0 0 0 逢蓬峯は「ほうーにして降絳は「こう . なり。終りの處少し違へ は角に刀に牛なり。牛の字を井に誤るが多し。 漢字度止論のある此頃斯る些少の誤謬を正すなど愚の至なりと笑 姫 ( ひめ ) の字のつくりは臣に非ず。 ふ人もあるべし。されど一日なりとも漢字を用ゐる上は誤なからん 士と土、爪と瓜、岡と罔、齊と齋、戊と成、此等の區別は大方知 を期するは當然の事なり。況んや國文に漢字を度するも漢字は永久 に滅びざるをや。但斯かる事は數十年慣れ來りし誤を一朝に改めんらぬ人もなけれど商 ( あきなひ ) と商 ( 音テキ ) 、班 ( わかっ ) と とすれば非常に困難を覺ゆれど初め敎へらるゝ時に正しき字を敎へ斑 ( まだら ) の區別は猶知らぬ人少なからず。 以上擧げたる誤字の中にも古くより書きならはして一般に通ずる 。、學校の先生たち成るべく正し こまるれば何の困難もなき事なり月 ( 四日 ) 者は必ずしも改むるにも及ばざるべし。但甲の字と乙の字と取り違 き字を敎へたまへ。 へたるは是非とも正さゞるべからず。 甲の字と乙の字と取り違へたる場合は致し方なけれど或る字の晝 誤り易き字左に 段鍛は「たん」にして假蝦鰕霞遐は「か」なり。段とと扁もつを誤りたる場合は之を印刷に附する時は自ら正しき活字に直る故印 カうき 刷物には誤字少き譯なり。蓋し活字の初は康黒字典によりて一字一 くりも異なるを混同して書く人多し。 字作りたりといへば活字は極めて正しき者にてありき。然るに近來 蒹葭は「あし」「よし」の類なるべし。葭簀張の葭も同字なり。 然るに近頃葮の字を用ゐる人あり。後者は字引に「むくけ」とある出來たる活字は無學なる人の杜撰に作りしものありと見えて往々僞 字を發見する事あり。せめては活字だけにても正しくして世の惑を はたしかならねど「よし」にあらざるは勿論なり。 ( 五日 ) 「おき」は沖なり。然るに此頃は二水の冲の字を用ゐる人多し。兩增さゞるやうしたき者なり。 字とも水深の意なきにあらねど我邦にて「おき」の意に用ゐるは字 自分は子供の時から湯に入る事が大嫌ひだ。熱き湯に人ると體が 義より來るに非ずして寧ろ水の眞中といふ字の組立より來るに非る くたびれて其日は仕事が出來ぬ。一日汗を流して勞働した者が勞働 か。 くたびれ がすんでから湯に入るのは如何にも愴快さうで草臥が直るであらう 汽車の汽を汽と書く人多し。字引に汽は水气也とあるを澤翁の と思はれるが其他の者で毎日のやうに湯に行くのは男にぜよ女にせ 見つけ出して譯字に當てたるなりと。汽の字あれど意義異なり よ必ずなまけ者にきまって居る。殊に楊枝をくはヘて朝湯に出かけ 四の字の中は片假名のルの字の如く右へ曲ぐるなり。讀贖などの るなどといふのは墮落の極である。東京の錢湯は餘り熱いから少し つくりの中の處も四を書くなり。されど賣の字の中の處は四の字に 滴非ず。右〈曲ぐる事なく眞直に引くなり。いさゝかの事故どうでもぬるくしたら善からうとも思ふたがいっそ錢湯などは罷めてしまふ て皆々冷水摩擦をやったら日本人も少しは活になるであらう。熱 一よけれど只よ讀 ( とく ) のつくりが賣 ( ばい ) の字に非ることを知 じゅくし い湯に醉ふて熟梼のやうになって、あ又善い心持だ、などといふて るべし。 奇の字の上の處は大の字なり。奇の字を字引で引かんとならば大居る内に日本銀行の金貨はどん , ・と皆外國へ出て往てしまふ。 の部を見ざるべからず。されど立の字の如く書くも古き代よりの事 なるべし。 0 0 ・つさん ( 六日 )
他の一種は外國語にある音にして我邦に無き者を書きあらはし得誠に少く、新聞雜誌に出たる他人の句を五文字ばかり置きかへて何 6 る新字なり。 知らぬ顏にて又新聞雜誌へ投書するなり。 一例を擧げていはゞ 此等の新字を作るは極めて容易の事にして殆ど考案を費さずして 〇〇〇〇〇裏の小山に上りけり 出來得べしと信ず。試にいはんか朱の假字は「し」と「ユ」又はといふ十二字ありとせんに初五に何にても季の題を置きて句とする 「ゆ」の二字を結びつけたる如き者を少し變化して用ゐ、著の假字 なり。「永き日の」「のどかさの」「霞む日の」「爐塞いで」「櫻疾く」 は「ち」と「ヨ」又は「よ」の二字を結びつけたるを少し變化して 「名月や」「小春日の」等其外如何なる題にても大方つかぬといふは 用ゐるが如く此例を以て他の字をも作らば名は新字といへども其實無し。實に重寶なる十二字なり。