又、久次郎が、奥能登の行商人の妹だった友子と再婚したとき 嫂の眼差は、そう咎めているように見えた。父と兄も、タミ子 も、タミ子は久次郎を憎むよりは、おちか婆さんと友子を恨んだ。 に、すぐ職を見つけて働きに出るように言い含めた。タミ子の實家 タミ子は、久次郞が爭いを好まぬため、おちか婆さんの頑強な意は、戦後の農地解放で小作農から自作農に變っていたが、丁度タミ 見に從って友子と再婚したものと思っていた。 子が歸鄕したこの年から農産物價が下落し、その上、小作農時代に タミ子は、離婚の悲しみを忘れるためにも、奥能登の門前地方のは想像もしなかった諸税がかかってきた。窮迫した生活が嫂をも苦 或る部落に住む姉の家で、二年間もはたらいてきたのだ。姉にはしめていた。 しゅうとしゅうとめ 舅も姑もない。また兵隊として滿洲にいた姉の良人は、捕虜と タミ子は、二年間の過勞がどっと出て、すぐにも横になって休み なってシベリアに抑留されていた。二人の子供をもっ姉は病んで、 たかった。が、暖かい言葉の一つもかけられず、憩いのための自室 田畑ではたらくことができなかった。タミ子は、姉のために、そのも與えられなかった。父もタミ子に冷酷となったのは、彼女が離縁 しんぼうけ 田畑で懸命にはたらいた。 されて以來だった。「辛抱氣」 ( 忍耐 ) が足らなくて、婚家から逃げ くりごと その田畑は、海に近い傾斜地にあった。水田六反が、百數十枚の てきたりするから離縁となったのだ、と父は事ごとに繰言を言っ 小さな棚田にわかれていた。輪島地方の南志見浦あたりにある有名た。 な「千枚田」にくらべるなら、「百枚田」程度のものだったが、奥 腰や肩が痛むことを訴えて、納戸の隅の唐紙に顏をよせて横にな った。が、たおれた瓶からすぐに水がこぼれるように、横になると 能登と呼ばれる能登半島の奥部には、大小の差はあれ、いたるとこ ろにこの種の棚田があった。 同時に熱い涙があふれ出た。「女は三界に家なし」という古い言葉 タミ子は、その傾斜地の棚田や、棚畑ではたらきながら、思わずを言いきかせた亡母を思って泣いた。母が生きていれば、せめて痛 呻き聲を洩らすことが多かった。すでに腰の經痛をもっていたたむ腰をさすってくれたに違いなかったのである。 今、タミ子は、晩秋の靑空を流れ飛ぶ無數の赤トンポを仰ぎ見 め、平地ではたらくときの倍も腰痛に惱んだ。しかしこの肉體の苦 痛も、ロ能登の實家でくらす精禪的苦痛よりはましと思われた。ロ て、腹をつき出したような、獨特な姿勢で歩いてゆく。これは、背 能登と呼ばれているのは、能登半島の入口の地方だが、タミ子の實中や腰につもった言いようもない疲勞感に抵抗して、背を伸ばし、 家はその西海岸に近い村にあった。 そり身加減になって歩くのである。 その證據に、しばらくすると、肩をおとし、腹をへこませて、げ 破婚によって、嫂からあからさまに「出戻り」と罵られたこと もあったタミ子は、村びとたちにも、いつも肩身が狹かった。父とんなりとうなだれて歩く。やがて又、そり身になり、上を仰ぐよう 兄にたいしても、つらい思いの絶える日がなかった。病身の姉に同にして歩く。 情していたから、タミ子は實家を出て、姉のために必死にはたらい 「タミちゃんや。お前さん、歸ってきたがか」 たのだが、この秋、姉の良人が歸鄕したため、わずかの金をもらっ と腰のまがった或る老婆から聲をかけられたときは、いつのまに て、實家に舞いもどってきた。が、家に入るなり嫂の冷やかな眼差か村道に出ていた。 「あら、お婆ちゃん、息災でいらしたか。わたしは、また働きに行 で、感じやすい心を傷つけられた。 2 「なぜ舞いもどってきた」 くがや」 あによめ
