しつこいほど注意を言いきかせたのは、僕の七歳のときに母が一一十てきた。先生のそばには、走り止めた他の生徒たちが立っていた。 七歳で自殺していたので、父にも死なれては一大事と思ったからで先生は、 「誰か如露を持ってきて頂戴。」 ある。 これを聞くなり、僕は、ぶったおれそうに疲れていたけれど、絲 翌々年の夏も三國で暮して、眞黑に陽やけして輻井に歸ってきた の切れた奴凧のようにフフフラと校庭を走って物置へ行った。物置 小學校の校庭へ遊びに行った。と、 六年生の僕は、久しぶりで から如露と・ハケツを持ち出し、植物園の左手にある泉水から・ハケッ 小畑先生が校庭の背部にある花壇の入口に屈んで、花々の手人れを に水を汲んで、引き返してきた。息切れがして物も言えず、だまっ しておられた。なっかしい先生の顔は、陽やけもせず、白い朝顔の て如露に水を汲み入れて先生に差出した。僕は、帽子をどこかへ置 ように汚れがなかった。夏だのに、やはりグリーンの袴をはいてお き忘れていた。 られた。 「いい子ねえ。どうもありがとう。」 「こんにちは。」 小畑先生は、そう言って受け取った如露を花壇の前においた。そ 僕が帽を取って禮をした。 して立ち上ると、意外にも僕の頭を、一撫でした。小畑先生の手の あら、杉村さんは眞黒になって、元氣そ 「はい。こんにちは。 柔かさを感じさせるような優しい愛撫だった。僕は、はにかんで一 うね。」 先生は僕をながめ、綺麗な齒並を見せて笑われた。それは、三國歩退いたが、心のうちでは、「お母さん」と叫んでみて、先生にと びつきたいほどだった。 の海水浴場では見ることのできなかった僕の一番好きな笑顔だっ 學校からお泉水町へ行く道の右手に、淨水川といって、飲用水を 供する淸い小川が流れていた。そのころは、輻井市中のいたるとこ 友だちが五、六人やってきて、花壇を何回走りまわれるか競走し ようと言いだした。花壇と呼んではいたが、花園を兼ねた廣い植物ろに淨水の細流がながれているのが、城址の高い石垣や外堀ととも に印象的だった。その川に浩って歩くと、ウグイが泳ぎ逃げる流れ 園で、その周圍は五百メートルくらいはあったように思う。僕は、 に、小畑先生の顔と生母の顔が一一重寫しになって映ったような氣が すぐ仲間に加わって植物園の周圍を走りはじめた。一周する毎に、 小畑先生の目の前を走った。それを失禮とも思わず、先生から眺めした。この淨水川に沿って右〈折れると知事官舍前に出た。そこを られているように思って、何回となく走りまわった。だんだん落伍通りすぎて、まもなく女學校前に出た。女學校の横手に、淨水川か らの分流が、道路の下をくぐって、ゴモゴモと湧き流れていた。僕 者が出て、僕もくたびれたが、小畑先生が見ているからと思って、 最後の一人となるまでヨタヨタ走りつづけた。このとき僕は、やったちは最初ここで泳ぎをおぼえたので、雪のような飛沫をとばして と生母を思い出して、自分が小畑先生のなかに「母」を感じている湧き流れるこの小川が、見るからになっかしかった。衣服をぬぎす の ことに氣がついた。僕の生母は、高岡の定塚町小學校の運動會で僕てて流れ〈とびこんだが、小畑先生に頭を撫でられた嬉しさが、ま が走る前に「夏ちゃん、がんばりなさい」とはげましてくれた。僕だ胸を躍らせていた。泳ぎながらも、「小畑先生のいる小學校にい つまでもいたい。中學へなんか入りたくない」と思った。 のは、母のために、ほんとにがんばって、競走で二等になったのだっ 2 翌日も、學校の運動場〈出かけてゆくと、花壇の手入れをして立 た。それを思い出しながら、僕一人が最後に小畑先生の前まで走っ やっこだこ
昭和一一十九年十一月十日代々 木上原の自宅にて伊藤永之介 直二太里古牧忠昭 村野近一和 靑前欣長江郎四 野田三 季河郎川金 合子前 吉廣細 一田佐仁洋列 細郎源藤文右 田吉洋湊か 民五二安鶴ら 樹十後次田 公列工郎知鈴 今野右藤也木 野淸か恒中 列永次 山右之郎 石水本か介 德山木勝ら 永健京 1 大正七年
