自然主義的であり現實主義的であるものの中に、一定の考へ方が 論じ、併せてそれが個性原理としていかに世界観念へ同等化し、い 3 かに原始的顯現として新感覺がより文化期の生産的文學を高揚せしあり見方があると云ふ事には、寧ろ悲劇的な事實が附隨してゐる。 印ち無意識的お定りが、自覺的お定りとなり、その自覺が「斯くあ め得るかと云ふことに迄及ばんとしたのであるが、それはまた自ら 別箇の問題となって現れなくてはならぬ境遇を持つが故に、先づ爰る」のそれから一轉して「斯くあるべし。」のそれに豹變してゐる 事實である。一一二が四が當然に一三が四である爲めに必要な定義が で筆を置く。 引き出されてゐる。 ( 附記ーーー頼んでおいた卷頭論文が貰へなかったため締切後遽に執筆、訂正したき 今日、リアリズムの「小説作法」を呑み込んでゐない者があった 箇所あらば後日に譲り埋草とする。 ) ら不思議である。私の指摘せんとするのは單にそれを呑み込んでゐ ( 大正十四年一一月「文藝時代」 ) るばかりでなしに、それが法則的な方法になってゐる事である。そ れはやがて批評の物指にさへなってゐるのではないか ? 今日、如何にお定りがお定りの故に存在理由と價値を主張し、物 昨日への實感と明日への豫感 の一般的、類似的、普遍的の考察が、單純に受入れられてゐるかは 想像外だ。個性、創造、想像、假想、希望の總ての、飛躍と發展に 伊藤永之介 役立ち得るものが、今日を限りと無視され虐待されてゐる。そして 單に在來の極限され狹められた惰性と沈澱の中に、總てのものが沒 落と潰滅を急いでゐる。 惡傾向の中の惡傾向は、リアリズム信奉者の回顧的な誇張だ。私 は敢て回顧的誇張と斷言する。それは彼等が足下の惰性と沈澱と固 定の救ふべからざる實状に眼を瞑る事に依って、好んで過去を利用 しようと試みるからだ。何等の批判と豫感をも示さないリアリズム 信奉者のロ吻は、足下の實状に對して、過去の回想を置換へる遊戲 今日文藝が新しい出發を試みようと努力しまた現に新しいスター を繰返すに過ぎない。 トを切ったのは過去の文藝に飛躍と情熱と感激が無くなったから 斯うしたリアリズム信奉者の中には、刻下の生活實感とクフシス だ。自然主義、現實主義の何處に異った世界に對する飛糶と新生命ズムとの混同が屡よ行はれる。印ち生きた生活實感の無さ加減か に對する情熱が認められるだらう。 ら、實感から迎へられさうもない既成的なものに對する回想的な陶 現實主義にはちゃんとした世界が出來上ってゐる事は誰も否定し醉を、現在に移人する事之である。その矛盾と無價値は言ふ迄もな ない筈だ。そしてものの考へ方や見方は、現實主義では一三が四に なってゐる。表現には原則的なプログラムと方法があり、文章法に 併し乍ら穿鑿的な論議は末の末である。問題は既成文藝が、刻下 はお手本がある。 の實感にアッピールする力を喪ひかけてゐる事である。刻下の世界
3 イ 5 喜劇 れ、だ。」 さう私は叫んで、前の、やはり自分のかねてからの望みを實現し ようとして、颱風のすぎたあとの水かさの增した水溜りで、誤って 感電して死んだ男の人の事を思ひ出し、あのやうにして死んだ人も あり、このやうにして生きてゐる人もあると思ったら、なんだか此 陳腐極まる感想が私には妙にヒシヒシと身に感じられてくる思ひが した。 ( 大正十四年九月「文時代」 ) 球を突き乍ら、子供の話が出た。 しかし、それも、實は恭一二が初めたものと云はねばならぬ、ので あった。 彼は玉臺の靑い隅に立って、出來るだけ上半身を押延ばし、眞ん 中にある彼の玉を、一度向ふ側のクッションで切り返へして、更に それをもう一方の他の隅にある赤玉に當ててゆかうとして、唾を呑 んで右手のキューをスイと突いた。 玉は、ねらった最初のやつにも當らずに、まるで違った所でクッ ションをトンと突いて、そのまま靜かに思はぬ方向へ轉げて行っ た。 