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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 89 伊藤永之介 本庄陸男 森山啓 橋本英吉集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 89 伊藤永之介 本庄陸男 森山啓 橋本英吉集

そのときうしろの山の上に、藁のはぜる音がして、ばっと炎があ 「來てよかったなあ。」 6 がった。炎は三つ四つと橫にふえだした。 文藏にある男はさう云って、道ばたの草におりた霜をさした。 「おりだしたかや ! 」 「あすの朝はどうづら ? 」 文蔵は上の人にさけんだ。 「風の具合だからなあ。北風が吹くと危いよ。下の方は南風でも、 「大したこたあねえぞう ! 」 空の高いところを北風がふいてると、やつばり冷えるってこんだ 上からこたへた。文藏は伜をおこして桑の間にはいり、一本の枝よ。」 をまげて頬にあててみた。まだ霜はついてゐない。 あすは祭りであった。今日は家のまはりをかたづけるのが男の仕 「勝、やってみい ! 」 事で、女逹は煮物に一日かかる。 電燈をふりまはしてゐる伜に云ひつけた。 「おめえの頬べたは皮がうすいから、よくわかるづら。」 その日、高等科の子供が十人ばかり寄ってゐた。勝雄などもまざ けな 健げな子供をほめるやうにわらった。 ってゐたが、何をしたら爲になるか見當がっかなかったので、文藏 「なめた方がいゝだよ。」 に相談に來た。 勝雄は葉をなめた。また一段低いところで藁火が燃えだして、だ 「庭の草でもとって、掃除するだなあ。」 んだん山裾へおりてくる。 子供は根上の家に行き、すぐ草をむしってしまった。先生に云は 「おれ見てくるよ。」 れて出征兵士の家の手傅ひにあつまったのである。文藏が見に行く くぬギ、 勝雄は電燈をつけて、いっさんに山の上にかけのぼった。 と子供らは、擽の薪を割ってあそんでゐた。女房は赤ん坊を負ぶつ 「おーい、とっちゃん。うんと凍ってるぞ。」 て臺所で煮物をしてゐた。 勝雄がさけんだ。文藏はまるめた新聞紙をふところからだして、 「そんな危ねえことはやめて、桑畑の草をむしって土よせをしな。 あっちこっちに配っておいた藁の一番上手から火をつけた。風のあそのくらゐはできるづら。」 るときは風上から、こんな朝は高いところから下へ煙りを流す。煙 云ひつけたが鍬が足りない。有る鍬も一つはゆるんだ柄に釘をう りぐらゐでも、若芽につく霜をとかす力があった。一度に燃してし ちこんでとめてあり、他のは刃がにぶって切れさうにない。自分の まはず、濕ったのをいぶすのである。 家のを子供に持たせてやり、根上の家の道具をかたつばしからしら 山つきに畑をもってゐる家では、たいがい霜よけにでてゐたの べると皆わるくなったま乂である。唐鍬などは一貫五百もある開墾 で、高いところから段々をつくって、火はほとんど一面にもえひろ用のものをつかってゐるといふ。これは一日に一升一一一一一合も飯を喰 がってゐる。夜明け前のくらさは、そのためいっそうくらく、くらふ開墾人夫しか使はないものだった。輕い方は柄がをれてゐる。五 さに匂ひがあるなら、にほひさうだった。 丁の鎌は厚刃も薄刃も、たゞ光ってゐるだけで、本當にといでな 氣がついたときには、東の空は窓のやうにすきとほってゐた。人い。女には研げないのである。それを一々よくしてゐるとタ方にな 逹は火を消して、頬かぶりをとって灰をはらひ、家へかへって行っ った。子供がかへってきたので、きぬはふかした芋をだした。 「お前らはまた來るだぞ。俺が仕事を探しといてやるだで。をばさ

