貸してやら」 し、私をばさんとこで質おいてやらア」 8 八穗はのどがひつついて、そこらの雪の小便してないやうなとこ 「ほんとか」 ろをえらんでロに入れたが、すぐべタ / 、消えて水氣もない。やっ 「ほんとって、お金が出來ねばそのひと困るんだろ」 と唾をのみこんで、 「あ乂、そりやさうだけど : : : 」 「ほんとかー 「なんぼでもい ? 」 「あ、いゝとも。そしていつでもこれ賣るところ見つけえ」 「ん乂、だけど十圓から下だと : : : それア二枚重ねの紋附だもの 「ありがと、ほんとにー ・ : 旅費にしたいんだって」 助かった。走るやうに歩いて、南さんの家へ屆くと、 南さんは見もしないその人に同倩したらしく、 「ちよと待って」とこっそり中へ人ったが直ぐ、 「ぢや何とでも言ってみよ」 「それ」 「お願ひだェ」 格子窓からまぜこぜの錢を紙に包んだのを前掛の下でつかまぜ 侖ときこえた質屋への近道を曲った。 た。 「こんどは八つちゃんが待っ番だェ」 ありがとって言ふのも涙が出さうで、默って受取って、そのまゝ 八穗の背へ廻って包を取ると、カタ / 、足駄をならして、横町へ 直ぐ家へ走った。息きって勝手口の戸を開けようとすると、 はひって行った。 「重たかったろ」と内側からあいた。 「どうぞうまくゆきますやうに」 背負って戻ったのに氣がついてゐる母に氣を落させまいと、急い ほの白い雪明りの中に大ぶん待たされて、耳をすましても合の戸 はなか / 、あかない。母は心配して待ってるだらう。今夜は父は歸で紙包を渡した。 から 「どこから : : : 」母の聲は震へたやうだ。 ったかしら。不意に、空になった背すぢがゾク / 、凍みてきた。 「南さんお仕事賃を貸したの」 南さんの歩く調子がきこえてきた。思はず急いで、 「まあ返す勘定もなしに、よくお前も南さんも。 : : : 親切な人だ。 「どう ? 」 ぬく 「これね、たった三圓七十いくらにしかならないって : : : 」包を返さあ寢ろ、御苦勞、床は温めておいた」 八穗はだまって、兄の枕元へ行って見たら、ポカンと口をあけた しながら、 「新しいのなら五圓貸すさうだけど。それから家の名もはっきり聞ま乂眠ってゐた。 いて來いって」 はんみち いよ / 、家も引渡しになって、町から半里あまりある田舍家へ引 手に取れば包は重さを增したやうだ。泣きたくなって、 越した。畠の中に、村から離れてポツンと一軒立った家で、ひどく 「いゝや、歸ろ」 荒れた、おまけのないあばら家だった。疊は腐ったのを除け、敷板 「歸ろって、困るだらうな、その人」 に穴があいてゐるところへ木を渡し、その上に茣蓙を敷いたが、で 「うん、どうにかすら」 こぼこしてどうかすると床下へ落ちさうでヒャ / 、する始末だっ : ・あ、ぢや八つちゃん、私んとこに仕事した錢あるの 「だって、 しら
アミコは膝をついて、作法正しくうしろの戸をしめた。するとテミ 「偉大なる人物ですか。」 すると、代表して一人は答へた。 コは座蒲團を作法正しく捧げてもって來て、僕に、おあて下さいま くつら し、と云った。すると、チミコは向うの方から作法正しく盆を捧げ 「鯨のやうなのーー」 て來て、お茶を、粗茶でございますが、とくれた。でもお茶碗の中 三人は、相談の結果、一通の手紙を僕にみせてくれたーーいや、 はからつぼだ。僕は行儀よく坐り、行儀よくからつぼのお茶をの全部ではない、宛名と自分たちの名前のところだけである。 み、さて、目の前に足をくづして坐ってゐる三人の娘を、これはな ( 私たちの鯨さまーー ) とかいてあった。そして、三人の名前がおしまひのところに身長 んとカナリヤのやうに可愛らしくよく囀り、愛らしく見える娘たち であらうと、讃美の目を注いだのであるが、同時に果して僕自身は順にしたゝめてあった。その鯨君といふのは、大學の一フグビー選手 一體なんであらうと反省したのである。 ださうである。三人の戀人なのださうである。今日、かへりにこの 古風な戀愛に惱むこ と、それは一體何事であるか。その戀が苦しいといって日を暗く暮手紙を出すのださうである。