も就職できた上は、先づ樂観していいのであった。けれど同時に家ゐる、相手を君に一目みて貰ひたいが、間にあはぬのが殘念だ、い づれみて貰ふ機會があるだらう、といつもより一層陽氣に聲高に言 % 計のことは今後兄夫婦の手に移ること、自分は嫁ぐべき身であるこ と、しかもそれまでは、となる人に代って父の面倒を見ねばなった。炊事場できいてゐた英子は、ふいに膝の力が拔けて心も寒む 寒むとなった。誠一を別に愛してゐないといった英子は、兄に嘘を らぬといふこと、最近は隣組を通じてのほかは世間との接觸もなく なり、蛯原兄妹とさ ( 別れるといふこと、そんな考 ( が一時にもやいったのである。いやそれは意識した嘘ではなかったかも知れぬ。 誠一から、女としては愛されてゐないといふ自覺のために、彼女も もやと渦卷きはじめたのであらう。 いや、端的にいふと、彼女はいま蛯原と生活を共にしたい氣持が誠一をさういふ關係では愛すまいとしながら無意識に何かしら期待 をつないでゐたのである。いま誠一との結婚が間題ではなく、自分 あった。ただそれは氣持があるといふ程度で、蛯原が彼女の美のた めに惱んだといふほどの熱情的なものではなかった。とはい〈、蛯は男たちにとって魅力のない女なのであらうか、といふ寂寥に襲は 原を信賴出來る男として、長いあひだに得た親しみは思ひのほか根れるのだった。 切符も買ってあるのなら、是非一晩とまってゆけと誠一が歸さぬ 深く、また可燃性のものであるやうでもあった。 から、蛯原もその氣になったが、夕食後、二人の妺がソフアに肩を 夕方、誠一が歸って來るまでは、かれらは三津子に生きる力がな いなんて思ひ過しだとか、いや、しんからの嘆きだとか、心の底に寄せあって猫のやうにじゃらついてゐると思ふまもなく、これから ふれない話を蒸し返してゐた。たった一つ得たことは父親も一 = 津子は滅多に會〈ないといひあって、涙をぼろぼろ落しはじめたのに は、あきれ氣味であった。特に蛯原には、女の心の表裏がわからぬ がどこかへ勤めてはどうかといひ出したことである。 「それがいいでせう。さうしてお父さんにも盡せないといふことはのだ。 翌朝、蛯原兄妹は重ねて、かれらの鄕里へ、たまには遊びに來て ないんだから」 くれるやう廣坂家の三人にかはるがはる懇望した。さういふ調子に 蛯原は見たところ至極靜な判斷をあた ( るだけであった。三津 は野暮ったいほどの眞實がこもってゐて、實際またかれらが田舍風 子にはそれが氣にくはなかった。 の氣質を洗ひきれず、歸るべきところへ歸ってゆくのだと思はせる ふしがあった。 「やあ。いま歸りに君のところへ寄って、隣のをばさんに聞いた。 ふいに三津子が、それちゃいまわたしが遊びに行っては惡いかし あす、歸るんだって ? 君のこったから、もう切符を買ってあるん ら、といひ出して二時間後には、もう蛯原たちと一緒に、伊東行の うへツ、やつばり買ってるんかい。あきれたな ぢゃないかね。 列車に乘り込んでしまってゐた。空は幾日ぶりかで晴れ上ってゐ ア。 ところで、たった今打ちあけるが、喜んでくれ。僕もたう る。誠一は横濱まで見送って引き返して行った。 とう職にありついた。繪かきで立たうなんて僕には夢だったんだ。 蛯原は、歸鄕の決行と三津子が同乘してゐる歡びに、やうやく都 もっと早く報らせたかったけれど、何しろ話が確定しないことに 市を離れて展開する山野の綠をこの上なくさはやかに感じた。故鄕 や、赤恥ものだからね」 襍で、貴公子風に見える誠一だが、歸るなり、立てつづけにさの麥秋を思はせる畑や、櫻並木や、山頂の錐冠のやうな樹木や、谷 う言って、就職のことをくはしく話し、それに結婚もするつもりであひや、百姓家などが、快い速さで展開してゆくやうに、列車の疾
やけど おしくらしながら野道を歸って來たが、牧舍の前に、嚴つい顏で立い火傷の痕と思はれる場所を自分で覗いてみせた。それは傅八がも ってゐる傅八の眼に出あってどきりとした。 とは知識のある人間だっただけに愚かな仕ぐさであった。 「どうしてそんな怖い顔をしてゐるの、わたしいやだわ」 「これは何の傷だと思ふ。自分でつけた火傷の痕なんだよーーーおれ 夏路はさう言って傳八の前へ近づいて行った。 は誤解から人に傷つけたので、その人が苦しむ前で、自分も同じ苦 「義兄さん、そんな顏するのはいやよ」 しかしそんなことはどうでもい しみをなめて詫びようとした。 「ちょっと向うへ引き返しておくれんか。話したいことがある。潤い。ただおれを信じて貰へばいいのだ、おれは夏路を幸にしてや ちゃんも來てくれ」 らねばならん。