うに、指の間に入れて、二つにしたり三つにしたりしてゐる。 どこからかピアノの音がもれて來る。靜かな明るい曲が良い。 ( 暫らく聞き人ってから、 ) 秋 ( やや皮肉に、 ) 秋 ( 反撥的に、 ) 秋さ。 又兩人聞き人ってゐる。 は無心に玉の手品をやってゐる。 鈴木さんの奥さんだね。 ( 戸外を見たまま、 ) さうだ。 あの人は明るいね。いつでもにこにこ笑ってるぢゃないか。 戀愛をしない人逹は皆んな明るいんだ。鈴木さんの旦那には他 に愛人があるんだよ。だから、あの夫人はもう夫を愛する必要が ないんだ。一日ピアノを彈いて、 はふり返って、ふと、が木玉をいちってゐるのを見る。 何んだ、そりや ? まあ見てゐろ ! ( 三つの玉の手品をやって見せる。 ) 二つだらう。 えい ! ほら、三つ。三角關係と云ふ奴だ。一人の女を二人が愛 してゐる。一人があきらめて、ほら、消えた。又現れる。今度は 形ひとりで街を彷徨く。 << 面白いね。どうしたんだい ? ん ら 昨日銀座で買ったんだ。 中々うまいね。 俺は今日一日、部屋の中で練習したんだ。 2 たったひとり、部屋の中で、そんな事してたのか ? , 刀 ゝ 0 ああ。 << 人間はひとりでゐると皆んなそんな事をしてるんだね、何かし 君は落葉を噛み、あの女は、 又あの女か。 あれはどうしてるんだらうね。・ : ・ : 爪を磨いたり、 あうむ < 鸚鵡に唱を敎 ( たり。羊に昔の戀人の手紙を食べさせたり、 ・ : 淋しい女だね。 << は煙草を出して吸ふ。 ( さっきから煙草を啣 ( てゐて、 ) 燐寸。 なり < ( 憐寸を渡し乍ら、 ) あんないつも華やかな服裝をしてゐて、陽氣 にはしゃいでゐ乍ら、どうかした拍子に、ぢいっと凝視めてゐる と、まるで俺は淋しさと睨めつこしてゐるのちゃないか、と思ふ 事がある。まだ暗くなりきらないタ暮の街に、ぼつんと、一つと ともしび もってゐる灯火のやうな氣がする。あの女は眞空を持って來るの だ。あの女が這入って來ると、部屋の中に妙な淋しい空虚が出來 る。 どうして俺逹はこんなにあの女の事ばかり話すんだらうね。こ とに依るとあの女に好意を感じてゐるのかも知れないぞ。 ・ : 好意を感じてゐる ? 俺逹は頭が疲れて、退屈なのだ。 馬鹿くさい。簡單にものを見る奴だな、君は。心の鍛へが足りな いよ。 さう高踏的なものの云ひ方をするな。俺は俺自身思ってゐる程 偉くはないかも知れないが、君が思ってゐる程馬鹿でもないつも 俺はただ、あの女を幸輻にしてやらうと思ってゐるだけなんだ。 この女を幸輻にしてやれる。とさう心に思ったら最後、その男 はもうその女に對して駄目だね。 ら。 マッチ
もしもコンミニストが、此の文學の持っ科學のごとき特質を認め ねばならぬとしたならば、彼らにして左樣に認めねばならぬ理由の もとに於てさへ、なほ且っ文學は生き生きと存在理由を發揮する。 われわれは、いかなる者と雖も、資本主義の機構の上にある以 上、資本主義を、その正邪にかかはらず、認めなければならぬ。ま 十八 たわれわれは、いかなるものと雖も、マルキシズムを、その正邪に 文學がしかく科學のごとき素質を持ち、かくのごとく生き生きと かかはらず、存在する以上は認めなければならぬ。何故なら、此の 存在理由を持つ以上、われわれは再び現下に於ける文學について、 二つの對立は、歴史の重大な事實であるからだ。 考へねばならぬ。しかも、それは、文學に於けるいかなる分野が、 十四 素質が、屬性が、總ゆる文學の方向から共通に考察されねばならな しかしながら、此の二つの敵對した客體の蓮動に對して、いづれいか。これがわれわれの新らしき問題となるべきであらう。 に與するべきかその意志さへも動かす必要なくして、存在理山を主 十九 張し得られる素質を持つものが、此の社會に二つある。