はあの人のやうに元氣ではあり得まい、さう思ふと朝吉は、自分の る自分の作風で押し通さうとする。 重藤は、不遇な時代に妻を失ったが、自身の言ひ分では、香奠で眞知子や良太に對する愛も、自分の弱さの表はれではないか、とい かれは仰向けに寢て、しばらく眼をつむって 飲みまはったといふ。愛妻に對する哀悼の氣持を人に見られたくなふ氣がしてくる。 かったらうし、その氣持にも甘えたくなかったらしい。昨日かれゐた。やがてまたガ・ハと跳ね起きて、心に言ふのだった。 「おれは何を迷ふのだらう。しかしそれは心の上邊だけで、奧底の は、朝吉と挨拶すると一絡に、色白で、さつばりした、體格のいい 長男を紹介して、これがゐるんで、私なんか、いつどうなったっ確信はもう貧乏ゆるぎも出來ない。おれは眞知子や良太良を、た だ甘い心で愛したのではなかった。おれは人生の苦惱も歡樂もおれ て、安心です、と何か興奮したやうな口調でさへあったのである。 どうこく 重藤は自分の愚行なぞ、隱さうにも隱せない男だ。素っ裸であなりに味はった末に、孤獨な夜の慟哭のなかで、何がおれの最後の る。それで人の僞や、肚を見せぬ態度が氣に食はない。自己抑制慰めであるかを知った。それは愛の一片の眞實だったのだ。夢想の も氣に食はない。ところが、こんな豪放をもちながら重藤は柔軟ななかで百萬人を愛することではなく、實際にただ一人でも人間を愛 し拔くことである。その人間への愛は、自分ら個人の意志を超えた 感受性のために野卑にも粗にもならない。 ものから與へられたことを、あれほど痛感し肯定したではないか。 朝吉は受身になって、ただ頷いたり、合槌打ったりする。重藤に とっては、物足らないに違ひない、腹を割って見せぬと思はれてゐおれはむかし多くの女の中から眞知子を知り、氣質があってゐたの で愛し合ったが、なほ彼女と自分の子供を不幸にしてまで文學に生 るかも知れない。さう思ふのだが、朝吉は重藤を好ましく思ふほか に、別に腹の中に何もないのだ。かれは窓に倚って、美しい海と山きようとした。 「おれは重藤からは、あの元氣と、おべつか嫌ひの男らしい情熱を を見たり、ゆづり葉を楠と見まちがへたり、それからロをつぐん で、まるでキョトンとしたやうな眼をしてゐる。が朝吉は、自分の學ぶがいい。しかしおれは彼であってはならぬ。お前の弱い身體、 作品の缺點を思ったり、精力と男らしさにおいて重藤に及ばぬと考弱い心、それがいまは鞣皮のやうな強制な意志を包むやうになるこ とを信ずる。」 へたりしてゐるのだ。かって人に會へばロ角泡をとばして談じ、論 「作家が眞實を追求するといふことは、眞實を寫すことではない。 破したり、説き伏ぜたりしないと氣のすまぬ時代があったが、もう さうした癖は洗はれたやうに失くなってしまって、ただ靜かに聽いまた寫すことで足りるのではない。その眞實のなかに倫理を見出 し、打ち建て、それを樂しむことだ。見出した倫理を生活のなかで て、いっとはなしに自分を顧みてゐる癖がついてしまってゐた。 「牧歌的なものを知らず識らず慕ふのが、私の小説には一番危險でも實行することだ。それをおれは、今しがたのあの新しい確信から 行ってゆくことが出來よう。」 せう。」 翌日、もう小設を三十枚ばかり書いた重藤が、或大學の新聞をも 「しかし詩情は大切ちゃないですか。ナニ、あんたの特徴を思ふ存 って部屋へ來てくれた。朝吉の新作を、作家の伊川が非常な好意で 分出したらいいぢゃないですか。」 朝吉は、自分の部屋へ引き返して考へこんだ。どうも今度の小説明晰に批評してゐた。朝吉は伊川にも感謝したが、こんな新聞をわ も書き上げる熱がなくなった、重藤さんはおれより大ぶん年上らしざわざ持って這人ってきた重藤の心が有がたかった。重藤は小説の 2 いが、おれの良太があの人の息子さんのやうな年頃になる時、おれ經歴の上では先輩で、人氣の上では流行兒なのだ。 なわしがは
いほど派手な着物を着たり脱いだりしている二十前後の若い出演者なく卯之松は後家になった兄嫁と啓二を一緒にするように取りはこ 8 9 たちでゴッタ返していたので、雪代は自分の年齡と地味な恰好がひんだ。初めは不承不承に引き受けたように見えたが、やがて人々 どくそこの空氣にそぐわないような氣がして、二の足を踏んだ。鈴 は、自分の子でもあんなには面倒は見られないものだがと、兄の子 江はと搜す眼に、向う側の奧の方の一群のなかの鈴江のパーマネン供らを可愛がる啓二を評判するようになった。便所は體操場のちょ トの頭が直ぐ飛びこんで來たが、その近くには主催者である靑年會うど中程のこっち側にあって、その近くにいる人は手から手に小さ の幹部の一人の鐵之助の削ったような顔が、一人頭ぬけてヒョッコ い子を渡して便所にやっていた。