それで君にも賴んでおくが、君は夏路を傷つけんや 「いやよ。わたし行かないわ」 うに心がけてくれるだらうな。かういっても君にはわからぬかも知 「話したいことがある」 れん。君はこなひだ生れた仔牛みたいなもんで、君に夏路をほんた 「行かないわ。わたし干し物を片づけねばならないし」 うに好きかと聞いたところで仕方がないだらう。しかし君をあんま 「それちゃ潤ちゃんだけでも來い」 り子供扱ひするのもどうかと思ふのでな。君は賢い子だし、それに 「いけないわよ。潤ちゃんも行っては駄目だってば」 どこかおれと似たところがあるかも知れん。どっちも漁師の子だ 夏路の聲には、おびえた調子があった。そして彼女は、配逹車し、繪など書くところが。尤もおれは猪のやうな氣性さ。そのおか や、食堂の屋根や、枯蔓の殘る葡萄棚の上に、陽曝しにしてあったげで繪も物にならず、一生をしくじってしまったがね。それで今は 蒲團を片づけるために、潤吉にも手傅ってくれといふのだった。 心のそこから優しくなったつもりだ。おれは生れ變った積りだが、 しかし潤吉は、傳八と一絡にあるき出した。それは抵抗し難かっ夏路にはわからん。これは愚痴だがな。それから夏路にも言はうと たためではなく、俾八の眼にあまり悲痛な翳を見たからだ。潤吉の思ってゐたが、牧場には男たちがほかにもゐる。そして女は夏路の 身にも心にも「男」が育ちはじめてゐた頃である。 ほかには、飯たきのおばあさんがゐるだけだ。それでみんなが夏路 すすきの穗が搖れ、蟲の音にしんとしてゐる野路を一町ばかりあ を好いてゐる。さうでもなかったら、夏路はこんな所に我慢できな るいて、傅八は嘆くやうな憎むやうな、荒々しい溜息を吐いた。 いかも知れん。それで今はいいけれど君が大きくなったら、ほかの 「あいつは、おれが怒って、おびき出して、殺しでもするかと思っ男の前では夏路ばかりと仲よくしない方がいいど思ってな」 てやがる。潤ちゃん、おれの顔のどこにそんな陰險な色がある。お そんなことを言った。 れは惡い癖で怒ればその場でぶつかも知れぬ。うちどころが惡くて 當座のうち、潤吉は、夏路とあまり口も利かなくなった。話が皆 その場で間違って死なせるかも知れぬ。 ( ここで傳八はまた溜息を まで呑みこめたからではなく、傅八に對する無意識の遠慮からであ 人 の吐いた ) しかしその場でだ。それも後で悔いるだらう。おれは人をつた。潤吉は、傳八が夏路を女として愛してゐて、このあひだの怒 方だま 騙したりすることはせん。罪のない君たちを何で騙したりするか。 りも、つまりは嫉妬だったらうと、そんな風に邪推するほどの年で おれは夏路を幸禧にしてやりたく、幸輻にしてやらねばならんのはなかった。ただかれは何となく傳八から壓迫を感じたのである。 つまり、専弋が慾イ 四だ。それだのに奴はおれを疑ぐる。あいつは俺をわからん」 イ / 靑なしの純愛やまたは深い責任感から夏路を愛し 2 傅八は昻奮したためであらう、そこで胸をはだけて、むごたらしてゐたにしろ、或は傅八自身も氣づかず夏路を女として愛しはじめ にい ひざら いか
の水ぶくれの無殘な亡骸を、夏路は見ようとはしなか 0 た。火葬た「矢島の夏路さん」、あの都落ちの少女だけは、共に働き各よ苦 をえっ しんで來た揚句、いまここに成長した、最も親しい、また最も戀し 幻後、夏路が骨壺を抱いて、山坂道を嗚咽しながら下りて來たのに い女として、しかしやはり祕密を包んだまま、肩を並べて歩いてゆ は、部落の者逹もひどく動かされたやうすであった。 。枯松葉が散りしき、萩が喙いてゐる木かげに兩人は腰をおろし けれども女の涙ほど乾きやす」ものはな」。まして夏路は俾八のた。脂粉の香は、石灰工場のかよわい女人夫、この部落は勿論、直 遺言どほり、潤吉に遺書を見せて慰藉を求めたから、悲しみは速か江津あたりにも並ぶ女はあるまいと云はれる夏路の頬からにほ 0 た。潤吉には、夏路は二重に祕密をつつんでゐた。一つは肉體の祕 に洗はれて行った。 夏路は海ぎしの夜みちを歩いて、傅八の亡靈に出あふやうなぞっ密、一つは俾八に對する彼女の心の祕密であった。 夏路は傳八と姉と自分について、洗ひざらひ凡てを語った。語る とした恐怖に襲はれたことがあったが、それを聞いて潤吉は、「馬 ことで頬も熱してゐた。にもかかはらず、彼女には、姉のくに子と 鹿な、幽靈なんぞあるものか。それに、何で傳さんが夏ちゃんを恨 むはずがある」と云った。さう云はれてみると夏路もさういふ気が傅八の情痴の世界は、深くはうかがひ知り得ないものだったし、男 の肉體も未知なものであった。