汽車に乘っておくれんか」 吹きつけるのを聞いた。 「何で直ちゃんと汽車に乘るの」 その日、タミ子は、庭先に一びきの赤とんぼが霰に打たれて死ん 直彌は、乳呑兒のときに別れたきりの母に會いに行きたいが、た でいるのを見た。 がいに顏さえおぼえていない母子の間柄だし、十五年目にいきなり その後にまた、小春日和のような、うららかに睛れた日がきた。 が、一たび野わきが吹き荒れてからは、初冬の寒さは、大地のすみ直彌たと名乘って出てもへんなものだ。だから、母を知っているタ ミ子がつれ立って行って口添えをしてほしい、と言うのだった。母 ずみまでを支配しているようだった。寒さに和服の肩をすぼめなが ら、タミ子はトボトボと歩いて・ハスの停留所へ行った。拭ったようの住所が美川の近くだとわかったことも告げた。 夕、、、子は、二年見ぬまに、また大人らしくなった直彌の顏をつく な靑空だったが、もはや一つがいの赤とんぼも見られなかった。 づくながめながら聞いていたが、 すっかり葉を散らされた欅は、富農の屋敷に、巨大な箒のように 「直ちゃんのお母さんになら、わたしも會って相談したいことがあ そびえていた。部落の家々のなかで最も貧しげに、寒む寒むとして 見える吾が家の藁屋根の上に、銀杏の葉だけが、なお散りのこつるわ。でも、今わたしは、痛む腰にお灸をすえてもらいに行くとこ ろや。いつお母さんに會いに行くの ? 」 て、華麗な黄の花のようにきわ立って見えた。鴉が一羽、その黄の 花のなかへ飛びこんだとき、・ハスがやってきた。すぐに・ハスから十「そんなら、姉さんが元氣になってからでいいワ」 五、六歳の少年が降り立ったが、タミ子を見ると、なっかしげに叫「今に、きっと一しょに行って上げるさかい、しばらく辛抱して ね」 んだ。 「わかった。ありがとう」 「姉さん ! 」 タミ子には、思いがけず直彌がたずねてきたことが嬉しかった。 まるで實姉と出會ったような呼び方だった。少年は、久次郎の甥 一つには、久次郎のことを直彌から訊き出すことがでぎるからだっ の輻島直彌だった。タミ子が久次郞の妻だったころに同居していた た。が、それは、なかなか口に出せなかった。又、直彌と話してい 直彌は、往來でタミ子と出會えば、必ず「姉ちゃん」とか「姉さ ると、久次郞のことも忘れて、なぜか氣が睛れた。もとから直彌の ん」とか呼んで慕い寄ったものだった。 性質が好きだったし、兩親がいないためにいじめ拔かれてきた直彌 「まあ、直ちゃん」 に同情もしていた。 「・ハスに乘っとくれ。ぼくも逆戻りや」 灸師がいる町にパスが近づいたので、タミ子は、やっと久郎と 二人は、・ハスに乘ったが、よろめいたタミ子は直彌の手で支えら 友子のことを訊いた。 れながら、やっと座席に腰をおろした。直彌もならんで腰かけた。 病 「叔父さんは、友子さんと仲よくやっている ? 」 「ぼく、今、姉さんに會いにきたところや」 「うん。いつも二人でうちの風呂に入ってな、そして二人でぼくを 「わたしに ? 」 家から追い出そうとしとるんや。そんなにぼくが邪嚴なら、ぼくの 「うん」 ほうから出て行きたい。けどな、死んだ父ちゃんが遺してくれたば 「何の用事で ? 」 2 くの田ンぼが六反あるやろ、その田ンぼをどうするか、母ちゃんと 「賴みがあーれん。いやならいやでいいけどな、ぼくと一しょに、 けやき
家出して、地の果てのような邊地〈のがれた」氣がした。病的禪經に休ませると、ひとりで友子の様子を見に出かけたのだ。 この温泉町から、友子のいる部落までは、電車と汽車と・ハスを利 のせいで、たちまち彼女は、もし友子が死んでいたら、また直彌が 死を望むなら、直彌とともに世を去 0 てしまいたい、とさえ思 0 用しても、往復六時間ほどかかる。直彌は午後三時すぎに出かけ、 た。年が違うのに直彌と心が觸れあうのは、一一人とも不運に苦し今は午後九時をすぎてしまった。もう歸って來そうなものだ。歸っ み、慰めあって生きてきたからだ。思い出すと、兩親がいないばかて來ないとすれば、警察〈つれて行かれたと思うほかはない。タミ りに、スルメ一枚買うゼ = も與えられず、村の子供なかまから馬鹿子は、直彌が無事で歸ってくることを一心に祈りはじめた。 學生の下宿部屋のような、唐紙一重で廊下に接している粗末な六 にされ、何かにつけてなぐられた幼時の直彌は、二人の叔父からも 幾度折檻されたことだったろう。タミ子ひとりが直彌に暖かであっ疊間に、寢床が一つ敷いてある。そこにタミ子はすわって祈ってい たのを忘れないで、いま成長した直彌が慕ってくれる。久次郎に離る。