りも心強かったのは、曾我が曲りなりにも自活の自信が出來るだけ 僕たちが大阪を引上げたのはそれからまる一年ほどしてで、ふと 大きくなって居たことだった。彼は駿河臺にア。ハアトメントの一室した事情から彼の保護を辭したのだが、存外にこの行動は成功し を手に人れると、そこへ十一の妹と小さな世帶を持った。さうし 建設者の役割の一つとして、震災後の東京はやくざな美術 て、片手間に飜譯をやりながら・書房の編輯部へ這入って、・ 家の一人にも、寬大な抱擁の手を延ばして居たのだ。 博士の監修する家庭百科辭典の編輯の手傅ひをした。彼等はその頃 魔子はすぐりを殘らず征伐すると、流し臺のそばへ寄って行 月三十圓の定收とその他不定な飜譯の原稿料十五六圓とで、その小 って、そこらをコトコト云はして、洋皿へコオンビーフだの生の さな世帶を維持して居た。 キャベツなどを盛って來て、マヨネ工ズソオスをかけて、フォーク 僕にとってたった一人の肉身である母親の再婚からでぐるぐる掻廻した。 ( それだけが直接の原因ではなかったが、 ) 家を飛出して、學校をよ 自分のタ御飯の仕度だ。 して、中途はんばな繪かきのまゝ、危なツかしい世渡りをはじめた 「まだそのソオスは何ともないかい ? 」 のは、丁度その時分だった。ある手蔓から同じ百科辭典の挿繪かき 「何ともないわ。」 を賴まれて、色んな打合はせや何かの都合から、・博士のところ と、彼女はもっともらしい顏をして、フォークの先をしゃぶつ で折々落合ったのが、僕たちの間に今日の様な友情が開らける動機て、 になったわけなのだ。 その編輯の方の仕事が、片付くか片付かないかに、僕は東京の生 と、窓の僕にねだった。 活が苦しくなって、 ( 物質的にもさうだったが、精紳的にも僕は云 彼女は御大葬の折にフジオで聽いたと云ふ「哀みの極み」を、僕 はゞ半生の懊惱時代にぶッつかって居た ! ) そのま乂こッちを飛出がギタアを抱きさへすれば、一度はせがんで彈かせることにして居 して、大阪で暫く自由生活をした。飾窓の裝飾などを思ひついたの た。最初のうちは耳へとまったきれぎれな斷片を、ロ箘で吹いたり はそこでなのだが、大分その間に、僕は商賣的な世渡りのすべを心 などして居たが、それ以來それが氣になって仕方がないとしゞゅう こぼして居た。僕も最初の抑揚の淺いあの折返しの部分しか覺えて ところが、そこで僕はまた曾我たち兄妹と、偶然めぐり合ったの居ないので、彼女にねだられてもそこだけしか彈けないのだが、そ だった。それは曾我たちが僕と同じ様な動機から「あっかましい仕れでも彼女は滿足で、でたらめな興的な章末のだらだらとついた 事」をしに大阪へやって來たからで、僕たちはだしぬけに路傍で會「哀みの極み」を、いつも耳を澄ましては聽き入るのだった。 ったのだが、幸ひその時には、僕の方の生活が比較的安定して居た 「働いてそれから御飯はおいしいだらう。」 代 時ので、彼等にもさうひどい生活の脅威は與へないですんだ。 「おいしい。」 と答へて、彼女は頤へくッつけた御飯粒を注意されてフォークの その頃僕は箕面に近い櫻ヶ丘の文化住宅地に、一軒家を持って居 た。偶然な機會からある保護者に引ッ立てられて、飛びきりな條件先で取った。 のもとに彼の保護を受けることになって居たのだ。 それが「菱 「。ハンもあるぜ今日買ったのが。」 5 2 形ソオス」本舖の主人の中島氏だった。 「さうお ? 」 みのも トロン 「『哀みの極み』を彈いてよ。」
けれやあ、共人は今頃もう何うなって居るか分りませんね」 りますから」 トンネル ちっと 「何にしろ、直ぐ隧道になるのですからね、どうしたって助る譯は 「何もお前さん、そんなに遠慮には及ばないよ。些少も構ゃあしな 無いです」と岡田が口を入れる。 いんだから、氣樂にしてお出でなさいよ」細君は一人で承知して居 「危いですな ! 汽車も慣れるとツィ無理をしたくなって困るのでる。 す」と大槻はいうたが、細君と顏を見合はせて、さて今迄忘れて居 プーンとものの羽音がしたかと思ふとツィ眼の先の板塀で法師殫 たやうに互に時候の挨拶をする。 が鳴き出した。コスモスの花にタ日がさして、三歩の庭にも秋の趣 大槻は年頃五十歳あまり、もと陸軍の醫者で、職を罷めてからははみち / 、て居る。 目黑の三田村に移り住んで、靜かに晩年を送らうといふ人、足立驛「オⅡ奧様ですか、今日はとんだ事でしたね」と云ふ聲に見る このかた 長とは謠曲の相手で四五年以來の交際であるさうだ。 と、大槻が開け放して行った坪の戸から先刻プラットホームで見受 ひとりむすこ 大槻芳雄といふのは延貴の獨息子で、少からぬ恩給の下る上に遺けた工夫頭らしい男が聲をかけながら入って來たのであった。