ここからは遠過ぎてそれができな リと眼についた。そんななかでは自分の地味な姿が却って人眼をひ いので、ビッシリと隙間のない人混みのなかを拔足差足で子供をか くような氣がして、照れ臭さをおさえて、雪代は人混みをくぐってかえて行く兵隊服姿の啓二を見送っているうち、雪代の鉛を呑みこ 行ったが、中ほどまで行かないうちに、誰一人として自分の方などんだような胸のうちもいくらか輕くなって來た。 チラリとも振り向く者がないことに氣がついた。浮々と若ゃいだ空 氣に浸りきって樂しんでいるうら若い男女の。ハッと華やいだ有様を なにか手の屆かない世界を眺めるように見ているうちに、雪代はい 去年のような大雪が二度つづくわけもなく、一月も半ばになって ったい何時の間に自分はこんなに年とってしまったのかと愕然とし から今年初めての屋根の雪おろしをあちこちの家でやっているある た。が、やがてそこの舞臺わきに立って見物している人中に入って 珍らしく天氣のいい日だったが、銀藏に折入って話があるから來て 舞臺をのぞいていた雪代は、もっとやりきれない氣持に突き落され くれと、上の家からツルが使いに來た。 た。フト振り向いた途端に、直ぐ近くの薄暗い舞臺わきの柱に背中 そこは姉妹の間柄の氣の置けなさで、たいていのことはタネを通 をもたせているツルに氣がついたが、その小柄なツルに蔽いかぶさ して話しがあるのに、ことさら自分を名指して來るからにはただ事 るようにして軍服の巾廣い背中を見せてヒソ′、、と話しかけているではないはずだと思うと、銀藏はすぐに雪べラを投げ出して駈け出 のは勇四郎であったからである。その勇四郎を見上げているツルの して行く氣にはなれず、尚しばらく思案顔をしながら三尺餘もつも クル , ・、とした眼の甘えかかる光りを見ると同時に、雪代はもう一 った屋根の雪を掻いては落していたが、やがて意を決したように頬 刻もいたたまれず、幕がしまったと見るや、ドタノ、、と舞臺を駈け冠りの手拭をかぶりなおして出かけて行った。 ぬけて向う側に行った。 銀藏の家から眞直に一町ほど行って火の見のある四辻から左に曲 「おや、よく來たな」 って、その少し先の大きな欅のあるところから右に人った少し高手 眼の先が暗くなって何も見えなくなっている雪代は、言われてその上の家には、寢ているだろうと思ったタケノが、案外に常居の爐 こに一番下の女の子を便所に連れて行こうとして抱えて人混みの中ばたに、寒々とした恰好で白髮頭を火にくべるように屈みこんで坐 から立ち上った啓二を見出した。そこのいっせいに舞臺に向いてい づていた。勇四郎の姿は見えす、ツルも茶道具を運んで來るなり、 る壽司詰の顔のなかには、女房の時枝ともう二人の子供の顔もあっ遠慮するらしくカタコトと下駄の音をさせて外に出て行った。 た。卯之松の長男の幸一はスマトフで戰死して一昨年の秋に遺骨が 「お前のところも、卯一が早く戻って來ないば困るなあ」 とどいたが、敗戦になって次男の啓一一が無事に歸って來ると、間も 茶を注ぐ靑筋の浮いた手がプル / 、ふるえた。
「それはお祖父さんの言ひ過ぎですよ。幼い時からお祖父さん一人んこそそれを御存じないのよ。」 の手で育てて頂いた上に、今だって、わたしがお褪父さんにかける 「琴子。お前は、わしの久子そっくりだ。お前のお祖母さん、若く 手數の半分も、お祖父さんはわたしにかけられたことがないぢゃあて美しく死んだ久子そっくりだ。」 りませんか。」 琴子、をかしさうに笑ひ出す。 能門も笑ふ。 「お前は今日はじめて元氣らしい聲を出した。お祖父さんは、お前 「えゝ、え長、そりやわたしのお祖母さんは、ほんとに美しかった に手數をかけて來たとも。現にかうしてお前は優しく迎へに來てく方でせう。でもお祖母さんがそんなにお祖父さんのお氣に人りだっ れた。一番有難かったのは、お前逹のお蔭でさう時世にも遲れすに たのも、お祖父さんの善いところがお心母さんにも映ってゐたから 濟んだことだ。勿論、わしも新聞や本は讀んで來たが、年寄の心と でせうよ。」 いふものは、枯木みたいなものになりやすいからな。わし逹の年配 「何でもわしを持ち上げたがるね。」 の老人には、まるで文字の讀めないものも澤山ゐた。だから時世が 「わたしはお祖父さんのお蔭で女學校を出ましたし、お祖父さんの うはペ どんどん移るにつれて、移り變りの上邊だけが眼について、自分に御骨折であの人と結婚できたんですもの。」 都合の惡いことだけが心に殘りやすい。そこで文字の讀めぬ年寄た 「『あの人』が、そんなに嬉しいか。」 ちは愚にもっかぬ愚痴を並べがちだ。