慣は道を歩きつつ一つの想念に逢着する。なる様になれーーと思っ 4 と言はるべきであらう。やがては私も何等かの仕事を成就するつも た筈の自己が、現實目の前に轉落して行く姿を發見した時、果然と りであった。君もまた私とともに何事かを夢見てゐた。さうして月 して私は哀しくなるのだ。すると自分の孤獨の心はすます自分を日は流れて行ったといはるべきであらうか いとほしく思ふ。浪々たる氣持に一應の結び目をつけねばならぬと 生活の脅威が次第にお互ひの紳經をささくれ立たせたものであ 思ふ。今や孤獨の際涯に來た、その時それを自覺し、人間の心理はる。君は慨嘆して私の批評を口にのぼせた。「あなたといふ人は一 如何様に變化して行くものであるか ? 體何が何だか少しも捉へどころのない人だ。恐ろしく間が拔けてゐ 昨日は君の一年忌に相當した。三百と六十五日が廻って來たわけるかと思へば、徹底したエゴイストに見える。冗談かと思ってゐる である。過ぐる一箇年前の丁度九時四十三分、君の呼吸がびたりと と不意に氷のやうな眞劍さが見える。何だかあたしには判りやしな 止った刹那から私は自分の悔恨を胸底に壓し鎭めて來た。恐らくはい」ーーーと。私は自分がどんな人間であるか詳しくは知らない。お 私のやうな人間は、懺悔らしい懺悔も出來ないのである。宗敎的な互ひに人間は己が一番可あいいのだ。どんなに客觀視し得たところ 環境がないからでもあったらうか。乃至は年を加へるとともに薹で、自己批判はあまいものだ。それは總ての私小説が作家の自己辯 立って來た下劣な心情の所以であらうかーー君にもし一切の告白が解にすぎぬことでも頷くことが出來る。私もまた毛頭自分を嚴正に 許されて、再び君の姿が現實化するならば、私は百の懺悔も悔恨知り拔いてゐるとは思ってゐない。どんなに自卑し、自棄しても、 も、公衆の前で叫べと言はれれば素直に叫んでもよいのだが、あまだどこかにあまえる場所を殘して置く。何といふエゴイスト ! あ、これもあり來りの感慨であるにしろ最早や君は永劫に私の前に ーー嘗て私は十五歳の時代用敎員をしてゐた。田舍の複式小學校 めらう 現はれようはないのである。記憶の中からさへも徐々にうすれて行 で、三四年の洟垂れ小僧と女郞を相手にしてゐた。勿論十五の先生 くのであらう。男が斯の如き無と直面した時の感慨は、これまた知も洟垂れ小信であったにはちがひない。一人の男の子が反抗して校 る人でなければ同感の吐息さへ洩しては呉れないのである。 長に言ひつけた。その子はこの洟垂れ敎師の態度を難詰したかった 何といふ不幸な結婚生活を送った君であったらうかーー君の一生のであらう。その事件の何であったかは最早や記憶に殘ってゐな の果敢なさはロにするにしのびないものがあるのだ。私は遠慮なく い。だが、事件は私を校長の前に立たせ、私は訓戒されてゐた。子 いた 悼みたい。君を悼むものは私を措いて外に誰一人居ないのだ。君の供は公平に取扱はねばならぬといふことに關してーー私はむしやく 心を知り、君の胸を知り、君の血を知ってゐる私、それ故私にだけしやして敎室にかへり、さうして全生徒の前で私の行爲の正否を問 は心置きなく哀悼のお喋りをさせて貰ひたい。私は君を悼みつつ自ひ訊したものである。敎壇の上に立った敎師が、汚ない机に腰かけ 分をかなしんでゐるのである。 させた生徒に向って、そこにそれを喋ってゐる敎師の行爲を判斷さ 君と私とはやつばりこんな寒い日に結婚した。私たちのそれは結ぜる。こんな判斷に正確な答辯が求め得られると思ふか。しかしそ 婚といふにあまりに素朴であったのだが : : : 冬の日が暖かく感ぜらの馬鹿氣たことを私はあへて爲した。さすがに子供たちは手をあげ れるはじめての同棲生活、世の常の新らしく家庭を持っ男女たちとなかった。「先生の言ふことを聞かないのが惡いんだーー」と私は 同じ氣持で、世帶道具を揃へ、家を掃除し、君は湯あがりの身體を をこがましくも自ら有利な判斷を加へ、「さうではないか ? 」と一 鏡臺の前で薄化粧する。その頃私たちにも多少のよろこびはあった座を見まはした。するとどうだ。するとどうだ、私の最も嫌ってゐ
