4 6 杉田輻太郞「タヌキ屋」の船方。三十八歳。 菅井の爺五十三歳。びつこ。 前島潔田崎機關士組合長。一一十七歳。 三島レイ子房總・ハスの女車掌。二十一歳。 武井兼松田崎漁船從業員組合實行委員會々長。三十七 歳。 同 ステ子その妻。三十三歳。 服部純一底曳き船の小船主。四十八歳。 浦外次郞漁業協同組合事務長。三十五歳。 倉地兵三房總新聞記者。三十歳。 澤泉謙介鹿島德太郎の番頭。五十九歳。 木塚三千雄醫學博士。銚子市長。銚子市立病院長。四十 七歳。 祚谷孫十郎「一着マ」の船主。四十五歳。 上田醫師田崎に只一人の醫師。六十歳。 志田一郎屍體。二十六歳。エンジ。 タイその母。五十一歳。 堀田ウメ船方の妻。二十八歳。 祚山セッ同。三十歳。 黑田リュウ駄菓子屋の後家。四十歳。 飯島テル理髪屋田崎軒の姑。六十歳。 朗讀者年とった漁夫。 朗讀者中年の船主。 朗讀者 0 年とった船主。 朗讀者年若いエンジ。 他にエンジたち十一一入。銚子の小船主たち六人。通り拔けの漁夫たち 數人。田崎の船主たち四人。 場割 一口 第一幕 客席暗くなり、前奏曲が聞え初める。舞臺暗いままで、カーテンが上 ると、小さなスポットが、朗讀者 << ( 年とった漁夫 ) を照らし出す。 彼の朗讀が、靜かな曲とないまざる。 朗讀者 < みのり少い勞働の日々が重なって 海面を渡る風が、冷たさを減じ 遲い歩みで、冬の漁期が過ぎてゆくと、 失業した船方が、あちこちの磯で 苦しいモグリ ( 満水 ) をやって カキやワカメをとる時期が來る 樂しみ少いりようしとその家族たちが待ちわびる かんぶつえ 「八日まち」の灌佛會も近づいた。 空襲で燒けた觀音堂再建のためと 或る顏役が集めた寄附金百萬圓、 そのうち五十萬圓は、そのポスの懷に消え、 殘った五十萬圓で建てられたとは 知る由もない童形の釋迦如來は うてな 花で飾られた臺の上に立って 第一幕田崎にある新藏の家。四月中旬の夜。 第二幕 第一場銚子漁業協同組合の一一階廣間。七月十日の午後五 時頃。 第二場銚子にある鹿島德太郎の家。翌日の午後一時頃。 第三幕 第一場田崎漁船従業員組合事務所。數日後の夜十時頃。 第二場同。一時間後。 第三場同。二時間後。 第四幕第一幕に同じ。七月下旬の夕方。
す。 車にのってんのか ? 2 7 レイ子よろしく レイ子私のは銚子、田崎間を一日に十三往復、一往復ごとに、ま うん、そうだ。おら、お前を 鹿島房總・ハスに勤めている ? あ十分か二十分ぐらいの休みはあるわね。でもその間に、窓ガプ 知ってるよ。田崎線の車掌だべ。お前の車さ、何度も乘ったこと スや車體の掃除をしなきゃならないし あるだよ。 新藏ふむむ、そいで有給休暇はどの位あんのかね ? レイ子そうですか。 レイ子公休が一カ月に四日、ほかには一年に六日位しかないわ。 金澤田崎の船方の娘で、あの・ハスさ勤めてんのあったようだっけ金澤へええ。 なあ。 レイ子生理休暇もないわ。休めば固定給を差し引かれるし、歩合 がグッと惡くなるわ。 新藏うん、三、四人はあっぺえ。輻田のシノ子なんざ一昨年から 行ってるもんなあ。 新藏へえ。鹿島さん、どうも大變な科學的だねえ。 セッ山崎のウメ子もそうだよ。 鹿島何いうだ。おらんとこじゃ、みんな固定給だぞ。みんなのた 鹿島あの會瓧は、まあまあ、うまく經營してるなあ。やつばり、 あ違うぞ。 社長の住吉君の頭が科學的だからなあ。 レイ子でもね、三年前、私らが初めて人社した頃よりはずっとい レイ子ー・ー , ・そうですか ? あれが科學的っていうのかしら、 いわよ。そのころはまだ木炭車でしよう、朝四時頃家を出てね、 私なんか、會就さ人って三年になるけど、給料がどういう計算か 木炭焚くのが大變だった。コンロが五臺に一つしかないから、五 ら出てくるのかさつばりわからないですもん。 