英語の時間に机の下で三人でかいたの ださうである。あしたは鯨君の試合の日だといふことだ。三人は、 すこと、それは一體何事であるか。 「貴孃たちは、生活は幸輻であると信じますかーーー」 聲を揃へて、僕に唱ってきかしてくれた、その大學のラグビーの歌 を。 三人は昻奮のあまり、なんといふことだ、御作法室で、し 僕はきいたのである。 やちょこ立ちまでしてみせてくれた、黑い布のドローズを三人とも 「センチ・ガールもやつばしうちの學校にもゐるわよ。」 嚴重にはいてゐるのが、スカートの下にみえたではないか。 と答へた。 「貴嬢たちは、學校以外の時間を、なにをしてくらすんですか、 きかしてください。」 僕はきいた。 「・・ O ・のタイ。ヒスト部に行ってるわ。」 と一人は答へた。 「ちゃ、なんで樂しむんです。」 コ 僕はきいた。 チ 「あすこにプールがあるわ。」 コ 一人が答へた。 テ 「スポーツやるんですかーー・・・好きですか。」 コ 「一フグビイ。」 ア 一人が答へた。 「戀人はないんですか。」 2 すると、三人は、ある、と答へた。 きちゃう
しろてきめんに、利瓮が目に見えてあがって來る。それはまあいい のである。これで伸六もすっかり島村を見なほして、難波三策が一 ことにしておかう。ところが、その紙を手にいれた出版屋がまた、 時危急に瀕するやうな場合にたちいたった際には、伸六のはうから それで本をだすよりはといふので、また闇から闇〈、ほかの出版屋買って出て、しばらく自分の家に、三策の身柄をあづかることにし へまはしてやる。だんだんとさうなって行くと、しまひにはいった たくらゐであった。 い、どういふことになるんだ。その紙といふやつは、結局は本にな いま、丸目次郞の話によれば、印刷屋、製本屋、製凾屋、廣告 らんで、ただ値段だけは、ぐいぐいと鰻のぼりにのぼって行くわけ屋、紙屋、その他小物をふくめて、前前からつもり積っての借金 だらう。」 は、かれこれ三千圓にちかいといふのである。先月の月末に支拂ふ 「それは君の考へだしたことか。」 といふことにしておいたのが、延びてこの月の五日になり、五日が 「チ , ビ髭と半分半分だな。チ ' ビ髭がしゃべったことと、おれの駄目で、十日までのばしてもらったその一日前の、けふは九日の夜 考〈と、兩方ごっちゃになってゐるやうなものだ。とにかく本は出である。二千圓でなければ、せめて三千圓の半分、千五六百圓もあ ないんだから、おれは斷然、社をやめることにきめた。すまん。」 ればしまつはつけられるのだが、今夜ここでおちあっての島村の話 「こんな時代に、短氣をおこしたりして仕様があるかって。おれの では、かいもく金融の法はつかぬといふのださうである。あたらし 本ぐらゐ、でなくたって平氣だよ。島村を見ろよ。さっきまでここ く紙を買ひこんで、この月の二十日までに、新刊が出せるかどうか にゐて、よたってゐたんだがね。やっこさん、ふうふうなんだ。來といふ、伸六のはうの瓧の心配などは、島村書房の當面した、のる る日も來る日も、印刷屋だ、紙屋だ、廣告屋だ、なんのかんのつ かそるかの難局にくらべてみれば、よほどのんきな心配かも知れな て、借金取の日參に責められどほしなんだ。」 いのだ。 以前ならば、島村書房がどうならうと、伸六はまったく無關心で 顎をひきながら、咽喉のおくで、はたがびつくりするほどの野ぶ せうしゃ ゐられたにちがひないのである。身だしなみは嫌味なくらゐに瀟洒とい音をさせて、ながいこと呻るのが、感動したときの伸六の癖で として、金縁の眼鏡に、金金具づきの細身のステッキ。一見貴公子ある。 然としてゐながら、純然たる貴公子になりきれない哀れさがある 「瓧をやめることはよした。」 のに、當人はその哀れさに氣がっかずに、得得としてゐる、といっ ズボンのかくしから、ばらせんを鷲づかみにして、そいつを丸目 たところが、最初丸目次郞にどこやらで紹介をされた時以來、ずつ次郞の眼の前に、伸六はひろげてみせると、次郞はにやりと笑ひな と伸六は氣にくはなかったのである。