プ 00 ぶく雨の音を長い間、聞いてゐた ( 昭和十一年二月「社會評論」 ) 佐原とき子は棒のやうに突っ立ってゐた、みだれたおかつばの前 髮が垂れさがって瞠った目をじゃましてゐるのに、視線は窓の外に 向いてゐた、多分何も見てゐないのだらう。 「云へないのかね ? 」と保護司は指を折りまげ乍ら促した、 「いゝかい、よく聞きわけにゃならんところだ、あたしはお巡りさ んちゃないんだからな、云ってごらん、一體どんなふうにしてあれ を取ったんだかーー」 そのとき彼女は、手早やく前髮を掻きわけて汚れたおでこをむき だしにした、先刻から噤んでゐた唇をやうやく開かうと決心したや うに見える。口をすぼめた保護司は痩せた頸をのばして窓硝子にお ちかゝる銀杏の葉を眺めだした。 「さ、云ってごらん」と彼は相手の氣持を追ひかけた。 「云ひさ ( すれば、お前のやうな子供は直ぐにもおっ母さんのとこ ろに歸してあげる」 彼女は、おもむろに帽根をしかめはじめたのである。くろ澄んだ 瞳の孔が寄り集まって來て、さうした努力の中から、この大人の心 の底を見拔かねばならぬとするやうに唇の端を引き下げだした、そ れはだん / \ 泣き面に近づいて來た、泣いてやらうかといふ氣持も たしかに在る、そして保護司は、多分泣いてもよい頃合であらうと 女の子男の子
39 梟 ら、大抵のことは大眼に見るといふ風で、禁じられてゐる話聲など と一緒に工場から還戻って來ると、ちゃうど父親の多助が四、五人 にもそっぽを向いてゐることがあった。 の新しい勞役囚と一絡に看守につれられて這人って來たところであ そんなわけで彼等はいろんなことをそれとなく知ることが出來た った。もう六十に近い胡廱鹽頭の多助は、多分、虐もあらうにこん し、今日女囚の方にどこそこの阿母が來たとか、どこの婆さんが來なところで息子に會ふことが餘程辛かったのであらう。腰の曲りか たとか、誰いふとなく知らされたが、勞役囚は殆んど毎日のやうにけた痩せた體を一層前屈みにして妙に惡びれた眼をきよろきよろさ 三人、四人とふえて行った。山内の方は田植するだけの雨あったべ せて人蔭にかくれるやうにして這入って來たのであったが、多吉 かと、その山内村から來てゐる太一郎といふ四十男は、同じ郡内かはそれが三年前に別れたまゝの父親であることを知ると、お又、お ら來た丑之助に仕事の手をやめて眞劒な顔をふりむけてゐた。あ父、と短かく聲を呑み、おやお前どうして此處さ來たけなと「ぜぐ あ、濟んだもなも、この月に這人ってから三日も續けて大雨あってり上げるやうな聲で父親の前ににじり寄っていった。うん、四、五 な、俺あ植ゑてしまったから、ゆっくりこでいつまででもお上の 日前に歸って來た、お前さ苦勞かけて本當に顔向けならねえ、今度 飯食はせて貰はあと、眉毛が下駄の鼻絡のやうに太い丑之助は、肩あ俺の番だから先づ何かと勘辨して呉れ、と親父は伜の前にペこり をゆすりながら言った。六月も末になって、毎日のやうに五人も十と頭を下げた。てつべんはつるつるに禿げて、古い瓢策のやうに日 じゃがいも 人もかたまって新手がやって來て、勞役囚が馬鈴薯の子のやうにふ に燒け兩側にだけ白髮のある頭には、三年間の漂泊の生活がまざま えてゆくことは、ずっと前から這入ってゐて、もう放免の日が近づ ざときざみこまれてゐる氣がして、多吉は思はず眼をそむけたほど いてゐるやうな連中に、裟婆は田植がすんだことを知らせるのであであった。密造の常習犯である多助は累犯といふので二百圓の罰金 った。 