもう大抵散って居た。色の褪せたきたない花が少があちらこちらにたて違へてあるやうであった。これが車上の觀察 しばかり葉陰に見える。 の中で最も精密な察であると獨り誇って居る。 仲道の庭櫻は若し咲いて居るかも知れぬと期して居たが、何處に 襤髏商人の家の二階の格子窓の前の屋根の上に反故籠が置いてあ もそんな花は見えぬ。却て其ほとりの大木に栗の花のやうな花の険って、それが格子窓にくゝりつけてある。何のためか分らぬ。 いて居たのがはや夏めいて居た。車屋に沿ふて曲って、美術床屋に はや鯉や吹拔を立てゝ居る内がある。五色の吹拔がへんぼんとひ 沿ふて曲ると、菓子屋、おもちゃ屋、八百屋、鰻屋、古道具屋、皆るがへって居るのはいさましい。昔の繪草紙を見ると城の中には必 變りは無い。去年穴のあいた机をこしらへさせた下手な指物師の店ず旗や吹拔が澤山立って居て愉快さうに美しさうであるが、吹拔を もある。例の爺さんは今しも削りあげた木を老眼にあてゝ覺束ない見ると直に昔のいくさを聯想するのが常だ。 見やうをして居る。 橫町を見るとこゝにも鯉がひるがへって居る。まだ遲櫻がきれい やっちや場の跡が廣い町になったのは見るたびに嬉しい。 に咲いて居る。 のぼり 坂本へ出るとこゝも道幅が廣がりか乂って居る。 何とかいふ芝居小屋の前に來たら、役者に贈った幟が澤山立って 二號の踏切まで行かずに左へ曲ると、左側に古綿などちらかして居た。此幟の色に就いてかねて疑があったから注意して見ると、地 居るきたない店がある。其店の前に腰掛けて居る三十餘りのふつくの色は白、藍、澁色などの類であった。 りと肥えた愛嬌のある女が胸を一ばいに現はして子供に乳を飮ませ 陶器店の屋根の上に棚を造って大きな陶器をあげてある。其最も て居る。子供は赤いちゃん / \ を著て居る。其傍に竝んで腰を掛け端に便器が落ちさうに立てかけてあるのが氣になる。 うまやばし て居るのが五十位の女で、此女がしきりに何かをしゃべって居るら 廐橋まで來た。橋の袂に水菓子屋があって林を横に長く竝べて しい。 あった。 其鄰は假面をこしらへる家で、庭の前の日向に、狐の面や、ひょ 橋の上に來て左右を見わたすと、幅の廣い水がだぶり / \ と風に っとこの面がいくつも干してある。四十餘りのかみさんは店さきにゆさぶられて居るのが、大きな壯快な感じがする。年が年中六疊の 横向に坐っていそがしさうに面を塗って居る。 間に立て籠って居る病人にはこれ位の廣さでも實際壯大な感じがす なづな 突きあたって右へ行く。二階の屋根に一面に薺の生えて居る家が る。舟はいくつも上下して居るが、帆を張って遡って行く舟が殊に むしろぼ ある。 多い。其帆は木綿帆でも筵帆でも皆丈が非常に低い。海の舟の帆に 突きあたって左へ行く。左側に繩暖籬の掛って居る家があって、 くらべると丈が三分の一ばかりしか無い。これは今までゞも斯うで 障子が四枚はまって居る。其障子の上の方に字が書いてある。最もあったのであらうが、今日始めて見たやうな心持がして、此短い帆