人で奪い合いだわ。車庫もないから、雨の日なんかは大變。ズプ 金澤わからねえってどういうわけかね ? 濡れになってーー去年までそうだった。本當に泣いたわよ。いっ カネ子何しろ今、私の手取りは月七千圓だけど、固定給は一日九 そやめちゃおうか、と何度思ったか知れないけど、ほかに仕事目 つからないしね 十圓で、だからその二千七百圓を差し引いた殘りの四千三百圓て もんは、みんな收人歩合みたいなもんですもの。 健一おいおい、何、不景氣な話グダグダしてるだ。結婚披露宴だ 鹿島ふふむーーーすると、住吉君は、漁民並みの歩合制度を、・ハス ぞ、ここは。いい加減で呑ませてくれや。 會瓧でも應用してるわけだな。 シマ子本當だよオ。こんな見つともねえ披露宴なんて聞いたこと もねえよ。いやだよオ、おらあ。さあ、どんどん呑んでおくんな 金洋へええーーー知らなかったなあ、そりや田崎から行ってる娘も さいよオ。 あるつうに、そんなことも知らねえなんて、デレ助だなあ、おら 禧太郎んだ、んだ。勞働間題にらいての討論は、もう願え下げ だ。さあ、一つついで貰う・ヘえ。 新藏そいで、何時間働くだ、一日 シマ子 ( ついで ) さあ、さあ、呑んでくんな。 レイ子早番と遲番とあってね、早番は朝六時十分からタ方六時ま で、遲番は朝九時二十五分からタ方九時四十分まで。 黐太郞うむ 0 こらいいチュウだ。一升いくらだ。三百五十圓はす 金澤えッ ? そいじゃお前、十二時間勞働でねえか。その問中、 っぺえ。さすがはエンジの披露宴だな。どこで買っただ ?
6 9 理大臣から下は川口の爆彈ひろいまで、裏道のこぐりつこしてる 一同、無言。だがもはや承認の色はかくせない。 だ。ただその裏道を、怠けてこぐってちゃあ駄目だ。精魂を使前島じゃ、そいで手を拍つか。 い盡してだ、勇氣を振りしぼってだ、そいでこぐらなきゃあ駄目新藏ともかく、今夜んとこは、話は出盡しただから、その五千二 だ。おらなんざ、見ろ、終戦後すぐに、マ・ラインもへったくれ 百圓ならいいつつう船主の方の意見を書いてもらって、明日、水 もねえ、行ぎてえとこさ押し出して漁をした、ちっとぐれえのシ 夫組合の方へも話を通して、その上で、正式に決定ということに ケなら、ドンドン漁をすつだ。あの不動丸で北海道の北まで何度 したらいいペ。 も行っただかんなあ。だからおらとこの仕事は苦しい " 時にや神谷 ( 皮肉に ) 新藏、お前、えらい用心深えだな。が、まあ、よし あ、命も危ねえ。だが、何しろ、田崎中で、いつもおらとこより よし。明日んなったって、水夫組合さ通したって、これ以上はど 漁の多いつつう船主はねえ。だから、どんなに苦しくても、船方 うにもならねえこんだ。紙と筆あっか。書けつうなら、書いてや あみんなおらとこの船さ乘りたがるだ。どうだ。こりゃあ、お前 んべえ。ただし、おらあ、字は書けねえから、おらしやべること たちが生れてから今まで、ずうっとその目で見てるこって、うそ を、おう、龜島、手前書け。 いつわりでねえ。おらあ近代化だの、合理化だの、そんなまだる エンジ一は机のひき出しを掻きさがして、紙と墨汁と禿筆を出す。龜 島は書き初める。 っこしいこたあいわねえ。また、いったところで、資本のねえお らたちにできるこってねえ。おら、だが、見てろ、北洋漁業だっ禪谷證書、と , ーー一つ、田崎漁船從業員組合事務所において、下 て乘り出して見せつぞ ! 何ぼ向う見ずたって、むろんアグリ船 記六名の船主と、田崎機關士組合員十三名と會談したる結果、次 で行くわけじゃねえ。ちゃんと買い込んでくるだ。その金のアテ のことを、双方、認め合いたり。一つ だってある。銀行や高利貸しなんぞを相手にやしねえ。こいっ あ、祕中の祕だが、東京の魚河岸に、昔つからおらを可愛がって くれてる旦那がいるだ。