ところが、去年の秋ごろ、島がら、二重マントの片羽根をうしろにはねて、袂から蟇口をとりだ 記 村書房ではたらいてゐる難波三策といふ純良な靑年が、玉の井の女した。くしやくしゃのよごれたさつを一一枚つまみだして伸六の手の 妝をつれだして、姿をくらましたといふ事件がおこった。そのとばつばらせんに加〈、そのう〈に蟇口をさかさに、全部根こそぎのはき 伸 ちりで、書房主の島村秀夫は、田代組とかいふのの若い者どもに、 だしである。行先は四丁目の角のビャホールにきまってゐた。 相當手ごはいことをされたにもかかはらず、あのやさをとこの、ど 引こにさういふ膽力がひそんでゐたのかと、誰もびつくりしたほど悠 3 然とかまへて、最後まで、難波三策と女とを、かくまひとほしたも その日から一日おいた二日目に、紙がはひったのである。社長も
ゐる。 ことは出來たが、いまはそのささへなしには、足を一歩もはこびか 6 「うれしいね。」 ねる妝態であった。 伸六はまったく、心からうれしかったのである、うれしさあまっ 「さあ。しつかりするんですよ。今度こそ大丈夫。最初からあすこ ての恐縮に、手さきで強く額をこすりつけながら、にこっとして見 にすればよかったんだけど、あまりむさくるしいんでね。でもいい わ。行きませう。」 せてから、女のさしのべるお銚子に、はじめて自分の盃をあてがっ 道玄坂にひきかへすと、もう一度例の調子で自動車をとらへて、 けんぞく それに伸六はのせられたが、どれほどの時間か、眠ってゐるうちに 一家眷族、知友をはなれて、世の中に出れば、最初は誰も、みん 車はとまって、そのおろされた場所はまたどのへんなものやら、どなおたがひに知らぬ者どうしである。いはゆる他人といふやつなの こもしんと寢しづまった、なんでもごみごみしたやうな裏街の一廓だが、その他人どうしが、偶然の機縁から、かうしてむかひあひに らしいのである。その裏街の横丁の、せまい、足もとのわるい路地盃をくみかはすといふ、或はごくありふれたことでもあらうし、ま を、伸六の手をひいてさきにたった女は、とある裏口めいたところた凡俗な愚かしい場景でもあらう。しかし伸六には、ここまでたど で、そこの雨戸を二つ三つつづけて叩くと、今度は早速の返辭でありつかせてくれた女の一所懸命な親切さがありがたいのである。ふ る。 だんならば、さういふことは、減多にロにする伸六ではなかった が、醉ふほどにかれはとてつもないおしゃべりになって、思ふこと 「八重子よ。おねがひします。」 洗ひざらひに、ひとりでしゃべりたててゐる。すると女は、ときた なかで何かいふのへ、 まに合槌をうったり、うなづいたり、あとはだまって、眼もとに笑 「遠州屋のよ。わかって。」 ひをふくみながら、にこにこして、伸六のいふことを傾聽してゐる 自動車のなかでひとねむりして、いくらか醉びのさめてきた伸六 だけである。 は、遠州屋とか、八重子とか、いったいこの女は何者だらうと、コー どこといって、とりえのある女ではない。むしろみつともない女 トの後姿にも知れる骨ぶとらしいその女の、髮形や背なか肩のあた の部類に屬してゐる。三十を三つ四つは越えてもゐよう。顏は平 りを、暗がりに見すかしてゐるうちに、戸があいて、さてそこの二 顏、目鼻ロの造作は萬事おほまかで、しかも顴骨は張ってゐる。色 階にとほされてみると、これはたしかに場末の安宿にちがひない。 そばかす 懊は破れ、壁は剥げちょろ、四疊半のたたみは茶色にやけて、瀬戸の白いがとりえかと思ふと、眼の下にはかなりの雀斑がちらばって ゐる。それなのに伸六は、自分の話をきいてくれるものは、この女 火鉢のおいてあるまはりは、燒跡だらけである。伸六にはむしろ、 このはうがふさはしい氣がして、何はともあれ、オーバも脱がずよりほかにはないと、さう思ひこんででもゐるのかと見られるほど の熱心さで、しゃべりどほしに、しゃべりつづけてゐるのだ。 に、そのままあふのけにひっくりかへることにした。 もっともその時分から、かれは前後不覺におちいってはゐたので からだは宙に浮いてゐるやうに、ふはりふはりと、身輕に消えて なくなりさうな感じがすると思ってゐるまに、また眠りにさそひこある。何をしゃべり、何をしたにしたところで、意識には明瞭にの こるわけのものではなかった。その證據は、なにやらすとんと、尻 まれてゐたのであらう。おこされてみると、火鉢には火もあるし、 のあたりを持ちあげられたやうな氣がして、眼がさめてみれば、寢 ちゃぶだいには、飲むものも食べるものも、ちゃんと用意ができて