或は 舊字の變化に過ぎずして新に新字を學ぶの必要もなく極めて便利な 灯をともす石燈籠や〇〇〇〇〇 るべしと信ず。又外國音の方は外國の原字を其儘用ゐるか又は多少といふ十二字を得たらば「梅の花」「絲柳」「絲櫻」「春の雨」「タ涼 變化して之を用ゐ、五母音の變化を示すためには速記法の符號を用み」「庭の雪」「タ時雨」など其外様々なる題をくっ又けるなり。或 は ゐるか又は拗音の場合に言ひし如く假字をくっ乂けても可なるべ し。とにかくに仕事は簡單にして容易なり。且つ新假字增補の主意 廣目屋の廣告通る〇〇〇〇〇 は、強制的に行はぬ以上は、誰一人反對する者なかるべし。余は一一 といふ十二字ならば「春日かな」「日永かな」「柳かな」「櫻かな」 三十人の學者たちが集りて試に新假字を作り之を世に公にせられん「暖き」「小春かな」などを置くなり。これがためには豫てより新聞 ( 十一日 ) 事を望むなり。 離誌の俳句を切り拔き置き、いざ句作といふ時にそれをひろげてあ ちらこちらを取り合せ十句にても百句にても立どころに成るを直に 不平十ケ條 之を投書として郵匣に附す。選者若し其陳腐剽竊なることを知らず 一、元老の死にさうで死なぬ不平 して一句にても二句にても之を載すれば投句者は鬼の首を獲たらん 一、いくさの始まりさうで始まらぬ不平 如くに喜びて友人に誇り示す。此の如き模倣剽竊の時期は誰にも一 一、大きな頭の出ぬ不平 度はある事なれど幾年經ても此泥坊的境涯を脱し得ざる人あり。氣 一、郵便の消印が讀めぬ不平 ( 十三日 ) の毒の事なり。 一、白米小賣相場の容易に下落せぬ不平 一、板ガラスの日本で出來ぬ不平 今日は病室の掃除だといふので書飯後寐牀を座敷の方へ移され 一、日本畫家に油繪の味が分らぬ不平 た。此二三日は右向になっての仕事が過ぎた爲でもあるか漸く減じ 一、西洋人に日本酒の味が分らぬ不平 て居た局部の痛みが又少し增して來たので座敷へ移ってからは左向 一、野道の眞直について居らぬ不平 に寐て痛所をいたはって居た。いつもガフス障子の室に居たから紙 ( 十二日 ) 一、人間に羽の生えて居らぬ不平 障子に松の影が寫って居るのも趣が變って初めは面白かったが遂に はそれも眼に入らぬゃうになって只よ痛みばかりがチク / \ と感ぜ 多くの人の俳句を見るに自己の頭腦をしぼりてしぼり出したるは られる。いくら馴れて見ても痛むのは矢張痛いので閉ロして居る
102 氷解けて水の流る乂音すなり 子規 事にきまりありて主客各よ其きまりを亂さゞる所甚だ西洋の禮に似 ( 三日 ) たりとある人いふ。 料理人歸り去りし後に聞けば會席料理のたましひは味噌汁にある 由、味噌汁の善悪にて其日の料理の優劣は定まるといへば我等の毎 誤り易き字左に 朝吸ふ味噌汁とは雲泥の差あることいふ迄もなし。味噌を選ぶは勿 盡は書畫の字よりは横畫一本少きなり。聿の如く書くは誤れり。 論、ダシに用ゐる鰹節は土佐節の上物三本位、それも善き部分だけ行書にて聿の如く書くことあれども其場合には四箇の點を打たぬな を用ゐる、それ故味噌汁だけの價三圓以上にも上るといふ。 ( 料理 は總て五人前宛なれど汁は多く拵へて餘す例なれば一鍋の價と見る 逸と寬とには點あり。此點を知らぬ人多し。 べし ) 其汁の中へ、知らざる事とはいへ、山葵をまぜて吸りたるは 學覺などいふ「かく」の字と與譽などいふ「よ」の字とは上半の 餘りに心なきわざなりと料理人も呆れつらん。此話を聞きて今更に中の處異なり。然るに兩者を混同して書ける者たとへば學の字の上 臍を噬む。 半を與の字の如く書ける者書籍の表題等にも少からず。 茶の道には一定の方式あり。其方式をつくりたる精紳を考ふれば 内兩共に入を誤りて人に書くが多し。 ことわり 皆相當の理ある事なれど只よ其方式に拘るために傳授とか許しと 喬の夭を天に誤り、聖閇の壬を王に誤るが多し。 かいふ事迄出來て遂に茶の活趣味は人に知られぬ事となりたり。茶 傘は人冠に人四箇に十なり。然るに十字の上にも中にも横の棒を 道は成るべく自己の意匠によりて新方式を作らざるべからず。其新 引く事古きよりの習ひと見えたり。 方式といへども一一度用ゐれば陳腐に墮つる事あるべし。故に茶人の 吉の士を土に誤り書く者多し。 茶を玩ぶは歌人の歌をつくり俳人の俳句をつくるが如く常に新鮮な 舍は人冠に舌なり。されど人冠に土に口を書きし字も古き法帖に る意匠を案出し臨機應變の材を要す。四疊半の茶室は甚だ妙なり。 見ゅ。 されど百疊の廣間にて茶を玩ぶの工夫もなかるべからず。掛軸と挿 日の下の處は一を引くなり。