この旦那は金もありゃあ、自主黨の勢力 第四幕 家でもある。こいつがうまく行きゃあ、船をドンドン殖やすつも りだ。お前たちがもう魚とりにあいそを盡かして、荷物運びや曳 新蔵の家。第一幕と同じ舞臺。一週間後の薄日のさす夕方。もうこの 家に引き取られて來ている健二郞が、柱に寄りかかって、庭を眺めて 舟や河蒸汽のエンジにでもなろうって根性なら、おらあ引きとめ いる。新藏は寢ころんで本を讀んでいる。 ねえ。だが、もし、魚を相手に暮そうってなら、田崎にいろ。お らがきっと面白え目を見させてやる。 健二郎ーーー勝手でいいなあ、一本釣りはーーお前と二人で行って 一同、呑まれて、無言。 もいい 一人っきりで行ってもいいーーー誰に邪嵬されつことも 祚谷 ( やがて ) 夜店の叩き賣りじゃねえが、最後の一と聲だ。五千 ねえ。漁は當人の腕第だ。アイナメ、カサゴ、イシモチ、スズ 二百圓。こいで手を拍とう。そいでいやなら勝手にしろ。おらあ キーーー何でもいいだーースズキなんか、いい値だなあ、生きてる もう知んねえからな。 まんまなら、一貫目千圓はすっぺ。おら戦爭中によオ、油ねえ時 前島 ( すっかり弱々しく ) どうだ、皆ーーー意見ねえか ? よオ、「タヌキ屋」の船借りて、一本釣りやったが、スズキを一
4 金澤病氣で沖い出られんでも、飯だけは食わせるーーーそれだけは めた だが、藥や醫者代は、食わせて寢させてるんだし、一 代の六分拂ってんだから、自分で拂うが當り前だというんだ 近頃の若え者はいくら面倒見たって、いっ逃げちまうかわかんね えーーー出てくならいつでも出てけなんてぬかしてな お吉だめかね ? やつばしーー ( 答える者がない。 ) 新藏ーーー ( 返事 がない。 ) 傅去 ( 椅子を蹴とばして、低く叫ぶ。 ) ちえっ ! 組合は何してるだ ! ともかく、醫者 新藏 ( 暫くして、暗い顏に何か決意を得たらしく ) 呼んで來ペえ。 ( 出て行く。 ) 第二幕 第一場 客席暗くなり、前奏曲が聞え初める。舞臺暗いままで、カーテン があがると、小さなスポットが漁夫 O を照らし出す。 漁夫 O まともにぶつかりあうニつの海流と 川から押し出される水とが、 月の引力に或いは引かれ、或いは拒まれ、 散在する岩にズタズタに裂かれ、 風に追われて、白いたてがみを振り亂し、 一日のすなどりを終えて 川に乘り入ろうとする船を 打ちくだこうとたけり立つ。 やっと乘り切って獲物を水揚げし、 漁具を片附けて陸にあがる。 頭に鉢卷き、足にゴム長、 おか 僅かな分けりようを入れたメン・ハをぶらさげ、 片道十圓ののろま電車に 一一十五分搖られて歸る。 北にめぐった大吠燈臺の光芒が、 海と砂濱と松林とを掃いて半廻轉し、 眞南に向った時に照らし出される がけまち 田崎港の崖町の北のいただき。 そこに家路に急ぐりようしたちを吐き出す 電車の終點がある。 おりて一ト足の四つ角は 海に向って急傾斜する田崎町の入口。 その四つ角に立つあばら屋は、 田崎漁船從業員組合、略稱水夫組合の わが親愛なる書記の家。 問題をになった人々が しつきりなしに訪れる家。 そのスポットが消えて、舞臺溶明する。金澤の住む小さな家。舞 臺上手が通りに面した、ガ一フスの嵌った引戸。三尺の土間があって、 すぐ四疊半の茶の間、その下手に續いて六疉間。茶の間の背後は土間 の臺所で、通りから別の入り口を通ってはいれる。六疊間の背後は縁 側があり、その上手の行き詰りに便所があるつもり。縁側との境は障 子。縁側の向うに、狹い空地を隔てて、すぐ隣家の板塀。茶の間には コタッがあり、六疊間にはテープル、椅子、机が各一つずつあり、プ リントの器械、インク、定規、紙、原稿、本、キハツの瓶などが雜然 と散らかっている。 舊正月の直前、從って前場から一月半ほどたった或るタ方。 六疊間で金澤がプリントを刷っている。君子は原紙を切りながら、原 稿を聲を出して讀んでいる。 君子ーーーとまり部屋の、汗と脂のにやついた布團の中でーーニ人
