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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版45 近松秋江 葛西善藏集
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1. 日本現代文學全集・講談社版45 近松秋江 葛西善藏集

4 したならば、立場は各よ異ってゐても彼等は利害を同じうせねばなた。勿論女からの手紙には、來る手紙にも來る手紙にも此處の抱ぬ プらなかった。 しの仕打ちに對して少なからず不滿を抱いてゐるらしい口吻を洩し ノ女主人は又私の方を見て、 てゐた : : 私はその時分のことを心の中で又いろ / 、思ひ起してみ 「私のとこでもそんなことでお園さんにあの時廢められでもするとながら、今はじめて聽く、此方ではそれと重きを置かなかった戀の 困るさかい = = 。それまでは私もあんたはんといふ人があってお園さ競爭者の三野村が、さうした極祕密の私の手紙まで女の處から奪ひ んを深切にいうておくれやすいうことは蔭ながらよう知ってゐまし去って、しかもそれを利用して抱主の女あるじの信用を回復し彼自 て、あんたはんの處〈行くのでもなるたけ他を斷ってもそこを都合身の戀の勝利を確實にしたとは ! ようしてお園さんを上げるやうにして置いたのに、どうしてそんな やよ暫くして私は、 私のとこの迷惑になるやうなことをおしやすやろ思うて : : : こんな 「え、、さういはれればそんな手紙を寄越したことがあったのは自 こというてはえらい濟まんことどすけど、そんな手紙を見てから後分でも覺えてゐます。しかしその時分彼女から私に寄越した手紙で あんたはんの事を怨んでゐました。それで三野村さんも初は私の方は此方でいろど、不平があったやうなことをよくいってよこしてゐ で、お園さんにあんな人を付けて置いては後にお園さんの出世の邪ました。一體どんなことがあったのです。私の方から、それはどん 魔になるというて段々二人の間を遠ざけるやうにしてたのどすけなことで揉めてゐるのかといって訊ねても、その内譯は何にもいは ど、あんたはんがそんな事をお園さんと手紙で相談してやすことをずに、たゞ癪に觸ることがあるから母の處に歸って店を休んでゐ 知ってから、此度は又私から進んで三野村さんとお園さんを手を握る、一日も早く商賣を度めたいと云ってゐました。」 るやうにさしたのどす。それは私の方でわざとさうさしたのどす。」 さういって訊くと、女あるじは思ひ合すやうな顏をして、 女主人は話に力を人れてさういふのであった。 「あ長、さうや / 、。それが三野村さんのことで私の云ふことが氣 その話はもう四五年前のことであったけれど、今向き付けて女主に入らんいうてお園さん休んでた時のことどす。」 人から此方の祕密にしてゐたことを素破拔かれては、早速何といっ さういふと、若奴も傍にゐて てよいか言葉に窮した。自分ももうその時分の委しいことは大方忘 「へえ、さうどした。」といふ。 れてゐるが、女の方から餘り性急にやい / 、いって、とても急には 私はあれやこれやその時の事を更に精しく思ひ出して、 もんちゃく 調ひさうもない額の金を請求して來て、もし此方でそれだけの金が 「ぢや、何も彼も私の事が原因で屋形と捫着を惹起してゐるやうな にんたう 調はない時には、かねて自分を引かさうとしてゐる大阪の方の客に ことをいって手紙を寄越してゐながら、それは皆な拵へ事で眞相は でも賴んでなりともぜひとも此處で身を引かねば自分の顔が立た三野村の事が原因だったのですな・・・ = ・どうも、さうでせう。私はあ ぬ、それもこれもみんな私〈の義理を立て通さうとする苦しい立場んたもご承知のとほりあの年の夏の三ヶ月ばかり京都にゐて東京に からのことであるといふやうなことを眞實こめた一一「〔葉でいって寄越歸ったきり手紙と金とを送って寄越すだけで、てんで自分の體は來 すところから、その際此方で出來る限りのことをして遣ったう〈ないんですもの、私の爲に捫着が起る道理がないのです。みんな謔 で、それでどうすることもならなかったら止むを得ないから思ひ切をいっ . てゐたのだ、だからかうして話してみなければ眞相は分らな って最後の手段に出るより外はなからうといってやったのであっ い。それでゐて私こそ好い面の皮だ。三野村自身のことでそんなに