拙の又拙なる者なり。此勃的の句が何故に人口に膾災せしかは殆ふ故哉留の發句ににて留の第三を嫌ふ哉とい〈ば句切迫ればにてと ど解すべからずとい〈ども、我考にては敎訓の詩歌は文學者以外のは侍るとなり ( 略 ) 先師重て曰其角去來が辯皆理窟なり、我はたゞ 花より松の朧にて面白かりしのみなりと」 俗人間に傅播して過分の稱讚を受くる事間々これ有る習ひなれば、 芭蕉は法度の外に出でゝ自在に變化するを好みしかば、此句も 此句も其種類なるべしと思はる。且っ譬喩の俳句を以て敎訓に應用 かうし 「朧にて」と口に浮びしまゝ改めざりしものにして深意あるに非ず。 したるは恐らく此句が嚆矢なるべければ一層傅稱せられし者なら 何故に「にて」と浮びしやといふに、句解大成に「後鳥羽院の御製 ん。要するに此句は文學上最下等に位する者なり。 に 物いへば脣寒し秋の風 から崎の松のみどりも朧にて花よりつゞく春のあけぼの 此句の人に知らるゝは敎訓的のものなればなり。敎訓的のものな れば道德上の名句には相違なけれども、文學上にては左樣の名句と此歌の俤によれるにや」云々とあり。此歌の句調は芭蕉のロに馴れ も思はれず。併しながら俳句に敎訓の意を含めてこれ程に安らけくて、覺えず斯くは言ひ出だせしものならん。さすれば此句は此歌を さすが いひおほせたるは遉に芭蕉の腕前なり。木槿の句と同日の談に非翻案せしものなれども、翻案の拙なるは却て剽竊より甚しき者あ り。況して古歌なしとするも此句の拙は奈何ともし難きをや。是等 ず。 の句は芭蕉の爲に抹殺し去るを可とす。 あか / 、と日はつれなくも秋の風 春もやゝけしきとゝのふ月と梅 句解大成に云ふ、「暮秋の風姿言外にありて祖翁生涯二三章の秀 聞えたる迄にて何の譯も無き事ながら、中七字はいかにも蛇足の 逸と袖日記にも見えたり云々」 感あり。 又同書に云ふ、「つふね云、古歌に 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 三日月は梅にをかしきひつみかな 須磨は暮れ明石の方はあかアと日はつれなくも秋風そ吹く 荷分 きさらぎや二十四日の月の梅 是等の俤にもあるべし」云々。 へうせつ 曉臺 梅喙て十日に足らぬ月夜かな 已に此歌あれば芭蕉は之を剽竊したるに過ぎずして、此句は一文 など如何様にも言ひ得べきを、「けしきとゝのふ」とは餘りに拙き の價値をも有せざること勿論なり。然れども假りに此歌無きものと 見做し、此句は全く芭蕉の創意に出でたりとするも、獪平々凡々のわざなり。されどかうやうの言ひぶりも當時に在りては珍らかにを 一句たるに過ぎず。印ち「つれなくも」の一語は無用にして此句のかしかりぬべきを、後世點取となんいふ宗匠にとかう言ひ古され て、今は聞くもいまはしき程になりぬるもよしなしゃ。 たるみなり。むしろ 年々や猿に著せたる猿の面 あか / 、と日の入る山の秋の風 句解大成に日く「古注に云此句表に季とする處見えずと門人の問 雑とする方或は可ならんか。兎に角に此句を稱して芭蕉集中二三章の ひければ年々の詞年のはじめにはあらずやと云々」 秀逸となす事、返すえ \ も不埓なる言ひ分なりけらし。 からきき 一書に云「此句仕損じの句なりと、許六間師の上にも仕損じあり 辛崎の松は花より朧にて にて留り珍しければ諸書に此句を引用したり。去來抄に此句を論や、翁答て云、毎句有、仕損じたらむに何くるしみかあらむ、下手 2 じて日く「或人にて留りの難あらんやと云、共角答日にては哉に通は仕損じを得せずと」云々。 ぼっそっ