2. 日本現代文學全集・講談社版 89 伊藤永之介 本庄陸男 森山啓 橋本英吉集

除けをすれば、五時までかゝるづら。それから町に行けば、石川屋っても葉の買ひ手はたくさんある。 電燈でみると、よそのより芽が細ながくて靑いやうだった。黑み ちゃもう皆起きてるから、おかみさんがきっと小言を云ふだ。家の 坊やはとても溿經質だから、おかはやの臭ひがすると、朝御飯がい があって固く丸味のある方がい又。下の方はもう葉が開いてゐた が、まだ早すぎる。霜の害もひどいわけだ。中耕や肥料が足りない けないって。親父の耳たぶに噛りついたのを、わっちが知らないと 思ってよ。」 せゐであることはわかりきってゐた。農家では、家庭の勞働力の最 大限まで、田や畑を廣げてゐる。一人の手が減っても殖えても、す 「無理をせんがいいよ。お前が潰れたら子供はどうするだ。」 非難の氣持で云った。いつも人逹の援助をことわってばかりゐたぐ作る田畑の面積をかへねばならない。土地が殖えないのに人が殖 えれば、土地をよくするから收穫も割方よけいになる。人手が減っ からだ。すなほでないと思った。小 屋にかへる途中で思ひついて、 たとき土地が荒れるのは自然のことだ。 女の家の桑畑を見にまはった。川の側にある。いったいに川の近く や、人家のそばでは霜の害はかるかった。水はあたたかいのだらう。 その上、毎年々々の農仕事だから、各戸とも働らく順序がいつの まにか定ってゐる。麥の中耕を始める三月初旬には堆肥が熟し、茄 だから白い粉をうすくまいたほどの霜なら、十筋ばかりの藁を、た 子、西瓜、胡瓜などの苗床もぼかぼかぬくもってゐねばならぬ。雨 ばねた枝の上からかけておけば、一株の芽をまもることができた。 それもきちんと被せる必要はなく、ばらばらに枝をからませておけの日には蠶具のつくろひ、夜は何、朝は何と云ったぐあひに、六月 ば、霜は藁の方にすひとられるものだ。それだけのこともきぬにはの農繁期までの仕事の順序を頭にゑがいて、日々の働らく場所と、 働らく時間の長さと量を計畫的にせねば、百姓はできないのであ する暇がなかった。 昨年の夏、夫が召集され、以來、女の腕一つで前と同じ廣さの田る。女ではさういふ計畫が、慣れてゐてもまったくできなかったの 畑をつくってゐる。春秋の忙しいときには、村中の手助けが少しはで、種馬鈴薯をくさらしたりする。するとよけいあせるので、雨の ある。がそれをあまり喜ばぬ風なので、自然と根上の家は孤立して日に野良に出たり、曉三時に洗濯をする結果となって、體をわるく ゐた。夫がすぐ凱旋するだらうといふ期待、女一人で護って見せるするのだった。兵隊は一日行軍するときには、一時間の行程を何キ ロときめてあるさうだが、農もそんなもので、田植ゑが終ったあと といふ意地などあったが、やはり弱身をみせると小作をとりあげら れるかもしれないといふ心配が主だった。またさういふ感情を起さの勞働は、のろのろしてゐるやうに見えても、秋の收穫期までの準 せるやうな態度が、少しは村人のなかにあった。 備を計畫的にやってゐる。勞働が節約されて、體力が蓄積されると いふわけだ。興奮したりあせったりしても效果はない。 きぬは村人を敬遠するので、村人も近よって疑はれては損だとい 文藏は荒れた桑畑をみて、痛いやうな氣がした。手を入れて自分 ふ風になってゐた。しかし自分だけはできることをしてやらうと文 の畑のやうに立派にしたら、せいせいするだらうと思った。 藏は考へてゐた。 小屋にかへってみると勝雄はねむってゐた。もう四時をすぎてゐ 彼は根上の家の小屋から、だまって藁を四五束かつぎだして、ざ る。霜はおりないかも知れなかった。おりなければやはり町に肥汲 っと枝にかけてまはった。風がないので火を燃すより效果があるか も知れなかった。半段足らずだからすぐをはった。今年も去年どほみに行きたかった。小屋の外にたって手で空氛をなでてみた。さっ ゃうきん 3 きより一層くらくなって、もうすぐ東の空が白みさうだった。 りに養蠶するかどうかも聞いてゐなかったが、さうしておけばあま