細君 産もあるので、出來るだけ鷹揚には育てたけれど、天性才氣の鋧いは立ち上って、 方で、學校も出來る、それに水彩畫が好きで若し才氣に任せて邪道「マア小林さん、今日は : : : 隨分お久しぶりでしたね」といふロで あつばれ に踏み込まなかったならば天睛の名手となる事だらうと、さる先輩座蒲團を出す。小林は一寸會釋しながら私を繃帶の下から覗くやう は嘆賞した。けれども此人の缺點をいへばあまり畫才に依賴しすぎ にして、 て技術の修練をおろそかにする處にある。近頃大槻は或る連中と共 「何うだい君 ! 痛むかい。亂暴な奴もあるもんだね」 に日比谷公園の表門に新設される血なまぐさい。ハノ一フマを描いたと 「え、有り難う、ナアニ大した事も無いやうです」 かいふので朋友の間には、早くも此人の前途に失望して、やがて 「傷も案外淺くてね、醫者も一週間ばかりで癒るだらうって云ふん は、女の淺猿しい心を惹く爲に、呉服屋のポスターでも描くだらうですよ」と細君が口を添へる。 か、りあひ と云ふやうな蔭口をきく者も有るさうである。 「奥樣、今日は僕も關係者なんですよ」 岡田は暫らくするうちに、停車場の方に呼ばれて行く。大槻軍醫「ヱー、何うして ? 」とポッチリとした眼を視張る。 も辭し去った。後で驛長の細君は語を盡して私を慰めて呉れた。細「あんまり亂暴な事を爲ゃあがるので、ツィ足が辷って野郎を蹴倒 君といふのは年頃三十五六歳、美人といふ程ではないけれども丸顔したんです」と云ひながら細君の汲んで出した茶をグッと飲み干 の、何となく人好きのすると云ったやうな質の顏である。 す。私は小耳を引立てて聽いて居る。 「下宿に居ちゃあ何かと困るでせう。どうせ一週間ばかりなら宅に 居て養生しても好いでせう。ね、宅でも大變お前さんに見込を付け 夫ていろ / 、御國の事情なんかも聞いて見たいなんて云うて居ました 「今度複線工事の事に就て一寸用事が出來て此所までやって來たの よ」 です。プラットホームで足立さんに會って挨拶をして居ると、今の 「え、有り難う。併し此分ぢゃあ大した傷でもないやうですから、 一件です。 5 4 それにも及びますまい。奧様にお世話になるやうでは反って恐れ入 驛長さんが飛び出したもんですから、私も直ぐ其後へ付いて行っ ステーション かへ
2 お前さんの爲めに成りますまいよ。今の茶店を出すに就いても、家櫛り、髯も剃る。お美代婆さんは、これでも未だ堅吉の勉強家た の旦那にお前願った事があったちやアないか。それを急に催促されるを信じて動かない。此頃は少し息拔きをして居らッしやるのだと たら、まアさ、そんなに三圓や四圓のはしたをね、催促なさる様な言って居る。それに堅吉は既にお柳に戀して居ても、ちッとも表面 家の旦那ではないが、もしもの時には大まごっきを仕なくッちやア に出さないで、好しゃ貝よりの手傅ひをしても、其所に少しの厭味 ならないよ。それよりは薄井様の御座敷〈お柳さんを = = = 」「もうが無いので、これを茶店に張りに來る書生蓮に競べて見ると大變な 止してお呉れ、奧には御客があるよ」「〈ん、其御客なら橫文字癲相違ではある。 癇と綽名のある人だらう」「失禮な事を御言ひでないよ」「まア何ん でもい乂ゃね、それなら、それと、其事を内へ歸って言ふばかし 老婆は未だ茶屋へ行かず、人は末だ海水に浴せぬ朝。霧が濱邊を ねまき さ。おやかましふ」と下駄音高く引っかへして去った。 封じて居る中を、寐間衣の儘で散歩して居る男がある。四十餘歳、 お柳は最前から米飯を食ふのを中止して、祖母とお鐵との對話を髯あり、頭少しく兀げ、でツぶりと太り、左も , v_ 剛慢に歩して居 聽いて居たが、去った時には又箸を取って、さら / \ と食べ始める。これを縁側から、ちらと見た堅吉の目には、共某省の參事官、 た。祖母は胸をつまらして、涙含んで、まばらの齒を喰〆めて、ぢ薄井巖なる事を認た。今日は朝から不愉快であると感た。やがて共 ' とお柳の顔を見た。お柳は常にかはらず、そろりと箸を置いて常に見さ、すれば堅吉に不快感を與〈る姿は、霧の中に沒して仕ま 「薄井様が人らッしゃッたのですか」と聽いた「さうだとさ」と祖った。不圖考〈て見ると、今朝其方角の濱邊に、お柳は貝がらを拾 母は答へた。 うちは ひに行って居る筈だ。如何いふものか堅吉は、それが心配で心配で これを奥の一間で、海に向ふ縁側で、團扇をつかひながら、とび成らない、如何しても内にぢッとして居られぬ。直ぐと草履を穿い とびに聽いて居た堅吉ーー何んだかちッとも分らないが、薄井とい て、出て、濱邊に向った。彼の薄井の足跡は、汐が引いたばかりで かたき ふのが耳に入った、其薄井といふのは加之父の敵同然の名前であ未だ濡れて居る砂の上に、大きく印されてある。小さなのは先きに る、其薄井が如何したといふのか、それが聽きたさにづか / 、と二 お柳が歩いた跡か、此他には未だ誰も踏まぬと見える。