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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版97 平野謙 本多秋五 荒正人 佐々木基一 小田切秀雄集
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1. 日本現代文學全集・講談社版97 平野謙 本多秋五 荒正人 佐々木基一 小田切秀雄集

きる。印象派の晝家たちは、。ハリの街路、煙と騷音の驛、眠ってい活と國民の生活感情を反映する繪畫によっても代表されねばならな るような河岸の通りをえがいた。かれらは、漁師やバレリーナ、人い、という主張なのだ。いまさら印象派の意義を論じても、わたし 夫や騎手、郊外の園亭によりそう戀人同士、煙草の煙にいぶる酒場たちには少しの興味もわかないかも知れぬが、以上の意味をよみと でト一フンプをする人びとをかいた。かれらは、霧深いロンドンやヴれば、エレンプルグがソヴェト美術のアカデミズム化に抵抗しなが エネッィアをえがき、ゾ一フ、ワグナー、マ一フルメ、ロシュフォール ら、美術の民主化と、それに件う新しい視覺の必要を強調している のような同時代の有名人をえがき、また無名の人びとをえがいた。 ことはあきらかであり、さしあたり、わたしにとって、興味がある これらの無名の人たちは、その肯像書で有名になった。印象派の畫のは、わたしたちの周圍でタブロー畫にたいする疑問がうまれてい 家たちは、プルターニュの漁村、小さな帆舟、漁師をえがき、丈夫るのとは逆に、美術の社會への統合がほとんど何の矛盾もなく直線 なオリープの木のように、周圍の大自然のなかに入って、はたらい的な回路を通って實現されたと思われるソヴェトで、かえって印象 ている農夫をえがいた。」 派の業績のおのずからなる結果として美術の重要なジャンルになっ エレンプルグは印象派繪畫を今日のソヴェトに復活させるためたタブロー書にたいする要求がうまれていることである。わたし に、印象派の意義を稱揚しているのだろうか。そうでもあるようだは、この傾向を反動的とも、時代遲れとも思わない。印象派をその し、そうではないようでもある。それはともあれ、そのロうらから ままの形で現代に復活し模倣することは問題にならぬとしても、し 感じられることは、ここに云われている「フ一フンス」という言葉を かし、十九世紀後半の瓧會的・藝術的條件のもとで、その條件に抵 「ソヴェト・ロシア」とおきかえてもそのまま通用する主張をエレ抗しながら新しい民主的な繪畫の様式をうちたてた印象派の精訷 ンプルグが行っていることである。有名な指導者や學者や藝術家やは、今日の時代にも無縁ではないからである。むろん、この精訷は 勞働英雄や内戦や祖國防衞戦の勇士のほかに、また歴史的・政治的、白樺派がゴッホやセザンヌやロダンにおいて發見したと信じた精神 大事件のほかに、描くべき對象としてソヴェト市民の日常生活があではない。かれらを反俗的な天才や美の使徒として眺めることでは 、無名の大衆がある。畫家の一切の創造的努力は、このような現ない。かれらがその作品に反映させた生活の息吹き、虚飾や陳腐な 實の隅々にまでわたる主題を發見して、今日のさまざまな條件と要念におおわれた瓧會の表面の底を流れる時代の本當の生命、そし 求に應えることにある。印象派の畫家は日常卑近な生活や囑目の風てかれらが發見しそれを自由な方法で造型することによって提示し 景や靜物を小型のタブローに描くことによって、とにかく美術の民た主題、かれらの視覺の新しさと鏡さのなかに、今日にうけつがる 意主化にあずかって力あったのである。今日のソヴェト市民のあらゆ べき眞の精溿を見出すことである。印象主義のこの精溿を今日に生 家る生活感情と行動に深く滲透され、生活の息吹きをつたえることに かすためには、ず印象派自體をのりこえ、さらに通俗化し形骸化 よって、「一時的なもの」を描くタブロー畫もまた、今日の時代のしたモダーニズムをのりこえ、眞の民主主義の精訷をもって現代生 代様式を形づくる一構成要素となることができる。瓧會主義瓧會の藝活のあらゆる場所に意義ある主題を見出し、それに適應した造型言 術様式は、歴史博物館の壁にかけられる歴史畫や、さまざまな公共 語の探求を大膽に行う必要があるだろう。 今日、タブロー書を擁護することは、自ら逆説的な位置に身をお 建築の内部を飾る記念碑的性格をもった繪書によってのみ代表され 2 ると考えるのはあやまりであって、複雜になり豐かになった國民生 くことになるだろうことをわたしは知っている。しかし、時代にた