3. 日本現代文學全集・講談社版 89 伊藤永之介 本庄陸男 森山啓 橋本英吉集

た。今年もまづ順調な燒上高で、めでたいから、心ゆくまで賑って せん。百姓は入間に仕へるのでなく、土地に仕へるのでなければ、 くれと云ひのこして、彼はかへってしまった。 自分も衣食し、人をも衣食させることはできない、これがわたしの 暗くなるとすぐ月がでた。庄司二郎の館まで田圃をとほして見わ 物心ついてからの信條でした。たくさんの人を使ってみまして、い たすことができ、その邊に散らばってゐる鹽のかたまりが、銀粉の よいよ間違ひないと信じてゐるのですよ。」 つまり家長獨裁の大家族では、ふえる人口を養ふことができないやうに光った。濱師だちは醉ひ、唄ったり踊ったり、狂ったやうに し、また開墾もうまくすすまない、と云ひたいのだった。そしてな抱きあったまま倒れてゐる者もあった。津志王は軒下でぼんやり月 ほ、自分の富がよこしまによるものでなく、自然の理に從った結果を眺めてゐると、安壽の急いでくるのが見えた。彼は走って行っ である・ことを、暗に誇らうとしてゐるのだった。他鄕で暮しきれずた。 「すぐ逃げるのですよ。今夜は館でもみんな醉ってゐるし、月があ に流れてくる百姓を、救ってやったのはわたしですよ、と云ってゐ ほしひ って途も明るい。さあ早く、ここに糒をたくさん入れてきたから。 るのだった。 考へるまはありませんよ。」 「なるほど : : : 」曇猛は庄官となった心持で、彼の説明にうなづい 月光が安壽の鼻の上に射してゐる。荒い息が白く見えた。 たけれど、また他方では慈悲者として納得しかねるところもあっ た。彼は津志王や安壽のことを云ってみたかった。けれど、永代祈「考〈ることはありませんよ。中山の國分寺まで三里しかありませ 鳶の料として寄進すると約束した五畝歩のこともあったので、のどん。その間に人に見つかるやうなら、まだ、み佛のお許しがないの まで出かけたのを呑みくだしてしまった。このとき確かに彼は一人だとあきらめまぜう。さあ、早く。」 安壽にひき立てられ、夢中で鹽濱をかけすぎた。それから稻の穗 の人間の命を救ひそこなった。といふのは、云ってしまへば姉弟は 自由になってゐたからだ。大夫はまだ、雌牛の死やタ燒けや、多聞のでた田圃道をとほって、山かげの月光のないとこへ逃げこんだ。 「わたしは始めから逃げたかったのですが、もし人に悟られたら の鳴きごゑにおびえ慈悲を施すやはらかい情を起してゐたから。 と、わざと隱してゐたのですよ。そして毎日、柴刈りに山へ行くた び、逃げる道はどれがよいかと、いろいろ試して見たのですが、昨 仲秋の名月を境として鹽濱はをはる。砂が掻きのけられたあと は、また耕されて冬の作物を蒔く支度がはじまる。臨時に三庄のあ日は思ひきって、たうとう國分寺のみえるところまで行って來まし ちこちから集められた作人だちは、家にかへって秋の收穫の準備を 安壽は歩きながらかう云った。道はのぼりになって、あたりには はじめるし、津志王のやうに住居の定ってゐない者は、新墾地や館 大きな杉が月光をさへぎってゐた。その杉木立の中をのぼりきる の雜用などにまはされるのである。 と、朽ちた寺の山門があった。なほ登ると小さな山の頂に出たらし 大仕事がかはることは、それが何であっても一時は氣がかはって、 、大雲川の豐かな流れと、稻田のある平野が眼のしたに展けた。 樂しさうに思はれるものだが、津志王は安壽ともなかなか會へなく そこで安壽は立ちどまった。 なるだらうと、なんとなく氣が重たくなってゐた。 「この山道をまっすぐに行きなさい。ところどころに木の枝を目印 大夫は姿をみせず、庄司二郞が代はりに濱休みの式の采配をとっ た。式はしごく簡單にすんで、夕方から濱の小屋で酒宴が催されに折ってありますから、迷ふことはないでせう。そして一里ばかり 391

4. 日本現代文學全集・講談社版 89 伊藤永之介 本庄陸男 森山啓 橋本英吉集

「馬鹿、人の見てる時だけづら。」 畦で隊は・ハラ / 、に別れる。 「よくできてる。こりや優等づら。」 「五俵はあるぞ。誰の田だね。」 村はなだらかな丘が、波のやうに起伏したその窪みにあった。村 立ちどまり、麥の穗を指の先でいぢってゐる者もあるし、シビビ の西側をとりまいた厚い藪を拔けると、擽のしげつた丘があり、あ 草の實で笛をこしらへて鳴らすものもある。德さんはもう二百米もつい若葉が油のやうにギラ / 、と光ってゐた。雜草は激しい日射で 先に出て、さかんに「トッカアン」と叫んでゐるが、なか / \ 徹底萎れ、甘い香りをたゞよはしてゐた。大氣は水分をふくんで空は霞 しないのである。 み、人々の肌には氣持ちょい汗が流れる氣候であった。 しかし赤軍が近づいた時には、白軍は不意の出來事のために、隊 輻のの幾代が、おはちをか乂〈て麥畑の方から丘〈のぼって 形をみだし一處にかたまって、ガャ / 、と騷いでゐたので、突貫し きた。手甲脚絆、赤いたすき、白い手拭には麥の穗がからみつき、 て來た德さんの隊は、氣拔けして子供のなかに溶けこんでしまっ頬や耳たぶは、藁ぼこりで白くなってゐる。幾代の姿は擽の葉にか た。つまり豫期された衝突戦はうやむやになってしまったのだ。 くれたが、すぐまた現れる。丘をのぼりきって十間ばかり歩くと、 人々は指揮者の特務曹長をかこんでゐた。特務曹長は一本の電柱檜の三四本かたまったところへ入って行った。そこには淸水が湧き に貼ってあるビ一フを指して何か云ってゐたが、すぐ靑年の方に歩い でてゐた。膝まづいて手甲を外しておはちをおき、味噌で汚れた茶 て來た。そして質問を始めた。 碗や箸をとりだした。野良ですました晝食のあとかたづけである。 「お前は會員づら、このビラに書いてあることをどう思ふかね ? 」 被った手拭をとって、指先をしめし髮をかきつけながら、音もな 勿論、その靑年が組合員でないことは分ってゐたが、彼は皮肉なく湧いてゐる水にうつった影を見る。見ようと思ってうっしたので さぐるやうな眼付でたづねるのだった。ビラはもう五六日前から貼はない。自然にうつったから見たゞけである。すると、小石をなら ってあったので、直接今日のデーに關係はなかったが、これも敎育べてある水底に、赤いものが沈んでゐた。とりあげると、學校歸り きんちゃく の一つと考へたのであらう。 の女の子がおとした巾着である。幾代は巾着の水を切り、かたはら 「お前は百姓だらう。百姓なら勿論、このビフに賛成だね。」 の檜の枝にかけるのだった。 さういふ質問が順々に行はれた。だが若い衆はどう答へればいい それからゆっくりゆっくり茶碗をあらって行く。不自然なくらゐ かを敎はって知ってゐた。 しとやかである。花嫁のやうにしとやかだ。さういふ風にしなけれ ぶ「もしもアメリカのやうな志願兵制度に日本がなったら君はどうすば、顏や手に品がなくなるからである。幾代は十九である。兄の輻 はる ? 」 次に嫁がくれば、自分も嫁に行かねばならぬ。もう嫁のロがか又っ この英文法の試驗のやうな題を出されたのが、久保田輻欽であっ てゐる。先づ大切なのは近所の評判である。評判をわるくすると、 た。彼は赤い顏をしてしり・こみ、答へを促されたけれども返事をし悪い婿をもたねばならぬ。第一一にはこの頬、この鼻、この聲が人々 引なかった。相手が皮肉れば皮肉るほど、彼は眞劍な怒ったやうな表に好かれねばならぬのだ。だからしとやかに振舞ねばならぬ。しか 3 倩になり、遂に一言も答へなかった。こんな題を出す者も出す者だ し野良仕事の時には、あまり自分を大切にしすぎてはならない。丁 が、答へない者も答へない者た。