堅吉も亦霧 人の傍まで進んで行って「薄井といふのを知って居るの」と聽い の中を分けて、おのれの足跡を遺しながら行く程に、其大小の足跡 た、時に、お美代婆さんは眞靑に色が變じて、急には答へなかっ が、非常に亂合ふて居る所があって、其から先きは又並行に進ん た。お柳は何か考へて居る様で、堅吉の方へは目も配らなかった。 で、先きの方へ歩いて行って居る。其先きは干いた砂の中に沒し 婆さんはやっとお茶を一口飮んで「なアに、只御ひいきになるばか て、行方分からず此時堅吉は身體中の血を絞取られた様な心持に成 しで御坐います」 った。しばらく茫然として直立した。それは霧がすツかり睛れて仕 まったのも知らずに居た。 五 ふと 不圖向ふを見ると、引揚げられてある漁船の脇に屈んで居る娘が 此一週間といふものは堅吉に取りては如何に樂しくあったらう。 ある。見定むればお柳だ。彼は餘念なく貝がらを拾ふて居た。薄井 何も爲ず、茶屋へ行ったり、内〈歸ったり、夜はお柳が貝殼撰りの の姿は霧と共に何處かへ消えて見えない。堅吉は我知らずお柳の傍 手つだひを恐る , ・—仕て居る。綿人なぞは決して着ないで、髮も〈行って「お前は最先から此所に居たのか」と尋ねた「はい、居ま
やをチ はたち る二十歳ばかりの靑年である。背はスラリとして痩型の色の白い、 私の制服の上に、小さい波紋を描く。 おろ 涼しい、生き返るやうな風が一としきり長峰の方から吹き颪し張の好い細目の、男らしい、鼻の高い、私の眼からも惚々とするや ひぐらし うな、ましい程の美男子であった。 て、汗ばんだ顔を撫でるかと思ふと、何處からともなく蜩の聲が たび 私は毎朝此青年の立派な姿を見る度に、何ともいはれぬ羨しさ 金鈴の雨を聽くやうに聞えて來る。 私は何故こんなに彼女の事を思ふのだらう。私は彼女を戀して居と、わが身の羞しさとを覺えて、野鼠のやうに物蔭にかくれるのが るのであらうか、いや / 、もう決して微塵もそんな事のありゃう譯常であった。永い間通って居るものと見えて、驛長とは特別懇意で よく驛長室へ來ては卷煙草を燻べながら、高らかに外國語の事など はない。私の見る影もない此姿、私のうとましい此職業、戀したと て何としよう。思ったとて何としよう。戀すまい、思ふまい。私はを語り合うて居るのを聽いた。 わきま 私の眼には立派な紳士の禮服姿よりも、軍人のいかめしい制服姿 自分をよく知って居る筈だ。私は自分の地位と職業とをよく辨へて よりも、此靑年の背廣の服を着た書生姿が、身にしみて羨しかった。 居る筈だ。 私は心から思うた。功名もいらない、富貴も用はない、けれども只 一度此脂垢の染みた驛夫の服を脱いで學校へ通って見度い : 噫私の盛りはこんな事で暮れてしまふのか。 品川行の第二十七列車が出るまでにはまだ半時間餘もある。日は 私は今ふと昔の小學校時代の事を想ひ出した。薄命な母と一處に 沈んだけれども、容易に暮れようとはぜぬ。洋燈は今しがた點けて うち 叔父の宅に世話になって居た頃、私は小學校でいつでも首席を占め しまったし、暫らく用事もないので開け放した窓に倚りかゝって、 て、義務敎育を終るまで、其地位を人に讓らなかったこと、將來は それとはなしに深いもの思ひに沈んだ。 風はピッタリ歇んでしまって、陰鬱な壓しつけられるやうな夏雲必然偉い者になるだらうといって人知れず可愛がって呉れた校長先 ゅふやけ 生の事、世話になって居た叔父の息子の成績が悪いので、苦勞性の に、タ照の色の胸苦しいタぐれであった。 出札掛の河合といふのが、驛夫の岡田を相手に、樺色の夏菊の咲母が、叔父の細君に非常に遠慮をした事など、それからそれ〈と思 き亂れた、崖に近い柵の傍に椅子を持ち出して、上衣を脱いで風をひめぐらして、追懷はいっしか昔の悲しい、いたましい母子の生活 の上に遷って居た。 入れながら、何やら頻りに笑ひ興じて居る。年頃二十四五の、色の ぼんやり なか / 、しゃれもの 茫然して居た私は室の入口の處に立つ人影に驚かされた。見上げ 白い眼の細い畍髮を油で綺麗に分けた、却々の洒落者である。 たうちりめんへこおび ゆかた 山の手線はまだ單線で客車の運轉はホンの僅かなので、私逹の勞るとそれは白地の浴衣に、黒い唐縮緬の兵兒帶を締めた、大槻であ ごと 働は外から見るほど忙しくはない。それに經營は私立會社と來て居った。 なめ 「君 ! 汽車は今日も遲れるだらうね」 るので、官線の驛夫等が嘗るやうな規則攻めの苦しさは、私逹にな どっち 「え十五分位は : : : 」と私は答へた。山の手線はまだ世間一般に 夫いので、何方かといへばマア氣樂といふ程であった。 つけたり 私はどうした機會か大槻芳雄といふ學生の事を思ひ浮べて、空想よく知られて居ないので、客車は殆ど附屬のやうな觀があった。列 はとめどもなく私の胸に浴れて居た。大槻といふのは此停車場から車の遲刻は殆ど日常の事となって居た。 3 日はもういっしか暮れて蜩の聲も何時の間にか消えてしまっ 毎朝、新宿まで定期券を利用して何處やらの美術研究所に通うて居 ステーション