兒も同じ。されど此一の棒の中を切 花と同時にせずといふも道理ある事なり。されど掛軸と挿花と同時 りて二書に書くは書き易きためにや。 にするの工夫もなかるべからず。室の構造裝飾より茶器の選擇に至 鼠 ( ねずみ ) の上の處は日なり。然るに此頃気の字を書く人あ つくり る迄方式に拘らず時の宜しきに從ふを賞玩すべき事なり り。後者は蠑獵臘などの字の旁にて「ろふ」「れふ」の音なり。 0 0 0 0 0 何事にも半可通といふ俗人あり。茶の道にても茶器の傅來を説き 易は日に勿なり。賜の字、惕の字など皆同じ。されど陽揚腸場楊 つくり て價の高きを善しと思へる半可通少からず。茶の料理なども料理と湯など陽韻に屬する字の旁は易の字の眞中に横の棒を加へたるな して非常に進歩せるものなれど進歩の極、堅魚節の二本と三本とに よりて味噌汁の優劣を爭ふに至りては所謂半可通のひとりよがりに 賴獺瀨懶などの旁は負なり頁に非ず。 墮ちて餘り好ましき事にあらず。凡て物は極端に走るは可なれど其「ちり」は塵なり、然るに艸冠をつけて蕈の字を書く人あり。後者 結果の有效なる程度に止めざるべからず。 は艸名 ( よもぎの訓あり ) ならん、「ちり」の字にはあらず。こは 茶道に配合上の調和を論ずる所は俳句の趣味に似たり。茶道は物塵の草體が艸冠の如く見ゆるより誤りしか。 だぞ ( 二日 ) 0 0 0 0 0 0 のつ
歌の詞といふ者は無之候。漢語にても洋語にても文學的に用ゐられを祈る歌に ( 明治三十一年二月一一十八日 ) 2 なば皆歌の詞と可申候。 時によりすぐれは民のなげきなり八大龍王雨やめたまへ といふがあり恐らくは世人の好まざる所と存候へどもこは生の好き で / 、たまらぬ歌に御座候。此の如く勢強き恐ろしき歌はまたと有 せふふく 之間敷、八大龍王を叱咤する處龍王も懾伏致すべき勢相現れ申候。 八大龍王と八字の漢語を用ゐたる處、雨やめたまへと四三の調を用 ゐたる處、皆此歌の勢を強めたる所にて候。初三句は極めて拙き句 なれども共一直線に言ひ下して拙き處、却て其眞率僞りなきを示し て祈睛の歌などには最も適當致居候。實朝は固より善き歌作らんと て之を作りしにもあらざるべく只眞心より詠み出でたらんがなか 悪き歌の例を前に擧げたれば善き歌の例をこ曳に擧げ可申候。悪なかに善き歌とは相成り候ひしやらん。こ乂らは手のさきの器用を き歌といひ善き歌といふも四つや五つばかりを擧げたりとて愚意を弄し言葉のあやつりにのみ拘る歌よみどもの思ひ至らぬ所に候。三 いさー 盡すべくも候はねど無きには勝りてんと聊か列ね申候。先づ金槐和句切の事は猶他日詳に可申候へども三句切の歌にぶつ乂かり候故一 しゅしゅ 歌集などより始め申さんか。 言致置候。三句切の歌詠むべからずといふは守株の論にて論ずるに 武士の矢並つくろふ小手の上に霰たばしる那須の篠原 足らず候へ共三句切の歌は尻輕くなるの弊有之候。此弊を救ふため といふ歌は萬口一齊に歎賞するやうに聞き候へば今更取り出で曳い に下一一句の内を字餘りにする事屡よ有之、此歌も其一にて ( 前に擧 はでもの事ながら病御氣のつかれざる事もやと存候まゝ一應申上げたる大江千里の月見ればの歌も此例尚其外にも數へ盡すべから 候。此歌の趣味は誰しも面白しと思ふべく又此の如き趣向が和歌にず ) 候。此歌の如く下を字餘りにする時は三句切にしたる方却りて は極めて珍しき事も知らぬ者はあるまじく又此歌が強き歌なる事も勢強く相成申候。取りも直さず此歌は三句切の必要を示したる者に 分り居り候へども、此種の句法が殆ど此歌に限る程の特色を爲し居有之候。又 物いはぬよものけたものすらたにもあはれなるかなや親の子を るとは知らぬ人ぞ多く候べき。普通に歌はなり、けり、らん、か 思ふ な、けれ抔の如き助辭を以て斡旋せらる乂にて名詞の少きが常なる に、此歌に限りては名詞極めて多く「てにをは」は「の」の字一一「 の如き何も別にめづらしき趣向もなく候へども一氣呵成の處却て眞 心を現して餘りあり候。序に字餘りの事一寸申候。此歌は第五句字 「に」の字一、二個の動詞も現在になり ( 動詞の最短き形 ) 居候。 此の如く必要なる材料を以て充實したる歌は實に少く候。新古今の餘り故に面白く候。或る人は字餘りとは餘儀なくする者と心得候へ 中には材料の充實したる句法の緊密なる稍此歌に似たる者あれどもさにあらず、字餘りには凡三種あり、第一、字餘りにしたるが ど、蕕此歌の如くは語々活動ぜざるを覺え候。萬葉の歌は材料極めために面白き者、第二、字餘りにしたるがため悪き者、第三、字 て少く簡單を以て勝る者、實朝一方には此萬葉を擬し一方には此のりにするともせずとも可なる者と相分れ申候。其中にも此歌は字鐱 りにしたるがため面白き者に有之候。若し「思ふ」といふをつめて 如く破天荒の歌を爲す。其力量實に測るべからざる者有之候。又睛 八たび歌よみに與ふる書 かせい