をかけられ、百方金策に奔走したがまとまった金が出來るはずがな それになんとなく明るい氣分をあたへられた彼等は、ときたま色 、逮捕从が執行される數日前に逃亡してしまった。このことが酒 話などやらかして割れるやうな笑聲をあげて當番看守にたしなめら役人の感情を害して、多吉の家は始終睨まれつづけて來たが、たう れた。新しくやって來る連中は、はじめ重苦しい顏で亠円法被に腕を とうこの春甘酒をつくってゐるのを發見された。 通しおづおづした様子で工場に這入って來るが、その日のうちに馴 多吉はそれはどぶろくではなく甘酒にすぎないことを百方辯明に れてしまって、田植時の不眠不休のうづくやうな疲れが溶けるやうっとめたが、多助の心證がわるいばかりに、八十圓といふ眼の玉の に快く體のすみずみからぬけてゆくのを感じ、腹の底から植付をす飛び出るやうな罰金を免がれることが出來なかった。まだ今日ほど ませた安堵がこみあげて來るとともに、思ひがけないいいところへ窮屈なことがなく、自分でつくった米で自分で仕込んだどぶろく 來たやうな氣がして、あらためてあたりを見廻すのであった。新手を、自分の腹に人れることに、何の不思議もないとされてゐる時分 はあとからあとからやって來るので、看守たちは仕事の割り振りを からの習慣で、田圃から上って來て戸口に近づくとともに、自在鈎 するのに戸惑ひするほどで、勞役場内は當分ごった返してゐたが、 に鍋をかけて湧かしてゐるどぶろくの匂ひが、ぶーんと鼻を衝いて ある日、多吉といふ日雇が三年振りで父親に會ったといふ事件で來なかったら最後、急に世の中が眞暗になってしまったやうに思は は、みんな妙に沈んだ氣分になってしまった。 れ、ぶりぶり怒ってしまふ多助にとっては、たとへどんな制裁があ 明日の朝、五十日目で出るといふその前日の夕方、多吉がみんなったにしろ、どぶろくをやめることなどは思ひもよらなかった。あ
0 「儲かるもんか ! 」川上忠一は眉根をしかめてそれを座に否定し勿體ぶった檢査を欽々に無意味なものにたゝきこはしてしま〈。彼 おた。「發動機に押されっちゃって、からっきし仕事がまはって來ねえはさう思って、「ではその次だ」と呶鳴った。 んだよ、遊んでる日がうんとあらあ、遊んでても仕方が無えんだけ 「モシオ前ガ何カ他人ノ物フコハシタトキニハ、オ前ハドウシナケ んど、何しろ仕事が無えんだからなあ、父だって辛いし、あたいだレ・ハナランカ ? 」 って , ーー」さう雄辯になってぶちまけ出した子供の言葉を、杉本は 「しち面倒くせえ、ぶん中に捨てっちまはあーー」 ぢいっと聞いてゐることが出來なくなった。彼は埃と床油の臭氣が 「え ? 何 ? なに ? 」杉本は既に掲示されてゐる正答の「スグ詫 立て籠めてゐることに思ひあたり廻轉窓の綱をがちやりと曳いた。 ビ々ス」を豫期してゐたのだった。だがこの子供の返答は設定され タ映えの反射がそこで折れて塗板の上をあかるくした。「先生えあた軌道をくるりと逆行した。杉本は背負ひ投げを喰はきれたやうに たいなんかはなあ、・まちの子供みたいにあそんちゃ居られねえよ、 どきまぎした。「え ? 何 ? なに ? 」と彼は繰りかへした。「もう おっ母の畜生が逃げつちゃったんだ、きうよ、船は儲からねえから一度云ってどらん ? 」 よ。儲からねえたって云ったって : : : 」敎師は照れかくしに敎卓の 「どぶに捨てっちまへば、誰が毀したんだかわかりやしねえだら まはりを歩き、ばつぼっと煙草をふかしつゞけた。落第坊主部低能 う ? 」と川上は訊きかへした。 そら と推定されて自分の手に渡されたこの痩せこけた子供が、こんなに 「ぢゃあもう一つだけーー」杉本は何度も使った質間を誦んじなが 淀みなく胸にひゞく言葉をまくし立てるのだ。よしそれならば ら今度は子供の顔を注視するのであった。