0 ぢびた いて、地下をひら / \ と飛び廻ッて居た。が、あはや「コロ」の爪止まッて、柱へつかまッて庭を見て居た。すると娘の居る座敷で誰 にかゝりさうになツた。 か立上る樣な音がしたが、直其音が近附いて來た。自分の胸はとき 「あらまア ! 彼様ないたづらを。」と娘は走せよッて、 めいた、注意はもウ其音一つに集ッて仕舞ッて心は目の前に共人の 「およし可哀さうに。 像を描いて居た、共人の像はあり / \ と目の前に見えるのに、其人 うしろ ちりげ 娘はしなやかに身を屈めて、「コロ」を押へながら蝶を逃がした。 は自分の背へ立ッて、いたづらな、自分の頸毛を引張ッて、 其から「コロ」を抱きあげてそしてやさしい手でくる / \ と「コ 「秀さん、好い物をあげるから入らッしゃい。 ロ」の頭を撫でまはした。「コロ」は叱られたと思ッたか、目を閉 「好い物 ? 」好い物とは嬉しい、と思ひながら、嬉しさに殆んど夢 ち、身を縮め、首をすぼめて小さくなツた其風の可愛らしさ。娘は中になり、後に續いて座敷へ這人ると紙へくるんだ物をくれた。開 共身の貌を「コロ」の貌から二三寸離して、しげ′と見て居たけて見るとあたり前の菓子が嬉しい人から貰ッた物、馬鹿な事さ、 こは が、其淸しい目の中には如何様に優しい情が籠ッて居たらう。「も何となく奪く思はれた、破さない様に、丁寧に、靜と撫でる様に紙 ばら う蟲なんかを捕るのではないよ、」と言ッて、其美しい薔薇色の頬へくるんで袂へ仕舞ふのを、娘はぢッと見て居たが莞爾して、 を猫の額へ押當て、眞珠の様な美しい齒を現してゆッたりと微笑ッ 「秀さん好い物を拵へて上げませう。 にツこり どんな 「どうぞ。 たが、其莞爾した風は如何様にあどけなく、如何樣に可愛らしい風 であッたらう ! 自分は猫を羨しく思ッて餘念なく見とれて居た。 娘は幾枚となく半紙をとり出して、 わらひ ちょいと 娘は頬の邊にまだ微笑のほのめいて居る貌を一寸ふり上げて自分の 「そら宜うございますか、是が何になるとお思ひなさる、是がね、」 わらひが 顏を見たが、其笑貌の中には、「何故其様に人の貌を見て」と尋ぬゅッたりした調子で話し始めた。「ーー寔は、そらね、是を斯う折 る様な風が有ッたので、あるひはなかッたかも知れぬが、自分はあ ッて、此處を斯うすると、そうら、一つの鶴が出來ますよ、そら今 あわ ッた様に思ッたので、はツと貌を赤らめて、周章てて裏庭へ逃出し出來ますよ、そうら出來た。 かんじ さんばう て仕舞ッた。が恥しい様な、嬉しい様な、妙な感情が心に起ッて何 娘は鶴を折ると其から舟、香箱、菊皿、三方などを折ッてくれ となく胸が騷がれた。 た。自分は娘が下を向いて折物に氣を取られて居る間、其雪の様な 共日の七つ下りに自分は馬の稽古から歸ッて來て、又何時もの様白い頸、其艶々とした綠の黑髮、其細い、愛らしい綺麗な指、共美 に娘の居る座敷へ往ッて見ようと思ッたが、はてまア不思議 ! 恥 しい花の様な姿に見とれて、其袖のうつり香に撲たれて、何も彼も しい様な怖い様な氣がして、往きたくもあるが往きたくもなく、如忘れて仕舞ひ、唯もウうッとりとして、嬉しさの餘り手を叩きたい 何した者かと迷ひ出して、男らしくないと癇を起して、其處で往程であッた。 くまいと決心して誓まで立てたが、扨人情は妙な者で、とんと誰か 「お姉さま。折方を敎へて下さいな。 來て引張る様で、自然と自分の體が動き出して、知らぬ間に娘の居 其から自分は折方を習ッて、二三度試して見たが出來なかッたの にんたう る座敷の前まで來た。唐紙は開いて居た。自分は座敷の方を向きもで、娘は「眞當に此子は不器用な人だ。」と笑ひながら、いやとい しなかッたが、共で居て、もウ娘が自分を見たなと知ッて居たのふ程自分の手を打ッた、痛かッた、痛さが手の筋へ染み渡ッた、が で、態と用ありさうに早足で前を通り過ぎ、共癖隣座敷の縁側で立痛さと一所に嬉しさも身に染み渡ッた、嬉しいから痛いのか、痛い かほ それ からかみ どんな さて わら かたち えり