ところが、さういふ年寄逹も 「わたしの顏を御覽になればわかるでせう。一度でもわたしが、不 お前逹に優しくされて色々と敎はった。お蔭で、一緡にどれだけ氣仕合せな顏付をしたことがあって ? 」 持よく生きられたか知れぬ。わしも隱居して盆找いちりするより 能門は感動する。 は、自轉車に乘って病人の一人でもなほすやうに心がけるのが仕合 「琴子。わしは七十過ぎになって、もう直き死ぬだらうと思ひなが はせだった。お前はつひぞわしの氣持を傷つけるやうな酷いことを ら、二十一歳の春の琴子を祝へるのが嬉しいといふわけだ。いや、 言ったためしもない。」 それよりもわしは、お前の男らしい良人に代って何か言ひたい氣持 「それはお祖父さんが善い人だったからだわ。わたしは東京へお母ちゃよ。」 様を慕って出て行った頃、すゐぶんお組父さんに御心配をかけたち 琴子、會釋するやうに頷いて、涙ぐむ。 ゃありませんか。でもね、結局、お祖父さんに心を惹かれて歸って 「お前のあの人が、出征してからといふもの、お前は一層人に優し 來たんですもの。わたし何もさうせねばならぬと思って、お祖父さ くなった。またわしの家に住むやうになってからといふもの、無邪 んを大事にした覺えはないほどなの。お祖父さんの人柄で自然にさ氣なお孃さんみたいになってしまった。そんなに、『あの人』との うなったんですよ。わたしのやうにお祖父さんから可愛がられて、 結婚が嬉しく、そして今も、いつも仕合せだといふことはよい氣の それでお祖父さんを大事にしなかったら、その方がよっぽど珍しい持ちゃうだ。」 むすめ ことでせう。」 「お祖父さん。お祖父さんがいらっしやるために、わたしは處女時 「お前は自分の善いところを知らないのだ。知らないから尚善いの 代のやうに屈託のない氣持でもをれるのです。ですから、こんなと ころで居眠りなぞなさらずに、長生きなさってほしいわ。」 かも知れないが。」 2 「わたしはお祖父さんの善いところをよく知ってゐます。お祖父さ 「まあ生きる死ぬるは、天命といふものだがね。わしは死ぬまで、
4 3 うもなく氣持は重苦しくなっていき、むかむかと突き上げて來るも 一年ばかり績いただけでもう熱がさめてゐるところであった。 のをどうすることも出來なかった。 翌朝まだ薄暗いうちに金縁眼鏡の男はやって來て、與吉も用心の その日與吉がすごす・こ引上げたのち、菊代と繼母のタカとの間の ため奉公先まで行くことになりキミエとの三人はぬき足さし足の思 ひで部落をぬけ、雪のなかを山越えして七里も先きの次の驛に外の空氣は一層冷いものになり、かねていやがらせをしかねまじかった 娘たちと落合って出發した。それほど辛い思ひをして愛知縣から歸タカは、露骨に米の高いことまでロに出しはじめた。そろそろ腰の って來たときには、罰金どころか與吉の懷中にはただ一枚の猪と曲りかけたからだで日雇仕事をしてやっとその日のロを濡らしてゐ 二、三枚の銀貨しか殘ってゐなかった。五年間の年期に對する二百る父の所に、娘時代なら兎も角、四人の子供のあるからだで何時ま 圓の前借のうちから着物代、旅費、ロ錢、仕度金と一々いくらいくでペんべんとしてゐられないことはわかってゐても、この飯炊女を してゐたといふ底意地わるい繼母が齒ぎしりするほど小面憎く、な らと差引くのに、一言の抗辯も出來なかったといふのは、氣が弱く ロ重いだけではなく、一枚の猪さへ拜みたいほど有難い與吉だからにか思ひきり仕返しをしないことには、このま、おめおめと諭くな った與吉のもとに歸る氣にはなれなかった。タカはそれと見てとっ であった。それと親方から借りたものを合はせて税務署の窓口に行 てますます業を煮やし、與吉も與吉だが、お前も女の身で子供を技 き、そればかりでは猶豫出來んといふ位人に年内にはまたいくらで も人れるからと頬かむりの頭を、何度もペこペことさげて、せち辛げ飛ばして置いてよくも平氣でゐられるもんたとあてこすったが、 きはま い暮の勞役場人りだけはまぬがれたが、さてたのしみにしてゐたキ菊代は進退谷った燒糞からいよいよ梃子でも動くものかと腹を据ゑ ミエからは、仕送りどころか、切手代もないのだといふ手紙が一度た。しかしいよいよ與吉が勞役場に行く日になると、ふと誰もゐな 來たきりで音信も途絶え、いよいよ農閑期の勞役場送りの季節が近い家のなかにとり殘される子供らの上に氣持ちはもろくも崩れかゝ って、そのまゝ底知れぬ深みに溺れる氣持ちで實家を立ち去ったの づいたころになって、僅か五圓送って來ただけであった。 世間の手前まさかお峰の許へ子供をあづけても行けないし、かうであった。 