↑昭和九年六月新宿白十字にて 山田淸三郎下獄記念第一列右か ら二人目德永直壺井繁治江 ロ渙・林房雄一人おいて山田 淸三郎藏原惟郭一人おいて 秋田雨雀二人おいて加藤勘十 第二列右から陸男立野信之 小熊秀雄第二列左端中西伊之 助第三列左から窪川鶴次郎 細田民樹 ←昭和十二年秋右陸男 ↑昭和十三年十二月湯 河原にて さ第小田おお右赤前周小昭 、を澤麟いいか木列年劇和 榮太ててら蘭右記場十 子か念に四 妻松長ら公て年 本田瀧 1 寅十 人た克秀澤秋ー 1 新一 おま平雄修田石協月 雨狩劇 一後雀川團築
だ」 も、話はまとまらなかった。戰局はます / 、困難になるけはいで、 膝をゆすって、寢ている者が眼をさますような大整を出した。亠円去年よりは餘計出さなければならないと覺悟はしていても、あまり 田はそんなに人に負けているとは思わなかったが、もとから澤山作に多い割當に、一人として引き受けたと部答する者はなかった。何 っている連中とちがって、貧乏な銀蔵には矢鱈に闇肥料には手が出のまとまりも見せないうちに、冬の短い日が暮れてしまった。 「いつまで、ああだこうだと言ってても仕様がない。んだば一人一 なかったので、テキメンに肥料切れの來た田圃は秋落ちがして、思 ったほどのいい稻は苅れなかった。扱いてみると、情ないほど收量人意見きかせてもらうか」 十疊ほどの茣蓙敷の社殿いつばいに、しびれのきれる胡坐の膝を がないことが分って來た。何遍勘定してみても、八十俵も出したら あとには夏までの飯米も十分には殘らなかった。夏以來の米の借押し合いつづけている一同の顔を、彌八は紺のデタチの膝を折り直 り、タネの藥禮、足踏脱穀機の勘定、肥料の借りと、一寸頭に浮んし、一渡り見廻して、一際甲高い聲をあげた朝 「銀蔵、なんとだ」 で來るだけでも、米を運んで行かなければならないところはいくら 彌八のぬけ目のないチ一フ / \ とした眼は、右手の人の肩のかげか でもあった。鍬一丁が十圓もする物價高のときに、奬勵金と源泉貯 金の据置で、四斗俵一俵が手取りわすか十五圓にしかならない供出ら血走った眼をのぞいている銀蔵の上にとまった。彌八の小作人の 代金で拂いきれるものではなかった。町の醫者はハッキリと米で持うちでも、いちばん弱くていじめやすかった者に最初の爪がかかっ って來いと言った。お負けに税金と來ている。飯米のほかに二十俵たのだった。 「ーーお前から先す遠慮のないとこ喋ってみてけれ」 もないことには、どうにも節季は越せないのに、八十俵も出した ら、あとには飯米だけにも足りないくらいで、味噌麹も出なかっ 百姓の數にもかぞえられていなかった自分のことだから、いちば た。今の今まで胸に抱いていたリャカーも買って自轉車も仕人れてん後廻しになるものと安心していたのが、思いがけない皮切りを名 指されて、銀藏はただ小さい眼をまごっかせた。 という夢は、あとかたもなくフッ飛んでしまった。今年こそはと、 「なんと、今年は大百姓になったものだもの、なんぼでも出ぜるべ 踏んばりに踏んばりつづけて來たこの一年の、血の出るような骨折 りのこれがむくいかと思うと、銀蔵は煮えたぎる憤嶽をどうするこ で、なあ銀藏」 ともできなかった。 彌八ほどの地主ではないが三代もつづいたカマドモチ ( 資産家 ) 今年は根雪になるのが例年になく遲く、降ったり消えたりで、眼で、村では親方衆の一人として手間取の銀藏などは常日頃大か猫ぐ らいに見下している甚十郎が、中風にあたりそうなツヤのないむく の前にそそり立った山は雪で靑々と冴えていても、野面はまだ黑々 家としていた。 