一つは科學 「われわれには、そんな暇はない。」と云ふものは云ふであらう。 で、一つは文學だ。 が、文學はそんなものからさへも、彼らもまたかかる科學的な一個 の物體として、文學的素材となり得ると見る。此の恐るべき文學の 十五 包括力が、マルクスをさへも一個の單なる素材となすのみならず、 もしもコンミニストが、此の文學の、恰も科學の持つがごとき冷宇宙の廻轉さ、も、及び他の一切の攝理にまでも干渉し得る能力を 然たる素質を排撃するとしたならば、彼らの總帥の曾て活用したる持ってゐるとするならば、われわれの文學に對する共通の問題は、 唯物論と雖も、その活用させる科學的態度を、その活用なし得た科一體、いかなる所にあるのであらうか。それは、文學が絶對に文字 學的部分に於て排撃されねばならぬであらう。 を使用しなければならぬと云ふ、此の犯すべからざる宿命によっ て、「文字の表現」の一語で良い。これは、いかなるものと雖も認 十六 めるであらう。 總ての文學がコンミニズムになりたる場合を考へよ。最早やその ときに於ては、文學はその科學のごとき有力なる特質を紛失する。 しかしながら、もしもコンミニストが、文學を認めたとしたなら しかしながら、その次に何物よりも、われわれの最もより多く共 ば、文學の有っ此の科學の・ことき冷靜な特質をも認めねばならぬで通した問題となるべきことがあるべき筈だ。それは、われわれ人間 あらう。 が世界を見る場合、唯心論的に見るべきか、唯物論的に見るべきか と云ふ二つの見方にちがひない。此處で、われわれの完全に共通し 十七 た問題は分裂する。 くみ
29 女馬鹿にしてるわ。下らない。 少し降りて歩いて見たの。あの人が歩かうって云ふんですもの。 女は卓子の方へやって來る。 毒ですよ、そんな事して。 チェッスしない ? 女あの人もやつばり胸が惡いのよ。だから、あの人は、あたしと 二人、永い間かかって、じわりじわりと心中をしようとしてゐる ( やや冷淡に、 ) してもいいです。 のよ。きっと。 女が卓子に坐る。 <t は西洋將棋をとり、卓子の上へ置き、女と向ひ合って坐る。 暫く默ってやり始める。 井坂さんは ? ほら、とりますよ。 今しがた迄ここにゐたんだけど。 女ちょっと待って、待って、何んで ? 女さっき銀座で會ったわよ。 そんな事云ってた。奴さん夜店で變な手品を買ひこんで來てこの騎士で。 ( 駒を動かさうとする。 ) 女 ( 手で盤の上を掩ふやうに遮って、 ) あら、待って、待って、待って ね。黒い玉を二つにしたり三つにしたりする、 よ。ちゃこっちへやるわ。 女ああ、賣ってたわ。あの方も夜店であんなもん買ったりなんか なさるのね。やつばり淋しいのね。 又暫くやってゐる。 あいつ、あなたの事を大嫌ひだって云ってましたよ。 ( 内心ひどく自尊心を傷けられてゐ女あのさっきのお話して下さらない ? 女馬鹿にしてるわ。ふーんだ ! 何んの話 ? 女アイル一フンドの、 あんな人ばかり輕蔑したがる女は大嫌ひだって。 女あの人はね、自分が人に輕蔑されてゐるんぢゃないって證據ああ。 ( 將棋盤を指して、 ) ほら、これがきいてますよ。 女 ( 考へて、 ) ええ、いいわよ。 を、自分に見ぜ度いのよ。 ( ちょっと考へて、 ) ああ、さうか。とりかへつこか。 ( 他の手を指 す。ゆっくり低い聲で、將棋の方を考へ乍ら、話し始める。 ) アイルフン ドの地方はね、土地が痩せて、廣漠と荒れ果てた高原がずうっと だけど、 續いてゐるんですって。その間に、民家が丁度、ほら、君の駒み たいに、ぼつりぼつりとあって、 ( 女微笑ふ。 ) 住民は皆んな疲弊 女ほんと ? してるんです。時々饑饉なんかがあると、そりや悲慘なんですっ 何が ? て。 ( 駒の方を考へる。 ) 女何がってさ。 女 ( それから ? と云ふ風をする。 ) Åほんとですとも。 る。 ) みじめ