なればもう心を鬼にして子供を置き去りにし勞役場入りするより外 十日も母の顏を見なかった眞太と眞次は飢ゑた顔つきですぐに足 なかった。いよいよ駐在所員が連れに來る日の朝、與吉は隣り近所にからんで來て、黹代は險が熱くなるのを覺えたが、與吉はまだ性 にあとを賴み廻り、お峰のところにそれとなく子供を見てくれるや懲りもなくお峰のところに嵌りこんでゐると考へると忽ち眼の先は う話しにいって見ると、お峰は留守だったのでそのま又戻って來る眞ッ暗になってしまった。お前は喧嘩を吹っかけるに歸って來たの と、そこに赤兒をおぶった菊代が血の氣のない顏で突っ立ってゐかと與吉は叫んだが、菊代はもう前後不覺な白み返った顏つきで、 た。また我鬼ども投げ飛ばして、あの夜鷹のとこさ嵌まりこんでゐ俺のゐない間何してゐやがったと、足にからむ眞次がひきずり倒さ たべ、この人でなしと、與吉を見るなり變に白み返った顔を硬ばられて泣き出したことにも氣づかない様子で、藁打槌を投げつけ、さ らに手あたり次第にそこいらのものをつかんでは投げとばした。こ せて叫んだ。菊代が戻って來たと見ると、それまで張りつめてゐた の氣狂ひめ、何しに歸って來たと一言いったきり、與吉はあっけに 五體の疲れが一ペんにすっと拔け落ちてゆくやうな思ひに、あわて とられて仁王立ちになってゐたが、ちゃうどそこへのっそり這人っ て優しい言葉をさがしてゐた與吉であったが、昔のやさしみと柔か さのどこにも殘ってゐない逆目立ったその顏を見ると、手のつけやて來たのは駐在巡査であった。 ゐっし、
ることを感じた。 ぜるといふことはありません」 のろ そのかれは、眞知子と面會したり、彼女を考へたりして倩慾を感 朝吉は戲談のつもりで、前の日の係官にさう言って、一言二言惚 じたことは一度もなかった。日常生活でも烈しい表現で愛を表はす氣を述べると、述べられた方はからかふかと思ひのほか、 時期は過ぎ去ってゐた。それでゐて、他の女たちよりも彼女を深く 「さうか、それは仕合せです」 愛してゐることに疑ひはなかった。かれにとって眞知子は女性であ と皮肉でなく言ったので、朝吉は一寸感傷的な氣分になってその るよりも、肉親であり、自分の一部であり、自分の母親のやうに思座を立った。 あだな はれたり、自分の娘のやうに思はれたりした。 朝吉はここへ來ても、誰れかれからスローモ 1 ションといふ綽名 をつけられてゐた。まことに、のろのろと進んだ手記はそれでも漸 家計が績かなかったので、眞知子は義母と良太を鄕里へ歸すと言 く完成に近づき、それが是認されるやうになった。すると朝吉は、 ひはじめた。朝吉は、眞知子の愛から離される良太を憐れんだの殆んど涙を出すほど喜ぶのであった。かれにして見れば言葉の一つ で、押し問答の末、たうとう眞知子も乳呑兒も一緒に追ひ返してし 一つにまで心をこめて、十年間の思想と生活の推移を他に ( 知友た まった。 ちに ) 累を及ぼしたくない氣持で身を殺ぐ努力で書いたのである。 面會人を失った朝吉は、まるで母に置き去りを食った子供のやう もう夏も去らうとしてゐたが、一一階には鉢植の鐵砲百合花が開い な自分に氣づいたが、同時に、やれやれこれで安心といふ心になるてゐて、その太い雌蕋からは分泌物の蜜が、一しづく垂れさうにに のであった。親類ではかれらを見殺しにはすまい、と蟲よく親類を じみ出てゐた。窓外の武藏野の繁りに繁った草木の波の上に、白雲 賴みにしたが、 氣が緩んだためかどっと熱を出して寢こんでしま が動いてゐた。かれはただ一度でいいから、靑空を頭上に仰ぎたく ひ、獨房に移され、やがて微熱がまる一ヶ月つづいた。かれは梅干てならなかった。それで取調に當った警部補に賴むと、部屋を移る と、わづかな粥を攝りながら、自分はやはり死ぬのではないかと考途上、署の中庭に出されて、眩しげに、雲の動く靑空を感に堪〈て 〈、妻子を鄕里〈歸して、いいことをしたと思った。子供たちに生沁々と、半年ぶりで仰いだ。かれは、拘置所〈行けば、運動の時間 きる力があるやうにと祈った。そしてもうあの腸を斷つやうな苦し もあり、靑空があり、鳩も舞ってゐると聞いてゐたので、今は一刻 みは襲って來ないのであった。 も早くそこへ移りたいのであった。今は恨みもなく、悲しみもな 「奥さんを歸してしまったりして、心配にならんかね」 く、ただ今吹きめぐる初秋の風のやうなものが心のなかを通ってゆ 一人の警官はさう言った。朝吉はつい氣を廻はし浮氣のことを考 ん〈たが、そんな空想をしても我慢出來さうに思ふのだった。獨房に まもなく眞知子が良次を背負ってひょっくり面會に來た。地味な ひとり寢ながら、かれは眞知子のさういふ場合のことを空想すると田舍つぼい着物のせゐもあって、苦勞やつれの見える顔であった 寢返りを打って、お前は幸輻かとおもひつつ、眠りに落ちて行っ が、朝吉が着てゐるワイシャツの襟の汚れに眼をやって、ふいと涙 た。かれは、今は、妻に愛されることよりも、妻子が何とかして生 ぐんだ。朝吉はこの一瞬に彼女を信じた。 きてゆけるだらうといふ氣休めの方を選んだ。 秋が逝き、冬に入らうとして、朝吉は思ひがけなく起訴猶豫の處 2 「私たちの場合は、妻を遠く〈やって置いても、たがひに愛情が失分で釋放された。 めしべ