5. 日本現代文學全集・講談社版 89 伊藤永之介 本庄陸男 森山啓 橋本英吉集

ぬながら、警戒するのも當然である。地主の家から歸って酒をのんてえ。女房にもよく云っときますだ。」 0 でゐると、醉ひのまはるにつれて、根上はしだいに感傷的になって ふらふらと立って女房をつれてきた。普通ではなかった。がそれ 行った。子供はもとより村の人達ともこれで生涯お別れかも知れなもこの際仕方がないと人逹はさまたげなかった。座のまん中に女房 いと、今まで家のことばかり考へて、あまり浮かばなかった哀感が をすわらせて、決して田をはなすでねえぞと、狂ったやうに云ひっ 心持をぬらした。田畑など何でもないが、子供らと別れるのがつらけた。女房は、わかってゐるからと根上をおさへながら聲をたてゝ くなってきた。人逹のなぐさめの言葉も役にはたゝなかった。かへ嗚咽する。人逹はまきこまれて、水の底のやうにちーんとなった。 って暗くしめつぼくなるばかりだった。 地主も默ってゐた。 そのときさっきの地主が、挨拶にやってきた。座の沈んでゐるの しかし翌日、禪瓧の前に立った根上は、昨日のやうな亂れた風は をみて、おづおづと盃をあげた。根は正直な氣の小さな男であら少しもなく、おちついてにこにこしてゐた。殊更に元氣を裝ってゐ う。何かしゃべらねばならなかったので、どもりながら云った。 るのでもない。固くもならず淡々としてゐた。 「わしらは戦爭に行かうたって行かれねえだから、せめて召集され 兵に行くのは國のためといふより、やはり自分のためでもあっ た人の家族だけは、心配のねえやうにするだね。行ってる人の分また。國をまもることが自分を守る道理ではないか。誰かが犧牲にな で働らくこったよ。わしなども遊んでても申譯がねえから、野良仕らねばならぬ。えらばれた以上はいさぎよくしよう、家のことは何 事をすべえと思ってるだ。」 もかも委せる。人逹は生活のために狡滑になり、惡德もする。けれ みな輕いあひづちをうった。地主は根上の方をそっとぬすみ見どもそれは個人對個人の場合だ。衆人は自分の家をまもってくれる た。激勵のつもりで云ったのだが、效果がないことを知ると、さらに違ひない。みなが固まってゐれば、誰かが慾ばっても駄目ではな に二言三言なにかつけたした。そのとき根上がそっと顔をあげた。 いかーーー人逹に委せるといふ氣持には、側で考へるほどやすやすと 醉ってゐるが顔色は靑く、涙に頬がぬれてゐた。 なれなかったが、そこに逹すれば氣が樂になり、武運は子供のとき 「あとのことは心配しないで、うんと働いて來ます。それで一つみから、護ってくださった珉禪さまにまかせようといふ考へになった なさんにお願ひがあります。地主さんは田を誰かにあづけるがいゝ のだ。 と云ってくれますけんど、わしはそれは面白くねえと思ひますで。」 彼と同じく氏禪にあつまった三人の應召者も、やはりおちついて 意外な感じで座の人は、はっと根上をみた。來ない筈の地主が挨心配事などない様子である。令状を受けたときは、家庭の事情にし 拶と稱して來たのは、あづける人がきまったからだと根上は想像し たがって、喜び悲しんだであらうが、いざとなればやはり同じゃう た。そしてさっき「人によってはあづけてもい又。」と約束したこ な冷靜に、男らしい氣力を面にみなぎらすことができた。いろいろ とを、今では後悔してゐたのだ。 と挨拶の言葉が禪前でかはされたが、興奮してゐるのは送る人の方 「いや、わしはたゞさうしたらどうかと、相談したゞけで、いやなで、送られる方は、浮はついた形容詞などっかはず「俺がどんな働 のを無理にといふのちゃねえ。」 きをするか見てゐてくれ。何も云はないでも事實が證明する。」と 地主はあわて辯解した。が根上の耳にはいらないらしかった。 云はんばかりであった。 「戰死すればとにかく、生きてる間はいまのまゝに作らせてもらひ 根上は入營して、出征間近くなったころ、歩兵一等兵の服で一度

