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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

でゆく經路が第三の手記の中心ということになります。 れを書いた亠円年は生きているかどうか、その後のことははっきりわ 4 内縁の妻が、無垢の信賴を自分にささげている。無垢の信賴ほからないということになっています。 以上、大まかにすじがきをたどったのですが、要するに、男と女 ど、この世に奪いものはないと信じている主人公なのですが、それ だけに彼女がそのすぐれた性質のために冒されたという場合、許すとが卷きおこすいくつかの動亂を經て、次第に筆致がつめたく澄ん にしろ、許さぬにしろ、夫に何の權利もなく、何もかも自分がわるで、悲痛の色を帶びてきます。モルヒネ中毒から精溿病院へ、そし て先ほど引用した終局に續くあたりが、この作品の高まりかと思い いような氣がして來て、怒るどころではない。 ます。 無垢の信賴心は、罪なりや。 唯一のたのみの美質にさえ、疑惑を抱き、何もかも、わけがわか らなくなって、おもむくところは、アルコールだけということにな 太宰がここに描いている自畫像というのは、人間の奇怪におびえ しようちゅう る。自分の顔は極度にいやしくなり、朝から燒酎を飲み、齒がぼながら、一方その奇怪な人間に甘えたくて、彼のいわゆる″サー ろぼろになって、漫畫もほとんど猥畫に近いものを描くようになりヴィスと道化〃によって、辛うじて人間瓧會につながってきた、そ ます。主人公は漫畫家ということになっているのです。 ういう訴えようのない孤獨と弱氣を嗅ぎ當てられて女につけこま 耐えきれなくなって、死ぬつもりで睡眠藥を飮み、三晝夜を眠り れ、また進んで女につけこませずにおられないで破滅し去った靑年 續けるのですが、次いで苦惱をのがれるためにモルヒネを用いまの半生といえましよう。彼のたどった道 ( 彼というのは小説の主人 す。それが中毒になって、死にたい、死ななくてはならない、生き公です。作者と主人公はまったく別ものです。自傳的な要素が多く ているのが罪の種なのだと思いつめるようになります。そして、ア あっても、小説の主人公と作者は根本的にちがいます。違わなかっ ートと藥屋の間を半狂亂の姿で往復するようになってゆきます。 たら小説ではありません ) 、つまり大庭葉藏のたどった道は、おの やがて精病院に人れられ、次いで生家の兄に引き取られ、作品ずからどんどん不幸になるばかりで、彼として、訴えようもなく、 の敍述によりますと、「六十に近いひどい赤毛の醜い女中をひとり 施しようもなくなった人間、 付け」られて、人同様な日を送るようになります。そして最後の 人間に訴える、自分は、その手段には少しも期待できませんでし まわ 結びは、 た。父に訴えても、母に訴えても、お巡りに訴えても、政府に訴 いまは自分には、幸輻も不幸もありません。 えても、終局は世渡りの強い人の、世間に通りのいい言いぶんに ただ、一さいは過ぎて行きます。 言いまくられるだけの事ではないかしら。 いわゆる あびきようかん しよせん 自分がいままで阿鼻叫喚で生きて來た所謂「人間」の世間に於い 第一の手記に、こう書かれています。所詮、主人公の苦惱のごと て、たった一つ、眞理らしく思われたのは、それだけでした。 きは、世渡りの強い人からいえば、ばかの骨頂であり、たわけたこ ただ、一さいは過ぎて行きます。 とにしかすぎないことではないかと思います。だが、ばかの骨頂で あり、たわけたことにしかすぎないことに苦惱し、破滅したほどの 自分はことし、二十七になります。白髮がめつきりふえたので、 弱いものに徹することによって、世渡りの強い人でなければ生きて たいていの人から、四十以上に見られます。 ここで手記は終っています。手記につづくあとがきによると、こゆかれぬ人間粃會にはげしい抗議を投げつけた、こうもいえるわけ はいじん わいが

2. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

してみることを彼は敎えた。それでもしぶつかる壁があったらそれの慰問などと言って歌い歩いた彼女が、今度告着の振袖などで 8 ることを商賣に 幻が瓧會というものだ、と。 人前に立っことになった。音樂家とは調子を、心 個性というものは疑うべくもなくある。おれは泌尿器科の病院が している人間だとおれは思った。おれは音樂がきらいになった。 建ちならぶ、夕方の蓮河筋を歩みながら考えていた。辻斬のはやるおれは彼女がかせいで來た金をどうしているのか知らなかったし、 世の中のように通行人はまれで、重いぬんめりした河水に腹を叩か知る氣もなかった。これでは二重の意味で物質的結合にすぎないと カサイレ 思われていた結婚生活の保てるわけがなかった。おれは妻と別れ れる荷足の上では、船頭のかみさんが火をおこしていた。 : ンが一たび鳴ればその火をけして、船頭の一家はしんのある飯を食た。 わねばならないだろう。 人間はす・ヘて念をはらんでいる、とおれは信じた。 おれには思い出す歌がないではなかったが、その韻律をたどるこ しかしそれと同時に、人間が自分の観念を扱うやり方に生理が宿 命的にはたらきかけているのをおれは見た。抽象的思考の最中、事 とをおれの肉體がこばんだ。 態解明の都合上辯證の項を一つにしておくか、二つにするか、三つ にするか、それを決定するのは認識ばかりじゃない。腦細胞の習癖 それから三年たった。載爭は終っていた。本はあらかた燒け失せ た。トルストイの全集とコメディ・ユメーヌと、ヴァレリーとアラ が大分ものを言っている、とおれには見えた。 ンがそれぞれほぼ全部手もとに殘っていた。ヴァレリーを助けてマ 小説の作中人物が催す感情も、おれには大部分生理の仕業と見え て來た。作品の多くにおれは、作者の生理を感じた。文學は思えば ラルメを燒いた愚劣さをおれは歎いたが、これだけあれば、三年の きたならしいものだった。しかしこのきたならしさを除いて何の支 間讀むものには事缺かなかった。それも奇妙であったが、それらと は全く異質の書物によって養われたらしい頭腦がまきちらす夥しいえがあろう。しかもそれは観念の菌糸が生える腐木なのだ。 問題に、それより他參照すべき書物のないおれが、さして答えるの おれは、當代の風潮や一般的理論についてはなるべく考えまいと した。問題の輪郭の不確實さとそのために生ずる錯亂がおれには體 に苦しまずにいるという奇態な事實がおれの注意を惹いた。おれの がすくむほどいまわしかった。おれは古人であろうと自分に言いき 知力は書物と現實の中間で養われたのだということをおれは諒解し のあの嚴密への傾きが、無産者の心性であかせた。 た。おれにはヴァレリー 「君はオム・ウーヴェールになったね。開かれているよ。歸って來 ると想像されて來た。あの感性の淸らかさも、けして冨人に具わる を得ないものであった。それらを確定する證據は彼の書物の中にはてみると他のやつが皆とざされているのに。」 長らく外地で暮していた友達は、おれと逢って別れしなにそう言 なかった。おれはそれをどこか別の現實からの類推によって得たの った。 「ただたとえ話が上手になったというにすぎないかも知れんよ。」 そんなことを考えるおれは、妻との間の不和をますます深めて行 とおれは答えた。 った。彼女は小金をためた銀行業者の娘で、そして町場者だった。 「また分らないことをいう : : : 」と以前のように彼は言わなかっ おれは自分の體内に百姓の血の流れる貧乏人の悴だった。おれはオ プローモフシチーナを愛し、彼女は打算を愛した。戦爭中軍需工場た。おれの心の底が今更何の理論も作れない位空しいのを感したに

3. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

とであり、最初に言った小林の亠円少年に對する幻惑が湧き出したそ《しこれが僕だけの蓮命だとはどうしても考へられない。ただ僕は もそものみなもとというべきものである。というわけは、十分忙《ここから極めて自然に生れたシニズムを常に燃え上らせて置かう しく實利生活を生きて來た人間に、そういう生活と同程度に輕蔑す《と多少の努力を拂って來たに過ぎないのだ。》 べくまた奪敬すべき他の人間的事業に從事している人間など面白い 餘計なことのようだが、誰かが言った方がいいのであえていう わけはなく、かれこそ却って藝術家が特別のもの、羨ましい存在と が、シニズムという言葉は何語なのだろう。フランス語ならシニス 見るか珍稀な生き物とみるかはともかくとして、特別のものである ムだし、イギリス語ならシニシズムである。これと同じような原語 ことを欲するであろうからである。でなければかれは藝術家というの發音の無視、というより、無國籍的合成はあえて小林の著書とは ようなものの存在を良くも惡しくも全くみとめないだろう。藝術及かぎらず、日本人の片假名外國語には大變多く、僕だってしよっ中 び藝術家に對する漠たる憧れと夢想に滿ち、しかし、藝術家が人間やることだが、日本に與えられた外國文化の亂脈な影響、混血現象 として特別のものであるということは近代的思惟の歸結として信じ それも日本文化とのそれより前に、外國文化同士のあいだに混 がたく、藝術のためにはすべてが許されるというような考えを、時血を起らせて怪しまない日本的事實を象徴することであって、僂を 代遲れで田舍じみており夜郞自大と感ずるくらいには、自分の好き十分情ながらせる。それを一番やっているのが もっとも秀拔な なものを疑うことを知った、しかも故鄕を失った東京の靑少年にこ文學者のあいだでは、という條件つきでだが 小林であって、か そ、小林の文學理論は魅力的だったのだ。 れは、他のことは間わぬにしても、あれほどの傾倒を語るセザンヌ 年譜をみても、小林は白樺派の統領たちに引き立てられ、愛護せ の『サント・ヴィクトワール』を、サン・ヴィクトワールと書く間 られた氣配が感ぜられるが、この實際的なその文學思想の性質も、 違いを數年にわたって、やめないのである。 ( 註 ) これは、他にも例 自然主義の反世間反道德性、その無解決を標榜する陰濕な藝術至上のある、フフンス語の名詞の性別への不注意であって、小林の精神 主義への反對者として登場して來た白樺の思想の延長上にあると言 の實證性という定説を供にうたがわせるに十分なのだ。 っていいだろう。延長上、というわけは、白樺派の統領たちは、そ そういうことが、畫家があきらかに限定された特殊の意味でもち のひとりは、實生活場裡で合理的、現實的たろうとしたのに對し いている語、たとえばマチェ 1 ルという言葉のメタフィジックな擴 て、小林は、そこではかなり奇矯な破壞的人物だったらしいから、 張解釋や、また畫家の技法上の實際的守則 ( たとえば色は輪廓の上 またもうひとりの白樺派の首領は、倫理的に正常な方向において理に塗れというアングルの訓え ) の物々しい解釋などと相俟って、あ 想主義的であり、純潔を肴求したのに、小林の純潔や理想は、時代の世評高い著書を、僕にはところどころ目がさめたような思いをさ 讀にふさわしく、暗く混濁した反道德な小世界の中で熾烈に守られたせはしても、あとは退屈で押しつけがましい、餘り愴快でない書物 畫らしいからである。 にしていると言わざるをえぬ。 あのアングルの訓えは色の上に線をひいたドウガであってはじめ 代《失はれた靑春とは嘗って人々の好んだ詩題であったが、僕らに果 《して失ふに足るだけの靑春があったか。歌へるに足るだけ靑春をて異とすることの出來る訓えであって、實際を言えば繪の初歩なの である。線を外して色を塗っていては、繪はすきまだらけになり瓦 《身のうちに成熟させてみる暇があったか。少くとも僕にはなかっ 2 《た。僕は省て辿って來た苦々しい好奇心の糸を眺めるだけだ。併解するほかないだろう。モチーフを探しに行くというセザンスのき

4. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

現代史的概觀がふくれあがり、近代繪畫の問題の半分をピカソ まり文句にしても、その音樂愛好がかれに探用させた、繪と音樂のり、 6 が占めてしまうという不體裁な結果が生じたのは、實は、小林自身 接近を立證する言い方と小林はいうが、すでにあの疑うべからざる メロマニヤ、ドラクロワが同じ言葉を描寫對象の上に見られた描寫いうように、「『内部にあるものが明かしたかったのだ』と言ひ乍 目的、意圖という意味に用いていることを、僕らはその日記から立ら、。ヒカソが實際に行ったところは、寧ろ内部からの決定的な脱走 證しうるのである。 ( モデルに則して畫くことの重要さを考えていだったと言った方がいい。」そういうピカソの在り方のせいである。 る一八四七年一月二十九日の日記。 ) こういう點であの『近代繪晝』そうして外界にあってピカソを待ちうけていたのが、プレネリスト を不快とするものは僕ばかりでなく、繪のかき方について若いころやアンプレシオニストや、いやキビストの目にさえ見えた、自律 的な、實體的な、ただ自然であるようなものでなく、歴史や思想の から心をつかって來た人々のあいだに少からずいる筈である。 被いを厚くきっちりとかぶっている瓧會的なものだったせいであ いや僕はそれを實地に知っている。 る。それらの被いをめくりとろうというサティール風な力業が、ピ 中村氏が壓卷というセザンスの章全體が、實は、僕には、繪のメ カソの繪を生み出したのだ、という風に僕には見え、結局それがか チェや發想を超絶的な、いわば禪祕的なものに見せる論法をとって いてーー・從って中村氏のいうように知的な、手にとるようにはっきれの内界の劇だったのだと思われる。そうしてかれを通じて批判す べきものが、 ( 近代繪畫史であるより ) 近代就會そのものだという り見える世界とは言いかねる世界をつくり出しており、展望もきか ことになるのだといいたい。それが、小林に、それらの被いについ なければ、ぎごちなくもあり、不出來なものとしか受けとれないの である。むしろ、小林秀雄の資質が題材とほんとうに適合して暢逹ての、とにもかくにも學術的な、剥皮のための説明を強いたのであ る。本來の主題は、ひとりの人間存在のありようを腑分けしようと にうごき、生命のある記述を生んだのは、繪畫の間題より畫家の 生、人間としてのその生き方や性格が主要な關心の的となっているいうところにあったであろうと僕には思われる。 僕は小林の近著『近代繪畫』をそういう風に見るのだが、元 ゴーガンの章である。そこには對象の運命への著者の心痛む共感さ えあるのだが、セザンヌは、それに比べると、ただ繪畫の問題の負にもどろう。 小林は、『新人へ』で、「僕は省て辿って來た苦々しい好奇心の 擔者、あるいは培養基、エレクトロンのようにしか見られていない 糸を眺めるだけだ。併しこれが僂だけの運命だとはどうしても考へ と言っていいだろう。 中村氏が知的というのが、もしこのことだとすれば、比喩としてられない。ただ僕はここから極めて自然に生れたシニズムを常に燃 それはそれでうなずけなくはないが、『近代繪畫』を現代文明批判え上らせて置かうと多少の努力を拂って來たに過ぎないのだ」と書 の書物とする見方の方には、僕は何としても從いがたい。この點をいた。それ自身成熟し、人間を成熟させる、實體的なーーというの 今論ずることはやや飛躍になるが、この本の眞の主題は、ピカソをは多様で調和のとれた靑春を持たなかったとはっきり自覺した人間 が、しかもその靑春期に靑春の演技の行われたのを否定せず、その 論ずるにあたって、ヴォリンガーの美術史觀がいかに探用され、い かに史的考察が加えられているにせよ、やはり、近代繪畫史上のも演技の實質が好奇心であったのを言ったあげく、そこから、シニス ムが生れたというとき、その好奇心が、單に知的な好奇心だという っとも雄偉な畫家の個性的な内的な問題をあきらかにしようとする ところにあったのであって、。ヒカノに至り、にわかに調子がかわことはありそうもないことである。その好奇心はなまの人間と人間

5. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

とだ。けれども恐らくこの場合、描き出された人間たちの眞相は、 たからである。さらに、・ハルザックの立體的な作風が、凡庸なもの 2 いわばかれらの外にある。恐らくスタンダールという超絶的な精の奪重、それ〈の言葉のもっとも深い意味における共感、それ ( の のうちにある。〔これが、さきに僕が澤山の言葉をついやして述べ活氣鼓吹の結果として生じたものだということを、僕が改めて指摘 たことであり、かっ、スタンダールの作中人物が、作者によって不する必要がこれによってなくなったからである。『いとこポンス一 當に小さく見られているという感じを時々起させることの原因だのシボのかみさんや、惡德辯護士のフレジェや、レモナンクのよう が〕・ハルザックにあってひとを驚かせるのは、そして、かれを小説な、シャルル十世治下のプルジョア君主制の時代を墮落の時代と見 家たちにたいして、斷然君臨せしめるという事態を生み出している たバルザックにとっては理想的人物たりえない下脣の民衆のひとり のは、かれにあっては、思考が、念の誇らかな姿をとることがけびとりが、あれほど生き生きしているのは、まさにこの、 ハルザッ してない、ということである。バルザックにあっては、すべての思 クの「わが意に反する」共感共鳴の天才以外のものの結果ではない のだ。 考が、かれ自身の思考さえ、畜生の从態にあると、あえて言ってい いくらいだ。『田舍醫者』と『村の司祭』を例にあげよう。その中 バルザックのリアリズムなるものは、そういう能力によって生き には月並な考えが夥しくあるのである。けれども、作品全體を通じている。もしこれらの人物が活氣のない影繪のような、興味索然た て、混亂が奪重されているがために、人間の刻印を帶びていると見るものだったら、その意味合いは同じだとしても、今日かれの作風 られないような言説は一つも見出されないだろう。『ュルシュール・ をリアリズムと見るひとはなかったであろうノノ 。ヾレザックの作中人 ミルエ』と『ルイ・ランべール』におけるバルザック自身の言説物が現實的なのは、その意味合いや眞僞の關係のからくりのおかげ も、この考察の證明になる。そこで、かれの天才は凡庸なものの内によるのではない。これは、反社會的な力の權化とも言うべき脱獄 部に坐りこんで、それを變化させることなく、しかも崇高ならしめ囚のヴォートフンについても言えることである。 るところに成り立つものだ、と私はみとめるのだ。この、全く外面 もしかりにかれヴォートランが、ゲォルグ・ルカーチの見るよう 的な輝きを持たぬ、思想の深さという別の次元は、シェイクスピア な、王政復古時代のフランスで資本主義が社會の支配的經濟形式に にあっても同じように顯著である。この欽元を小説のうちに見出す成長して行った結果、そこにもたらされた人間の墮落、その人間的 ことに、ひとは馴れていない。小説にあっては、分析がやみなし、 道德的低下腐敗を、若きイフンスのある人々、つまり、『幻滅』と 自然を薄く弱くしているからだ。バルザックでは、分析の結果自然『浮れ女』のリシャンや、『ゴリオ』の一フスチニャックの心の奧深 の厚みが益しているように、私には見える。」 く食いこませて行く一典型にすぎないならば、要するに、ネガティ 隨分長い引用だったが、僕は後悔するのはよそう。第一、引用中ヴな瓧會のネガティヴな函數にすぎないならば、あれほどもわれわ 括弧の中で言ったように、このアランの觀察は、スタンダールにたれにとって雄大に、他ならぬルカーチの言葉にもあるように、「ほ いする僕の冒頭の感想が恣意的な外國人の感想でないことを證明し とんど超人間的な次元を持つ人物」と見えるわけがないのである。 て餘りがあるからである。第二に、小説とは町中をひきまわす鏡み ルカーチは、ヴォートランが脱獄囚で、みずから瓧會に立ちまし たいなものだと、繰りかえし語ったスタンダールの、現實の時間的 り、そこで何かをなすことのできない存在であること、だからこ 秩序に忠實な、いわば線の形をした作風が、序にあきらかにされえそ、その強力で冷徹な瓧會認識に從って一フスチニャックとリ、シャ

6. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

然また説明や説得の餘地がある。「面々の御はからひ」とは、信仰 の本質が不合理なものだというのと同じことである。信仰はこの場 合に阿彌陀とその人間との關係において理由なくして成りたつもの である。あるいは理由なくして成りたたぬものである。すでに念佛 往生の保證などというものはない。保證としてこれをいうのは、布 敎の方便にすぎないだろう。實は親鸞その人において、念佛して、 淨土へゆくか、地獄へおちるか、「總じてもて存知せざる」實情で あった。阿彌陀と彼との間には、何らの理解も、何らの保證もなく、 理解や保證を越えた信仰の行爲だけがある。すなわち信仰がなけれ ば、阿彌陀は存在しない。阿彌陀が存在すれば、阿彌陀と彼との關 係は、信仰でしかありえない。しかし阿彌陀との關係だけが不合理 なのであろうか。そうではないと親鸞はいっているようにみえる。 「たとひ法然聖人にすかされまひらせて : : : 」というとき、法然と 彼との間には、相互の信賴にとって合理的な保證がありえたろう か。私がいいたいのは、親鸞において法然に對する疑惑がありえた のではないか、ということではない。そんなものはありえなかっ た。ありえなかったのは、法然という人間を理由なしに信じること ができたからだろうという意味である。逆に理解し得るかぎりでの 一人の人間に對し、證據をもとめ、理由をもとめ、保證をもとめる ならば、その人間に對する疑惑の盡きるときは決してないだろうと いう意味だといってもよい。すでに證據がなく、理由がなく、保論 がない。別の言葉でいえば、それでも人を信じるのは、だまされる 覺悟をするのと同じことである。だまされぬためには、信じない他 鸞はない。信じなければ、人格と人格との接觸はおこらないだろう。 つまるところ人間關係もまた二者撰一の形であらわれる。二者撰一 の根據は、理性的にはありえないから ( 理性的にあり得るのは確率 の計算だけだ ) 、一種の賭である。法然と親鷺との間には、人格の 3 接觸があった。善信坊の信心も、法然の信心も、信心に變りはない、 3 と法然がいったときに、すでに二人の間には無條件の信賴があった と想像される。親鸞にとって、法然のいったことは、法然のいった ことだから、信じるに足りたのだ。流謫の地越後で農家の婦惠信尼 に出會ったときにも、親鸞はおそらく理由なくしてその女を信じた のであろう。それは輕信ではない。あるいは、およそ人に對して、 輕信でない信用というものはないということだといってもよい。だ から阿彌陀を信じる必要があったのだともいえるはずである。 念佛して、淨土へ行くか、地獄へ行くか、知れたものではない、 といった後で、たとえ地獄へ行くとしても、「いづれの行もおよび 難き身なれば」、後悔することはないという。 私はこの「いづれの行もおよび難き身」を文字どおりにうけと る。この期に及んで、むろんそれが謙遜や言葉の綾であるはずがな いだろう。この人物は在家佛敎をひらいた。つまり破戒の上にもな り立っ信仰を獲得するために、生涯の努力をつづけてきたのであ る。念佛往生・信心のことが、人情に超越するというためには、あ らかじめ人情の存在を前提としなければならない。人情は誰にでも あるたろうが、誰にでも平等にあるのではない。人情にひかれるこ と弱く、動かされること淺いから、信心がこれを超越するという場 合に、人は自力作善を誇るだろう。人情を超越するのに阿彌陀の他 力を必要とするのは、人情が強く、激しいからである。親鸞は一度 ならず妻帶した。それは人情のみならず、感覺的世界がそれ自身と しての價値を主張したということであろう。信侶が一人の女と寢れ ば、また別の女と寢ないという理由はない。その間の事情は、親鸞 傳に詳しく録されていないし、今それを詳しく知る由もないが、さ しあたって親鷺がその意味で破戒の「惡人」でなかったという證據 のないことだけは、確認しておいても無駄でないかもしれない。 「惡人正機」とは他人事ではなかった。もし感覺的世界にそれ自身 の充足があり、よろこびの深く生きがいに通じるものがなかったな らば、誰が冗談でなく地獄へおちても後悔しないといったであろう それを親 か。下らぬ善行もあり、みごとで高貴な惡行もある。

7. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

は明治四十一年一月十一二日の朝の志賀直哉自身のスケッチといってとすれば、打ちのめされないわけにはいかない。この苦しみに堪え いいでしよう。祖父の三周忌の法事というので、七十三歳の祖母はること、そこから立ちあがることは容易なことではない。こうい 緊張して、萬事宰領している。靑年は、昨夜おそくまで小説を讀んう、生涯にわたって、苦しみこだわらざるをえない條件を設定し て、そのまわりに、作者半生の愴快と不偸快をことごとくつなぎと でいたので、なかなか起きられない。それが祖母の勘にさわってい める。そうなると、志賀直哉に於ける愉快、不愉快の總決算という ることがわかる。そうなると、意地にも起きてやるものかと思う。 かたちになる。「暗夜行路」がリアリティーのある長編傑作になり そんなことがあってーー結局はちょっとしたことばの上のきっかけ で仲直りができ、すなおに起きて、祖母の夜具なども片づけて、涙えたゆえんです。 ところで、「暗夜行路」ですが、主人公の時任謙作のほかに、い を流す。そこで、この小説は終っています。對立が解消されて、調 ろんな人間が出てきますが、獨立した人間は、謙作ひとりといって 和が成立する。その經過報告が、志賀直哉の文學ということにな る。 いいかと思います。謙作以外に獨立した人間が出てこない。出てこ 「ある朝」の對立などは、わけもなく調和に逹する。だから短編にないわけです。謙作以外の人間は、すべて謙作に偸快を與えるか、 まとまるわけです。 不愉快を與えるか、その面だけしか描かれていないのです。一個の ところが對立の條件が根強く、複雜ということになると、調和な人間が、その全人格をひっさげて、謙作に對抗する、そういう存在 、和解なりに到逹するには、たつぶり時間がかかる。長時間にわとして描かれていない。つまり、一個の獨立した人間として描かれ たって對立がつづく。そこで、「和解」というような中編になるわていない。あれだけの長編でありながら、謙作というわがままきわ まる、強烈な感受性に生きる一人の主人公だけが描かれていて、ほ けです。對立の根が深ければ深いほど長編になる。とにかく、仲間 の回覽雜誌に出した、「ある朝」が、この作家の生涯の文學の性格かに獨立人間は出てこない。小説というものは、 < という人間と、 という人間とが面と向かって立つ。兩者の間に緊張感が生れる。 をはっきり示している。ここに志賀直哉という強烈な個性的表現が あると思うのです。「和解」などは、父との間に、根強い對立とい愛情の場合もあれば、憎惡の場合もある。その人間と人間との關係 を通して、人間存在の眞實を追求し、表現するのが小説というもの うものがあって、たつぶり時間をかけて和解に到達する。だから、 でしよう。對抗する人間が出てこなくては、結局は主人公だけの心 かなり大きな作品になるわけです。 「暗夜行路」の場合はどうか ? 結婚問題は、「和解」で書き、「大境小説めいたものにならざるをえない。心境小説も、無論結構です が、それは小説の一番のおもしろさを捨てた特殊な小説といってい 津順吉」で書いてしまった。すれば、「暗夜行路」が長編になるた いかと思います。 めには、根の深い對立の條件がなくてはならないことになる。そこ こういう性格が擴大された作品ということになると、戰後の「蝕 直で、フィクショナルに、時任謙作の出生の祕密ーー父親が外國へ行 まれた友情」でしよう。モデルは有島生馬です。讀めばだれにでも っている留守中、母親と祖父とのあやまちから生れたという、ショ 志 ッキングな條件を設定して、深く根をおろしたわけです。結婚問題わかります。有島生馬という人は、白樺の古い同人の一人で、志賀 なら自分が責任を負えるわけですが、出生は本人が責任を負うわけ直哉にとっては武者小路とともに一番古くからの友人です。ところ が、ある時期に絶交した。絶交してから四十年目に、この「蝕まれ にはいかない。こういう自分の出生の祕密が、ある時期にわかった

8. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

262 ( 憲法發布 ) 』という詩 ( 『暗愚小傳』中の ) を思い出してもらいたい。 には二十世紀の前半、なおまだ天皇を祚とし、そのために人間的な 誰かの背なかにおぶさってゐた。 一切のものを反射運動的に犧牲にした自分をみずから愚者と見る息 上野の山は人で埋まり、 子のような可能性さえ生じようがなかったろうと考えられる。この そのあたまの上から私は見た。 非政治性、非瓧會性こそ職人を職人たらしめた一つの必須條件であ 人拂をしたまんなかの雪道に って、そこでは人間的欲求というものは、動物も持っているそれら 騎兵が二列に進んで來るのを。 と、身分瓧會に必至のそれらの他は全く目ざめようがなかったのだ と言えもしよう。しかしそれが見樣によっては思いきりのいい、一 私は下におろされた。 圖な男らしさとも見えて來るのはたしかであって、さればこそ、露 みんな土下座をするのである。 件の明治二十年代の諸作、伊藤整が「藝による救ひの思想の具體 騎馬巡査の馬の蹄が、 化」と呼んだ『一口劍』や『五重塔』のごとき諸作が生れ、それを あたまの前で雪を蹴った。 範とし、それに落想した幾多のこけの一心謳歌の職人小説が作られ もしたのである。 箱馬車がいくつか通り、 少しおいて、 それはさておき、中斷された光雲の回想だが、それはこうつづい 錦の御旗を立てた騎兵が見え、 ている。「間もなく歸って參った家内のはなしに、『上野の方は大層 そのあとの馬車に な人出でいろ / 、な催しがありましたが、その中に、何時か家へお 人の姿が一一人見えた。 出でになった竹内さんが行列の中に這人ってお出でした。その行列 私のあたまはその時、 は朝鮮人か支那人かといふやうな風をして頭に冠をかぶり金襴の旗 誰かの手につよく押へつけられた。 を立て、大勢が練って行きましたが、此の行列が一番變ってゐまし 雪にぬれた砂利のにほひがした。 た。』といふこと。私はその話を聞いて、あの竹内さんは數寄者で 眼がつぶれるぞ 變ったことが好きだから、町内の催しで、變った風をして行列の中 この子の感じ方、半世紀の餘をへて老人となり、夢さめたよう に交ったのであらう。元祿風俗を研究したりしてゐなすったから、 に、ここ五、六年にわたる戦時中の罪深い醜い自分の心と言葉に象屹度其時代の故實を引張り出して面白い打扮をやったのであらう、 徴される祖國の非人間的な歪んだ姿を反省しているかれのうちに甦などと私は話したことでありました。」 えった、滿六歳の年のこの光景、こういう風に甦ったその光景は、 あにはからんやそれは美術學校の敎師生徒の行列で、異裝と見え 父親がこの記念すべき日から持って來ている記憶とは、冬と夏ほど たのは學校の制服。光雲はやがてこの竹内さんを使者として岡倉天 ではないまでも冬と春ほどにちがっている。いわゆる明治の人間が 心からそこの敎師となることを懇望されるのだが、「自分の拜命す 一つの典型的日本人だとすれば、光太郎はまさにそのひとりである る學校を知らなかった。」 , ー、ー美術學校とはどういうもの . か、そう が、光雲はちがった。かれは天皇制というものに對してもっとゆというものができつつあるのかどうか、それすら知らなかったのであ りのある氣持でいた。しかしそのゆとりは鈍感さでもあって、そこ

9. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

の心に關することなら、なに一つ知らないことはないようなふりをであり、およそ女とはこういうものだ、と多寡をくくっているから 6 するが、 しかし、假にかれらの人間學が相當のものであるにせ ではなく、反對に、観念のヴェールを透さず、直接自然に對決し、 よ、はたしてそれが、かれらの自負に値いするであろうか。かれら理論によって割り切れないもの、類によって溶解されない個、それ 自身において獨自なもの、 つまるところ、物自體を、冷靜に受 は、人間に拘泥すればするほど、人間以外のものにたいしては、ま すます無關心になっているのではないか。そうして、おのれの知性けいれる心の用意ができあがっているからであり、したがって、か では、どうしても處理しかねるようなものに出會うと、たちまちかれは、人間にたいして、それほど慇懃ではないかもしれないが、 れらは、そのものに、非人間的というレッテルをはって顔をそむけ しかし、自然にたいしては、この上もなく謙虚なのだ。 幾何學的・無機的なものを、そっくり、そのまま、受けいれる態 るか、さもなければ、そのものを、強いて人間化しようと試みるで はないか。 勢が、こちらにできていさえすれば、生命的・有機的なものと出會 ったくらいで、まごまごするはずがない。鑛物のほうが、女性の肉 贋もののドン・ファンたちは、無機物界にも、岩石にも、鑛物に も、不思議なほど、興味をもたない。たまたま、視線を、人間から體なぞよりも、はるかに印物的にはとらえがたい存在だ。石に十歩 と中國の昔の畫家もいっている 自然へ轉ずるようなことがおこると、今度は、自然のなかに、人間の眞なく、山に十里の遠あり、 的なものを、 人間に親しみやすいものを、きよろきよろと探しではないか。つまり、石は十歩へだたると、そのほんとうの形がみ 求める。かれらは、かれらと自然とを媒介する、牧だとか、ニンわけがたくなり、山は十里へだたって、はじめてその全貌がみえて フだとかをつくり出す。そうして、できるだけ、事物との直接の對 くる。したがって、岩石を描くには、よほど注意しなければならな い、といましめているわけだが、 しかし、われわれの主人公の 決を避けて通ろうとする。したがって、わたしは、かれらの人間に 關する知識についても、かなり疑惑をいだいている。なぜというのように、つねに鑛物にたいして異常な執着をもっている人物は、や に、人間もまた、自然の一部であり、物質としての一面をもってい がてかれ自身、鑛物とえらぶところのない存在となり、石の形はお ることは、誰にも否定できない事實であるからだ。わたしは、日ご ろか、石の氣持まで、やすやすと、とらえ得るようになるものらし ろ、女性に關する廣汎な知識をひけらかし、押しも押されもしない い。現に石像は、かれに晩餐に誘われると、さっそく、その招待に ドン・ファン面をしている人びとが、しばしば、はじめて會う「う應じ、かれの家へ、のこのこあるいてきたではないか。そうして、 その返禮に、かれを、自分の晩餐に招待したではないか。要する つくしい女性」の前で、しどろもどろになったりするのは、荒々し い自然のなかに投げ出されたばあい、かれらの感ずるであろう混亂に、石像は、ドン・ファンを、完全に、自分の仲間として、取り扱 っているではないか。 と、同一の根據からきていると思う。かれらは、そのような内心の 二と二を加えれば四となり、四と四と加えれば八となるというこ 動搖や無秩序を、戀愛の第一歩だと誤解しているらしいが、むろ とだけを信じながら、長いあいだ、鑛物と取り組み、しかもなお、 ん、それは單純な性的反射蓮動にすぎなかった。 ポードレールの描いたような、傍若無人なわれわれのドン・ファ どうしても相手の心をとらえかねていたドン・ファンが、はじめて ンが、この種の可憐な盟ものたちと異なり、いかなる女性に出會っ石像から晩餐に招かれたときのよろこびは、いかばかりであったで ても、悠々として眉一つうごかさないのは、必ずしもかれが人間通あろう。うなすいたり、しゃべったり、一緖にあるきまわったり、