恭三は身内にゾッと寒氣を感じた。そして、身體が精神もろとも 力を失って、そのままそこへグッタリと倒れて了ひさうになった。 さういふ中で、彼は云った。 「球は當らん。子供は縁側から落ちて腕を挫くし、實際俺は憂鬱だ よ。實際憂鬱だ。實際。」 彼はそれを、半泣き面をして云った。實際彼は、そんな鳥渡した 事からでも、氣持が止め度もなく沈んできて泣きたくなる事が、よ く起るのである。 「ア、さうだってね。この間 >-4 君が來てその事聞きましたよ。その
みの中から現れた。 4 「さうですってね。で僕も弐手だから來いと、今云はれてゐるとこ 「皆、お留守どす。」 ろです。」 「さうか。それは困った。小信さんも居んのか。」 近近に實枝が主人で茶の會をするので、圓通寺の茶室を借りるた 「學林へ行ってはります。和尚さんは御本山どす。」 め、けふは其依賴なり下調べなりに行くといふのだった。實枝など 「のん氣ゃな、皆留守にしよって。ーー仕方がない、一寸勝手に上 の程度の、先づ準宗匠格の婦人が十人ばかりで會を作ってゐて、毎げて貰ひまっさ。」 月月番廻り持ちの茶事を營んでゐるのだが、その當番に今月實枝が 「へえ。どうぞ。」 當ってゐるといふのだった。 兄は先登に立って上った。實枝も禮助も續いた。禮助は、 結局、禮助も連れ立って行く事になった。 「田舍の寺は呑氣でいいな。」と留守の和尚の部屋へ坐りながら云 った。 からりと拭ひ上ったといふではないが、四月にしては曇り氣味の 乏し過ぎる空だった。さして急がなくても歩きさへすれば直ぐ、少「さ、愚圖愚圖してゐると日が暮れるで、茶室だけ見とこか。」 少は汗ばむ肌になる程のいい天氣だった。終點で電車を捨てて、二 兄はかう云って實枝を促した。で三人は草履をつつかけて茶室へ 里餘りの野路と山路を歩かなければならなかった。彼等は足許に埃渡った。茶室は庭の奧まったところにあって、三部屋あった。その かざ を舞はせながら白白とした野路を歩き出した。實枝は日傘を翳した。 二つに爐が切ってあった。兄と實枝は勝手に押入れを開けて、釜や はしょ 禮助と兄とは裾を端折ってゐた。禮助はステッキで向ふ手の山を指茶道具を調べ出した。禮助はその間中、庭を見て歩いた。和尚が作 しながら云った。 ってゐるらしい牡丹畑を見て歸って來ると、兄は、 「この眞白の路が、あの山の入口まで、先づ二十五町かな ? それ 「禮助、もう歸るぞ。」と云ひながら薄暗い部屋の中から出て來た。 から爪先上りが一里半近くか。少し參るな。」 「お待ちどほさま。」 「何云うてる。女でも歩く。」 實枝も續いて出て來た。血の氣のない顏が仄白く鴨居の下に浮い さう兄は云った。實枝は、 きゃうみだい 「お氣の毒さま、暑いのに。」と云った。 「禮助、あれが京見臺ゃ。」と兄は云って、前向ふの小さな山の頂 でも一歩山へ入ると日影が續いて、いくらか涼しくなった。禮助きを指した。 は、こんなところで兄から何か云ひ出されては堪らないと思ったの 「京見臺 ? 」 へきえき で、遠路に辟易した顔をして愚痴ばかりこぼしてゐた。圓通寺に辿 「うん、あれへ上ると京都が見える、それで京見臺と云ふのだ。あ りつくと、ほっとした。兄は式臺に片足かけて心易さうに、 いつに上って一番京都を見下してやろか ? 」 「おっさん、おっさん。」と呼んだ。 「それもいいな。」 しかし誰も出て來なかった。 「どうや實枝 ? 」 「留守かしら ? 」 「わたし、少し疲れてますし、それに歸りが遠くなるから、先に去 さう云ってゐると、草刈鎌を手にした六十位の婆さんが傍の植込にますわ。どうせお二人とは別別になるのやし。」