先刻、帳場の近く ( 行って一フジオの = = ースをきいた。どんな 殺人事件のニ = 1 スも放送されなかった。しかし直彌の顏を見るま 縁されたとき、直彌から、「姉ちゃん、悲觀したらあかんぞ。ぼく やかて、つらいことばかりやけど、生きてゆくさかいにな」と言わでは不安を拭い切れないのだ。 隣の部屋で、木炭の賣れ行きがガタ落ちになってこまるなぞと話 れたことも思い出される。その直彌が、今はまた母に會いに行こう していた男たちが、酒に醉ったらしく、聲をはりあげて唄をうたい ひな としてタミ子のロ添えを賴み、タミ子を温泉に案内したいなぞと言 っていたのに、はずみで友子を蹴倒してしまった。それも、タミ子だした。山村の男たちらしい。ここは農村地帶にある鄙びた温泉町 で、三軒だけの旅館が廣場を中に鼎立している。手取川流域の農民 をかばってやったことだ。直彌がいつのまにか人を蹴倒すことをお ぼえたのも、部落の子供たちゃ、叔父たちからも、幾度となくぶつや、この町の山間部の人々が、慰安や湯治に出かけやすい場所にあ たり蹴ったりされてきたからで、直彌が生來粗暴だからだとは思わる。加賀平野を肥沃にもし、洪水でおびやかしもしてきた手取川は、 この町の北方に渺茫たる川原と長堤をもって悠々と流れている。 れない。 もう一一一度も内湯に入って湯に倦んでいたタミ子は、待ちくたびれ 「ねえ、直ちゃん。あんたが萬一警察にまったりしたら、わたし て、布團一一枚をひきかぶって寢た。唄で賑やかな隣室にひきかえ、 だけが、うしろ指をさされて生きたくないわ」 「姉さんは、心配しすぎるぞ。ぼくは、祖母ちゃんが死んで、うま戸外には寒風が荒れはじめ、ヒ = 1 ヒー唸りながら窓ガラスをゆ れてはじめて自由に使える金を持ったやろ。そやけど、ひとりにつすぶった。 いつのまにか眠りに落ちて夢を見た。寢床へ滑りこんできた男を ちで淋しかったさかい、母ちゃんに會うて、姉さんを温泉に入れ 見れば直彌であった。 て、よろこんでもらおう思うたんや。心配せんどいて」 「ああ、よく無事で」と言いも終らず、はげしい抱擁となった。彼 その日の夜、タミ子は辰ロ温泉の旅館の一室で、直彌が來るの女の兩腕のなかにある直彌の全姿は見えないはずだのに、友子の家 川の岸に立っていた裸の直彌の全姿が眼前に見えた。又 を、待ちわびていた。顏には直彌がくれたクリ 1 ムやロべにをつけの前で、 とない甘美な思いで、急流のような歡喜に溺れ、直彌の名を呼んで ていた。 直彌自身も、やはり友子のことが氣になって、タミ子をこの旅館いると、部屋の入口の襖がさっと引きあけられて、幾人もの警官が
灸のききめがあったのか、それとも直彌のことで氣が晴れたためらも、直彌の彈力に滿ちた輝くように白い體や、少年らしい笑顏を か、急に熟眠できるようになって、腰の痛みも薄らいだ。直彌ととながめて、視線をそらさなかった。 もに汽車で出かける氣になって、手紙を書こうとした。が、どうせ 「さっき姉さんをたずねたところや」 手紙も友子の目につくだろうからと思いとどまり、直接直彌と日時「ええ、聞いたわ。それですぐ來たんよ」 うら を打ちあわせるため、一張羅のお召をきて、輻島家のある部落へ出「姉さんの家から、こっちまで、驅け足で歸って、汗をかいたとこ かけて行った。 ろや」 初冬の寒さにようやく馴れて、雨後の靑空を仰ぐのが心地よかっ 「元氣ねえ。小さいときから、よく走った直ちゃんやったわねえ。 むくどり た。椋鳥か何の鳥か見わけもっかぬ野鳥の群が、藁灰をまいたよう明日、お母さんのところへ行きましようか」 に遠方を飛び、さっと群を亂したと思うと、たちまちまた密集し 「わア。行こう。今からでも行こう」 て、大空に吸いこまれるように消えた。そんな野鳥の群をながめて と、さも嬉しげであった。 興をおぼえたのも、何年ぶりかしれないように思えた。 「今からじゃ、おそいでしよう。仕度もしなけりやいかんし」 樂しい目的があって出かけると、村びとの視線も氣にならぬばか 「仕度なんかどうでもいい。今から行こう」 りか、・ハスの窓からながめる初冬の甘のさびしい風景もなっかしか 「お化粧もしたいし」 った。 