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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

化」というもの、一つ一つの専門家がそれぞれの殼に閉じこもっ でも「一つの」ものというのと、「若干」のものというのと、「すべ 6 芻て、そのなかではたい ( んよく意思が疎通しているけれども、別の ての」ものというのでは、たいへん大きなちがいですね。そのちが グループの人と話しを通じることはたいへんむずかしいという妝況いをいいあらわすのに、日本語ではむずかしい、複數がないため と見合うでしよう。丸山眞男さんは、「たこつぼ文化」の構造を、 に。ですから新聞でも、飛行機が國境を越えたという、越境事件の 日本瓧會の分析の一つの軸としています。もしそれが正しいとすれような場合に、その飛行機が單數でも、複數でもかまわぬというわ ば、そのことはたいへんよく日本語の現妝に反映している。 けにゆきませんから、カッコして複數と書いてある。「國籍不明の いま、わたくしの申しあげた現代日本語の特徴は、早く變わって飛行機 ( 複數 ) がどこそこの國境を越えて進入したーと、こういう いくことと、グループ内意思疎通が容易で、グループ相互の意思疎ふうに新聞に出てくるわけですね。そのことは、いかに複數の表現 通がたいへんむずかしいということです。それが、瓧會と言葉の密 の手段のないということが、日常生活に大きな不便を提出するかと いうことをあらわしていると思います。しかしそれもだいたいは、 接にからんでいる點です。 なんとか克服できる場合が多い。 もう一つ、現代日本語に關して大切なことは、變化の面ではなく て、日本語がいつでも持っていた特徴と關係している問題です。そ れには二つあって、一つは文法の間題です。これは簡單に克服する しかしもっと實際に印してみて、いま書かれている日本語の場合 ことはできない、文法を變えることはできない。しかし實際問題と に、文學のことは別にして、大きな問題は、言葉の定義でしよう。 しては、それほど大きな障害をわれわれに提供しているとはいわた大切な言葉にみずから定義をあたえないで、その言葉を議論のなか くしには思えません。 に使うということがたいへん多い。そこで讀者の側からみれば、ど ういう手つづきをとることができるでしようか。まず文法的にみ 日本語の文法、文章法について、世間でよくいわれていること は、いわゆる主語をはっきり言わない習慣です。しかし主語を言うて、問題の言葉には、三つの意味が可能であるとしましよう。その 必要があれば言ってもいい。たいていの日本人が主語を言わないの意味を、、、 O とします。、、 O という意味のどの一つ を、その言葉にあてはめてみても、その言葉をふくんでいる文章が は、言わなくてもわかるから言わないのです。私はそれは大きな問 題ではないと思います。大きな間題は、わたくしの考えでは、句と意味をなす。という場合に、どの意味が著者の考えたものであるか という問題。もしをあてはめてみて、そうすれば論理的にいって う點です。句とう點の規則は現代日本語では決ってない。句とう點 その文章が意味をなして、、 O をあてはめた場合には、文法的に の規則が決ってないということは、文章の一部分が他の部分とどう いう關係にあるか、ことにある一部分の影響が文章のほかの部分にはあてはめることはできるけれども、論理上意味をなさないという ときには、その定義されていない言葉の意味は、、、 O のなか およぶときに、どこまでおよぶのかという範圍が容易に決められな のであるということはいえるでしよう。しかしそうでなくて、 いということです。そのために實に大きな障害を起こしています。 、、どちらをとっても論理上文章が意味をなして、 O をとると ことにいいあらわそうとする考えが複雜な場合、たとえば哲學のよ きにだけ、意味をなさないという場合には、 < であるか、である うな場合には、その障害はほとんど無限に大きくなってくる。 か定義がないとわからない。そのときには前後の關係から、であ 文法に關する第二の問題は、單數・複數ということです。論理學

2. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

はその代わりに、《 people 》という英語に別の譯語が使われるよう で使われた言葉が、五年ぐらいたっと悪い意味に變わってくるとい になったかというと、そうではない。「人民」という代わりに「大 うようなこともおこります。 例を申しあげると、たとえば夏目漱石時代に勸工場という言葉が衆」ということはできません。「大衆」という言葉は、元はだい たい英語でいうと、《 mass 》という言葉になるでしよう。これは あった。これはだいたいいまの百貨店、あるいは市場に該當する。 それから最近は「デ。ハ 1 ト」という言葉もある。そのあとに、「ス 《 people 》とちょっと意味が違う。それから「國民ーという言葉は ー。ハーマーケット」、これはアメリカからはいってきた。いま申し《 nation 》という言葉ですが、これまた大いに意味が違う。要する あげたような勸工場、百貨店、市場、「デ。ハート」、それから「スー に「人民」という言葉を使うのをやめたということは、「人民」と 。ハーマーケット」。これはだいたい似たような、いくらかちがうに いう言葉でしか表現できない概念を捨てたということになるわけで しても、どうせにたりよったりのものだが、そのものをよぶ言葉はす。これはかなり重大でしよう。「人民」という言葉の意味がだん だんに變わってきたということは、そういう概念そのものを使う習 そういうふうに變遷する。そうして最初の勸工場という言葉は今で 慣が消えていったということにつながります。その經過が速い、變 は完全に忘れられています。 いま申しあげたのは、だいたい同じようなものを、時がたっと別わり方が速いということは、わが國の文化の全體にかかわることで の言葉が現わす例なのですけれども、こんどは、一つ言葉の意味あり、政治哲學の推移の速さを現わしているわけです。 が、だんだん變わってくる例を申し上げましよう。 そういうことには、いい面と惡い面がある。いい面は、言葉が時 そのいい例は、「人民」という言葉です。人民という言葉を最初 に使ったのは、すくなくとも大事な概念としてさかんに用いたの代と共に少しずつ變わっていくために、そしてまた目的、使う人に よって同じ外國語にちがう飜譯語を用いるために、微妙な味わいを は、多分輻澤諭吉だったろうと思います。輻澤が「人民」という言 葉をさかんに使っていたのは、明治維新直後です。だいたい一八七そこに現わすことができるということでしよう。打てばひびくよう 〇年代、そのときに輻澤は、「人民」という言葉を英語から飜譯しに、ある仲間同志で、たとえば、法學部の學生なら法學部の學生、 て、英語の《 people 》を譯して「人民」という言葉にした。その後魚屋さんなら魚屋さん同士の仲間では、實に微妙なことが、そうい この言葉は長く生きのびましたけれども、第二次大戦後になってか う早く變わる言葉でよく現わせる。これを一般化していいますと、 ら、米國の影響で、「人民」という言葉はもういっぺん民主主義、 ある一つのグループ内部の意思傅達、意思疎通のためには、有利だ たとえば民主主義を定義するために使われるようになった。人民のということになるでしよう。 しかし物事には盾の兩面がある。現代日本語のこのような特徴 ための人民の政府とかなんとか : : : そのときの「人民」です。これ 語 は、同時に、いくつかのグループ相互のあいだの意思傅達には、非 はもちろんふたたび《 people 》の飜譯です。ところがそのうちに、 常に不便なものです。仲間同志で打てばひびくような言葉が、仲間 おもに左翼の言論のなかで、「人民大衆」という言葉、米よこせ 現 運動 : : : そういうことで、それをしばらく使っているうちに、「人以外の人には通じない。しかしその言葉が早く變わってゆくのです から、どこにほんとうの意味があるのか、はっきりつかまえること 民」という言葉が左翼的なにおいをおびてきた。いまでは「人民」 3 ができない。こういうことは丸山眞男さんが言った「たこつぼ文 という言葉を、たいていの人は使わないようになってきた。それで

3. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

364 の話になる。 とのちがいでしよう。 なぜですか。 し」い、つル」 ? ・ どちらも世界を敍述するものではない。 他動詞は目的語を要求する、自動詞は要求しない。「萬葉集」 そう、それならば「火」という言葉はどうでしよう、これは では、「思ふ」・「戀ふ」という動詞が純粹の他動詞で、はっきりし 實際のものを意味しますね。 た特定の目的語をもっています、特定の人を「思ふ」ので、「もの されば「火」という言葉がわれわれに意味するところは、天 思ふ」ということは決してない、この言葉がしきりにあらわれるの 竺の人々に意味するところとちがう。天竺は暑い國で、肌ぬぎをし は、「古今集」からです。この場合の「もの」は文法上の目的語で しようが、動詞からはなれては獨立の意味がない。いわば動詞にゆて暮らしている : 言葉の主觀的な味というか、いわば私的なうけとり方が一方 着して、本來の他動詞を自動詞化しているのです。「もの思ふ」が そのまま一箇の自動詞のように機能して、もはや特定の對象を必要にあり、他方同じ言葉のいわば公的な約東としてまた別の側面があ りますね。この方が客観的な意味をあたえる。たとえば「火」につ としない。これは戀の他動詞的世界から自動詞的世界への移りゆき いて、あなたの指摘した印度と日本でのうけとり方のちがいは、私 といえる。 的な側面に係っている と同時に、「寢る」とか「たまく」とかいう言葉も、「古今 とはいいきれない。そもそも言葉の意味の私的な面と公的な 集」の世界からは追い出されるようになったわけですね : 「出定後語」のなかに「言に三物有り」といい、「世」をあ面とを區別することがむずかしい。殊に抽象的な言葉については、 いや、たとえば「理」という言葉、これこそ「人」により、「世」 げておいたのは、その意味です。 により、あまりちがうので「類」を以て整理しなければ手がつけら のこりの二物は、「類」と「人」でしたね。 れない。あなたは「理」という言葉で何を理解しますか。實體であ ーー世界は言葉です。 るのか、原理であるのか。もしそれが原理であり法則であるとすれ ば、それはいわゆる存在の法則なのか、當爲の法則なのか。どれも 禪道流にいえば。しかし「出定後語」ではっきりさせたいと これも少しずつ意味しているというのは、言葉の綾にすぎない。そ 思ったことは、言葉の構造と世界の構造とが相互に他を反映する、 ということでした。言靈という言葉のなかには、「構造」の考えがれでは自己撞着でしよう。ところがいわゆる宋學の中心にあるの が、これですよ。またたとえば、「心」という言葉、「心を先にする ありません。「人」により、「世」により、言葉がちがうということ か詞を先にするか」などという、その「心」の意味がはっきりして は、「人」により、「世」により、世界がちがう : いなければ、問いそのものに意味がない。しかし「心」とは一體何 いや、一寸待って下さい、二に二を加えると四になる、とい 、、「情」か。とにかく一つの言葉でさえ ですか。「意」か、「氣」カ うことも、「人」により、「世」により、ちがいますか。同じ内容 そういう始末で、しかも、一つの言葉は文章のなかで意味をもって を、大和言葉でいっても、漢・天竺のことばでいっても、同じこと くるものだ。文章の構造がちがえば、同じ言葉の意味もちがってく ではないですか。 る。漢の文と和朝の文とは構造がちがう、梵字の文はなおさらでし もちろん、しかしそれは算術です。算術と因明のことは、別

4. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

これぞ汝等の罪。ーーーダンテが、キリスト者として、またモ一フリス 努力が、そういう素朴な現實のもっ道德的意味の發見に、擧げてさ きげられていたことは、いま、ここで、あらためてことわるまでも トとして、『地獄』のなかで描きだした多種多様な罪の圖は、たぶ あるまい。物を物としてみす、物の意味をみるということーーそれん、右のポスターよりも、はるかに精彩に富み、いっそう、辛辣で あったかもしれないが , ーーしかし、たとえ、かれが、そのなかで、 は、プフトンにはじまる精劔革命の潮流のなかに生き、文字通り その革命の完成者であったダンテの眼の性格を物語るものにほかな折々、訷聖な復讐を間題にしているとはいえ、正直なところ、その らないがーーー、しかし、革命の完成者は、同時にまた、やがて間もな イ品からわたしの受ける感じは、訷の復讐ではなく、自由意志の適 くはじまるであろう第二の精革命ーー物の意味をみず、物を物と用をあやまり、すすんで地獄にむかって墮ちていくわれわれ人間の してみるということの先驅者でもあったのであり、かれの眼は、知愚かさと、それにたいする作者の無限の憐憫であった。したがっ らず知らずのうちに、かれの周圍の現實を、あるがままに眺めまわて、かれは、ヤス・ハースのいわゆる有罪性の四形態 ( 法的、政治 していなかったとはいえないのだ。 的、道德的、形而上學的 ) のうち、主として後の二つ、道徳的乃至 ャスパースの「我等に罪ありや』 ( 『ヨーロツ・ハ』 8 ) についての感形而上學的有罪性に注目し、一見、われわれのあいだで、無罪とし 想を求められ、わたしの心に浮んできたものは、有罪か、無罪か て通用しているような人びとをも上にのせ、死者・生者の區別な 白か、黒か、よほどするどい眼の持主でないかぎり、容易に裁 く、かれらの罪と罰とを、々にあきらかにしていったのだ。「神 斷をくだすことのできない、ほとんど排中律というものの適用不可の正義」という言葉が、あまりにも浮世ばなれしているように思わ 能な、白でもなければ、黒でもない いや、白であると同時に黒れるなら、それを「歴史的必然」という言葉で置換え、「自由意志」 でもある、あの無限に複雜な陰影をもつ、灰いろの世界の奇怪な風という一一一口葉が、あまりにも時代おくれのような氣がするなら、それ 景ーーーわれわれの周圍の姿であった。戦爭中、戦爭を支持したわけを「主體性」という言葉でいいなおしてみるがいい。『地獄』は、 ではないが、さればといって、戦爭に反對したとも稱しがたい いまもなお、いささかも古びてはおらず、依然として、われわれに 協力したと斷定されると、いかにも協力したようでもあり、抵抗しむかって、これぞ汝等の罪ーーーとはげしく呼びかけているのであ たと擁護されると、なんだが抵抗したようでもある、われながら愛る。「戦犯」と指定されたというので狼狽したり、ふたたびそれを 想のつきるような曖昧朦朧とした氣持で、すさまじい戦火のなか取消されたというので威猛高になったりする文學者があるが、なん を、ただ無我夢中でくぐりぬけてきたドイツの人民が、ヤス。ハース という淺薄な心の持主であろう。いやしくも文學者である以上、お 「こ のいうように、戰後、村々、街々に貼り出されたポスター のれの罪と罰との微妙な關係にするどい視線をそそぎ、假借すると れぞ汝等の罪」という説明のついている無署名のポスターを前にし ころなく自己批判を試みるのが、當然ではなかろうか。假に積極的 て、はげしい衝撃をうけたことは想像するにかたくない。 に戦爭を支持していなかったにせよ、あるいはまた、ひそかに戦爭 かれらは、突然、自分たちが、地獄のなかに投げこまれているこ にたいして消極的抵抗をつづけていたにせよ、とにかく、ほとんど とに気づき、審判者ミノースが、咆哮しながら、かれらの陷るべきわれわれ大部分のものの位置は、すべて、白と黒とのあいだにあ 地獄の環を、かれの尾を身に卷く回數によって示すのを、まざまざる、灰いろの無限の系列のどこかにみいだされる。おそらくダンテ とみたように思ったのだ。 なら、今日のドイツや日本の一般の人民を、かれのいわゆる「心お

5. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

制度の拘束をある程度はぐらかしえたのであって、そこに反世間的したのだ、と言ってもいいだろう。 しかし職人はなくなったわけではない。手堅い、自分の材料と技 な名人氣質というものを鍛え上げる餘地もあったのだが、同時に、 富裕な階級や政治的支配階級の愛顧がかれらには必要不可缺であっ術をよく心得た職人の仕事に對する敬意と愛著もわれわれのうちか ら消えたわけではない。それに答えてくれる作物の乏しいのを、む た。こういう情況がかれらに共通の本態を作った根本的なものでは なかろうか。反抗者であるとともに隷屬者。民衆から見れば英雄でしろ殘念に思う位である。 露件の娘文の成功は、そのために隨分きいた風ないやみなところ あり、支配者の側からみれば扈從の者。 六平太というのは、ポルトガル語で巾着という意味の言葉の訛つも出ているのだが、才はじけて強っ氣なかの女の職人性というもの たものだそうだと現六平太は語っている。太閤がお氣に入りの喜太を除外しては納得のいかぬことである。里見弴や久保田万太郎の後 流初代長能に、腰巾蒲という意味でこの名を與えたというのであ繼者を、かの女において日本文學界は持ったといえよう。 る。 ( 『六平太藝談』 ) * 演劇の部門で、光雲光太郎父子の場合と同じような轉換點を示す 六平太を人と言っていいかどうか、そこに問題はあるが、僕はのは、恐らく、それぞれ松居松葉、小山内薰と提携して、程度の差 はともあれ、舊派の俳優として演劇の革新をはかった左團次父子の 藝人という言葉をも高い意味に解してこの文章を草したのである。 ちょうど職人と言いつつ、エ人のうちでも自由技術に從事するもの場合ではなかろうか。多少調・ヘえたこともあるが既に紙面は盡きた し、他に語るに人はあろうと思って、今は述べない。 のみを念頭におき、たとえば光雲が「職人的」と見た牙彫師などは 註 * 僕の調べたところでは ropa の指小詞でチャンチャンコぐらいの これを問題外としたように。 意だろうと思われる。 藝、職人のうちの今見た反抗者の側面、つまり口ツ。ヘータでない ( 昭和三十二年八月 ) 面、民衆の英雄としての側面、衆愚に對して否定的であるまでに民 衆の中で卓越しようとする意志、それだけを職人からとり出すと き、そこに胚孕するのが、藝術家意識である、と言っていいのでは なかろうか。そしてさきに見た「鴻の集」の光太郎等はその集團的 代表だったと。 日本の近代的藝術意識が、そういうところに出發點を持っていれ ばこそ、「藝」というものを徹底的に否認したかの如き、反俗的な 人私小説家、葛西善藏などが自分を藝術家としか呼ばないようにもな るのである。 家 わが國の藝律 可家は反就會、あるいは社會外的立場に身を置いて初 めて藝術家になりえたのである。職人や藝人の持たず、藝術家の持 つべき瓧會性というもの、少くも對瓧會關係というものを、そうい 2 う形で持ってはじめて、わが國の藝術家は職人から藝術家へと進化

6. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

日本の安全保障の間題にかぎら 少である。その意味で「冷戦」のつづくかぎり、中立主義の現實性たり日本以外に考えられない、 8 に變りはないといわなければならない。そしてその政策を實現するず、殊に南北問題との關連において、まさに世界的な意味をもち得 るのである。 ことができるという意味での現實性は、「冷戦」の緊張の低下と共 に增し、從ってまた二つの陣營の内部での多元化の現象と共に增 第二に、南北對立には、民族主義の社會革新的傾向と、先進工業 し、また殊に日本國内の政治・經濟的安定と共に增して今日に及ん國の現状維持的傾向との對立が含まれている。民族主義の革命的傾 でいるのである。 向を鼓舞する國は、相互に、充分な經濟的技術的援助をあたえるこ とができず、充分な經濟的技術的援助をあたえ得る國は、民族主義 的革命運動を彈壓し、腐敗した舊體制を維持する傾向が著しい。そ のいずれの場合にも、問題の地域の安定に能率のよい效果を期待す 今日までわれわれの意味する中立主義は、「冷戦」の東西陣營に 對する中立の立場であった。しかし東西の對立關係と同じ程度の重ることはできない。今もし革命的な民族主義を鼓舞し瓧會構造の變 みをもって、低開發國と工業國、舊植民地の民族主義と帝國主義、 革を進めながら、同時に經濟的技術的な援助を提供できる國があら いわゆる南北の對立が、世界を一一分する傾向の著しい今日の世界のわれるとすれば、その意味での南北間中立主義は、低開發國民族主 なかでも、その「中立」の概念は、有益な分析の道具であろうか。 義の含む複雜な問題の大きな部分に答えることができるだろうと思 私はおそらくそうだろうと思う。その理由は二重である。 われる。 第一に、「冷戦」は次第に複和の傾向を示してはきたけれども、 しかし「中立」概念と南北間題との關係は、日本の中立主義二〇 消えてなくなるまでにはまだはるかに遠い、今でも大きないくさの年の歴史にとって、將來の課題である。ここでその詳細にたち入る 危險は、そこにからんでいる。というよりも、局地紛爭の擴大の可ことはできない。現在の日本政府は、いかなる意味でも、中立主義 能性は、ほとんどすべて、低開發地域の政治的不安定に、「戦」 的ではない。從って中立主義の理論的な洗練は、いかなる意味で の對立が重なるところに生じてきたし、今でも生じている、といわも、わが國を中心にして考えるかぎり、困難な仕事なのである。 ( 昭和三十八年八月「世界」 ) なければならない。一方不安定な低開發地域は、先進工業國との密 接な關係を必要としている。從って經濟的・技術的援助の提供者と しても、また紛爭の場合にその調停者としても、低開發國に介人す る工業國が、中立主義的立場にあればあるほど世界の平和に好都合 であり、「諭戦」においてその旗じるしが明かであればあるほど、 不都合だといえる。その意味で中立主義的な日本の演じ得る役割 は、ほとんど無限に大きいだろうと思われる。もしその中立主義的 日本が、非武裝の原則を貫いているとすれば、アジア各國に根の深 い日本帝國主義の記憶も、大きな障害にはならないだろう。非武裝 それはさしあ 中立の大きな工業國があらわれるということは、

7. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

ている。「本質から。ハリのことである」浮かれ女と金融家とみやびた彼の正體を看破するためにそこに呼び寄せられている。カミ = ゾ 男と間諜と脱獄囚、殺人犯と裁判官との、それぞれの愛欲、利害、 は更に、コランがヴォートランと僞稱して下宿屋ヴォーケルに止宿 願望、意欲、狡智、掛け引き・ーー・ここに期爭はないーーが織りなすしていた頃の同宿人に對しても證人として召喚妝を發し終った。 きらびやかで卑小な、壯麗でしかも内輪な、けばけばしく飾られて 「ちょうどその時、ジャク・コランは半時間ばかり前からの深い熟 いながら多くの點で眞實な、敍事詩的な壯麗への狙いが牢獄の眞實慮をなし終っていた。そうして彼はすっかり武裝をととのえていた。 によってたえずはばまれるといった風の、この織り物の向うにテオ彼が脂じみた例の紙の上に記した數行の文句ほど、法に對して反逆 ドーズの旅立ちを忘れてしまっている。少くもテオドーズが活躍すをおこした人民の相貌をはっきり描き出しているものはあるまい。」 るための絲口を見失ってしまっている。しかし忘却はいつだって・ハ 例の紙とは何か。 それをわれわれは、日本の原稿用紙の數え ルザックにとっては喪失ではない。新しい育成の仲立ちなのだ。忘方に換算して四十枚ばかり前に知っている。それはかつらの裏打ち 却の間に更新される育成の力が彼にとっては重要であり、その意味みたいな形であらかじめ祕密な通信の用紙として、用意せられてい を考えることで、彼は一種の自然哲學者になったのをわれわれは た薄紙である。コランが用心深くそれをはがし便箋を作ったことを 「セザル・ビロトー」の中で見ることができる。 知ったわれわれは、それから、豫審判事一般の性質について、特に しかし今僕にとって間題なのは、自然哲學者としての彼ではなカミ = ゾの立場について、彼の妻のこましやくれた野心的な性格に い。想像のすべてがそれ自體社會的だったと言えるほど、瓧會が頭ついて、特に彼等の家庭生活の趣きについて、又、警察のプラック の中で生きている彼である。テオフィ 1 ル・ゴーティエとシャル リストの存在、その様式について、 しかも何たる様式か、警察 ル・ポードレールは同時代人あるいはほぼ同時代人として、・ハル の書類を引用して彼は自分の物語りを確證しようというのだーーー・又 ザックがヴォワイヤンであることを察したが、このヴォワイヤンは こういう形式をあえてとることに存する意義について、さらに豫審 直接を見るかわりに、まず就會を見た。その瓧會が彼にあっては判事附き書記の性格について、充分に知らされる。こうしてわれわ やがて見るような形で的だったのである。 れは脱獄囚のたくらみを結品軸として、司法組織、司法官の私的立 場、女のカ、人間の弱點、意力と烱眼の效力が一方から凝縮して來 さて右にあげた例が、・ハルザックの腦裡における就會の發生妝態るのをみとめるのだが、又他方から、ジャクリーヌ・コフンーーーあの を示す「ちょうどその時」の用法であるとすれば、次のような用例アジアと呼ばれる醜怪な、反瓧會的な智慧としての役割を負わされ は、社會を組織するため、すでに發生している瓧會内部の相關關係た老婆が、その軸に向って、犯罪勢力を結集させている光景をみと を一層緊密にし、劇的にするために、彼が用いる用法だと言えるで める。アジアがジャク・コランの意を體して、彼女らしくもなく寡 あろう。 婦資産でもありげな貴族夫人然としたなりで、彼女にははいれるは ラ・フォルスの拘置所から、セース縣裁判所附屬監獄にジャク・コずのない場所に現われた次第は、そうして判明するのだが、さらに ランは移送せられて來ている。豫審判事力、、こゾが彼を取調・ヘ室に彼女はそこに居あわす若い辯護士や、きわめて疑り深いはずの守衞 呼び出す用意はととのった。コランの仇敵、とは言っても同じ素姓や憲兵までも瞞しおおせて、ジャク・コランに會うための好機をね のビビⅡリュ。ハンも、トレドの司祭、エスパニヤ國王の密使に變裝し らう。すると、果して脱獄犯がその彼女の前に護衞つきで現われ

8. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

プ 08 形成の働く場所、そこは「一億總蔵悔」が素直に入りこむ場所であ 、つねに回想に泣きぬれる場所である。ヴィ , ト「 , プ蒐録の島崎 ~ 滕村 「戦歿學生の手紙ーなどが生れる餘地のない場所、自分を死に追い やったものへの愛情をこめた辭世の句の生れる場所、宣戦の「感 激」も降服の「感激」も同一同質であり得る場所、何ともあわれで ならぬ場所である。 日本に獨自なものがありとすれば、それは風呂桶と俳諧であろう という意味のことをいったのは、チャンバレンだったかと思うが、 モデル間題 この俳諧なり短歌の性格と運命とを、世界的規模と展望のなかに、 躍動しつつある今日の現實のなかに、今こそ布靜に把握すべき時で 木村毅の『文藝東西南北』によれば、現在文學上の用語として通 はなかろうか。そして、今こそ我々は短歌への去り難い愛着を決然用しているモデルという語は、繪晝上の用語の轉化した一種の和製 として斷ち切る時ではなかろうか。これは單に短歌や文學の問題に 英語であって、外國では日本のような意味で使用されてはいないそ 止るものではない。民族の知性變革の問題である。 うである。外國で小説のモデルといえば、作家の模範となるべき名 ( 昭和二十一年五月 ) 作の意味で、・ダフニスとクロエが後世の田園文學のモデルをなした というような意味で用いられているにすぎないという。ツルゲーネ フは、『父と子』の・ハザロフに革命家へルツェンの面影を描き、ド ストエフスキーは、『惡靈』のカルマジーノフにツルゲーネフを戯 畫化したといわれているが、そういう場合にどんな批評や文學史に も、モデルという語をつかってはいないそうである。その意味で、 小説に登場せしめた實在人物をモデルと呼ぶのは、和製英語だとい うのが『文藝東西南北』の著者の意見である。著者によれば、モデ ルなる語は明治四十年代のはじめ、自然主義の勃興に關聯して使用 されはじめたものであり、島崎藤村の『水彩畫家』のモデルにされ た丸山晩霞が作者に抗議した、『中央公論』明治四十年十月特別號 所載の『島崎藤村著「水彩畫家」の主人公について』のなかでのそ れが最初の使用ではなかろうかと推測している。晩霞は畫家である から、文學上に別義のあることを知らず、繪畫上のそれを混用し、 誤用することはありうべきことだというのである。

9. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

世紀末から一三世紀前半、古代貴族瓧會から封建的社會〈の移行代表される佛敎が、その意味で、呪術的・現世的であったろうこと が容易に想像される。古代中央集權國家は、その統治技術としても 期、また一九世紀後半から今世紀のはじめ、封建的瓧會から明治以 後「近代」〈の移行期、そしてわれわれ自身の立場からいえばおそ呪術を必要とし、高度に發達した呪術の體系として佛敎を受け入れ らく太平洋戦爭とその後である。そのなかでも一三世紀の意義は決たのであろう。佛敎と固有信仰との融合は、あらかじめ豫定されて いたということができる。 定的に大きい。日本人の世界觀にいちばん大きな質的變革をもたら 辻善之助「日本文化と佛敎」は、佛敎の「日本化」現象を強調し す可能性をもっていたのは、いうまでもなく佛敎であり、佛敎思想 がその意味で最初の重要な展開を遂げたのは、まさに一 = 一世紀におて、氏寺の發逹や八幡大菩薩の例をひき、平安時代の本地垂迹説に 及んでいる。そのような意味での「日本化」が可能であったという いてだからである。 ことは、逆に、受け入れられた佛敎が呪術的・現世的であって、超 しかし一三世紀を評價するためには、それ以前のシナ思想、殊に 佛敎の影響が、日本固有の信仰のつくりあげてきた世界觀を、ただ越的な性格をもっていなかったということの證據と考えられるだろ う。また問題を別の觀點から考察して、文學作品を檢討することも ちに根本からゆり動かすものではなかったろうということを、たし かめておかなければならない。佛敎は國敎となって、奈良朝の寺院できる。もしたとえば佛敎思想が、その日本的世界觀と矛盾する面 において、殊に超越的な彼岸思想の面において、國民の精に深く は四百を算えたという。その時代の佛敎美術は、今でもわれわれが 影響したとすれば、そのことは萬葉集をはじめとして文學作品のな 奈良近在に多くみることのできるものであり、それだけでも當代の かに、何らかの形で反映しているはずである。もし反映していない 佛敎の活氣と豪奢を想像させるに足りる。しかしそれだけではな い。第一、佛像の様式からいえば、その外來的性格はあきらかであとすれば、外來思想は觀念的に受け人れられたとしても、感情にお いては受け人れられず、文學的表現の基礎にはなりえなかったと解 る。美術史には、まず北魏が影響し、その次に唐が影響したという が、その通りであろう。今多くの佛像についてその製作者が外國人釋するほかはない。そういう觀點から上代文學をしらべたのは、津 であったか、日本人であったかを決定することさえ困難である。佛田左右吉「文學に現れたる國民思想の研究」であって、周知のよう 敎美術の日本化が問題になるのは、藤原時代になってからだ。佛敎に、その結論は明瞭に否定的であった。殊に彼岸思想についての指 彫刻の面構えに日本人らしさがはっきりしてくるのは、もちろん様摘は重要であり、第一上代文學では仙鄕に觸れたものは多いが、 式の寫實化ということもあるが、鎌倉時代以後である。上代佛敎は極樂に觸れたものはほとんどないこと、第二藤原時代の物語のなか で極樂の語を用いるときには、全く現世的な饗宴を形容した場合の 巨大な外來文化であり、貴族社會のなかに壓倒的に浸透しながら、 その外來的性格をはっきりとどめていた。一方、今からふり返って多いことが、あきらかにされた。仙鄕は道家の影響である。しか 眺めるときに、誰でも氣がつくであろうことの第二は、寺院の本奪し現世との間に絶對の斷絶がなく、條件次第では往復の可能なとこ に藥師如來の多いということである。藥師は醫師であり、醫師は肉ろであるという點で、固有信仰にもとづく世界觀と矛盾しない。し かし極樂の場合には矛盾があきらかである。だから極樂は文學の世 體の苦痛・障害をその場で取除くものである。取除く方法は、すべ ての文獻によってあきらかなように、多くは呪術的であった。呪術界には人ってこなかったし、遂に極樂という言葉が人ってきたとき には、もはや本來の超越的な意味を失っていた。佛敎が藤原時代の の目的は、難病治癒に代表される現世的利益であって、藥師如來に