傅八の危機に際してこそ、あれほど し、「わたしの心を知りながら、あれつ。ほちのことで死ぬなんて、 恨みはわたしの方にのこってゐるんだわ」と、潤吉の思はくも考〈大膽に遁走を誘った彼女も、潤吉には臆病で、初心であった。 かれらは、永劫止むこともないやうな潮騷と松風の音に包まれ、 ずに云ってのけた。 觸れあふ手さ〈、全身に燃え上るもののために震 ( た。 傅八の一周年忌に、夏路と潤吉は、死後には生命なぞあるはずが ( 昭和十六年五月「文學界」 ) ないやうに思ふと云ひあったりしながら、それでも、雜木山の裾に ある傅八の墓に參った。潤吉を愛するやうになりさうだといふ詫び 作者後記本篇は、昭和十六年に戦時檢閲の嚴しさを慮って、夏路の入浴 を胸のうちで云ってみると、傅八がその場で許して永く二人の行末 の場面と、その姉の姦通事件に關する部分などはみづから削除して發表 まきふはぎ を見守ってくれさうな氣がしたことは、まことに好都合なことであ したが、その舊作及び連作の「蒔繪萩」を破棄して、ここに作者本來の る。さうして彼女は、傳八と最後の語らひをした森 ( 、潤吉と語ら 意圖の通りに改作できたことをお斷りしておく。 ( 昭和二十一年 ) ふために登ってゆくのだった。 潤吉の方は、嘗って俾八が不思議な旅人として現はれて、幼少の かれのスケッチ帖に描いてくれた當の水車が、今も左手の雜木山の 下で、傅八の墓の右手で谷川の水を跳ねてゐるのに、感傷を刺戟さ れた。かれが作文に書いたことのある、あの翼のある水車のやうに は、かれは都に出て行けなかったし、人手の足らぬ牧場の勞働はま すます苦しいものとなってゐたし、敎員の花井もつひぞ他地に放す る暇なくめつきり白髮が目立って來てゐたし、傅八はこんな淋しい 部落で自殺を遂げてしまった。ただ潤吉が自分でスケッチ帖に書い
若者の眼には妙に人なっこい光があったが、その笑ひが消えると 「ちやすぐ歸ってくるから」 幻褥からひょろひょろ起きて臺所〈生卵を取りに行 0 た眞知子同時に、美少年風な紅」頬が崩れて、まるで不隨意筋の痙攣のやう な別の笑ひが現はれた。それからふと悲しげな面持に返って、差入 は、手に持った卵の包を、その時、ぐしやっと落したのも気づか のシャッとジャケツを膝の上でひっくり返したりひろげたりして眺 ず、窪んだやうな眼から大粒の涙を落した。 め、今度はまたいそいそした振りで、それを折りたたんで卷きくる 朝吉はこの大粒の涙を落した妻の顔と、まだ寢込んでゐた二人の め、自分の膝のわき〈大事さうに掻き寄せて置くのだった。かれは 子供の顔を、房に這入ってから、一日も忘れることが出來なかっ り去られるまでたうとうその差人物を身に着けなかった。 輕業師のやうな身體をもった職人が眼を泣き腫らして歸って來 かれはコンクリートの壁を背にして、窓の一室に、傷害致死その 他前科四犯 0 虎 0 ゃうな男と對坐してゐた。その男は顏立ちも眼光た。一見お 0 かな」面相 0 若者で、鬼の眼にも涙とからかはれた。 も虎そ 0 くりであ 0 たが、しょ 0 ちゅう頸を前後に振りながら、金「妺の馬鹿野郎が栗饅頭をも 0 て來やが 0 た。信州くんだりから、 網の外をねら 0 てゐた。どうすれば「囚辨」を一一 = 一本食〈るかを考ん〈 0 、ん〈 0 ( かれは泣くのであ 0 た ) 。妺の馬鹿野郎」 かれは自分のことを罵ってゐるのだ。隨分と後悔してゐるらしか 〈、一箱でも餘りさうだと氣づく刹那に自分のものとしてゐた。せ ったが、何をやってこんなところ〈來たのか、打明けようとしなか つかちな口調で、 った。十日もして、職場の機械の部分品を質入れか賣るかしたのだ 「女子供のことは、な、心配すんな、ひとりで育つもんだ、な」と とわかったが、鄭重な挨拶をして歸って行った。 言った。 朝吉の眞知子だけはどうしてゐることか、千里の向ふ〈去ったや 朝吉は寒さに慄〈て、その男と抱き合って眠った。そしてその夜 しらみ うで、まだ知るよしもなかった。女々しくも、朝吉は考〈つめて腸 に虱をうっされた。 が斷たれるやうに感じた。斷腸の想ひといふのは生理的實感であっ その男は送り去られ、そのころは新手が入り代り立ち代り來た。 た。腸が蛇のやうに一うねりしてそこから内出血に似る熱い悲痛が 若い窃盜犯は、傭ひ主から差入物を貰っていそいそと歸って來た。 にじみ出た。この斷腸の苦しみは、他の何事も考〈ず、ただ眞知子 見ると揃ひの高價なシャツやジャケツであった。 「うちの大將はこんな人だから、店でも自分らより先に飯を食 0 たや良太 ( 長男 ) を自分は不幸にしたといふ想ひ、自分は長年のあひ ことがな」んだ。 = 一年後でも五年後でもおれが出たら、また使 0 てだかれらに貧苦ばかり與〈て來て、世にもこの二人が憐れであると いふ想ひが凝結して起った。この苦痛が襲ってくると、病弱なかれ やるってさ」 は、今後この苦痛のために死ぬのではなからうかと思った。三ヶ月 「その大將のものを盜ったのかね」と誰かが訊いた。 「滅相な。おれはほか 0 土地〈行 0 たら出來心でや「たんだよ。わは持 0 だらうが、半年、一年、二年、かれは死ぬかもしれぬと思 0 た。すると殆んど絶對な氣持で、誰でもいいから、眞知子や良太を からんな、自分のこころは。もうやるまいと思ってたのに」 拾ってくれないだらうかと思った。眞知子が再婚することを考〈て 「前があるんだな」と誰かが言ふと、 「〈 ( 〈え」と、多少得意らしく笑 0 た。その笑聲のために、看守も、その時は何の嫉妬も起らなか 0 た。かれは性慾など、塵ほどに も思はず、他のあらゆる女の思ひ出も、それが性に結びつく限り、 から皆はたしなめられた。
ぬながら、警戒するのも當然である。地主の家から歸って酒をのんてえ。女房にもよく云っときますだ。」 0 でゐると、醉ひのまはるにつれて、根上はしだいに感傷的になって ふらふらと立って女房をつれてきた。普通ではなかった。がそれ 行った。子供はもとより村の人達ともこれで生涯お別れかも知れなもこの際仕方がないと人逹はさまたげなかった。座のまん中に女房 いと、今まで家のことばかり考へて、あまり浮かばなかった哀感が をすわらせて、決して田をはなすでねえぞと、狂ったやうに云ひっ 心持をぬらした。田畑など何でもないが、子供らと別れるのがつらけた。女房は、わかってゐるからと根上をおさへながら聲をたてゝ くなってきた。人逹のなぐさめの言葉も役にはたゝなかった。かへ嗚咽する。人逹はまきこまれて、水の底のやうにちーんとなった。 って暗くしめつぼくなるばかりだった。 地主も默ってゐた。 そのときさっきの地主が、挨拶にやってきた。座の沈んでゐるの しかし翌日、禪瓧の前に立った根上は、昨日のやうな亂れた風は をみて、おづおづと盃をあげた。根は正直な氣の小さな男であら少しもなく、おちついてにこにこしてゐた。殊更に元氣を裝ってゐ う。何かしゃべらねばならなかったので、どもりながら云った。 るのでもない。固くもならず淡々としてゐた。 「わしらは戦爭に行かうたって行かれねえだから、せめて召集され 兵に行くのは國のためといふより、やはり自分のためでもあっ た人の家族だけは、心配のねえやうにするだね。行ってる人の分また。國をまもることが自分を守る道理ではないか。誰かが犧牲にな で働らくこったよ。わしなども遊んでても申譯がねえから、野良仕らねばならぬ。えらばれた以上はいさぎよくしよう、家のことは何 事をすべえと思ってるだ。」 もかも委せる。人逹は生活のために狡滑になり、惡德もする。けれ みな輕いあひづちをうった。地主は根上の方をそっとぬすみ見どもそれは個人對個人の場合だ。衆人は自分の家をまもってくれる た。激勵のつもりで云ったのだが、效果がないことを知ると、さらに違ひない。みなが固まってゐれば、誰かが慾ばっても駄目ではな に二言三言なにかつけたした。そのとき根上がそっと顔をあげた。 いかーーー人逹に委せるといふ氣持には、側で考へるほどやすやすと 醉ってゐるが顔色は靑く、涙に頬がぬれてゐた。 なれなかったが、そこに逹すれば氣が樂になり、武運は子供のとき 「あとのことは心配しないで、うんと働いて來ます。それで一つみから、護ってくださった珉禪さまにまかせようといふ考へになった なさんにお願ひがあります。地主さんは田を誰かにあづけるがいゝ のだ。 と云ってくれますけんど、わしはそれは面白くねえと思ひますで。」 彼と同じく氏禪にあつまった三人の應召者も、やはりおちついて 意外な感じで座の人は、はっと根上をみた。來ない筈の地主が挨心配事などない様子である。令状を受けたときは、家庭の事情にし 拶と稱して來たのは、あづける人がきまったからだと根上は想像し たがって、喜び悲しんだであらうが、いざとなればやはり同じゃう た。そしてさっき「人によってはあづけてもい又。」と約束したこ な冷靜に、男らしい氣力を面にみなぎらすことができた。いろいろ とを、今では後悔してゐたのだ。 と挨拶の言葉が禪前でかはされたが、興奮してゐるのは送る人の方 「いや、わしはたゞさうしたらどうかと、相談したゞけで、いやなで、送られる方は、浮はついた形容詞などっかはず「俺がどんな働 のを無理にといふのちゃねえ。」 きをするか見てゐてくれ。何も云はないでも事實が證明する。」と 地主はあわて辯解した。が根上の耳にはいらないらしかった。 云はんばかりであった。 「戰死すればとにかく、生きてる間はいまのまゝに作らせてもらひ 根上は入營して、出征間近くなったころ、歩兵一等兵の服で一度