「それどうするんだ」 「姉さんゐる ? 」と店先に近いテエプルにゐた女給にきいてから奥 「い乂こと」 へはひり、 むつかしく聞かれるのが面倒なので、隣りの間へ持って行って擴 「姉さん、ちょっと」小さくよんだ。 げた。二枚重ねの裾模様まである。た乂み直して、皺に霧を吹かう 出てきた姉の志穂を隅へ引っぱって、 と茶碗を取りに戻ったら、 「あの、 ・ : 由さんの札幌へ行く金こさへたいで、十圓だけ貸して 「みつともないこと爲なよ」と母が當惑げな顔をした。 くれねか」 夜、おこそづきんを被って、風呂敷包をしよった。 姉はあきれたやうに、八穗の背中の荷を見ながら、 「南さんとこへ」 「お前い子だな、そんなもの背負って歩いてよ。 ・ : だが親切ア しんみ 「早く戻れ」母がうなづいた。 效くもんでねえ工。親身だって尚さうだ。それを死ぬほど分らされ 南さんは出戻りのお針子で、着物なら金を借りても買ふ家だ。こ たらこそ姉さんはこんな店開いた。いま由さんにさうしたって後は くや の前にも八穗の母が轉任してゆくよその奧様に賴まれて、着物を賣悔むばっかし。それより自分の身を立てろよ」 ったことがあった。 「だって、姉さん : : : 貸されねか、どうしても」 「南さん居るか」 「貸されねな。お前にさうしたもんでねえってこと分らせる時だも 「あい、入れえ。 ・ : なんだ、しよってる荷物ア」 の。やめろ」 ぬく ドキンとして、 倩なさ涙のもり上ってくる八穗の顏を、温い兩手で揉むやうに、 「ん、これか : : : 」 「お馬鹿ね、さ、何か熱いものでも上げよう」 「ばけものみたいだ、ハ、、、、ま、入れえ」 「表に南さんが待って : : : 」 急に南さんのとこであけたくなくなった。 言ひ終らないうちに、 「ちょっと南さん、伴いてきてよ」 「南さんお入り」と呼び入れた。 「どこまで」 二人は隅のテエプルでレモンのはひったあたたかいお湯を飮んで 「ん乂と : : : オリオン」 から、八穗を先に店を出た。 「あ、きいてみて」後に首をねぢって、「母さん、田浦さんと田浦「背負って行くの、また ? 」 さん姉さんの家まで行ってくる。い乂 ? 」 一一人で表へ出た。町の灯はきれいに凍えた道の上に光って、滑ら 「どうしたわけよ」 ないやうに歩く足駄の齒がきしった。カフェ・オリオンの蓄音機が 「これね、 : これア着物。これ賣らねばならないの」 小一町も響いてきてゐるところまできた。まさか十圓くらゐ貸さぬ 「また賴まれた ? 」 こともあるまい。 「うん、明日までに : : : お金にしたいんだけど」 「待ってや」 思ひつめた語氣であったか、 2 南さんを外に待たせて、 「それなら、それならっと : : : 」と南さんは思案してゐたが、「よ
うんも 先に書いた紙を丸めて爐にくべ、くすぶるのにかまはず、 先づ、人の心を雲母を剥がすやうに、縱横に細かく剥がすとす る。細かく / 、剥がしてゆけば、しまひには小さな粒子になるだら う。小さな粒子は動くのに便利で位置を變へ易いから、こんどはピ 氷の中の處女性は自身の淸淨な熱を知る。 ッタリ焦點があふやうに組み代へれば、心は透明になるに違ひな きょ い。すると淸々しくなる。くよ / \ したりするのは焦點がぼやけて と淨めの念をこめて書いたが、一行きりでつづかない。 ゐるからだ。ぼやけたま乂始末しないのは、粒子にする法を知らな 「ご飯だェ」 いからだ。 八穗はさうおもふ。 母が呼ぶ。吸ひ込んで息で答へようとしたが、震へ . て出さうなの 粒子にすればい又ことまでは分ったが、どうして剥がしてゆく で、默ってのんだ。 か、それが難かしい。どうしても全能者紳かと思ふとがっかりす 「ご飯だってば : : : 寢てるのかえ八穗」 ふすま る。