思はれるのが厭であった。 言下に姉を冷笑していった。 6 「あんな人、とても見込みがない : 「馬鹿 ! お前は何といふ馬鹿だ。甘いにも程がある。今に放り出 そんな、病人の譫言を父親やお茂がもし、彼等の邪推の通りに信されるのを知らないで。騙されてゐることが解らないんだ。」 じてゐるとしたならば、實に何ともいひやうのないほど、彼等は、 それにも拘はらず宇治のその後ずっと實行して來たことは、お悅 身の程知らずであると、宇治は苦い顔をして、堅く口を緘んでゐ の信じてゐたとほりであった。しかし、お悅にしても、それがあま こ 0 りに自分の意外であったりするところから却って疑心暗鬼の眼を以 さうしてゐると病人は又、何か知ら譯の解らぬことを口走ってゐ て宇治の腹を邪推するやうなことが多かった。そしてそんな邪推が 、お茂はその中から今度は、次のやうなことを聽き取った。 彼女の不謹愼な言行となって表はれることが屡よあるので、その爲 「あらツ、よく揃った二人だといってゐる。」 に宇治の心を驅って、動もすれば却ってお悅の妄想してゐるやうな お茂は何か深い意味のあるやうな聲でそれをいった。 方面に向はしめようとする傾きがないでもなかったが、宇治の方で てうかんてき 宇治は默って父親やお茂や慶吉の顏をぢっと見わたした。父親は はそんな關係を鳥瞰的に察してゐるのと、彼の長い間の經驗から その時枕頭を離れて毎時自分の居る場處にしてゐる納戸の方にいっ體得した節制力との爲に、彼は決して自暴自棄には陷らなかった。 て大趺坐をかいてゐたが、彼は、お茂の飜譯したその譫言の中にも宇治は、自分の行爲に一點の非難を容れられざることを確信してゐ お悅の不幸なる境遇を讀み取ってゐるもののやうに、ロ邊に忿怒の るのであった。 色を浮べながら、鬼のやうな恐い顔をしてそうっと涙を拭ってゐ それゆゑに病人の譫言から、何か平常お悅が親や兄弟にも打明か た。 すことを憚ってゐるやうな祕密を胸に抱いてゐて、それで苦しんで 宇治はその時思ってゐた。病人の發してゐる譫言が少しでも正氣ゐるのではないかといふやうな事實の端緒を得ようとしてでも居る が交ってゐるとすればするほど、お悅が平常心の底にいくらか思っらしいお茂などの淺薄な所作が宇治には腹が立っといふよりも、そ てゐることと、彼女の父親や弟味どもが皆なで思ってゐることとんなことがお悅等一族の者相當の知識程度であるといふことを考〈 に、一點共通した疑惑が潜んでゐるのであった。それは、宇治が凡て、宇治は、どこまでも嫌惡を感じた。そこで、どうしたら自分の ての點でお悅のやうな女を妻にして滿足してゐる道理がないといふ子供を彼等との關係から、さつばり絶っことが出來るかと思ふと、 ことであった。それは、お悅や彼女の一族の者がさう思ふのが本當 それは血續上どうあっても出來ないことであるのが、宇治をして厭 であった。まだお悅に子供の生れない前、彼女が宇治の處に何とい世的にならしめるのであった。 ふ名目もっかずに同棲してゐた時分弟の慶吉は妹のお茂夫婦と三人 父親は、昨夜も取り出して讀み返してゐたお悅の手紙のこと、今 で姉のお悅に向って隨分手嚴しい苦言を呈したのであった。その時夢中に病人がロ走ってゐることなどを前後考〈合してみると、たし お悅は、 かに宇治がお悅を非道く虐待してゐるに相違ないと思った。彼は宇 「あの人は今まではどうであったか知らないが、もう今はそんな氣治に對する憤怒とお悅に對する憐憫との興奮のあまり鬼のやうな恐 はないんだ。自分でもさういってゐる : い顔をぶる / \ 慄はしながら、 といって、宇治を信じてゐるやうなことをいった。すると慶吉は 「これでもし死にでもしたら : : : 」
かったが、 それほどでなかったが、父親には感服してゐるらしかった。父親は ことわり 「小さい子供など連れて餘處へ行くより自家にかうしてゐる方が、 鄕里のその村でもなか / 、物の事理の解った人間で、常に人に依賴 どんなに氣樂だか知れない。」と、お悅がいふので、 されて口を利いてゐるといふことも宇治はお悅から度々聞かされて 「ぢや、私一人で何處かへ十日ばかり往って來よう。」 ゐた。もう六十を二つ三つ出た、でつぶり肥滿した人物で、不斷は 宇治はさういって、お悅に、彼女がいっかも云ってゐた、何處か優しい眼許に始終笑みを湛へてゐた。 るす 旅行でもして宇治が不在になる時には彼女の父親が遊びかたみ、來 宇治はそれで、これまでもお悅の悍執を持て剩すたびに毎時心で て居てやるといってゐたといふ話を思ひ起して、お悅にそんなこと呆れながら考へた。お悅の親逹は自分の娘のこんな惡い性癖を知っ を書いて出さしたが、一向むかうからは返事もなかった。それにおてゐないのであらうかと。