2. 日本現代文學全集・講談社版97 平野謙 本多秋五 荒正人 佐々木基一 小田切秀雄集

るものとして、相對的に評價されている向きも多分にある。それはれるならわしであった。このことが、實は、それら非職業作家の出 既成作家の作品でないものが、兒童の綴方にしろ、大人の生活記録現や大衆の文學參加という現象のもっ深い、本質的な意味をかえっ にしろ、あるいはいわゆる職場作家や素人作家の作品にしろ、次々 て見失わせてしまったと思われる。『中央公論』八月號に、『人間の と紹介され、一時評判になるが、その間に持續した發展がないこと、 條件』の作者五味川純平と佐古純一郎の對談がのっていて、そこで つまり、半年か一年ごとにいろいろなものが次から次に紹介されてもやはり、既成の文壇文學の生命力の稀薄さが指摘され、それに反 はまた忘れられてゆくといった一種の流行現象によくあらわれてい して、素人作家の作品のほうにより大きな人生的感動をよびおこす る。『山びこ學校』と『人間の條件』とを、ともに國民生活との廣ものがあると、素人作家をもって自ら任じる五味川自身の口から云 いむすびつきを失った既成の文壇小説にたいする反省の具としてもわれているが、こういう談話を讀むと、わたしは、ああまたか、い ちあげることはそれとして理解できないことはない。しかし、それつまで同じ口説を繰りかえしているのだ、といった氣持にかられ では『山びこ學校』と『人間の條件』とのあいだには、どのようなる。こういう思考の型は、いわば相手はあまりにつまらぬ、それに 關係があるか。『人間の條件』は『山びこ學校』のような記録の自 くらべると自分の方がまだましだという低いものを基準としての相 らなる發展として出てきたものなのか。それとも、兩者のあいだに對的價値の自認であって、これが優秀な相手にたいする非常な劣等 は何ら目につく關係はなく、偶然に時を異にして出てきた平行的作意識の裏がえしであることはいうまでもない。相手の不在に乘じて 品なのか、そこのところが、充分に解明されぬまま、その時々にあ主人顔をするこうした思考法によっては、既成藝術の枠は少しもこ らわれた珍らしい素人の作品として、氣まぐれに既成文學に對置さわれないし、かえって自ら既成藝術の枠内に自足する結果を生むこ れるだけである。かって竹内好は、國民文學論の提唱された當時の とは自明の理である。このようにして、ミイ一フとりがミイ一フになっ 動機を説明して、「日本文學の現从に批判的な見方をする人が、そ た例は過去にもたくさんあるし、恐らくこんごも跡をたたないであ れぞれの立場、學観の上に立って、現妝否定の意味で、反對概念 ろう。強烈な人生的、道德的主張をもって登場したプロレタリア文 として國民文學というコバトを使っているだけである」と云った學が、その技法の貧しさのためというより、むしろ技法の成熟につ が、今日、生活記録や素人作家の作品に向けられている關心にも、 れて、戦爭中を通じ、既成文學の方法の、とくに私小説的方法の有 ほぼ同じような動機が繰返されているように思われる。すなわち、 力な保存者になったことはあまねく知られている。 既成文學の衰頽という事實を前提として、それにたいする反措定な もしも、素人文學や職場文學や農山村の兒童の書いた生活綴方や いし一種の代償物として、手あたりばったりにそれらのものがもち大人の生活記録などが、國民生活から遊離し衰頽した既成文學の穴 の あげられているということである。こうした反措定の繰返しがどんを埋めるものにすぎないとすれば、既成文學者が或る日心機一轉し 家 作 なに不毛な結果に終るかは、戰爭中にあらわれた素人文學のその後て國民生活の切實な間題ととりくむならば、すべてそれらの目ざし 人 の運命を考え、また龍頭蛇尾に終った國民文學論議のテンツをふた目標は既成文學によって、解決されてしまうだろう。しかも、素 りかえってみるだけで充分であろう。 人文學よりもはるかに高い技術をもって解決されるだろう。そのと 生活記録やルポルタージや非職業的作家の作品は、これまでつき、では、素人文學や生活記録や職場文學はいったいどのような位 ねに既成の文壇文學、職業作家の作品と對置してその意義が論じら置を、日本文學全體の地圖の上に占めることができるだろうか。そ