「モシオ前ノ友逹ガウッ と杉本は眞赤な顔を子供に向け直し、まだわめきっゞけようとする カリシテヰテオ前ノ足プ踏ンダ一フォ前ハドウスルカ ? 」 口を強制的にでも止めてしまはうとした。 「ちえっ ! はり倒してやらあ : : : 」 「よし ! 」杉本はどしんと床を踏みならした。「よし ! もうわか そのはげしい語氣に衝かれて杉本は思はす「なるほどなあ」と聲 った、それならばーー」彼のそのいきほひにはっと落第生に變化し をあげ、檢査用紙をばさりと閉ぢてしまった。すると、川上忠一の てしまった川上忠一は、龜の子のやうに首をすくめ・ヘろりと細い舌痩せとがった顔がもう全然別な憂愁に蔽はれてゐた。彼は暮色の迫 を出した。しまったーー・と思ったが既におそいのである。そして彼った窓を見つめだした。コンクリ」ートの教室はうす墨いろに暮れて 自身もその刹那から職業的な敎師にかへったのも知らずに、「それゐた。ぶるっと身ぶるひを出して彼は血の氣の失せた薄い唇を舐め ではなあ川上、これから先生が訊ねることはどん 2 、返事をして呉今更のやうに教室を見まはした。それから彼は、もはや教師の存在 れよ」と云ひっゞけてゐた。それから彼は測定用紙をひろげ、三歳を無視してきっさと腰をあげた。「暗くなって來たなあーー」と杉 程度の設間を勿體ぶって捨ひ出してゐた。 本は一言っぷゃい川上忠一はその聲にまた突然學校を思ひ出し 「コノ茶碗フアノ机ノ上ニオイテ、ソノ机ノ上ノ窓ヲ閉メ、椅子ノ たらしく、氣味わるげに敎師の顔色をのぞき込むのであった。しか 上ノ本フゴ、ニ持ッテ來ルーーんだ」 し、こんなタ方になっては、どうしてもこれ以上先生の意志に讓歩 おそろしく生眞目な眼を輝かした敎師に、川上忠一はヘ、ら笑ひすることが出來ないと思った。「あたいはもう失敬するぜ、何しろ を見ぜて簡單にその動作をやってのけた。 父が心配するからな」と呟いて自分の鞄を手許に引き寄せ引き 一・その調子 ! 」と杉本は歡聲をあげた、その調子ーそして、この寄せてはみたが、長い間學校に虐めつゞけられて來たこの子供は、 こは
押へられてなア : : : 」 井通河を沿って二支里ばかり下ったとき、突然、一隊の馬兵が前 方に立ちふさがった。二人はその中をがむしやらに突きぬけたが、 趙判世の馬は當兵の銃床を喰って、氣狂ひのやうに躍び上った。趙 は振り落された。金だけは瞬間に數町先に逃げのびてゐた。 皆まできかず、表貞花は肩を搖って烈しく泣き出した。 間もなく、白衣の群は部落の南口から、深い夜霧の中を搖れ動い て行った。 跣足の子供が婆さんのアトを追ひかけた。 大抵の女房は、赤子を胴ッ腹にくゝりつけ、垢滲んだ白布包みを 頭にのせてゐた。 百人近くの女や子供たちは、たゞ押し默ってポソ / \ と歩いた。 彼等は言はばかうして、故鄕を追はれ、國境をさ迷ひ出で、涯しな い曠野をどこまでも當もなく歩いて來たのだ。またそれが始った。 たゞ女の子が母親を呼ぶ聲や、赤子の泣聲などが聞えるだけだっ 裵貞花の前には、病み上りの女房や、足腰の立たない婆さんを、 ポロ包みと一絡くたに乘せた牛車がガタゴト跳ね躍ってゐた。 彼女はもう泣いてゐなかった。間を置いて肩がピョコンとせり上 った。涙でムズ / 、痒い瞼を手を上げてこすった。 チョコ / 、歩く子供の坊主頭が眼の前を搖れてゐた。 息子の太秀はもう居な と彼女の眼はまた熱ッぼくなった。 い。趙さへもこの世に居ないかもしれない。 山 趙と一絡に故鄕の村を追ひ出されて、もう六年になった。それか ら鮮内を北へ北へとさまよひ、途中、趙と別れ別れになって、やっ と峰天近くの太士河のほとりに落着いた趙と、再び一絡になるまで 3 の苦い記憶が、彼女の頭蓋の内側を硝子の破片のやうに痛くかけ廻 り 4 った。 こ 0 「これアまア、なんと腰の痛工車だア」 車の上で婆さんが小言を云った。モゾ′ v-- 動いた拍子に、ポロ包 みがドシンと地べたに落ちた。 もう平原に出て居た。 群衆は涯しない闇にほの白くのろ / \ と流れて行った。 工事場の柳條に當兵が放った火は、まだ東の空をポーと明るませ てゐた。 霧に濡れた平原を、白衣の群は長秋の方へどこまでも搖れ動いて 行った。 ( 昭和六年十月「改造」 )