童女の頃は疇りもきかれてに近かった。分別を知るたびに 寢たふりしようとしたが間に合はず、襖があいた。 「まんまにしよう。あれ、滅多に顔いろ惡いよ。寒いでねえか。あを遠のくことが約束のやうなのは心細い。近づく筈のが逆であるの はうなづけない。 ったかいまんまたべろ。たべない ? そしたら寢ろ / 、、寢ろよ」 を呼ばう。だが呼ばうとかゝっても、なか / 、呼ばれてこない どっちにも頭を振ってゐるうちに、手早くふとんが敷かれてしま まこと だった。呼ぶ信がないからだらう、とあきらめて、飾に依らず自 った。 分で粒子にしようと決心した。ちっとこのまゝではどうにもならな 「床に入れ、さ、歩けないか」 いから、自由に動かす練習をしよう、それにはしばりつけてゐる意 仕方なく匐って行って轉ぶと、すぐ夜着をかぶせて、 志を解けばよい。その次に、粒子を並べかへる律を知らねばなら 「ぢいっとしてろ、な、汗が出ればい又から」 とまで絞りだし 風邪の氣味にしてしまった。母はそこいらのものをよせて、鉞瓶ぬ。無意の境で、髓の蕊でその律を知らう。 の蓋をすかすと、藥でも探すのか出て行った。その間に眠っちまはた。 あした ほんとに汗をかいた。だけど嬉しくなってしまった。明日先生に うと思って眼を閉ぢた。からだの異状をさとられるのが嫌だから だ。 宿題の代りにこの話をしよう。感心して聞いて下さる、大丈夫。今 日考へついた分は初めのちょっぴりだが、すばらしい思ひっきだと 宿題が不安で堪らない。起きるのも物憂いから、寢たまゝ考へよ うときめて手を組んだ。きれ、にはうまいなと思ふことも浮んで感じた。 病的な氣分も意外に微妙に働くから、得もあるさと思った。その くるが、またポツン / 、と消えてゆく。忘れやすくて、筋の立たな 安心に安心したせゐか直きに眠った。 いのに苛々してきた。 な す かうなったらもう駄目だと知ってゐたから、一ねむりしてからに あ おもと 翌日、八穗は學校の圖書室で、萬年靑と名のある阿部先生に話し しようと止したら急に樂になった。そこで大好きな思索の、「奇蹟 てゐた。 を不思議でなくする工夫」を考〈始めた。工夫はおたまじゃくしの 2 「うん、考へたね、それから : : : 」 しつぼのなくなりかけた位まで出來かけてゐる。
たもと く言はうとしたが、皺だらけの父の掌をすねに感じると、兩すねを 八穗をみつけて馳けて來る子供らが袴や袂にぶら下る。 くつつけてその間のくりぬきが壺の形にいゝなとそんな方〈外れ 「先生は今日は足が痛いから先にいらっしゃい」 「それなら押して行かう」 その夜、寢るともう腰も動かせぬほど痛んだ。日曜一日病人にな 一年生の小さな掌がいくつもかゝって押して歩かせる。大きい生 って、月曜の朝は痛くないふりに早く起きて、我慢で元氣よく歩い徒が追越すとき本包を持っていってくれる。 てみせ、 日曜のあくる日の元氣で授業を始めたが、少し工合が變だなと思 「行って參ります」 ってるうち、腰の右側の、足が痛むと引きつるしこりのやうなもの 「また行くか、氣をつけろよ」 が、次第に強くさしこんできて、最終の三時間目には我慢にも立っ 蒲團の中で氣遣はしげにいふ父に挨拶して出た。母も案じて表 ( て居れなく、椅子の上に坐って敎〈た。讀方のお客あそびの課で、 ついて送ってきた。 お辭儀をしてみせようと敎卓に手をついたら、不意に前へのめらう 「向ひのおかゝの家で御飯焚いてゐる、ほら」 とした。 こなひだ 「あのおか又はな、三番目の娘をまた此間一一百圓で賣ってきたと」 「あれ危いツ、先生」 「ほう、また」 前の列の子が走りよって抑へようとした。ハッとしたが何ともな みんな皆からだを賣ってたべねばならないんだと、足もとを見つくて皆と一絡に大笑ひした。それでも痛みはだん / 、ひどくなっ めながら考〈た。右を前にして一足づつのろ / \ 歩く八穗を待ち待て、さすがの八穗も明日からは來られまいと思ひ、本を早くすまし ち母は、 て、しつゞけの靑い鳥を話してやった。 「隨分ひどいやうだ、家へ戻らう」と戻りかける。 