その日のことである。傳八は、海ぎしの國道で鶴嘴をふってゐ 「やいお夏、膝をもって來い」 た。それを突然、左手の山へ抛り出して、一間ばかり前に働いて 「ねえさんの代りやもの、仕方がない」 夏路もみんなの顔を見廻して笑ひながら、仕事の前に十分間の晝ゐた先日の他國者の二人をすさまじい怒聲で呼び立てた。かれはカ いつばい一人の膝を蹴った。相手は道に倒されて、やがて膝で起き 寢をする傳八に、自分の座蒲團を折って持って行った。 ようとしたが、どっかと尻餅をついて、片膝を抱いて撫で廻した。 「たまには兄貴にほんとの膝を借してやれよ」と蓮搬夫の一人が言 するともう一人の、小熊のやうな感じの男が、恐怖からででもあ ったのか、傳八の右方で鶴嘴を振りかぶった。かれはそれを振りお 「いいわ」と木蔭で生って、その膝の上に俾八の頭をおいた。汗ば ろす勇氣はなかったので俾八に蹴られるだけの隙があった。 んだ肌を風に吹かせて、傳八はぐうぐう鼾をかいた。 「お前だな」さういって傅八が蹴るのと、「何を勘違ひするんでえ」 あとで二人切りの時に傳八は夏路に言ふのだった。 と相手が言ったのと殆んど同時で、相手は倒れはしなかったが、鶴 「おれは疲れてゐるから眠った。しかしあれはいかん。おれたから 嘴をかぶったまま、數歩をよろよろと蹣跳めき退ったので、あっと いいやうなものの、それでも潤坊が見たら何と思ふだらう」 言ふまに一丈下の海へ落ちてしまった。そこは淺くて岩が白泡をは 「今さら潤ちゃんのことなど、いいわよ」 じきとばしてゐた。皆は岸から見おろした。落ちた男は立ち上らう 「おれは眼をさまして、久しぶりでくに子の膝で寢たやうな気がし た。そして却って氣が暗くなった。何だってここへ歸って來たんとしてはよろめいて波をかぶった。足がすべるのか、足を挫いたの だ。お前は潤坊が好きなんだ。それはいまに解るだらう。あの子か分らないが、小熊のやうな髯面でもあり、子供のやうに波をもて が、廿歳ころになってみろ、おれの言ふことが解るやうになる。おあましてゐるのに、どこか可笑しみがあった。皆わあわあ笑った。 前があの子と結婚しなけれやならぬとはおれは思ってゐない。しか傳八は考〈込んでゐたが、近くの族宿屋まで走って行って廱繩をも って來た。 - それにぶら下って被害者は上って來たが、足腰を挫いて し二人とも仕合はせになるのを見たらおれは、喜べるんだぜ」 ゐてもう立てなかった。 「おれのツルは ? 」とかれが失った鶴嘴のことを言ったのを傳八は 秋になって、渡り者が三人、道路改修の工事に加はって來たが、 心に殘した。 かれらの中の二人が、雜木山を拔けたところの山道で、夏路を抱き この事件があってから傅八は、すっかりふさぎこんでしまった。 運ぶところへ、傅八が通り合はせた。夏路は金切聲を上げてじたば 夏路は「手ごめ」になどされてはゐなかったのである。 たしてゐた。同じ工事に臨時にやとはれてゐた傳八は、 「何だっておれは二度まで同じ過ちを繰り返すんだらう」 「その女をおろせ。お夏にはふざけて貰ひたくない」 人 傳八は夏路の部屋に坐って、頭をかかへた。夏路がいろいろ勞は の と言った。一人の男は、夏路の足を地におろして、 ると、彼は、 「でも兄貴、ふざけるだけならいいだらう」 「奴らが渡り者でなかったら、気心も知れてゐて、今度はあんなこ その頬には卑屈な笑があった。 とはしでかさなかっただらう」 % 三日經って、夏路は「渡り者に手・こめにされた」といふ嚀が立っ 2 海に落ちた男は部落の飯場で、うんうん呻って、起き上れなかっ つるはし