にも此頃二本の者を拵へたり。 れさす。 ほづま 逹の字の下の處の横畫も三本なり。二本に非ず。 左千夫來り秀眞來り麓來る。左千夫は大きなる古釜を携へ來りて 切の字の扁は七なり。土扁に書く人多し。 茶をもてなさんといふ。釜の蓋は近頃秀眞の鑄たる者にしてつまみ 助の字の扁は且なり。目扁に書く人多し。 の車形は左千夫の意匠なり。麓は利休手簡の軸を持ち來りて釜の上 0 0 0 0 廠摩磨匱などの中の方を林の字に書くは誤なり。此頃活字にも此 に掛く。其手紙の文に牧溪の書をほめて 誤字を拵へたれば注意あるべし。 我見ても久しくなりぬすみの繪のきちの掛物幾代出ぬらん 兎免共に四角の中の劃を外まで引き出すなり。活字を見るに兎の といふ狂歌を書けり。書法たしかなり。 字は正しけれど免の字はことさらに二畫に離したるが多し。併し此 左千夫茶を立つ。余も菓子一つ薄茶一碗。 等は誤といふにも非るか。 五時頃料理出づ。麓主人役を勤む。獻立左の如し。 「つか」といふ字は冢塚にして豕に點を打つなり。然るに多少漢字 味噌汁は三州味噌の煮漉、實は嫁菜、一一椀代ふ。 たます すりわさび を知る人にして冢塚の如く豕の上に一を引く人多し。されど冢塚皆 鱠は鯉の甘酢、此酢の加減傳授なりと。余は皆喰ひて摺山葵ば 東韻にして「つか」の字にあらず。 かり殘し置きしが茶の料理は喰ひ盡して一物を餘さぬものとの 0 0 全愈などの冠は入なり。人冠に非ず。 掟に心づきて俄に當惑し山葵を味噌汁の中にかきまぜて飮む。 分貧などの冠は八なり。人にも入にも非ず。 大笑ひとなる。 禪祗の祗の字は音「ぎ」にして示扁に氏の字を書く。普涌に祗 平は小鯛の骨拔四尾。獨活、花菜、山椒の芽、小鳥の叩き肉。 ( 氏の下に一を引く者 ) の字を書くは誤なり。祗は音「し」にして 肴は鰈を燒いて煮たるやうなる者鰭と頭と尾とは取りのけあ 祗候などの祗なり。 さざえ 廢は廣く「すたる」の意に用ゐる。广だれのは不具の人をい ロ取は燒玉子、榮螺 ( ? ) 栗、杏及び靑き柑類の煮たる者。 ( 三月一日 ) ふ。何處にでも广だれの方を用ゐる人多し。 香の物は奈良漬の大根。 〇正誤前々號墨汁一滴にある人に聞けるま又雜誌明星廢刊の由記した 飯と味噌汁とはいくらにても喰ひ次第、酒はつけきりにて平と同 るに、廢刊にあらず、只今印刷中なり、と與謝野氏より通知ありたり。 時に出し且っ飯且っ酒とちび / \ やる。飯は太鼓飯つぎに盛りて出 余は此雑誌の健在を喜ぶと共にたやすく人言を信じたる粗相とを謝す。 し各よ椀にて食ふ。後の肴を待っ間は椀に一口の飯を殘し置くもの なりと。余は遂に料理の半を殘して得喰はず。飯終りて湯桶に鹽湯 二月一一十八日睛。朝六時半病牀眠起。家人暖を焚く。新聞を 滴 を入れて出す。余は始めての會席料理なれば七十五日の長生すべし 一見る。昨日帝國議會停會を命ぜられし時の記事あり。繃帶を取りか とて心覺のため書きつけ置く。 けみ 墨ふ。粥二碗を吸る。、梅の俳句を閲す。 點燈後茶菓雜談。左千夫、其釜に一首を題せよといふ。余間ふ、 今日は會席料理のもてなしを受くる約あり。水仙を漬物の小桶に湯のたぎる音如何。左千夫いふ、釜大きけれど音かすかなり、波の 活けかへよと命ずれば桶なしといふ。さらば水仙も竹の掛物も取り 遠音にも似たらんかと。乃ち 0 れんげう 題釜 のけて雛を祭れと侖ず。古紙雛と同じ畫の掛物、傍に桃と連翹を亂 ゐのこ うど
が調子の上に於て幾何の價値を有するか、將た之を從來の五七五調字、千字可なり、多々いよ / \ 可ならんのみ。 碧虚二人の論若し天下の韻交を焚き盡して世人をして散文にのみ に比して優劣如何と。 從事せしめんとの事ならば、幵は文學上の大問題にして俳諧などい 調子ばかりに就きて其優劣を較するは吾人の至難とする所なり。 へる小題目の下に論ずべき者に非ず。二人に此傾向あるは俳句の上 縱し其優劣を判じ得たりとするも、其調子と件ひ來る意味の如何に よりて多少の變動を免れず。詳に言はゞ甲の趣向にはイの調子を用に於て一斑を窺ふべしといへども、韻文、散文と迄に推し廣めては まさかに二人もたやすくは肯定する能はざるべし。 