「ぼくのカ・ハンには、姉さんに上げるロべにやクリームが、ちゃん だが、・ハスをおりて輻島家に近づくと、さすがに友子の思わくが と入っとるんや」 氣になった。 「まあ」 丁度、友子が、前庭の豌豆畑に灰をまいていた。タミ子は吾しら 「それにお化粧をせんでも、姉さんは友子の欲張りより、よっぽど ず小さな納屋の陰にかくれた。納屋は前庭が往來に接するところに綺麗や」 あった。 タミ子は慌てて、友子が前庭に出ていることを知らせようとした 往來をへだてた向うに小川が流れている。ふとその方を見ると、 が、聞きつけた友子は、わざわざ納屋のうしろをのぞきにきた。タ けわ 岸の枯草のなかに立った男が裸身を水で拭いていた。あちら向きに ミ子と直彌を險しい目つきで見くらべ、 立った若々しい見ごとな裸體だった。直彌ではないかと思われた。 「直ちゃん。往來で何やいね。往來に出てまで、おらのことを欲張 り呼ばわりせんでもよかろ」 坊主頭の格好といい、背丈といい、直彌に違いないように思われ 「ほんとのことを言うたまでや」 病た。が、まだ十六歳の直彌がこんなに見事な體をもつようになった 「何や、裸で女の人と。ロべにを上げるたら、クリームを上げるた 婦のだろうか。 農手拭で背を摩擦していた若者が、・ハンツをはいてからこちらを向ら、まるで不良やわ」 いた。まさしく直彌だった。 友子は、じろりとタミ子をながめたが、 「あツ」というなり直彌は笑い出して、下駄をひっかけ、日光が射「あんた。見たことがあるような人やけど、若しやタミ子さんでは 3 す往來を橫ぎってやってきた。タミ子は、まばゅげに目を細めながないかいの」
2 0 3 積した怨みを爆發させて、何をしたかわからない。氣が優しく、何 「ええ、 と言ったきりでタミ子は薄ら笑いをした。友子にだけは、會釋さでも胸におさめて忍耐する性分だが、一たん勘忍の緒が切れれば、 えしたくなかった。久弐郞とわかれる前に、タミ子は路地に身をひ友子〈の復讐に何をしでかすか、タミ子は自分自身がおそろしいほ どだった。 そめて、往來を通ってゆく友子を、刺すような眼光でみつめたこと 直彌は、タミ子に待っていてくれるように賴んで、家うちへ驅け があった。腰紐で友子をしめ殺す空想を何度したかしれなかった。 こみ、旅行の身支度をした。その間にも、友子は、久次郎とタミ子 が、友子のほうは、タミ子の寫眞は見ていたが、對面は今が最初だ が最近逢びきしているのではないかと疑って、露骨にそれを口にし った。 こ 0 「そうか。やつばり」 亡くなったおちか婆さんから、タミ子が多淫な女だという惡ロ と友子は、上ずった聲で言った。 うち を、いやになるほど聞かされていた友子は、頭からタミ子を淫婦と 「家へ入って話しよう」 と直彌は言いのこして、家〈驅けこんで行ったが、また玄關にあ見て警戒した。それにこの日は、直彌の水田を安く買い取ろうとし らわれて、タミ子を呼び招いた。と、窶れた顔のタミ子が、眼に情て直彌とロ喧嘩をし、そのためにも不機嫌であった。 友子と久次郎は、おちか婆さんが生きていたころに、遺産のわけ を見せて直彌に笑みかけながら、玄關のほう〈行った。何だか媚め いたその目つきも、友子の癇にさわったらしく、友子は甲高い聲で前として、水田よりも家と宅地のほうを選んだ。しかし、おちか婆 さんが亡くなってしまうと、友子は直彌が大人の知惠をもつ前に、 直彌に叫んだ。 早く直彌の水田を安く買い取ろうとした。 「タミ子さんを、勝手に家へ入れることならんそ。タミ子さんは、 とう それも、土地をもたぬ友子の焦りから來ていた。友子は、二反の 雎家の閾を一一度とまたがぬことに、夙から話がついとるはずや」 水田を耕していたが、それはまだ自作田とはならず、いっ地主に取 「阿呆ンだら。玄關くらいへは、入ってもろうてもよかろ」 り上げられるかわからぬ不安があった。もと久次郞は、小作田を一 と直彌が言った。 「ここは、直ちゃんの家ではないがやぞ。叔父さん ( 久次郎 ) の家町歩耕していたが、農地改革直前に、八反を地主に取りあげられ ゃ。このごろ叔父さんの歸りがおそいと思うたら、またタミ子さんた。