んだ顔をむけてひやかした朝 の 途端に怒った河豚みたいにプンとふくれた銀藏の小粒な顔が人の また一雪降った翌日の靑空がひろがってキ一フど、と陽の照る午後 そ に、いよ / \ 個人割當ということで、部落の祁明就の社殿に、頬か肩のかげから急にもち上って、叩きつけるような聲が飛んだ朝 代 「んだな、俺だば、なんとしても、それだけだば出せないな、そん 雪むりして熊みたいに着ぶくれた背中を丸めた男たちが三三五五集っ て來た。プンと紺の香りのするようなデタチ ( もんべ ) 姿の彌八をなに出したら、增産だらいいが、明日から生きて行かれねえ、誰に 5 8 中心に協議は進められたが、瓧殿のなかが薄暗くなるころになって何と言われたって、これだけは何ともならねえ」 こうじ
ルコニーの方に出て行って、頬べたを冷しながらつまらない話をす 六本當の悪漢が此處に居るー る者もゐた。雜然としてゐた。 ル 1 テルは自分の椅子から離れて、思想家の間を泳ぎ廻り、いろ ルーテルは電氣會瓧の社長で同時に穩健なサンヂカリストである いろな自分に必要な知識を集めて廻った。彼は手帳を離さなかっ スラウ氏を呼ぶのに、 た。彼は大きな帳簿や日記帳を番頭逹に任してあった。彼は此の中 「同志ワルター・ス一フウよ ! 」 で手帳主義者だった。 と云った。けれどもそれは、たゞ大衆の前とカノ 、、レーテル商會の ワルター・スラウとアブナー・カンの論戦は傍聽者を集めてゐ 一一階に根據を置いた「民衆クラブ」だけであった。彼は瓧長室で 「我々は飽迄、漸進です。改造です。」 「スラウの共産黨め ! 」 「我々はそれを否認します。」 と呼ぶのだった。 二人の議論はそこに盡きてゐた。ス一フウはルーテルが如何に財界 木曜日で「民衆ク一フプ」員達は詰めかけてゐた。スチームと酒と を亂し、不當な利潤を得てゐるか、といふ彼の持論をほのめかすこ で思想家の頬はほてってゐた。・・・勞働同盟八百七十萬とも忘れなかった。アブナー・カはその點に對しては同意した。 人の會長アブナー・カンは丁度ワルター ・スラ - ウと向ひ合ってゐ スラウはルーテルを甘く見たのだ。彼はあらゆる點でルーテルと た。ル 1 テルは二人の顔が、片頬づ又見える位置にゐた。アルマ・ 對立し、戦って來たのだ。彼のサンヂカリズムでさへ、ルーテルの トウは誰からでも「先生」と云はれてゐた。彼は七十を過ぎてゐ ソシャリズムに對抗する爲にのみ拵〈られたものだった。そして二 一番古い瓧會主義で人格者だった。總理大臣が彼をつかま〈て人ともそれはロの先だけのことだった。けれども ~ ーテ ~ の鬪爭意 「先生」と云 0 ても少しも不似合ではなか 0 た。さういふ風な人達識は猛獸のやうに本能的なものだ 0 た。 ~ 1 テ ~ は手帳にあの小さ が多かった。誰も彼も、もう十年か十五年生きて居れば、大臣から な鉛筆をなめながら次のやうに書きこんだ。 「先生」と云はれる連中だった。然したった一人だけ例外があっ 「ワルター ・スラウを葬れ ! 」 た。此の男はキット十年もたてば、首を絞められるのだらうが、人 然し文字の上には鉛筆の線が幾本も引かれ、さういふ危險な語句 人はちっとも知らなかった。カー ~ ・「イ = だった。豫備陸軍大は消えてしまった。けれども、カー ~ ・「イ = の大きな禿頭は、 尉だ。彼は大きな禿頭で頤の下にレーニンのやうな髯をつけてゐ ルーテル氏の白髮頭と舊式な軍艦の形をしたプロトスの中で列んで ゐた。 た。彼は鼻眼鏡をかけたり外したりする癖があった。彼はルーテル 胥の信任を得てゐながら、彼にピストルを向けさしたのだった。多く 「大丈夫だね ? 」 市 の人々の中でまんまとルーテルをゴマ化し、ルーテルの策略の裏を とルーテルが言った。プロトスは坂をのぼってゐたので、二つの かき得た人間は彼一人に違ひない。 頭は後に反った。 5 3 思想家逹は、餘り禮儀を守らないことにしてゐた、食事がすむと 「私が此の通り安全でゐる間は、凡て好都合に行ってゐます。御安 歸る者もあった。一寸した演説をやってお茶を濁す者もあった。バ 心を。」 は、