2. 日本現代文學全集・講談社版45 近松秋江 葛西善藏集

と思っていた。第一、別れた妻に送る手紙という建て前の作品のな 視の前にさらしものにせずにおけぬ人でもあった。この自己矛盾が 秋江をして、「わが藝術に對して深き自信なきは予のも 0 とも不幸かで、新しくなじんだ賣笑婦との關係をこと細かに語るなどと」う ことは、すこし非常識である。お前が追んでたあと、おれが嘆き悲 とするところなれども、書きたることはことごとく自己を欺かざる しんでばかりいると思っていたらまちがいだぞ、おれはもう新しい を信ず」という有名な肺腑の言を吐かしめた所以だろう。 そう」う秋江の矛盾した自己確立は、「別れた妻に送る手紙」と女に夢中なんだぞ、と」う面あてがましい氣持はあ 0 たにしても、 「疑惑」の中間にお」てなしとげられた、と私には思える。前に書あんなに綿《と語る語り口は、やはり別れた妻にあてた手紙とい、プ 作品全體の調子をそこなう結果になっている。現に、「お前」とい いたように、「別れた妻に送る手紙」を執筆したとき、秋江はまだ 妻の情事は知らなか 0 た。秋江はその妻と足かけ七年間、生活の苦う二人稱の呼びかけも 0 かいにくくな 0 て、後半ではところどころ 樂を共にして、お互」の長所も缺點ものみこんで」る仲だ 0 た。し「彼女」と」う三人稱を 0 かわずに」られなくな 0 て」る。しかし、 そのこととは一應別に、今度讀みかえしてみて、水天宮裏の女との かし、秋江が最後までこだわったのは、妻が自分と生活を共にする 交渉が「黑髮」連作のそれの一原型をなしていることに、改めて氣 以前に、四年間の結婚生活を經驗していることだった。「雪の日」 づかされた。主觀的にはそう思ってはいないが、客觀的には秋江が はそういう秋江の男の嫉妬を基調においたものである。勝本淸一郞 が「座談會大正文學史」のどこかで語 0 て」たが、外人は男の嫉妬女のテ , テクダにふりまわされて、終始敗者の立場に立たされて いることが讀者にはよくわかるのである。敗者にもかかわらず、い を恥とする意識がつよく、そういう外人からすれば、日本の小説は わばいい氣になって別れた妻にノロケている、というような秋江獨 たい ( ん女性的にみえるそうである。その點で、おそらく秋江の小 特の身勝手さが紙背にすけていて、そこがなんともいえずおもしろ 説などはもっとも日本的、女性的にみえるにちがいない。しかし、 かった。それに女の姿態も、さすがよく書けている。 「雪の日」や「別れた妻に送る手紙、前半における主人公の氣持は、 ところが「疑惑」にはそういう餘裕は全くない。そこにはせつば あくまで優者の立場に立ったもので、女のすみずみまで掌握しない と氣がすまぬ、と」うような、テ→ーフに發するものである。それ 0 ま 0 た男の未練、嫉妬、執念、憎惡、復讐などがむき 0 けに出て いる。佐藤春夫の「佗しすぎる」にも似た「別れた妻に送る手紙」 が秋江の愛情表白の一形式でもあった。だから、男の嫉妬を基調と しながら、作風は別れた妻をな 0 かしむ一種抒情的なしみじみとしの抒情性は影をひそめて、必ずしも秋江が心服して」なか 0 た自然 た色調に 00 まれて」る。「別れた妻に送る手紙」の前半が、女に主義ふうの暗」色調にぬり 0 ぶされて」る。そう」う意味では、 「別れた妻に送る手紙」と「疑惑」とは正績の關係にはなく、全く 對する甘えを表面に押したてて、どこか餘裕のある作柄になってい るのも、そのせ」である。しかし、「別れた妻に送る手紙」の後牛に別個の作柄のものとも」えるくら」である。現に前者では、主人公 解な 0 て、水天宮裏の賣笑婦となじむようになると、その女に對してたちは雪岡京太郞、お雪と」うやさしげな名前が與えられて」て、 それだけで「つもる話は寢てとける」というような歌の文句を連想 は秋江はもはや優者の立場に立っことができなくなる。自信を持ち 作 させる甘さがあるが、後者では、女の名前は本名をひっくりかえし ながら、女にふりまわさればなしの自分を、やはり意識の底で感じ な」わけ」ゆかなくなる。私は以前から「別れた妻送る手紙」はた = 「と」う散文的な名」な 0 = 」る。 00 兩者 0 相異は、妻 0 行 4 前牛と後牛とが割れて」て、作品としてはそんなに成功して」な」、方をもとめて日光の旅館を虱 0 ぶしにさがし、 0 」に妻の情事の確