朝から晩まで働いてゐる土屋は、夜でなければこ又に來ることは を挿しこんだ。二週間のあひだ、異常に溿經を尖らかせてさうして寢 出來なかった。 - 夫と妹のこはゞった氣持に上屋の出現は助け舟であ た。寢たと云ふよりも寢た眞似をしたのであった。深夜になると病 った。爪木の書いたものを讀んでゐたといふ縁故だけで、二年足ら室のスチームは斷たれて寒氣は刺すやうに嚴しく迫った。スチーム ずの間に兄弟のやうな氣持になった土屋は、勤めの歸りに必ず顏をは病人のために設備されてゐるものではなく、醫師の爲にのみ活用 出してカづけるのである。漁夫あがりの田舍くさい彼は腕を組んでされた。廻診の時だけ病室は、氣持ちょいほど温かく、深夜になれ 病人を見つめてゐた。今はもう半分逆上してゐるやうな妹は相談相ば物妻い寒氣の中で、病人の呻き聲がせいさんにひゞき渡るのであ にくとっ 手にならず、爪木は土屋の木訥な親切に凭りか又った。 った。三十分おきに、病院の看護婦が注射のために現はれて來る。 「今夜は私もこで泊りませう」と云ひ出した土屋に、爪木は心か彼女は手早やく女の腕にカンフルを注ぎこみ、暫らくは首を傾げて ら「濟まんなあーー」と感謝し肩が輕くなるのであった。そして、 その脈を計算した。枕許に立ったそれら看護婦の太い脛を何度か見 モルヒネの注射によって病人の呻きが鎭まった暇に、彼は土屋を病てゐるうちに、爪木は日頃の疲勞に倒されてついうとうとした。 室の外に呼び出して相談した。この調子だから俺はちょいとこ又を土屋が今夜はゐて呉れるといふ安心もあったが、少しは寢なければ 空けられんので濟まないが と前置きをして爪木は金の工面を賴俺の身體がまゐってしまふといふ狡い氣持もあった。 んだ。明日っとめの終り次第まづ x x 省の石田のところにまはっ しかも、その淺い睡りの中で、爪木は爪木でまた間斷なく灰汁を て、それから xx 社にまはって貰ひたい、そこにはまたあの氏に舐めさせられた様な不快な夢を見つゞけてゐた。あはれな女が死に 賴みこんだ原稿が行ってる筈だから、もし出來るならば幾らでもい瀕してゐるその哀しみは少しも夢にあらはれないで、彼の睡眠を妨 いから金を貸して呉れろと賴んでは呉れまいか、しかしどっちも十げてゐるのはたゞ金の問題であった。先輩の e 氏にたのみこんだ原 中八九は駄目なのだ、少し遠いがこの地圖のところに一走りたの稿が拙くて役に立たぬと突っかへされたり、親戚に申込んだ借金が む、いやなんだが仕方ない、これは俺の遠い親戚なんだが : : : 濟まなか / 、うまく行かなかったりーーーそして自分のその様にみじめな ん / 、と爪木は土屋の埃に汚れた顔を見あげた。爪木の窮从を隅の姿を、ひょっこりうしろから : : : 捉へてゐたりして : 隅まで知り拔いて時折りは米味噌を持って來てくれた土屋であった そして、はっと眼を開くと、病人の妹が彼の枕を邪險にひっ外し が、今はなほ一層おどろいて「それほどならば僕の方も何とか考へ てゐるのであった。おどろきよりも、彼はかうまで息苦しく自分に ますよ、なあに自轉車だから一走りです」と快よく承知してくれた 詰めよるものが、むっと廠に障って來た。病人がまた惡くなったに 上に「どうも病人はだいぶ危險なんちゃないですか ? 」と云って外違ひないーー・それは彼の後腦の一部にはっきり描かれ乍ら、彼は脅 石方を向いてしまった。爪木は急所を突かれたやうにびくっとしたがやかされたたにしの様に、頭をちゞめてかしは蒲團の中に縮こまら 「なあーに、さうさう參られてはたまらんよ」と云って病室に引き うとした。するとその態度に癇を起した妹は低いしはがれ聲に怒 六かへし皆に聞えるやうに云った。「この瀬戸こせば大丈夫だよ、君」氣を溢れかしてきっと蒲團を引っぱぎ「義兄さん、にいさん、あん 立てまはした屏風の影で、病人はまだ鎭まってゐた。爪木はほっまりだ」と喫いた。びっしより盜汗にやられてゐた爪木は、不承不 ござ 四とした氣持ちになり床油の臭氣が鼻を刺す床に茣蓙をひろげて、そ承に起きあがり仕方なしに病人の顏をのぞきこんだ。不規則な呼吸 の上に一枚の掛け蒲團をかしはにした。それから洋服のま又で身體を酸素の下で喘いでゐた病人だったが、その瞬間例の落ちくぼんだ ねあせ