てはこの雜誌を姉さんに見せてから死んで貰ひたかった。あんまり 長崎町の原野にも春が來てゐた。枯れ草の中に靑いものが見え、 8 わかば 北の窓から見はるかす森々は、その樹々に嫩葉の色が漸次濃くなっ あんまりみじめだった」 「あんまりみじめであった ! 」と私もまた骨壺を押へたのであった て來た。縁側に射し入る春の陽、狹い庭に萌えだして來た雜草 私の小説が賣れた。 かなしみに打ちしほれた私の心に、次第に萌してゐた宿命襯的な その小説は私の蓮だめしのやうなものであった。私は長い時間を かけて一篇の小説をつくりそれを雜誌にまはした。氏の好意で或遺傳的性格があった。私は義妹をせき立てて君の骨を祖先の地に葬 って貰ひたかった。 はその大雜誌に採用されるかも知れないと云ふ果敢ない希望をもっ てー・ー君はこの小説の出る日を樂しみにしてゐた。病臥し、病院の 「金のあるうちにーーー」と私は義妹に云った。「君はこの骨を鄕里 べッドに居り、手術後の苦しみのなかにも君はこのことを氣にかけ に納めて來てお呉れ : : : 」 てゐた。 千川堤の櫻並木に花が険きみだれ、。ハスは花見客を滿載して武藏 二度目の小説が氏のお骨折でわづかな金になった時、私は自分野の中を疾走する。乾いた白い埃のうづが舞ひ立ち、そのあとには の努力が酬はれたやうな氣持で君にそのことを告げた。べッドに仰濃綠色に塗りたくられた麥畑があらはれる。 臥する君の耳許に口を寄せて 空はからりと睛れず、しかし風は日毎に生温かくなってゐた。春 が深んでゐた。落漠とした原野であったが、今は賑やかな色彩を呈 「お金のことは心配するな、一つ、小説が賣れたよ」 してゐる。 君ははっとしたやうに眼を見開きーーーその眼は沼のやうに廣く、 瞳は的となって私の顔を直視してゐる。やがて口邊にうっすらとあ 思ひ切って義妹は出發した。 らはれたほのかな喜びの微笑ーーーカないながらいかに歡ばしげであ 君の遺骨は風呂敷に包まれ、圓タクに積まれた。東京驛の別離 ! ったことか。 私は完全に孤りになったのである。 「さうーー」と君はかすれた低い聲で私に答へた。「よかったわね 猫を育てた。猫は隨分と目立って大きくなった。煙草錢に詰った 一日のこと。私はふいと棚の上に貯金箱を見つけたのである。それ え : : : どっちの方 ? 」 はあんなに乏しい中からなほも生活を築いて行かうとする君の、ま 君は春になって賣れた小説を意味してゐたのだ。 ことに強靭な意志のあらはれであった。手に取って搖って見ると音 君のよろこびと私のよろこびは全然合致しなければならぬ。だ が、日頃のあれほどの念願が、それが實現したときには君は既に幽がする。もはやこの貯金箱をここに置くことは君の憶ひ出に胸をゑ ぐられるに等しい。私はそれを縁側に持ちだして、金槌を持って打 明境を異にしてゐた。 ちくだいた。中から一錢銅貨がころがり出した。十三枚の一錢銅貨 「ああもう二月ほど生きてゐて呉れたら : : : 」 これが忽ち煙草錢に化したのであったが、十三といふ數字は凶 義妹は聲にだして廣告文を見つめてゐる。私は潜然たる涙を辛う 事の暗合を示したものであったとか じて噛ひしばってゐた。よろこびは畸型化した。 「骨の前にお供へしませう、姉さんーーー」といふ義妹の聲はふるヘ 季節を意識しない何ヶ月かの間、私は君の遺したエプロンをか てゐる。「どうしてもう二月ほど生きてゐてくれなかったの、せめけ、孤りで飯を炊き、孤りで食膳に向った。 びと
それが伸ばせるかも不安であったから。まし・て三庄の本家、師實の 8 門をとほり、中門の前から藪の方に歩いて行くと、萱ぶきの大きな たい 田出樣をはかってみると、うくわっに敵意をあらはすことは考〈もの家があって、中では女が五六人、何か大聲で笑ひ話をしながら、松 たった。現に彼はかう思ってゐたところである。 明のあかりで鹽垂れの簀をあんでゐた。 「思ひきって大夫の館に乘りこんでみようか。そして豪勢な暮しぶ 「安壽さん、弟さんが來たよ。ほんとにお前さんたち二人は、いっ りをみておくのも面白いか知れない。」 みてもよく似てるなあ。まあこっちにお入り。今夜はこはい人はゐ 二人は小屋の近くまできた。鹽釜に使ふのだらう、柴や薪が軒よないよ。お前さんの方は、もう仕事がすんだのかえ。」 ところてん りも高く積んであり、小屋の中では火が燃えてゐて、裸の男たちが 「ええ、濱掃除がすんでみんな寢てゐます。これは式に使ふ心太を 十人ばかり、粥か何かすすってゐるのがみえた。 包んできた奧の紙だが、わしはいらないから持ってきた。」 「わしが敎へたと、決してもらしてはならんぞ。いいな。そして阿 津志王は皺のよった當紙と、赤色のもっとひを女逹にわけてやっ 彌陀さまを一心に念じて、お助けをうけるのぢゃ。」 た。安壽がいつも藁しべなどで髮を束ねるのを、氣にしてゐたのを 津志王が小屋に入るのを見とどけてから、薄暗くなった砂濱を歩思ひだしたからだ。白紙ともっとひは、まるで土産ものを子供にわ き出した。昨日と今日、奴たちが掘った大根が、畦に高く積んであけるやうに、女たちに一人ひとり配ったけれど、手紙を書くことも るのが、まるで白壁のやうだった。彼はそれを一本ひきぬくと、畦ないので、要らないといふものもあった。