3. 日本現代文學全集・講談社版45 近松秋江 葛西善藏集

った。 けれども今、此處に打明けようと思ふやうなことは、母や兄には 話されない。誰れにも話すことが出來ない。唯せめてお前にだけは ーーー私は最後の半歳ほどは正直お前を恨んでゐ 聞いて貰ひたい。 る。けれどもそれまでの私の仕打に就いては隨分自分が好くなかっ た、といふことを、十分に自身でも承知してゐる。だから今話すこ いくら とを聞いてくれたなら、お前の胸も幾許か晴れよう。また私は、お す 前にそれを心のありったけ話し盡したならば、私の此の胸も透くだ らうと思ふ、さうでもしなければ私は本當に氣でも狂れるかも知れ ちか 別れて了ったから、もう私がお前と呼び掛ける權利は無ない。出來るならば、手紙でなく、お前に直に會って話したい。け たより い。それのみならず、風の音信に聞けば、お前はもう疾に嫁いてゐれどもそれは出來ないことだ。それゆゑ斯うして手紙を書いて送 るらしくもある。もしさうだとすれば、お前はもう取返しの付かぬる。 すちみち お前は大方忘れたらうが、私はよく覺えてゐる。あれは去年の八 人の妻だ。その人にこんな手紙を上げるのは、道理から言っても私 が間違ってゐる。けれど、私は、まだお前と呼ばずにはゐられな月の末・・ーー・二百十日の朝であった。お前は、 「もう話の着いてゐるのに、あなたが、さう何時までも、のんべん い。どうぞ此の手紙だけではお前と呼ばしてくれ。また斯様な手紙 みんな やつば ぐらりと、ずる / 、にしてゐては、皆に、私が矢張しあなたに未練 を送ったと知れたなら大變だ。私はもう何うでも可いが、お前が、 さぞ迷惑するであらうから申すまでもないが、讀んで了ったら、直があって、一緒にずる / \ になってゐるやうに思はれるのが辛い。 ぐ燒くなり、何うなりしてくれ。 お前が、私とは、つい眼と鼻少しは、あなただって人の迷惑といふことも考へて下さい。いよい との間の同じ小石川區内にゐるとは知ってゐるけれど、丁度今頃はよ別れて了へば私は明日の日から自分で食ふことを考へねばなら ひとりみ ・ : それを思へば、あなたは獨身になれば、何うしようと、足 何處に何うしてゐるやら少しも分らない。けれども私は斯うして其ぬ。 の後のことをお前に知らせたい。いや聞いて貰ひたい。お前の顔を町ひがなくなって結句氣樂ぢゃありませんか。さうしてゐる内にあ な、つき 見なくなってから、やがて七月になる。その間には、私には種々ななたはまた好きな奧さんなり、女なりありますよ。兎に角今日中に 紙ことがあった。 何處か下宿へ行って下さい。さうでなければ私が柳町の人逹に何と ちょい くや をかし 手 る も言ひやうがないから。」 一緒にゐる時分は、ほんの些とした可笑いことでも、悔しいこと と言って催促するから、私は探しに行った。 でも聞座に打ちまけて何とか彼とか言って貰はねば氣が済まなかっ 二百十日の蒸暑い風がロの中までジャリ′するやうに砂塵埃を たたものだ。またその頃はお前の知ってゐる通り、別段に變ったこと からた ひとっき 別さへなければ、國の母や兄とは、近年ほんの一月に一度か、二月に吹き捲って夏劣けのした身體は、唯歩くのさへ怠儀であった。矢來 ひとところ たとひどん おかみ やり - とり 三度ぐらゐしか手紙の往復をしなかったものだが、去年の秋私一人に一處あったが、私は、主婦を案内に空間を見たけれど、假令何様 7 になった當座は殆ど二日置きくらゐに母と兄とに交る、手紙を遣な暮しをしようとも、これまで六年も七年も下宿屋の飯は食べない 別れた妻に送る手紙 とっくかたづ いろん ぼこり