この一種の威壓感こそ、彼の表現が持っ感覺的效果である。 こそ、彼自身の生活を約束するのである。彼自身の感覺を、所謂一 般常識的な感覺の外に際立たしめる事こそ、物にぶつ付かって火花「石のやうに」とは單なる比喩に過ぎない。然し、その比喩は「無 の如く内面に散るポヱムを、外面的に光躍せしめる手段であったの價値な」とか、「生命のない」とか、さうした抽象的な形容詞の代 りに置かれた比喩ではない。つまり、頭や常識を通過して生れた比 果然、「石のやうに默殺された」と書いたのは彼の必然の方法で喩ではなくて、石に就ての感じから、直接感覺に訴へられて發現し あった。 た聯想から生れたものである。 なほ、聯想で想ひ出したが、此の場合の默殺といふ言葉は、比喩 そして斯る方法を、上述の如きリアリストたる既成作家が否定し でもなく、又勿論單なる覿念の連合から來たのでもない。それは汽 輕蔑するのも亦必然の勢ひである。 既成作家なる名詞が内容的に無意味でない所以は此所にある。單車と小驛と作者との關係に於て、作者がエ風したのでも聯想したの に原稿料の高下、流行不流行、年齡の差等、外側からのみ物を見たでもない。作者が「默殺」と直接に感じて發した、印ち直接の表現 謂ではなく、實に、既成と新進 ( 但し一部分の ) との間には、根本である。汽車が小驛を通過したとは、共涌の感じ方である。が、然 的な方法の相違があるのである。我々が、既成作家を對立的に見たし、作者ひとりの感覺は、「汽車が小驛を默殺した」と感じたので とて、必ずしも愚かな文壇意識から出るのでない事は、先づ第一にある。それゆゑ、「沿線の小驛は石のやうに默殺された」と表現し た瞬間の作者には、默殺といふ言葉の約束も概念もなかった。ただ 「文藝時代」の讀者の理解を得て置きたいと思ふ。 その言葉の持っ感覺的效果ばかりが、彼の實感に溶合して、發せざ 五 らんとしても、發する他はなかったのである。 急行列車が全速力で走って居る。そして「沿線の小驛は石のやう 默殺といふ言葉には、一種の暴力的な氣持ちが件ふ。心的暴力で ある。言ひ換へると、心的の熱である。その暴力と熱とを以て、相に默殺された。」この文章によって、ピョイ、・ヒョイ、ピョイと、 幾つも幾つもの小驛が、急行列車の窓をかすめて後方に退く様を、 手の氣持ちに一種の壓迫感を與へる。 默殺といふ言葉は、斯る壓迫感を以て人に迫る言葉である。默殺若き讀者諸君、諸君の感覺は諒解するや否や、私の切に聞かんと欲 といふ言葉の持っ概念的な約束を背景にして、それが持っ内面的なする所である。 音樂的效果が、先づ我々を感覺的に刺激するのである。 ふ默といふ字と殺といふ字とから受ける幻想の組合せが、一つの音 「新進作家などと云っても、何も新しい物は持たないで、單に表現 に樂的效果を持っと云っても、「そんな事はない」と云はれればそれ までの話である。感じるものと、感じないものとの水掛け論は、い法の奇を衒ふだけで、内容が新しくないのでは詰らない」 諸君、この言をよく記憶して置きたまへ。この言は既成作家が常 若つまでたっても果しはないだらう。だから文字のことに就いては論 に放つ新進攻撃の慣用語である。而して、既成作家に媚びて生活の じるのを止める。が、尠くとも、默殺といふ言葉が暴力的な威壓感 を件ふことを、作者たる彼新進作家が感じたであらうとは、一人の安きをたのむ眞の腰拔け若輩の毒一一 = 〔である。既成作家自衞の言なら -3 鑑賞家の意見として主張することが出來る。 ば尤もである。然しながら、年若うして既成作家に媚びる輩の毒言 いひ ゅゑん てら