尤も宇治に對しては常にそんな狂暴でゐ 悅が夏中どうも健康が優れないので、宇治自身からも一度遊びかた て、その癖ひどく小心で含羞性の彼女は、他人の前では、便所の掃 がたぜひ來てくれるやうに再三手紙を遣ったのであったが、妹も今除屋にまでも馬鹿丁寧な口を利くのであった。たゞ一ととほりにお のところ、何か皮膚病を患ってゐて外に出されないし、父親も多忙悅を知ってゐる者は、彼女にそんな病的な性癖があることを知らな で往けないといふ、お悅の母親からの手紙であった。お悅の母親はかった。宇治も、これが人から強ひられたといふのでもなく、相當 假名まじりの文字ではあるが筆蹟など誰よりも巧みであった。 思慮分別の熟してゐる彼の自由意思でしたことであるから、何とか すな 宇治はお悅が、そんな譯でとかく從順でなかったり、眞面目に藥してその性癖を直すより他に仕方がなかった。そして毎時お悅の悍 てこず らうばら を服まなかったりするのに毎度手古摺るたびに、中っ腹になって、 執と狂暴とが募って持て剩すたびに宇治は、子供を脅かすやうに、 「私はもと他人だからいゝゃうなものの、お前はさうぢゃない。娘「國から祖父さんに來てもらって、すっかり話してしまふ。お前の が手不足であったり身體が惡くって困ってゐるんだから、誰か一 祖父さんは、もっと物がよく解ってゐる筈だ。 ーーー手紙でこの 度、あれほど度々手紙を遣って賴むのだから來てくれればよささう事を書いてやる。」といってゐた。宇治は單に脅かすばかりでなく、 なものだ。私は、自分の方で出來るだけのことをしてゐるつもり 實際腹からさう思ったことも度々であったが、遂に委しいことは一 だ。」彼のさういふ腹には、親元にゐるお悅の子供に對する仕打ち度も書かなかった。それでも彼女は、そんなことは父親に話される からいっても決して不足のある筈はないと思ってゐるのであった。 のを憚った。そして、 そして宇治は、電報を打って戻って來る道すがらも、先刻からの 「何も、こんな下らないことを親父に話す必要はない。二人のこと ほとり 不愴快な憤怒の餘熱がまだ消えず、生れてやうやく十ヶ月、母親のは二人で話が出來る。」といふのであったが、宇治は、つく、ん \ 持 爲乳よりほかの物をまだ少しもやったことのない子供を母親の手からて剩すたびに眞面目に考へてゐた。 愛離すことの可哀さから、出來るだけ耐忍して來てゐるのであるが、 宇治は中野の町の郵便局からの歸途、ひどく興奮した。悲しいと かんしふ 子とても手の付けやうのないお悅の悍執にすっかり愛想が盡きてしま も寂しいとも分らないやうな氣持で、自分はやつばり長い間通して ったので、父親が出京するのを待って、これまで嘗て口に出さなか來たやうに一人で居る方が好かったのだといふやうなことをも考へ ありてい った彼女の平素の我儘、悍執狂暴を有體に話して十分に父親から訓ながら、。ハンと。ハタとを買って戻って來た。そして臺所で瓦斯の火 はう 誡を加へてもらふつもりであった。お悅は平素のロ吻からも母親はで。ハンを燒いて、好きな番茶を焙じてそれで。ハンを食べて、奧の蚊 よそ はにかや
: あちらの子供が可哀さうぢゃないか : : : 」と、い ると、宇治の家では女中は大抵二人で一人の時は少なかった。お悅がいゝんだ。 には、氣を置かなければならぬ年寄りといふ者もなかった。宇治はひながら、仕舞の方の聲は涙に濡れた。 宇治は又それを默って聞いてゐながら、お茂は自分には亭主があ 外で金を使はぬ代りに、家では毎日欲しいと思ふ物を食べてゐた。 宇治はそれで、小遣をも碌にくれないと、何かに付けて皆なっても、姉のお悅には夫が無くっても可いと思ってゐるのであらう かと思ってゐた。 がいふところを少し不思議だと思って考 ~ てみると、お悅はなるほ すると、今まで少時默ってゐた父親は、 ど宇治の家に居て、格別日々の事に不自由をしてゐるほどでもない のだが、自分の先に産んだ子供の厄介を掛けてゐる鄕里の次弟の方「去年子供が生れた時に、悅を此方〈入籍することを承諾したの は、私の方では、貴方に恩惠を施したつもりでゐるんだ。」といっ など ( 思ふとほりの義理をすることが出來ぬのを始終心苦しく思っ ことは 5 ら た。その語裏には勿論、自分の方ではお悅をお前の處などへは寄越 てゐるのではあるまいかと、宇治には考へられた。しかし、それも されないのだが、お前の懇望に任せて寄越した。それにも拘はら お悅が、平常眞面目に宇治のいってゐるとほりを果たしさ ( すれば 何でもないことなのであった。宇治自身としては、初めから自分のず、お悅を虐待するとは何といふことであるといってゐるやうに・思 方 ( 餘り好意を有ってゐないらしい、お悅の次弟の方 ( まで始終気はれた。それで宇治は心の中で、お悅がそんなに勿體ない女である を配って世間竝の義理をしなければならないとも考 ( なかった。宇ならば、何時でもお引取りをねがふのだと考 ( たが、今止むを得ず 治の頭は、それよりももっと大事なことに忙がしかった。