4. 日本現代文學全集・講談社版45 近松秋江 葛西善藏集

宇治はそれと氣が付くと、お悅が此の間もいってゐたことを、自 6 りでなく宇治の方から潰った物と一緖らしかった。 幻分の思ってゐるまゝに、父親に書いてやったものと察した。さうし 「このとほり手紙が來てゐる。」といってゐたが、彼は興奮の極に て、その無理解と不埓とについて忽ち非常な不快と立腹を感じた。 逹したものの如き有様で、 そして、いきなり、「何だ、そんな手紙をやってゐる ! 何で私が 「これが虐待でなくて何だ ? 。元のとほりの身體にして返 藥代を吝んだ ! 」と激昻の語を發した。 あぐら すると、そこに腹這ひになってゐた父親は、起き上って來て趺坐 と怒鳴りながら、手紙の束を疊の上に、ばたと叩き付けた。 になりながら、きっとなった顔をして、宇治に向ひ、 宇治はその權幕に吃驚呆れたが、その直ぐ後の瞬間、妙に人間と 「貴方がさういふなら、いふ。私もいふ。 : : : 事實に無いことを手して自分の優越を感じた。 といふのは、宇治自身に何處を突い 紙に書く筈はない。藥代を吝んだと書いてあるのも、貴方が吝んだても兎の毛ほども、さういふ不足をいはれる缺點がないといふ強い から、そのとほり書いたものに相違ない。」 確信があるからであった。事實、宇治はお悅を虐待するどころの騷 それを聞くと宇治は、此の間も既にそのことで、お悅に對して、 ぎではない、平素から宇治自身の方がお悅に虐待せられてゐると云 ひどく立腹したのであったが、他のことと違ひ、自から必要と信ずっても決して不當ではないのであった。もう長い間、お悅の病的な る物を吝んだなどといはれては、それが全然自分の氣持と正反對な狂暴に手古摺るたびに、今度こそは父親に會って一伍一什の事情を 言ひ前であるだけに一層腹が立った。 委細打ち明けて懇談しようと思ったことは幾度あったか知れぬが、 「何で私が藥代を吝んだ。この私が物を吝むなどと、事實を誣ふる何より、毎時勉強の方のいそがしさに、そんな詰らぬことに暇を費 にも事に依る。どこにそんな事實があるか。」 してゐるのが億劫で馬鹿げてゐるのと、お悅の缺點を數へ立てると 宇治は、お悅に向っていふ如く父親に向って喰って掛った。 いふことは、取りも直さず、自分がお悅の如き者を入れて妻にした すると父親の方でもます / 、開き直って來ながら、 といふ自己の不明を語らねばならぬことになるので、それが、宇治 「事實ないことを夫婦の間で書く道理がない。 : それに、小遣ま 自身の、相當思慮あるべき筈の年配を省みて出來ないことであっ で碌に當てがはないといふのは、貴方は悅を虐待しとるちゃない た。そんな時彼は屡よ自分と同じ職業の大先輩であるところの瀧澤 か。」と怒鳴った。 馬琴の私生活を思ひ出した。馬琴は老境に入りて、無智悍執なる妻 しかし、宇治は自分の意中に強い自信があるだけに、そんな言ひ の狂暴に苦められてゐた。彼はその事を日記に書いて且っ悔い、且 分を聞くと、腹の中で稍よ可笑しくなって來た。 っ慚ぢ、且っ歎いてゐる。宇治は嘗てそれを讀んで、ひどく、この 「何で私が虐待をしてゐる。何處に私が、彼女に不自由をさせた事大家の老後に同情したことがあった。彼は、馬琴でさ〈、無智の愚 實がある ? 」 妻にあってはそんな困惑をしてゐると思ふと、や乂諦めも付くので 「不自由をさせて居るちゃないか。虐待してゐない事實がないものあった。 が、何で此の手紙を書く ? ・ : 追掛けおっかけ、始終此のとほり それで、いよノ \ 最近お悅の狂執が募って、どうにも始末におへ 手紙が來てゐる。」といって、父親は見たところ十通ばかりの嵩のなくなったところから、父親の出京を促して、長い間腹に溜めてゐ てんまっ ある手紙を束にしたのを取り出した。それはお悅から遣ったのばか た願末を洗ひざらひ話さうと思ってゐたのであった。それに何事

5. 日本現代文學全集・講談社版45 近松秋江 葛西善藏集

あくるひ 解って來て、その後自分の方からはなるたけ男に遠ざかるやうにし して仕舞にはやつばり翌日までお花をつけることになるから來てく れるたびに金が入って叶はんいうてはりました。お園さんの方でもてゐたのであった。すると丁度その頃初めて私と知るやうになっ ほんよう喧嘩をして戻ってかといふのに、やつばり戻らない、喧嘩た。その年春の終りから夏の半ばまで三月ばかりもゐて私が東京に 歸ってからも引きっゞき絶えず手紙の往復をしてゐるうち、秋にな をしながらいつまで傍に付いてゐる。」 って女から急に體の始末に就いて相談を仕掛けて來た。勿論そのこ さういって、女主人が尚ほっゞけて話すのでは、ずっと先の頃一 と仕切りあまりにお園の方から男の處に通うて行くので女主人が氣とは此方から進んでさうするつもりであったから、此方でも必死に なって金の工夫をしてみたゆれど遂に思ふだけの金は出來なかっ に逆はぬゃうに三野村の處 ( 遊びにゆくのもよいが兩方の身の爲に た。それで、自分の方ではさう急にといってはとても金の策は付か ならぬから餘り詰めて行かぬゃうにしたがよいといっていひ含めた のであった。すると一寸見はおとなしいやうでも勝氣のお園はそれない。甚だ殘念であ、。が、やつばりかねて約束して置いたとほり早 が癪に觸つ、たといって一月ばかりも商賣を休んでゐたことがあっくてもう半年くらゐはどうしても待ってゐてもらはなければなら た。その後も = 一野村のことで時《そんなことがあった。女主人と同ぬ。それでも是非とも今に今身を退かねばならぬといふ止み難い事 情でもあるなら、ほかに爲方がない、その場合に處すべき非常手段 じゃうに彼女の母親もそんな悪足のやうな男が付いてゐるのをひど く心配して一一人の仲を切らうとしていろ / \ 氣を揉んでゐた。それについて參考となるべきことを細かに書中にしてやったのであっ た。そして彼女からの手紙は來るたびごとに切なくなって、ひたす で暫く三野村との間が中絶してゐたこともあったが、男の方でどう しても思ひ切らうとしなかった。いろ / 、に手をか ( て母親の機嫌ら不如意の身の境遇を喞ち歎いてゐた。此方からそれに應 ( て遣る を取らうとすればする程母親の方では增長して彼を散々にこき下ろ手紙もそれに相當したものであった。 三野村は、前に暫く、祇園町から程近い小堀の路次裏に母親がひ すのであった。そして一度でも文展に入選したら娘を遣ってもよい とか、東京から伴れて來てゐる女と綺麗に手を切ってしま ( ば承諾とりで住んでゐる頃そこの二階に同居してゐたこともあったくらゐ するとか、その場かぎりの體の好いことをいってゐた。そして母親で、そこから他 ( 出ていってからもやつばり時々母親の處 ( 訪ねて や女主人の方で二人の間を堰くやうにすればするほど = 一野村の方で來てゐたが、ある日母子二人とも留守の間に人って來て其處らを掻 一層躍起になってお園が花にいってゐる出先までも附纒うて商賣のき探してゐるうちにふと私から遣った手紙の藏ってあったのを目っ けて殘らず讀んでしまった。それには、抱ぬしのひどく忌むやうな 邪になるやうなことをしたりするのであった。 ことが書いてあった。それまであるじから敵のやうに遠ざけられて 女主人は、それでも私が長居をしていろ / 話をしてゐる間にい くらか此方の心中が解って來たやうであったが、いくたびも澱むやゐた三野村は好い物を握ったと小躍りして悅び、早速それを持って 往って、 るうに私の顔をぢっと見ながら、 「姐さんあんたは私ばかりを惡い者のやうに思ってゐますが、これ、 「今やからあんたはんに云ひますけど、眞相はかうやのどす。」と こんなことを二人で相談してゐる。用心しなけりや可けません。」 いって、尚ほ委しく話して聞かせたところによると、斯うであった。 といって、私から女にあてて遣った祕密の手紙をすっかり女主人 母親や女主人から、三野村のやうな男にいつまでも係り合ってゐ に見せてしまった。もし私と彼女と手紙で相談してゐたことが成就 ては後の身の爲にならぬと喧しくいふのと、お園自身で段々それと