ふるを適當とし、乙の趣向にはロの調子を用ふるを適當とするが如 既に五七五的の句を厭ひて之を打破したるは其調子を厭ひたるに し。普通の場合にて見れば五七五調は幽玄、高古、冲澹、穩雅、自 然などいふべき趣向を詠するに適し、六七五、七七五、五八五、六因るなり。一の調子を厭ひながら他の調子を擇ばざるは散文に近か しうけい らしめんとするに似たり。既に散文的ならんとして二十三四字の 八五等の調子は雄壯、遒勁、奇警、莊重、活動などいふべき趣向を 詠ずるに適す。吾人は五七五調と六七五等の調との間に逕庭を置か内に局束せらる乂は全く文を離る乂能はざるなり。散文たるを得 ずして、調子と趣向と相適合したる時の調子はいづれなりとも佳なず、韻文たるを得ず、是れ何者をも創立せざるに非すや。吾人の臆 測を以てすれば所謂新調なる者は一時の現象に過ぎすして永く繁榮 りと思ふなり。 然れども此論は碧虚二人の新調 ( 調ばかりを云 ) にも適用すべきすることなかるべし。雎俳句の一變體として存在すべきのみ。若 論ならず。蓋し二人が五七五調を破りたるは事實なるも、二人はし此體にして俳句として存在することあらば、幵は今の新調が一變 して幾分か韻文に近よりたる後なり。其時には今の新調の句にして 只よ破壞したるのみにして末だ創造の功を奏せざるなり。見よ、二 人の長句は五七五より長しといふ迄の事にて一定の調子無きに非ず合格する者と合格せざる者を生するは當然にして、不合格の者は終 に變體として曉星の如く存するに過ぎざらん。若し此體にして散文 ゃ。是れ二人は德川時代の舊習を打破して未だ明治の新政府を建て 得ざるなり。二人或は自ら建て得たりとせん、世人の一部も之を是として存在することあらば、幵は幾百萬字もあるべき者を包含する 認する者あらん、吾人は之を是認する能はす。若し二人が強ひてあ散文の一小部分として存在するに過ぎざらん。進化か、退化か、消 る者を建て得たりとならば無政府を建て得たりともいふべきか、無減か、兎に角に今の所謂新調は永久なる能はじ。 ( 二月十五日 ) 政府を建て得たりとは謔語にして何も建て得すといふと同じきなか 句らんや。ち俳句を破壞して散文を創立したりといふことにして、 碧梧桐、虚子が新調を成して後の弊害は新調に僻するに在り。嗜 誰か二人が散文を創立したりといふことを許す者ぞ。 年 一定の形式を具〈ざる二人の調子が如何なる趣向に適せるかは固好の一轉せし時之に僻するは何事にも免れざる所にして、二人の之 九 十 より論ずべきにあらず。二人の調子が印象を明暸ならしめ、複雜なに僻するは寧ろ當然の事なるべし。傍觀者は又新奇の事に逢ふて異 る趣向を言ふに適せりともいはゞいふ可けれども、飛は調子の上の様の感を爲すが常なれば、新奇を以て滿たされたる者を見て人の之 に僻するが如く疑ふも亦ありうちの事實なり。前日吾人は二人の句 事に非ずして字數上の事なり。若し字數にのみ就いて言はゞ前の二 あに 四箇條に適合せしむるには字數の多きほど便利なるは論を竢たす。豈を見て痛く偏せりと思ひしが、今日にては其の偏せりとせし者をも 3 一一十餘字に限らんや。三十字可なり。四十字、五十字可なり。百左程に偏せりとは思はざるに至れり、今後亦測る可らず。然れども ( 十七 )
以て計算の初となし立春に入る事によりて新たに齡一つを加ふる者規定に非るか ) と定めたるを見るべし。 ( 陰簪の正月元日は立春に最も近き朔日を 自個の著作を賣りて原稿料を取るは少しも悪き事に非ず。されど 取りたる者なれば元日と立春と十五日以上の差違ある事なし。され ど元日前十五日立春の年と元日後十五日立春の年とを比較すれば氣共著作の目的が原稿料を取るといふ事より外に何もなかりしとすれ ば、著者の心の賤しき事いふ迄もなし。近頃出版せられたる秋竹の 候に三十日の遲速あり ) 右の如く昔は歳初と春初と區別あるが如くなきが如く曖昧に過ぎ . 「明治俳句」は果して何等の目的を以て作りたるか。秋竹は俳句を 來りしが明治に至り陽簪の頒布と共に陰脣は公式上度せられたれば善くする者なり。俳句に堪能なる秋竹が俳句の集を撰びたるは似っ づさん 兩者は斷然と區別せられて一月一日は毎年冬季中に來る者と定まれかはしき事にして、素人の社撰なるものと同日に見るべからず。さ 。此際に當りて春夏秋冬の限界に就いては何等の規定する所なけれど秋竹は始めより俳書編纂の志ありしか、近來俳句に疎遠なる秋 れば余は依然として立春立夏立秋立冬を以て四季の限界とする説に竹が何故に俄に俳句編纂を思ひ立ちたるか。