やけど おしくらしながら野道を歸って來たが、牧舍の前に、嚴つい顏で立い火傷の痕と思はれる場所を自分で覗いてみせた。それは傅八がも ってゐる傅八の眼に出あってどきりとした。 とは知識のある人間だっただけに愚かな仕ぐさであった。 「どうしてそんな怖い顔をしてゐるの、わたしいやだわ」 「これは何の傷だと思ふ。自分でつけた火傷の痕なんだよーーーおれ 夏路はさう言って傳八の前へ近づいて行った。 は誤解から人に傷つけたので、その人が苦しむ前で、自分も同じ苦 「義兄さん、そんな顏するのはいやよ」 しかしそんなことはどうでもい しみをなめて詫びようとした。 「ちょっと向うへ引き返しておくれんか。話したいことがある。潤い。ただおれを信じて貰へばいいのだ、おれは夏路を幸にしてや ちゃんも來てくれ」 らねばならん。それで君にも賴んでおくが、君は夏路を傷つけんや 「いやよ。わたし行かないわ」 うに心がけてくれるだらうな。かういっても君にはわからぬかも知 「話したいことがある」 れん。君はこなひだ生れた仔牛みたいなもんで、君に夏路をほんた 「行かないわ。わたし干し物を片づけねばならないし」 うに好きかと聞いたところで仕方がないだらう。しかし君をあんま 「それちゃ潤ちゃんだけでも來い」 り子供扱ひするのもどうかと思ふのでな。君は賢い子だし、それに 「いけないわよ。潤ちゃんも行っては駄目だってば」 どこかおれと似たところがあるかも知れん。どっちも漁師の子だ 夏路の聲には、おびえた調子があった。そして彼女は、配逹車し、繪など書くところが。尤もおれは猪のやうな氣性さ。そのおか や、食堂の屋根や、枯蔓の殘る葡萄棚の上に、陽曝しにしてあったげで繪も物にならず、一生をしくじってしまったがね。それで今は 蒲團を片づけるために、潤吉にも手傅ってくれといふのだった。 心のそこから優しくなったつもりだ。おれは生れ變った積りだが、 しかし潤吉は、傳八と一絡にあるき出した。それは抵抗し難かっ夏路にはわからん。これは愚痴だがな。それから夏路にも言はうと たためではなく、俾八の眼にあまり悲痛な翳を見たからだ。潤吉の思ってゐたが、牧場には男たちがほかにもゐる。そして女は夏路の 身にも心にも「男」が育ちはじめてゐた頃である。 ほかには、飯たきのおばあさんがゐるだけだ。それでみんなが夏路 すすきの穗が搖れ、蟲の音にしんとしてゐる野路を一町ばかりあ を好いてゐる。さうでもなかったら、夏路はこんな所に我慢できな るいて、傅八は嘆くやうな憎むやうな、荒々しい溜息を吐いた。 いかも知れん。それで今はいいけれど君が大きくなったら、ほかの 「あいつは、おれが怒って、おびき出して、殺しでもするかと思っ男の前では夏路ばかりと仲よくしない方がいいど思ってな」 てやがる。潤ちゃん、おれの顔のどこにそんな陰險な色がある。お そんなことを言った。 れは惡い癖で怒ればその場でぶつかも知れぬ。うちどころが惡くて 當座のうち、潤吉は、夏路とあまり口も利かなくなった。話が皆 その場で間違って死なせるかも知れぬ。 ( ここで傳八はまた溜息を まで呑みこめたからではなく、傅八に對する無意識の遠慮からであ 人 の吐いた ) しかしその場でだ。それも後で悔いるだらう。おれは人をつた。潤吉は、傳八が夏路を女として愛してゐて、このあひだの怒 方だま 騙したりすることはせん。罪のない君たちを何で騙したりするか。 りも、つまりは嫉妬だったらうと、そんな風に邪推するほどの年で おれは夏路を幸禧にしてやりたく、幸輻にしてやらねばならんのはなかった。ただかれは何となく傳八から壓迫を感じたのである。 つまり、専弋が慾イ 四だ。それだのに奴はおれを疑ぐる。あいつは俺をわからん」 イ / 靑なしの純愛やまたは深い責任感から夏路を愛し 2 傅八は昻奮したためであらう、そこで胸をはだけて、むごたらしてゐたにしろ、或は傅八自身も氣づかず夏路を女として愛しはじめ にい ひざら いか