はしごだん みぎどなりらんぶ さなくって、二階の楷子段の下で、右隣室が洋燈部屋で、左が布團れで米飯をよそって居る内には、箸で膳の上〈連りに何か書いて居 2 の入場で、石油の香と、一種の汗臭い何んとも言はれぬ氣を、常に る。よそって出しても受取る事を仕ないで、ロの内でぶつノ \ 言ひ 鼻にして居らねばならぬ。四疊半で、三方が壁で、但し其内の一方ながら例の通り遣って居る。 あるじ じめ しる に腰掛窓があるが、若し夫れ其所を開くと、臺所の流シの溜って居 宿の主人はあまり不思議なので、最初の日に誌した宿帳を出して る溝から、蠅が風より先きに飛んで來る。 見た。それには「東京市芝區櫻川町一一番地田村方。靜岡縣士族。近 ばんとうもみでし どうけんきち これでも宿では餘程遠慮して居るので、管頭が揉手を仕ながら、 藤堅吉。一一十三歳。數理學校生徒。脚氣療養」としてあった。 御氣毒様ですが他の家〈御移り云々を願はないだけが、まづ幸輻と 扨ては數學を勉強して居るのか。綿入を着るのは蚊の喰ふのを防 ひとり 無理に思はなければ成らない。 ぐ爲めか。人が遊ぶ中にあやって獨眞面目なのは、脚氣ゅゑの轉 こんな部屋〈通されて何故怒らない。此所ばかりが宿屋ではな地療養か。今時の若さに感心な人だと初めの愚弄は後の敬服と成っ い。避暑保養に來て斯の如き部屋、此の様な逆待を受ける不愉快て、皆が氣を附けて上げる様にいっしか成った。 は、避暑にも成らぬ、保養にも成らぬ。却って苦熱と不養生とで健 康を害する。こんな馬鹿な事は無い筈、好く我慢して居る事だと傍 らまり からは思はれる。 過度に勉強なされては、病氣の爲めに好くありません。責て日に しかし、聽て見ると此客人は、好んで、といふ譯でもないが、他一度位は散歩でもなさいましと、宿の主人も主婦も勸めた。女中の の涼しい座敷に居るよりは此所がとの望みで、それは又斯ういふ事年增の一人も恐る / \ 勸めた。自分の事を人に恩に着せる位な處 情、ー、・・まさか此混雜の中だから一人で一室占領とも行くまい、然らで、やっと堅吉は日に一度の散歩をする事に成った。濱邊づた〈に ば相客をいづれ入れねば成るまいが、涼しくても相客は厭、暑い部 行くと小高い山があって、其麓に木蔭の茶屋といふ水茶屋がある。 屋でも一人が好いと言ったので、それで此所〈移されたのださう其所を目的に正午の飯後から出かけて、暑い盛りを共處で四時頃ま そのあひだ で過して歸るといふ事に極めた。そして其間は矢張向ふの茶屋の臺 其客人とは如何なる人か、女中逹の噂では何んだか分らない不思の上で勉強するのは少しも變らぬ。 するがばんし 議な男で、朝は早くから晩は遲くまで、駿河半紙の綴たのに木筆で 斯う極めると極めた通りに規則正しく出かけて行く。重い足をひ ざうり 何か横文字を書きっゞけて、少しも休むといふ事はなく、さうかと きずりながら、草履を尚重しとして、てくり / 、と出かけて行く。 思ふと考〈込んで仕まっては、殆ど死人かと思はれる様な事があ蝙蝠傘を片手に、片手には駿河半紙の綴ちた帳面と木とを持っ る。時には兩手で頭を押へた儘、うウんーー・と言って引ッくりかへ たうじん うは・こと まこと 、唐人の寢言の様な浮言を呻って居る。第一分らないのが避暑に 木蔭の茶屋といふのは、こんもりと繁った赤松の下で、寔に涼し よしずげり しゃうぎ 來た人が綿入を着て汗をだくノ、流して居る。海水浴に來た人かと く好い處だ。葦籬張の竹の柱で、臺が二つ、椅子が三つ、床儿が一 思ふと、一度も海へ這入った事がない。更に尤も不思議なのは、三 つ。臺には古ぼけたカア。ヘットの切が、椅子には破れかけたアン。へ いちどん あかげつと 度々々の食事の時で、給使の女中が居ても一言も聲を掛けず、全く だんまりめし ラが、床儿には穴の明いた赤毛布が、共におぼっかなく敷いてあ の沈默で米飯を食ふ。茶碗を出す時に「米飯」「茶」これぎり。そる。風で飛ばない様に、お多語が頬冠をして居る火入や、木の根ッ ほか うち をめ
うはおぎ 子の烟草盆や、螺の殼なぞが上置に成って居る。此邊の連中が讀ん御客が來る。 だ、涼しさや、とか、淸水哉、とか、誌してある十七文字の聯が掛 っゐく けてあって、これの對句に是非並べたいは、旅藝者の名前が書てあ 殊に暑さ嚴しき日であった。例の如く堅吉は來て、熱心に木筆を る軒提燈、ぶウら / \ と下って居る。 店臺には駄菓子の箱と水菓子の籠とがある。茶釜の下には裏の松走らして居た。此方では婆さんも、餘程暑くって體がだるかったと 林の枯葉を絶えず焚べてある。此方のテープルの上には、色々の瓶見えて、店の臺の上に木枕を出して、團扇で顔をかくして寢て仕ま が載せてあって、其中の二 = 一個には木札が付けてある。湯出玉子がひ、小娘は何處〈行ったか姿は見えず。如何な勉強家の堅吉も、終 硝子の皿に盛ってある。眞中には山百合の花が挿してある。若し人にはうと , v¯と帳面の上に顏を伏せて居眠った。蝿が一層喧しく鳴 が 0 ップを取って或る洋酒を所望したら、を竄葡萄酒とビールの他いて、これも彼方此方の木にぶつかり廻って居る。 あら ハッと思って、起直った堅吉は「顏でも洗って來たら、少しは氣 は無いといふで有ふ。木札は其二種を區別してあるので、共他は明 瓶である事が此時判然するに違ひない。只此木蔭の茶屋で好い物が引立つであらうと、臺を下りて彼の噴水の方〈と歩んだ。 ふちさはも、 裏の小山っゞきの岩を切った處に、 ~ 忍が卷いてある靑竹が地に立 は、山から引いた淸水の噴水に冷してある藤澤桃と、十四ばかりの って居て、共口から龍が雲を吐く如く水を五六尺の高さに吹いて居 小娘の美しいのと、これが此逗子での評判である。 