武松 - みる会図書館


検索対象: 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集
18件見つかりました。

1. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

6 3 第七碗第八 只見店主人把三隻一雙 ( 翔一礫熟菜。放在武松面前。滿々篩 話不過。一連又篩三碗。 碗第九碗 一碗酒來。 武松が頻りに酒を命ずるけれど、酒屋の主人が酒を持て來ずに置 この酒が亦虎を打つのに最も深い關係を持って居るのであるからいて、そんなに飲んだら醉ひ倒れるから客に飲ませないのちゃ、と 第一碗と數へたのである。 強情張るので、武松はいよ / \ じれて、そんな馬鹿をいふのを見る 武松拿起碗。一飲而盡。叫道「這酒好生有氣力。主人家。有飽肚とお前は此酒にしびれ藥を入れて居るのに違ひない、と逆ねぢにね 的買些喫酒」酒家道「只有熟牛肉」武松道「好的。切一一三斤來ぢたので、酒屋の主人は腹立てゝ酒を持って來るといふ次第になる 喫」酒店家去裏面。切出一一斤熟牛肉。做一大盤子將來。放在武松のである。元來こゝは武松に虎を打たせねばならぬ處であるのに、 面前。隨印再篩一碗酒。二武松喫了道。「好酒」又篩下一それに無暗に酒を飲ませてグデン / \ にしてしまふては肝腎な役者 が虎を打つ事が出來なくなる譯である。が、併し全くのしらふで打 壟一恰好喫了三碗酒。再也不來篩。武松敲著卓子叫道「主人家。 怎的不來篩酒」酒家道「客官要肉便添來」 たせては面白くないので、作者は寧ろ武松をグデン / にして置い 武松が三碗の酒を飲み盡して更に酒を持て來いといふと、肉が御て讀者をして、これで虎が打てるであらうかと、十分にあやぶませ 入用なら差上げますと、亭主が答へたのである。このトンチンカン て、さうして突然と虎を出さうといふので、畢竟讀者の肝を潰させ な答へが武松をじらす手始めである。 る手段である。それだからこ又で酒を飲ませなくてはならぬので酒 武松道「我也要酒。也再切些肉來」酒家道「肉便切來添與客官屋を持って來て十分に酒を飮ませるやうに力を入れて書いて居る。 喫。酒却不添了」武松道。「却又作怪」便問主人家道「如何不併し、こ乂なのだ、こゝが作者苦辛の處だ。若し凡手をして書かせ 肯賣酒與我喫」酒家道「客官。須見我門前招旗。上面明明寫たなら、酒はうまいし、酒屋の主人は十分に取り持って、いやとい 道。三碗不過岡」武松道「怎地喚做三碗不過岡」酒家道「俺家的ふ迄飲むことを勸めるやうに書くであらう。それでは小説にも何に 酒。雖是村酒。却比老酒的滋味。但凡客人來我店中喫了三碗的。 もならぬ。武松に酒を十分飲ませなくてはならぬといふ趣向を立て 便醉了。過不得前面的山岡去。因此喫做三碗不過岡。若是過往客 て置いて、却て反對に酒屋の主人をして武松に酒を與へさせぬとい 人。到此只喫三碗。更不再間」武松笑道「原來恁地我却喫了三ふ趣向をこしらへて平地に波瀾を起したのである。それから三碗不 碗。如何不醉」酒家道「我這酒叫做透瓶香名又叫做出門倒名初過岡といふ看板などを思ひついたのも面白い。そこで主人は飮ませ 入口時。醇醴好喫。少刻時便倒」武松道「休要胡説。沒地不倆ぬといふ、武松は飲みたいといふ一條の葛藤が始まって終に何とか 第四碗第五 錢。再篩三碗來我喫」酒家見武松全然不動。又篩三碗 彼といふてとう / \ 飲みおほせるといふ事になる。酒屋が武松をじ 碗第六碗 作者は筆を省いて三碗とかいてしまふと評者は態と評を入れて第らせたりして、酒の一段を骨折って書くのはつまり虎の場を面白く 四碗第五碗と註する。是は普通の批評とは違って評のカで本文に勢するために過ぎない。かういふ波瀾の製造法は小説家の心得置くべ をつけるといふ手段なのである。 き事であらう。 武松喫道「端的好酒。主人家。我喫一碗。還一碗錢。只顧篩 武松道「肉便再把一一三斤來喫」酒家又切了一一斤熟牛肉。再篩了三 來」酒家道、「客官休只管要飮這酒。端的要醉倒人沒藥醫」武松道 碗酒。第十碗第十一 「休得胡鳥説。便是側使蒙汗藥在裏面。我也有鼻子」店家被他發 今度は主人もおとなしく酒を持って來たと見える。併し武松はま

2. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

酒家は歸る。武松は景陽岡にかゝる。哨棒はまだ手に輕く提げて 半空裏。將下來虎武松被那一驚。酒都做冷汗出了之筆灯下讀之 6 只一つかみと虎は飛びかゝって來た。 居る。武松は景陽岡の下に來た處で樹の皮を刮って前と同じゃうな ばうぶん 官司の榜文を見たがまだこれにも信を置かぬ。これも酒家が人を嚇 説時遲那時快。武松見大蟲撲來。只一閃閃。在大蟲背後人 かすための謀であらうと嘲りながら見て過ぎた。だんノ \ 岡に上っ 武松はひらりと身をかはした。 て來ると、もう彼是申の刻で日は山に落ちかけた。急いで少し行く 那大蟲背後看人最難。便把前爪。搭在地下。把腰胯。一掀々將起 と路端に毀れかゝった山禪の廟があって、其門の上に復前のやうな 來虎武松只一閃閃在一邊人 虎の榜文がある。武松は始めてこゝで虎の話は嘘でない事を知っ 再び飛びかゝって來る。再びひらりとかはす。 て、急におぢ氣がついて前の酒屋迄引っ返さうかと思ふたが、いや 大蟲見掀他不著。吼一聲。却似半天裏。起箇霹靂。振得那山岡也 待て、あれ程爭ふて置いて今更どの面さげて還られうぞ、もうかう 動。把這鐵棒也似虎尾倒豎起來。只一翦虎武松却又閃在一邊人 なれば仕方が無い進むばかりだ。 ( 以下八十字程略す ) 武松正走。看看酒湧上來。便把氈笠兒。掀在脊梁上。將哨棒綰在 三たびめに虎は一吼え吼えて鐵棒のやうな尾をふり立てゝ來たが 。哨棒十一〇哨棒綰 肋下 一歩歩上那岡子來 ( 以下六十字程略す ) 又もや武松に身をかはされた。虎は十分に武松にじらされて、今度 在肋下第五箇身分 / / せうにう まっかう 次第に酒の醉が出て來るので、笠を背中に負ふて哨棒を小脇にかはと四度目に飛びかゝって來る處を待ち構へて哨棒を眞額にかざし いこんだ。今迄手に提げて來た棒を始めて小脇にかいこんだ。虎はて只一打と打ち下した。ところが、 いよ / 、出さうになって來た。岡を上る内に日はずつぶりと暮れ 只听得一聲響篏々地。將那樹迚枝帶葉。劈打將下來。定睛看 た。ひた走りに走るので、醉はいよ / \ 出る、體は熱くなって來る。 時。一棒劈不著大蟲 ( 以下略 ) 一隻手把胸朧前袒開。踉踉蹌蹌直 虎は打てないで樹の枝を打ったのであるから驚かざるを得ない。 一隻手提著哨棒哨棒第六簡身分 過亂樹林來駭 おまけに大切の哨棒は半分に折れてしまふたのである。金聖歎は、 可知虎林 ( 以下一一十字程略す ) 折角小脇にかいこんだ棒を又片手に提げて、片手に胸をあけなが こゝの處で哨棒十六と數へて、半日勤寫哨棒。只道仗他打虎。到此 ら木立の中に這入って來た。しかもそこに大石の横たはって居るの忽然開除。令人螳目噤ロ。不復敢讀下去と評して居る。虎が又飛び を見て、忽ち棒をはふり出して、其石の上に寐んとしたのである。 かゝって來たので武松は飛びしざって手に殘って居る棒の折れを投 金聖歎は驚死讀者と評して居る。 げ棄てゝしまふた。どうするのであらうと讀者は驚く。そこで作者 只見發起一陣狂風。那一陣風過了。只昕得亂樹背後。撲地一聲は虎を手打ちにするといふ極端の手段に出でゝ讀者に落を取るのが 響。跳出一隻吊睛白額大蟲來。 此一段の結末である。武松は足で錫るやら拳骨でなぐるやら折れた サア出た。 棒で叩くやらして虎を殺してしまふ處は最早こ乂に擧げずとも善か 武松見了。叫聲呵呀。從靑石上。翻將下來。便拿那條峭棒在手裏らう。武松はグッシャリと勞れて靑石の上に休んで居たが、今又一 とて 匹の虎が出て來たらば迚も助からんと考へたので闇の中を急いで下 哨棒第八箇身分閃在靑石邊。 りかけた。すると、 今は哨棒をしつかと握って石から飛び下りた。 那大蟲又饑又渇。把兩隻爪在地下。略按一按。和身望上一撲。從 只見枯草中。又鏆出兩隻大蟲來。 けづ

3. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

末申初時分。我見走。都不間人。枉送了自家性命。不如就我。 だ飮みたいのだ。 此間歇了。等明日。慢慢湊得一一一十人。一齊好過岡子」 武松喫得ロ滑。只顧要喫。去身邊取出些碎銀子。叫道「主人家。 酒屋の主人は今歩行き出した武松を呼び留めて、此先の景陽岡で 且來看我銀子。還酒肉錢殼麼」酒家看了道。「有餘還有些貼 は虎が出て人を喰ふから夜は通るなと官から御命令が出て居る。お 錢與」武松道「不要貼錢。只將酒來篩」 前も今夜は此内〈泊って明日ゆっくりと通ったら善からう、と忠告 武松はつり錢で又酒を飮むといふ手段を考へ出したのだ。 したのである。始めて虎といふ字が出て來た。併しまだ虎の影だ。 酒家道「客官。要喫酒時。還有五六碗酒哩。只怕喫不待了」 此一段は作者が苦辛して虎を寫すのである事はいふ迄もないが、併 武松道「就有五六碗多時。盡數篩將來、酒家道「這條長漢。 し虎といふ奴は非常な敏捷な奴であるから、いざ現れたといふ瞬間 僴或醉倒了時。怎扶得住」 お前のやうな大男が醉ひ倒れたら起す事も出來やしない。と酒屋には、武松が殺されるか虎が殺されるか、直に勝負が、ついてしま の主人はいふ。主人の口から武松の大男であることを現したのはうふのである。それだから其瞬間の活動を成るべく面白く讀者に讀ま せるためには、讀者をして、虎はもう出るか、もう出るか、と十分 まい。 武松焦躁道「我又不白喫健的。休要引老性發通。敎屋裏粉に待ち焦れさせて置く必要がある。そこで本物の虎を出す前に虎の 虚影を澤山に出して見せるのだらう。始めてこ乂に虎といふ字を出 碎。把鳥店子。倒翻轉來」 とら 魯智深が、山門を燒いてしまふそ、といふと同一威嚇手段。 ( 鳥すに只大蟲とばかりでは虎が強さうに見えぬから吊睛白額大蟲と形 容すると虎がえらさうに見える。金毛九尾の狐といふと狐に位がっ 店子の鳥は惡の意 ) いて、内閣總理大臣從一位大勳位公爵といふと人間に勿體がつくの 酒家道「這厮醉了。休惹他」再篩了 ~ ハ碗酒。與武松喫了四碗第 + と同じ事だ。 五碗第 + 六碗第前後共喫了十八碗結一 十七碗第十八碗「 武松昕了。笑道「我是淸河縣人民。這條景陽岡上。少也走過了一 とうノ \ 十八碗を飲み盡した。 一一十遭。幾時見説有大蟲。休説這般鳥話來嚇我。便有大蟲。我 哨棒七 0 掉了哨道「我却又不曾醉」走出門前 掉了哨棒。立起身來棒第一箇身分 也不怕」酒家道「我是好意救。不信時。進來看官司榜文」武 來。笑道「却不説三碗不過岡」趣手提哨棒便走「 9 孵皿哨 松道「側鳥做聲。便眞箇有虎。老爺也不怕。留我在家裏歇。莫 ゃう / 酒屋を出て來た。段々虎が近づくに從ふて棒が注意すべ 不半夜三更。要謀我財。害我性命。却把鳥大蟲謔嚇我」 おど き者になって來る。併しこゝではまだ手に提げて居る。 武松は酒屋の主人を信じない。虎の話をこしら〈て族人を嚇し自 酒家起出來叫道「客官那里去」武松立住了間道「叫我做甚麼。我 分の内に旅人を泊めて其命と金とを取るのであらう、と疑ふて居 又不少倆酒錢。喚我怎地」酒家叫道「我是好意。倆且囘來我家。 看抄白官司榜文」武松道「甚麼榜文」酒家道「如今前面景陽岡る。是に於て僅に現れた虎の影は又消えてしまふた。 0 0 0 0 0 0 酒家道「看麼我是一片好心。反做惡意。倒落得僘。恁地僘不信 上。有隻吊睛白額大蟲。晩了出來傷人。壞了 = = 一十餘大漢性命。 。寫酒家色 我時。請奪便自行」一面説。一面搖著頭。自進店裏去了變如晝 官司如今杖限獵戸。擒捉發落。岡子路ロ。都有榜文。可敎往來客 哨棒九 0 提了哨大著歩自過景陽岡來。 ( 以下三百四 這武松提了哨棒棒第 = 一箇身分 人。結夥成隊。於巳午未三箇時辰過岡。共餘寅卯申酉曵亥六箇時 3 十字程略す ) 辰。不許過岡。更兼單身客人。務要等件結夥而過。這早晩正是未

4. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

のやうな虎であるが、其の外に武松の殺した虎と李逵の殺した虎と宮川に飛込むといふ趣向を考へ出したかも知らぬが、蟇六の方は感 二様にある。馬琴も虎を出して見たかったのであるが、我國では何じがわるくて比較にならぬ。それから三阮兄弟が一葉の小舟をあや 分にも虎の出しゃうが無いので、繪の虎が拔け出るといふ趣向を思 つりながら歌をうたふ處は水滸傳特得の趣味があるが、馬琴がそれ ひついたのであらう。けれども、もとが無理にこしらへたのである を眞似したのは實にまづく出來て居る。一例を擧げると盧俊義がだ から、虎が少しも活動しないばかりでなく凡ての趣向が悉く無理に まされて梁山泊の小舟に乘って居ると、 出來あがって居って少しも面白くない。其外に虎ではないが、武松 約行一一一五里水面。只昕得前面蘆葦中櫓聲響。一隻小船飛也似 打虎の面影を寫したのは、小文吾が猪を殺す所であるが、共寫しか 來。船上有兩箇人。前面有箇赤條條地。拏著一條木暠。後面那箇 たには雲泥の差がある。武松打虎の一段は水滸傅中でも出色の文字 搖著櫓。前面的人横定暠。ロ裏唱著山歌道。 であるが、猪を打っところは無造作で無趣味で何の曲折もなくて、 英雄不會讀詩書。只合梁山泊裏居。准備窩弓收猛虎。安排香餌 とても水滸傅と竝べていふべきものでない。武松が虎を打った爲に 釣鰲魚。 武松の面目を現はした程に、小文吾は猪を打って共面目を現はすこ 盧俊義昕得。喫了一驚。不敢做聲。又昕得左邊蘆葦蓑中。也是兩 とが出來なかった。馬琴もそれに氣がついて、どうかして小文吾の 箇人。搖著一隻小船出來。後面的搖著櫓。有咽唖之聲。前面橫定 面目を現はしたいといふので、再び鬪牛の一段を持出したのであ 高。ロ裏也唱山歌道。 る。併しそれも不成功に終った。小文吾の腕力は理窟的に説明され 雖然我是皮身。殺賊原來不殺人。手拍胸前靑豹子。眼唆船裏 たけれども、軒牛の光景は甚だ下手に寫されてしまった。 玉麒麟。 あだうち 對牛樓に於ける毛野の讎打が水滸傳の血濺鴛鴦樓に似て居ること といふことになって居る。八大傳では信乃現八小文吾等が莊助を救 は人のいふところである。けれども其光景を寫す處は固より水滸傳ふて戸田川迄逃げて來た時渡し船がないのにこまって居ると しげたかあし 程に趣味深くは出來て居らぬ。殺人者打虎武松也の如き奇語は到底 近づく敵をまっ折から、誰とはしらず水際なる、緊高蘆をおしわ きて 馬琴の考へ得ざるのみならず恐らくは馬琴は其語の趣味をも解し得 ないであらう。水滸傳の作者がこの一段に於て燈影を寫し月光を寫 漕ぎよする一葉の船のなかりせば秋の川波誰かとはまし した處は、この殺風景の景色をそれ程殺風景ならしめざる妙手段で かく歌ひっ乂こなたの岸へ、はやくも船をよするものあり。四大 あるが、併し一つは支那文の特色がかやうな處によく現はれるので 士これを見かへりて、彼も敵かと訝れば蓑笠著たる一人の船人、 あわたゞ もあらう。 遽しくさし招きて、殿はら早く乘給ずや。 この八大傳の間の拔けさ加減には驚く。水滸傅の方は趣向と文と 水滸傳では水軍の統領といふのがあって時々そいつが出て來て一 種異様の花を咲かして居る。馬琴も何かそんなことをやりたかった歌と大概調子が合ふて居る。七言絶句も俗な處はあるが、其俗な處 のであらうが、其機會を作り出すことが出來なかったらしい。八大がよくこの場合に適合して居る。英雄不會讀詩書と堂々と出しかけ 水 傳の最後の大戦は三國志や水滸傳を取合せて海戦をやって居るが、 たのも面白い。殺賊原來不殺人と警句を挿んだのも面白い。馬琴の 誌それは却て面白くない。水滸傳でも水軍の面白いのは大軍の場合では舟の出方も間がぬけて居るが歌の理窟ぼくて節の優長なのも間が ひきろく 3 なくて他の場合である。李逵が水中で張順と戦ふ處から、蟇六が訷拔けて居る。こんな所の趣味はとても馬琴にわかる筈は無いが、こ かんをう いぶか

5. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

おほひさご とまった一節を非常に骨を折って抑揚頓挫をつけ照應波瀾をこしら 鎗の柄に大瓠をぶら下げて笠を被って林冲といふ豪傑が雪の中を へて書いた處は水滸傅中に餘り多くない。其中でも殊に文章に骨を 酒買ひに行く處なんどは配合が善く出來て居る。 ゑんあうろう 折ってある鴛鴦樓の仇打も景陽岡の虎殺しも共に武松に關係して居 朱貴の酒店の處なども、 いきめ 此時天尚未明。朱貴水亭々上。鬮子開了。取出一張鵠畫弓。搭上るのは、作者が特に武松を諟屓目で見たのであるか、又は不用意で かうなって居るのか、兎に角武松は得をして居るやうな譯である。 那一枝響箭。覦著對港。敗蘆折葦裏面射將去。 ( 略 ) 只見對過蘆 こ又には作者の力を見せる爲に特に景陽岡の一段をあげて置かう。 葦泊裏。三五箇小嚶阿搖著一隻快船過來。徑到水亭下。 さいしん まど 武松が故鄕に歸るといふので柴進の家を辭し宋江に別れて景陽岡 何でもない處であるが、感じ善く作ってある。酒店の憾から梁山 の手前迄來た處である。 ( 此より以下水滸傅の文は終り迄連續して 泊の景色が見えるやうな心持がする。 呼延灼關勝を賺して宋江の陣〈導く處は月夜の夜道をひそ , , \ と居る。水滸傅の讀みやうは、支那音を知らぬ人でも頭から善い加減 に棒讀みに讀み下すが善い。日本讀みに翻譯してはまづい ) 行く有様を叙して、 當日胸午時分。走得肚中饑渇。望見前面。有一箇酒店。挑著一面 是夜月光如晝。黄昏時候。披掛已了。馬摘鸞鈴。人披軟戦。軍卒 招旗在門前。上頭寫著五箇字道。三碗不過岡。 銜枚疾走。一齊乘馬。呼延灼當先引路。衆人跟著。轉過山徑。約 虎を打つ前に先づ酒屋を出して來た處が最も妙だ。此一段が無け 行了半箇更次。前面撞見三五十箇小軍。低聲間道「來的不是呼將 れば虎が舞臺に現はれやうがないのである。馬琴が野道に突然と猪 軍麼」呼延灼喝道「休言語。隨在我馬後走」 を出した所なんぞは拙極まって居る。殊に三碗不過岡といふ看板の 先づ一段だけ引入れた。更に 呼延灼縱馬先行。關勝乘馬在後。又轉過一層山嘴。只見呼延灼把字は最も妙である。先づ此字面の中から虎が出さうに思はれる。っ いでに看板に就て一言したいが、西洋の詩や小説などには面白い看 がてう 此處迄來て山の鼻を曲ると一つの赤い灯が遠くに見える。呼延灼板が屡、、書き現はしてある。例〈ば拙ない鵝鳥の看板だとか、負傷 は馬をかけらしながら手に持って居る鎗の尖で「あれ、あの灯を」兵を負ふて居る下手な畫看板のある料理屋だとか、いふやうな田舍 と關勝に敎〈たのである。どんな處〈行くのかよくわからずに覺束趣味を現はしたものなどが出て來る。日本でもかういふ種類のもの なくも夜道を辿って居る際に、一點の紅灯を認めた感じのよさ、關勝は必ずあるに違ひない。飴屋の看板に木の煤ぼけた猿が旗を振って も軍卒も讀者も一齊に目をこの一點に注いで兎に角闇の中に目的を居るといふやうなのは外にもあるであらう。けれども小説などには 得たやうな心持がするのは作者の手段の巧みなる處である。牧童遙銓り出て來ない。馬琴にかせると行德で古那屋といふ看板のある 指杏花村と」ふのは杜牧の有名な句であるけれど、遙指の一一字は巧旅籠屋と」ふ位の殺風景な材料に止 0 て居る。水滸俾の三碗不過岡 に過ぎて多少の厭味がある。呼延灼がこの場合に鎗の尖で灯を指しなどは實によく働かしてある。 武松入到裏面坐下。把哨棒倚了棒叫道「主人家。快把酒來喫」 耜示した處は全く自然であって少しの無理もない。呼延灼は灯を見た この評に哨棒六とあるは前文から哨棒といふ字の現はる度に聖 時に鎗の穗をつき出すともなしに前に突出して指し示した迄のこと 歎が數へて來たのである。これはこの哨棒で後段に虎を打っといふ である。小説でかく自然にかく感じよく作ればうまいものである。 3 前に擧げた様に文章の面白い處はいくらもあるが、ある一つのま大切の哨棒であるから殊更に數〈て置く必要があるのだ。 0 0 0 0 0

6. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

いふやうにするのが目的であるのだ。 果して二つの虎が出て來た。 金聖歎の評は全篇の評と一囘々々の評と一節一句の評と三種あ 武松道「阿呀我今番罷了」 る。此全篇の評にはいろ / \ 議論のある事で、水滸俾を七十囘で切 もうおしまひだ、と武松は弱ってしまふた。 りあげたり、宋江を無暗に惡くいふなどは固より作者の意にも違 只見那兩隻大蟲。在黒影裏。直立起來。 再び驚いた。二匹の虎はっ乂立って歩行いて來た。これは虎の皮ひ、且っ穩當ならぬ處がある。併し金聖歎は自分の説を作者の本意 を被た獵師であったのだ。此一段の文章はこで切りあげたが適當だなど乂吹聽するけれど、其實作者の名をかつぐばかりで、矢張自 分の伎倆を見せるつもりだから、無理に異を立てるやうな事をす であらう。 る、見る者も其事を十分に呑み込んで置いて其上で聖歎の評を見る 畢竟此一段は作者が虎を出すために苦辛したので、一歩々々虎に と聖歎の評は面白い事が多い。七十囘以下は戦爭ばかりで文章が面 近づいて行く其道が一々波瀾をなして居る。しかも其波瀾は次第に 大きく急になって終に文章の極處印ち山に逹するやうになる。併し白くないといふので七十囘以下のある本を嘘としたのは一見識あっ 虎を手打にしたといふだけで突然と落ちてしまふては何だか物足らて善い。併し李獅々の一段がないのは惜い。李迸を上々の人物とし ぬので最後に又二匹の虎を出して來て全くの結局とする、これが所宋江を奸詐として兩々照して見せた處などはこじつけでも何でも、 とにかく働いて居る。これは畢竟水滸俾の作者が宋江をうまく寫し 謂餘波である。自然を主とする者は別であるが、若し文章をこしら 得なかった爲に宋江の人物をあらはすやうな處が一つも無い、金聖 へて面白くするといふならば恐らくは此打虎の一段よりうまく書く 歎も宋江をほめるべき處が無いのに窮して、いっそ惡者にしたら評 のは餘程難い事であらうと思ふ。 が振ふだらう、といふ位の事であったらう。 武松が三度虎をすかす處は事實にあり得べき事ではないが、しか 一囘々々の評はつまらぬ事も多い。それよりも一節一句の評は面 し若し人と虎との鬪を芝居に見せるならば、部ち客的に寫すとな らば到底斯く書くより外は無い。三度すかした處などはなか / \ う白い。此評は文章を解剖したものであるから少しでも文章の面白い まくこしらへてあるといふて善い。とにかく水滸傅の文章は侮るべ處には評語が非常に澤山ある。それには長いのも短いのもあるが、 前にも少し擧げた通り短い評には「虎」「人」「奇文」「第一碗」「硝 からざる者がある。 棒十六」抔の如き一字二字三字四字位なのもある。此評には非常に 氣の利いて居るのがある。これは丁度義太夫語りの三味線彈きが掛 金聖歎の評 聲をかけるやうなもので、これがために本文に勢がついて來る。若 八終りに臨んで金聖歎の評に就て一言して置かう。金聖歎が水滸傳し頭から、うるさいといふてのけるならそれ迄であるが、其掛聲が を評したのは今の批評家が小説を評するやうに其缺點を探し出すの善く調子を外さぬゃうに行く處はなか / 、うまいものである。若し ではない。評とはいふもの乂ほめてばかり居る評なので、ほめる方かういふ詳しい評の仕方は金聖歎から始まったとすれば獪更金聖歎 は無暗矢鱈にほめる、若し原書に缺點があっても、それを缺點としは一種の枝倆を備〈て居た批評家と目する事が出來る。 ( 明治三十三年九月 ) て誹らざるのみならず寧ろそれを辯護する側に立って居る。其評あ 3 るがために、つまらぬ處も面白くなり、面白き處は猶面白くなると

7. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

ではなく八人皆異なっては居るが、信乃が一番始めに出て子供の中 いふ點に於て一々違ふては居るが、其性格を見ると略一様なもの の成立ちから順々に書いてあるので讀者は最も信乃に馴染が深くな 跖である。又事件の上に於ても罪を得て流されて後にまた逃げて遂に は梁山泊に集るといふやうな仕組か、又は梁山泊の軍に破られて遂って居る。八大士の中で最も出しゃうのまづいのが親兵衞で、最も でんがく 巧みなのが毛野であらう。毛野が田樂の女に扮して親の敵を打っ處 に降參したといふやうな仕組か、大概はきまりきった仕組である。 此點に於ては八大傅の方は小詭として一歩を進めて居る。八人の人より始まりて其後或は隱れ或は現はれ出沒常ならぬ處は非常によく 出來て居る。此種の味ひは水滸傅などには見られない所である。湯 間は性格に多少の差があって事件にも餘り似たことは出て來ない。 信乃と毛野と二人とも女に扮して居るが其趣は丸で變って居る。莊嶋の瓧頭に一本齒の足駄を穿って居合找きをする處などは、呉用の あだ 助も毛野も道節も皆親や主の讎を打つのであるが其打ちゃうは少し賣ト先生に比して更に巧みに更に面白く讀者を飜弄するエ合は實に も似て居ない。此點に於て八大傳は割合によく出來て居る。併し多うまいものである。毛野の爲に八大傳は活動して居るといふてもよ 少の變化あるに拘らず讀んで行く中に時々だれ氣味になるのは長篇い。 それから文章のことをいふと、これは八大傅が非常に劣って居 に件ふ弊害であるからしかたがない。 る。第一に七五調を多く用ゐたといふことが小説を活動せしめざる 大體の比較はこれ位として一部分に就て一二をいはう。 のみならず甚だ厭味をつけて居る。信乃濱路訣別の場の如きは淨瑠 水滸傅には男が馬鹿に多くて女が極めて少ない。たまに女が出て くわいしゃ 來ても餘り働かずに引込んでしまふといふ處が多い。八大傅でも男璃のさはりと共に人口に膾炙しては居るが、今日から見れば甚だ幼 ひなぎぬゑん の割合には女は少ない方であるが水滸傅に比すれば女が可なりに働稚なものでとても情の寫るといふやうなものではない。雛衣の寃を いて居る。それであるから八大傅の方は水滸傅のやうに武張った感訴へる處でも同じことである。凡て情を寫す處は文章に長短緩急が なければならぬのであるのに馬琴は如何なる場合にも優長なる一様 じばかりではない。 ごろっき の調子を用ゐた爲に、腹を立てた處も腹を立てたやうに聞えず、荒 水滸傳は破落戸的豪傑が梁山泊に集って泥坊をするといふ趣向で あるから、百八人の離合集散のエ合が自然に出來て居るが、八大傅れ牛を捻ち伏せた處も澤庵石を轉がした位の感じにしかならぬ。こ は里見家に仕へるときまって居る八人が一所に集らなければ里見家れは八大傳の大缺點である。共外景色を叙する處でもうまいといふ には仕へぬ、安房の土地も踏まぬといふ無理な趣向になって居るのやうな文章は殆ど見當らぬ。一口に言へば文章の上に於て全篇がだ れて居るのである。馬琴といふ爺は詩歌的趣味とか文章の妙味とか だから、其離合集散のエ合が甚だ不自然である。 いふことは毫末も解しなかったものと見える。 水滸傳には大酒飲が多いから酒屋は屡よ引合ひに出されるが、八 之に反して水滸傅は俗文を用ゐた事が小説に適合して居るのみな 大傅は謹直な人が多いので酒屋などはとんと出て來ない。 らず文章の上に非常にうまい處がある。一語一句の妙より一節一囘 八大傅で子供といふと親兵衞だけ位だが水滸傅には仙童の外殆ど の妙に至るまで悉く兼ね備はって居る。金聖歎はよく之を評して居 子供は出て來ない。 るが馬琴は上の空に見て居ったらしい。この事は更に項を變へて論 兩書の人物の違ふことは前にもいふたが、共中で水滸傅を代表し りきぶしようせきしう て居る人物は李逶、武松、石秀などであるといふことは已に人の論ぜう。 要するに今日の小説眼から見れば水滸傅も八大俾も同じく幼稚で じて居るところである。八大傅では誰が代表して居るといふ様な風 ばいぼく

8. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

次に複物の程度に就て言はう。水滸傅の主人公は百八人で、八大き部分を馬琴が捉へて讀者の好奇心を滿足させたのである。これは 俾のはたゞの八人であるけれど、二書の趣向の複雜の程度を比較す一つには馬琴の働きであるが、二つには水滸傅よりも四五百年後に ると、水滸傳の方は簡單で八大傅の方は複雜である。水滸傅には非 出來て後世の複雜したる趣味に適合し得たわけでもあらう。併しな 常に多くの場合が現はされて居るけれど、それは皆時間的にすらすがら八大傳の複雜さ加減を言へば實は一般に複雜に過ぎて居るので らと經過して行くので一件終って他の一件起り一人退いて他の一人ある。人間には複雑な事件も多いけれど、それは多く内容の方に複 雜なのであって八大俾の如く外包の廣くして複雜なるのは實際には 進むといふやうに少しも事件に滯りがないから複雜には感じない。 たしルくかさう 一つの事件の最も長く關はって居る場合でも、一打祝家莊、二打祝ない。理窟的に小説を見るものは事實に遠いと近いとを間はす無暗 に複雜して居るのを喜ぶ傾きがあるけれど、感情的に趣味的に小詭 家莊、三打祝家莊位なものである。それが八大傳の方では一事件と いふやつが非常に複雑して居って始めから終りまでは隨分長いが上を見るものは決して外包の廣く複雜して居るのを喜びはしない。 0 0 次に寫實の程度に就て言はう。趣向の上では八大俾には荒唐無槽 に甲の事件は乙の事件を産み出し、乙の事件は丙の事件を産み出 し、枝には枝が出、葛藤には葛藤が重なっていっ終るかわからぬやの事が多く或は餘り複雜に過ぎて實際の世間に遠いことが多いが、 うな趣がある。最も極端な處は信乃濱路訣別の處から芳流閣上の新極こまかい部分の叙述のしかたに於ては八大傅は非常に綿密に叙し ひ、小文吾房八の爭ひ、禪宮川の戦ひ、道節定正の戦ひ、遂に荒芽てある處がある。甲の人が乙の人を訪ふた場合にでも一々寒なを叙 山の五大士の會合に至るまで僅々數日の間の事件が二十五六囘を占して用事の由來を述べて暇乞の挨拶まで述べて歸るといふやうな風 に書いてある。此點に於ても小説の發逹の上から見て八大傅は水滸 めて居るといふに至っては其複雜なのに驚かざるを得ない。其外一 事件毎に必ず因を説き果を説くので一小事件と雖も容易に叙し去る俾よりも發逹して居るといはねばならぬ。併しながら其考へは發達 ことではない。かういふ工合であるから水滸傳では百八人の外にはして居るに拘らず實際書物に現はれた結果を見ると、八大傳は其寫 一度出て一度引っ込んだ人間は再び出て來ることは無いが、八大傳實的にこまかくかいたが爲に冗長になって居る事が多い。甚だしき 議 0 ・つを」ノ こみやまいっとう では必ずしもさうではない。 ( 高悚の如きは別物である ) 籠山逸東は同じ一事件を二處にも三處にも繰返して人を飽かしめるやうなこ とがある。馬琴は矢張失敗して居る。水滸傳の方は普通の處では極 太といふ奴が甲の場所で引っ込んだと思ふと、少し間をおいて乙の 場所に突然と現はれる。船蟲の如きは一度現はれて一度隱れ、二度めて省略してあるにも拘らず、ある一つの面白き場合 ( 後に擧げた 現はれて二度隱れ、三度現はれて三度隱れ、殺されんとして殺される武松の一段の如き ) には比較的に、こまかく叙述がしてあって、 ず、危急の場合に一命を助かって何處迄も惡黨を働いて居る。これそれが爲に其場が活動して居るといふやうなことがある。水滸傅は 小説として幼稚なのにも拘らず、かやうな處は意外に繁簡共要を得 は水滸傅の惡漢が無造作に身首處を異にするのとは違ふて、餘程複 て居る。 雜に出來て居り、且っ惡黨の性質を最も善く現はして居る。此點に 次に變化といふことに就て言はう。水滸傳の方が人間も事件も多 滸於て八大傳は水滸傅よりも小説といふ伎倆の上に一歩を進めて居 いが存外變化には乏しい。人間でも同じゃうな人間が澤山出て來 る。印ち人生の出來事には非常に複雜になって居る部分があって、 る。技術の上に於て槍の名人だとか弓の名人だとか大砲方だとか石 然も其部分は世人の喜んで聞く所であるといふことを馬琴は看破し 00 たのである。更に他の言葉を以て言へば小説の材料として最も面白投げの上手だとか斧を持って居るとか靑龍刀を持って居るとかさう

9. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

誌を作る。五友とは太田柴洲 ( 正躬 ) ・竹村 * 軍人勅論發布。大隈重信ら改進黨結成。『新 8 明治十一年 ( 一八七八 ) 十二歳 體詩抄』『民約譯解曰「時事新報」「自由新 錬卿 ( 鍛 ) ・三並松友 ( 良 : 安長松南 ( 知之 ) ・ 聞」創刊。川田順。矢田挿雲・島田靑峰・ 殘された子規の文章中、最も早い時期の正岡香雲 ( 常規 ) 。その他、友人に五百木飄 川未明・渡邊水巴・齋藤茂吉・鈴木三重吉・ 「洋大の説」 ( 「自笑文草」内 ) や『香雲文集』が亭・寒川鼠骨らがいた。 野口雨情・種田山頭火出生。 ある。漢詩 ( 號、中水 ) を土屋久明に、習字 * 東大文學部第一回卒業式。「眞砂の志良邊」 を山内傅藏にならい、畫の稽古にもはげん 「俳諧明倫雜誌」創刊。高須梅溪・厨川白村 だという。 明治十六年 ( 一八八三 ) 十七歳 出生。 * 大久保利通が暗殺される。松根東洋城・有島 政治への關心いよいよ強く、一月、「天將 武郞・眞山靑果・岡本癖三醉・寺田寅彦・與明治十四年 ( 一八八一 ) 十五歳 ニ黒塊ヲ現サントス」など演説。北豫靑年 謝野品子出生。月の本爲山歿。 八月、松友・柴洲・錬と松山の南、久萬演説會・中學校談心會・明報會などに屬 山・岩屋寺に遊ぶ ( 一泊 ) 。このころ、五友す。五月、松山中學を中退。西原義任らと 明治十二年 ( 一八七九 ) 十三歳 と鬪詩を樂しみ、「愛比賣新報」に投稿も「北豫靑年學術雜誌」を創刊、六、七號ま 四月ころ、回覧雜誌「櫻亭雑誌」を作り、 した。また、政治家を志望した。 で續いた。六月八日、叔父恆忠 ( 拓川 ) から 秋には「辯論雜誌」を作った。夏、擬似コ * 板垣退助ら自由黨結成。石原純・森田草平・ の手紙に接し、ただちに上京を決意し、十日 レラ - にかかったが、一週間ほどでなおる。 小山内薰・大須賀乙字・會津八一・小澤碧童出發。前戸を〈て、十四日着京。恆忠や三 出生。 このころから軍談を好み、稗史小説を耽讀 並良・極堂の下宿などを十日ほど泊りある し、貸本を筆寫したりした。「自笑文草」 き、久松家の書生部屋に入った。ひと月ほ 明治十五年 ( 一八八二 ) 十六歳 中に勝山小學校での小文類、他に漢詩の作 どして、赤坂の須田學舍に入り、後、共立 二月十三日、在東京の叔父加藤恆忠に手紙學校に入學。この間も轉々して、やがて溿 * 東京學士會院設立。高橋お傳死刑。日田亞を送り、東都遊學の希望を述べる。六月、 田の藤野漸方へ移る。恆忠は外遊に出た。 浪・正宗白鳥・廣江八重櫻・長塚節・赤木格自ら舊文を編集して「自笑文草」を作る。 * 鹿鳴館開館・『天賦人權論』『經國美談」。志 堂・永井荷風・靑木月斗出生。 賀直哉・高村光太郎・前田夕暮・三井甲之・ 七月に上京した三並良あてに「隅田てふ堤 安倍能成出生。 の櫻さけるころ花の錦をきてかへるらん」 明治十三年 ( 一八八〇 ) 十四歳 の歌を送る。これが現存の最初の歌であ 明治十七年 ( 一八八四 ) 十八歳 勝山小學校卒業、松山中學人學。この年創 る。八月十八日、竹村と永田村に武市庫太 設された漢學者河東靜溪 ( 碧梧桐の父 ) の千を訪い、一一泊。また、大洲に遊び、四、五藤野方ではじめて東京の新年を迎える。共 舟學舍に通い、同親吟會をつくり、 漢詩作泊したことがある。十二月、靑年會で「自立學校で『莊子』の講義を聽き興味を覺え に熱中。翌年にかけ「莫逆詩文」「五友雑由何クニカアル」等を演説する。このころる。三月、舊松山藩主久松家から給費を受 誌」「雅懷詩文」「雅感詩文」等の小回覽雜 は洋書の功を説いたりするようにもなる。 けることになる。月額七圓 ( 大學へ入ってから

10. 日本現代文學全集・講談社版16 正岡子規集

6 8 あられ 吹きたまる岩の霪みの霰かな 雲消えて花ふる春のタかな 靈石洞 石を爲す鍾乳の露滴るよ 雪を丸めて佛を作る雪の朝 佛の灯淸水にうつる洞午なり 春風や眼も鼻も無き石佛 梅花谿 白梅は紅梅に劣る厠かな 散る梅の掃かれずにある窪みかな 曉の山に月出づ梅の花 ゅゐまきゃう 活けんとす梅こぼれけり維摩經 紅杏林 君心ありて伐り捨てざりし杏かな はくり 鴉ありて白李の種を盜みけん や杏の花に日三 靈聖女來らず杏腐り落っ 淸風關 いづ 更衣出べくとして我約ありし 敲けども / 、 水難許されず 竹林に晝の月見る涼しさよ 涼風や愚庵の門は破れたり へきごをい 碧梧井 桐にしてかぶさる井戸の靑葉かな 桐を栽ゑて古びし井戸を新・らしむ 山の井の底に沈める一葉かな 桐掩ふ庭の淸水に塵もなし さうしけい 棗子逕 なつめ 長い棗圓い棗も熟しけり 、ひな 把栗 碧梧桐 虚子 子規 碧梧桐 虚子 把栗 碧梧桐 虚子 把栗 幽蜒 2. 胸 把栗 碧梧桐 虚子 把栗 碧梧桐 熟したる棗の下に徑を爲す 鐵鉢に棗盛りたる僧奇なり 行脚より歸れば棗熟したり さい多 ~ 、り 探第籬 菊一籬こゝに愚庵十二勝を成す 鋏誤って白菊を切る黄菊かな ひま 晝鎖す間に菊花の亂れ啖 靈山の麓に白し菊の花 きんぶうがい 錦風崕 信信を送り出で、紅葉夕日なり 崖の上に鳴かざる鹿の馴れて來る 崖を削って道つくるべく蔦紅葉 紅葉散りてタ日すくなし苔の道 せうげつたん 嘯月壇 物干に月一痕の夜半かな ふんどし 犢鼻褌を干す物干の月見かな 松はしぐれ月山角に出でんとす うそぶ 嘯けば月あらはるゝ山の上 らんかせき 寒夜一棋石盤をうって鳴る 石の上に春帝のの朽ちてあり 閑古鳥僧石に詩を題し去る 野狐死して尾花枯れたる石一つ こしよう・フ 古松塢 松に蔦風吹き荒れて塚ならざる みのり 草枯れて松綠なる御法かな 蛇の衣のかゝる木末や雲の峰 冬枯や日く庭前の松樹子 虚子 把栗 子規 碧梧桐 虚子 把栗 子規 碧梧桐 把栗 碧梧桐 把栗 碧梧桐 虚子 把栗 子規 珀石蜒桐 虚子 把栗 ( 十二月二十四日 )