あんばい ことだす、一升二十錢にして置くから鹽梅見て下されであと言ひ乍に報告してゐる聲が窓越しに聞えた。 勞役場入りをするものはその日の米にもこまるものにきまってゐ ら臺所口から顏を突き人れた。おや濁り酒のことフクロって言ふ て、私の家巡査だすてと細君は言ったので、百姓女はびつくり仰天るので、老人のある家では大抵爺さんか婆さんが、働手の身代りに して、まんづ、旦那さんの家たってと叫びながら、鷄が火にくたばなって罪を引き受け勞役場人りをするのであったが、その部落など ったやうにあわてて逃げ出して行ったといふのであった。その話がはそのとき逮捕状を執行された三人が三人とも老人であった。若い 終るやいなや丸顏の巡査は、その梟お前でなかったか、うん、どう もの、かはりに年寄が行くといふことはよくよくのことだったか かうしんづか もお前らしいぞと眞面目な顏を婆さんの方に向けた。旦那さんが ら、息子や孫たちは村はづれの庚申塚まで送って來た。んだら婆樣 た、笑ひ事でねすてと婆さんはまたもや口説きはじめたが、結局税からだに氣をつけてなあ、早く戻って來て呉れせやとイク婆さん むかしこ 務署や檢事局でもどうにもならぬものは、警察でも手の下しゃうが の伜は言ひ、孫たちは、婆様早く戻って昔話聞かせれなと繰返し ないことはわかりきったことであったので、お峰たちは何時閭もが た。うん、おとなしく待ってれや、腰曲っても大丈夫だ、一日一兩 んばってゐたが徒勞であった。たゞ眼の細い好人物の巡査がいづれの賃銀稼いで來るからなあ、とイク婆さんは曲った腰をのばして見 せ、まだ頭髮の黒い二人の年寄の間にはさまったその姿は次第に小 逮捕状が廻って來たら、それぞれ村役場にかけ合って救助米を貰へ るやうにしようし、それ以上の世話も出來るたけっとめようといふさく遠のいていったが、一時間もすると戸板にのせられて歸って來 ことで、お峰たちは引き上げるより外なかった。 たのであった。隣り村まで行きっかないうちに、突然卒中を起して 歸り道、お峰は萬ケ一をねがって村の駐在巡査に泣きついて見たひっくり返ったのであったが、六十八といふ寄る年波では若いもの ところが、留守中は與吉の子供等も見てくれるといふ案外の親切と一緡に一日一圓の罰金をかせぐことは無理であったらしく、間も に、お峰は暗くなった道をいそぎながら、背中の子供に氣どられま なく息をひきとってしまった。次の日また五、六人の新手がやって いとする心の張りも失くして手ばなしで泣いてゐた。その日になっ來て、手狹な刑務支所は滿員になったので、お峰たち女八人は小一 てその駐在巡査になぐさめられながら町の刑務支所にいって見る時間汽車にゆられ縣所在地の刑務所に送られることになった。半 と、もうそこには五、六人來てゐたが、そのなかには例の婆さんだ分は老人で、若い女のうちの三人までは乳呑兒を抱いてゐた。二十 けは金でも都合して勞役場送りをまぬがれたものか見えなかった五日を經過しない者は産後の肥立を待って收容されるのであった が、亭主が出稼ぎに行ったまゝ便りがないといふその日警察で顔を が、それ以上たってゐるものは靑い顔をして梅干のやうな乳呑兒を 合せた女の顔も見えた。赤子に乳房をふくませながら、泣き腫らし抱いて送られて來た。市の停車場に着くと警官につき添はれた傾冠 た眼でぼんやり宙を睨んでゐる女房や、見送り人に贈られたらしいりの女逹の一隊は街の明るい空氣の中に暗い汚點となって、こそこ 眞新らしい手拭を丁寧に折りた又んで風呂敷包みにしまひ込み、わそと乘合自働車や荷馬車のわきを通りすぎるのであった。 ざわざ煮締めたやうに黒いのを取出して汗を拭いてゐる婆さんもあ 乳呑兒を抱いてゐるのは、しかしこの一組にかぎらかった。勞役 った。間もなく背の低い恐い顔つきの巡査が婆さんを二人連れてや場のなかは、赤兒の泣き聲がこんぐらがって宵の錢湯のやうにごっ 5 って來たが、この齏藤イクだがなあ、途中でひっくり返ってしまった返してゐた。同じ境遇のものを見出すことは何時でも人間をなぐ てな、戸板で蓮ぶ騒ぎをしたが、或は死んだかも知れんな、と看守さめるのであったが、こ、でも古參は新人者をあふれる喜びの眼で