3. 日本現代文學全集・講談社版97 平野謙 本多秋五 荒正人 佐々木基一 小田切秀雄集

プ 4 イ って居る。貞淑、自己犠牲、すべては賞むべき善行とされて居た單行本『伸子』の出版されたのは、著者がソヴェトへ去ったあと であったという事情も關係していたかも知れないが、もっと根本的 る。見えない心の深 ( ママ ) で、白いヂリケートな指先が總計の 和から差引きをし、ある美を壞さない程度の諦めでほんのりぼな理由がそこにあったはずである。當時のいわゆるプルジョア文壇 かして、指をさされない一生を送る。賢い女性の大多數がそうは、『伸子』という作品の眞の姿ーー一人の女性が「日本の女」を であるように思う。自分は、どうかしてそう言う機械的道德律つつむ重い空氣を破って躍り出したいという要求ーー・を看破するこ とが困難な歴史的引力に引きとめられていた。ソヴェトから歸った で縛られない生活がしたい。 : : : 車輪自身の動力はなく、道德 と言う便宜上の調帶にかかって、帶のカでさも意味あり氣に動百合子をわが陣營にむかえ入れたプロレタリア文學もまた、いわゆ かされ、瓧會生活を滑って行く。樂なことを言えば、一番樂るプルジョア文學をきわめて非旛史的に規定した獨特の考え方か だ。善行をして居ると言われ乍ら、自分は無にし、人間の形ら、この作品をわが事にあらずと默殺した。考えられぬほど奇妙な ことだが、『伸子』が一般に正當に評價されはじめたのは戦後のこ と、生活上の約束を心得た一つの生物の生存を續けるにすぎな とである。しかし、『伸子』の主人公が全身で戦ったものと、ノ い。 : に、恐らく母にも、此切實な人間の要求、寧ろへ の願いは判らず、爲に、自分は、どっちに向っても、行爲が爭ヴェトから歸ってプロレタリア作家となった後の宮本百合子が戰っ たものとは、別々の二つのものではなかった。といって、ソヴェト 闘の形をとってしまうことを悲しむ。」 ( 『「伸子」時代の日記』 ) 放行の前の百合子と、後の百合子との間に、いわばおなじ道幅の通 これは『伸子』を心讀するためのキーとして役立つ。もちろん小 路が貫通しているわけでもないが。 説『伸子』はキーなしで讀めぬ作品ではないが。 「伸子』を書いたころ、作者は瓧會主義や革命運動についてはなに 藤村は、生活のための手段に使役され、眞實の自己が生かされぬ という惱み、自己の眞生命を解放したいという要求を、瀨川丑松なも知らず、ソヴェトへ旅立っ直前になって、ブハーリンを讀んでは じめてそれを知った、と讀めるように『二つの庭』には書かれてい る人物に投人し客観化した。宮本百合子は、志賀直哉に學んで、自 身にごく近い人物を主人公にする小説を書いた。『伸子』は、近代る。しかし、ロシャ飢饉救濟運動への參加 ( 一三年 ) 、『クラルテ』出 日本人の自我確立を描いた小説という意味においてだけでなく、大版記念會への出席三三年 ) 、關東震災後の「ウーマン・カレント」 へん『暗夜行路』によく似ている。上野の博覽會で黑人の「筋肉顫を中心とする救濟事業への協力三三年 ) などの經歴だけからいって 動ダンス」に伸子が興じる、その興じ方が志賀的であるばかりではも、彼女がそのことにまったく無智だったとは信じられない。しか ない。筋を消してディテ 1 ルの集積を前面に出して行くスタイルし、當時の瓧會主義や革命運動の動きに彼女がまったく無智でも無 で、生命の盟かさについての考え方で、全體として『暗夜行路』に關心でもなかったとしても、それが彼女の生活の中心部に關與する ものでなかったことは『伸子』につづく作品がこれを立證してい 大へんよく似ている。 『伸子』は、發表當時にも、ある程度の評價を受けた。しかし、そ ソヴェトへ旅立っ年の一〇月に發表された『帆』は、もう娘とい れはなかなかのカ作であり、佳作であるといった程度のもので、有 う年でもない獨身の、なにをしているのか判らぬインテリ女性の生 島武郎の『或る女』や、當時まだ未完であった『暗夜行路』の評判 に比肩すべくもなかった。雜誌連載の分に徹底的な改作をほどこし活を描いたものである。急に思い立って木更津へ遊びに行こうとし

4. 日本現代文學全集・講談社版97 平野謙 本多秋五 荒正人 佐々木基一 小田切秀雄集

か、そしてそれ等のみが安當な意味で職業化される得る文學ではな 説家は、意識的に證言者たらんとして東奔西走していることもまた 疑いのない事實である。證言性を頭から拒否して藝術性だけを守ろいか、ということも考えざるを得ない。」 つまり、伊藤説によると、痛切な事實や生活體驗にまつわる感動 うとすれば、藝術性そのものまでうすれていく危機にかれらは敏感 に気づいているからだ。そこで「藝術家であると同時に證言者であをそのまま傅逹する作品においては、素人と玄人の區別はつけがた ろうとする作家が、ほかならぬ小説の場において、この困難な條件い、だから自己の生活上の危機や、その危機をいかに克服したかを を新しいエネルギイの根源に轉化することができるかどうか。この報告する私小説や自傳的小説は、その本質からみて、素人文學の一 難問に立ちむかったときの、『小説作法』とはいかなるものである種と考えて差支えないということになるらしい。感動的な生活がさ きになければ作品が成立しないような種類の藝術を職業的に作ろう べきか」、それが問題だというわけである。 とすると、たえず自らの生活を危機にさらしてそこに痛切な感動を 同じく伊藤整は、結核とハンゼン氏病を病む人たちの歌集 ( 年刊 療養歌集一九五五年版『試歩路』 ) の讀後の感想を次のようにのべていもとめてゆくほかないから、そういう作家は生活上の演技を必要と る。 する。つまり演技によって強い感動的な事件を作りだそうとする。 「作者はみな素人である。しかしこの四千首に近い歌を讀んで、技これは自らを破滅に追いやる結果になる。ハンゼン氏病患者のおか 巧が下手で讀むに耐えない、と思われるものは、一割位のものであれた絶對的な條件のなかでの感動に匹敵する感動を、自己の生活の った。『下手だ』と分るものは多いが、大部分は『讀むに耐え』、かなかにもとめようとする歌人や私小説家は、比喩的にいえば、結局 自らハンゼン氏病患者になるほかはない。つまり、 ハンゼン氏病患 っ私は感動したのである。ところが私の體驗では、歌人たちの専門 雜誌を見て、讀んで感動したと思うような作品は、その一割位のも者と同じように絶對の孤獨と苦惱のなかに身をおき、そして生命を のなのである。 破滅させるほかはないというわけである。 しかし、療養者の歌にふれて書かれた伊藤整の文章のなかで、わ この事は私に、生活につながる感動ということを中心に考える限 たしにとって興味があるのは、すでに餘りにも有名になった私小説 、専門歌人なるものは存在理由を持っているのか、という疑問と なる。そしてすぐさま、専門の小説家は存在理由を持っているか、 演技説ではない。それよりも、ハンゼン氏病患者の歌からえた感動 という疑問にもなる。」 を分析しながら、伊藤氏が論理の必然に押されて、ついに素人文學 このような反省から發して、伊藤整は次のような結論を導き出し と私小説の同質性を認めなければならぬところまで追いつめられた こと、そのことがなによりも面白かった。生命のまさに失われよう 題ている。「私は、これ等の短歌と、詩と私小説と日記とが、作者の とするせつばつまった極限の場で歌われた歌や、悲劇的體驗にもと 生活そのものの一部を表現し、自己の生活以上には踏み出さない、 づく手記が、人々に感動を與えた例は過去にたくさんある。しか 作という特質において近似したものとして一括されるべきではない 素か、と考える。そしてそれは職業的に作ることを拒む要素を持ってし、それらはまだほんの限られた數にとどまっていた。いわば例外 いるように思う。そしてそれに對比さるべき一群のジャンルとし的事件にすぎなかった。したがって、それが専門歌人や私小説作家 礙て、現象的には自己の生活以外のものを描くルポルタージ = 、歴の藝術家としての存在意義にたいして反省を強いることはなかっ 2 史、フィクションとしての短篇と長編小説、等があるのではないた。それはそれほどの脅威を専門藝術家に與えなかったばかりか、