しかしそのとき、安壽に の草で土をぬぐひおとし、がりがり喰べながら次第に速度をはやわたした紙には、消炭を細くとがらした筆で、自分たちを助けてく め、飛ぶやうにどこかへ消えた。 れる者があるから、逃げ出す時がきた、それについて相談がある。 夜よりも晝の方が却ってよいかも知れぬから、明後日の朝、アイ汲 づっ 鹽濱は一段歩ぐらゐ宛に仕きって畔をこしらへ、海の方には鹽水みに男が出た留守に、濱の鹽釜まで來てくれと書いてあった。 溜ができてゐる。鹽濱はもともと地面が傾斜してゐるために、溝を 安壽はすばやく紙ぎれを懷にしまった。女たちは濱師の模様をい ほって鹽水を導くことができず、すべて桶ではこばねばならない。 ろいろとたづねた。それから毎日柴刈りも大へんだ。牛の一頭が病 砂持ちは眞夜なかの丑の刻から行はれる習慣であった。それは渚氣で死んだので、代りが來るまでは山から自分らが擔ぎおろさねば で乾きすぎた砂は、鹽水の吸ひあげがわるいといふ正當な理由からならん、となげいた。今年の柴は來年でなければ鹽木にはならない だが、一般には古くからの儀式を尊重して、そろそろ露のおりる頃のだから、牛が來るまで鹽汲みをさせてくれたら、氣が變って精も から蓮ふことになってゐた。 でるだらう、と望みを云ふ女房もゐた。 晩飯がすんでから、砂持ちの式の始まるまでには間があるので、 「それならいいなあ。二郞さまは情ぶかいから、願ったら許してく 濱師たちは土間に寢ころんでひと休みする。津志王は小屋をぬけだれるかも知れませんよ。」 して、安壽のゐる濱専當の館の方へ行ってみた。濱専當は大夫の次 津志王も姉といっしょになれたらと、心から合づちを打ったが、 男、石浦の庄司二郞がっとめてゐるが、その晩は父の左衞門尉が泊女たちもその氣になったらしく、館から支配の女房が歸ったら、賴 ってゐるので、館のまはりには篝火をつけ、護衞の若者が弓などをんでみようと一決した。 持ってあるいてゐたが、子供なので咎める容子もなかった。彼は横「それにしても牛の死んだことと云ひ、今日のタ燒けの恐ろしかっ まっ す
治まりさうになかった。 かはご 曇猛は竹であんだ大きな革籠をおろして、火うち袋をとりだし にぐち た。そしてすすきの穗でこしらへた火口に火をつけ、よく乾いた枯 葉をのせて火の勢ひをつよめた。かうして拾ってきた平らな石が暖 まったとき、法衣の紐をといて下腹にしつかりと當てるまでにはだ いぶん時がたって、低く垂れてゐる雲は遠くに去り、雨は斜めにさ す陽で大の毛のやうに光ってゐた。 六尺にちかい肥った體に、再び精氣がめぐって來たらしく、火う 宮津方から山ごしで由良の庄に歩いてきた曇猛権律師は、山氣に ち袋をしまった革籠を、えっとカごゑといっしょに、背におうて歩 冷えた小雨にぬれたせゐか、下腹の痛みに太い眉をよせた。舌うち きだした。歩きはじめたかと思ふと、旅なれた脚は宙をとぶやうに しながら雨宿りの場所をさがしたが、人家もなささうなので道ばたはやく、稻田を通りぬけ、もう海に沿ふ由良の庄への道にでてゐる の樹かげに、荷を背おったまま肥った體を休ませることにした。 のだった。雲がきれて陽がさしはじめると、さすが夏のをはりらし やまうるし えり 樹木のなかでいちばん早く紅葉するのは山漆だけであらう。手を い暑氣にかへって、垢でよごれた法衣の領襟に汗がにじんできた。 よろひ ふれれば色が沁みつきさうな靑葉ばかりの中で、山漆だけは鎧のを 馬に乘った狩衣の男が、三四人の刀をさげた供をつれて通りかか どしのやうな規則ただしい互生の葉を、眞赤にのぞかせてゐるのだ った。領襟を立てた律師の法衣を見ただけで、はやくも五位の僧と った。督で大暑を確かめたのはをととひのことだったが、夏から秋察したらしく、輕く禮をして行きすぎた。 への移り變りほど分らぬものはなく、早や秋のよそほひを始めた草「さて、何者だらう ? 」と曇猛はかるく禮をかへしたあとで考へ や木に、季節の境を敎へられるのだった。 毎年、腹の痛みだすのは紅葉する草木と同じゃうに狂ひなく、秋 一行におくれたらしい下人がただ一人、よごれた水干に折鳥佰 の初めであった。きまって秋雨が冷たく降りそそぐゃうな日、指先子、はだしの姿で歩いてくるのをとらへて話しかけた。 が冷えて手の甲に皺が目だっ頃、しくしくと痛んでくるのだった。 「いま通った方の件のやうだが、どちらへ行くのぢゃ。」 「大夫さまのお件をして、この先の鹽濱にまゐる者でございます。」 その頃にはきまって、境内にある竹や雜草の茂るにまかせた五重の 塔の裏には、烏瓜が赤くなってゐた。