「先生、死んだ人のゐるとこはどこ」亡くなった母が見たくて堪ら 「大丈夫だっていふに」 ない弘子さん。 先に立ってしゃんと歩いてみせたいが足がいふことをきかない。 「チルチルやミチルは途中でおなかが空かなかったの、パンや砂糖 もういゝって言っても母はついてくる。練兵場の中ほどで無理に歸をそのま又件れて行って」は懷疑家の善雄さん。 すと、暫くそこに立ってゐて見送る。背中に母の悲しい眼を背負っ 「嘗めたりかじったりしてみればよかったのに」と過激な浪太郎 て歩き出した時は、こぼすまいと支〈た涙が溢れて / 、困った。後君。 を見ずに痛い足を出來るだけ元氣さうに歩いて停車場へついた。 結局誰も彼も皆、 、 ~ 車から降りると病人だと思はれたくなくて、自分でも驚くほど 「私たちもさうして行きたい」のぞみでいつばいなのだが、 ら な しゃんとした。宿へついて大急ぎに袴をはいて學校へ出かけた。 はづれ 「あなた方もそんな夢を見ればーー・」としか八穗には皆を滿足させ あ 校舍は村の端から少し離れてゐて、街道からそこ〈新しく通した る言葉がなかった。 道は砂利が敷かれて歩きにくい、上ばきの裏に履きかへて歩い 鐘が鳴った。 5 こ 0 「さよなら」 2 「先生お早う」 「先生さよなら」
ただ島村秀夫だけは、まんざら虚勢でもないらしい、いつもどほ 支配人も、伸六には何もいはないのに、いきなり前のつづきの校正 りの、憂ひのなささうなすがすがしい笑顔で、その平靜な、さわや 3 刷が、どしどしとかれの事務机の上に、印刷所からまはって來た。 かな聲の調子にもかはりなく、やがてのことに、なにかいたづらッ 最初チョビ髭の支配人は、はすかひの向ふの机から、額ごしに伸六 のはう〈、にやっとした、變な笑ひがほをむけたとたんに、伸六の子めいたくすくす笑ひをしながら、伸六を窓ぎはのはう〈つれて行 視線とあって、あわてて机の上の新聞に眼をおとしたが、伸六もあったものである。 その窓ぎはによせつけられたテープルの上に、何かしらんが、白 らためては、紙のことをききもしないで、ゲラ刷に朱筆を加へるこ 布におほはれたものがおいてある。島村はおほひの白布をとると、 とばかりに、ただ熱中してゐた。 にやにや笑ひのまばたきで、伸六をなぶるやうにする。 豫定より二ヶ月も遲れて、やっと丸目次郞の長篇小説は、市場に 妙な機械がふたっ、行儀よくならんでゐるのだ。かた一方は、よ でることになったが、この新人の處女作のために、さっそく出版記 念會をやらうといふわけで、例の島村秀夫にも發起人の一人に加はく手入をされて、びかびか光る眞鍮製の小型の機械で、下のはうに ってもらはうと、或日伸六が電話をかけたところ、發起人の話はもは弧从をなした目盛金に指針がついて、中心にたっ棒のまはりに ちろん異議ないとして、今度はこちらから、ちょっと相談にのっては、反射鏡のやうなものがいくつかあったり、ちひさな望遠鏡らし いものが、目盛金の兩端に二個もついてゐる。しろうと眼にはよく ほしいことがあるといふ、島村の挨拶である。 九段上から須田町までは、電車で十分とはかからない。ごみごみはわからぬ、なかなか複雜精巧さうな機械である。もうひとつの方 は、直徑約一尺の圓筒で高さは三尺ほどもあらうか。その上部の一 した鋪道に、すぐ口をあけてゐる、じつに汚ならしい埃つぼいビル で、階段も壁も、肌理のあらい 0 ンクリートのざらざらした素肌の尺ほどと、下部の一尺ほどの部分は、まはりが紙張りになってゐ ままを露骨に見せてゐる、はづかしいほど殺風景な、そのう ( 陰慘て、中部の一尺ほどは何も張ってない。外見はいはば行燈のおばけ だが、その内部には、圓筒の上部と底部とに、それぞれ十文字をわ でさへもある、さういった建物だ。 それでもさすがに、三階の島村書房の内部は、主人の身だしなみたして、その中心を縱につらぬく一本の心棒を軸に、やはり紙で貼 に似て、どの事務机の上も、どの書棚のなかも、いつもただしく整った四枚羽根の風車が出來てゐる。そして心棒のところに紐がつい 頓されてゐるし、家具調度の類も、あるべきところに、場所をみだて、釣りさげるやうなエ合になってゐる。 