5. 日本現代文學全集・講談社版97 平野謙 本多秋五 荒正人 佐々木基一 小田切秀雄集

よっては律し切れぬ世界に住んでいる。僕等は「壁」に二度も三度 4 ある批評家は、トルストイの「轉回」を評して、彼のリアリズム も痛い目にあわされているのである。 は人間の醜とこの世の不合理を思い知らせるばかりであった、この 私小説は日本文學の足枷と考えられている。事實また足枷に相違 醜と不合理をいつまでもただ描きつづけるに堪えなくなって、トル ない。それを斷ち切って、僕等は思考の飛翔力を掴まねばならぬ地 ストイは文學を棄てて人間匡正と瓧會改革に身を挺したのだ、とい點に來ている。しかし、私小説的性格というものは、それがどのよ った。志賀もまた、彼の文學の實踐的性格から、よく「想ふ」ためうに發展し、どのような變種を生むかは豫測しがたいにしても、日 によく「爲す」生活態度を持した。彼は「藝術から、實生活から受本文學にとってまぬがれぬ「宿命」のように僕には思える。それ けるような感じを受けたくない。實生活から、藝術から受けるようは、不言實行を 確な表現よりも論理を呑んだ實行を奪ぶ日本 な感じは受けたい。」を實踐した。それは戀人を理想化し、その理人の、思考の實踐性につながり、また現世的といい、現實主義的と 想化された戀人に値しようと努力する、あの『白樺』派の三ッ兒の いわれる、日本人の物的な國民的氣質につながるように思われ 魂の延長にほかならなかった。この志賀の實踐的な小説精は宮本る。 百合子にも流れ込んでおり、小林多喜二はそれのひとつの結實であ 萩原朔太郞が、日本文學の現實密着性を考えて、「賛成」だとか、 ったといえる。 「水が飲みたい . とか、主語を省略していう日本語の性質に着目し、 生活を藝術の域にまで高める、その意味で「生活の藝術化」をは「忠」とか「孝」とかいうような抽象語さえなかった古代日本の観 かった志賀は、藝術表現の淨化作用のうちに滿身創痍の生活の救濟念形態に思い及んだのも當然と思われる。われわれがある言葉の眞 を見出す、その意味でもう一つの「生活の藝術化」をはかった近松贋輕重を判斷する決定因子として、その言葉の背後に具體的な人間 秋江や葛西善蔵と對蹠的であった。後者の流れから太宰があらわを求める習慣を脱け出すのは、日本に一敎が根をおろすのと同じ れ、それを田中英光が繼いだ。 くらい困難なことだろうと思われる。 生活建設的な志賀型と、自己破滅的な葛西型とは、私小説作家の しかし、そのようにいうことは、現在われわれの眼前にある隨筆 二つの極といわれる。だが、兩者は全生活を藝術の祭壇にささげて的な、また風俗的な私小説の壽命が無限だという意味では勿論な 悔いぬ藝術至上主義において、その藝術至上主義を實踐躬行してあ い。私小説が隨筆化し、雑文化し、風俗化したということは、高い ますところのない實踐的性格において一致している。 藝術を生むために生活そのものを高める努力も、自身を藝術實驗の 志賀の文學が志賀において完結していること、志賀文學のよって モルモットにする勇氣も、ともに私小説作家に失われたということ 立っ地盤が業等にもはや存在しないこと、などについてはすでに述であって、それだけその種の私小説が掘りつくされた展坑に近づい べた。だが、文學の場の變移は志賀文學をズレさせたばかりではなてきた證據に外ならない。 い。志賀型にしろ、葛西型にしろ、ともに個人の生活をささげさえ 私小説の生き續ける努力が、むしろ古い私小説を掃蕩する努力の すれば何程かの藝術をあがないえた時代、少なくともそのことが現形をとるのは歴史の逆説である。舊プロレタリア文學の作家逹も、 實からのまったき愚弄のみに酬いられる惧れのなかった時代の文學マルクス主義という巨大な念體系に沒我的な獻身をささげること である。僕等は生身の生理的エネルギーや、直接經驗の感動のみに によって、私小説の更生に資したのであった。私小説的性格が、日