プ 72 「意地なんてこと、それは別ですがね。とにかく、さう世間の狹い 四 土地ちや一寸困りますね。何となく、何をするにもぎこちないでせ 翌日禮助は起きるなりすぐ髮床へ行き湯に入って、手拭を番臺にうからな。」 預けると、懷手をしてぶらりと近所を散歩した。髮床と錢湯と散歩「ほんまに。」 か - つイ、う とで二時間半、かれこれ三時間近くも費やして歸って來ると、時子「ぎこちないと自分で感じちゃ、行藏が自然を缺きますからな。っ が待ち構へてゐて、 い心にもない事をしたりする。」 拳い 「大丸まで一寸買物に行きますが、一絡にどう ? 實さんも行きま 「ほんまに。」 しんきく すの、女の買物なんか辛氣臭さうてお厭やろうが、おっき合ひなさ 大丸へ入ると彼女逹は寄せ裂のところへ第一に行って時間のかか いな。」と例の東京でも京都でもない言葉で云った。禮助は、 る撰擇を開始した。禮助がぼんやり彼女逹について裂の間を泳いで 「行きますかね。別に用事もなし。」と答へた。 ゐると、それに不圖氣のついた時子は、 彼等は昨日の如く三人連れで出かけた。途途時子は京都といふと 「食堂へ行って待ってゐらっしゃい。こんなとこ退屈でしょ ? 」と ころは近所のうるさい處だと云った。實枝が時時日本髮に結ふとそ笑った。 れさへ町内の問題になると告げた。これには禮助も驚かされて、 禮助は食堂で待つ事にした。珈琲を三杯ほど飮み干した頃、時子 「何てんです、それは ? 」と訊ねた。 と實枝の顔が重なって食堂の入口に現れた。禮助は食堂にもう何の かみな 「い又えね、お實枝はんは近頃日本髮に結うて髮慣らしをしてはる用もなかった。用がないのみならず、既に飽いてゐた。で彼女逹の のと違ひますかなんてね、實さんところの女中に訊ねたりするので姿をみると、 すよ。よく聞いてみるとね、高島田にでも結ふ準備ちゃないかとい 「何か食べます ? 飲みます ? 」と訊ねた。 ふのですよ。お嫁に行く下・こしらへちゃないかといふ譯なのです 彼女逹も食堂に別段用のある様子でもなかった。彼女逹がはかば よ。全くうつかりしてゐられないところーー」 かしい返事をしないのを見ると禮助は、 「へえ。」 「出ませんか。」と誘った。さうして彼等三人は外へ出ることにな 禮助は呆れた顔をしてみせると同時に、世間でも實枝が何時まで った。 若き寡婦で通すのかと興味を持ってゐるのだなと思った。 電車通りへ出ると、時子は用事があるからすぐ歸ると云ひ出し 「そら此の人でもね。」と時子は實枝を顧みながら云った。「何時ど こ。禮助は、 うなるか分りはしませんけれど、そんな事こっちの勝手でしょ ? 「さう。これから何處かへ晩御飯を食べに行きませんか。歸っても それを何も世間中で氣をつけて見てゐないでもいいやろと思ひま どうせ食べるんだから、どうです。」と云った。 すの。この人でもあないされては意地が出んものでもありますま すると、時子は、 「ちゃ、實さんと二人で行ったらよろしやろ。わたしはどうしても 意地が出るといふのは寡婦を通さうとする意地が出ることを意味用があるから歸らんとどうもーー」と禮助に返事してそれから實枝 するやうであった。禮助は、 の方へ向いて「ねえ、さうなさい。」と云った。 みい
が自然主義的現實主義的の世界と全然異ってゐるといふのではな が新しき故にこそ退けられ、舊きものは舊き故にこそ擁護さるべき い。その観察や考察が全然違って來てゐるといふ譯でもない事は勿かの如きロ吻さ〈漏らしてゐる。新しきものが舊きものに對して絶 論である。現在では寧ろさうした世界が餘りに篏り込み出來上って對の單獨でないばかりか、舊きものよりの脱却と飛躍であると云ふ しまった結果として、新しい感銘で迎〈らるべき條件を減殺されて意義に就いて盲目である事から、更に舊きものの發展と成長に對し ゐるのだ。その減殺の一歩々々からこそ異った世界が新たな感銘に てさへ無自覺であらうとする。 依って迎へられようとするのだ。