も就職できた上は、先づ樂観していいのであった。けれど同時に家ゐる、相手を君に一目みて貰ひたいが、間にあはぬのが殘念だ、い づれみて貰ふ機會があるだらう、といつもより一層陽氣に聲高に言 % 計のことは今後兄夫婦の手に移ること、自分は嫁ぐべき身であるこ と、しかもそれまでは、となる人に代って父の面倒を見ねばなった。炊事場できいてゐた英子は、ふいに膝の力が拔けて心も寒む 寒むとなった。誠一を別に愛してゐないといった英子は、兄に嘘を らぬといふこと、最近は隣組を通じてのほかは世間との接觸もなく なり、蛯原兄妹とさ ( 別れるといふこと、そんな考 ( が一時にもやいったのである。いやそれは意識した嘘ではなかったかも知れぬ。 誠一から、女としては愛されてゐないといふ自覺のために、彼女も もやと渦卷きはじめたのであらう。 いや、端的にいふと、彼女はいま蛯原と生活を共にしたい氣持が誠一をさういふ關係では愛すまいとしながら無意識に何かしら期待 をつないでゐたのである。いま誠一との結婚が間題ではなく、自分 あった。ただそれは氣持があるといふ程度で、蛯原が彼女の美のた めに惱んだといふほどの熱情的なものではなかった。とはい〈、蛯は男たちにとって魅力のない女なのであらうか、といふ寂寥に襲は 原を信賴出來る男として、長いあひだに得た親しみは思ひのほか根れるのだった。 切符も買ってあるのなら、是非一晩とまってゆけと誠一が歸さぬ 深く、また可燃性のものであるやうでもあった。 から、蛯原もその氣になったが、夕食後、二人の妺がソフアに肩を 夕方、誠一が歸って來るまでは、かれらは三津子に生きる力がな いなんて思ひ過しだとか、いや、しんからの嘆きだとか、心の底に寄せあって猫のやうにじゃらついてゐると思ふまもなく、これから ふれない話を蒸し返してゐた。たった一つ得たことは父親も一 = 津子は滅多に會〈ないといひあって、涙をぼろぼろ落しはじめたのに は、あきれ氣味であった。特に蛯原には、女の心の表裏がわからぬ がどこかへ勤めてはどうかといひ出したことである。 「それがいいでせう。さうしてお父さんにも盡せないといふことはのだ。 翌朝、蛯原兄妹は重ねて、かれらの鄕里へ、たまには遊びに來て ないんだから」 くれるやう廣坂家の三人にかはるがはる懇望した。さういふ調子に 蛯原は見たところ至極靜な判斷をあた ( るだけであった。三津 は野暮ったいほどの眞實がこもってゐて、實際またかれらが田舍風 子にはそれが氣にくはなかった。 の氣質を洗ひきれず、歸るべきところへ歸ってゆくのだと思はせる ふしがあった。 「やあ。いま歸りに君のところへ寄って、隣のをばさんに聞いた。 ふいに三津子が、それちゃいまわたしが遊びに行っては惡いかし あす、歸るんだって ? 君のこったから、もう切符を買ってあるん ら、といひ出して二時間後には、もう蛯原たちと一緒に、伊東行の うへツ、やつばり買ってるんかい。あきれたな ぢゃないかね。 列車に乘り込んでしまってゐた。空は幾日ぶりかで晴れ上ってゐ ア。 ところで、たった今打ちあけるが、喜んでくれ。僕もたう る。誠一は横濱まで見送って引き返して行った。 とう職にありついた。繪かきで立たうなんて僕には夢だったんだ。 蛯原は、歸鄕の決行と三津子が同乘してゐる歡びに、やうやく都 もっと早く報らせたかったけれど、何しろ話が確定しないことに 市を離れて展開する山野の綠をこの上なくさはやかに感じた。故鄕 や、赤恥ものだからね」 襍で、貴公子風に見える誠一だが、歸るなり、立てつづけにさの麥秋を思はせる畑や、櫻並木や、山頂の錐冠のやうな樹木や、谷 う言って、就職のことをくはしく話し、それに結婚もするつもりであひや、百姓家などが、快い速さで展開してゆくやうに、列車の疾
る。若い心がうけたどんな打撃も時がすぐ癒やしてくれる。 うと思ふんですけれど、どうせお父様と二人きりなら、そのあひだ 6 終點でおりて・ハスに乘り、山路を行ってやがて降りて部落へと歩 % お父様の健康のためにもどこかこの近くに移って就職できないもの か、とたった今そんなことを考へちゃったの。兄の方へも少しは近いて行った。蛯原兄妹は三津子を中に挾んでト一フンクを一つづつか うね るがると持って、谷あひの麥畑のなかを蜿る道を行った。三津子は くなりますし」 言った。 「それは出來ないことはないでせう こじうと 「兄は私逹にも一緒に來いといふの。そこはわたし、なるべく小姑「わたしこんなに幸輻を感じたことはないわ。唄をうたひたいほ といふものになりたくないでぜう ? 