以前に某短篇映畫製作所のカメ一フマンをやってゐたのが失職し さず、おかれてある。部屋もあかるい。ただ一見してもわかるの て、一時島村書房の厄介になってゐた男がある。その後、その男は は、めいめいの机で、それぞれにひっそりと仕事はしてゐながら、 誰も誰も、なにか仕事以外のことに氣をとられて、目の前の事務に滿洲に行ったり何かしてゐたが、先日ひょっこり銀座で島村とあっ は、身をうちこんでゐなささうなことだ。この十日に延ばした支拂て、お茶をのみながらの久しぶりの話に、島村書房の當面の急をき くと、昔の恩義に報いるために、なんとか金策の法を講じようとい を、さらに二十日まで延期してもらったのに、それも不履行のま ふことになったところで、三四日すぎて、その男がもちこんできた ま、いよいよ一日一日と、最後の土壇場にちかづいてゐるといふ、 のつびきのならぬ危機である。仕事に活氣がなく、部屋ぜんたいがのが、この二つの機械だといふのである。 その男がカメ一フマンをやってゐた時代の、先輩にあたる某氏を思 沈鬱で、おもくるしいのも仕方がない。
淸一はきっと構へるやうに顔を締めたが、中途で思ひとどまったに手を突いた時、長火鉢のふちから振向いた旦那の視線に會って、 8 四ゃうにくづして、 希望はあたふたと逃げ腰をあげた。 ーー少々まゐった ! 旦那は信平を見ると、前のやうに遠くから火鉢のわきで話しかけ と、おつぼり出すやうに言った。 ようとはしないで、自分で蒲團を持って縁側まで出て來た。 母親はそれで安心してしまったものか、或は淸一が話してきかぜ 菊がお茶をそこへ運んできたが弟の顔は見なかった。 る佐市の家のことをそばできいてゐるのがいやだったのか、座敷の ゅうべ佐市に泣込まれちゃってな。 方へ行って嫁のそばで縫物をひろげた。 旦那はこれも前とは違って親しい口をきいた。 淸一は懷から胡蝶の新しい箱を出して見せて、煙草屋へ寄って少 佐市が泣込んできたのであった。 しばかりきいてきたと言った。その鮫の井の三反の田は、どこの地 泣込んでな、それがお前、ほんたうに、おうい / 、聲をあげ 主からも取上げられてしまった末最後まで△一の眼こぼしにあづかっ て、涙をぼろぼろ流して、そいつを拳固で拭きながら、まるでお前 てゐた田だったが、佐市自身も、いつまでただでつくってゐられる五つ六つの子供だったな。お前にも見せたかった。 とは思ってゐないと、そんなことを自分でも言ってゐたと煙草屋で 日一那はその時一寸菊のゐる方を覗いて、 話したと言った。 菊は、お前そこから見てゐたな。 翌朝は、だから、信平はすぐ△一へ出掛けて行って、小作證書を入 信平はさつばりと諦めよく無言ではっきりうなづいて見せた。 れるつもりでゐた。それで朝飯を急いで食べてゐると、△一の使ひの 旦那はそれを見ると、立膝になりながら菊をそこへ呼び寄せて、 者だといふ若い者がやってきて、信平にすぐに來てくれるやうにとけふは出かける用事があるから、ゆっくりして行くといい。ゅうべ 旦那の傅言だと言って歸った。 の佐市の話は菊からきくといい。田の方は心にかけておくと言ひお 母親は、信平の不安な顏には氣づかず、 いて奧へ這入って行った。 信平、印をもって行け。きっと證書のことだわ。 主人の後姿を見送ってから、菊が何か言ひ出しさうに唇を動かし と言ひながら印を紙に包んで渡した。 たのを見て、信平はその泣込の話から逃げるやうに、 〈一へ行く路々信平の足はよく地面を踏まなかった。希望と失望と おらやつばり軍隊へ出られたらよかったと思ふ。數ちゃんは あかっち が一足踏むたびに赭土の中で彼の足を小突き廻すやうな氣持を感じ うまくやってるとっくづく思ふな。 させた。希望は印刷された小作證書に書入れをして印を捺さうとす と言った。 る。が、片方では、そのためとりあげるカナダ麥の芋粥をどうする それやさうね。數ちゃんのやうになれたらそれに越したこと のだと挑みかかるのだ。さうして峠の頂に逹した頃には、彼には自はなかったけれど : 分が空から落ちた雨の粒のやうに、どちらかへ、こっち側か向う側 菊は調子を合はせかけたが、急に、思ひ出したやうにはずんで、 かどちらに落ちるにしても、それはもう自分の意志ではないのだと さうさう、知ってる ? 數ちゃんてば、愈よ熱河で最前線に 廻ったってね。知ってる ? 諦めるやうな氣持にさへなってゐた。 ほんとか ? 誰が言った ? そんな氣持で彼は〈一の裏門をくぐった。ところが、茶の間の縁側