「うへッ : のは、かれが作家として世に出ようとした頃の、内に自信と覇氣の あなたといふ人は、私が一 「何が、うへツなのよ、この人は。 滿々としてゐた今から六年ばかり前に生れた子供で、良玖の方は、 朝吉が自分の思想と生活に矛盾を感じ、自信を取り失ひ、身を恥ちヶ月でもそばにゐなかったら、もう何處 ( 行って誰と何するか分っ たもんちゃない人よ。」 て、内心いづれの方に向っても叩頭するやうな、さうした氣持のつ 「待ってくれ。それはお前、おれが五年くらゐ前に、自分自身につ づいた擧句に眞知子に宿った子供であった。そして今も、遠くの里 に歸されようとして、母の背で、無心に笑って、父親に無言の叩頭いて言ったことぢゃなかったつけ。」 「え、本人が言ったことですから。五年前だって何だって、わたし の藝を見せてゐる。 夫婦は、良に氣をとられて、二人とも話の要點を忘れてしまふ忘れつこはないんですから。ね、浮氣しないで一週間ばかり待って て下さいね、良太をつれて歸って來ますから。」 のだった。 「誰が浮氣をすると言った。おれはもう三十八だぜ、どうも馬鹿だ それで何でしたつけ、お話は。」 「あ又もう六時だ。 あ、今おれもおもひ出した、おれは昨年家へ歸って、さ 「何だっけな。 いや冗談ちゃないよ。お前が、そんなら私、歸な、 りませんと言ひ出すから、言って聞かせようと思ったんだ。どうあ、もうおれが歸ったからには、何一つ心配してくれるなと言っ た、二度ともうああいふ間違ひはやらかさぬし、また暮し向きのこ だ、歸るだらう、九時の急行で。」 とでも心配はかけない、さういっておれは良太を抱き上げ、 「え良太が待ってるわねえ。病気になると、あんなに私にすが りついて泣いた子ですもの。私の胸に顔を埋めて泣いたのに、おばや、おれはとにかくさう言っただらう ? 」 「え。」 あさんだけしか、そばにゐないなんて : : : 」 眞知子はまた幼女のやうな素直さでこくりと頷いた。 「それぢゃあ、立ってお隣へ挨拶に行っておいでよ。」 「すると、お前もお母さんも、その場でそれを信じて、もうあすか そこで眞知子はまた我に返ったやうに、奥から見開いたやうな眼 らどうして食ってゆくなんて心配はすっかり技げ出して、おれとい に、良人の眼を寫した。 「挨拶しますともーー、でも私、すぐ歸って來るんですよ。あなたふ親船の甲板に乘つかったつもりで、睛れ睛れして、子供みたいに で勉強してゐて、今度久しぶりで が、引き越しする前に歸ってくるんですから : : : 。第一、あなたひはしゃぎ出した。おれはア・ハート 歸って來たといふことにお前たちはしてゐたが、あの喜び方があん とりでこの町内でも引き越せるもんですか、この荷物。」 まり非常だったから、近所でもみな事情はわかったに違ひない。」 「よし、よし、わかったよ。」 「だって、しかし、近所ではさうでせうか。」 「あら、いま思ひ出した、わたし何だか良太のことで氣が倒して 「どうもさういふことになるど、お前の紳經はおれと違ふな。しか ゐるんだわ。あなたは、三ヶ月、ことによったら一、二年、自分を ひとりにしておいてくれと仰有ったわね。私この耳で聞いたんですし世間は寬大だった。誰もかれも寬大だった。友だちは親切だっ から。どういふおつもり ? いえどういふおつもりだって、私反對た、おれにはたった一人の友だちもないやうに思ってゐたが。 だわ。 あゝ、さうだ、私、歸りませんよ。良をおろしますか忘れちゃなるまいね。行き會ふ人がみなおれを慰めて『とんだ目に 會ったねえ、さあ、もう何も苦にしないで新しく生きろ』そんな風 ら抱き取って頂戴。」