刈った束を畦に積んだまでおくかも知れぬ。そんなことを考へる 女房だけで維持するのが無理とわかっても、自分がその立場にな とたまらない。美しいことを云っても、個人個人は決して信用できればやはりさういふだらうと思ひ、文蔵はかたく約束した。酒をの ない。團體や組合もあまり當にはならなかった。ひとつだけ希望がんでゐるとき、地主から使ひがきた。行くと、 あった。それは感じだけで漠然とではあったが、戦爭が始まってか 「お客があって挨拶に行けなくなったもんだからなあ。これは少し ら村の人の氣心がかはりだしたやうだった。 一人一人をみれば今ま で通りであっても、五人十人と束になると、そこに共通の感情がう と云って餞別をだしたあとで、 まれる。狡猾な利己主義な人が、五人十人をうごかしてゐたのに、 「いろいろあとのことを自分でも考へ、二三の人にも相談しただ。 この頃はさういふ惡い人が遠慮しだしたのではないか ? 狡猾な性どうしたら君が安心して出征できるかとね。おきぬさんを中心に近 根がなくなったのではないが、これではならぬ、といふ氣持が五人所ですけてやるか、また凱旋するまでうちであづかるか、それから 十人のあやつられてゐた人逹の方に湧いてゐるのではないかーーそ靑年團に奉仕させる案もあるがなあ。どうも靑年團にしても近所の の考へが根上庸吉をいくらか明るくした。 人にしても、他人といふものは氣兼ねもあるし、手の屆かぬところ 明日の夕方出發して宿をとって、明後日の人營であった。今日と があるもんだで。結局おらであづかって、誰かにつくらせるが一番 明日だけしか時間はのこってゐなかったので、今日のうちにできる ちゃねえかと思ふが、どうだね ? 」 だけ家のことをかたづけて置かねばならなかった。無盡の話をつ あとの者にまかせろとさっき云ってゐたのに、今度は誰かにあづ け、信用組合の淸算をして、二十圓借りて家に歸ってきたのは夕方けよといふ。若し確實な人であれば、證人を立てゝあづけて置け だった。そこに集まってゐる近所の人逹の顏を見ると、どれもこれば、漠然と地主にまかせるより安全であると思った。なぜなら地主 も借金の保證人になったりなられたり、といふやうなこの際一々話自身につくられることになると、取戻すときにどんな面倒が起るか をつけておかねばならぬ者ばかりだった。・、 カその時間も能力もないも知れなかったからだ。 ことは兩方ともわかってゐる。戦死したときのことを考へるが、誰「誰にあづけるか、きまってゐますか ? 」 も口には出ぜないし、當人にしてもそれだけは考へたくなかった。 「いや、まだ、何しろ早急の話で手がまはらん。君が出發のときま 文藏とは親戚ではないが、親しい交際をしてゐた。それで別れの で間に合ないやうだったら、供に委せてくれたまへ。」 酒もりをする前に、根上は文藏を納屋の前につれだして、あとのこ 「人によってはあづけませう。」 とをよく賴んだ。 根上ははっきりと云った。遠慮してゐる場合でなかったから。彼 「外のことは人に委せるより仕方がない。けんど田畑だけはどうしは五段歩あまり田をつくってゐるが、全部小作であった。地主は三 ても手ばなすことはできねえだ。誰がなんと云っても、たとへ女房人で一口は東京帝大講師をしてゐる若い學者で、一口は電燈會瓧で が云っても離さねえやうに、君ががんばってくれ。」 變電所の附屬地にすぎず、どっちも面倒はなかった。だがこの二筆 「留守のあひだゞけでもか ? 」 は二段歩あまりで、大半が厄介な地主のものである。この方は最近 四「留守だって長くて二三年のつもりだがなあ。その間ぐらゐ何とでよくある小地主から自作に轉向しなければならなくなった組の一人 3 もして、がんばってもらひたい。」 で、そのため度々問題をおこしてゐる。根上が地主の眞意はわから