風雨にうたれて朱がはげ、瓦「大夫さまといふと、由良左衞門尉どのの事か ? 」 のおちた塔の軒に、まるで數珠つなぎに垂れさがってゐる烏瓜を、 「はい、由良、石浦、和江の三庄の庄司をなさってゐますので、庄 大下腹をおさへながら眺めるのが例であった。 民どもは三庄大夫などと呼びならはして居ります。」 「烏瓜があかくなるのは、たしか秋分の頃だったが、まだ今は立秋 「噂にきいてゐた長者があの方か。それでお前も鹽を燒くのか ? 」 にもなってゐない。」 「いえ、わたしは作人頭で、田作りをなりはひとして居ります。鹽 律師は旅さきで起った持病が、季節はづれのひと時のものであっ濱では汐汲みや、濱師などいろいろ役目がわかれて居りますから。」 3 てくれればよいと願ふのだった。しかし雨もやまず、痛みも急には 「なるほど。作人頭といふのは名主のことちゃな。でその鹽濱はこ 三庄大夫 をりゑに
「お前が兩親をなくして、はしめて東京へ來たときから、かはゆく さうすることにするか。もう荒くれ土方の根性が身に浸みちゃった てならなかった。お前は、ますますくに子に似て來たが、くに子よ が、また畫をかくとすりや、土方に漁師、牛に牧夫、それにお夏と りも優しい心根だな。こんな着物をきて來て、おれの心を狂はせよ いふ女を畫くことになるよ。そんな晝が受ける時勢ちゃ、まだ金輸 うと云ふのかい。おれみたいな者をそんなに想ってくれるだけでも際ないけれどな」 有難いことだ。しかしお前は、よい心根で、こちらに同情してゐる 夏路は立ち上ってゐて、この傳八を急かせて、汽車時間の打ちあ までよ。こちらはお前を仕合はせに出來る柄ではなかった」 はせをささやいて、すぐに飯場へ財布を取りに歸るやう、もし刑事 「どうしてまたそんなことを云ふの。何を考へこんでしまふの。東がうるさいやうだったら、金は自分が叔父の家から何とか持ち出す 京へ、今晩、あとはどうなってもいいから、ね。すぐ、今その氣に から、者へ行くとでも云って、靑海の驛まで歩いて行って、九時 なって ! 」 までに待ちあはすやうに、彼女はもうタ闇が森を包んでしまってゐ 傅八は頷いてみせたが、荒れた手で兩の顳類を揉みながら、「さ るなかで、異常な大膽さと熱心でもって、夢中になってすすめるの うしたいは山々だが、お前の叔父さんにも濟まなけりや、おれの氣だった。だが傳八は、夏路に叔父の金を持ち出させたくはないと、 も濟むわけはない。男だからな。今さらお前と手を取って逃げ出し また澁り出して、 や、仲間の者にも會はす顔はない」 「お前のためを思ふおれに免じて、後生だから明日の晩まで待って 「そんなこと氣にかけなくていいんだわ。 : : : 頭痛がするの ? くれ。おれとしちゃ、仲間の者へも、挨拶くらゐはしておきたいか : あんまり氣にかけるからよ」 らな。いいかい、金はおれが作るから無理をするんちゃない」 「ナニ、大したことはない」 一途の思ひに驅られた夏路も、とうとう折れて、翌日まで延ばす ことにした。 「どうせこちらでも一しょに働いてゐるんだもの。東京へ行っても 共稼ぎすればいいぢゃないの。さうしてまた好きな晝をかいて、晝 かきさんになってごらんよ。ね、どんなにまた樂しいことか知れな いわ。もし、にいさんが、どうしても警察に捕まるんだったら、わ 翌日、工場を休んだ俾八は、日の傾かぬうちにカルモチンを飮ん たし、ほんとに面會にゆくからね。みんな、わたしのためにしてくで、石灰工場から遠くない、五丈の絶壁から、通行人があッと思ふ れたことだもの。むかしのときは、わたし、恐ろしくて、何もしてうちに時化の海中へ跳びこんで死んだ。昭和十二年十月一一十三日の 上げれなかったけどさ、今度はほんとにそんなこと、決してない ことで、享年三十二歳。かれはこの自殺の前に、夏路の叔父にも、 わ」 潤吉の父にも、敎員の花井にも會って、夏路の行末をそれとなく賴 人 の「夏ちゃん、お前といふやつは、見かけによらず何てえ : 。お前んでゐた。かれは夏路には最後に、石灰工場の作業場で會ってゐ 方 は優しくてゐて、くに子より強い奴だ。 : それといふのも、まった。夏路は夜汽車で傅八と上野へ立っ決心でゐたから、叔父小母に たうに働いて苦勞して來たからよ。お前の心は、伏し拜みたいくら不審がられることを避けてタ刻まで働くことにしてゐたのである。 1 ゐだ。 : この前も死にかけて、お前の介抱で命をとりとめたが、 傅八は、夏路が止せばいいのにと思ったほど、夏路ばかりを眺め入 2 ってゐて、 今度もお前に甘えることになるか。それちゃ : : : お前に甘えて :