堅吉は、小娘の美しいのが此邊の輿論である事も、桃が〈て居る。それが散じて落ちる四面には、眞白な貝がらが敷いてあって、 うまい 泉水の様な形に水が溜って居る。桃の冷してあるのは此所で、流れ みたれあ、 るりいろびすゐいろ て如何にも美味といふ事も知らない。いつも來ては茶を飲んで、 駄菓子を一一ッ = 一ッ食って、臺の上で代數や幾何若しくは、ない様に籠に入れてあるので、中で瑠璃色と翡翠色とが亂合って居 たま 術を勉強して、四時頃にはきっちりと歸へる。不時には茶屋の婆さ 其岩の陰に衣服を脱いで置いて、其岩の一個滑かな上に此方を背 んと僅に二口か三ロは話すが、それも滅多に無い事、恰も海水浴に むすめ にして腰を掛けて居る小娘、手拭を肩にて其端を乳の上に結ん 厭き、晝寐から起き、人々が此木蔭の茶屋へ遊びに來かる頃に で居る。髮を洗ったものと見えて、黑い、濃い、長い、髮が、白い は、惡魔にでも追掛けられるかの如く、あわてゝ歸って仕まふ。 此所の婆さんは感心して、迹では小娘に向ひ「ほんとに今時の若肌の上に懸って居る。噴水は風になびいて、さッさッさッと小娘の さには珍らしい方だ、隨分此逗子〈も書生さんが見えるが、あんな上に落ちて來るので、赤い腰卷の上は瀧をなして居る。手には桃を に勉強する人はありは仕ない。あんな方は屹度行末出世なさるよ」持って居る。恰海女が龍宮で珠を取って來たかの觀。 共所へ堅吉が行ったので、小娘は吃驚したが、堅吉の方でも吃驚 と賞めたてる。けれども小娘は、いつも此言葉をして老婆の獨語に 留めしめて、一向それには答〈ない。小娘の内職として濱邊で拾集して、眞赤に成って、極りがわるさに引っか〈して仕まった。小娘 房めた貝がらを、江の嶋から買ひに來るのを待ちつ、、それを種類にはそれ程でもない、手に持って居た桃を見られたのを寧ろ羞ちたの か、急いでそれを籠の中へ入れて、其後ゅッたりと、髮を絞って、 きもの よって分けて居る。仕方がないから、婆さんもロの内で「ほんとに 感心な方だ」をくりか〈しながら、松葉を拾って釜の下を焚付け體を拭いて、そして衣服を着た。 そのくりごと ふきだけ 彼此する内婆さんも起きる、客も來る、堅吉はいそど、と歸って る。後には吹竹を口に當てるので、共繰語も此所に終る。其内段々 ひとっ
しき あれ た氣で、これも連りに喜んで居る。お柳は左程喜びも仕ない、かは 如何も似て居る様な、といふ事も浮んで來て、彼を妻に仕たらばと りに父厭がりも仕ない。 斯ういふ早や戀の念が加はって、勉強の凝結がそろ / 、解けて、更 丁度堅吉が移った晩、二人も茶店から歸って來て、行水をして、 に戀愛が固まり始めた。極端から極端〈走りやすく、數學の頭が 零に成って、戀の腦が無限大。彼は蕋妻に成り得べきやの疑問點夕飯を食〈て居る處〈、慌だしく潮頭樓の女中が來て「お美代婆さ ん、御内かえ」と言って閾を跨いだ。これは常に堅吉を偏屈だ / \ が、常に記されない事は無い。 天文家の玉子が人界に立戻って見ると、暗い室は矢張厭で、暑苦と言って嗤って居た一人で、お鐡と言ふ渡り者のあばずれ、何しに 來たのか、堅吉の遺失品でも持って來たのかと思ふと、左うではな しい部屋は矢張厭で、臭い喧しい狹い處に居るのは、全く好もしく くって「おう、お柳ちゃんも居るね、まア好かった。妾は又居ない なくなった。 それでなくっても、如何しても堅吉は此潮頭樓を去らねばならぬかと思って心配したのだよ。それはい、が、ちょいとお婆さん、急 事に成った。それは新に此家に來った客人がある、共客人を非常に用だよ、耳を貸しておくんなさい、喜ばせる事があるんだよ、内所 堅吉は嫌ふて居るので。其人は以前堅吉の父と同じ役所に勤めて居話なんだから」とわめく「なんだねえ、誰も遠慮する様な人は居や ア仕ないのに、其處でお話な , 「でもさ、内所だから耳を借りたい さ、や たが、堅吉の父は正直一圖の人、其男は長官に摩込むのが上手、い つでも説は合はなくって、或日激論を仕た末、潔く父は辭職し、共んだアね」と無理に年寄を引張って、や、しばらく呟いた。お美代 男は後に遺って居たが、段出世して今では某省の參事官と成って婆さんは連りに首を振って場に戻りながら「いや / 、もう折角何ん ですが、それは御免だ。あの時はあの時。妾が手にお柳を引受けて おやちあ 居る。堅吉は父が常に其男の事を言って居たのを、子供ながら耳に して居たので、それが頭にあるから、其男に顏を合はすのが、厭でからは、如何して / 、そんな事が・・ = = 全體親父が彼の通りの無慈悲 で : : : いくら御金子をならべられても、好しんば先様が東京でえら 厭でならぬ。