此句集が如何なる手段 從ひ居るなり。元來此立春立夏等の節は陰時代にも用ゐられたれによって集められしかは問ふ所に非ず。此書物を出版するにつき、 秋竹が何故に苦しき序文を書きしかは余の間ふ所に非ず。若し余の ば其實月の盈虧には何等の關係も無く却て太陽の位置より算出せし 者なれば之を太陽暦と竝び用ゐて毫も矛盾せざるのみならず毎年邪推を明にいはば、秋竹は金まうけの爲に此編纂を思ひっきたるな らん。秋竹若し一點の誠意を以て俳句の編纂に從事せんか、共手段 略よ同一の日に當るを以て記憶にも甚だ便利あり。 雜誌日本人の説は西洋流に三四五の三箇月を春とせんとの事なれの如何に拘らず之を賛成せん。されど余は秋竹の腐敗せざるかを疑 ども、我邦には二千年來の習慣ありて其習慣上定まりたる四季の限ふなり。されば余は個人として秋竹を攻撃せんとには非ず。今の新 界を今日に至り忽ち變更せられては氣候の感厚き詩人文人に取りて著作斯の如きもの十の九に居る故に特に秋竹を假りていふのみ。 ( 十日 ) 迷惑少からず。されど細かにいへば今日迄の規定も習慣上に得たる 四季の感と多少一致せざるかの疑無きに非ず。もっとも氣候は地方 漢字止、羅馬字採用又は新字製造などの遼遠なる論は知らず。 によりて非常の差違あり、殊に我邦の如く南北に長き國は千嶋のは てと臺灣のはてと同様に論ずべきにあらねど、試に中央東京の地に余は極めて手近なる必要に應ぜんために至急新假字の製造を望む者 就いていはんに ( 京都も大差なかるべし ) 立春三月四日頃 ) 後半なり。共新假字に一一種あり。一は拗音促音を一字にて現はし得るや 月位は寒氣強くして冬の感去らず。立秋 ( 八月八日頃 ) 後半月位はうなる者にして例せば茶の假字を「ちゃ」「チャ」などの如く一一字 暑氣強くして秋の感起らず。又菊と紅葉とは古來秋に定めたれど實に書かずして一字に書くやうにするなり。「しよ」 ( 書 ) 「きよ」 ( 虚 ) 一際は立冬 ( 十一月八日頃 ) 後半月位の間に盛なり。故に東京の氣候「くわ」 ( 花 ) 「しゅ」 ( 朱 ) の如き類皆同じ。促音は普通「つ」の字 汁 を以ていはんには立春も立夏も立秋も立冬も十五日宛繰り下げて却を以て現はせどもこは假字を用ゐずして他の符號を用ゐるやうにし たしと思ふ。併し「しゅ」「ちゅ」等の拗音の韻文上一音なると違 て善きかと思はるゝなり。されば西洋の規定と實際は大差なき譯と なる。併しながらこは私に定むべき事にあらねば無論舊例に依るをひ促音は二音なれば其の符號をして矢張一字分の面積を與ふるも可 可とすべきか。 ( 西洋の規定は東京よりは稍よ寒き地方より出でしならん。 えいき ( 九日 )
プ 31 墨汁一滴 の類なり。其可否は姑く措き、碧梧桐が一種自家の調をなすはさすれば何の差支もあるまじと思ひて我等も平氣に使ひ居たるなり云 くちばし がに碧梧桐たる所以にして余は此種の句を好まざるも好まざる故を云。余云ふ。蕪村既に用ゐたればこれを用ゐることにつき余が喙 以て之を排斥せんとは思はず。然るに俳人の中には何がな新奇を弄を容るべきにあらず、併しながら蕪村は牡丹の句二十もある中に し少しも流行におくれまじとする連中ありて早く既に此「も」の字「ぼうたん」と讀みたるは唯よ一句あるのみ。而も其句は ぼうたんやしろかねの猫こかねの蝶 を摸せんとするは其敏捷其輕薄實に驚くべきなり。近日ある人はが といふ風變りの句なり、これを見れば蕪村も特に此句にのみ用ゐた きをよこしていふ、前日投書したる句の中に るが如く決して普通に用ゐたるにあらず。それを蕪村が常に用ゐた いちご賣る世辭よき美女や峠茶屋 るが如く思ひて蕪村が此語を用ゐたりなどいふロ實を設けこれを濫 とありしは「美女も」の誤につき正し置く、一字といへどもおろそ かにはなしがたき故わざ / 申し送る云々とあり。これ碧梧桐調を用すること蕪村は定めて迷惑に思ふなるべし、此事は特に蕪村の爲 摸する者と覺えたり。碧梧桐調は專賣特許の如き者いち早く之を摸に辯じ置く。 して世に誇らんとするは不德義といはんか不見識といはんか況して 募集の俳句は句數に制限なければとて二十句三十句四十句五十句 其句が平々凡々「も」の一字によりて毫も價を增さゞるをや。一字 六十句七十句も出す人あり。出す人の心持は此れだけに多ければど といへどもおろそかにはなしがたきなどいふは老練の上にあるべ とみくにレ し、まだ東西も知らぬ初學の上にては生意氣にも片腹痛き言分といれか一句はぬかれるであらうと云ふ事なり。