二一一が四とお定りが、既成の文藝 重ねて云ふ。今日、過去の文藝から必然の結果として生れて來た、 から自然な實感に依って受取られる事を否定する事は出來ない。 新しい世界に對する豫感こそ、今日の作家、今日の批評家によって何 この實感は昨・日のものではない。そして今日の實感は、既成的な等の誇張無しに凝視されなければならないものだ。この豫感が如何 ものに對する斯様の實感から、新しい世界の誕生に向っての豫感を なる創造の道を辿り、どんな世界を展くかは斷定も許さぬ。新しき 生んでゐる。沈澱と固定との自繩自縛から飛躍を試みようとする新傾向、新時代「新感覺を、反感と非難に依って迎 ( ようとする者は、 鮮な力が生れようとしてゐる。 一歩過去の既成的權威の中に退きながら、豫感に依って告げられて ゐる世界の充實を、所謂新感覺派の中に掬み取らうと焦燥してゐる。 文藝時代が新感覺を表看板にしてゐるとは云へ、新感覺を主張 今日程新しさとか、新時代とか、新感覺とかが喧しく論議されてし、印己の作品を新感覺派に代表せしめようとしてゐる作家が幾人 ゐる時世は無い。宛も斯うした新しさの問題以外に今日問題が存しあるのか ? それは極少數であり他の多數の作家は、新感覺なる名 ないかのさへある。そこで既成の擁護者と現實主義信奉者の多く 稱に特別に依據する事以外によって、自己の獨自の道を歩まうとし は、得たり賢しと許りに、此の現象の突飛的な一面のみを捉へて、 てゐるのではないか ? 反對に所謂新感覺なる名稱に依って代表さ たとへ 輕擧盲動を云々しようとする。舊に遡らうとするものに、新しきもれさうな作家、假令ば橫光利一氏の如き、新傾向呼ばはりされる事 のが唐突であり、隨って現今の喧騒は單なる騷音に過ぎないのは、 を寧ろ心外とし、新しき馬鹿の輩出を嗤ってゐる。新しきものの無 へんば 當然の事であるとは言へ、その偏頗その鈍感は驚ろくべきである。 感 内容無價値を喋々するものは、深く内面に根差した潜在的な慾求に の 一感覺派の擡頭が、舊文藝に對する革新の意慾の全體の表現であ全然無頓着であるか、乃至は甚しく鈍感な結果變り色の襟卷に新傾 へ り、その結果として斯くも全般の傾聽と注目を生んだものと考 ( る向を追ふが如き憫れむべき先走りを演じてゐるに過ぎない。 明 のは早計であり違算である。 過去の全文藝に對立するが如き彼等の所謂「新内容、新價値」 最早自然主義、現實主義が其儘の踏襲に依っては何等發展すべきを、新しき豫感に依ってひたすら飛躍の過程にある一の新感覺派の の餘地がない許りか、反對に固定と沈滯の沒落の道を辿りつつある實中に損み取らうとして焦慮して、期待を裏切られた結果から、一轉 感が宿りつつあるのだ。好んで新を退け唾棄し問題外に葬らうとすして新しきものの全部的否定を爲すが如きは愚擧の極みである。 かうちゃく るものをして、飽迄此の問題に膠着せしめ喋々百萬言せしめるもの 最も直截に言ふならば、目下喧騷を生んでゐる所謂「新しさ」に は此の實感であり、此の實感の誕生に對する不安である 9 は、何等の反省も考慮もない得手勝手な想像と空想と誇張と反感の 3 既成文藝の擁護者殊にも自然主義、現實主義信奉者は新しきもの夥しきものが大部分を占め、斯る表皮的な空氣に依って、歴史的に