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が云ひましたので : : : 」 もすぎてだった。田植も終って、あついのと農休みの惰力で百姓が すると奥さんは、不機嫌な顔をして「あなたは、裏に廻りました ぶら / 、してゐる頃だった。「當分謹愼」とはところはちぶの意味 ね、失禮ではありませんか ? 」とさっきとは別人のやうに威張るの だと、健が個人的に話してくれた。 だった。彼は驚いて、とびだしたが、「どっちが失禮かはっきりさ ところはちぶとはどう書くか誰も知らぬが、この附近の村々に日 せよう」といふ考〈をおさ〈きれずに、田圃の中の麥藁の蔭にかく露戦爭頃まで殘ってゐた刑罰で、その當人をある期間、全然孤立さ れてゐた。 せることだ。朝晩の挨拶から冠婚葬祭、更に物品の賣買まで禁止す 村長に會って問題の起りから詳しく説明し、自分のわるい點はある。昔は村落が籾泥棒や野菜泥棒に科したものだが、今ではそれは やまったならば、村長は忽ち「さうであったか」と理解してくれ、 警察がやるのですたってゐた。二三年前一人の靑年が、救農工事の 進んで噂を消すために盡力してくれるものとひどく樂觀してきたの ことで役場を非難したところが、それが縣廳にきこえたので、村の である。このやうに、途中でこじれては、うまく行きさうもないと 幹部はおこって、その靑年をところはちぶにしようといふことにな 不安になってきたが、自分の執拗な振舞ひを制することもできかねった。その時からこの制度が復活したのだ。しかしその時は、なか なかうまく行かなかった。有力者が申し合せをしても、當人の住ん 村長の息子が二人門を出たあとに、洋服を着た男が二人、鞄をもでゐる部落では、個人關係で申し合せを實行するに忍びないのみな って村長の家に入って行った。それは役場の人だったから、もうすらず、その靑年の説に賛成する人もあったのだ。遂には同情者を更 ぐ村長はその男逹と出てくるだらうと、首をのばして見張ってゐ にところはちぶに處したところが、之には多數の部落民が同情する と云ふやうにさへなって、結局うやむやに終った。このやうな處罰 ところが、彼は氣がっかなかったが、横っちよから來た男が叫んは直接效果がないやうに見えて、なかど、さうではないのだった。 その靑年は結局、鄕里からとび出さざるを得なかった。 「これはお前の自轉車か ? 」 「今は時節がよくにやだで : ・ : ・」 「さうです。」 健はさう云って慰めたが、彼自身この「時節」といふ言葉のほ 「この野郎 ! そんなところでさうですとは河だ。出て來い ! 」 んたうの意味はさとってゐなかった。警察に渡すほどはっきりした 自轉車は溝のなかにかくしておいたのに、どうして見つかったら罰を犯した譯ではないが、「村のためによくない」 ( と村の先輩は考 うと、あわてながら近づいた。それから、うんと叱られて、父親が へた ) 放っておけば非常に大變なことをするかもしれぬ、といふ心 呼びだされて、一絡に家に歸されたのである。 配がある時節に、このやうな漠然とした懲罰方法はたしかに使利で は「えゝい、なんて拙いこんだ ! 」 あったのだ。こんな方法を思ひ浮べた「先輩、有力者」らは、新聞 彼は自分の頭をたゝいて叫んだ。 の上でのみ知ってゐた不逞者が、自分の足下にあらはれはしないか と、非常に溿經過敏になってゐたので、輻次のことが傳はったとき 5 5 も、とるに足らない若信だったのでかへって失望したほどだった。 3 「當分謹愼するやうに」區長から申逵のあったのは、それから一月 「おら、連絡係だからなア、何でも話してくれよ。」 , 」 0

