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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集
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1. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

Z66 ふには寫眞を挿むやうになって居って、その寫眞は同じゃうなのが 四十七 一一枚竝べて貼ってある。これは一寸見ると同じ寫眞のやうであるが 〇此頃ホト、ギスなどへ載せてある寫生的の小品文を見るに、今少その實少し違ふて居る。一つの寫眞は右の眼で見たやうに寫し、他 し精密に叙したらよからうと思ふ處をさら / 、と書き流してしまふ の寫眞は同じ位置に居って同じ場所を左の眼で見たやうに寫してあ た爲に興味索然としたのが多いやうに思ふ。目的が其事を寫すにあるのである。それを眼鏡にかけて見ると、二つの寫眞が一つに見え たとひ る以上は假令うるさい迄も精密にか乂ねば、讀者には合點が行き難て、しかもすべての物が平面的でなく、立體的に見える。そこに森 い。實地に臨んだ自分には、こんな事は書かないでもよからうと思の中の小徑があればその小徑が實物の如く、奥深く歩いてゆかれさ ふ事が多いけれど、それを外の人に見せると、そこを略した爲に意うに見える。そこに石があればその石が一々に丸く見える。器械は 味が通ぜぬゃうな事はいくらもある。人に見せる爲に書く文章なら簡單であるが一寸興味のあるもので、大人でも子供でもこれを見出 ば、どこ迄も人にわかるやうに書かなくてはならぬ事はいふ迄もなすと、そこにあるだけの寫眞を見てしまはねば止めぬといふやうな い。或は餘り文章が長くなることを憂へて短くするとならば、それ事になる。遊び道具としては、まことに面白いものであると思ふ。 は外の處をいくらでも端折って書くは可いが、肝腎な目的物を寫すしかしこの寫眞を見るのに、二つの寫眞が一つに見えて、平面の景 處は何處迄も精密にかゝねば面白くない。さうして又其目的物を寫色が立體に見えるのには、少し伎倆を要する。人によるとすぐにそ すのには、自分の經驗を其儘客観的に寫さなければならぬといふ事の見やうを覺る人もあるし、人によると幾度見ても立體的に見得ぬ も前に屡よ論じた事がある。然るに寫生的に書かうと思ひながら却人がある。この雙眼寫眞を得てから、それを見舞に來る人ごとに見 せて試みたが、眼力の確かな人には早く見えて、眼力の弱い人印ち て概念的の記事文を書く人がある。是は無論面白くない。例を言へ ば米國に在る支那飯屋といふのを書く積りならば、自分が其支那飯近眼の人には、餘程見えにくいといふことがわかった。これによっ て余は悟る所があったが、近眼の人はどうかすると物のさとりのわ 屋へ往た時の有様を成るべく精密に書けば、それでよいのである。 然るに其方は精密に書かずに却て支那飯屋はどういふ性質のものでるいことがある、いはゞ常識に缺けて居るといふやうなことがあ る。その原因を何であるとも氣がっかすに居たが、それは近眼であ あるといふやうな概念的の記事を長々と書くのは雜報としてはよい けれども、美文としては少しも面白くない。まだ雜報と美文の區別 るためであった。近眼の人は遠方が見えぬこと、すべての物が明暸 を知らない人が大變多いやうである。同雜誌の一日記事の如きもたに見えぬこと、これだけでも普通の健全なる眼を持って居る人に比 だ簡單に過ぎて何の面白味もないのが多いやうに見える。是れは今すると既に半分の知識を失ふて居る。まして近眼者は物を見ること 少し思ひきって精密に書いたならば多少面白くなるだらうと思ふ。 を五月蠅がるやうな傾向が生じて來ては、どうしても知識を得る機 ( 一一十八日 ) 會が少くなる。近眼の人にして普通の人と同じゃうに知識を持って 居る人もないではないが、さういふ人は非常な苦心と勞力を以て、 四十八 その知識を得るのであるから、同じ學問をしても人よりは二倍三倍 の骨折りをして居るのである。人間の知識の八九分は皆視官から得 〇此頃賣り出した雙眼寫眞といふのがある。これは眼鏡が二つあっ てその二つの眼鏡を兩眼にあて又見るやうになって居る。眼鏡の向るのであると思ふと眼の惡い人は餘程不幸な人である。 うるさ

2. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

が調子の上に於て幾何の價値を有するか、將た之を從來の五七五調字、千字可なり、多々いよ / \ 可ならんのみ。 碧虚二人の論若し天下の韻交を焚き盡して世人をして散文にのみ に比して優劣如何と。 從事せしめんとの事ならば、幵は文學上の大問題にして俳諧などい 調子ばかりに就きて其優劣を較するは吾人の至難とする所なり。 へる小題目の下に論ずべき者に非ず。二人に此傾向あるは俳句の上 縱し其優劣を判じ得たりとするも、其調子と件ひ來る意味の如何に よりて多少の變動を免れず。詳に言はゞ甲の趣向にはイの調子を用に於て一斑を窺ふべしといへども、韻文、散文と迄に推し廣めては まさかに二人もたやすくは肯定する能はざるべし。 ふるを適當とし、乙の趣向にはロの調子を用ふるを適當とするが如 既に五七五的の句を厭ひて之を打破したるは其調子を厭ひたるに し。普通の場合にて見れば五七五調は幽玄、高古、冲澹、穩雅、自 然などいふべき趣向を詠するに適し、六七五、七七五、五八五、六因るなり。一の調子を厭ひながら他の調子を擇ばざるは散文に近か しうけい らしめんとするに似たり。既に散文的ならんとして二十三四字の 八五等の調子は雄壯、遒勁、奇警、莊重、活動などいふべき趣向を 詠ずるに適す。吾人は五七五調と六七五等の調との間に逕庭を置か内に局束せらる乂は全く文を離る乂能はざるなり。散文たるを得 ずして、調子と趣向と相適合したる時の調子はいづれなりとも佳なず、韻文たるを得ず、是れ何者をも創立せざるに非すや。吾人の臆 測を以てすれば所謂新調なる者は一時の現象に過ぎすして永く繁榮 りと思ふなり。 然れども此論は碧虚二人の新調 ( 調ばかりを云 ) にも適用すべきすることなかるべし。雎俳句の一變體として存在すべきのみ。若 論ならず。蓋し二人が五七五調を破りたるは事實なるも、二人はし此體にして俳句として存在することあらば、幵は今の新調が一變 して幾分か韻文に近よりたる後なり。其時には今の新調の句にして 只よ破壞したるのみにして末だ創造の功を奏せざるなり。見よ、二 人の長句は五七五より長しといふ迄の事にて一定の調子無きに非ず合格する者と合格せざる者を生するは當然にして、不合格の者は終 に變體として曉星の如く存するに過ぎざらん。若し此體にして散文 ゃ。是れ二人は德川時代の舊習を打破して未だ明治の新政府を建て 得ざるなり。二人或は自ら建て得たりとせん、世人の一部も之を是として存在することあらば、幵は幾百萬字もあるべき者を包含する 認する者あらん、吾人は之を是認する能はす。若し二人が強ひてあ散文の一小部分として存在するに過ぎざらん。進化か、退化か、消 る者を建て得たりとならば無政府を建て得たりともいふべきか、無減か、兎に角に今の所謂新調は永久なる能はじ。 ( 二月十五日 ) 政府を建て得たりとは謔語にして何も建て得すといふと同じきなか 句らんや。ち俳句を破壞して散文を創立したりといふことにして、 碧梧桐、虚子が新調を成して後の弊害は新調に僻するに在り。嗜 誰か二人が散文を創立したりといふことを許す者ぞ。 年 一定の形式を具〈ざる二人の調子が如何なる趣向に適せるかは固好の一轉せし時之に僻するは何事にも免れざる所にして、二人の之 九 十 より論ずべきにあらず。二人の調子が印象を明暸ならしめ、複雜なに僻するは寧ろ當然の事なるべし。傍觀者は又新奇の事に逢ふて異 る趣向を言ふに適せりともいはゞいふ可けれども、飛は調子の上の様の感を爲すが常なれば、新奇を以て滿たされたる者を見て人の之 に僻するが如く疑ふも亦ありうちの事實なり。前日吾人は二人の句 事に非ずして字數上の事なり。若し字數にのみ就いて言はゞ前の二 あに 四箇條に適合せしむるには字數の多きほど便利なるは論を竢たす。豈を見て痛く偏せりと思ひしが、今日にては其の偏せりとせし者をも 3 一一十餘字に限らんや。三十字可なり。四十字、五十字可なり。百左程に偏せりとは思はざるに至れり、今後亦測る可らず。然れども ( 十七 )

3. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

プイ 8 は略よ顯はれて居る。 は出來る事でない、實に驚くべき手腕である。 す製きはら 九番の右は四人で一箇の道中駕をかついで行くところで、駕の中 六番の右は薄原に侍が一人馬のロを取って牽いて居る處である。 此畫も薄の外に木も堤も何もないので、且っ其薄が下の方を少しあの人は馬鹿に大きく窮屈さうに畫いてある。何でもないやうである がそれだけの趣向を現はしたのが面白い。 けて上の方は畫けるだけつめてかいてあるので、薄原が廣さうにも あんま 十番の右は旅人が一人横に寢て按摩を取らしてをる處である。旅 見え、妻さうにも見え、爪先上りになって居るやうにも見える。そ こで侍も馬も畫面のなかばよりは稍よ上の方にかいてある。この畫人の枕元には小さな小荷物があり笠がある。共前には煙草盆があり の趣向は十分にわからぬけれど、馬には腹帶があって、鞍のない處煙草入れがある。頭巾を被った儘で頬杖を突いて目をふさいで居る のは何となく按摩の爲に心持の善さゝうな處が見える。按摩は客の などを見ると、侍が荒馬を押へて居る處かと思はれる。これが侍で まげ あって馬士でない所 ( それは髷と服裝と刀とでわかるが ) も面白い後ろ側より共の脚を揉んで居る。處で其右の眼だけは丸く開いて居 が、馬が風の薄にでも恐れたかと思ふやうな荒々しき態度のよく現る。而も左の眼はつぶれて居って口は左の方へ曲ってをる、此二人 あんどん ( 二十二日 ) の後の方に行燈が三つかためて置いてある。これは勿論灯のついて はれる處も面白い。 居る行燈では無からう、客の座敷に斯様の行燈が置いてあるといふ 事はいかにも貧しい宿であるといふ事を示して居る。 ( 二十三日 ) ( ッヅキ ) 七番の右は寧ろ景色晝にして岡傳ひに小さき道があって、 一筋は橋を 共道は二つに分れ、一筋は共岡に沿ふて左に行くべく、 渡って水に沿ふて左に行くべくなってをる。點景の人物は一寸位な 大きさのが三人あるばかりで、それは格別必要な部分を占めてをる ( ッヅキ ) 十一番の右は正面に土手を一直線に畫いてある。この一直 のではない。唯よ斯ういふやうな一寸した景色を此中に挿んだのが線に畫いてある處既に奇扱である。共土手の前面には小さな水車小 屋があって、作業がある。土手の上には笠を著た旅人が一人小さく 意匠の變化するところで面白い。 かご 八番の右は立場と見えて坊さんを乘せた駕が一梃地に据ゑてあ畫かれてある。かういふ景色の處は實際にあるけれども、畫に現は る。一人の雲助は何か餅の如きものを頬ばって居る。一人の雲助はしたものは外にない。 十二番の右は笠著た旅人が笠著た順禮に奉捨を與へる處で、順禮 錢の一さしを口にくはヘて其内の幾らかを兩手にわけて勘定してを はさみばこ る。共傍に挾箱を下ろして煙草を吹かしてをる者もある。更に右の が柄杓を突出して居ると、旅人は其歩行をも止めず、手をうしろへ 方には馬士が馬の背に荷物を附けるところで、其馬士の態度といまはして柄杓の中へ錢を人れて居る處は能く實際を現はして居る。 ひ、馬が荷物の重みを自分の身に受けこたへてをる心持といひ、其殊に其場所を海岸にして、蘆などが少し生えて居り、遠方に船が一 っ二つ見えて居る處なども、この平凡な趣向をいくらか賑やかにし 處の有様が實によく現はれてをる。共傍には尚一二人の人があって 何となく混雜の様が見えてをる。南岳の畫は人が大勢居っても共の て居る。 人は唯群集してをるばかりであるが文鳳の畫は人が大勢居れば其 十三番の右は景色畫でしかも文鳳特得の伎倆を現はして居る。場 大勢の人が一人々々意味を持って居る。此處らで見ても兩人の優劣所は山路であって、正面に坂道を現はし ( 坂の上には小さな人物が ひしやく

4. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

其名未だ人の知る所とならず、豈多少の慚愧無からんや。得意は爾 8 あやふ R が長く處るべきの地にあらず。長く處らば則ち殆し。如かず疾く失 意の郷に隱れ、失意の酒を飮み、失意の詩を作りて以て奥羽に呼號 せんには。而して後に詩境益よ進まん。往け。 附 此日部事印景を詠ずる者無慮一一百餘句、左に記する句は十の一を 擧ぐるのみ。 胞衣塚や櫻落葉の吹溜 同 菊活けて十の硯を備へけり 湧きあがる杣味噌の蓋や傾きぬ 自 1 五ロコ円 冷酒に始まり椀に終りけり す、き りうべっ 一口 送別の萩留別の芒かな 四方太 十五人十五の杣味噌分ちけり いっしかに焦げて柚味噌の釜の尻 虚子 掃きよせし落葉に雨の降り出しぬ 同 稻筵人の往來も見ゆるかな 各の醉ざめ顔や秋の雨 一口 崖下に田端が見ゆる芒かな 把栗 君を送って歸る人皆秋の暮 五城 山茶花にしぐれそめたる晝下り むしろ 靑々 山茶花の家を別の筵かな 露月 皆日く是より遠し秋の風 子規 山茶花や子供遊ばす芝の上 ( 明治三十一一年十一月 ) 一口 と、ぎす 一、時は明治卅一一年十月一一十一日午後四時過、處は保等登藝須發行 所、人は始め七人、後十人半、半はマー坊なり。 一、闇汁の催しに群議一決して、客も主も各よ物買ひに出づ。取り 殘されたる我ひとり横に長くなりて淋しげに人々の歸を待つ。 一、おくればせに來られし鳴雪翁、持寄りと聞いて、匇々に品買ひ に出で行きたまふ。出がけに「下駄の齒が出て來ても善いのです か」と諧謔一番。 一、一人歸り、一一人歸り直に臺所に人りて、自ら洗ひ自ら切る。時 にクスクスと忍び笑ふ聲、忽ちハ、、、、と、どよみ笑ふ聲。 一、準備出來る迄に一會催すべしとの議出づ。座上柘あり、を以 て題とす。鳴雪翁日く十句の時は屹度句が失せますと。果して然 一、飄亭、靑々後れて到る。物無く句無し。 一、一個の大鍋は座敷の中央に据ゑられ、鍋を圍んで坐する人九 人、伏す人一人、いづれも眼を圓くし、鼻息を荒くして鍋の中を賻 げい 睨す。鍋の中から仁木彈正でもせり上りさうな見えなり。ぬば王の 闇汁會はいよ / 、幕あきとなりぬ。 一、鳴雪翁日く、飯を喰ふて來て殘念しましたと。先づ椀を取って なみなみと盛る。それより右廻りに順を追ふて各よ盛る。廻って米 だ半に至らず鳴雪翁既に二杯目を盛る。曰く「實にうまいです」 一、盛るに從って杓子にか乂る者、靑物類はいふに及ばず、豚あ

5. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

幕を張って居る方の一人は下に居って幕の端を持ち、他の一人は梯 氏祭これより根岸蚊の多き 子に乘って高い處に幕をかけて居る。その梯子の下には草履があ ふみ 十 る。箒がある。蹈つぎがある。塵取がある。その塵取の中には芥が 〇前にもいふた南岳文鳳一一人の手競畫譜の繪について二人の優劣をはひって居る。實にこまかいものである。それで全體の筆數はとい ふと、極めて少いもので、二分間位に畫けてしまひさうな畫であ 判じて置いたところが、或人は之を駁して文鳳の繪は俗氣があって る。これらも凡手段の及ふ所でない。 南岳には及ばぬといふたさうな。余は南岳の繪はこれより外に見た 三番の右は川渡しの畫で、稍よ大きな波の中に二人の川渡しがお ことがないし、殊に大幅に至っては南岳のも文鳳のも見たことがな いから、どちらがどうとも判然と優劣を論じかねるが、併し文鳳の客を肩車にして渡って居る所である。こゝにも波と人との外に少し の陸地もかないのは、この川を大きく見せる手段であって前の舟 方に繪の趣向の豐富な處があり、且っ其趣味の微妙な處がわかって 居るといふことは、この一册の晝を見ても慥に判ずることが出來三艘の畫と其點が稍似て居る。其川渡しの人間は一人が橫向き で、一人が後ろ向きになって居る。其兩方の形の變化して面白い處 る。尤も南岳の繪も其全體の布置結構其他筆つきなどもよく働いて 居って固より輕蔑すべきものではない。故に終局の判斷は後日を待は實際の畫を見ねばわからぬ。 四番の右は何んの畫とも解しかぬるので評をはぶく。 っことしてこゝは手競畫譜にある文鳳のみの繪について少し批評 五番の右は例の粗筆で、極めて簡略にかいて居るが、其趣向は極 して見よう。 ( もとこの畫譜は餘齋の道中歌を繪にしたものとある からして大體の趣向は其歌に據ったのであらうが、こゝにはその歌めて復雜して居る。正面には一間に一間半位の小さい家をかいて、 其看板に「御かみ月代、代十六文」とかいてある。其橫に在る窓か がないので、十分にわからぬ ) この道中晝は大方東海道の有様を寫したものであらうと思ふ。且らは一人の男が、一人の髯武者の男の髯を剃って居る處が見える。 っ歌合せの畫を左右に分けて畫に寫したのであるから、左とあるの其窓の下には手箒が掛けてあって、其手箒の下の地面部ち屋外に びんたらひ は、鬢盥と手桶のやうなものが置いてある。今いふた窓が東向きの が凡て南岳の畫で、右とあるのが凡て文鳳の畫である。 其始めにある第一番の右は印ち文鳳の畫で、三艘の舟が、前景を窓ならば、それに接して折曲った方の北側は大方壁であって、其高 往來して居って、遙かの水平線に帆掛舟が一つある。其外には山もい處に小さな窓があけてあって、共窓には稗蒔のやうな鉢植が一つ 置いてある。其窓の横には「やもり」が一疋這ふて居る。屋根は板 陸も嶋も何もない。この埋向が已に面白い。殊に三艘の舟の中で、 ばかり 前にある一番大きな舟を苫舟にして二十人許も人の押合ふて乘って葺で、石ころがいくつも載せてある。かういふ家が畫の正面の大部 居る乘合船を少し沖の方〈かいたのが凡趣向でない。普通の繪かき分を占めて居って、共家は低い石垣の上に建てられて居る。其石垣 といふのは、小さな谷川に臨んで居るので、家の後ろ側の處に橋の 六ならば、必ずこの乘合船の方を近く大きく正面にしてかいたであら 一部分が見えて居る。それだからこの晝の場所を全體から見ると、 / 川にかけてある橋の橋詰に一軒の小さな床屋があるといふ處であ 二番の右は道中の御本陣ともいふべき宿屋で貴人のお乘込みを待 ち受けるとでもいふ・〈き處である。畫面には三人の男があって、其る。其趣のよいのみならず、これ程の組晝にこの場所から家の構造 から何から何まで悉く現はれて居るといふのは到底文鳳以外の人に 中一人は門前に水を撒いて居る。他の二人は幕を張って居る。その ( 十八日 )

6. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

なく引き出して見る。所感二つ三つ。 七 余は幼き時より畫を好みしかど、人物畫よりも寧ろ花鳥を好み、 複雜なる晝よりも寧ろ簡單なる畫を好めり。今に至って尚其傾向を〇左千夫曰ふ本人呂は必ず肥えたる人にてありしならむ。その 變ぜず、其故に畫帖を見てもお姫樣一人畫きたるよりは椿一輪畫き歌の大きくして逼らぬ處を見るに決して經的痩せギスの作とは思 たるかた興深く、張飛の蛇矛を携〈たらんよりは柳に鶯のとまりたはれずと。節曰ふ余は人麻呂は必ず痩せたる人にてありしならむと 思ふ。その歌の悲壯なるを見て知るべしと。蓋し左千夫は肥えたる らんかた快く感ぜらる。 畫に彩色あるは彩色無きより勝れり。墨畫ども多き畫帖の中に彩人にして節は痩せたる人なり。他人のことも善き事は自分の身に引 ばんりよくそうちゅうこういってん き比べて同じ様に思ひなすこと人の常なりと覺ゅ。斯く言ひ爭へる 色のはっきりしたる晝を見出したらんは萬綠叢中紅一點の趣あり。 呉春はしゃれたり、應擧は眞面目なり、余は應擧の眞面目なるを内左千夫はなほ自説を主張して必ず共肥えたる由を言〈るに對し て、節は人廱呂は痩せたる人に相違なけれども其骨格に至りては強 愛す。 しゆきゃう く逞しき人ならむと思ふなりと云ふ。余は之を聞きて思はず失笑せ 手競畫譜を見る。南岳、文鳳一一人の晝合せなり。南岳の晝は何れ あれい り。蓋し節は肉落ち身痩せたりと雖も毎日サンダウの唖鈴を振りて も人物のみを晝き、文鳳は人物の外に必ず多少の景色を帶ぶ。南岳 の畫は人物徒に多くして趣向無きものあり、文鳳の畫は人物少くと勉めて運動を爲すがために其骨格は發逹して腕力は普通の人に勝り も必ず多少の意匠あり、且っ共形容の眞に逼るを見る。もとより南て強しとなむ。さればにや人廬呂をも亦斯の如き人ならむと己れに 引き合せて想像したるなるべし。人間はどこ迄も自己を標準として 岳と同日に論ずべきに非ず 或人の畫に童子一人左手に傘の疊みたるを抱へ右の肩に一枝の梅他に及ぼすものか。 ぶんてう を擔ぐ處を畫けり。或は餘處にて借りたる傘を返却するに際して梅〇文晁の繪は七輻溿如意寶珠の如き趣向の俗なるものはいふ迄もな の枝を添〈て贈るにゃあらん。若し然らば晝の簡單なる割合に趣向く山水又は聖賢の像の如き繪を描けるにも尚何處にか多少の俗氣を は非常に複雜せり。俳句的といはんか、謎的といはんか、而も斯の含めり。崋山に至りては女郞雲助の類をさ〈描きてしかも筆端に一 點の俗氣を存せず。人品の高かりし爲にゃあらむ。到底文晁輩の及 如き晝は稀に見るところ。 ぶ所に非ず。 抱一の畫、濃艶愛すべしと雖も、俳句に至っては拙劣見るに堪へ ず。其濃艶なる畫に其拙劣なる句の讚あるに至っては金殿に反故張〇余等關西に生れたるものゝ目を以て關東の田舍を見るに萬事に於 て關東の進歩遲きを見る。只關東の方著く勝れりと思ふもの二あ りの障子を見るが如く釣り合はぬ事甚し。 り。日く醤油。日く味噌。 公長略晝なる書あり。齠に一草一木を畫き而も出來得るだけ筆畫 六を省略す。略畫中の略畫なり。而して此のうち幾何の趣味あり、幾〇下總の名物は成田の不動、佐倉宗五郞、野田の龜甲萬 ( 醤油 ) 。 牀 ( 十三日 ) 何の趣向あり。蘆雪等の筆縱横自在なれども却て此趣致を存せざる が如し。或は余の性簡單を好み天然を好むに偏するに因るか。 5 ( 十二日 ) 〇名所を歌や句に詠むには其場所の特色を發揮するを要す。故に未 はういっ は」・卩

7. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

( に ) 第三基 ( 基を置く ) ( は ) 第二基 ( 基を置く ) ( 一 ) 攫者の位置 ( 攫者の後方に網を張る ) ( 三 ) 短遮の位置 (ll) 投者の位置 ( 四 ) 第一基人の位置 ( 五 ) 第二基人の位置 ( 七 ) 場右の位置 ( 六 ) 第三基人の位置 ( 九 ) 場左の位置 ( 八 ) 場中の位置 直線いほ及びいへ ( 實際には線無し、或は白灰にて引く事あり ) は無限に延長せられたるものとし直角ほいへの内は無限大の競技場 ストライカー たるべし。但し實際は本基にて打者の打ちたる球の逹する處印 ち限界となる。いろはには正方形にして十五間四方なり。勝負は小 勝負九度を重ねて完結する者にして小勝負一度とは甲組 ( 九人の味 方 ) が防禦の地に立つ事と乙組 ( 即ち甲組の敵 ) が防禦の地に立っ 事との二度の半勝負に分る又なり。防禦の地に立っ時は九人各其 、三等の位置を取る。但し此位置は勝負中多少 専務に從ひ、一、 動搖することあり。甲組競技場に立っ時は乙組は球を打つ者等一二 人 ( 四人を越えず ) の外は盡く後方に控へ居るなり。 〇べ 1 スポ 1 ルの勝負攻者 ( 防禦者の敵 ) は一人づっ本基 ( い ) より發して各基 ( ろ、は、に ) を涌過し再び本基に歸るを務とす、 ホームイン 斯くして歸りたる者を廻了といふ。べースポールの勝敗は九勝負終 りたる後ち、各組廻了の數の總計を比較し多き方を勝とするなり。 例へば「八に對する二十三の勝」といふは乙組の廻了の數八甲組廻 了の數二十三にして甲組の勝なりといふ意なり。されば競技者の任 務を言へば攻者の地に立っ時は成るべく廻了の數を多からしめんと し、防者の地に立っ時は成るべく敵の廻了の數を少からしめんとす るに在り。廻了といふは正方形を一周することなれども其間には第 蘿一基第二基第三基等の關門あり、各關門には番人 ( 第一基は第一基 松 人之を守る第二第三皆然り ) あるを以て容易に通過すること能はざ るなり。走者 ( 通過しつある者 ) 或る事情のもとに通過の權利を 7 失ふを除外といふ。 ( 普通に殺されるといふ ) 審判官除外と呼べば アウト 走者 ( 又は打者 ) は直ちに線外に出でて後方の控所に入らざるべ からず。除外三人に及べば其の半勝負は終るなり。故に攻者は除外 三人に及ばざる内に多く廻了せんとし、防者は廻了者を生ぜざる内 に三人の除外者を生ぜしめんとす。除外三人に及べば防者代りて攻 者となり攻者イ 弋りて防者となる。此の如くして再び除外三人を生す れば部ち第一小勝負終る。彼れ攻め此れ防ぎ各防ぐ事九度、攻む る事九度に及びて全勝負終る。 〇べースポールの球べースポールには只よ一個の球あるのみ。而 して球は常に防者の手にあり。此球こそ此遊戲の中心となる者にし て球の行く處印ち遊戯の中心なり。球は常に動く故に遊戲の中心も 常に動く。されば防者九人の目は瞬時も球を離るゝを許さず。打 者走者も球を見ざるべからず。傍観者も亦球に注目せざれば終に共 要領を得ざるべし。今尋常の場合を言はゞ球は投者の手に在りて 只よ本基に向って投ず。本基の側には必ず打者一人 ( 攻者の一人 ) 棒を持ちて立つ。投者の球正當の位置に來れりと思惟する時は ( 印 ち球は本基の上を通過し且つ高さ肩より高からず膝より低からざる 時は ) 打者必ず之を撃たざるべからず。棒球に觸れて球は直角内に フェアポール 落ちたる時 ( 之を正球といふ ) 打者は棒を捨て乂第一基に向ひ一 ストライカー 直線に走る。此時打者は走者となる。打者が走者となれば他の打 者は直ちに本基の側に立つ。然れども打者の打撃球に觸れざる時は 打者は依然として立ち、攫者は後 ( 一 ) に在りて其球を止め之を投 者に投げ返す。投者は幾度となく本基に向って技ずべし。此の如く して一人の打者は三打撃を試むべし。第三打撃の直球 ( 技者の手を 離れて米だ土に觸れざる球をいふ ) 棒と觸れざる者攫者能く之を攫 し得ば打者は除外となるべし。攫者之を攫し能はざれば打者は走者 となるの權利あり。打者の打撃したる球空に飛ぶ時 ( 遉近に關せ ず ) 共球の地に觸れざる前之を攫する時は ( 何人にても可なり ) 共 ( 七月一一十三日 ) 打者は除外となる。 ストライカー インニング

8. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

8 2 3 望夫臺に登れば長し春の雲 無事庵 昨年の俳壇大略右の如し。今年の俳壇果して如何。吾人は只よ刮 牡丹伐って蜂にさ乂れし小僧かな 同 目して之を見んのみ。 ( 三月十五日 ) 此秋は彼岸日和のつゞきけり 付己 のどかさや鶴九皐に舞ひ上る 叟柳 若竹や我に茶室の好みなし 同 同 黒谷の方は月夜を霰ふる 明治二十九年の俳句界 ( 六 ) の中に「知識を交へたる美が果して 釣鐘に花の夕日のあたりけり 最上の美なるか否か之を知らず」とありしを知識を交へたるの語は 一口 ともし火に雨の牡丹の大きさよ 語弊あり、改むべしと注意せし人あり。此説穩當なり。吾の意は印象 同 落つる日や秋の蝿鳴く檜木原 明暸といふ事の殆ど全く知識を用ゐざるに反して餘韻といふ事の多 村と見えて雪の野末の煙りけり 繞石 少知識を用ふるを言ひし者にして、普通の人は知識を交へたる者を 同 思はずの村へ出でたり薄山 喜ぶ傾向ある故斯く述べたるなり。されど知識的といふ語を理窟的 石壇や椎の實はらりノ、落っ 同 といふが如く知識の程度多き場合に用ゐ來りたれば、こ又に用ふる 雪の折戸あくれば雀さっと飛ぶ 四方太 は語弊なしとせず。 月更けて雁鳴く海の廣さかな 愚哉 同 ( 八 ) の終りに「餘龍を主張する人の説を見るも共佳とする處 燒茨晝顏険いて荒れにけり 愛櫻子 は凡そ餘韻五迄の間に在るが如し。吾人の佳とする區域は之に倍す」 泥龜の氷の上を這ふて居る 秋竹 とあるを疑ふ人あり。餘韻五迄とは餘韻十より餘韻五迄を取るの意 蒲團短し足袋はいて寢ねるべく なり。之に倍すとは餘韻十より餘韻一迄を取るの意なり。 ( 但し餘 同 名月や杉の上なる塔の尖 韻少きときは印象明暸を要す ) 餘部家は印象如何に明暸なりとも餘 其他の人吾人の知るばかりにても一々に論ずるに暇あらず。漏れ 少ければ取らざるなり。 たる人も多きに他日或は之を紹介するの機あらん。 同 ( 六 ) の終りに「時間は空間の變動に因りて始めて知覺せらる 要するに昨年に於ける俳壇の諸子は著く進歩せり。併し一個人の べき者にして、時間を現さんとせば是非とも空間を現さゞるべから 進歩は何れの年にもあることにして昨年に限りたるに非ず。昨年にず」とあるを哲理に反けりと或る人の注意せしは尤もなり。時間は 限りたる俳句の進歩は調子の上に新調の生れ出でたると、趣向の上空間の變動に因りて始めて知覺する者ならず、知覺の字は誤にして に印象明暸なる者、時間を含みたる者、人事を詠じたる者多くなり「知覺せらるべき」とあるは「實にせらるべき」とでも書くべき處 し等なり。一昨年にかありけん、吾人の俳句に天然多く人事少きをなりしなり。それにしても猶こ又には粗漏の罪免れ難し。そは主観 難じたる人あり。吾人は當時俳句に人事の賦し難き所以を論じたるのみにて能く時間を現し得べき事を言ひ漏らしたるなり。 事ありしが、昨年に於ける人事句の發生は事實の上に於て吾人の論 永き日のつもりて遠き昔かな 蕪村 を打ち消したるなり。只よ其の人事句は舊來の五七五調の形を假らの如き其一例なり只よ斯の如き句は稀にありて常にあらず。其他 ずして他の新しき形を以て現れたる者なることを忘るべからず。 0 文學」 = も然り常」あ 0 ざ 0 故」思 0 漏 0 」、なり。常」あ 一口 同 一三ロ くわっ

9. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

214 かんばん ぶ者があるので、はね起きて急ぎ甲板へ上った。甲板に上り著くと を見まはして見ると、五六十人も居る廣い室内に殘って居る者は自 同時に痰が出たから船端の水の流れて居る處へ何心なく吐くと痰で分一人であった。自分も非常に嬉しかったから、そろノ \ と甲板へ は無かった、血であった。それに驚いて、鱶を一目見るや否や階子出た。甲板は人だらけだ。前には九州の靑い山が手の屆く程近くに はげやま を下りて來て、自分の行李から用意の藥を取り出し、それを袋のまある。共山の綠が美しいと來たら、今迄兀山ばっかり見て居た目に ろくしゃう まで著て居る外套のカクシへ押し込んで、さうして自分の座に歸つは、日本の山は綠靑で塗ったのかと思はれた。こゝで檢疫があるの て靜かに寢て居た。自分の座といふのは自分が足を伸ばして寢るだで此夜は碇泊した。共夜の話は皆上陸後の希望ばかりで、長く戦地 けの廣さで、同業の新聞記者が十一人頭を竝べて居る。自分等の頭に居た人は、早く日本の肴が喰ひたい、早く日本の蒲團に寢たい、 さじき の上は假の棧敷で、そこには大尉以下の人が二三十人、いつも大聲などいって居る、早く細君の顏が見たいと思ふて居るのも二人や で戦の話か何かして居る。共棧敷といふのは固より低いもので一下三人はあるらしい。翌日は彦嶋へ上って風呂にはひった。著物も消 に居る自分等がやう / 、坐れる位のものだから、呼吸器の病に罹っ毒してもらふた。此日は快晴であったが、山の色は綺麗なり、始め て居る自分は非常に陰氣に窮屈に感ぜられる。血を咯く事よりも此て白い砂の上を歩行いたので自分は病氣の事を忘れる程愉快であっ 天井の低い事が一番いやであった。此船には醫者は一人居たがコレ た。愉快だど、と、いはぬ者は一人も無い。中には此きたない船に ラの藥の外に藥は無いさうだ。固より病人の手あてなどしてくれる コレ一フの無かったのは不思議だ、などゝいふて喜んで居る者もあ はしけ 船では無いから、時々カクシの藥を引き出しては獨り呑んで見るける。併し此喜びと愉快が三時間とは續かなんだ。三四艘の艀は我々 れど、血はやはりとまらぬ。もっとも著物は洋服一枚著たきりで日 を載せて前後して本船に歸ってから、まだ幾分時もた乂ぬに、何や 本服などは無い、外套も引っかけたま乂で寢て居るのである。航海ら船中に事が起ったらしい。甲板を走る靴の音は忙しくなって、人 中の無聊は誰も知って居るが、自分のは無聊に心配が加はって居る人の言ひ罵る聲が聞える。或は誰かゞ誤って海中へ落ち込んだでも ので、只早く日本へ著けば善いと思ふばかりで、永き夜の暮し方にあらうか、など想像して居る中に、甲板から下りて來た人が驚くべ 困った。時々上の棧敷で茶をこぼす、それが板の隙間から漏りて下き報知を持ち來した。それは此船に乘って居た軍夫が只今コレ一フで に寢て居る人の頭の邊へポチ / 、と落ちて來る、下の人が大きな聲死んだ、といふことであった。之を聞くと自分の胸は非常な動悸を で、何かこぼれますよ、と怒ったやうにいふ、上の人が、ア、さう 打ち始めて容易に靜まらぬ。周圍は忽ちコレラの話となってしまふ ですか失敬々々、などゝいふ。こんな問答でもあると其間だけ氣が た。只此後の處分がどうであらうといふ心配が皆を惱まして居る内 かなへ 紛れて居るが、そんな事も度々は無い。退屈の餘り凱旋の七絶が出に、一週間停船の命令は下った。再び鼎の沸くが如くに騒ぎ出し 來たので、上の棧敷の板裏へ書きつけて見たが、手はだるし、胸はた。終に記者と士官とが相談して二三人づゝの總代を出して船長を 苦し又遂に結句だけ書かずにしまった。その内にも船はとまって居責める事になった。自分も氣が氣でないので寢ても居られぬから彌 るのでもないから其次の日であったか又次の日であったのか午前に欽馬でついて往た。船長と事務長とをさんみ、窮追したけれど既往 日本の見えるといふ處迄來た。日本が見える、靑い山が見える、との事は仕方が無い。何でも人夫どもに水を飮ませるのが惡いといふ いふ喜ばしげな聲は處々で人々のロより聞えた。寢て居る自分も此ので、水瓶の處へ番兵を立てる事になった。自分は足がガク / 、す 聲を聞いて思はずほゝ笑んだ。午後には馬關にはひった。此時室内るやうに感ぜられて、室に歸って寢ると、やがて足は氷の如く冷え

10. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

では昔から寫生といふ事を甚だおろそかに見て居った爲に、晝の發〇ある人のいふ所に依ると九段の靖國の庭園は瓧殿に向って右 逹を妨げ、又文章も歌も總ての事が皆進歩しなかったのである。その方が西洋風を摸したので檜葉の木が或は丸く或は鋒なりに摘み入 れが習慣となって今日でもまだ寫生の味を知らない人が十中の八九れて下は綺麗な芝生になって居る。左側の方は支那風を摸したので である。畫の上にも詩歌の上にも、理想といふ事を稱へる人が少く桐や竹が植ゑてある。後側は日本固有の浩り庭で泉水や築山が拵へ てある。斯ういふ風に庭園を比較したとはいふものゝ甚だ區域が狄 ないが、それらは寫生の味を知らない人であって、寫生といふこと いので十分に其特色を發揮する事が出來て居らぬ。そこで此庭園に を非常に淺薄な事として排斥するのであるが、其の實、理想の方が 餘程淺薄であって、とても寫生の趣味の變化多きには及ばぬ事であ就いても人々によって種々の變った意見を持って居って、これが訷 る。理想の作が必ず惡いといふわけではないが、普通に理想として瓧である以上は々しき感じを起させる爲に瓧殿の周圍に澤山の大 顯れる作には、惡いのが多いといふのが事實である。理想といふ事木を植ゑねばならぬなどといふ人もある。けれどもそれは昔風の考 は人間の考を表すのであるから、其の人間が非常な奇才でない以上へであって、社であるから必すしも大木が無ければならぬといふ は、到底類似と陳腐を免れぬゃうになるのは必然である。固より子事はない。二十年程前に余が始めて東京へ來て靖國紳社を一見した 供に見せる時、無學なる人に見せる時、初心なる人に見せる時など時の感じを思ひ起して見ると、外の物は少しも眼に人らないで、綺 には、理想といふ事が其人を感ぜしめる事が無い事はないが、略よ麗なる芝生の上に檜葉の木が綺麗に植ゑられてをるといふ事がいか 學問あり見識ある以上の人に見せる時には非常なる偉人の變った理にも愉快な感じがしてたまらなかったのである。勿論それは子供の 時の幼稚な考へから來た事であるけれども、併し世の中の人は幼稚 想でなければ、到底其の人を滿足せしめる事は出來ないであらう。 な感じを持って居る方が八九分を占めて居るのであるから、今でも 是れは今日以後の如く敎育の普及した時世には免れない事である。 之に反して寫生といふ事は、天然を寫すのであるから、天然の趣味昔の余と同じ様にこの西洋風の庭を愉快に感ずる人が屹度多いであ が變化して居るだけ其れだけ、寫生文寫生畫の趣味も變化し得るのらうと思ふ。其故に若し靖國瓧の庭園を造り變へるといふ事があ ったら、いっそ西洋風に造り變へたら善からう。まん丸な木や、圓 である。寫生の作を見ると、一寸淺薄のやうに見えても、深く味へ ば味ふ程變化が多く趣味が深い。寫生の弊害を言へば、勿論いろい錐形の木や、三角の芝生や、五角の花畑などが幾何學的に井然とし ろの弊害もあるであらうけれど、今日實際に當てはめて見ても、理て居るのは、子供にも俗人にも西洋好きのハイカ一フ連にも必す受け 想の弊害ほど甚しくないやうに思ふ。理想といふやつは一呼吸に屋るであらう。固より造り様さへ旨くすれば實際美學上から割り出し た一種の趣味ある庭園ともなるのである。東京人の癖として、公園 根の上に飛び上らうとして却て池の中に落ち込むやうな事が多い。 寫生は下淡である代りに、さる仕損ひは無いのである。さうして平は上野の様なのに限るといふ人が多いけれども、必ずしも上野が公 六淡の中に至味を寓するものに至っては、其妙實に言ふ可からざるも園の模範とすべきものであるとは定められない、日比谷の公園など も廣い芝生を造って廣ツ。ハ的公園としても善いではないか。無暗矢 のがある。 ( 二十六日 ) 鱈に木ばかり植ゑて一寸散歩するにも鼻を衝く様な窮屈な感じをさ せるが公園の目的でもあるまい。 ( 二十七日 ) 四十六