故に之を富鬮的應募と ふべきなり。一字の助字「や」と「も」とがどう間違ひたりとて句云ふ。かやうなる句は初め四五句讀めば終迄讀まずとも其可否は分 るなり。いな一句も讀まざる内に佳句なき事は分るなり。凡そ何の の價に幾何の差をも生ずる者にあらず、そんな出過ぎた考を起さう よりも先づ大體の趣向に今少し骨を折るべし。大體の趣向出來たら題にて俳句を作るも無造作に一題五六十句作れる程ならば俳句は誰 ば其次は句作の上に前後錯雑の弊無きゃう、言葉の竝べ方印ち順序にでもたやすく作れる誠につまらぬ者なるべし。そんなつまらぬ俳 に注意すべし。斯くして大體の句作出來たらば其は肝腎なる動詞句の作りゃうを知らうより絲瓜の作り方でも研究したがましなるべ し。 ( 四日 ) 形容詞等の善く此句に適當し居るや否やを考へ見るべし。これだけ に念を入れて考ふれば「てにをは」の如き助字は其間に自らきまる 者なり。出鱈目の趣向、出鱈目の句作にことさらに「も」の一字を 松宇氏來りて蕪村の文臺と云ふを示さる。天の橋立の松にて作り けるとか。木理あらく上に二見の岩と扇子の中に松とを畫がけり。 添へて物めかしたるいやみ加減は少しひかへてもらひたき者にこ そ。 筆法無邪氣にして蕪村若き時の筆かとも思はる。文臺の裏面には短 文と發句とありて寶督五年蕪村と署名あり。其字普通に見る所の蕪 村の字といたく異なり。寶簪五年は蕪村四十一の年なれば蕪村の書 先日牡丹の俳句を募集したる時「ぼうたん」と四字に長くよみた る句の殆ど過半數を占めたるは實に意外なりき。いつの間に斯く全方も未だ定まりをらざりしにや。姑く記して疑を存す。 ( 五日 ) 國に此語がひろがりけんと驚かるゝのみ。されど此語余には耳なれ 此頃の短夜とはいへど病ある身の寢られねば行燈の下の時計のみ ぬ故いづれの句も皆變に感じたり。或人いふ蕪村既に此語を用ゐた ( 二日 ) もくめ へらま ( 三日 )
一、俳句をものしたる時は其道の先輩に示して教を乞ふも善し。初 海、郊原、田野、一も順序ある者なし。故に之に命名せんと欲ぜ 心の者の恥かしがるは却てわろし。中々に初心の時の句は俗氣を ば人間の見聞し得る所の處一々に命名せざるべからず。地名是な はなれてよろしく、少し巧になりし後はなまなかに俗に陷る事多 り。地名は時間の區別に比して更に明暸なる區別なれば、俳句に し。 地名を用ふるは最簡單なる語を以て最錯雜なる形象を現すの一良 法なりと雖も、奈何せん一人にして地球上の地名と其光景とを盡一、初心の恥かしがりてものし得べき句をものせぬはわろけれど、 恥かしがる心底はどうがなして善き句を得たしとの望なればいと く知るを得ず。且っ其區別明暸なるが故に之を用ふるの區域甚だ 殊勝なり。此心は後々までも持ち續きたし。 狹隘を感するなり。他語以て之をいへば四季の名稱に對する者は 地名なりと雖も、地名は區域明暸に過ぎて狹隘に失し、且っ其地一、自ら多く俳句をものして人に見せぬ者あり。敎を乞ふべき人無 しと思はゞ見せずとも可なり。多くものする内には自然と發明す を知らざる者には何等の感情をも起さしむる事難し。ち四季の る事あり。先輩に聞けば一口にして知り得可き者を數月數年の苦 變化は何人も能く之を知ると雖も、東京の名所は西京の人之を知 辛を經て漸く發明するが如きは、稍よ迂に似たれども中々に迂な らざる者多く、西京の名所は東京の人之を知らざる者多きが如き らず。此の如く苦辛して得たる者は腦中に染み込む事深ければ再 なり。 び忘るゝ事無く ( 一 ) 句をものする上に應用し易く (ll) 且っ他 日又發明するの端絡となる可し (lll) 第五修學第一期 一、自らものしたる句は紙片に書き記し置く可し。時々繰り返して 己の句を吟じ見るも善し、其間に前に言ひ得ざりし事を言ひ得る 一、俳句をものせんと思はゞ思ふまゝをものすべし。巧を求むる莫 もあらん。又己の進歩を知るたよりともなりて、一はひとり面白 れ、拙を蔽ふ莫れ、他人に恥かしがる莫れ。 く一は更に一段の進歩を促す事あるべし。 一、俳句をものせんと思ひ立ちし其瞬間に半句にても一句にても、 一、四季の題目は一句中に一つづゝある者と心得て詠みこむを可と ものし置くべし、初心の者は兎角に思ひっきたる趣向を十七字に す。但しあながちに無くてはならぬとには非ず。 綴り得ぬとて思ひ棄つるぞ多き、太だ損なり。