100 きれいに刷ったねえ、へえ、活字みたいだよ。金さんのプ あ。急にフッといなくなって、さがして見つと、田崎街道を一人 でプラブラ歩ってたりよーかと思うと、急に怒り出して、なぐ リントの傑作だよ、こりゃあ りかかったりよオーーあいでなかなか力強いでなあ、ー、やつば金澤ちょっと字のまじいとこあんべい。そりや助手の君ちゃんの り、頭のせいだなあ 書いたとこだよ。 お吉が來る。 ここか ? なあに、こっちの方がすっとう お吉どこ ? お吉おら、どうしたんかなあ、すっかりはあ、忘れちゃってただ めえ字でねえか、「しおざい」って何だね ? よ。頭あ腐って來たんかなあ。よくど忘れすっぜ、蒸し暑くなっ金澤知らねえのかお前、毎日、聞いてながら てからよオ。 ーー何だい、いったい、よオ。 お吉毎日、聞いてる ? 新藏野・ハフのお吉改め、腐れ頭のお吉か、それもよかっぺ 金澤暖流と寒流とがぶつかるとなあ、寒流は下へもぐろうとする お吉どうでえ、この家のよく掃除してあっことーーー女房も新しい し、暖流は上へ浮び上ろうとする。そこで渦卷が起り、波が立 ( 戸楜の上を つ。そしてチャプチャプ、サーサー、ブップッと音がする。 間はよく勤めつからねえ、おらもそうだったよ 指でこすって見て ) ああれ、駄目たね、やつばし、指が眞黒んなっ お吉そりやお前、海が鳴るだよ。 たでないの。 金澤だから、その海の鳴ることを「しおざい」というだよ。 カネ子あああ、姑がいないとこへ嫁に來て、ほんとにうまいことお吉だら「海鳴り」といえばいいに したよ 0 金澤それを詩的に表現しただよ。 お吉お前たち夫婦も、三カ月の間に、田崎中をすっかり、ひっくお吉人にわかんなきや仕様なかんべ。「わだつみ」たの「しおざ ら返してしまったよオ。おらんとこの君子なんか、いつも、「妻 り」だの、わかんねえこというのが詩的なんかよオ。 「ざり」じゃねえ。 いねえ」って、わが意を得たりつつう顔して、よろこんでるだ金澤し、お、ざ、い 新藏おいおい、題なんかより内容を見ろよ。問題は内容にあつだ 金澤が紙包みを持って、興奮してはいってくる。 ぞ。 お吉だら、題だけ赤で、こんなに目に立つように、氣取って刷ら 金澤できた ! できたーやっと刷り上ったぞ。 なきゃいいだ。 新藏できたか。早く見せれー ( 手を紙包みに出す。 ) 漁業の 金澤 ( その手を拂いのけて ) きたねえ手出すな。おらが出すから、待新藏おう、防潜網のことアッピール出したな。 ( 讀む ) ってくれ。 ( 紙包みをほどく。 ) きまたげとなる外國の軍事施設は減るどころかますます殖えて來 お吉何だよオ ? 何が刷れたんだよ ? る。東京灣に防潜網が張られたこともその一つだ。千葉縣の富津 金澤まあ、拜め ! ( プリントを恭しく一枚ずつ渡す。 ) 岬の突端から、奈川縣の観音崎まで、この鐵の網は、東京灣の 入口をスッポリとふさいでしまっているのだ。これでは東京彎に 新藏うわあ、妻えなあ ! ( うしろへひっくり返る。 ) お吉何 ? 何 ? 魚のはいって來ようがない。論より證據、三年前には三、四百萬 「しおざい」。田崎漁船從業員組合ニュー 貫あったイワシの漁獲はゼロとなり、アジ、サバ、イカ、カレ ス第一號ーへえ ! 組合ニュースができたんけえー・ヘえー