殘る二反を買い取りたいと思っていたが、地主は手放そうとし なかった。久次郞は工場に勤めるようになったが、野良仕事をはげ とヨリをもどしたようや。みんなでオラをメト ( 馬鹿 ) にして」 友子が昻奮をむき出しにして妬くのにくら・〈、タミ子は冷靜をよむ友子は、村を出たいという直彌の水田を、痛切に買い取りたかっ た。しかし金がないので、一反五百圓の勘定で十年間に支拂う、と そおっていた。 「わたしは、直ちゃんに用事があっただけやわ。玄關〈も入りませ子供だましのような條件で直彌に話しかけたところ、まだ子供と思 われた直彌が意外にも、 ん」 「人を馬鹿にするな。十年たったら、田ンぼ一反が何萬圓にもなる 「直ちゃんに何の御用や」 タミ子は答えなかった。自分の苦惱と愛欲の墟のような輻島家と、みんなが言うとるでないか」 と怒ってはねつけたため、ロ喧嘩になったのである。 が眼前にあった。もし直彌〈の愛情がなかったら、タミ子は、うつ
相談するつもりや」 やし、下駄みたいな顔や。姉さんは優しい善い人やし、泣いても笑 0 久欽郞が友子とウマが合うらしいことは、タミ子には、今さらなうても綺麗な人や。いや、ほんとや。姉さんが泣いて別れたときの がら口惜しいことだった。元來は気がよい久次郞は、細君本位の生顏、今でもおぼえとるぞ」 き方をする男だ。タミ子と暮していたころも、タミ子の言いなりに 近づいてきた・ハスに、直彌はタミ子の肩を抱いて歩み寄った。 なるところがあった。體が強いくせに女房の尻にしかれやすい。勝 氣な友子に操縱されて、二人で風呂に入ってからも、嘗てタミ子に 奇妙にも、タミ子は、寢床のなかでの物思いに、若い直彌を思い そうしたように、友子の情欲を滿たすためにもよく奉仕しているの浮かべるようになった。 だろう。と思うと、またもや嫉妬がムラム一フ湧いてきた。で、あと 人は孤獨だと、猫の子一びきでも愛せずにおれないものだ。まし は直彌の言葉も耳に入らず、降りるべき・ハスの停留所も、あやうくて「出戻り女」の劣等感を抱いて、部落の者たちの視線をさえ厭っ 忘れるところだった。慌てて直彌にわかれを告げて、・ハスを降りよていたタミ子は、自分を賴りにし、慕い寄ってくれるただ一人の若 うとすると、またよろめいて直彌に抱き支えられた。直彌は、一し者である直彌から、善い人だとか綺麗だとか言われて肩を抱かれて ょに・ハスをおり、灸師の住むしもたや風の家に入って、タミ子の灸みると、もとから慰めあったりしていた仲だから、思いのほか心を 治療が終るまで待っていた。 動かされたのも無理はない。いつのまにか久次郞のことは忘れ、う わずかな金しか持たぬタミ子は、治療費も要るので、直彌の母に ら若い直彌の生き生きした顔を眼前に見たいと思い、また彼の願い 會いにいく汽車賃をどうしたものかと思った。が、直彌はタミ子が を早くかなえてやりたいと思った。 乘る・ハスを待って停留所に立ったとき、 灸を据えに通って一週間もたったころ、町へ出かけてもどってく 「汽車賃は、ぼくが出すし、お禮に姉さんを温泉に案内する氣や」 ると、嫂から、留守中に直彌が尋ねてきたことを告げられた。思わ うさんくさ と大人らしいことを言った。 ず顏を輝かせたため、嫂から胡散臭げに眺められ、最近直彌と會っ 「まあ、温泉へ案内するって、そんな金をもってるの ? 」 たことがあるのかと訊かれた。 「今朝、郵便局で金を出して、ふところが暖こうてならん。な、姉「ええ、・ハスの停留場でひょっくり。あの子は、わたしに、母親の さん、金がいるときは、そう言うてくれ。姉さんのためなら、。ハッ ところへつれて行ってほしいと言うがや。あの子の母親と言えば、 と金を使うさけ」 わたしが十二のころまでよく可愛がってくれた人でね、直ちゃんを 「ハア、直ちゃんにムダ使いさせたら、罰が當るわ」 産んでまもなく夫に死にわかれ、わたしと同じように姑にいじめら 「ぼく、姉さんと温泉に泊るのが樂しみや」 れて家を出てしもうたんや。それから苦勞したあげく、再婚して仕 「まあ」 合わせらしいわ。だから、わたしの境遇も察してくれて、これから タミ子は、直彌の無邪氣そうな笑顔を見てあきれたように笑っ の身の振り方を相談できる人やと思うの。それで直ちゃんと一しょ た。この子は、わたしと温泉宿に本氣で泊る氣でいるらしいと思っ に出かけることにしたわ」 と、タミ子は正直に、また何だか浮き浮きと話した。が、直彌が おくび 優しく肩を抱いてくれたとは、曖にも口に出さなかった。 「姉さんは痩せたけど、友子よりよっぽど綺麗やぞ。友子は欲張り