られる昨日の期待に反して、かなりの明瞭さを以て今日期待される 派がこの期待に向って一の良き暗示を投げかけた事は一般に認めら れなくてはならないだらう。 ものは飜然たる單純と粗野な精神の誕生である。 昨日に對する深刻な經驗から生れた今日の實感と、明日に向って 我々はこの期待をプロレタリヤ文藝にかけた。がしかし或る暗示 を與へられたに止って過去のプロレタリヤ文藝が、それに對して充の良き兆候として仄見える豫感こそ、生きた今日の心魂に深く感銘 分な滿足を與へて呉れたとは考へられない。過去のプロ文藝はそのすべきものである事を、私は特に掲げんとするものなのだ。そして 主張、理論、概念に於て飽くまでプロレタリヤである事を努めなが この實感こそ自然主義、現實主義信奉者流の凡ゆる既成的惰性維持 に對する實質的の強力な抗議であり、この豫感こそ明日への發展に ら、單にプロレタリヤ的である事に依っては最も探求し難い、粗朴 なプロレタリヤの實感とは、その實感が甚だ接近し難いものであっ向って惠れた雎一のものである事を敢然と高揚したい。 ( 大正十四年三月「文藝時代」 ) たからだ。ペシミズム、ニヒリズム、憂鬱はそれがプロレタリヤの 實感として誇張的にさへ用ひられた結果、それは單に非プロレタリ ャ的な無意志の象徴たるに過ぎなかったではないか ? ( プロレタリ 新象徴主義の基調に就いて ャ文藝に對する所論は別の機會に詳述する積りである。 ) 孰れにし ても、眞の生活意志の宣揚は、知識階級の實感とは別個に存する内 赤木健介 在的なプロレタリヤの實感から爲されるだらう事を信ずる私は、過 去のプロレタリヤ文藝の無反省な延長からは多くを期待出來ない事 を言へば足りる。 自然主義に在って、最も行き詰りと無發展を告げてゐるものは何 と言っても科學的人生態度である。科學的人生探求が如何なる徑路 を辿り、如何なる使命を果したかは、最早明瞭に納得されてゐるだら 現代文明の凡ゆる部門に於て、息づまるやうな憂鬱と焦燥とが充 う。科學的探求に伸張と發展の餘地ありとすれば、今日程その急を告 オ・フチミスト てげてゐる時は無いであらうし、又それに對する辛辣な批判から科學滿してゐることは、如何なる樂天論者と雖も承認ぜざるを得ない事 實である。人々は此の擾亂と世界苦の素因をいづこに求めるであら 就的反逆の新路が展けなければならないとの速斷は寧ろ無謀である。 調 うか。ここに吾人の私見を述べることが許されるならば、吾人は去 また伊輻部隆輝氏が唯一の批評の對象としてゐる、心理小説に對 のやうに思惟したいのである。すなはち、それは過渡期の現象に外 のする非難の如きにも大いに理由がある事であらう。 主 ならないと考へられ得るのである。換言すれば古きルネッサンスが 以上の如きは單純で不用意な考察の一一三に過ぎない事勿論である 象 から、今後の文藝の展開すべき分野は豫想以上に廣いものとされな崩壞に近づきつつあるが爲に、渾沌たる行きづまりの状態に陷った のである。政治に、階級戦に、宗敎に、哲學に、藝術に、ーー否個 ければならない。混沌、複雜、分裂が益複雜となり分裂を生する 反對に、明日に期待さるべきものは單純であり粗野であり強力なる人の生活にまで末稍經の顫動が浸潤した。我等の大部分は思想に 3 ものである。複雜と分裂が更に複雜化し分裂化すると云ふ豫想に見憑かれた畸形人である。そして沈滯した現从の泥濘から脱しようと
す。しかし、ねえ君、僕の顏を見ると同時に、それを思ひ出すなんたんだ。それから隣りの間 ( 行って、その間の眞ん中に机を一つ持 はだか か、實に皮肉ぢゃないですか。實に痛い、實に痛い皮肉ですな。いち出しましてね、僕はすっかり裸體になって、その前に蠑燭を一本 や、實際痛い、僕はいやになって了ふですな。いや、嫌やになる位ソボソボととぼしてね、そして目の前に一册の本を置いて坐禪をく ぢゃない、女房が恐ろしくなって了ひますな。いや、それでも子供みましたよ。家中が眞っ暗でね、蝦燭の火がユラュラ搖れて、裸體 は立派に生れるんですな。子供は強いものですよ。僕の子供なんの瘠せそぼった僕の身體が、大きく氣味惡く壁の橫っ腹に映ってゐ か、自分が腹にゐた時頭から辛子をブッ掛けられたのも知らずに、 ましたよ。うす暗くね。 こざか 今ではあいつの小さい額に、子供らしい小賢しい理性を貯へてチョ - すると、その時恰度、實際偶然は妙に偶然を偶然でなくするもの コチョコしてゐますよ。