7. 日本現代文學全集・講談社版 89 伊藤永之介 本庄陸男 森山啓 橋本英吉集

「あ乂、腹が減ったなア : : : 」 がまちがふって云ふのだ ? 」 その邊の鍋のふたをとって見ながらつぶやいた。それから上り口 怒って荒々しい口調だ。 に朝から置きっ放しにしてあった新聞を、ふてくされたやうに横に 「いっか集ったなあ。あの時、君が何か惡いことを云ったって話 なって讀み始めた。 だ。それを先輩が怪しいといふのらしい。」 その時、隣家の健次が、 「はア : : : 」 「やーい、歸ったかや ? こんなとけ工提灯をさげて、あぶね工 やっと思ひ當り、それから呆然とし、やがて沸き立つやうな怒り に、我を忘れさうになったが、さうなると反射的におちついて云っ これも野良からの歸りらしく、麥の匂ひが肌にしみてゐた。煙草た。 の火をつけに風呂のところに行って、幾代に云ふのだった。 「誤解づら。」 「幾ちゃんぐれ工、身體の釣合のとれた娘は、まアこの村にはね工 「それはさうだが、とにかく區の靑年も困るだよ。實際。でまア俺 なア。」 が代表になって君に賴むんだが、勿論形式だけでいゝから、村長と 「まア、皮肉を云って : : : 」 分會長に釋明してくれないか。たゞ一言でいゝだ。實はそんなつも 「ほんとだよ。百姓した女のやうぢゃね工よう。」 りでなかったが、考へちがひですまなかった、それだけ云ってくれ 「あんた、ロがうまいね工 : りやいゝだが、どうだね。」 と云って、風呂の蓋をとって湯をかき廻すのだった。 また輻次は新聞の上に横になって默ってゐた。 「久保田、よく眠くならないなア、新聞なんか讀んでーー」 「嫌だらうが、區全體のためだから : : : 」 健次は煙管をくはヘてもどってきた。 「一體これは : : : 君に云ったって本當にせぬかも知らんが、あの 「うん、腹がへって動けね工。」 時、聞いてたものは知ってる筈だ。僕は一言も答へなかったんだ。 「大きなこと云ってらア。あのな、ちょっくり話があるだ。」 それは答へられんから答へなかったゞ。だからもし今詫びれば、本 「う乂ん。」 當に俺が悪いことを云った事になるぢゃないか。まアゆっくり考へ 「六ヶ敷い話ぢゃね工けんどなア。誤解すると困るだが : : : なんて見るだ。」 だ、つまりおめ工の思想のこんだが。」 父や母が歸ったらしく、暗い庭さきで聲がする。「輻次 ! 」と呼 んでゐる。が二人は答へない。睨みあひのていだ。 云ひにくさうに、健次がきりだした。新聞から眼をはなして驚い ぶたやうに起きあがった。 「ちや考へといてくれ。理屈はどうでもっくけんど、先輩には下か は「シサウ ? 」 ら出るにかぎる。なアまた來る。」 健次も相手のどこかに案外ゴッ / \ したものを感じて、眉をよせ 」「うん、君の思想について噂がある。噂だけづらが。けんど噂だけ にしても、この區の靑年からそんな噂が出ちゃ、お互ひに不名譽だて出て行った。輻次は眼をつむったまゝ横になってゐたが、やがて 立って暗い庭に出た。汗がひっこんで肌が冷たくなった。 からなア。」 3 「待て、誰が云ってるんだ。そんなことを。そして俺のどういふ點 誰かゞナショナル・一フンプを提げて馬をひいて家の前を通った。

8. 日本現代文學全集・講談社版 89 伊藤永之介 本庄陸男 森山啓 橋本英吉集

健次はとりなし顔で云ふのだった。 るやうに思はれた。そこはもと / 、、人に會っても口を利かないこ 6 「今になって何を云ふことがあるだ。根も葉もないことを云ひふら とになってゐる。錢さへあればよい。默って錢を見せれば望みのも しやがって。一度だって事實の調査をしたことがあるかね ? 」 のを得ることができるのだ。 健欽が云ったのはさういふ意味ではなかった。あやまるつもりな 輻次はいらノ \ し、邪險になった。人間を見るときつい眼をし ら、俺が取次いでやるといふことをほのめかしたのであった。とにた。たゞ自分が丹誠した茄子やトマトや西瓜を見るときだけ、ホ かく今は輻が昻奮してゐるので、何事も駄目だとあきらめて歸っ ッ′ \ とへんな嬉しさうなつぶやきを洩らした。植物を大切にする て行った。 ので、植物の方でも自分の思ひ通りに育ったのだと彼は考へた。人 間は幾代でも父でもみな白い眼をむけられた。そこで、兩親はもと より叔父さん叔母さん達も加はって協議した結果、嫁をもたせて輻 繁華な通りを人々に挨拶することもなく、歩くのは樂しいもので次の心をやはらげ、他人の氣にいるやうに改心させねばならぬ、と ある。たが人通りのない田圃道で會った人と、言葉をかはしてい乂 いふことになってそれえ \ 心當りを詮索し始めた。輻次は氣づいて やら惡いやらわからずに、お互ひに様々な思ひにかられて、すり違ゐたが、知らん顔をしてゐた。そして親逹が與へる嫁を、默って貰 ふほど嫌なことはない。そんなことが度重なると、禧次といへど自ふつもりでゐた。彼は今でも村の先輩逹に頭をさげる気持はなかっ 分を不幸と思はずにはゐられなくなるのだった。 た。いや、この頃では一孱肩をはって見せたかった。自分でもそれ 一日の時間が短いと思ふほど仕事はあるし、歩く道路もある、風では仕様がないが、嫁でも來ればそれを機會に頭をさげるかもしれ 呂もある、新聞もあるのだ。ところはちぶなんてなんだと云ってやないと、自分の心をさぐってみることもあった。 りたいくらゐだが、本當のところ輻次は、ひょっと向ふから歩いて 一人の男が道傍で草を苅ってゐると、曲り角で・ハスを降りた色の 來る人間を見つけると、「よく人間が歩いてやがる、奴等は何の用黒い女が、「輻次の家はどの邊か ? 」とたづねた。家を敎へてやる 事があるんだ ! 」と思はざるを得なかった。その「奴等」は輻を と更に、財産や素性について細々とたづねてからやっと去った。そ よく知り、氣の毒なことだ、何とか言葉をかけてやりたいものだ して今度は隣りの健次の家に行き、田の草とりから歸って晝寢をし と、思ひ迷ってゐる善人だから尚更いけないのである。 てゐた健次の母と、ながノ \ と話しこんでタ方歸って行った。 何か血筋のわるい人間のやうに、彼は孤立してゐた。彼はだんだ 「輻さんに嫁が來るさうな。」 んしなびて行くのだった。 間もなくそんな噂がたったが、嫁の來さうな氣配は見えなかっ 毎日あつい日がっゞいてゐた。田の草をとってゐると、草いきれた。 と陽光とで、蒸されるやうだ。植物といふ植物は、さかんに水を吸 縁組は取引のやうなものだ。嫁の價値と婿の價値とが一致しなけ ひあげ、葉から匂ひのするいきを吐き出してゐる。 ればまとまらぬ。 彼は廣い田圃の中に立ったま又、村はづれの方を見つめてゐるこ この頃では價値がさがってゐた。 とがあった。林の向ふ側には、工場や商店や劇場のある町があった 「自分の娘には立派すぎて、交際ができぬ。」と云って來たと、叔 ので、空には煙が漂ってゐた。林の向ふは、自由でのんびりしてゐ 父さんは知らせた。輻次の家がよすぎるから不釣合だ、さういふロ