兄のためにも、しばらくは兄ど」 「三津ちゃんの唄。久しぶりでいいなア」 たちだけの生活をさせたいでせう ? お父様にもさういふ氣持があ 「でも何だか惡いわ。お百姓たちがあんなに働いてゐる時に。 るんですよ」 「是非といふんだったら、住居なり、職業なり、今に心あたりを聞わたし和服で來てよかったわ。あそこに、あんな山の段々にも、皆 精出してやってゐるのねえ」 いてみませう」 蛯原はこの言葉に三津子の今一つの美しさを知ったやうな氣持 「わたしもまだはっきりしないので、お父様とよく相談してみます で、獨りで感動し始めた。それは今がこの地の麥秋であることさへ はっきりしないとは、蛯原の熊度のことである。英子はさすがに知らぬ三津子の無邪氣な言葉だったが、部落の初印象の中に何を尊 娘の敏感さで、兄の經の鈍感さを齒がゆく思ふのだったが、三津んだかをうかがはせたのだった。 子は田舍には向かないといふ兄の評言は無視できなかった。三津子「英子、お母さんにさう言ってな、奧の間で三津ちゃんを涼ませて お上げ。君も帶をゆるめて休んでくれ。それから水を汲んで、きれ は虚榮にひきすられる女でもなければ、享樂好きであるわけでもな うちの井戸水は、 い。しかし田舍に向かないと感ぜられるのは何故だらう。田舍の空いなコップで三津ちゃんに飲ませてお上げ。 氣と風習のなかで育ってゐないこと、單調や不便や無知や寂寥に包なかなかうまいんだから . 「兄さんは ? 」 まれながら深く土に根ざして培はれた經と、自分の居間一つをさ 「あとからゆく。あゝ、おれもたうとう來たわい」 へ自分の趣味で統一して氣持よく整へずにをれぬ三津子の、洗練さ かれは妹たちを先へ遣って、しばらく、そこに靑がしの木の下に れながらなよなよした禪經とのあひだに、あまりの開きがあるやう に思はれるからである。そして英子にはいま、三津子には田舍暮し立って眺めてゐた。鎌を動かしてゐる娘、麥束を背負ってゆく男、 刈麥を山とつんで靜止してゐる牛車。或る畑では祖父母、親子たち が適しないといふことに、なぜか、自負めくものと氣慰めを感する が總出で働き、或る娘はちょっとのま、背をのばして蛯原を眺める。 のだった。列車はトンネルを拔け、またくぐり、どうごう動いてゆ く。故鄕に近づくにつれ、英子は昨日來の深い沈鬱が睛れてゆくの向うでは麥束を誰かがはふり投げてゐる。他の娘は、一心に土を耕 をおぼえる。靑い湖のやうな海が見え、向ふの港に橫たはる白鳥みしてゐる。前方の山の頂には湯氣のやうな雲がかかり、うしろの方 へさき からは潮風が野や丘をこえてやってくる。蛯原はかうした部落の谷 たいな汽船が、汽車の動くにつれて舳を向けた位置に變り、線路の まぢかにはゆるやかな白波がうねる。彼女は窓のそとをみつめてゐあひの野に、牧歌を愛してゐるのではない。かれはト一フンクを草の
行くと、丸木橋のかかった小さな川を渡りますから、今度は川につ 2 て秋の取入れや、庄しゃうの出來ごとなどを報告するためだった。 いて下ると、石浦の庄と和江の庄の間にでます。もうそこから國分ひとわたり用むきがすんだのは、もうかなりの夜更けで、明月は中 寺の五重塔と山門が見えますから、月のあるうちに着くやうに急ぐ 天よりやや西に傾いたと思はれる頃だった。浦刀彌をつとめてゐる のですよ。川をわたるとき氣をつけなさい。」 能登の高向と五十あまりで、陽にやけ、筋骨のたくましい男がはい 「姉さんはいっしょに行かないのですか ? ってきた。 「いいえ、いっしょには行きません。わたしは別な道を行きます。 「夜なかに推參して恐れいりますが : : : 」彼は恐縮して妻戸のそば さうしないと追手がかかったとき、二人とも捕へられるでせう。わに平伏した。それから、下人の女が大雲川をわたらうとしてゐるの たしはこれから引きかへし、大雲川をわたって向う岸を中山〈逃げを捕 ( た者があったので、檢分に行くと、自分が一昨年の秋、越中 るつもりです。この道も人によくたづねてあるから、迷ふことはあから連れてきた陸奧の者であったが、見張りの隙をうかがって、投 りません。ぢや、今云ったことを忘れないやうに、またわたしのこ身してしまった。まだ生死はわからないが、おそらく助かるまい。 となど氣にかけて、おそくならないことですよ。」 それは仕方ないとして、娘の弟もいっしょに逃げうせたと思はれる 「でも、ここまで逃げてきたら、あとは大丈夫ではありませんか。 が、探しに人を向けたものか、どうかと云ふのだった。 今から人里にくだったら、それこそ危いでせう。」 「逃げたとすれば宮津の道か、國府の道かどちらかだ。すぐ追手を 「いいえ、あんたは、私の云ふとほりにするのです。