6. 日本現代文學全集・講談社版45 近松秋江 葛西善藏集

語した。そして又振返って父親の方の顔を見て、 九月二日 ひとり娘のお父さん 8 幻「何處に私が、彼女に不自由をさせてゐる。たとへば月々の諸拂ひ お悅さん」 みそか にしても、たゞの一度だって、お勝手口で晦日に、出人りの商人の と、いったやうな愛情濃かなる手紙であった。宇治は、それを晝 勘定の遲れる斷りを言はせたことがあるか : : : 」 間お悅の枕頭で見たのであったが、二日の正午に向うで出したもの 宇治はさういひながら、ひとり胸の中で、自分の十年も十五年もであるから早くて三日の午前でなければ着かぬ、そしてお悅は三日 の以前の生活と思ひ比べて感慨に堪へないのであった。 の早曉から症状が急變してゐるのであるから、その手紙を自分で開 すると、父親が始終沈默してゐるにも拘らず、慶吉が後から顔を封したか、どうか甚だ疑はしい、多分自分では見なかったであら 差出して、差出がましく又口を出した。 う、すると枕頭に開封のまゝ置いてあったのは、或は慶吉でも臨機 「そりゃあお前、いくら物質的に不自由をさせないでも精的に虐に開封して讀んで見て、それを又その日に出京した父親に見せたも 待してゐれば、やつばり虐待ぢゃないか : : : 」と、さも / 、利口さのであらうといふやうなことを、心の急しく顛倒してゐる場合と うに云った。 て、ゆっくり考へてみる暇もなく、自分の書面であるから、そのま 慶吉は小學校だけ卒業したにしては筆蹟なども割合に巧みで、三ま手にも取上げなかったが、今となってよく考へてみると、お悅が 十二か三にしては世間的の知識にも暗い方ではなかったが ( 精訷的いろんなことを書いて清った手紙によって、父親等はお悅の言葉を だの物質的だのといふ言葉を用ゐて理窟をいひ出したので、宇治は 一から十まで信じ、いかにも宇治が、お悅を虐待してゐるかの如く るすちゅう 本氣で今對手になってゐる心もしなかったが、 思ひつめて、そんな手紙まで、宇治の不在中に慶吉と二人で取出し 「精神的に何處に虐待してゐる ? 」と言葉を返した。そして今こんて讀み返してみたものと思はれた。何處までも虚心坦懷なる宇治 な苦々しいことが始まるまで氣が付かなかった、今日晝間、子供をは、さういふ邪推と僻見とを以って物を見てゐる彼等の中にあっ まくらもと たか 小兒科に預けて戻って來た時、後で、お悅の枕頭に父親の趺坐をかて、丁度都人を見馴れない田舍大に寄って集って吠えられてゐるや いてゐた處へ、宇治が此の間伊香保からお悅に當てて寄越した手紙 うな、仕方のない氣がした。 の開封したのが置いてあったことを、ふと思ひ浮べた。その手紙は さう思ひながら、ふと背後の方でお悅が頻りに苦しさうな息を吹 九月の二日に書いて出したもので、 返して、何か物でもいはうとしさうに、床に横はったまゝ身を腕い 「 : : : 留守居があれば、お前と子供と來るとよいのだが。こちらてゐる様子が耳についた。宇治は此の場合お悅の不德を憤り、無智 には、何も、びらしやらした男や女ばかりも來てゐない。普通のを憎んでいゝか、どうか分らないのであったが、彼女の、今にも息 おかみさんや、子供も來てゐる。子供を温泉に入れてやりたいとの絶えんとする苦しい呼吸の音を聽くと、又別の哀憐の感が新しく 思ふ。伊香保のぜんまいを少し送った。よく干して置くとい又。 起った。そして、先つきまでは眼を白くしたま、少しく靜まってゐ 煮てたべなさい。 た彼女が、さうして又急に身をいてゐることを思ふと、彼女は、 うなぎ るすちゅう 私が不在中でも時々武藏屋の鰻を取って食べる・ヘし。滋養をとら こちらの方でたゞならぬ物音高聲がするのを半無意識の中に知って ねば、母子ともにいけない。ついでに十日頃までも、ゐたいものゐて、それで何かいひたい、どうかしたいと思ってゐるのではない ◆こ、 0 かとも察しられた。宇治は、父親と慶吉の間に挾まってゐた座を突 こまや せは もが