89 死んだ 第三幕 第一場 客席暗くなり、前奏曲が聞え初める。舞臺暗いままで、カーテンが上 るとトさなスポットが、朗讀者 ( 年若いエンジ ) を照らし出す。 彼の朗讀が押しつけるような曲とないまざり、やがて暴風雨のエフェ クトに呑み込まれる。 朗讀者七月もなかばを過ぎると マーシャル、カロリン諸島の近くに起った空氣の渦卷きは ぐるぐる廻轉しながら北西に進み、 臺灣の東で東北に針路を轉じ、 狂氣した女の烈しさで、南から日本に噛みつく。 沿岸漁業の小さな船は その掴みかかる手を逃れようと 港へ、港へと全速で走らねばならぬ日が多くなる 東京へ去った鹿島と銚子をあとにして、 それらの船の一艘のさだめを見るために われわれはまた田崎へ、急いで戻らねばならぬ この朗讀の間に、正面の開いた戸口から見える夜の空と崖道に、 風が走り、烈しい雨が叩きつける。 人物へのスポットが消え、舞臺が溶明してゆく。田崎漁船従業員組合 事務所。崖道の海岸近くに建てられた低く古い・ハラックである。僅か のガ一フス窓。床は波打っ古疂。いくつかの手製の机が、散らばってい る。壁にはポスターや壁新聞。正面に引戸が開けひろげになっている 入口。外の崖道は上手から下手 ( 、海の方へと傾斜している。外は暴 風雨。ときどき、稻妻も閃く。前場から數日後の夜十時ごろ。 上手から下手へ、何か叫びながら走る人影がいくつか續く。やがて、 七、八人の人々がドャドヤとはいり込んでくる。そして屍體を部屋の 眞ん中に横たえる。その七、八人の中には、機關士組合長前島潔も、 新蔵もいる。他はみな田崎のアグリ船のエンジたちである。戸口にも 人が重なっている。 セッ先生だ ! 先生連れて來たぞ ! ( 年とった上田螫師を連れて、 入口の人垣を押しわけてはいってくる。 ) 翳師が診察している間、一同は默って取り圍んでいる。 上田 ( やがて立ち上って ) 駄目だな、はあ , ーー・胸を兩側から、えら いカで押されたらしいーーー肋骨がほとんど折れとるーーー ( 机に坐 って、死亡診斷書を取り出す ) ええと、誰ちったかな ? 新藏 ( 半分泣きながら ) 志田一郞。 上田シダ ? 新藏こころざしの田、田畑の田だよ。 上田ふむ、志田 , ーー一郞と , ーー生れは ? 新蔵さあ、誰か知ってつか ? 二十六とかいってたなあ。 戸口の群集たちの中から「ばんばだ ! 」「志田のばんばが來た ! 」と いう叫びが起る。 志田の母タイが、髮を振り亂して飛び込んで來、泣き叫びながら息子 の屍體にかじりつく。 タイ ( 醫師に ) 一郞よオーー一郎よオーーー痛かったべなあーー・可哀 どこ痛かった ? 足か ? そうになあーーー胸か ? 前島 ( 泣き叫ぶ ) ばんばにゃあ、今聞けねえよ。生れ年はあとにし ておくんなさい。 上田うん。じや死因は ? 前島 ( エンジ一に ) お前、見てたんだべ ? エンジ一うん。海さ落ちて、牛臥の岩と、船の胴體との間にはさ まれただ。 上田うんーーー成程。 ( 書いている。 )
97 死んだ海 日五貫は釣ったつけよオ。 と思って覗いて見りや、何だ、二人で腕なんか組んで、歩ってる 新藏傳馬一艘、今、いくらすっぺえな。 でねえか。 健二郞古舟なら四、五千で買えっぺよ。 新藏心配すんなよ、父つつあん、笑うもんにゃあ笑わしときゃい 新藏ほかに、だの舵だのいっぺえ。 いだ。 健二郞んだーーそれがまあ三千圓かなあ。 健二郎見つともねえぞ、あのざまアーーいつもアメリカの惡ロば 新藏八千圓かーーそうすっと。 つかいってるくせして、女のこととなりゃあ、アメリカの眞似す 健二郞小っちゃくても舟一艘の主人だかんな、好きなとこさ行げ んのか ? ばいいだ ただ心配なのは、朝二時頃、海さ出て、エビ袋を引 新藏アメリカの眞似じゃねえ。世界中どこでもやってるこったよ っ張って、餌ェビをとるだがな、それが、いくらやってもとれね オ。やってねえなあ日本ぐれえのもんさ。その日本でも、女房が え時があつだーー , ・餌がなきや、釣れねえもんな , ーーーそいで漁に出 亭主の二十間あとからついて行くなんてえのは、この田崎だけだ られねえ時あつだ。 