6. 日本現代文學全集・講談社版97 平野謙 本多秋五 荒正人 佐々木基一 小田切秀雄集

たり、汽車に乘りおくれて寄席をききにまわったりする、一種の藝物に對する嫌惡が、市民とは別人種とされる藝術家の藝術家的生活 術家的な氣分本位の生活である。こうした主人公の存在を、なんらの擁護に、少くとも意識的に方向づけられたことは、あとにもさき 疑問の餘地ないものとして、天降り的に肯定している態度からいっ にも一度もなかった。白樺派との最大の相違はそこに求むべきかも ても、これはおそらく宮本百合子の全作品中もっとも白樺派的なも知れない。藝術家を主人公にした『伸子』においてさえ、俗物主義 のである。ここから逆に、『伸子』の作者をつき動かしたもののなへの嫌惡は、ひとり藝術家だけでなく、人間 ( 日本人 ) 全體のより かには、この種の「プルジョア」的な生命感の奪重、自己完成の理人間的なあり方への解放をめざしている。強いてあげれば、「帆』 想がふくまれていたことがわかる。私の個人的な好みをいえば、『伸 が唯一の例外であるが、これも市民と藝術家の截斷に意識的という 子」の作者と、プロレタリア作家宮本百合子との間に、この『帆』的までには到っていない。 な作品のふくらみがもっとあってもいいと思う。あった方が一層お プロレタリア作家 もしろいと思う。戦後になってから、『二つの庭』や『道標』が書か れたのは、この部分に必要なふくらみをもたせたものとも讀める。 宮本百合子は、一九二七年 ( 昭和二年 ) 一一月末日に東京を發ち、 第二次外遊までの最後の作品といっていい『一本の花』は、ある湯淺芳子とともにンヴェトへ向い、ハルビンを經て、一二月一五日 會事業團體につとめて編集事務にたずさわるインテリ女性を主人にモスクワへ着いた。二八歳であった。 公にしている。彼女の身邊には、同居している女子大の敎師や、同 三年間にわたる第二次外遊中、大部分はソヴェトに滯留し、國内 窓生である上流階級の若い夫人もいるが、他方では、夜學生や、印の各地を見學旅行したりしたが、その間、二九年 ( 昭和四年 ) には、 刷工場の勞働者や、セッルメントの保姆などが接觸をもって來る。 七カ月にわたってウィーン、ベルリン、 ハリ、ロンドンなど、西ョ ーロツ。ハ各地を旅行した。第一次外遊のとき、アメリカからまわる この小説は、このあとの方の面で、初期の『日は輝けり』から、こ の時期の『黄昏』『氷藏の二階』『一太と母』などにつながる作品系はずで見殘した西ヨーロツ。ハを、ノヴェトを基地として、そこから 列、すなわち、勤勞下層階級の生活に注目した作品系列に入るもの の出張といった形で見たわけである。 ラ・ボアント・ド・つ・ヴィ である。ここでは、主人公の「生存の尖端」が、全人格的でない ソヴェト滯在中には、ゴーリキイに會い、また片山潜と面談する 官能の誘惑にひかれながらも首を横にふらせる。同時に、それがま機會をも持った。次弟英男の計報に接したのはレニングラードに滯 た生命感の奪重そのものとして、人間の「群」への接近を求めさせ在中のことであった。もちろん、西ョ ! ロッパ各地への見學旅行 る。「群」のなかの道を本能的にかぎ分けさせる。『伸子』を完成し も、彼女の生涯にとって小さからぬ事件であったはずである。「道 子て、個人生活の「泥沼」の記憶を整理し了えた作者は、處女作時代標』によれば、フランスでは戀愛に似た事件もあった。 合 三年たって ) 三〇年 ( 昭和五年 ) の一〇月、彼女はモスクワを出 百のひろくはあるが靉靆たるところもあった視野をそのまま恢復した 本 のではなく、ある新しい視野にむかって羽搏いている。省略の多發し、往路とおなじくシベリヤ經由ながら、こんどはウフジヴォス 宮 い、ポキポキと句切れて、局面轉換の早い文體もまた、なにか新し トックへまわって、一一月に東京へ歸った。東京に歸った彼女は、 5 いものが作者に胎動しはじめたことを感じさせる。 4 早くも翌一一一月に日本プロレタリア作家同盟へ加盟した。當時は日 ここまで來てはっきりすることだが、宮本百合子にあっては、俗本のプロレタリア文學運動の最高潮期にあたっていた。