7. 日本現代文學全集・講談社版45 近松秋江 葛西善藏集

近松秋江集目次 卷頭寫眞 別れた妻に迭る手紙 狂亂・ 霜凍る宵 舊慧 舊慧 ( 續篇 ) 子の愛の爲に 第二の出産 : : 一一三四

8. 日本現代文學全集・講談社版45 近松秋江 葛西善藏集

2 7 急いで蒲團の中に入ったが、經が極度に興奮してゐて、少しも眠に立ったまゝ覗いて、「あゝ、來てゐる ! ・ : 」と氣味惡さうに いきなり られない。唯非常に身體の波勞を感するばかりである。 ジロ / \ 此方を見てゐたが、突然白い齒を見せ、眼を刮いて、「イ 時計がないので分らないが、七時近くになってたうとう一睡もせ : ィー : : : 鬼 ! 鬼、鬼々々々。」口が怠くなるまで、ヒスア きのふ ず起き上った。昨日の晩、様子を見て歸ってから、椅子屋に手紙をリカルにいひ續けた。 清ってあるので、向うが何とか言って來るかも知れぬが、氣が苛立 そして奧の方へ引返して行きながら、「あなたが新さんの處に言 って今朝共處へ行って見ねば、此のまゝ斯うしてゐたのでは、何をつて寄越した手紙はもうチャンと見てゐる。讀んで聽かさうか。此 することも出來ぬ。過勞して眠ることさへ出來ぬ。唯起きてゐるの處にある。」 けだる が氣怠くって苦しい。 と憎々しげに言って、六疊の簟笥の方にツカ′と人った。私は 椅子屋に行って見た。正直な姉は何事か持上るのを氣遣ってゐる それに續いて上って行った。 ゃうな顔をして、積み車ねた西洋家具の間から出て來た。 お前は用簟笥の抽斗からその手紙の疊んだ奴を取出しながら、 じゃうだん 「今朝、あなたの手紙が着きました。小信に今おスマの處に持って 「さあ ! 讀んで聽かさうか、貴方がたもお聽きなさい。」戲談に てれかく 行かして、おスマにも見せてゐるのです。自家でも怒ってゐます。」しようとするやうに照隱しらしう讀みかけた。 なだ あぐら 私を和めるやうに言った。 兒島は其處の奥の六疊の縁先に趺坐を掻いて煙管を持ってゐた。 私は、そのま、直ぐ新吉に面と向ってさういふ話をするのが面伏恐怖に顫へたやうな眞靑な顏を此方に向けて、白い齒を露はして何 せなやうな氣がして、 とも言へない苦笑をしてゐるのが、鋧く私の眼を射て、嫉妬の疑念 「さうですか、まあ私も一寸喜久井町に行って歸途に寄りますか を刺戟した。あんな顏をしてゐるのは大方今まで其處に二人で差向 ら、さう言って置いて下さい。」 って坐ってゐたのだらう。自分に惡いことがあるからだ。 さう言って置いて喜久井町に行って見た。二人がゐる處へ行って 細井は表の六疊で机に寄ってゐるらしい。 見ねば、どうしても氣が濟まない。私が門に入る處を、婆さんは早 私は自分逹の端ないのを二人の前で見せるのを恥ぢて、 くも認めて、 「おい、こら ! 讀むのは止めなさい ! 」 「そら來たよ ! 」 あわて又詫びるやうに制した。自分でそんなことを持ち上げてゐ わるもの と、まるで惡漢が押掛けて來たのを警告するやうな語調で叫んながら、いよ , / \ といふ所になって私は意志が弱い。 かさ お前は私がさういふやうに下手に出るのをわざと嵩にかゝって、 ひとりで その恐怖を帶びた言葉を聞くと、私の方でも自然に惡漢になり了手紙の肝心な所を少しく讀んで、「私と兒島さんと喰付いてゐるん やらす したやうな氣持がして、凝乎と狙ふやうに家の内の動靜を窺って、 ですって。」と、他人の空事のやうな大きなで強ひて笑ひながら からかさろくろ 四疊半の縁側の前に突立った。疊んだ雨傘の轆轤のところを覺えず言った。 さっき ちっ 強く握って、斜に構へた。 兒島は先刻から趺坐のま又丁度共處に打付けられたやうに、靜と おどろを一 すると老婆さんの聲を聞いて、奧からお前が姿を現した。そしてして動かずにゐる。極度の艢愕に度臚を拔かれて聲も出せないので 私の穩かならぬ様子を見ると、四疊半の奧の方から、用心したやうある。そんな場合にも兒島の様子に注意の眼を怠らなかった私は、 ばあ ぢいっ かへり おに はした だる