やつばり同じだった。 ーを動かしたり、一方の手で傍らの黑板に數字を記したりした。 それがすむと敎授はノミをとってメーターの針のしめす眞下の頭「をかしいな」 蓋に穴をうがちはじめた。ノミの刃先きは頭蓋骨にぶつつかって鈍 彼は首をかしげて多くを言はす自分の室へとちこもった。 い嫌な音をたてた。そのとき睡から醒めかけた猿がをピクピク 動かし、助手は手早くエーテルを浸したマスクで鼻孔を蔽うてやっ た。手に力をこめて頭蓋をうがっ敎授の顳類からは汗が光るすちを 夕方になって靄があたりをこめはじめた。窓からみる風景はみな ひいて流れた。猿はすぐ靜かになったが、その平靜さがひどく敎授やはらかく靑みを帶びて、ふと眼をあげるとそれは人の心にどこか の心を打った。それはあらん限りのカで、最大の苦痛にぢっと耐へ遠い見知らぬ町にでも來てゐるやうな錯覺を起させた。敎授はすこ てゐる苦行者そのままの表情だった。 し風邪心地で喉が痛んだが、廱睡からすっかり醒め切ったガンジー 敎授はふたたび呼吸を殺して、今度は頭蓋の孔から機械に裝置しの邇動や知覺の妝態を調べようとしておそくまで殘ってゐた。 た針を深くおろし、傷口の一方に電極をさし込んだ。その傍らで助 助手がやってきてその後に現れた猿の様子の變化を告げたときは 手はアンべアメーターのスイッチを入れ、時計を手にしながら猿のあたりはもう暗かった。敎授はすぐさま懷中電燈をとって、動物の 顏を覗きこんでゐた。電流が果して動眼訷經の中樞に通じてゐるか飼育小舍へ出かけて行った。彼の跫音をききつけて檻の中の猿ども どうかを調べてゐるのであった。ガンジーは一「三度・ハチ。ハチまばは一齊に・ハタ・ハタ騷ぎはじめた。 たいただけであとは動かなかった。だがその間に猿の頭のなかでは ガンジーは檻に入れずに柱へ繋いだままにしてあったが、ちゃう 五ミリアン。ヘアの電流で赤核を直徑一 ミリの大きさに破壞する操作ど中風病みの老人がやっとわれとわが軅を支へてゐるときのやうに が行はれてゐたのであった。 首をかしげながらしょんぼり床の上に坐ってゐた。敎授が鎖をとっ 敎授は靴屋のやうに慣れた手付きで、傷口を縫ひ合せ、手術は終てひつばるとろくに歩けず、嫗を右側に傾けながらよろけた。明ら った。ガンジーはしばらくはやはり、うつぶせになったままだったかに右側半身不全廬痺のおこってゐる徴候だった。彼は近づいて行 が、だんだん睡から醒めて、もぞもぞを動かしはじめた。頭の って更に眼をしらべてみた。すると一方の眼は瞳孔が擴大してしま って曇った硝子玉のやうに動かなかった。 剃りあとに血糊の汚くへばりついてゐるのがひどくむごい感じだっ た。助手は紐を解いて庭の枯れた芝生の上に連れて行ったが、猿は 自分で手を下してやったことではあったが、いま目のあたりそれ 啼くだけで立っことができずすぐごろごろころがった。 をみると彼には猿の受けてゐる苦痛がひしひしと身にこたへた。動 の 「どうだね、まだ右手がきくやうかね」 かないその眼には下手人に對する無言の難詰が籠ってゐるやうに思 氏 さいな 敎授は窓越しに助手に向って聲をかけた。助手は自分の指を一一本はれた。そして敎授は、弱い者や抵抗力のない者を虐んだあとに誰 しもが感ずるあのやりきれないさびしさに心が萎えて行った。その だして猿の手の平に握らせそれを宙に吊してみせながら言った。 「どうやらこの通りまだ利くやうですが : : : 」 ゃうなときにはもはや「學問のため」とか「眞理の探求」とかいふ ゃうな美しい言葉も、そこに口をあいた大きな心の空隙を埋めては 「どれどれ」 敎授はスリツ。ハをつつかけたまま芝生へ出て自分でやってみたが くれなかった。またこれはひとつの犠牲であり、土に落ちて死ぬこ こめかみ