「ああ、多聞がかへって來るぞ。また何かくはヘとる ! 一人が泳ぎやめて空をみあげた。一羽の大鷹が浦をよこぎって飛 んでゐる。 「何だらう。鷄らしいぞ。あいっえらいからなあ。」 「多聞はえらいとも。大でも飛びかかって行くさうな。もう何ぼに 浪うちぎはには一間幅ぐらゐの石だたみの堤防があって、小松ゃなるだらう。百ぐらゐかなあ ? 」 「百にもならん。うちのお父さんぐらゐだって云ったぞ。」 萱がすき間なく茂ってゐた。津志王は二人の子供と、鹽濱の風通し 「いいや、頭が禿げとるから百だらう。百にもならんでも、九十ぐ をよくするために萱を刈ってゐた。足の下では白い波がさらさらと らゐになるよ。」 引いたり寄せたりしてゐた。穩かな海風が陸地にむかって吹いてゐ 鷹は岬の方へ小さくなってしまった。そして斷崖に老樹が黒ぐろ るので、首すちにたまる汗もさほど苦しくはなかった。 と立ってゐるなかに姿を消した。 大人たちは畑をならして鹽濱の地盤をかためてゐるらしかった。 「津志王、お前のお守りは觀音さまだらう。多聞でも負けるか ? 」 里芋や大根を作ったあとで、鹽をやくのがこの土地のしきたりであ 「多聞 ? あんなものは何でもない。いや、世界ぢゅうでいちばん り、また三庄大夫の大きなみいりにもなってゐた。彼は作人には えらいのが、音さまだ。」 反、五斗といふ割に安い年貢を課してゐるかはり、農閑期に鹽濱で ただ働かせるのだった。そしてこれだけは自分で運送のことまで指「へえ、觀音さまはそんなにえらいか。」 「えらいとも。あのな、おれたちがはじめて大夫さまのところに來 圖するほど大切にしてゐた。 たとき、錢をだして買った奴婢には、燒印をおすのが慣はしだから 「暑いなあ、水を浴びようか ? 」 と云って、本當に印を額につけたんだ。その時おれも姉さんも観音 子供の一人は水干の袖で汗をぬぐひながら、海の方に眼をやっ さまを祈ってたものだから、あっくもなければ、やけあともっかな かったのだぞ。ほんとだ、たしかに何ともなかったんだ。」 「大夫さまがさっきお出でになったらう。見つかるとこはいぞ。」 「なに、ここまでは見えはしない。堤のかげになるから。」 二人はびつくりして津志王の顔をみいってゐた。そのときであ る。海がいっぺんに眞赤になった。萱のある堤防も、鹽濱も、それ 子供は折烏帽子の紐をといてゐた。三人は鎌をなげだし、裸にな からさっき多聞が隱れた岬の斷崖も、空も、世界ちゅうが眞赤にな って綿のやうに軟かな砂濱にとびおりた。 った。火が燃えるやうだ。いや血が流れると云った方がよいほど 「天氣がよくなったから、今夜は砂持ちをせんならんぞ。眠いこと 夫 大だらうなあ。」 だ。汐でぬれた三人の體にもその毒どくしい色が沁みついた。 「きやっ : ・ : 」と三人は一度に叫んだ。それから汐をかきのけ、狂 「おれたちは子供だもん、砂持ちは大人がしてくれるよ。」 話しながら深い方へ歩き、やがて全身をつけて泳ぎはじめた。すぐったやうに走りだした。汐の飛沫も眞赤になった。世界ちゅうが熱 ゅふなぎ 何もかも忘れて泳ぐことに夢中になった。そろそろタ凪になるのだのない火の海になった。 3 らう。さっきまであった微風はおとろへ、海面は油をながしたやう。 人家の方で鷄がばつばっと飛びあがり、そのたびに悲鳴のやうな 曇猛はうなづきながら、背の革籠をゆりあげた。濱邊の松林のあ るあたりに、人の黒いかげが見えだした。そこが鹽濱だと案内の作 人が指さした。