そしてわたし向けたらよいではないか。」 のために觀音さまを専心に念じて下さればそれでいいのですから。 長男の太郞が、今にも自分からその人數の先頭に立たうとする氣 ぢや、さやうなら。折ってある木の枝に氣をつけるのですよ。」 勢だった。 安壽はきびしく振りはらったので、津志王はとりつくしまもなか 「かはいさうに、たしか陸奥の娘は安壽とか云ったが : : : 」 った。津志王は歩きだした。すぐ姉の姿は樹かげにかくれた。彼は 二郞は娘の俤を偲ぶやうに、明あかと燃えてゐる蠣燭に眼をやり 間音を念じながら歩いた。すると天の方角からか、あるひはさっき溜息をついた。 まで姉といっしょにゐた方角からか、自分の名を呼んでるやうな氣「かはいさう ? 自分から招いた業ちゃ。」 がした。 三郞は玲やかに兄の二郎をあざわらった。 彼は下りかけた坂をまたかけのぼった。むろん安壽の姿はみえな 「業かも知れないが、お前はその姉弟を知らないからだ。びと月で かったが、呼び聲はいよいよ高くなるやうな氣がした。それがふと も自分で使へば、主從の情愛がおこるのは人の情ぢゃ。わしは探し 追手の聲のやうに思はれ、急におそろしくなって一目散に敎へられには行かないぞ。」 た道を走りだした。 大夫は三人の論を、正面の高麗べりの帳臺でぢっときいてゐた その晩、三庄大夫の三人の男の子、由良の庄司太郎、庄司二郎、 が、高向に安壽は川をわたらうとしてゐたのだなと念をおした。高 石和の庄司三郎は、由良の父の館にあつまってゐた。鹽濱が故障な向がうなづいた。 く終ったのは一に天の加護で、めでたいと祝儀をのべに來たのだっ 「では、たしかに國分寺に行くつもりだったのだ。さうすると : : : 」 た。製鹽ほど天氣の影響を受けるものはないからだった。また兼ね 彼は津志王が國分寺にかくれたときの面倒さを想像した。ただの
突然だったが、酒を見たときからそんな事を口説かれるのではなえてしまって、何でも自由に樂々とできるやうな氣がして來た。 酒でしめった兩手をついて、圍裡のそばまでずりあがった。 田いか、と豫想してゐたので、驚きはしなかった。その兄がクラを自 「まあ、兄さんと飲んだ ? 」 分の子のやうに可愛がってゐることは知ってゐたし、今の言葉に 子供と一緡に納戸に寢てゐたクラが、寢卷のままで近よった。 も、兄妹の愛情がこもってゐるやうで厄介な申出ではあったが、不 「皆はどうしたの了」 愉快な氣はしなかった。自分がもしこの兄の立場になれば、やはり かひこ 「蠶の講習會。」 酒をのまして拜むかも知れないと思った。 「また動員されたのか。まあ居眠りには丁度いい陽氣だなあ。」 「まだそれどこちゃないですよ。百姓になるかどうかも決心がっか 「芋はもらって來た ? 」 ない位ですから。」 「貰って來たつもりだが , ーー」 ク一フは外に出て芋を調べてから、 問題にしないのだ。要助も苦笑した。 「よく道に落さなかったのね。どれ、それをとって。」 「わしちゃ、うちが立たんですよ。」 重なったまま投げだした脚を一本づっ持ちあげてゴム足袋をぬが 「外に望みがあるだね ? 」 せた。 「そんなものはないけど、腹がきまらん。」 「ああ、いいよいいよ。罰があたる。」 「また運動ちゃあるまい ? 」 「兄さんは何かことづけしなかった ? 」 「いやあ。」 「した。わしとあんたと夫婦になれって。」 俊一に話したやうに話したって分らぬ。ただ混亂するばかりだか 「まあ、嘘でせう。」 ら説明はしなかった。 「嘘ちゃない。けれど、俺には考へがある。」 「望みがなけりや百姓するより仕方がにや。骨は折れるが、のんき 「何を云ふのよ。早くおやすみなさい。床をとってあげるから。」 だからなあ。」 「いろいろ話がある。」 そんがのんきになれないから迷ってゐるのだった。義兄の申出を 「いろいろどんな話 ? 」 はっきり拒みもしなかったが、承諾もしないで、暗くなった外に出 「ああ醉った。本當に醉った。」 「うそばかり云って、ちゃ床をしくわ。」 山に挾まれた暗い道を、やけにベルを隝らしながらくだった。道 クラは納戸から布團をひきだして來た。 端に菜種の花が浮いてゐる。 「さあ、床を敷きましたよ。」 いい氣持になってゐた。あたりが暗い、自分を見てゐる者がない 彼はよろめきながら、仕事着のまま床にころがった。 ことで、一層愉快だった。何も考へなかった。もう少し飮めば、ま 「だめですよ。ぬがしてあげようか ? 」 だまだ愴快になれさうな氣がした。 勘定をもらった土方のやうな恰好で、酒屋に寄ってまた飲み加へ 「わしがさはってもよけりや、ぬがしてあげるわ。」 た。すると、頭が沸き立つばかりだった。心を占めてゐた考へが消