直彌は、黄色な國民服という貧しい旅裝で、米などが入ったズッ 身動きもしない友子を見返った直彌は、引きかえしてその前に立 クのカ・ハンと、ト / さなト一フンクを持ってあらわれた。 った。モンべをはいた脚を伸ばした友子は、片頬を地面にあてた橫 「さあ姉さん、行こう」 向きの顔に、まだ口を半開きにしたまま、腹這いの姿勢で、死んだ 「そんなら」 ように動かなかった。 とタミ子も笑顏になって、はじめて友子へ、 「阿呆ンだら。いくら死んだ眞似しても、顏色がよすぎるわい。足 「直ちゃんのお母さんのところへ行ってきます」 の裏を擽いてやりてえー と言った。友子は、芽を出したばかりの豌豆の畑にしやがんで、 直彌は、そう言い捨てて、タミ子のほうへ驅けもどり、折から停 一山の藁灰を手で均らしていたが、 車した・ハスに二人で乘りこんだ。 「ふ 1 ん、直ちゃんに母ちゃんがあったかいね。母ちゃんをダシに しかし直彌にも、タミ子にも、たおれたままの友子が氣がかりで して、直ちゃんを食い物にするようなことはせんといて。直ちゃんあった。 はまだ未成年やさかい」 後尾の座席にならんで腰かけた一一人は、友子のことで何かとささ 「いやみなことばかり言う人やわ」とタミ子も、たまりかねて、腹やきあった。直彌は言った。 の底にあった一言を叫び立てた。「何や、わたしの夫を盜んだくせ 「友子は、叔父さんになぐられた時も、仰向けにたおれて、死んだ に」 眞似をしたもんや。叔父さんも、ぼくも、まんまとだまされて、物 「盜んだ ? 」と友子も血相を變えて立ち上がった。「お前さんは、 妻く心配した」 結婚のあくる日に、色男と外で泊ったそうやないか、みんなお婆ち 友子には、事實おもしろいところがあった。勝氣で毒舌を弄した たら ゃんに聞いた。あきれた男蕩しゃ。早う出て行け」 り、わめき散らしたりするが、直接手をくだすような暴力は全然ふ 突然、直彌が土足で友子の腰を蹴った。あッと叫んだ友子は、前るわない。夫が暴力をふるうと、彼女は無抵抗で、事實、死んだふ のめりに。ハッタリと畦間にたおれて、うつ伏せになった。直彌は叫 りをしたことがあったのだ。暴力をふるう惡習慣のある輻島家の男 んだ。 どもに對して、友子が思いついた自衞手段だったらしい。 「タミ子姉さんを馬鹿にする奴は、誰でもやつつけてやる。よくも だが、タミ子は、・ハスで七尾線のーー驛についたときには、萬一 今までかしをいじめ、姉さんを苦しめてきたな」 友子が死んだ場合を考えて背筋が寒くなった。 と、さらに友子の足を蹴ろうとするのをタミ子は抱きもどし、 「汽車に乘らずに、歸りましようか」 スがきたと告げて、直彌の手をとり往來へ出て行った。 とタミ子はホームに出てから言い出した。 友子は、畑の畦間に、顔を橫向けてうつ伏せになったまま口を半「そうやけど、姉さん。歸ってみて友子がピンピンしとったら、癪 開きにして、氣を失ったように、もう一聲も立てなかった。 ゃ。友子が死んどったら、僕は警察につかまって、萬事終りや。ど 隣のタマキサの家では、老夫婦が寺まいりに出かけていて、ひっ っちにしても、今は歸りとうない」 「ほんとは、わたしも、歸りとうないわ」 そりしていた。往來を、ときどきト一フックが走り、どこかでコオロ 3 ギが細々と鳴いていた。 タミ子も、冷酷な父や嫂への腹癒せから、このまま直彌とともに こそば