これを以て早速轉宿とは決定したが、扨て何處〈移っ たら好いものか、こんな事には不經驗だから、先づ木蔭の茶屋の婆い御役人様だッても、これは又別な事だから、もうど、御免 はか 如何かよろしく其所のところを斷って被下 s- と言切って、腹立し さんに謀った。但し只室が、暑くって、暗くって、如何も騷々しく って、といふのを口實にした。婆さんは信切に引受けて、それなら氣に茶漬をさら / \ と掻込んだ。 「でもお前さん、そんな事を言っても仕ゃうがない、何んだッて當 妾の家へお入來なさい、何も別に御搆ひ申しませんが、汚くはあっ ても、見睛は好し、風通しは好し、いっぞや矢張書生さんが御逗留世でさアね、それも今度が初めてならですけども、一度何があッた なさった事がありました。書間は妾逹一一人は此茶屋〈參りますかんですから」と女中は言った「それは死んだ親父が不心得で、これ ら、誰も居ませんで尚靜閑、妾も戸を締めて出るよりは用心に好うの知った事ではありません。第一世の中にこんな無慈悲な事は又と し 御坐いますからとの事で、堅吉には願ってもない幸一供喜んで左うあった事ではない」「それはもう左うには違ひないが、其處が先方 殺 様では大枚の御金子を御出しなさる處でさアね、「お鉞どん、止し これ 房極めた。 女 てお呉れよ。奧には御客もあるし、又柳の前でそんな事を」「だか 極まると直ぐに荷物を婆さんの家に運んだ。堅吉の感は、恰も、 地獄をさ〈去らば滿足であった亡者が、望外の極樂に引取られた時ら初め耳を借りたんでさアね」「それしきに貸す耳はありませんか 3 2 の様で、いよ , ・ \ 以て勉強は出來はせぬ。婆さんは丸で養子でも仕ら」「おや / 、大變な御立腹だね、けれども、それではお美代さん、 いちづ わら
8 からだ 成りまして、一生汚れた身體に成って仕まひました。共時妾さへ居る。海白く、空黑く、今にもタ立が來さうで、遠雷か、それとも潮 りましたら、そんな事は致させるのでは御坐いませなんだが、如何聲か、びかり / \ と電光は山の後で雲をつんざく。寒い程涼しい晩 あてむせびい も殘念で成りません」と手拭を顔へ當て咽入った。 だ、堅吉にはそれが蒸暑く感じられて、身體の置所が無い様になっ りつぜん 堅吉は慄然として、思はず立上ふとして、又坐って、腕を組んて來た。海へ飛込まふかと思った、何度となく海へ飛込ふと思っ で、一時に歎息だか何んだか知れない息を吐いた。實に鏡利なる鎗た、しかしながら斯う思ひながら、足はそれに向はず、いっしか知 しはらくばう の穗先で、腦天から足の裏まで貫かれたかの如く感じて、少時は茫らず小山の麓へ行った。共所は木蔭の茶屋のあった處、今は何もな と成って居た。共茫として居る中から「腹が立つ」「殘念だ」「悲しい。唯山から引いた噴水が、筧に木の葉でも詰ったのか、先程の勢 い」「情けない」「如何したら好からう」「仕様はなからうか」なぞひはなく、只ちよび / \ と吹出して居る。以前はれて居た岩、今 の念が、一皮々々生じて來て、判斷力を包む。共内で一番厚い皮がは噴水が屆かぬので、晝間の日に焦けたほとぼりが冷めぬ岩、これ 「情けない」といふ念である。弐いでは「如何したら好からう」で に彼のお柳が腰を掛けて桃を手にして居た事もあったのだ。堅吉は ある。 これにどツかと腰を掛けた時に、少しは落付いて物を考へる事が出 實に情けない親父だ。如何も情けない親父だ。して / \ 此花の如來るやうになった。 く美しく、雪の如く淸い少女を、誰が蕾の内に散らしたか、未だ積 如何しゃう、如何したら好からう、お柳を貰ふまいか、止して仕 らざるに汚したか、惡むべき天下の罪人、大罪人、瓧會の大罪人、 まは・ふか、お柳より他にお柳と寸分違はぬ女があれば好いが、無 どくちゅうあくにんだい , ( 、 極重惡人、大々惡魔、未だ情を解せぬものを、「聖の戀情でなく、 い。死んだ許嫁とお柳とがいくら好く似て居ても、どツか違ふて居 一時の好奇心で、をのカで、犯したとは、獸心、人面、獸心、寸るだけそれたけお柳以外にお柳はない。お柳より他に眼中女がな 斷に切さいなんでも厭き足らぬ。如何しても厭き足らぬ。金力でバ い。其お柳には如何にしても消滅しがたい汚點がある。知らねば格 たう アヂニチーを破る、此位な慘酷は他に決して無い 9 人あり、刀を持別、知って貰ふて如何であらう。口惜しい、其汚點は、決して消減 はらわたっかみた まなこ って人を殺し、腹を割きて、共腸を攫出し、眼をくじりて、其眼しないのである。何もそんな者を、好んで、急いで、女房にしなく 玉をゑぐり出し、共頭を立割りて、腦味噌を出したりとぜんか、そ ッてもよい。といって他に、それなら気に入ったお柳同様な女があ れよりも、我は、金力を以て處女の操を破りたる者を、一層の上に るか。無い。決して、無い。それと思込んだら眼中他に女が無い。 慘酷の度を置くべしと、堅吉は思詰めた。