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見てゐたが、次第に顔がひきしまって色さへかはってきた。文藏はて行ったが、夕方まで歸って來なかった。地主の家に行ったのだ 8 何も云ふ必要がなかった。根上は直感した。唇をふるはして何かっ 、カ ぶやき、唐鍬をなげだしてうつむいてしまった。女房も感づいた。 「そんなことは君が心配することはない。あとの者に委して、安心 「馬鹿野郞 ! 泣くでねえ。覺悟してるだ。」 して出征してくれたまへ。」 根上は女房に噛みつきさうに叱り、先に歸れと命じた。 と答へたほかには何も云はなかった。親切な激勵であらうが、根 「さあ、家に行くだ。」 上には安心できなかった。それから山主の家に行った。 文藏は誰にともなく云ひ、二人の子供を抱いたまゝ山道をくだり 「來年からの年貢は、あんたの凱旋するまで待ちませう。けんど今 はじめた。リアカーにお櫃や土瓶をのせて女房がっゞいた。根上は年の分は始末をつけて行って貰ひたいですね。それはねえ、去年一 耕地のまんなかにしやがんで、小さな土塊を左の掌にのせ、右の掌年で拓いてしまって、今年から作物がとれるのが普通で、拓くのに で上から揉みながらくだき、中に交ってゐる糸のやうな木の根をひ二年もかゝったのは、あんたの勝手だでなあ。本當なら今頃は西瓜 ろひすてた。今から大根の種でも蒔くやうな具合だった。拓いたばの三四十貫もできてる筈づら。まあわしも泣くが、あんたも泣いて かりの土地が惜しかった。そこには作物を一度もっくったことがな貰ひませう。それに今からでも拓いたとこに、大根でも蒔けばい又 いので、幾寸もきまった朽葉でゞきた土は、綿のやうにやはらかく し、そのくらゐは誰でも手傅ってくれるづら。」 ふくらみ、ゆたかにこえてゐる。大根や牛蒡のやうに、深く根をお 無理はなかった。人手にわたりさへしなければい又のだと、一年 ろす作物など、小石もなく、まっすぐな、肌のきれいな奴ができる分をさめる約束をしてかへってきた。期限のきれる借金のロもあっ にきまってゐた。まだこの土地を耕さない前からそれを樂しみに たので、それらに挨拶をしておく方がよいと思って廻った。みな、 し、辛苦もわすれてせいだしたのである。三年前の夏、陸軍にをさ仕方がないといふ顔をしてゐた。廻ってゐるうちに、初め考へてゐ める秣刈りに來たとき、傾斜のすくない好い耕地だと思って、山主たやうに、人逹が調子にのってゐないのがわかった。召集されたこ に交渉したが、向ふにこみいった事情があって、長くそのまゝにな とに感激し激勵はしても、經濟のことはまた別だからといふやうな かしら ってゐたのを、一昨年の冬に段一斗五升でやっと契約ができた。そ顏をした。十一を頭に子供が四人ある。つきあひが減り、借金をか れから眞夏や冬の農閑期に少しづ長拓いてきたのである。自分の家へす苦勞だけはなくなるゆゑ、支出はすくなくなる。女房のはたら や屋敷に執着するのと同じであった。 きで子供たちは餓ゑないことは分ってゐる。しかし心配になるのは 使丁は鞄から令状をだして、おめでたうございます、とふるヘな田や畑のことである。作り分を尠くすれば文句はないが、凱旋後の がら云った。あつまってゐた人逹は根上が令从を讀むところを、見面倒を考へれば、それはできなかった。熱のさめたあとでは、少し ないやうにしてゐた。彼は無關心な表情でよみ、判をおした。大人ぐらゐの汚名をきても、小作地を返さないかも分らぬ。しかし、自 や子供や女房たちが、まもなくあつまって、親戚に知らせる者、買分だけが、誰にもっくらせぬと云っても、田畑が荒れてゐれば、人 ひ物に行く者、食物を拵へる者と、組にわかれた。 が承知しないだらう。蠶はまだあがらないのに、麥は色のあせるほ 々しくしてゐるところに、根上の女房が納戸からでてきた。あど熟してゐる。梅雨が來てもまだ麥が刈れず、次第にくさり始め とから着物を着かへて出てきた根上も、靑ざめた顏をして、外に出る。人が手傅ひにきても、それぞれ自分の麥が危いのであるから、 ひっ ・こばう