イば 「ぼくを置き去りにした阿母やもん、まだわからんー けどな、南瓜みたいな婆アかも知れんぞ」 踏切をわたって驛についた。タミ子は禮を言って、かぶってきた 0 「ううん、わたしよりは、よい器量の人やったわ」 オー・ハーを直彌に着せ、霙で濡れた彼の頭を手拭でふいてやろうと 旅館を出ると、橫薙ぎに吹きつける霙のなかを、頭から毛市をか ぶった女たちが道を歩いていた。この地方では、傘をさせば吹雪がすると、直彌はその手拭を奪って自分の顔や頭をふきふき話した。 「手取川って、物妻く立派な川やぞ。ぼくは、自分の村の小さい川 破るし、頭巾も顔に吹きつける雪を防げないから、毛布を被衣のよ しか知らなんださかいな、一目で手取川が好きになった。その高い うに頭から引きかぶって顔をかくし、その前を内側から手でおさえ 堤防がな、阿母の家のすぐ近くにあってな、 て歩く女たちが少なくなかった。直彌は、叔父から借りてきたオー 直彌には、よほど手取川が氣に人ったと見えた。彼は、この川の バ 1 を毛布代りにタミ子の頭にかぶせ、電車の驛のほう〈つれて行 流域の廣い平野ではたらく人たちを羨んだ。母の耕作を手傳いたい った。 直彌の母も、腰の紳經痛で寢ていることを、近所の人から聞いと言 0 た。乘客の少ない電車に乘ってから、タミ子に、友子のこと や、温泉宿に泊ったことは、母に言わないでほしいとささやいた。 た、と直彌は歩きながら話した。 「不良かと思われるさかいな。ほんとは姉さんと同じ部屋に寢たか 「その點も、お母さんは、わたしと同じね」 ったのを我慢したぼくや。偉いやろ」 と言ってタミ子は笑った。タミ子には、直彌の母が未亡人となっ 「偉い」 たことにも、實は親しみを感じていた。夫をもって幸輻に暮してい と言ってからタミ子は、可愛くも可笑しくも思って笑った。たと る女たちは、今のタミ子には無縁な存在だった。しかし米亡人であ る直彌の母は、男手が足らぬためにも、農婦としての過勞が「も 0 え直彌という孤弱な少年とでも、親しみが深ま 0 てみると、氣を取 り直して生きようという喜びが湧いて、直彌が彼女に見せたいとい たのではないかと思われた。 う手取川を、美川町で見て行くことにした。 直彌も笑って、 ( 昭和四十年十月「小説新潮」 ) 「あっちの村にもこっちの村にも、腰の痛い女がたんとおるな」 「ええ、でも、あの温泉宿に來ていたお百姓は男ばかり。女はわた し一人らしかったわ。直ちゃんのお陰で、うまれてはじめて温泉に 入って、夢みたいな氣持やった」 「ぼくも、はじめてあんな宿に人ってウロウロした」 「はじめは友子さんのことで恐ろしかったけど、あとは直ちゃんの 親切で、嬉しいことばかり。直ちゃんは、腰が痛いお母さんが歩け なかったら、負ンぶしてあげるような人ねえ」 「ぼくと會うて阿母が喜んでくれたらそうするけど、喜ばなんだ ら、代りにタミ子姉さんを負ンぶしてえワ」 「ハア、ありがとう。でも、お母さんはきっと喜びなさるわ」
いるような氣がした。 6 四九歳のときから二十三歳の頃まで、僕の實家があったなっかしい 井には、なっかしい人逹が住んでいた。一瞬、僕は、若かった日 の小畑先生が、グリーンの袴を火煙のなかに飜して逃げまどってお られるような錯覺を抱いた。なぜ先生に感謝の手紙をさえ一度も送 らなかったのかと、嘆きをこめて、山の端の紅い空を尚みつめて立 っていた。 ( 昭和三十五年六月「新潮」 ) 蜻蛉の數は、農藥のぜいか、今は少なくなったが、タミ子が奥能 登の村から、二年ぶりでロ能登の實家にもどってきた昭和二十四年 には、まだ「やんま」、「鹽からとんぼ」、「おはぐろとんぼ」、「佛と んぼ ( 糸とんぼ ) 」、「赤とんぼ」なぞ、村の野のいたるところにい 晩秋の或る日、タミ子が、收穫の終った靜かな野をあるいて行く と、無數の赤とんぼが微風に乘って、北の田から南の田へ、流れる ように飛んでいた。それが皆、一つがいになっていた。よくもこの 無數の赤とんぼが、とあきれるほどで、どれもが相手の尻さきを頸 のあたりにさしこませて、輕やかに嬉しげに飛んでいた。 それは睛れた日に戀人同士が手を取りあって行くようなもので、 まだ生殖行爲に入っているのではないことをタミ子も知っていた。 しかし久次郞との離婚後、生活に何のよろこびもない彼女は、これ らの赤とんぼを見てさえ、今は男というものにすっかり自信を失っ ている自分があわれまれた。 人目につかぬように野道を辿った。足がひとりでに久次郎の家の 方へ向かっていたが、今さら久次郞をたずねる勇氣があるわけでは なかった。 久次郎から正式に離縁されたとき、タミ子は、久次郞を恨むより も、久次郞の母のおちか婆さんを恨んだ。おちか婆さんのさしがね で離婚させられたのが、事實であったからだ。 農婦病