餘所の話、知らぬ少女世界は唯一人の戀人であるのだから、有るべき道理がない。一生狐 を、これ / 、に仕たと聽いてさへ、此位に思ふべき堅吉、それがお獨で暮すなら格別、妻とするなら彼のお柳が好い。彼の笑ふ處が好 のれの生命を犧牲に供してまでもと思込んで居るお柳の上に於て見い。こせつかぬ處が好い。何を言っても怒らない處が好い。言葉の る、苦しさ、つらさ、腹立しさ、味氣なさ、情けなさ、といふもの 通りに從ふ處が好い。何がなしに好い。如何しても好い。今日まで は、實に非常で、共非常の結果として、此所に居た乂まれない様に缺點はなかったが、初めて聞いて驚くべき缺點のある事を知った、 なって、不意と飛出した。しかせざれば、堅吉は、慥かに卒倒する共缺點・ーー先づこれを研究せねばならぬ、共上で我はどちらかに極 場合であったのだ。 めやう、斯う堅吉は考へた。 ともしび 夜だ、外は闇だ、潮頭樓の間毎々々には燈火が綺麗に輝いて居 そして出來るだけ辯護すべき方面から、お柳の身上を研究した。 ひとかは かけひ おれ
2 5 おばしま た。私は何時か千代子と行き會ったかの橋の欄干に倚って、冬枯れが改札口に居ると大槻芳雄が來て小形の名刺を私に渡して小聲で囁 いた。 の壙野にションポリと孤獨の寂寥を心ゆくまでに味ふことも幾度か であった。 「高谷様に之を渡して呉れないかー率直に云へば私は大槻が嫌ひ だ。大槻が嫌ひなのは私の嫉妬ではないと思ふ。けれども私が今こ 十八 れを拒むのは何となく嫉妬のやうに見えてそれは卑怯だといふ聲が うなづ 寂しい冬の日は暮れて、やはらかな春の光が又武藏野にめぐって 心の底で私を責める、私は默って諾いた。 來た。 「有り難う ! 」と如何にも嬉しさうに云うたが、「君だからこんな 丁度三月の末、麥酒會瓧の岡につづいた櫻の蕾が綻びそめた頃、 事を賴むのよ、好いね識度渡して呉れ給へ ! 」と念を押すやうにし 私は白金の塾で大槻醫師が轉居するといふ噂を耳にした。塾といふて、ニッコリ笑った。何といふ美しい靑年であらう。心憎いといふ のは片山といふ基督敎信者が開いて居るのでもとは學校の敎師をしのはかう云ふ姿であらう。 それ て居たのが、文部省の忌憚に觸れて、夫からは最早職を求めようと 何うしたものか共日千代子の學校の歸りは晩かった。何處でどう もせず、白金今里町の森の中に小さい塾を開いて近所の貧乏人の子して私は之を千代子に渡さうかと思ったが、胸は何となく安からぬ ひさしがみ 供を集めては氣焔を吐いて居る。驛長とは年頃懇意にして居るの思ひに惱んだ。長い春の日も暮れて火ともし頃、なまめかしい廂髮 かんざし で、私は驛長の世話で去年の秋の暮あたりから、休暇の日の午後を に美人草の釵をさした千代子の姿がプラットホームに現はれた。 うしろ 此片山の塾に通ふ事とした。 私は千代子の背後に隨いて階壇を昇ったが、他に客は殆ど無い。 あたり 片山泉吉というて年齡は五十ばかり、思想は古いけれども、明治「高谷さん ! 」私は四邊を憚りながら呼びかけた。思ひなしか千代 十八年頃に洗禮を受けて、國粹保存主義とは隨分はげしい衝突をし子は小走に急ぐ、「高谷さん ! 」と呼ぶと、此度は壇の中程に立ち て來たので、貧乏の中に老いたけれども、氣骨はなか / 、靑年を凌止って私の方を向いたが、怪訝な顔をして口許を手巾でおほひなが ぐ勢である。 ら、鮮やかな眉根を一寸顰めて居る。 ムうし 私は此老夫子の感化で多少讀書力も出來た。勞働を卑しみ、無學「何ですか大槻さんが之を貴女に上げて下さいって : : : 」と私は名 刺を差出した。 を羞ちて、世を果敢なみ、身をかねると云ふやうな女々しい態度か 「あゝさう」と蟲の息のやうに應へたが、サモきまりが悪さうに受 ら小さいながら、弱いながらも胸の啗を吐いて、冷たい社會を燬き うすぐらランプ つくしてやらうと云ふやうな男々しい考も湧いて來た。 取って、淡暗い洋燈の光ですかして見たが、「どうも有り難う」と まるきりひとごと 大槻が轉居するといふ噂は、私にとって全然、他事のやうには思迷惑さうに會釋する。私はこの千弋子の冷澹な態度に、丁度、長い んやり はれなかった、私はそれとなく驛長の細君に、聞いて見たが噂は全夢から覺めた人のやうに暫らくは茫然として立ち盡した。 ながらへ 辛い人の世の生存に敗れたものは、鳩のやうな處女の、纎弱い足 く事實であった。肌寒い春のタがた私は停車場の柱によって千代子 やっ の悲愁を想ひやった。思ひなしか此頃其女の顏がどうやら憔れたやの下にさへも蹂躪られなければならないのか。 うにも見える。 翌日、千代子は化粧を凝らして停車場に來た。其夕、大槻は千代 大槻の家族が集鴨に轉居してから、一週間ばかり、金曜の午後私子を送ってプフットホームに降りたが、上野行の終列車で歸った。 しろかね キリスト ステー、ンヨン よそほひ おそ 〈ンケチ かよわ