、 : ~ ぐ : を 33 ←昭和三十七、八年頃 、 2 00 ぐ《 ~ ~ アサヒ放送にて幅井 ~ 、を : ・、ツ中學時代の同窓生と : 、 : ら・右から啓深田久彌 0 ト一字野重吉 ↑父瀬造 ↓昭和十年 ↑昭和十三年十一月農民文學懇話 會發會式後丸の内中央亭にて 前列右から二人目加藤武雄新 居格有馬賴寧丸山義二吉江 孤雁藤森成吉中列右から一一人 おいて有馬賴義橋本英吉啓 和田傳間宮茂輔鑓田研一一 人おいて中本たか子一人おい て佐藤民寶 ←昭和三十三年七月石 月縣内灘にて ↑昭和三十四年四月 右から妻みよ その後健介私風
305 農婦病 飛びこんできた。おどろいて夢からさめると、足もとに、黒いオー みをのこしている自分の體だし、まだ無邪氣なところのある直彌を ・コートをきた直彌が朗らかそうな笑顏で立っていた。 誘惑する氣には、とてもなれない。直彌の夢を見たことさえ、恥が 「あら。直ちゃん」 あって言えない。しかし義一二と久次郞との、二人の男を知って、し 「やつばり友子にだまされてん、ア、 ノノノ」 かも夫婦關係を斷たれてしまった自分は、長らく心の底で獨り寢を 「まあ、よかった。友子さん、無事だったのね」 嘆いていたればこそ、今のような夢を見たのであろう。それに直彌 「ビンピンして叔父さんと飯をたべとった。アン「ロを買うて持っ には、事實愛情も感じていた。ひそかに夢を反芻しながら眠った。 て行っただけ損をした」 翌日も、風は荒れたりパッタリ止んだりしたが、正午ころから霙 「よかったわ。こんな嬉しいことないわ」 がふりだした。 タミ子も笑って身を起し、亂れた髮をなおしたが、まだ胸の動悸 直彌は、朝から母の家を下見に出かけていた。それは、持病をも が高かった。 っタミ子をつれて道に迷っては困るからだった。十六歳の直彌が、 直彌の話では、友子は、松任のア「 0 をさし出して詫びを言 0 それほど氣を使 0 てくれることにタミ子は驚きもし、感謝も覺え た直彌に、「輻島の男どもは、暴力をやめねば、今にほんまにオラ た。利ロでもあれば思いやりもあって、いい少年だと思う。境遇さ を殺して監獄〈行くことになるやろ。これに懲りて二度と人をぶ 0 えよくなれば、今に立派な人間になるのではな」かと思われた。 たり蹴ったりするもんでねえ」と説敎して、アンコロを機嫌よく食 午後一時すぎに、直彌がもどってきた。 おふくろうち べたという。また叔父は、寒いこの日に、オ ーバーも着ずに母に會「阿母の家がわかったぞ。中〈は人らなんだけど、でかい家や。近 いに行くのはみつともない、オ ーバーを貸してやるから、用がすん所で訊いたら、阿母の夫は死んで、阿母は米亡人にな 0 たんや 0 だらまた返せ、といってこのオー ・ハーを着せてくれた。 直彌は、内湯に入ってもどってくると、 「まあ、知らなんだ。お氣の毒なことね」 「姉さん。ぼく、今日は何んも走 0 て疲れたさか」、もう隣 0 部「義理 0 息子が一人あ 0 たけど、それも戦死ゃ。阿母が産んだ女の 屋で寢るぞ」 子が一人あるそうや。ぼくの父ちゃんちがいの妹ゃ。、ん、ぼくに 「おお寢なさいとも。でも隣の部屋を借りてあるの」 も、妹が一人あるかと思うと、嬉しゅうなった」 「うん。姉さんも、もう安心してぐっすり眠っとくれ」 タミ子は、母と妹のことで夢中になっている直彌に、内心淡い嫉 「ありがとうね」 妬を感じた。 「ぼくが隣にいるさかい、何も心配いらん。おやすみ」 「それで、もうお母さんに會ってきたの ? 」 「おやすみ」 「會うもんか。近所の人に、あんまり詳しく訊いたら、あんた、ど 直彌は、さっき男たちが唄をうたっていた隣室とは反對のほうの この人や、と怪しまれた。 さあ姉さん、いやでなかったら、一 隣室へひきあげて行った。 しょに出かけとくれ」 タ。、子は、夢のなかで直彌とあられもなく抱擁した自分を思い返「ええ、ええ。よろこんで行くわ」 して恥すかしか「た。目がさめてみれば持病の紳經痛がなお薄ら痛「ぼくは、自分の母ちゃんが、タミ子姉さんみた」な顏やと嬉し」