それに僕の子は仲々美貌ですぜ。あれは美ですな、近所に火事がありましてね、それがすぐ近くなんですよ、 少年になりますな。美少年に。それにねえ、僕はまだこんな事をし近くだけれど僕の家には燃え付く心配はないのです。何故かって云 たんですよーーー」 へば、僕の家のすぐ前は大きな邸宅の庭でしてね、火事はその邸宅 と恭三は、もはや何もかもプチマケて了ひたい氣持を心の中に感 の向ふの、鳥渡した廣い坂道を越したあちら側なのでね、それに風 じたやうな顏付きで、その時球を突いてゐたに呼び掛けた。 がなかった、だから心配はなかったのですがね、その火事の火が前 「君 ! 」 の邸宅の庭の立樹の向ふで、眞赤に、實際眞赤に僕の部屋の窓硝子 「四十七」 に映って、その爲めに暗い部屋の中までが、妙に赤く明るくなって と、小娘のゲーム取りが、歌を唄ふやうな聲を出した。と思ふゐましたよ。そこで僕は目の前に一本燭を立てて、裸體で坐って と、また ゐたんですがね。近所のしさで、突然、女房は隣りの間で目を覺 「四十九」 ませましたよ。目を覺ませると同時に、女房はこの異状な光景を見 「五十一一」 たんですな。女房はキャッと叫びましたよ。そして、そのまま蒲團 「五十四、一本歸へり、四ツ」 の上にへたばりましたよ。僕は落付いてその女房の所へ行って、 「六ツ」 『心配せんでもいいよ。心配せんでもいいよ。火事は近くだが大丈 糞 ! はいったい、いくっ突き續ける氣なんだらう。 夫だからね。びつくりするといけないよ。腹の子供が驚くからね。』 と、云って背をさすってやりましたよ。僕は實際、女房がその時 「十一一」 可哀想だったですからな。けれども女房はそれでは安心しませんで 「六十四、三廻はし、六十七」 劇 したよ。實際女房は、火事にも驚ろいたんでせうが、いや、それよ 「僕はねえ、まだこんな事もしたんだよ。」 りも實は、そんな眞夜中に、供が裸體で燭をつけて坐ってゐたの と恭三はこんどは、横に坐ってゐるにまた話し掛けた。 喜 に驚ろいたんですな。だから僕は云ってやったんです。 「夏だったがね、女房は六ヶ月の腹を抱へてゐたんだ。さうなんで 『僕は睡れなくってね、さっき起きて、暑いから裸體で本を讀んで す。六ヶ月ですよ。いや、七ヶ月かな。夜中にねえ、僕はひとりこ ゐたんだよ。すると停電なんだ。停電したものだから蠍燭をつけて 3 っそりと起出して、家中の電燈をみんなすっかり消して了ってやっゐたんだ。心配しなくてもいいよ。何も驚く事はないんだから。』
意見に對して、換言すれば個人に對して抗議を申し出るのを目的と しないからである。 それ故、或る新進作家の名前も、ここでは現はさない事とする。 私は右の既成作家その人、ちその個人を攻撃するのでもなく、 急行列車が小驛に止まらずに驀進して居る。これは、右の新進作 又右の新進作家の「沿線の」云々の一行を賞讃するのでもない。 只、或る新進作家の「沿線の」云々の一行を或る既成作家が、前述家の文章の素材である。彼は、急行列車なる「物」が、小驛に停ら のやうに批評したと云ふ事實のみが、私の此の論文の材料なのであずに驀進して行く「从態」を書いたのである。 此の「物」の、此の「从態」を、單なる事實として描く方法は、 る。 xx 氏が誰であらうと彼であらうと、私の問題の關する所では 無數にある筈である。 ない。 ねっざう 急行列車が、小驛に停らずに驀進して行く。 只、私が事實を捏造して間題を起す者でない事を證明するため、 急行列車が小驛に停車せずに、激しい速力で走って行く。 x x 氏が前述のやうな批評 ( 勿論、座談だが ) をしたと、私に俾へ その他無數の素直な文章が、同じ物の、同じ从態を説明し得るで た人が、廣津和郞氏であることを明かにして置けば足りる。 あらう。