彼は、學して母乳を離したばかりの子供のことに一度思ひ及ぶと、宇治は體 生時代から始まって、ずっと中年にかけて長い間に數千圓といふ金中の勇氣が悉く挫けるやうな氣がした。 宇治はさうしてゐるかと思ふと、心は絶えず八方に散らかってゐ まくら・もと を貰ってゐる自分の鄕里の兄に孫が生れても、自分で氣の向いた時 るやうに、恰も彈條仕掛けの如く又すっと起ち上がって病人の枕頭 でなければ、改まって祝儀もしなかった。その代りにどうかすると に歩み寄り一寸様子を覗いて見て、 東京中を探して、田舍の者の眼を驚かすやうな物を買って潰ったり 「あ長もう、うるさい , / 、。そんな話は何時でも出來る。今此の死 した。 前後のロ裏では、どうやらそれが、お悅の次弟に一一度目の男にかゝった病人を放棄っておいて、そんなことをいってゐる場合ち / 、一一一口ひなが の兒が生れて、その百ケ日が過ぎても、お悅ーー宇治ーーの方で祝ゃない。 = = = 助かる者をも殺してしまふ。」と、ぶつ ら又今度は横の方から父親だの慶吉の居る脇に寄って來て坐って、 儀もせぬのが、お悅に碌に小遣も與へぬといふことが重大な感情問 「まるで皆な此處の家を破壞してしまふやうなことをする。」と、 題になった原因の一つらしかった。それと察しられると、宇治は一 に居厭な氣がした、夏中ひとりで齷齪して暮しを立てた宇治は、そん沈痛な情を顔に浮べて喞つやうにいった。 の すると、慶吉は、又のり出して來ながら、 なことを、もし向うで根に持ってゐるとすれば、いよノ \ 以って仕 の 「破壞してしまふやうぢゃない。もう破壞してしまってゐるぢゃな 方がないと思った。 子 いか。子供なんか死んだってかまはない。病人はもうあのとほり死 さうするとお茂が又口を出した。 幻「姉さんは獨りになって自分で働く方が好いんだよ。・ = = ・立派な腕んでしま 0 てゐるぢゃないか。貴様が殺したんだ。貴様もついでに 2 を持ってゐるんだもの : : : さうしてあちらの子供を自分で育てる方殺してしまってやる。」 ばね
宇治はそれと氣が付くと、お悅が此の間もいってゐたことを、自 6 りでなく宇治の方から潰った物と一緖らしかった。 幻分の思ってゐるまゝに、父親に書いてやったものと察した。さうし 「このとほり手紙が來てゐる。」といってゐたが、彼は興奮の極に て、その無理解と不埓とについて忽ち非常な不快と立腹を感じた。 逹したものの如き有様で、 そして、いきなり、「何だ、そんな手紙をやってゐる ! 何で私が 「これが虐待でなくて何だ ? 。元のとほりの身體にして返 藥代を吝んだ ! 」と激昻の語を發した。 あぐら すると、そこに腹這ひになってゐた父親は、起き上って來て趺坐 と怒鳴りながら、手紙の束を疊の上に、ばたと叩き付けた。 になりながら、きっとなった顔をして、宇治に向ひ、 宇治はその權幕に吃驚呆れたが、その直ぐ後の瞬間、妙に人間と 「貴方がさういふなら、いふ。私もいふ。 : : : 事實に無いことを手して自分の優越を感じた。 といふのは、宇治自身に何處を突い 紙に書く筈はない。藥代を吝んだと書いてあるのも、貴方が吝んだても兎の毛ほども、さういふ不足をいはれる缺點がないといふ強い から、そのとほり書いたものに相違ない。」 確信があるからであった。事實、宇治はお悅を虐待するどころの騷 それを聞くと宇治は、此の間も既にそのことで、お悅に對して、 ぎではない、平素から宇治自身の方がお悅に虐待せられてゐると云 ひどく立腹したのであったが、他のことと違ひ、自から必要と信ずっても決して不當ではないのであった。もう長い間、お悅の病的な る物を吝んだなどといはれては、それが全然自分の氣持と正反對な狂暴に手古摺るたびに、今度こそは父親に會って一伍一什の事情を 言ひ前であるだけに一層腹が立った。 委細打ち明けて懇談しようと思ったことは幾度あったか知れぬが、 「何で私が藥代を吝んだ。この私が物を吝むなどと、事實を誣ふる何より、毎時勉強の方のいそがしさに、そんな詰らぬことに暇を費 にも事に依る。どこにそんな事實があるか。」 してゐるのが億劫で馬鹿げてゐるのと、お悅の缺點を數へ立てると 宇治は、お悅に向っていふ如く父親に向って喰って掛った。 いふことは、取りも直さず、自分がお悅の如き者を入れて妻にした すると父親の方でもます / 、開き直って來ながら、 といふ自己の不明を語らねばならぬことになるので、それが、宇治 「事實ないことを夫婦の間で書く道理がない。 : それに、小遣ま 自身の、相當思慮あるべき筈の年配を省みて出來ないことであっ で碌に當てがはないといふのは、貴方は悅を虐待しとるちゃない た。そんな時彼は屡よ自分と同じ職業の大先輩であるところの瀧澤 か。」と怒鳴った。 馬琴の私生活を思ひ出した。馬琴は老境に入りて、無智悍執なる妻 しかし、宇治は自分の意中に強い自信があるだけに、そんな言ひ の狂暴に苦められてゐた。