ふ名は何より得來りしか詳ならず。余臆測するに芭蕉初め李白の磊 とあり。且っ歿時の病は菌を喰ふてより起りしといへば必ナ胃弱の 人なりしに相違なしと。單に此手紙を以て大食の證となすは理由薄落なる所を欣慕し、李白といふ字の對句を取りて桃靑と名づけしに 弱なりと雖も、手紙は兎に角に余は鳴雪翁の説當を得たる者ならんは非ずや。後年には李白と言はすして杜甫を學びしゃうに見ゆれど と思ふなり。多情の人にして肉體の慾を他に伸ばす能はざる者、往も、其年猶壯にして檀林に馳驅せし際には勢ひ杜甫よりは李白を奪 びしなるべしと思はる。 往にして非常の食慾を有す。芭蕉或は共一人に非るを得んや。 一、平安朝以後日本の文學 ( 殊に韻文 ) は縁語、滑稽、理窟の範 一、芭蕉妻を娶らず。其他婦女子に關せる事一切世に傳はらず。 芭蕉戒行を怠らざりしか。史傳之を逸したるか、姑く記して疑を存圍内に陷りて七八百年の間、毫も此範圍外に超脱し眞成の文學的觀 念を發揮したる者なかりき。足利の末造德川の初世に至りては文學 す。 の衰頽其極に逹し、和歌も連歌も俳諧も和文も漢詩漢文も愈出で 一、後世の俳家芭蕉の手蹟を學ぶ者多し。亦以て其奪崇の至れる て愈よ拙なる者とはなりけらし。斯く永久の間暗雲に鎖されたる文 を見る。 運は、元祿以後に至りて漸く共光輝を發たんとはせり。俳諧に松尾 一、芭蕉の論述する所、支考等諸門人の僞作、又は誤俾に出づる 者多し。偶よ芭蕉の所説として信憑すべき者も亦幼穉にして論理に芭蕉出で、漢詩漢文に物部徂徠出で、和歌に鴨眞淵出で、和文に平 外れたる者少なからねど、さりとてあながち今日より責むべきに非宣長出で、以て各派の文學を中興し始めて我國に眞成の文學的觀念 あるを見るに至りしなり。 ( 連歌は此時より跡を絶ちぬ ) 而して此 ず。 一、芭蕉の弟子を敎ふる孔子の弟子を敎ふるが如し。各人に向っ數人の内最初に出で又改善に著手し、第一に其功業を成したるは實 に芭蕉となす。印ち日本文學の上に高尚超脱の文學的欟念を始めて て絶對的の論理を述ぶるに非ず、所謂人を見て法を説く者なり。 一、芭蕉嘗て戲れに許六が鼾の圖を畫く。彼亦頓智を有す。稍よ注入したる者は芭蕉なり。芭蕉豈一個の俳家を以て目すべきものな らんや。 萬能の人に近し。 西鶴、集林の作固より中興と稱するに足る。然れども今日より 一、天保年間諸國の芭蕉塚を記したる書あり。曾て共足跡の到り 見れば幼穉にして不完全なるを免れず。芭蕉、徂徠、眞淵等の し所は言ふを須たず、四國九州の邊土亦到る所に之れ無きは無し。 著作の今より見て猶奪敬を表するに足る者とは同日に論すべか 余曾て信州を過ぎ路傍の芭蕉塚を檢するに、多くは是れ天保以後の らず。 設立する所に係る。今日六十餘州に存在する芭蕉塚の數に至りては ( 明治一一十六年十一月ーー・一一十七年一月 ) 殆ど枚擧に勝へざるべし。 一、寬文中には宗房と言ひ延寶、天和には桃亠円、芭蕉と云ふ。い 談 離つの頃か自ら 發句あり芭蕉桃靑宿の春 といふ句を作れり。芭蕉とは深川の草庵に芭蕉ありしを以て、門人 刀などの芭蕉の翁と稱〈しより雅號となりしとぞ。普通に「はせを」 2 と假名に書く。書き續きの安らかなるを自慢せりといふ。桃靑とい