る文學形式であるからだ、彼らはその理想さへ主張出來得れば、曾 6 和て犯した雎心論的文學の古き様式をさへも、雎々諾々として受け入 れてゐるではないか。そこで、彼らは、文學の圈内に於ては、ただ 單なる理想主義文學と何ら變る所はないと云ひ得られる。 それで果して良いのであらうか。もしそれで良いとするものがあ るならば、コンミニズム文學は、文學の圈内に於ては、最早、いか なる發展能力をも持ち得ないと云はなければならぬ。 三十一一 われわれの文學は、文學形式として、發展能力を持たない限り、 一大文學とはなり得ない。われわれは文學を問題としてゐるのだ。 社會を間題としてゐるのではない。 三十三 われわれが瓧會を間題とせずして、文學を問題としてゐるとすれ ば、最早やわれわれには、コンミニズム文學は、間題から抛擲され るべき問題たる素質を持って來たのである。さうして、われわれの 文學の新らしき間題たるべきことこそは、彼らに代って起るべき、 充分に文學を問題とした瓧會主義文學でなければならぬ。かかる社 會主義的な文學は、當然、正統な辯證法的發展段階のもとに成長し て來た、新感覺派文學の中から起るべき運命を持ってゐる。 三十四 しかしながら、欽に起るべき新らしき文學は、新感覺派の中から 發生した瓧會主義文學のみではない、何故なら、われわれの就會機 構は、いまだ資本主義の一大勢力のもとにあるからだ。いかにわれ われが拒否しようとも、資本主義の存在してゐることは事實であ 、る。此の資本主義の存在してゐる限り、それはよし假令排撃をらる べき文學であるとしても、資本主義文學の發生するのも、また當然 でなければならぬ。 三十五 だが、もし資本主義文學が新らしく發生したとしても、彼らは唯 物論的な鑑察精をもった新感覺派文學でなくしては、無力である。 三十六 かくのごとく新感覺派文學は、いかなる文學の圈内からも、もし 彼らが文學を問題としてゐる限り、共通の問題とせらるべき、一つ の確乎とした正統文學形式である。此の文學は資本主義の時代であ らうとも、共産主義の時代であらうとも、衰滅するべき必要は、少 しもない。 ( 自分のことを書くやうとの注文であるが、自分の今の考へ方を書くためには、以 上のやうなことより仕方がない。 ) ( 昭和三年一月「新潮」 )
「新しい感覺」と云ふ言葉は今日「新進作家」とか「新時代」とか感覺が占めてゐる位置に對して、從來とはちがった考へ方をしよう 6 云ふ言葉と離すことが出來ないものとなった。新進作家の作風をこ と云ふのである。そして、人生のその新しい感じ方を文藝の世界に の一つで云ひ現はさうとする人々が多い程である。千葉龜雄氏は應用しようと云ふのである。これを藝術哲學的に説明すると、非常 「文藝時代」の同人諸氏の出現を「新感覺派の誕生」と名づけた。 に面倒臭くなる。しかし例へば、砂糖は甘い。從來の文藝では、こ そして、新進作家を二つの傾向に分ち、「文藝時代」の人々を新感の甘いと云ふことを、舌から一度頭に持って行って頭で「甘い」と 覺派と呼び「文藝戦線」の人々をプロレタリア派と呼ぶことが、文書いた。ところが、今は舌で「甘い。」と書く。またこれまでは、 壇の新しい習慣となりかかってゐる。 眼と薔薇とを二つのものとして「私の眼は赤い薔薇を見た。」と書 しかしその習慣に從ふ前に、次のことはよく知って置かねばなら いたとすれば、新進作家は眼と薔薇とを一つにして、「私の眼が赤 ない。 い薔薇だ。」と書く。理論的に説明しないと分らないかもしれない プロレタリア派の人々も、新しい文藝を創造する新進作家である が、まあこんな風な表現の氣持が、物の感じ方となり、生活のし方 ならば、その作風に新しい感覺を含まねばならない。理由は簡單明となるのである。 瞭である。新しい表現なくして新しい文藝はない。新しい表現なく かう云ふ風に感覺を考へることは、必ずしも感覺的享樂主義とな して新しい内容はない。新しい感覺なくして新しい表現はない。こ りはしない。また、無内容ともなりはしない。文藝の内容となるも れは何も今に初まったことではない。