圖體の大きい巡査が、交番のロを塞いでしまった。「 ) 一クリの箱し方もありません。けれども世間様は結末ばかりしか見ないものな の中で荻村重吉は背廣の男に否應なしに懷をさぐられた。すると何のでございますよ。い 0 そのことあの子も人様の前には決して出す といふことだ と反射的に感づいた。くらっと眼がくらみ、はつまいと思ひましたが、何分ーーそのう・・ ・ : どうしても學校へ行きた と我を取り戻した荻村重吉の目の前で、日本火災の保險證券がひら いと云って泣きわめきますので , ーー」 ひらとふりまはされてゐたのである。 「なるほど、なるほどーーこ敎師は滿足さうに呟いてから「それで はーーー」と立ちあがった。「今日は先づ課業がひけるころ迎へに來 曇り空のぼやけた光線が、泥に汚れたアスファルトの運動場に屈てあげて下さい」 折し、小學校の應接室を何か嚴肅なもの又ゃうにたく彩ってゐ 敎師のゐない敎室では子供逹が、長らく缺席してゐた健太郞をぐ た。ふみは靑いテープ ~ ク 0 = の襞をおさ ( て窓の外を視た。始業るりと取り捲いてしま 0 た。彼等は彼等の好奇心を滿たしたくて、 の合圖を今聞いたと思ったのに、校庭には人影一つ見あたらないのうづ / \ してゐたところであった。 である。葉のない梧桐の、建物に比・ ( ては到 0 て貧しい植木が、片「お前ん家のお店、燒け 0 ちや「たんだね ? 」 隅よりに行儀よく並んでゐた。 と一人が先づ口をきった。 「ーーーと云ったわけでして : ・ : ・」と再び云ひかけたとき、傍にゐた 「そいでもってお前、どこに引っ越したんだい ? 電車に乘るとこ 健太郎が彼女の袖をひいた。彼女は目前の敎師が、視線をその方に ろかい ? い又なあーーお前電車で學校に來るなんてまるで : : : 」 移したのに感づいてあわて云った。「こんなにきちん / 、として、 「ぢゃあお前、引っ越すんだって、荷物なんか一つもなかったら みんなが樂しくやってゐるんですもの、この子が學校々々といふの う ? つまんないねえーー」と最初の子供が云った。 も無理はありませんです」 「でもお前、電車に乘れば淺草になんか毎日でも行けるんだね ? 」 「それではお前は教室にお行き」と敎師は子供に行動を示した。 しかし子供の注意はより刺戟のつよいものに、たちまち移動し 健太郞は心もち頸をのばしてにこっと笑ひ、大股に戸口に近づい た。消防ポンプが悲壯な警笛をらして校舍の前を疾った。子供達 た。彼は扉をあけて一足外に踏みだしたが、また急に思ひか〈したは一齊に窓口に走り寄り、頭を重ねてその行方を見送 0 た。 らしく内部を覗きこんだ。 「こんだの火事は何火事だ ? 」一人の子供が金切聲で呼ばった。 「お母あちゃん , ーー」と彼は母親を呼んだ。「僕あひとりで電車に「失火か ? はう火か ? あて 0 こしないかあ ? 」 乘れつから、大丈夫だよ。だって ! ーもしかしたら : : ・・」さう云っ 荻村健太郎は鞄をか又〈こんで、もはや廊下を疾走してゐた。階 語 て何かちょっと考へるやうに眼を伏せたが、直ぐ顔をあげて「う 段の途中で敎師にぶッつかったがそれを見直さうともしなかった。 物ん ! 」と強く頷いた。「僕あね、お爺ちゃんの家なんて、ほんとはあれほど云ひ含められてゐた學校の禁則を次《に無視するのであ 火 嫌なんだけど : : : 仕方がないや。大丈夫よ」 る。跣足の跫音をとゞろかして廊下を駈け拔け、課業を放擲し、玲 「實際、お氣の毒なことですなあーーー」と敎師は眼を外らしながら たい風の吹いてゐる街路にとびだしてしまった。 云った。 ( 昭和九年十月「文藝」 ) 「いえ、もう、何も彼にも運でございましてー・ー運の惡いものは致