彼はその事を日記に書いて且っ悔い、且 分を聞くと、腹の中で稍よ可笑しくなって來た。 っ慚ぢ、且っ歎いてゐる。宇治は嘗てそれを讀んで、ひどく、この 「何で私が虐待をしてゐる。何處に私が、彼女に不自由をさせた事大家の老後に同情したことがあった。彼は、馬琴でさ〈、無智の愚 實がある ? 」 妻にあってはそんな困惑をしてゐると思ふと、や乂諦めも付くので 「不自由をさせて居るちゃないか。虐待してゐない事實がないものあった。 が、何で此の手紙を書く ? ・ : 追掛けおっかけ、始終此のとほり それで、いよノ \ 最近お悅の狂執が募って、どうにも始末におへ 手紙が來てゐる。」といって、父親は見たところ十通ばかりの嵩のなくなったところから、父親の出京を促して、長い間腹に溜めてゐ てんまっ ある手紙を束にしたのを取り出した。それはお悅から遣ったのばか た願末を洗ひざらひ話さうと思ってゐたのであった。それに何事
笑しくも思ったり、可哀さうにも思ったりするのであったが、あん るやうであった。 わから十や まり沒分曉の、お悅のそんな性癖を露骨に見せ付けられると、彼女 「こんなに手數のかゝる子供を見たことがない。」 の生ひ立ちとか敎育の不足とか、從來の生活の境遇とかいったやう 始終愚癡のやうに零してゐた。一體お悅は愚癡つぼい女であっ なことでなしに、その現前の惡い性癖に手古摺らされて、その爲に、 た。どうかすると彼女は子供の生れたことすら、よく愚癡を零し 何も彼も我慢してゐるお悅が厭はしくなることが度々であった。 た。しかし、宇治はそんなことの對手になってゐなかった。 一度など、宇治が、彼の先輩や友達と五六人で久し振りに親しい 「そんなことを今更いったって仕様がない。」 夕食の會合を日本橋の方でする晩であった、彼が衣服を更めてこれ 宇治は、ない時には子供を望みもしなかったが、出來た子供を、 いきなり から出掛けようとすると、穩かならぬ顔をしてゐた彼女は突如宇治 これが生れなかったならばなどと、後悔したことは一度もなかっ の胸倉に打突って來て、羽織の紐を千切ったり、宇治が大切にして た。そして、子供が生れると同時に、それまで入籍してゐなかった 度ころ ゅふき ゐる結城の袖口を綻ばしたりした。宇治はたとひ藝者遊びに行くの お悅の入籍の手續きをも濟ました。お悅と宇治とは、これまでの境 であってさ〈、そんなことを 0 お悅がするのは可くないと思ってゐ 遇や經歴の相違、その他の關係から、今後の生涯を共にするのは、 必ずしも、さうするのが、お互の將來の幸輻であるか、どうかは考るのに、さういふ性質の會合〈出掛けようとする場合であったか 〈物であったが、しかし、これまで長い間相應に世間といふものをら、つくん、お悅の病的な邪推と嫉妬に愛想の盡きる思ひがした。 見て來てゐる宇治は、お悅さ ( 宇治に順應して行く氣さ〈あるなら「この女を、大分見違〈てゐたな。しかし、自分の不明だから仕方 ば、彼女を生涯の同件者とすることに格別不都合を感じなかったのもないが : : : 」と心の中で思ひながら、不快な氣持を胸一杯にして である。といふのは、敎育の程度が低いとか、彼女の實家がどうで出ていった。 いきなり お兌が突如自分の方から宇治の頭に手を上げて打って掛ったり、 あるかといふやうなことは、血統などに別條のない限り、宇治は、 まるで猫のやうに宇治の手だの顔だのを引掻いたりする病的行爲 今となっては、それを兎や角云ってゐなかった。たゞ彼女が、宇治 によって營まれる、今後の、些やかな一家の生活をお互に幸なもは、先の生傷がまだすっかり癒り切らぬ時分に絶えず發作的に始ま った。一度など、お悅は、平掌を上げて不意に宇治の額を厭といふ のにする上に聰明なる理解を以って順應し、自分逹の老後の生存の 安全を保證する方法を立てるう〈に就いても宇治の心持をよく飲込ほどひつばたいたので、宇治は眼から火が出るほどの目に遭った。 その時は、宇治も流石に心から憤った。 んで、和合しさへすればよいと思った。 「俺の身體は金がかゝってゐる身體だ。何の爲にそんな不埓なこと すると、お悅の方では、自分と宇治とのつり合をどう考へてみて 雛ゐるのか、始終邪推と僻見と嫉妬に惱まされた。何時でも宇治の爲をするんだ。・ = = 俺の兄弟はみんな田舍にゐるが、それ等の家内に 一人だってお前のやうな者はない。」といったが、彼は、う段々年 愛に抛り出されさうな氣がしてゐるのであった。宇治も、もう相當に の 考〈を定めての上のことであるから、自分では少しもそんな氣もなも取って來たことであるし、殊にどうかして靜かな生涯を送りたい と、そればかりを思ってゐるのに飛んだ女に係り合ったものだと思 かったのであるが、殆ど生來の病的ともいっていゝお悅の、さうい ふ不安は直らなかった。宇治は自身で、以前の自身と大分違って來った。宇治は彼女に、そんなことを毎度繰返されても、なほ耐〈て 1 てゐることを、十分確信してゐるが爲に、お悅のそんな不安を、可置かねばならぬほど、惚れても居なければ氣に入ってもゐなかった はふ てこ干