7. 日本現代文學全集・講談社版97 平野謙 本多秋五 荒正人 佐々木基一 小田切秀雄集

同じことはまた、いわゆる素人作家についても云えるのであつばらサークルなどを中心とする小集團の運動に、未來の文化と藝術 を創造する唯一の力を發見しようとする議論には、なにがしかの疑 て、素人作家が専門作家になって墮落し停滯する場合が多いのも、 いを抱いている。『山びこ學校』や『原爆の子』のような兒童の記 こんごの藝術の目的と方向をはっきり自覺的にとらえていないこと 録から一直線に、直接無媒介に、未來の藝術を導き出そうとするよ から起るのではなかろうか。 うな考え方にも賛同できない。 にもかかわらず、月々の雜誌に發表される職業作家の小説に食傷 し、そこからなにほどの藝術的感動をも覺えることができないと 素人作家の間題 き、ふと手にとりあげた無名の素人の手になる生活記録やルポルタ ージなどに、かえって新鮮な生命を感じることがないわけではな い。そのような作物から受けるわたしたちの感動はいったいどうい 從來考えられていた藝術家のイメージが、ス・ 0 ミの異常な發う質のものであろうか。職業作家の書く小説から受けるものと、そ 逹につれて崩れはじめたことは、前章に書いた。ところで、藝術家れら素人の手になる記録から受けるものとは、質的にちがう次元に の既成のイメージをこわすもう一つの要因として、大衆の藝術〈の屬しているのか、それとも本質的には同じ去元において、わたした ちの理知や情緒や感覺にうったえてくるものなのか。素人の書いた 參加という現象がある。これもまたマス・コミの發逹と決して無關 係ではないが、同時にそこには、マス・コミにたいする抵抗素とし素朴な記録や物語からわたしたちの受ける感動は、藝術的感動なの ての働きがないわけではない。わたしは漠然と、素人作家と呼ばれか、それとも藝術外的感動なのか。わたしはいまこの感動の質を精 細に分析することは省略したい。なぜなら、いわゆる藝術外的感動 る人々の文學の世界への登場や、生活記録のことを考えているが、 というものを、藝術的感動と截然と區別する基準をわたしははっき 實をいうと、最近、非常な勢いでおこってきた大衆の藝術參加が、 りつかんでいないからである。云いかえれば、いわゆる藝術外的感 こんごの藝術および藝術家の概念にどのような變化をもたらすか を、正確に豫見することはむずかしい。つまり、それはわたしにと動といわれるものもまた、藝術的感動と切りはなし難く結びついて いるものではないか、と考えるからである。藝術外的感動をまった って、大へん扱いにくい、厄介な問題である。しかし、それだから といって、この問題を避けて通ることは、現状にたいして無責任なく捨象して純粹に藝術的感動だけをもとめようとすれば、カント風 の無關心の美學に行きつくほかないが、そのような純粹な藝術概念 態度といわねばならないだろう。 こそかえって藝術の生命を涸渇させるものではないか。少くとも、 いわゆるサークル運動、生活記録運動、自立演劇動、およびそ 今日の藝術は、とくに小説・文學は、人間と會のもっとも切實な れらと表裏の關係にある民話劇や大衆藝能、生活藝術の動向につい て、わたしはあまり詳しい知識をもっていない。したがって、ま課題ととりくむことによって、その生命を維持しているのである。 もっとも、素人作家やサークル運動や生活記録にたいする關心の た、それらにたいするわたしの考えも、目下のところ、さして熟し ているとはいえない。かって、國民文學論がとなえられた頃、わた高まりは、いわばそれらのものの持っ絶對的力、それ自體の内的價 し自身はむしろあの運動の批判者の側にあったし、いまでも、もっ値にもとづいているというよりは、既成藝術の崩壞や袞頽を補足す