ぶれて關寺小町などを謠ひ居るさまを詠めり。零落せし人故に特 たり。されども理想を含みたる者必ずしも善からざるは前にも言 に關寺小町を取り合せたるなり。頭巾とはおちぶれし人の頭巾著 ひたる如し。況んや此句の如き格調の下品なる者は俳句とも言ひ て居るをいふなり。「うたふ頭巾かな」といふ續きにて頭巾著た 難き位なり。されどもはじめての作としては保存するも可なり。 人が謠ふとなること俳句に於て通例の句法なり。又頭巾といふ季 ゅめ模倣すべからざるものなり。俗には「三日見ぬ間の」と傅へ を結びたるは冬なれば人の零落したる趣に善く副ひ、又頭巾を冠 たれども矢張「見ぬ間に」と「に」の字の方よろし。「の」とす りて侘びたる様子も見ゆる故なり。 れば全く譬喩となりて味少く、「に」とすれば「櫻」が主となり 白雄 うちそむき木を割る桃の主かな 實景となる敵に多少の趣を生ずべし。 桃とは桃花のことにて春季なり。桃の主とは前後の模様にて考ふ 一、朝顏や紺に染めても強からず也有 れば樵夫か百姓などの類なるべし。木を割るとは薪を割るなり。 絲抔を紺に染むれば絲が強く丈夫になるとは俗に言ふ所なり。さ うちそむきとは桃の花を背にして木を割るといふ意なり。部景共 れど朝顏の花は紺色のものも矢張共朝限りの命にて強くもあらず まゝにして多少の野趣あり。 とおどけ興じたるなり。也有の句概ね此類なり。これ等も一寸を 一、時鳥鳴くや蓴菜の薄加減曉臺 かしみあれど初學の模倣すべきものにはあらず。 蓴菜は俗にいふじゅんさいにして此處にてはぬなはと讀む。薄加 一、御手討の夫婦なりしを衣がヘ蕪 減はじゅん菜の料理のことにして鹽の利かぬ様にする事ならん。 善く昔の小説にある筋を詠みたるなり。某の男おのが主人の娘又 さて時鳥と蓴菜との關係は如何と云ふに、關係と云ふ程のもの無 は腰元などに馴れ染めしが、いっしか其事主人の耳に入り不義は く只よ時候の取り合せと見て可なり。必ずしも蓴菜を喰ひ居る時 御家の御法度なりとて御手討になるべき處を、側の者が申しなだ に時鳥の啼き過ぎたる者とするにも及ばず。只よ蓴菜の薄加減に めて二人の命を乞ひたるならん。其後二人は夫婦となりて安樂に 出來し時と時鳥のなく時と略同じ時候なるを以て、此二物によ 暮らし居るさまを斯くはっゞりしなめり。衣がへは更衣とも書き り此時候を現はしたるなり。しかも二物ともに夏にして時鳥の音 て夏の初めに綿入を脱ぎ袷に著かふることをいふ。特に此句に更 の淸らなる蓴菜の味の澹泊なる處、能く夏の始の淸涼なる候を想 衣を用ゐたるは今は二人の者が世帶を持ちて平穩に暮らし居る事 像せしむるに足る。此等の句は取り合せの巧拙によりて略よ其句 を現さんがためにして、此等の言廻し取り合せなど總て老練の極 の品格を定む。 なり。人世の複雜なる事實を取り來りて斯く迄に詠みこなすこ 蝶夢 と、蕪村が一大俳家として芭蕉以外に一旗幟を立てたる所以な一、初雪やくばり足らいで比枝許り 初雪が降ることは降ったが餘り少量故何處も彼も降るといふわ り。因みに云ふ、此趣向は小説の上にはありふれたりと雖も、蕪 けには行かず、只比叡山の上ばかりに降ったといふことなり。 大村時代にはまだ箇様な小説はなかりしものなり、蕪村は慥かに小 配り足らぬとは初雪を擬人法にしてさういふなり。巧者な句とい 説的思想を有したり。 ふべし。 儿董 一、おちぶれて關寺うたふ頭巾かな 頭巾は冬季なり。關寺とは關寺小町といふ謠曲の名にして、小町一、砂川や枕のほしきタ涼み闌更 8 砂川に出で涼みて居れば涼しくもあり、且つは餘り砂川の淸らさ がおちぶれし後の事を綴りたるなり。昔はさるべき人の今はおち