たま て、その爲に父親や、妹などが東京に來て偶に宇治の處に客になっ とをいふと、彼女は、 おやち たりすることを常に嫌ってゐるといふことを知ってゐるので、子供 「もう四五日のことだから待って下さい。この間親父にーー、・彼女は の厄介を掛けてゐるお悅の立場としても兎も角も、宇治はそんな話 父親を呼ぶに父ともお父さんともいはなかった。ーー手紙を遣って を耳にする度に、格別それくらゐのことを氣にも留めなかったが、 あるんですから、何處へも行かないで親父が來るのを待って、わた しかし、常にそんなことを考へてゐるといふお悅の次弟に對しては しの事の話を、さつばり付けて、行くなら、どこ ( でもいって下さ 少しの好意も持っことが出來なかった。お悅との同棲が世間普通の い。」と、眞顏になっていった。 つまり暇を取るんだから、その結末を付けてくれといふのである姻に成ったものでなかったので、勿論宇治は、お悅の實家も知ら が、そんなことは、宇治が何か一寸した小言をでもいふと、必ず一一なかったし、東京に定住してゐる彼女の弟妺の他はその玖弟などに の句に彼女の口から出ることであったから、宇治もめづらしくないも會ったことはなかった。それで、何となく祝ひ物の催促でもした ことと思ってゐるのであったが、しかし、そんなことを、何かといらしいその文面を見ては、輕い不快を感じたのであったが、高が銘 ふと、すぐに輕しく口に出すやうなことでは、どんな小さい家庭仙の半反や一反やそこら何でもない宇治は、そのうち序の時で可い と思ってゐた。 であっても、此の先到底和樂な一家を續けることは不可能であると その手紙の様子では、父親に、お悅は又自分で、どんなことを云 思って、宇治も近頃は、心の中だけで少し眞劍になって考〈てゐ ってやったか知らないが、彼女のいふやうに急に出京するらしくも 思はれなかったのと、いくら彼女が口癖のやうに、明日にもすぐ此 するとその晩か翌日お悅の父親から宇治にあてた手紙が來た。そ の家を出て行くといふやうな興奮したことをいってゐても、いよい れは二三日前宇治からの電報を受取った後で書いたものであった よ實際となると、そんなことは容易に斷行せらるべきものでもな が、どうあっても多忙で今のところは出京出來ぬといふのであった く、宇治は固より、何より第一に子供の爲にそんな輕擧に出でるこ が、そして、その手紙のをはりに、自分の方の孫が此の間百ケ日を とを甚だ好まなかったので、そんな無益な言ひ爭ひに、さうなくて 濟ましたから、そのことをお悅に傅 ( てくれと特に書いてあった。 その孫といふのは家をやってゐる、父親の次男の長男であった。宇さ〈暑苦しいこの頃の日を續けてゐるのが、ほとノ \ 馬鹿らしくな 治はそれを見て、何といふことなしに、その子供の誕生の祝ひ物をつたので、どうあっても此の五六日の中にぜひ片付けてしまはなけ 催促せられたやうな氣がした。さう思ったのは何か祝ひのしるしをればならぬ執筆の仕事を携 ( て伊香保の温泉に往くことにした。晦 しなければならぬと心に掛けながらも、連日の炎暑とお悅の夏病み日のことなども滯りなくお悅にいひ殘して、彼女は宇治の小道具を やら、宇治自身の多忙やらで、 0 いそのま、にしてゐるので、その入れる手鞄の始末をしたりして、彼は二十九日の朝立「て行 0 た。 伊香保は宇治の想像してゐたとほり、夏中雜沓してゐた避暑客が 愛爲に宇治の方で多少邪推したのであったかも知れぬが、宇治自身と 子しては、何時となくほのかに洩れ聞」てゐる、お悅の次弟に當るそ丁度月末にな 0 て、殆ど全部引揚げて去 0 た後で極めて閑靜であ 0 た。彼は、好い時に來たと思って夏中っゞけて氣急しなかった體 の次男が、お悅が先に産んだ女の子を、その弟に世話を掛けなが 9 が、はじめて、やっとのんびりとした氣持になった。さう思って安 ら、勝手に宇治と同棲したり、又、子供を産んだ結果、籍まで移し 0 2 心すると、何だか長い間の疲れが一時に發したやうで、却って妙に て宇治の處に嫁入したりしたことについてはひどく惡感を抱いてゐ つきすゑ