8. 日本現代文學全集・講談社版97 平野謙 本多秋五 荒正人 佐々木基一 小田切秀雄集

職業とするものではなかったからである。すべて生産活動を免れたる。志賀直哉の身邊雜記や、川崎長太郞の私小説が、いわゆる中間 王侯貴族、中世的官僚や僧侶、あるいはかれらに依存する女房たち作家や大衆作家の作品とならんで商品價値を生む。畸人と俗物が が、いわば生活の餘技として行った藝術活動ーーそれが文人的藝術マス・コミのなかでは同じレベルに均らされるのである。異常な もの、畸型なものと、常凡なもの、日常的なものとが、商品價値と であった。自由な遊びであるかぎり、それは自由な藝術であった が、その自由はきわめて限定された自由であった。一方、職人としいう一點を軸として、廻轉木馬のようにグルグル廻るのである。マ ての藝術家は、身分的にも制約されていて、自由な主體としての意ス・コミは藝術を規格化し畫一化するといわれるが、これは一面的 識は持ち得なかった。近代の藝術家は藝術の専門家として、藝術活察にすぎない。マス・コミはそれ自體無原理の體系であるから、 動を通して生活の全エネルギーと生命を表出する點で、かっての文たえず右左に搖れ動き、たえず變化をもとめるのである。服裝や裝 人たちの生活基盤による自由の意識の限度をのりこえることがで飾品のデザインがたえず新型を求めて、毎年新しく變えられてゆく のをみてもそのことは明らかである。いつまでも同じ型をくりかえ き、また、嚴重な身分制度から解放されて、獨立の人格となり、一 す西部劇や母ものとならんで、異常心理映畫や異境ものが作られる 切の分業から解放された自由な人間としての意識をもちえた。 しかし、かれらは藝術を専門の職業とすることによって、逆に分のも變化への要求のあらわれである。異常な體驗の持主や冒險家や 業に從屬させられた。身分制度は崩壞したが、瓧會的分業は崩壞す探險家はたちまちジャーナリズムの寵兒になる。マス・コミの特徴 はこの變化への要求がまことに無原則的であり、變化そのものに何 るどころか、ますます廣汎に發展した。個人がどのような職業につ くかを自由に選擇する餘地はひらけてきたが、職業そのものはますらの必要性もない點にある。きわめて浮氣な點にある。そして外見 ます分化し専門化して行った。近代の藝術家は、王侯貴族や富有な上のこの浮氣、變化と多様性の氾濫によるこの混亂を、統一する支 市民をパトロンとしてそれに依存したかっての藝人的、職人的藝術點がもしあるとすれば、それは商品價値という一點をおいてほかに 家ではなくなり、自由な市民として、自由な個人として、他からの掣ない。マス・コミの性格は、混亂そのものの規格化、變化と多様性 の平均化、水平化にあるといっていい。 肘をなんらうけない自發的な創作品を、自由市場としてのジャーナ さて、わたしはかねがね、自分はもつばら自發的な、純粹な藝術 リズムに賣ることができるようになった。しかし同時に、客麒的に は、かれらは藝術を職業とする知的商品の生産者として、瓧會的分創造を行っているのだ、自由な藝術家として誰にも掣肘されること 業の一翼をうけもったのであり、その限りで、分業に從屬させられなく自由な認識と判斷と表現をめざしているのだ、と信じている藝 へスト・セ一フーになって莫大な商品價値を生み出し 術家の作品が、。 たのである。 わが國では近代の未成熟という條件と相まって、このような市民た場合、そのことが藝術家の意識にどのような形でかえってくるか、 瓧會の藝術家に固有な矛盾は、これまでさほどあらわな形ではあら意識はその事實によってどんな影響を受けるか、という問題に興味 われなかった。むしろ、文人的、あるいは職人的生活形態や意識が根をもっている。これはなかなか微妙な間題であって、作家の内懷を 強く殘存していたし、今日もいる。マス・コミはこの前近代的な文うかがうのは容易なことではないが、今日における作家の變貌とい う謎をとく鍵の一つが、そこにあることも疑いないだろう。、たとえ 人や職人の藝術意識を崩壞させるどころか、逆にかれらの作品を商 品として利用することで、その意識を温存させているのが現状であば川崎長太郎の私小説が、だんだん中間小説化してゆく過程、あるい

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ざるを得なくなる。生活の藝術化というような趣味的ななまやさし ながらの現世失格者ではない。志賀直哉と同じように、そして、世 さとはうらはらに、修道僧の苦行めいた日常生活の切りすて、破壞の私小説家とは反對に、太宰治もついに放棄できない現世の絆にし がここにはじまる。その實生活は本來の意味をうしない、實生活密かとむすばれた人間として、この世に生を享けたのである。しか 著の實生活喪失というイロニイがここに成立する。もはやそこでも、この現世把持者は志賀直哉とは反對に、現世放棄者、現世否定 は、一篇の作品を構築するにたる汪溢した實生活がいとなまれ、作者の道を辿るべく宿命づけられたのである。ここに太宰治個有の悲 者はその生活を題材としてそれに藝術的秩序を與えるというような劇がうまれる。志賀直哉に對する反撥も葛西善藏に對する共感もす ノルマルな藝術と實生活との相關關係は逆轉して、いわば描くにたべてここに由來する。『人間失格』はいわばそのような流竄の天使 る實生活を紛失しながらなお描きつづけねばならぬために、その日の嘆きを文學的に定著したものだ。だから、作中人物が二十七歳の 常生活において危機的な作中人物と化さねばならぬという一種の價若さでその敗殘の生涯をおわるのと反對に、作者自身は二十七蔵こ ろからその文學生活を確立し、爾來その特異な作風を以て十五年間 値顛倒がそこにおこなわれるのである。太宰治はまさしくそのよう な犧牲者だ。その意味で私は太宰治をわが私小説的傳統の最後の人にわたる文筆生活を生きぬかねばならなかった。その間、結婚し、 と眺めるものである。わけて、その晩年の作品はそのような私小説戰爭をむかえ、三人の人の子の親ともなった。しかし、「人間失格』 的方式をむごたらしく實踐した作品群にほかならない。以下志賀直の主人公のような精訷的傾斜をもつ人間が、世のつねの圓滿な實生 哉の作家態度と對蹠する意味で、太宰治晩年の作品を解説してみた活をおくり得るとは到底考えられぬ。戰爭中は、太宰治も伊藤整や 三好十郞とおなじく、素樸な生活者によりそって、そこに自我再建 いと思う。 のいとなみを見出さんとっとめたが、伊藤・三好とともに、やはり そのような精神的軌跡は戦爭中の自己錯覺にすぎなかった。いや、 太宰治晩年の作品として、やはり私は『人間失格』と『斜陽』と を重視する。このふたつの作品は墮天使の歌ごえとして、ほとんど太宰の場合、それは單に自己錯覺というより、もっと罪ふかいもの として意識されていたかしれない。正常な生活形態こそ太宰にとっ 對極的な意味をになっている。 『人間失格』が作者の精的自敍傅であり、その文學的集大成たるては異常なものにほかならず、それを太宰は實生活上の虚構とさえ うけとっていたかしれぬ。正常な生活者たることこそ、實はフィク ことは、すでに多くの人が語っている。ではその文學的テーマはな ティヴな演技者にほかならぬと感じていたところに、太宰の罪責意 にかといえば、誰の眼にもあきらかなように、いわゆるこの現世と 識は倍化されていったのだ。だからこそ、戦後の惑亂は戦中の「健 反いうもの、人の世のいとなみというもの、大人の世界というものか 律ら失格せざるを得ないひとりの傷つきやすい不幸な魂を丸彫りした康な」生活を媒介することによって、かえって、戰前にもまして、 のものにほかならない。ほとんど生れながらにして現世失格者たらざ太宰治の藝術家生活をするどい矛盾に追いやった。珠玉の小品『纓 るを得ない孤獨な魂を描くことによって、かけひきとごまかしと肚桃』はその間の消息をよくったえている。それは自裁を決意した芥 川龍之介の『蜃氣樓』とならんで、讀者に哀切な感銘を與えるが、 のさぐりあいにみちみちているこの現世の約束ごとに、必死の最後 7 的抗議を試みたものである。しかし、この作の主人公をそのまま作「蜃氣樓』ほどの靜謐もすでにあがないがたい境地に押しつめられ 者自身とすることはやはり當を得ていない。この作者は決して生れた作品である。おなじ系列の作に『父親』『家庭の幸幅』『おさん』