272 骨と頬骨のあいだの稍ひろい感じが難だと思った。というのは、 が、日がとつぶり暮れると、急ぎ足で臨川亭へもどって行った。 夢子の横顏は非の打ちどころのないほど整って、品よく、なよやか に見えたが、正面を向いた刹那に、思いのほか廣い顔に、何か臆面 臨川亭の二階には川を見おろせる座敷が三つと、中庭に臨んだ 座敷が一一部屋あって、川に臨むほうの一室で役人逹の非公然の宴會のない組野な感じが漂っていたからである。 「どうして人の顏をまじまじ見ていらっしやるの ? 」 がひらかれていた。町の商家の店先からは、波に浚われはじめたよ 「君はほんとうは齡はいくっ ? 」 うに飮料食料が品薄になっていた昭和十七年のことで、臨川亭にも 夢子は兩手で顏を蔽ってみせて、 客足は絶えがちとなっていた。 「あら、いやだ、齡をきかれるのは鬼門だわ。もうひどいお婆さ 洋太は、夢子を階下の自室に招いた。そこは母親にねだって、八 疊の和室を洋風に改造した部屋で、窓からは、タ影の消えた、ほの いさりび 「母親とその娘は、あんまり似て見えないものかね。普通は年がす くらい川の河口と、日本海の宵の漁火が眺められた。夢子は人っ いぶんへだたっているからね。」 てくるなり、いつものように手早く内鍵をかけると、勝ちほこった 「まあどうしてそんなこと仰有るの ? 」 ような明るい笑聲をあげて洋太に戲れかかった。洋太の思わくを、 「君は、若しかしたら、妙子という女の子を知らないかね。」 りも斟酌もしないのである。 思いなしか夢子は、ハッとしたように見えた。 「お座敷を引き上げたいわ。明日になれば、お母様が富山から歸っ 「まあ、たしぬけに、どうしてそんなこと仰有るの。」 ていらっしやるんでしよう ? そうすればわたしには、このべッド 「十四か十五くらゐの、きれいな女の子だよ。」 も、もう今晩一晩きり。」 とべッドに腰をおろして、立ったままの洋太に、笑いながら兩手「思い當りませんね。でもどういうわけ ? どうしてそんなこと仰 を差しだした。洋太よりは一つ二つ年上に見える。二十四、五歳か有るの ? その子がどうかしましたか ? 」 妙子がトフックに跳ねとばされて、臨川亭にいるママに知らせて と ~ 証しもが一ムう。 くれと云いながら病院に運ばれて行った、とでも云えば、部座に眞 「今晩一晩だけというわけでもないよ。」 實を見抜けたかも知れないが、そんな罪なことを云える洋太でもな 「いつもあなたの顔を見ていたいわ。見ても見ても見倦きないわ。 い。松原で見かけた父子のことをありのままに語った。 どうしてこんなに好きになってしまったんでしよう。」 「あなたは、わたしがその盲目の人の妻だと仰有るの。ほほほ、勘 洋太は改めて夢子の顔をながめた。別に妙子という少女に似てい るとも云えない。ふくよかな頬から口元にかけて、似ていないとも違いですよ。わたしの良人は華北で戦死しちゃったとこの前云った でしよう。二度と生き返ってくるものですか。」 斷言できない。しかしすべての美しい唇が、すっきりしているとい 「寺からここに移ってきた人は、君以外にはないんだから、へん う一點で、他人でも互いに似通うのは當りまえではないか。一體こ んなに若く見える女があの少女の母親であり得るか。それに、妙子だなあ。」 「しらべてごらんなさい。きっとあなたの聞き違いよ。寺には、 は細面だが、夢子は頬骨と頬骨のあいだが稍ひろい感じだ。洋太 が歸省してはじめて夢子を見たとき、美しいとは思ったが、この頬わたしのほかにも女の人が二人いて、そのうちの一人とわたしが話 めくら