といって、又手巾で涙を拭ひながら、どんなことをしても娘の仇ければならぬと思った。宇治はもう昨日から、時々それを思ひ出し を取るぞといったやうに、悔しさうに脣を噛みしめてゐた。 てそんな大事な物の藏ってある處を探してゐたのであったが、押人 對手が皆な揃った野蠻人であるだけに、宇治は實際、これでこのれの夜具の中にその包みを見出した。 まゝお悅が死んだら、面倒なことになると思ってゐた。飛んでもな 「あ当此處にあった、こゝにあった。」 . といって、宇治はそれを取 出しながら、 い者に繋り合ったものだと後悔した。 こさ そのうち病人は何かいふのを止めて、又少し眠りさうになったの 「別に銀行に金を預けて居る譯でもないし、これでも賣って金を拵 で、 へよう。」といひながら、包の中から數枚の債券を抽き取ってそこ 「あゝ、もうそんなにいろんなことを訊かうとしないで、そうっとに居た父親に見せた。 眠らさないといけない。」 父親はそれを見ると、や長顏色を和げてゐた。 宇治は、周枕頭に、覗いて何か話しかけようとするお茂をたしな 宇治は心の中で思ってゐた。お悅が父親に宛てた手紙の中には、 めた。そして心の中で、全く仕方のない無智な連中だと思ってゐ宇治が碌に小遣さへ與へないで、たった五圓なにがしの藥代をさへ ざんふ 吝むといふやうな不埓な讒誣をしてゐる文句を、昨夜遲くあの手紙 父親は昨日の朝電報を見ると早速飛んで出て來たので、一應お悅の中でちらりと見たのであるが、宇治の一家の生活にはどんな節約 の容態を見屆けたうへで、今日はこれから一旦歸國して、二三日し をしても、一ヶ月に三百圓から四百圓の金は消えた。それはたった て又出直すことにしてゐた。そして何處までも不滿に堪へないやう三人の小家族にしては決して少い經費とはいへなかった。彼は、お ぢっ よりどころ な顔をして凝乎と默り込んでゐた。 悅が、何の據があって、そんなことをいひうるかと思った。そし て、夏の中よく、「私には罰なんか當らないんだから、まだ一度も 宇治は一昨日の晩遲く旅行先から歸ってみるとその騷ぎで、まだ病氣になぞ罹ったことはないんだから。 : : : 手前こそ何だ、あのざ ゆっくり前後のことを考へてみる間もなかった。五日不在の豫定でまは。げいど、嘔吐をついて。」と、お悅が自分に向って毒づいた 出ていった自分の留守中月末の諸拂ひや當座の小遣は間に合ふだけ ことを、ふと思ひ起した。宇治は實際、今度のお悅こそ俺の罰が當 お悅に渡して置いていったのであるが、留守を賴んでゐた女中に訊ったんだと思ってゐた。 くと、三十一日の拂ひは、お悅が寢床に居て、まだ自分で金を出し お茂はそこで自分の子供の泣くのを陬しながら、乳を飲ましてゐ 人れしたといふのであるが、それから後のことは一切分らなかっ すこしばかり 爲た。少許の證券や保險證書のやうなものを一包みにしてお悅に藏「お父さん今度出て來る時、一遍お芳を連れて來て見せてやるとい いねえ。 愛はしておいたのであるが、そんな物を何處に置いてゐるやら分らな : 見じまひだよ。お芳が可哀さうだよ。」と鼻聲を出し こ 0 子かった。 宇治は一昨日からずっと打通しに病人のこととそれに件って子供 お芳といふのはお悅が田舍の方に居る時産んで祖父母の手許で育 の始末についてばかり、一方向きに心を奪はれてゐたのであったててゐる子であった。 とち 2 が、これから先き病人が何らになるにしても金の準備をして置かな 宇治は傍でそれを聽いてゐて、無理からぬことであるとは思った ハンケチ ふっと
結果は、それが事實であった。 8 たといって、暫く女中部屋に橫になってゐたが、 幻その晩お悅は又宇治と、つまらぬことからいひ爭ひをはじめた。 「まことに濟みませんが、今日一日だけお暇をいたゞいて宿〈歸ら 役に立ちさうな好い派出婦が來てくれて、晝間お悅が村松醫師から してもらひます。そして休んでみて明日になっても、まだ可けない 聞」て來たと 0 ろによると、よく働く確かな者である = とが分 0 たやうでしたら早速他 0 人に代 0 て來てもらひます。」と」ふ。 ので彼女はそんなことにも一寸安心し調子に乘ったやうになって、 宇治もお悅も、今度こそ折角好ささうな女が來てくれたと思って 今までの女中や派出婦のどれも , 。、揃 0 て可けなか 0 たことを又お喜んでゐたところな 0 で、ひどく落膽しながら、同じゃうに、 浚、して口惜しさうに饒舌ってゐた。腹が立って / 、堪らないとい 「今日一日くらゐ何もせずと、家で休んでゐてもい乂からぜひ居っ ふやうに夢中になって興奮してゐるその聲がだん / 、高くなってい ておくれ、ちっとも遠慮は入らぬから。」と言葉を盡して留めたが、 0 たところから、彼女が自分で持て剩しながら、や 0 と 0 思ひで折女中はそれでも、高」給料を戴」た上に一日休まして」た。」ては 角ぐ「すり睡 0 た子供が又その爲に眼を覺ましてしま 0 た。宇治申譯がな」と」 0 て、風呂敷包みを始末して歸 0 て」「た。 も、お悅の、そのあまりに愚かな粗野が堪らなくなって、彼も亦聲 宇治もお悅も等しく失望の眼で、女の歸ってゆくのを見てゐた を高くしてお悅をたしなめた。すると彼女は「あ、喧しい。さっ が、昨夜からの不快な氣持が惡い宿醉の如く一一人とも殘ってゐるの さっと二階に上がっていって寢ろ。」宇治に向って又喰ってかゝっ で、彼等はお互にロも利かうとしなかった。