10. 日本現代文學全集・講談社版97 平野謙 本多秋五 荒正人 佐々木基一 小田切秀雄集

れはたぶん、いまだ藝術的成熟に達しえぬ未熟幼稚な一段階として稱素人作家や國民文學論者が考える以上の現代的意味があると思 0 う。それらの人は、既成の文壇文學が國民生活との廣いつながりを 田しか評價されないだろう。 だが、はたしてそうか。素人文學や生活記録の大量の生産は、日失い、文學の生命を涸れさせている現状にたいする批判から、もの 本文學の地圖そのものを塗りかえるような、新しい未知の文學領域を書きはじめたわけでは決してない。かっては、自己の歡びや哀し をそこにつけ加えるような革新的な役割を、何らはたすことはないみを、苦しみや希望を、誰か專門の作家に代辯人として表現しても らうほかにすべのなかった無名の大衆が、他人の助けをかりずに自 のだろうか。 わたしは、素人文學や生活記録を問題にするならば、それらの作ら表現しはじめたこと、そしてその表現の場と手段が戦前にくらべ ると比較にならぬほど廣汎にひらかれたこと、そしてその趨勢はお 品の大量の生産が、日本文學全體をたんに量的に豐かにするばかり そらくもはやいかなる力をもってしても不可逆的であることーーーそ でなく、既成文學の質そのものに何らかの變質をもたらす契機とな こに、わたしは、いわゆる素人文學や生活記録のもつまがいもない るか否かを問うべきだと思う。そして、そのためには、既成文學に たいする對他意識をすてて、素人文學對玄人文學、勞働者作家對イ現代的意味があるように思う。 わたしは、これらの大衆の發言と自己表現が現代文學および將來 ンテリ作家、生活記録對小説といった圖式的な一一元的對立を固執す ることなく、問題を、現代文學一般という共通の立場で考える必要の文學者の存在の仕方にたいしてもつ意義をさぐってみたい。 第一に、それは現に、既成の文學者、専門文學者の文學の質にな があると思う。わたしは、これまで、素人文學とか玄人文學とかい う言葉を、きわめて不用意に用いてきたが、これはもっと明確に規にほどかの影響を與えつつある。それは大衆自身の文學 ( の參加を 定する必要のあることはもちろんである。しかし、ここでは、その促した同じ氣運が、現代文學の質そのものを同時に規定していると いいかえてもいい。 問題にあまり深入りすることは避けて、先を急ぎたい。自ら素人と 「さまざまな『證言』が、作家と讀者をおびやかしている。『私は 稱している作家が案外に玄人以上の玄人かも知れず、マス・コミの かくかくの事實を見ました』という訴えが、出版され、小説を書こ 世界では、素人ぶりがかえって賣物になるのを計算して演技してい うとする作家、小説を樂しもうとする讀者を強いカでグイグイと自 るかも知れない、という點にも充分留意する必要があろう。一生、 分の方 ( ひきよせる。『證言』はナマの事實の記録であり、時には 軍人および官吏として終始した森鷓外の例をみても明らかな通り、 素人作家と玄人作家のけじめは大〈んつけにくいのである。久保田たどたどしい訴えであり、時には斷固たる主張である。不意うちに おどろかしたり、綿々として告白したりする。或る一つの明確な目 正文の指摘する通り ( 『文學界』九月號 ) 職場作家とか勞働者文學と か、自分の出身を賣物にするかんがえから、すべて超越してゆかぬ的を持ち、使命をおびて、小説より直接的なやりかたで、讀む者の かぎり、事が日本文學一般のなかで處理される道はとざされてしま胸に射こまれる。」と武田泰淳は『證言と小説』という短文のなか で、大衆の自己表現が作家にあたえる脅威について語っている。同 うのである。 わたしは、いわゆるカ , 「つきでない素人作家や職場作家が大量じ文章のなかで武田泰淳の指摘している通り、現代文學は、洋の東 西を問わず「證言的訴え」をふくんでいる。小説がそのまま性急な に出現し、また家庭の主婦や學校の兒童がそれぞれ自分の體驗や、 見たまま聞いたままの生活の現實を描き訴えはじめたことには、自「證言」でないということは云うまでもないが、しかし、今日の小