10. 日本現代文學全集・講談社版 104 唐木順三 臼井吉見 花田淸輝 寺田透 加藤周一集

ったということを別にしても、富永仲基の本領は、世界觀の體系を そうですか、あなたも冨永のような學者とっきあうのはやめ 0 組織することではなく、佛敎にしても儒敎にしても、それぞれの枠 新て、農民のなか ~ 入って行きなさい。 のなかで發展した世界觀の歴史を、一箇の發展として理解できるよ あれから、日本の農村も大いに變わりましたよ。 うな方法を發明することだったわけですね。世界觀の歴史の敍述 ああ、そのことならば、いくらか聞いています。 に、資料の上での不備があったにしても、そのことは敍述の方法の 先生は今何をしていらっしゃいますか。 獨創性を傷けない。いや、そもそも「出定後語」は佛敎史ではな ーー何もしていません。天國には改造の餘地がないですな。 い。佛敎史のための方法論ですね。方法論は、中身がなくては展開 できないから、佛敎の敎説の歴史が敍述される。ここでは歴史の敍 三浦梅園 述が第一の目的ではなく、歴史を理解する理論的枠組の構築が第一 の目的でしよう。その理論的枠組、つまり思想史のための方法論 なに、富永仲基か、あれはよくできた男だった、頭の冴えた は、三面を含んでいて、第一に意味論的接近、第二に「加上」の理 男だ。階しいことをしたが : : : あなたも佛の方のことをおやりか。 論、第三にこれは充分發展されていないけれども、比較文化人類學 いえ、別に : : : しかし富永仲基にとっては佛道だけが興味の 的接近である。今そのどれ一つをとってみても、江戸時代に比類を 對象ではなかったわけですね。先生は、「説蔽」をおよみになりま 絶した獨創的なものだということを考えると、先生の仰言る意味で したか。 話に聞いたことはあるが、見てないな。あまり澤山のことに世界觀の體系をみずからっくりあげたかどうかは、下世話にも「無 いものねだり」ということになると思いますが。 手を出したので、學間のまとまらぬようなところがあったろうな。 富永仲基は : : : 敎師が悪かったのだろうな。 「惜しいことをした」といわれたのはそういう意味ですか。 敎師 ? 誰のことです ? その後佛の學問は、どういう進歩をしたのかな ? ーー徂徠。 そうですね、私は佛敎を勉強しているわけではないので、 三宅石庵、田中桐江、 : 今では梵字經典の研究が進んだといえるのではないでしよう 間題にならぬ。あの程度のところでは、富永からみても兒戲 か。しかし富永仲基の學問がまとまらなかったとは、簡單にいえな に類したろう。 いでしよう ? でしようね。徂徠の他に敎師はありえなかったとして、徂徠 富永は梵字を讀まなかったろうな。 漢譯の經典だけを操作して、あのような考え方をまとめただのどこが惡かったのです ? 古文辭學は天地自然の間題を一つも解かぬ。 けでも、大した仕事ですね。 いや、先生が徂徠を論じはじめたらきりがないでしよう。し あの男には天地自然の構造をあきらかにするということがな かしとにかく富永の方法が古文辭學と係りあっていたのは、その一 かったな。 自分自身の世界觀の體系を組みたてるには到らなかった、と面においてでしよう。私のいった意味論的接近ですね。「加上」の いう意味ならば、そうでしようね。しかし = 一十ばかりで死んでしま理論はむしろ眞向から徂徠の「先王之道」の絶對化と對立するので