單に一つの物の一つの状態を、事實として讀者に説明する のに、何の技巧、何の飾りが要らう。一人の心中にある「事實」を 他人の心中に移入するだけの目的なら、簡單明瞭な文句が一番好い さて、私のお話は再び後戻りする必要を感じる。 これは或る新進作家が、急行列車の驀進するさまを表はすに用ゐわけである。急行列車が小驛を通過して疾走すると云ふ常識的な事 實を傳へるに、何らの非常識的な表現も無用と謂ふべきである。 た表現である。日く、 然しながら、彼は、單なる事實の報告ばかりで滿足する事は出來 「沿線の小驛は石のやうに默殺された。」 . なかった。彼は、急行列車と、小驛と、作者自身の感覺との關係 ところで、此の一句が、はしなくも既成作家 xx 氏の反感を買っ を、十數字のうちに、效果強く、溂と描寫せんと意思したのであ た。斯くの如き徒らに表現の奇を衒って以て、新時代なりと稱する のは甚だ不可ないと云ふのである。別に新しい内容もなく、單に表った。 しか 效果強く、溂と ! 爾り、汽車といふ物質の从態を表はすに、 現の奇拔のみを事として、それで何の新しさがあるのだ ! 恐らく 感覺的表現の他の何物が能く漫溂と效果強き表現と成り得よう。物 xx 氏の云ひ分はさういふ所に在るのであらう。 訴或る新進作家の斯くの如き表現に對して、或る既成作家が斯くの質のうちに作者の生命が生き、从態のうちに作者の生命が生きるた 者如き批評を下した。此の事實は、私をして自ら堪〈難い微笑に醉はめの交渉の、最も直接にして現實的な電源は感覺である。その他の 建しめる。此の事實は、私をして自ら愉快な心躍りを覺えしめる。此何物でもない。心の交渉ではない。もし人間の魂や心が此の場合の の微笑と此の心躍りとを以て若き讀者諸君よ ! と先づ呼び掛くる急行列車に交渉したら、それは感覺の後に來る第一一番目の生活であ る。然し、新進作家は、その第二番目の生活は貪る必要を認めな 今日の機會の何たる明さであらう ! 若き讀者諸君よ、私は今日を 6 3 かった。尠くともそれを、最初の一句で讀者に訴へる事を念としな 最初の機會として諸君に何を訴へようとするのか ? 否、私は今日 を最初の一歩として、後日、若き讀者諸君に大いなる物を訴へんと する出發をなすのである。
實枝は、突嗟には返事のなり兼るといふ顏をした。禮助は袂からひ廻されて座敷中を逃げた。逃げながら、座敷の片隅にゐて康夫を 見守ってゐる實枝と目を合せた。實枝は、 煙草を出して火をつけた。時子は重ねて、 「康夫さん、そんなおいたしてはいけません。」と子供を叱った。 「ねえ、さうなさい。」と云った。 「子供はぐんぐん大きくなるものだな。」 實枝は、辛うじて云った。 やすを 「ほんとに。自分のお婆さんになるのはちっとも氣がっきませんけ 「でも、だってそれは、・ーー・康夫が待ってゐるのですもの。」 「康夫さんはわたしが守してあげます。だからあんた行っていらつれどね。」 さう云はれて、禮助は實枝も本當に老けて來たなと思った。新京 しゃい。」 ちち 極のカフ , 一の鏡で禮助は自分の爺むささを明かに知ったが、彼女 「でもーーー時さんも一絡にいらっしゃい。」 も、必ずしももう若くはない。四つになる子供の親に、確かに違ひ 「そんな無理云うて。わたしは用事があります。」 彼女逹の間答は限りがなく同じことが繰返されさうだった。禮助ない。 「かうしてお互に年とりますなあ。あなたはお茶の稽古をして。」 「さうして、あなたは朝寢坊をして。」 「皆、一絡に出て來たのだから一絡に行きませう。」と云った。 「違ひない。」 五 禮助は哈哈と笑った。 禮助の豫め期したやうな事は何も起らずに、彼と彼女逹の交渉は 毎日此程度を出なかった。これは禮助の安堵であったが同時に焦慮 或朝禮助が目をさますと、兄の杏平が時子の宅 ( 來てゐた。 であった。