そして事實、プロレタリア派のは何であるか、と云ふことにもいろんな説はある。しかし、人間 の前田河廣一郞氏、金子洋文氏、今野賢三氏なぞも、新しい感覺で の感情であることは確かだ。ところが、「感情と離れた感覺と感覺 表現をしようと努力してゐる。これは當然なことである。 なき感情とを經驗し得る。」と思ふのは、色のない形と形のない色 しかし、それとは別に、この派の人々は感覺に對してもう一つのがあると思ふが如き誤りなのである。してみると、新しい感覺の文 態度を持ってゐる。彼等は云ふ。これまでの文藝は、プルジョア階藝は、當然、新しい感情の文藝に歸着すべきものなのである。これ 級の感覺を通して自然と人生とを感じてゐた。我々の文藝はプロレ を知らない盲者だけが、新感覺主義の文藝を「新しい感情のない文 タリア階級の感覺を通して自然と人生とを感じなければならない。 藝」と云ひ、「新しい内容のない文藝」と云って、輕んじ得るのであ 農夫の眼が見る大根畑であり、職工の掌が撫でる女の肌でなければ る。藝術論上のこの迷妄をも、私は打破したいのであるが、この一 ならない。つまり、作者は職工や貧乏人であるか、または彼等と同文の主旨に外れるから、他の評論に讓る。そして、新進作家の作品 じ感覺の所有者でなければならない。 に新しい感覺がどんな風に現はれてゐるかを、解説するに止めよう。 この説の實現は、新しい感覺の文藝を創造することであるにはち 尚、文藝に於ける感覺を論ずるのに、注意しなければならないこ がひない。しかし、これは「感覺主義」ではない。云ふならば、 とは、文藝が美術や音樂とちがふ點である。美術や音樂を創作した 「感覺の發見」である。最も新しい感覺論者片岡鐵兵氏なそが「感 り觀賞したりする時の感覺の働き方と、文蕓の場合の働き方とは遙 覺の發見」と名づけるのは、例へばこのやうなことであらう。 かにちがふ。この問題も面倒なことで、別に一つの評論でも書かな しかし、片岡鐵兵氏も説明してゐるやうに、「新感覺主義」はこければ云ひっくせない。しかし、新感覺主義と呼ばれる文藝は、そ の「感覺の發見」を目的としてゐるのではない。人間の生活に於て の手法や表現に於て、美術や音樂の場合の感覺の働き方に一歩近づ
8 「あゝその使ひに來てくれたのか、ありがたう、ゆくよ、奥さんに とするかのやうに、彼は細長い指を伸べて食卓の端を叩きながら低 も逢っとかなくちゃね。」 く唱ひ始めた : はげ その時、劇しく扉が明け放たれた。そして濃い空色のシゴウルを その樣子を見ると道助は少し堪へられなくなって密っと椅子を離 自暴に手首に卷きつけたモデルのとみ子がっと這入って來た。彼女れた。そして先彼女が抛り出した花束を拾ひ上げて、殆ど無意識 はなびら は片手に持ってゐた花束を亂暴に床の上に投げ出して、どんとぶつ にその花片を一つ / \ むしり初めた。 もた かるやうに遠野の肩に凭れかゝった。 「おいとみ子、一つダンスをやらう。」さう云って遠野が不意に彼 「どの奧さんに逢ひにゆくのよ。」そして手を伸ばして遠野の前に女の首筋を抱〈て飛び上った。 ある洋盃を取り上げた。 「ほら始まった。」と云ひながらとみ子はちらと道助の方を見た。 はやしかた 「あ長君は一つ囃子方になり給〈。」遠野が道助に云った。道助は 漠然と微笑みながらバネの弛んだ自働人形のやうに部屋の中を歩き 「この紳士の奥さんさ。呑んだくれのトムミイ、」さう云ひっ乂遠廻った。 ちゃうど 野は靜かに彼女の洋盃へキフソウを酌いでやった。 恰度部屋の眞中〈天窓から強烈な光線が落ちてゐる。その中 ( 遠 「あら、ご免なさい。」彼女はさう云ってちょっと道助の方 ( 頭を野ととみ子とは白い兩手を握り合ってふら / 、と立ち上った。 下げた。 「ほんとに踊る氣かい、君逹は。」と道助が訊ねた。それを聞くと 「そして綺麗な方 ? 