相談するつもりや」 やし、下駄みたいな顔や。姉さんは優しい善い人やし、泣いても笑 0 久欽郞が友子とウマが合うらしいことは、タミ子には、今さらなうても綺麗な人や。いや、ほんとや。姉さんが泣いて別れたときの がら口惜しいことだった。元來は気がよい久次郞は、細君本位の生顏、今でもおぼえとるぞ」 き方をする男だ。タミ子と暮していたころも、タミ子の言いなりに 近づいてきた・ハスに、直彌はタミ子の肩を抱いて歩み寄った。 なるところがあった。體が強いくせに女房の尻にしかれやすい。勝 氣な友子に操縱されて、二人で風呂に入ってからも、嘗てタミ子に 奇妙にも、タミ子は、寢床のなかでの物思いに、若い直彌を思い そうしたように、友子の情欲を滿たすためにもよく奉仕しているの浮かべるようになった。 だろう。と思うと、またもや嫉妬がムラム一フ湧いてきた。で、あと 人は孤獨だと、猫の子一びきでも愛せずにおれないものだ。まし は直彌の言葉も耳に入らず、降りるべき・ハスの停留所も、あやうくて「出戻り女」の劣等感を抱いて、部落の者たちの視線をさえ厭っ 忘れるところだった。慌てて直彌にわかれを告げて、・ハスを降りよていたタミ子は、自分を賴りにし、慕い寄ってくれるただ一人の若 うとすると、またよろめいて直彌に抱き支えられた。直彌は、一し者である直彌から、善い人だとか綺麗だとか言われて肩を抱かれて ょに・ハスをおり、灸師の住むしもたや風の家に入って、タミ子の灸みると、もとから慰めあったりしていた仲だから、思いのほか心を 治療が終るまで待っていた。 動かされたのも無理はない。いつのまにか久次郞のことは忘れ、う わずかな金しか持たぬタミ子は、治療費も要るので、直彌の母に ら若い直彌の生き生きした顔を眼前に見たいと思い、また彼の願い 會いにいく汽車賃をどうしたものかと思った。が、直彌はタミ子が を早くかなえてやりたいと思った。 乘る・ハスを待って停留所に立ったとき、 灸を据えに通って一週間もたったころ、町へ出かけてもどってく 「汽車賃は、ぼくが出すし、お禮に姉さんを温泉に案内する氣や」 ると、嫂から、留守中に直彌が尋ねてきたことを告げられた。思わ うさんくさ と大人らしいことを言った。 ず顏を輝かせたため、嫂から胡散臭げに眺められ、最近直彌と會っ 「まあ、温泉へ案内するって、そんな金をもってるの ? 」 たことがあるのかと訊かれた。 「今朝、郵便局で金を出して、ふところが暖こうてならん。な、姉「ええ、・ハスの停留場でひょっくり。あの子は、わたしに、母親の さん、金がいるときは、そう言うてくれ。姉さんのためなら、。ハッ ところへつれて行ってほしいと言うがや。あの子の母親と言えば、 と金を使うさけ」 わたしが十二のころまでよく可愛がってくれた人でね、直ちゃんを 「ハア、直ちゃんにムダ使いさせたら、罰が當るわ」 産んでまもなく夫に死にわかれ、わたしと同じように姑にいじめら 「ぼく、姉さんと温泉に泊るのが樂しみや」 れて家を出てしもうたんや。それから苦勞したあげく、再婚して仕 「まあ」 合わせらしいわ。だから、わたしの境遇も察してくれて、これから タミ子は、直彌の無邪氣そうな笑顔を見てあきれたように笑っ の身の振り方を相談できる人やと思うの。それで直ちゃんと一しょ た。この子は、わたしと温泉宿に本氣で泊る氣でいるらしいと思っ に出かけることにしたわ」 と、タミ子は正直に、また何だか浮き浮きと話した。が、直彌が おくび 優しく肩を抱いてくれたとは、曖にも口に出さなかった。 「姉さんは痩せたけど、友子よりよっぽど綺麗やぞ。友子は欲張り