焦慮と云っては強きに過ぎゃう、が、唯何となく物足り ない氣持ち、とだけでは云ひ濟まされぬものであった。しかし禮助「お前來てゐたのか。辛氣くさい奴ゃな。來たなら來たと一寸知ら は平然として朝寢をし、目が覺めれば彼女逹と外に出た。外に出したらいいのに。」 兄は禮助の顔を見るとさう云った。 て、今日は昨日より親しくなったな、では明日はこの親しさから更 「そのうち、自分で出かけて云ひに行くつもりだったから、その儘 に先の親しさに進まうと思って歸って來るが、明日になると、第一 日の朝と同じところから歩み出さねばならないことが分る、それよにしてゐたのです。」 兄は、用事があるので、今日は悠くりしてゐないで直ぐ歸宅する り外に仕方のないことが分る、禮助はこの失望に似た心持ちを毎日 のだと告げた。歸る途中の圓通寺といふ寺まで實枝も同道するのだ 繰り返してゐた。 日 と云った。 なじみを一日一日と加へてゆくのは、ただ康夫とだけだった。こ 「禮助、だからお前も一絡にうちへ來い。」 の四つになる子供は、始めのうちは禮助の、へも來なかったが、一一 兄はさう命令するやうに云った。丁度そこへ外出の仕度をした實 日目には、ああしろかうしろといふやうになった。兩手をぶらりと 昭下げたまま奇妙なしかめつつらをして、「幽靈 , ーーゅうれい ! 」と枝がやって來た。實枝は禮助に向って、 1 禮助の上〈のしかかって來るやうになった。禮助は幽靈の康夫に潭「お目ざめ ? けふはお兄さんに連れて頂いて圓通寺まで行きます は、
われわれの討論は、今や一齊にここに向けられなければならぬ。 九 コンミニストは次のやうに云ふ。「もしも一個の人間が、現下に 私は此の文學的活動の善惡に關して云ふ前に、次の一事實を先づ 於て、最も深き認識に逹すれば、コンミニストたらざるを得なくな 指摘する。 いかなるものと雖も、わが國の現實は、資本主義であると云る。」と。 しかしながら、文學に對して、最も深き認識に達したものは、コ ふ事實を認めねばならぬ。 ンミニストたらざるを得なくなるであらうか。 四 十 此の一大事實を認めた以上は、われわれはいかに優れたコンミニ もしも、文學に對して、最も深き認識に逹したものが、コン、、、ニ ストと雖も、資本主義と云ふ瓧會を、敵にこそすれ、敵としたるが ストたらざるを得なくなるとすれば、コンミニストの中で、文學に どとくしかく有力な就會機構だと云ふことをも認めるであらう。 關心してゐるものは、最も認識貧弱な人物にちがひない。何故な 五 ら、文學などと云ふものは、コンミニストにとっては、左樣に深き しかしながら、此の資本主義機構は、崩壞しつつあるや否や、と認識者の重要物ではないからだ。 云ふことは、最早やわれわれ文學に關心するものの問題ではない。 もし、彼らにして文學を認めるとすれば、文學に對して最も深き 文われわれの問題は、文學と云ふものが、此の資本主義を壞減さす認識者は、コンミニストたらざるを得なくなると云ふ認識も否定す ズ べきであらう。 ・ヘき武器となるべき筈のものであるか、或ひは、文學と云ふもの が、資本主義とマルキシズムとの對立を、一つの現實的事實として 眺むべきか、と云ふ二つの問題である。 かくして、文學に對して最も認識深き者と雖も、コンミニストた 七 らざる場合があるとすれば、この「場合」こそ、われわれ共通の問 更に此の問題は、われわれの問題とするよりも、廣く文學として題となるべき素質を持った存在にちがひない。此の存在とは何であ の問題であると見る所に、われわれ共通の新らしい問題が生じて來らうか。 るべき筈であらう。 彼らの文學的活動は、プルジョア意識の總ての者を、マルキスト たらしめんがための活動と、コンミニストをして、彼らの鬪爭と呼 ばるべき闘爭心を、より多く喚起せしめんがための活動とである。 いへど