9. 日本現代文學全集・講談社版45 近松秋江 葛西善藏集

彼女は彼女の一粒の子と、一粒の孫とを保護するためにこの世にさい。卑しい心を起させないやうにして下さい。身體さへ丈夫であ 8 % 生れて來、活きてゐるやうな女であった。そして月に幾度となく彼れば、今のうちは何もいらないのです : : : 」 女の不幸な孫の消息について、こまえ、と書き送りもし、またわが 彼は子供がいつの間にそんなことを云ふまでになったかを信じら ゐしゃ 子の我ま又な手紙を讀むことに、慰藉を感じてゐた。 れないやうな、また怖ろしいやうな氣持で母への返事を書いた。そ 彼等の行ってゐた温泉は、汽車から下りて、谷あひの川に浩うてして彼がこの正月に苦しい間から書物など賣拂って送ってやった、 おもちゃ 五六里も馬車に搖られて山にはひるのであった。温泉の近くには、 毛絲の足袋や、マントや、玩具の自動車や、繪本や、霜やけの藥な じゅんさい 彼女の信仰してゐる古い山寺があって、そこの菫菜の生える池の渚どを子供はどんなに悅んで「これもお父さんから、これもお父さん に端錢をうかべて、その沈み具合によって今年の作柄や運勢が占はから」と云って近所の人達に並べて見せたと云ふことや、彼の手紙 れると云ふことが、その地方では一般に信じられてゐた。彼女もまをお父さんからの手紙と云って持ち歩くと云ふことなどを思ひ合し た何十年となく、毎年今頃に參詣することにしてゐて、その占ひをて、別れてわづか一年足らずに過ぎない子供の現在を想像すること 信じてゐるのであった。 の困難を感ずるのであった。 母の手紙では今年の占ひが思はしくないのが氣がかりだと云ふこ と、互ひに氣をつけるやうにせねばならぬと云ふこと、孫のたいへ 霧のやうな小雨が都會をかなしく降りこめて居る。彼は夜遲くな ん元氣であること、そして都合がついたら孫の洋服をひとっ送るやって、疲れて、草の衾にも安息をおもふ旅人のやる瀬ない氣持にな うにと云ふのであった。孫は洋服を着たいと云ってきかない、そしって、電車を下りて暗い場末の下宿へ歸るのであった。 てお父さんはいやだ、何にも送ってくれないからいやだと云ふので 彼は海岸行きの金をつくる爲に、圖書館通ひを始めてゐる。 あった。彼女はそんなことは云ふものでないと孫を叱ってゐる。そ 彼の胸にも霧のやうな冷たい悲哀が滿ち溢れてゐる。執着と云ふ して靴と靴下だけは買ってやったが、洋服は都合して送るやうにと ことの際限もないと云ふこと、世の中にはいかに氣に入らぬことの 云ふのであった。 多いかと云ふこと、暗い宿命の影のやうに何處まで避けてもっき纒 わまき ばいきん それは朝からのひどい雨の日であった。彼は寢衣の乾かしゃうのうて來る生活と云ふこと、また大きな黴菌のやうに彼の心に喰ひ入 ないのに困って、ぼんやりと窓外を眺めて居た。毛蟲はもうよほど らうとし、もう喰ひ人ってゐる子供と云ふこと、さう云ふことども 大きくなってゐるのだが、こんな日にはどこかに隱れてゐて姿を見が、流れる霧のやうに、冷たい悲哀を彼の疲れた胸に吹きこむので せない、彼は早くこの不吉な家を出て海岸へでも行って靜養しようあった。彼は幾度か子供の許に歸らうと、心が動いた。彼は最も高 と、金の工面を考へてゐたのであった。 い貴族の心を持って、最も元始の生活を送って、眞實なる子供の友 疲れた彼の胸には、母の手紙は重い響であった。彼は兎に角小簟となり、兄弟となり、敎育者となりたいとも思ふのであった。 笥を賣って、洋服を送ってやることにした。そして、 けれども偉大なる子は、決して直接の父を要しないであらう。彼 たふ 「 : : : どうか、そんなことを云はさないやうにして下さい。私はあは寧ろどこまでも自分の道を求めて、追うて、やがて斃るるべきで れをたいへんえらい人間にしようと思って居るのです。私はいろい ある。そしてまた彼の子供もやがては彼の年代に逹するであらう、 ろだめなのです : : : 。どうか卑しいことは云はさないやうにして下さうして彼の死から澤山の眞實を學び得るであらう