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的諸關係への移行、飜譯にすぎない以上、そこで特異な人間の經驗人が、複數でありえないのは勿論、非人格でありえないのもたしか として示された時間は相變らず描かれることができないで、かえっ である。 て羅列された観念や視像の背景を流れすぎる非在であることを強く 物にしても人にしても、これをあるがままに描こうとする人間の 感じさせる。 精神は分裂する、ないし、その能力の一部が誇張されて、かれの全 もしそういう印象を避けようとし、時間そのものの感じを表現し體を覆ってしまう。たとえばある彫像の周圍をめぐり歩きながら観 ようとすれば、われわれは、物語りがただ一人の人間の回想である察する人間が、ほとんど全身眼となるのと同じだ。彫刻はそうして という假定をかりにも踏みはずさぬようにして、推移して行く事態鑑賞することをひとに要求するが、そうして得られる視像は人間の を、仔細に、しかしあらわな理性の力をかりた分析や解明に手をつ持ちものではあるまい。幸いなことにわれわれはそうしてえられる けることによって他の自分となることなく、物語るに越したことは多角的な視像ではなく、ある一定の角度からの視像のみを心象とし ないであろう。そのとき、現實的に必要だった時間ではないまでもて所有するのである。ある彫刻についてどの角度から見るのがもっ 「時というもの」の感じが定著されるのぞみはある。なぜなら回想とも美しいという人にしてもそのときその角度から見られた視像と その他のより美しくない他の視像を同時に思い浮べているわけでは とて元來發見と創造であり、つねに新しく現在の時間を生きている のであるが、それを形造る表象がそれ自身のなかからしか生れて來なかろう。そのように一人の人間の提出する問題を、他の全世界か ないという點で、時間を實體化させずに時間を純粹に生きることが ら獨立するもはやこれ以上の還元不能の、新しい局面を示すことな できるからである。 き間題として考察する人間は、純粹理性と化する。そしてその他の 彼、そういう能力のす・ヘてをうちに包む全體としての彼であること アランは・ハルザックの『谷間のゆり』について、こう言っていをやめる。しかも物語らねばならないとしたら、ーー變化こそ物語 る。「ゆりの谷間のことをも考えてみるがいい。それはいつまでた りの背骨であるのだからーー彼は時とともに別の様相を呈する素材 っても同じ谷だ。しかし眼差しが老いたのだ。かようにして、われとともに、次に別の彼とならねばならず、そういう風に次次に變 われは、ほんとうの小説の中では、ある旅にのぼる。がその族は時貌する彼の物語りの中で、對象はかずかずの斷面の合成物たるにす の中の旅である。動きはここでは偶發事であり、附屬品であるにすぎない。しかも一時點の彼には見られなかったものを、見得たもの ぎない。特にあるがままに物を描いた繪ほどなじみのないものはな とともに描くことによって、彼は立體が立體であるゆえんをも取り い。物のあるがままの姿ではなく、見出されたままの姿で、しかも失う。 つねに一目見たときの外見から。」 ハルザックが自分の立場を、念の小説家と、心象の小説家を折 社 こういう風に解された外見は、つづいてア一フンも書いているよう衷する立場と主張したとき、彼は、流派や職能や時代的傾向によっ に、一人の人間だけが見るものである。「顔や性格についても同じて分化ないし抽象化せられていない人間の能力を手段として、自分 ことだ。まず最初にそれらの若さにおいて。けれども彼等の本來のは人間の生活を物語ろうと宣言したのにひとしい。實際人間はあま りに科學者だったり藝術家だったり政治家だったり金融家だった 若さではなく、人がそれについて抱く最初の觀念の若さにおいて。 4 2 り、その他商人、技術者、官吏、百姓でありすぎる。又思索の人だ でその觀念はとどまっていることをえない。」傍點をつけて示した