そして又しても年中惱 こ 0 まされてゐる手不足の不安が暗く押被さるやうに彼等を襲うた。宇 「それは一體何といふ言葉だ。 = = 。何も今まで居った女中のあらを治は又默ったま、一一階に引揚げた。 此處でお浚 ( する必要はない。そんなことはいはなくったって分り と、それからものの三四時間も經たない、午過ぎになって、又三 過ぎてゐるちゃないか。用のあることで大きな聲を出さなければな十近」他の女が派出婦會から上りましたとい 0 てや 0 て來た。まあ らぬことがあるのなら仕方もないが、そんな無用なことに大きな聲上がれとい 0 て、上には通したが、そんな者には馬鹿丁寧な口を利 を出して、折角寢付いた子供を起すといふのはお前の愚かといふも くお悅もさすがに暫時は向うから何か話し掛けても返事もせず不機 のだ。 = お前のやうな下等の人間が居「ては女中も居 0 てはくれ嫌な顔をしたま、默り込んでゐた。お悅も宇治も、なる ~ く今朝行 ない。」宇治は、暑苦しい晩とてまだ開放した縁側に立 0 て怒鳴り 0 た女が戻 0 てくれればよ」がと心待ちにしてゐたのが、又もや見 ながら、不快に滿ちて、どん / 、二階の自分の室に上が 0 てしま 0 も知らぬ者が來たので、自分の家が餘處の家か何ぞのやうに落着か た。その後でお悅は一晩中氣分を悪くして寢てゐた。そして、又夜ぬ散らけた氣持にならされた。 中に起上がって泣きながら鄕里にあてて、長い手紙を書いたりし でも、それから少時して働かしてみると、爲ることは思ったより た。それを夜の明けるのを待って自分で郵便を出しに行った。 丁寧であった。 翌日になって、昨日來たばかりの派出婦は、朝からひどく蟲齒が 二三日して宇治は、今度の雇女はどうやら、自分が不在にしても 痛むと」 0 て優れぬ顔をしてゐたが、お悅は近」處の齒醫者を敎〈安心出來さうなので、こ、五六日の間を急ぐ執筆をする爲に」よい て行って來させた。女中は間もなく歸って來て前より一層疼み出し よ何處かの温泉場 ( でもいって仕事をしようと思ってお悅にそのこ ふつかゑひ
いつも 年中女中のことでばかり毎時氣を腐らしてゐるお悅は、その、む戸の處に立ってゐるその男を覗いて見たが、見知らぬ人間であった しやくしや腹を何處へ持って行き場もなかったが、傍に居るおやけれども口不調法な女中のいふことなどから想像しても別條もなさ その女中の聽いてゐる處で、彼等に當り付けるやうにいって、滿足さうに思はれたので、 「ぢや、いってもいゝから晩までには必ず歸って來てもらはない な者の一人もない女中の不平を零した。 ごろ / 、 と、・りの方で心配するから。」と、お悅は念のうへにも念を押し 「わたしの處では、碌に用もない時には、いつも轉々二人も三人も ゐて、居なくなる時には、一人も居なくなってしまふ。みんな勝手て出して遣った。でも、その晩歸って來るには、かへって來た。 「それでお前向うへどういって返事をしたの ? 」とお悅が訊くと、 : せめて一年でも續け なことばかりして。どうしてかう、少し、 て辛抱の出來る女中が居ないんだらう。何處の家でもさうかと思ふ田舍者まる出しの女中は、 「わたし一人で今返事をする譯にはゆかないから、歸ってお父さん と、其處らの女中は何れも三年も四年も居る。そして、一一人も三人 とよく相談をした上で返事をするやうにいひました。」 も子供のある家で安い給料で、又よく働く。」お悅は顔の血の色を 「ぢや、お前歸る氣なの ? 」とお悅は訊ねた。 變へて愚癡つぼく零したが、それは本當であった。 「えゝ。」 翌日暇を取って向うへ行くことになってゐるお険は默ってそれを 聽いてゐたが、實際自分の都合の好い時ばかり、何時でも轉げて來「いっ ? 」 よど 「明日歸るつもりです。」女中は澱みながらいった。 さへすれば好い顏をして置いてくれるので、何度といふことなく出 くわっ お悅は、それで又赫と頭が燃えるやうに腹が立った。 たり入ったりしてゐたことを思ふと、經の鈍い彼女にも隨分耳は 「それぢや、私の處で困ってしまふ。」と、いったが、そんな十八 痛かった。 しかし、お悅は、そんなに向っ腹を立てても、今度のお咲の縁談やそこらの、物を知らぬ者を對手にしても仕方がないと思った。そ は、自分も一とロロを利いてゐる上に、先方では最も宇治の家を信してお険に向って、その女中の親どもの、あんまり術を知らない勝 用して、もらひたいといふのであるから、幾ら自分の處で手づかへ手を攻撃した。 「あっちの方の者はみな誰もかれも、斯うなんですかねえ。」お悅 をするからといって、それを何うする譯にもいかなかった。 すると、女中の方は、つい先刻そんな手紙が親元から來たと話しは、お険に向って當り付けるやうにいった。 