よ。年よりが若夫婦のこんにロ出すもんでねえ。やきもちゃいて 新藏父つつあんも年とっただなあーーアグリ船の名を賣った船頭 っと思われつぞ。 竿張りがよオ、このごらあ、一日中、一本釣りの話ばっかでねえ健二郞何いうか ! 言がお前らにやきもちゃくか ! 馬鹿馬鹿し 健二郞 ( ムッとして ) 何オいうだ。いくら年とったって、陸で一杯新藏まあ見てなよ、今に田崎にも、おらの眞似するのが一ばい出 てくつから。 屋出してえなんてケチな根性は出さねえぞ。おらあ一生、海で過 どすだ。だけんどもよオ、お前だって年とりゃあわかんべえに健二郞ふん、見たくもねえ。 ーー・身體が痛んでくつだよオー・ー足の筋が痛んで、立って動くの 「今日は」という元氣のない聲がして、笹島俾十郎がはいってくる。 が辛くなってくつだーーー一本釣りだら、しやがんでてやれつから健二郞おう、親方、どうしたね ? 上ってくんなせえ。 な、そいでおらあ、一本釣り、一本釣りいうだあ。 笹島新藏にちょっと話あってなあ。 新藏わかったよオ、父つつあんーーーガネ子とも相談して見べえ。 新藏さ、こっちさ上んなせえ。 健二郎 ( 憤りと怨みの表情 ) 笹島 ( 坐って、暫く、ぼんやりと鷄小屋やザクロの木のあたりを眺めてい る。 ) 鷄いんのか ? 新藏そりやそうよ。一家のこんだもんな。女房に相談すんなあ當 り前だべさ。 新藏いねえよ。飼っても餌がやり切れねえからなあ。卯は食いて 健二郞新藏、お前、田崎中の笑いもんになってんの、知んねえの えけんどもよオ。 笹島昨日、銚子さ行って、ついでに「利根丸」さ寄って見たつけ 新藏何がよオ ? よ 0 健二郞しよっちゅう二人でつるんで歩いてつでねえか。お前らが新藏ほう、大將、東京から歸って來て、どんなこといってたか 家から出てったら、近所のもんが皆表さ出て笑ってるから、何た ふむ、女と相談しんのか おか
102 發展しているつうこんが書いてあるだ。ポスも船主もいねえ、働 らの提唱で、そういうもんを作るべえつうこんになって、おら く漁民が一しょになって、國營コンビナートを作ってニシン漁を が、田崎を代表して、三日前に大原さ行った。銚子からは佐旧が やっているだ。樺太のはじっこの組織から責任者が直接モスコウ 出て來たつけ。そいで十三地域の水夫組合の代表が集まってな、 の漁業大臣に電話かけてよオ、何と何が足りねえといえば、調べ 討議の結果、滿場一致で、統一協議會を作るこんになっただ。そ てすぐに、船でも、機械でも、人間でも送ってくつだ。こうやれ いで、取り敢えず、集まった者を、協議委員というこんにした。 あとはいろんな意見の交換だけで、正式の會合は、大原が各地域 ばうまく行くだなあ。日本だって、この田崎だって、この本に書 と連絡をとって、近いうちに召集するつうんだ。そいだけだ。 いてあるような瓧會にせえなりゃあ、魚はとれっし、漁民はみん 太一郞ええなあーーー・そういう會ができっと な平和に幸篇に暮せるだ、とっくづく思うよ。長え小説だけんど 新藏ええこったよ、運動が飛躍的に進展すっぺえ。さしあたり、 な、面白えからすぐ讀めるだよ。そいで、みんなに話して聞かせ 今度の會議に、田崎から出す議題考えなきゃなんねえが、それは つだな。おらたちの現在の从態たあ、天地雲泥のちがいだが、こ あとで議案にすべえ。質間ねえかーー・・じゃ欽 , ・ーーええと納屋の會 うなればいいだつつう目標を與えることが必要だよ。希望を持た の報告だ。 せつことが必要だよ。 太一郎うんーーーあんまり報告すっこともねえんだけんどなあ 太一郞うん、讀んで見べえ。でも、おら、こんな厚い本讀んだこ とねえよ。 このごろは平均月二回は集まってるけんどな、困ることは、何だ か皆がだんだん、ヤケになってくるこんだな。