之に入ることを得べし。一世の名譽に區々たる者の如きは終に此 一、折って後もらふ聲あり垣の梅沾德 期に入るを許さゞるなり。 といふ句は意匠卑俗にして取るに足らずと雖も、中七字のはたら きは俳句修學者の注意せざるべからざる所なり。餘所の垣根の梅一、第三期は卒業の期無し。入る事淺ければ百年の大家たるべく、 入る事深ければ萬世の大家たるべし。 を折って今や歸らんとする時、貰ひますよと一言の捨言葉を殘し たるを「もらふ聲あり」と手短かに言ひたる。さすがに老熟と見一、第二期は天稟の文才ある者能く業餘を以て之を爲すべし。第三 期は文學専門の人に非ざれば入ること能はず。 えたり。但此句の價値をいはゞ一文にもあたらず。 一、第二期は淺學なる者、懶惰なる者、猶能く之を修むべし。第三 一、絶頂の城たのもしき若葉かな蕪 期は勵精なる者、篤學なる者に非れば入る能はず。 句意は聞えたる迄なり。或は絶頂といふ漢語あるを見て窮策に出 でたりといひ、或はことさらに奇を好みたりといふ者あらん。然一、第二期は知らず / \ の間に入り居ることあり。第三期は自ら入 らんと決心する者に非れば入るべからず。 れども蕪村は奇を好まず、又窮策をも取らざるなり。特にこに 一、文學專門の人と雖も自ら誇り他を侮り研究琢磨の意なき者は第 いたゞきとはいはずして絶頂といひし所以の者は、「ぜっちゃう」 二期を出づる能はず。 といふ語調の強きがために山いよ / 、嶮なるを覺え、隨ってたの 一、一讀を値する俳書は得るに隨って一讀すべし。讀み去るに際し もしきといふ意ます ~ 、力を得て全句活動す可し。又若葉の候と て其書の長所と短所とを見るを要す。 定めたるも、初夏草木の靑々茂りて半ば城樓を埋めたる處は最も 城の堅固なるを感ずべし。若し冬季を以て城樓に結ば空城古城一、俳句につきて陳腐と新奇とを知るは最も必要なり。陳腐と新奇 とを判ずるは修學の程度によりて其範圍を異にす。俳句を見る事 の感を增すを以て、「たのもしき」といふ語は不適當となるべし。 愈よ多ければ其陳腐を感ずること隨って多かるべし。第二期に在 一、學生俳句に多くの漢語を用ゐて自ら得たりと爲すも、佶屈に過 る者初學の俳句を見れば只其陳腐なるを見る。第三期に在りて ぎて趣味を損する者多し。漢語を用ふるは左の場合に限るべし。 第二期を見る、亦此の如きのみ。而して能く新陳兩者の區別を知 漢語ならでは言ひ得ざる場合 るには多く俳書を讀むに如かず。 漢土の成語を用ふる場合 一、業餘を以て俳句を修する者、自己の句と古句の暗合するあるも 漢語を用ふれば調子よくなる場合 妨げず。只第三期に在る者は暗合を以て共陳腐を抹殺し得べき 一、現時の新事物は俳句に用ゐて可なり。但新事物には俗野なる者 に非ず。偶よ以て自己の淺學を證するのみ。 多ければ選擇に注意せざるべからず。 一、空想よりする者、寫實よりする者、共に熟練せざるべからず。 要 非文學的なる者をして成るべく文學的ならしむるの技倆も具備せ 大 第七修學第三期 ざるべからず。 一、空想と寫實と合同して一種非空非實の大文學を製出せざるべか 一、修學は第三期を以て終る。 らず。空想に偏僻し寫實に拘泥する者は固より共至る者に非るな 一、第二期に在る者已に俳家の列に人るべし。名を一世に擧ぐるが 2 如き亦難きにあらず。第三期は俳諧の大家たらんと欲する者のみ