それで、ともかくも一人代りのあるまでは居ってもらはねば、お てゐるところへ、ある男が宇治の家の勝手口の外から顏を出して、 昨日お父さんから手紙が來てゐる筈であるが、自分は、今度の縁談喙自身もこゝの家に對して困ると、彼女から話して聞かした。女中 は殆どまだ自分の自由意思といふものを持ってゐなかったが、宇治 爲のある男の友逹で、今一絡に深川の方に、銚子から船で來てゐる、 一寸これから行って會ってもらひたい、晩までには戻ってもらふかの家ではそれから必死になって處々方々〈口を掛けてゐたが、何時 になっても代りは出來なかった。そのうち暑い七月になり、八月に 子らといって來た。その男は丁度女中が井戸で水を汲んでゐたところ きび なって、土用が明けてから一層殘暑が酷しかった。女中の代りはな へやって來た。 いが、その後も親から度々手紙が來て、早く歸れと迫って來た。そ 女中が入って來てそのことをいふから、お悅は、お咲に向って、 どうしたものであらうと相談を掛けたが、お咲は一寸勝手口から井れが田舍は舊暦のお盆なので、お悅もそれまでには必ず返さねばな
4 して宇治から貰った錢であった。お悅は、それを、 : ・又、あの時の藥代が高かったと、此の間から二三度繰返してい 幻「もらふんぢゃない。取るんだ。」と、何につけても物に角を立て ったのは、何もその金を惜むのぢゃない、そんな高い藥をお前が皆 ていった。 まで服まないから、それでさう云ったのぢゃないか。いつだって半 宇治は半分戯談のやうにそんな規則を立てて、お悅に小遣を渡し分以上飲み殘して、茶簟笥の上に載せたま、にな 0 てゐるぢゃない 、 0 てゐたが、夏以來彼女がずっと袞弱してゐるので、そんな錢も溜ら = これほどに誠意を籠めてゐる私の言葉をお前は一體何と聽 なかった。しかし、宇治は、格別お悅に、區別を付けて小潰錢を渡いてゐる ? 」 す必要を覺えなかった。名目の立った少し金目の出費は無論宇治の 宇治は腹の中で泣き出したくなってゐた。對手が、そんな卑しい 方から出すのであった。お盆過ぎに、その薩摩上布を、お悅の思ひ ことを言ひ出せば、自分の方でも、やつばり、そんなことを口に出 がけもなく宇治の買って來た時にも、彼は自分の方が樂しさうに、 さなければならぬので辛かった。するとお悅は、 「お前に今日、大變な物を奮發して買って來たよ。」といひ / 、紙 「何と思って聽いてもゐない。うるさい ! 」といって、仰向きにな 包みを解いて、 ってゐた身體を、くるりと寢返りをして向うにむいて、亂れた頭髪 「どうだ、此の黐柄は好いだらう。私は金が少ないから負惜みでいを敷蒲團に押付けてしまった。 ふのぢゃないが、自分のでも絣よりも縱縞の方が好きなんだ。どう 暫くそこにひとりで遊んでゐた子供は又泣き出した。宇治はたゞ だ、これは意氣でゐて、それで素樸な柄だから、お前なんかにも惡黯然として、寢穢なく、伏「てゐるお悅の不貞腐れた様子に凝乎と くない。 = = = 高い金目の物は、かうして私が買ふから、あとの細《見入ってゐた。近頃は、夜中に眼を覺ます子供の爲に起されること した物は、お前が働いて買ふさ。」 うなづ が度々あるので、殊にさうであったが、彼女は、子供のない時から お悅はそれに肯いてゐたが、たその時きりで、後は我儘をい 0 も、朝寢で、宇治より遲く起きることも、めづらしくなか 0 た。や て、決して從順に宇治の療治をしようとはしなかった。 ゃあって宇治は、心の中にひどく思ひ決するところあって、蚊帳の 裾を跳ねて外に出た。そして自分で井水を汲んで急いで顏だけ洗っ それで宇治がさういふと、お悅は飽くまでも負けて居らず、 て、そよくさと家を出ていった。 「あの時の藥代だって、私の小遣錢を出して拂ったんだ。餘計な事 彼はそれから中野の町まで往ってお悅の父親にあててスグキテモ をいって貰はない。」 ラヒタイといふ意味の電報を打った。 ・ : もう、それまでにも、假 宇治はそれを聽いて、つくみ、と、もう、到底こんな女には何と令代りがなく 0 てもどうしても女中を返さねばならなくな 0 た時、 いって聽かせても駄目だと思ったがやつばり默って居られず、 先にも暫く來てゐたことのあるお悅の末の妹を手傳ひに貸してほし 「お前の小遣だの、自分の小遣だのとい 0 て、私の家には、そんないと、彼女から再 = 一い 0 て遣 0 たのであったが、それは何故か貸し 區別はないつもりでゐる。一體私の家ではーー私の鄕里の家でもさて寄越さなかった。毎時借りっ放しで返したこともないのだが、ま うであるが、一家の中にそんな區別のある内證金を女が、ちゃらち さかそんなことくらゐで貸して寄越さぬのでもあるまいと、宇治は やら財布の中でいはしたりしてゐるのが、私の死んだ父親からして いろノ、に氣を廻して考へてみた。確かな留守居も見付からなかっ さうであったが、今の兄もそれが大嫌ひだ。私もさう信じてゐる。 たので、家中で何處か〈暫く避暑にゆきたいと思ふ計晝は成立たな