どうせ船方なんかお吉納屋の會の報告はそれだけか ? やってたって、ロクなことにゃならねえ、早くどこかよそさ行き太一郎 うんーー人數は殖えただよ。集まる時は十五人も集ま てえってえ氣だな。 つからな。 新藏だからよオ 金澤こいつあ妻えや。 太一郞うん、新藏さんはな、漁業に從事するってこんに誇りを持太一郞そいからよ、「おらたちは奴隷じゃねえ」ってのがハヤリ たせねばなんねえつうだがな、それがむずかしいだよ。 言葉見てえになってよ、みんなでそれぞれ親方さ交渉してよ、仕 金澤むずかしい問題だなあーーーエンジの中にだって、どこかよそ 事ねえときは自由に外へ出てもいいつうこんになっただ。 さ行って、運送船のエンジになっぺえ、なんつう連中が多いだか金澤妻えや ! んなあ。 太一郎ま、どの納屋でも何ていうだかなあ、外出の自由か、そい 新藏 ( 本を机の下から取り出し ) これ、チャコフスキーっうソ同盟の だけは取っただよ。一ただ一着マだけは駄目だ。あすこは苦手だ 作家の小説だがなーーこねえだの敗戦で、日本が引揚げちまった よ。そいからこないだは、片貝から廻って來た原爆の寫眞みんな あとの樺太の漁業をだな、ソ同盟がどういうふうに建設している で見てよオ。 かつつうこんが、そのまま書いてあるだ。「こちらはもう朝だ」 金澤うめえ、うめえ。その調子だ。 つう題だがな、つまり、日本の漁業は今まだ眞夜中だが、ソ同盟お吉主婦の會でもよオ、その寫眞は借りて來て、皆に見せたけん の瓧會主義的方法で建設中の樺太の漁業は、もう朝で、どんどん どもよ、結局、戸別訪問して見せるようなこんでなあーー何しろ
今はこうでも へえるつつうのが、田崎の夫婦道だかんな。 また來年は あらき 君子おら、そんなら大革命をやってやるべえよ。そうでなきや結 新木ぶしんで 婚なんてまっぴらだ。あんたどう思う ? え ? どうなの ? しょたい持つよ、ヨーイヨイ 金澤うんーーーむろん男女同權絶對賛成さ。原則としてはな。 君子 ( 少しふざけて ) ふん、原則としては、か。た〔たし、これも例 君子あれツ、古い唄だーーへえーー、死んだお父つつあんがあの唄 外、あれも例外、理由がたんとくつついてな。そいで結局みんな うたって、寢かしつけてくれたの、かすかにおべえてるだよ 例外だべ、え ? 卑怯者 ! めずらしいなあ。 金澤さあ、卑怯者かどうか、結婚して見ればわかんべえよ。お 金澤あれ子守唄けえ ? おら初めで聞いたよ。 ら、もしかすっと、かみさんの尻にしかれる男かもしんねえと思 君子菅井の爺ちゃんが子守してんなら、ばあさんどうしたんだ って心配してるだよ。 君子ーーうん、おらもな、金澤さんをしんみり觀察してでよ、こ 金澤ばあさんこの頃土方に出てるだよ。五十にもなってよオ。銚 の人はかみさんの尻にしかれるような人かもしんねえと思ったこ 子から濱づたいに牛伏さ行く、戰時中こさえかけた軍用道路の改 とあるだよーー・・そういう人だとええと思うだけんどな。 修だよ。あれを今度光道路にするつうだがな、六メーターも金澤どうもそういう人らしいぜ。 ある道だし、ただの觀光道路かどうかは怪しいもんだよ。ま、何君子これ何つう字 ? しろその土方でよ、朝五時つから出て、一日働いて百四十圓、 金澤どれよ。 一カ月にせいぜい三千二、三百圓だつつうもんな。そっでよ、か君子これさあ。 みさんに食わして貰ってるくせして、爺さん「風呂さ行ぐぞー」 金澤これって、いって見なよ。 って一口いって、手拭一本持って、スースーと行っちまうだよ。 君子草冠にさんずいにーーええと、これ何つったらええだかな あ。 するとばあさんが少したってから、シャポンと風呂錢持って、背 中流してやりに行ぐだよ。 金澤だからさ、見せなよ。 君子おら、やだなあ、そんなの。 君子これよオ。 ( 原稿を突き出す。 ) 金澤じゃ、あべこべがええのか ? 金澤持って來なよ。そこじや見えねえよ。 君子まさか・ーーおら「風呂さ行がねえか ? 」っていう、旦那が君子ここさこうばええのに。 「おら、行ぐべえ」っていう。そいで二人で連れだって行く。そ金澤こりゃあ、おやおやだなあ・ー・敎わる方が持ってくんのが當 んれが理想たな。 り前たべ。 金澤そんなことしたら、それこさ田崎中引っくら返っちまうべえ君子おら今、試驗してんだからさ さあ、見に來なよ。 3 さ。大革命だよ。何しろ女房は亭主の二十間あとからついて行金澤仕様ねえなあ。 ( 立ち上って君子のそばに行き、並んで原稿をのぞ 6 きこむ。 ) く、映畫館さへえるのも、亭主がへえってから一一三分たってから
堀内そりや性慾だ。戀愛じゃなかんべえ。 もんなあ。だからたいがい船頭竿張りが委員に選擧されんのよ。 啓一つまんねえ心配にや及ばねえよ。さ、行ぐべ。 君子ふうをーー仕様ねえなあーータスキ屋の納屋の者のハンスト 輻太郎うん、行ぐべ。君ちゃん、あばよ。 んときだって一人も出て來やしねえ。 權左金澤さんさ、しつかりネジ卷いてくれよ。 啓一さすが主婦の會々長、澄川お吉の娘だけあって、すげえぞ、 三人は去る。 君ちゃん。 黐太郞主婦の會、主婦の會だって何やってんだい。ばんばたちが堀内 ( 立ち上って ) さあて長居は無用、退散するとすべえかーーー金 澤さん歸ったら、よろしくいってくれや。 ( 去ろうとすると出遇いが 集まって、踊りおどって騷ぐだけでねえかい。おばさんにそいっ あくたい しらに、杉枝がゴム長に黒いゴムの合羽を着てはいってくる。 ) てくれよ。片目の輻太郞が惡能 ~ ついてたってな。 君子ロのきける委員が選擧できるようになったら、そういうべ杉枝あれ、お客さん ? え。 君子ううん、今歸るとこだから、いいだよ。どうだね、贋れただ 啓一鼻ッ柱の強え娘だ。嫁に貰い手ねえぞ。 かい ? 仕事。 君子あべこべだよ。船方意氣地ねえから、見ろ、田崎中の娘、み杉枝うん、やさしいよ。たいがい銚子さ廻して水揚げすっから、 んなよそさ行っちゃって、田崎さ歸ってくるもんねえじゃねえ ここさ水揚げすんのはチャカがちっとばかしだもんな。 堀内ああれ、また美人一人現われたでねえか。さてな噂は間違え かな。 權左おいおい、おらのかあちゃんは、ちゃんとこの土地のもんだ ぞ。 君子「長居は無用」でねえのかね ? 君子そりやお前が嫁取りしたころはまだいたべえが、今じや二十堀内うん、そうそう。あとに心は殘れども、歸るとすっか。包圍 人に一人もいねえべよ。 攻撃されっとこわいかんな、ハンサム・ポーイの悲哀だよ。 ( 去 る。 ) 堀内 ( 口をはさんで ) へえ、するとここの船方たちゃあどっから嫁 貰うだ ? まさか獨身で通すわけでもなかんべえ。 杉枝誰 ? あれ。 啓一とんでもねえ。ちゃあんとあっちこっちの百姓屋から貰って君子高校の先生だよ。アプレだべ。 くるさ。娘片附けてえつう貧乏百姓はどこにでもいっからな。 杉枝協同組合ったらよオ、沖さ向いた二階の窓んとこへ、海軍が 堀内君たちが嫁さがしに、田舍さ行ぐんかね ? 置きっ放しにしてった重機關銃の臺さ据えつけて、望遠鏡のつけ 啓一そんな暇あんもんか。去年どこそこさ來た嫁の隣の家の娘 て、構えは物々しいけど、仕事はだらしねえな。みんなが暇つぶ しに、いやらしいこといってからかうのが、おら一番やだよ。 だ、とかなんとか縁たぐって貰うだよ。 だ ん堀内じゃいったい、戀愛はどうなるんだべえ ? 君子姉ちゃん、東京から何かいって來た ? 死啓一何とかかんとかやってるよ。 杉枝着いたつう手紙一本よこしたっきりーー・金澤さん、なかなか 歸んねえの ? 堀内娘いなきゃあ相手ねえでねえかね。 5 5 啓一田中町さ行きゃあ、よりどりだあ。 君子解んねえよ。 、 0