「そうか、えろう痩をて、誰かと思うたぞ」 妻となって後に、姑の「おちか婆さん」から、はげしい嫉妬と憎し 8 四やがてまた行き會う村びとたちから、ひどく痩せたとか、どこかみを買うほど、閨房の歡びも知るようになったのだ。久次郎を忘れ 惡いのではないかとか訊かれた。姉の家でどんな暮しをしていたか ようとして忘れ切れないのは、むろんそのような肉體的つながりも と、尋ねる者もあって、タミ子には煩わしかった。その上、久次郎深かったからである。 の住む部落に近づかぬうちに、はげしい腰痛がおこって、雜木山の 彼女は、毎夜、煩悶のあげく精魂がっきたように、夜明けになっ 紅葉の下の道にしやがみ、家へ引き返すまで、息も絶えそうな苦してトロトロと眠りに落ちた。つい朝寢をくりかえしたため、これを おうちゃく みをした。 自墮落とか橫着とか見る嫂から、昻奮した口調で、鷄の世話を言い それつきりタミ子は、一週間あまり寢こんだ。寢返りを打つのもつけられたりした。 苦痛だった。しかも夜は眼が冴えて、父と兄と嫂の非情に、やり場 が、タミ子は、あきらかに病氣だった。ただ經痛と、心の惱み もない怒りをおぼえ、誰に訴えようもない怨み言を、綿々と心のう による不眠は、人の目に明瞭な外傷なぞとは違って、父や嫂の目に ちにくり返した。 は、假病を使っているようにも見えた。また父は、「祁經痛なんか 「もともと私は、久次郞を好きでもなければ愛してもいなかったの百姓のしるしや、病氣のうちには人らん」と言い、者をよぶほど だ。私の戀人は、金澤の紡績に勤めていたときに知りあった義三だ のことはないと本氣で思っているようだった。 った。どんなに私は、義三と所帶をもちたかったことだろう。だの けれどもタミ子が、まだ二十七歳の身で經痛その他の農婦病に に、義三との中を引き裂いて、無理やり久次郎に嫁がせたのは、私 かかったのは、一つには、父親のせいでもあった。 の父だったではないか。嫁人りの翌日、義三が友だちと二人で、久 父によって強制的に久次郞の妻とされ、姑には、いびられ通し 次郞の家にきて、私をつれ戻そうとしたとき、久次郞は木刀で義三 で、役牛よりも長時間水田ではたらかされた。久次郎の出征後、い と友だちを打ち据え、駐在所へ行って話をつけた。私は死にたいほ よいよ邪險となった姑にたまりかねて實家にもどったが、實家で どだったのだ。内心どれほど義三にすまないと思ったことか。義一一一は、兄の應召で手不足となった父のため、また骨身にこたえる勞働 は、悲しみを抱いたまま應召して戰死してしまった。私はなぜ父に をつづけた。父が言うように、ただ辛抱氣がなくて婚家から逃げ出 反抗して、久次郎との結婚を拒まなかったのだろう」 してきたわけではなかったのだ。父のためにも、そのころは一日十 心が優しかった義三を思い出して悔やむのだったが、不思議にも 二、三時間も、獻身的にはたらいたではないか。 今度は久次郞への未練が湧いた。そうして久次郞の妻となった友子 への嫉妬が、ふいに燃えあがった。まるで心のうちに油田があっ タぐれから吹きはじめた野わきが、夜ふけになって物妻く荒れ て、それに引火したように、炎々と燃える焔で氣も狂うかと思われた。風の音を寢床で聽いていると、タミ子の頭には、奧能登にいた ころに見た、奇巖の多い外浦の冬の狂瀾怒濤が浮かんできた。それ たしかにタミ子は、最初は久次郞より義三に心をひかれていたは、ひっきりもない雷隝のようにも轟いた。大荒れに荒れたその風 が、義三との關係は、どちらかと言えば精禪的なものだった。肉體が、ときどき。ハッタリやんだ。冬の到來を告げるこの地方の風の特 ひょう の交渉もあったが、それはまだ淡いものでしかなかった。久欽郎の色だった。眠れぬタミ子は、夜明けになって、風が雹のような霰を