10. 日本現代文學全集・講談社版45 近松秋江 葛西善藏集

った。 遣っちまへばい又ぢゃないか、お金を附けて遣っちまへばいゝちゃ ないか」 それは、自分と同姓の、而も自分とは一廻り下の同じ亥年の二十 「そんなこと出來やしないぢゃないか。だから仙臺へ行け : : : 」 六歳の、刑務所に服役中の靑年囚徒からの手紙だった。彼の鄕國 「行かないよ。誰が行くもんか、そんなに邪魔にされて。 : : : 赤んも、罪名も、刑期も書いてはなかったが、しかし兎に角十九の年か ぼがほしいが聞いて呆れら、自分の餓鬼ひとりだって傍に置いたこ らもう七年もゐて、まだいっ頃出られるとも書いてないところから ともない癖に : : : 」 考へても、容易ならぬ犯罪だったことだけは推測される。ーー・兎に ・ : 」自分の拳固が彼女の頬桁に飛んだ。 角彼は自分の「蠢くもの」を讀んでゐるのだ。 で、自分はまた、手文庫の底からその手紙を取出して、仔細に讀 んで見た。 ほとんど一ヶ月ぶりで、二時過ぎに起きて、二三町離れたお湯へ 入りに行った。新聞にも上野の彼岸櫻がふくらみかけたと云って、 刑務所の書信用紙と云ふのは赤刷りの細かい罫紙で、後の注意と 寫眞も出てゐたが、成程、久しぶりで仰ぐ空色は、花曇りと云った 云ふ下の欄にはーーー手紙ノ發受ハ親類ノ者ニノミ之ヲ許ス其度數ハ 感じだった。まだ宵のうちだったが、この狹い下宿街の一廓にも義二ヶ月毎ニ一回トス賞表フ有スル在所人ニハ一回ヲ增ス云々ー , ー斯 太夫の流しの音が聞えてゐた。 う云った事項も書き込まれてある。そして手紙の日附と配逹された 「明日は叔父さんが來るだ : : : 」おせいはブッ / \ つぶやきながら 日との消印の間に二十日程經ってゐるが、それが檢閲に費された日 も、今日も白いネルの小襦袢を縫ってゐた。新モスの胴着や綿入れ數なのであらう。そしてその細罫二十五行程に、ぎっしりと、ガラ は、やはり同じ下宿人の會社員の奥さんが縫って呉れて、それも出スの。ヘンか何かで、墨汁の細字がいつばいに認められてある。そし 來て來て、彼女の膝の前に重ねられてあった。 てちょっと不思議に感じられたのは、その文面全體を通じて、注意 「一體どんな氣がしてゐるのかなあ ? ・ : あんなことをしてゐ事項の親族云々を聯想させるやうな字句が一つとして見當らないの て。 : やはり男性には解らない感じのものかも知れないな」と、 だが、それが單に同姓と云ふだけのことで檢閲官の眼が誤魔化され 自分は多少の憐憫を含めた氣持で、彼女のさうした様子を眺めて、 たのだらうとも考へられないことだし、して見ると、この文面全體 思ったりした。 に溢れてゐる感じが、恐らく係りの人を動かしたものとしか考へら 「蠢くもの」では、おせいは一度流産したことになってゐる。何ケれない。所謂、悔悛の情云々ーーさう云ったところだったに違ひな 月目だったか、兎に角彼女の所謂キューピーのやうな恰好をしてゐ い。自分はその二三句をこゝに引いて見よう。自分としては非常に かうした惡虐な罪 むたのを、彼女の家の裏の紅い桃の木の下に埋めたーー・それも自分が忸怩とした、冷汗を催される感じなんだが。 呪ひ殺したやうなものだーー・斯うおせいに云はしてある。で今度も人が尚幾年かを續けねばならぬ囚人生活の中から唯今先生の爲に眞 劒な筆を走らしてゐますことは、何か知ら深い因縁のあることと思 また、昨年の十月頃日光の山中で彼女に流産を強ひた、と云ふやう にでも書き續けて行かうとも思って、夕方近くなって机に向ったの ひます。ぶしつけな不遜な私の態度を御赦し下さいませーー尚も尚 も深く身を焦さねばならぬ煩惱の絆にシッカと結びつけられなが だったが、年暮れに未知の人からよこされた手紙のことが、竦然と 3 した感じでふと思ひ出されて、自分はペンを措いて欝ぎ込んでしま ら、身ぶるひするやうなあの鉞枠や或は囚舍の壁、鉞扉にこの生き