十七字にならねば 十五字、十六字、十八字、十九字乃至一一十二三字一向に差支な一、成るべく其時候の景物を詠ずる事、聯想が早く感情が深くして ものし易し。尤も春に居て秋を思ひ夏に居て冬を思ふ事も全く缺 し。又みやびたるしゃれたる言葉を知らずとて趣向を棄つるも誤 く・ヘからず。只よ興の到るに任せて勝手たる可し。 れり、雅語、俗語、漢語、佛語何にても構はず無理に一音の韵文 一、自ら俳句をものする側に古今の俳句を讀む事は最必要なり。且 となし置く可し。 きれじ つものし且っ讀む間には著き進歩を爲す可し。己の句に竝べて他 大一、初めより切字、四季の題目、假名遣ひ等を質問する人あり。萬 人の名句を見る時は他人の意匠慘澹たる所を發見せん。他人の名 事を知るは善けれど知りたりとて俳句を能くし得べきにあらず。 句を讀みて後自ら句をものする時は、趣向流出し句調自在になり 文法知らぬ人が上手な歌を作りて人を驚かす事は世に例多し。俳 て名人の己に乘り遷りたらんが如き感ある可し。 句は殊に言語、文法、切字、假名遣など一切無き者と心得て可な 2 一、自ら著く進歩しつ乂あるが如く感じたる時、或は何とは無けれ り。併し知りたき人は漸次に知り置く可し。 はなは
の者を取りて其句調の類例を古句に求むるも亦一興なるべし。 6 俳句には出來難きことなり。 高き窓の句、「高き窓に」と六字にしたるはことさらなるが如く 鮒鮓や膳所の城下に浪々の身 虚子 感ずる人あるべし。されど此句は斯く言はねば面白からぬなり。先づ の如く五六七の句法にして且っ名詞を以て止めたる古句の二三を擧 趣向より言はんに、高き窓と限りたる故に六字にもなるものなればげんに、 ( 句の下に ( 虚 ) とあるは虚栗集なり ) 他の窓にしては如何、といふ人もあるべけれど、牙は徒に此句を平 雪の大箒に泣くや姨捨山 ( 虚 ) 四友 凡ならしむるに過ぎず。高からぬ普通の窓とすれば趣向の陳腐なる 富士も伏す涼の床や鏡が浦 三千風 のみならず、容易に見得るがために、又長時間見つゝあるがために 孤帆 鶯や翠簾から透いて , 烏帽子の影 興味を薄からしむ。「高き窓に」と言はれて何事かあると仰げば始 調和 初茸や鵙の草莖家路の暮 めて婆娑たる蕉影を見とめたる處に興味深きを覺ゅ。且っ特に注意 稻妻や山城の山河内の河 儿董 して仰ぎ見るために一層印象を明暸ならしむるの功もあるなり。又の如きはあれど「浪々の身」といふが如く一字の名詞を以て止めた 句法よりいふも句の初めに窓のことをいふは人をして其窓に何事か る例は見當らず。 あると注意せしむるために必要なるべく、又「窓に」と「に」の字 大なる鍋の底に河豚を煮っ又あり 虚子 を置くことも印象を明暸ならしむるために必要ならん。試みに「窓の如く五九五の句調を成す者は、 高し」「窓高く」「窓高み」等の語を置き換へて一誦せよ。印象の極 金藏のおのれとうなるなり霜の聲 ( 田 ) 共角 めて不明療なるを見るべし。 町樂店前の日影をかつらとし ( 田 ) 同 萩刈っての句、時間を含みたるは虚子得意の所なり。菊に燭して 雛丸が夫婦や桃の露不老國 ( 虚 ) 羊角 の句は漢語と漢文の句法とを極端に用ゐたり。垣を成すの句も亦 錦その涙に洗ふべし時鳥 ( 虚 ) 才滴 「垣を成す」の語は漢文の句法にして普通に下に置くべきことを此 紫の暮山に紅の時雨かな ( 虚 ) 子堂 の如く上に置きたるも俳句には珍し。 枯枝に鴉のとまりけり秋の暮 芭蕉 大なる鍋の句、大なる鍋は大鍋と短く言ひて可なりとの説もあら 言水 枯野かな雪くれに寐て見ん不二の味 ん。此説非なり。大なる鍋と長く言へば鍋殊に大きく見えて且っ鍋 ( 田 ) とあるは田舍句合なり。 の大なる處が此の句の主眼と爲る。鍋大ならざれば此句些の趣味無など多かれど「鍋の」「底に」「河豚」と三字づ乂に分れたる者はい く、鍋の大なるが主眼とならざれば此句の趣味其半を減ず。「大なまだ見當らず。 る」と言ひ「底」と言ひて始めて印象明なり。 ( 碧梧桐の句「夏木 高き窓に灯をともしたる芭蕉かな 虚子 の如く六七五の句は古來無數なれども、六文字の初の三字を形容詞 立深うして見ゆる天王寺」の解説參照 ) 三月六日 ) とし、欽に二字の名詞を置き、次に「に」と置きたる句は一首も見 當らず。而して虚子には此の句法最も多し。 櫻色に空さへとづる木末かな ( つくば ) 消えし雪の河飩を弔ひけ・り鰹 ( 虚 ) 雷虫 鳴雪日く、虚子が作る所の句虚栗に似たりと。然り。句法を言へ ば似たる所あり。趣向は全く異なり。今虚子の句中特に十七字以上 ( 十四 )