10. 日本現代文學全集・講談社版 89 伊藤永之介 本庄陸男 森山啓 橋本英吉集

じよう 鹽屋は藁屋根をうちゃぶられ、鹽は砂のうへに流れだしてゐた。 下人なれば何でもないが、陸奥の掾と云へば國守の代りをする高官 だ。罪をうけて太宰府に流されたとしても、京にも名のきこえた者鷄が羽根をばたっかせながら苦しんでゐた。そのとき彼のう〈に黒 にちがひない。その家族であってみれば、浪人のやうな扱ひはできい影をおとしたものがあった。仰ぐと多聞が西の方角〈鳴きながら 飛んでゐるのだった。誰かが彼のあとを追ってきた。蹄のおとが影 かねる よりも先に耳にはいった。 「太郞と三郞は國分寺の道にむかへ。なんとしても取りもどしてく 「何事ちゃ。ばかめ ! 」大夫は息を切らした家人に、はじめて冷酷 るのぢゃ。一一郞は宮津に行け。高向は浦うらに布令をだせ。」 大夫はみなを勵ますため、總門までおくってきた。そのとき、さな調子で叫んだ。 「太郎さまが : : : 」漸くそれだけ云って、のどにかかった枯れ聲 つきまで美しく澄んでゐた空に、海の方から黑雲がひろがってき た。冷たい風さへ加はって、千切れ雲が小雨をおとした。四人は立で、ひひひと泣きだしたのである。 太郞は雹にうたれて死んだ。浦刀彌の乘った船は、行方がわから ちどまった。大夫もだまって雲行きを眺めてゐた。不吉な豫感が人 なくなった。人たちはそれを、安壽の靈のしわざと思った。が三庄 びとの頭をかすめた。 「このくらゐの雨風 ! 」太郎は馬に鞭をあて、武裝をととのへた下大夫は信じなかった。 「わしが律師を修法に招じたのは、ただ儀禮のためちゃ。もし安壽 人の先頭にたった。他の兄弟も仕方なしに總門をくぐり、それぞれ の靈ならば、國分寺領まで雹をふらせるわけはないではないか。も の方角に消えさった。 それから間もなく、自分の居間にゐた大夫は、目もくらむほどのし律師までがさう云ひふらすなら、寄進した五畝歩も取りあげてみ 稻妻に、半ば眠りかけてゐた意識からさめた。同時に何とも知れなせる。」 と冷やかに云ひ切るのだった。 い物すごい響きに、屋敷ぢゅうがふるヘるのを感じた。眠ってゐた 奴婢の叫ぶ聲がした。馬や鷄たちの騷ぐ音も、響きにまざってきこ えた。何か彈けるやうなひびき、いやそんな生やさしい音ではな 「都にのぼるとしても、お前には二つの道がある。剃髮して親姉妹 い。渦卷にまきこまれて、ごろごろ轉がって行くやうだった。 戸をうちゃぶって、たうとう白い物が彼の身ちかくまで飛んできの後世を弔ふか、それとも陸奥掾の長子として官途について、親の 恥をすすぎ、三庄大夫に仇をむくいるかぢゃ。」 た。次第に數をますので、はじめは賊が攻めこんだのか、と思ひち 律師は左衞門尉の見張りもゆるんだころ、津志王にたづねた。 がひしたほどだった。 びよう 「剃髮はいやです。」津志王はまだありありと殘ってゐる安壽の非 一本の燭がっきるあひだ、雹は降りつづいた。大きいのは挙ほ 夫 大どもあり、それがまるで河原の石のやうに庭や築山をうづめてゐ業の死を思ひながら答へた。 「さうぢゃ。お前には觀音の加護がある。安壽どのの助勢もあるだ 三た。黒雲はとほくに去って、また月光が美しく洩れだした。自分で らう。大夫に仇をむくいるに、貴顯に手づるを求めることもできょ 厩から馬をひきだした彼は、月光の中を鳥のやうな速さで走った。 う。ただ大夫は師實公を本家として頂いてゐるから、それをいつも % 穗をたれてゐた稻は、一毛も殘さずに倒れてゐた。人の住んだこと 3 心にかけてゐるやうにな。」 のない荒原のやうに、音も影もなかった。