」 とみ子が崩れるやうに笑った。 をどっ 「君のやうにね。」と少し醉が廻って來た道助が口を挾んだ。 「踊たって好いぢゃないか。」と遠野も笑ひながら答へた。 「おや、ご挨拶ですこと。でもお大事になさるんでせうね。」 「まるで君は日本にゐるやうぢゃない。」と道助が云った。 「それはもちろん、」 からか 「そんなことはどうでも好いさ。」さう云って遠野は強くとみ子を 彼女はちらと揶揄ふやうな視線を遠野に向けた。遠野がすぐに云抱きかゝ〈た。 った。 こんな その時雲がよぎると見えて部屋の中がちょっと暗くなった。それ 「然し君のやうに此医にぶく / ・、ちゃないんだとさ。」そして彼は と共に、道助は何かしら白けた氣持ちが自分を犯して來るのを感じ 眞白な彼女の腕首をびしりと叩いた。 はや 「ぢや古典派だ、流行らないのよ。」さう云ひっ、彼女はちょっと 「おい、君は何を考へてゐるのだ。」と遠野が叫んだ。 遠野を睨まへた。彼等は噴きだした。 「囃子方も看客も僕はご免さ。」と道助は吐き出すやうに云った。 「君は何派だい。」と道助が訊ねた。 あたし わぎ 「ぢや貴方踊らない ? 」さう云ってとみ子が彼の方へ大きく兩手を 「妾や未來派さ。」と故意と取り澄まして答〈ながら、彼女は遠野擴げた。 ゆる の膝の上でその盟滿な身體を弛やかに搖すり初めた。 それを見ると道助の氣持ちは一脣拘泥し初めた。何か斯う際立っ 遠野は彼女のするがま乂になりながら、立て續けに洋盃を乾し て明るい世界の前に急に頑丈な扉が聳え立ち、その外に自分獨り取 た、彼の眸や唇に、時々ちらイ、と何かが燃え上る、それを隱さう り殘されたと云ふやうな : : : あゝ道助は妻の顏を思ひ浮べてゐたの
いに、幾度叩いても同じひびきしか傳へぬことを、自分だけは、ひの合はぬ豪勢さを、精一杯亢奮して並べたてる。結局みんな、「よ まが とかど氣合を籠めて話し出す。タレ買ひは、。ハナマ紛ひのマニラをり以上」から陷落して來たことになるのだが、事實は、養老院を脱 引き寄せて、安煙草に燻ぶった顎を撫でながら、是が一つ賣れれけて間もないタレ買ひ老であり、本所で食った近衞師團の入札もの あ半月は遊べるんだ。捨て値で十五兩はたつぶりあると云ふ。それの殘飯の臭ひがまだ沁みついてるアト探しでもあり、無料宿泊所の あちこら 米利堅粉の袋からやっと這ひ上った許りのクモで、それが銘々不思 から、今、西洋ぢゃあ彼地此地大流行だなどと附け足す。むろん ~ 0 反響なく、 0 ミ〔を緘〈戸外 0 暴風雨も聽え 0 議な見榮を張 0 、すぐ前 0 慘 0 さを互 0 = 0 」隱」 = 押」隱 で、そのマニ一フを買った「あの時分」の追憶に耽る。するとアト探し、從って、筋道の立った希望や自負心や勇氣などは寸毫も持ち合 てあひ しが、日本橋から銀貨を投げた話を始めるーー・いかに彼が大問屋のさぬ憐れな輩だった。さうして此の取り留めのない追憶に好い加減 きっと おびたゞ けつかい タンノウすると、誰かが屹度「お花見」を提議する。たかが一厘花 息子であったか。店の結界のうしろの金箱には、毎日、いかに夥 うづたか 骨牌で、百年續けても、到底あのタレ買ひの「マニラ帽」まで手が しい銀貨が堆高く輝いてゐたか。そこで ぬす 「からっと晴れた日暮れ前に、家の者の眼を偸んで、その金箱に片屆きさうに無い。それを空想家のアト探しが、ある時 「一厘花と云ふのはいかにもケチだ。勘定は成程それで好いが、ど 手を突っ込み、ピカピカ銀鱗のやうに眩しいのを、握れるだけ握っ いつくわん しつくわん て、そっと店を出、一散に橋の上に飛んでゆき、その欄干の手摺子うだえ、千兩花のつもりで鬪っちあ ? 十錢勝てば十萬兩、一圓で たと もう、ほら、百萬長者だ。」と、譬へばけんどんの葛籠に金庫の模 間から河面を覗いて、やあい ! と呼ぶ。下ではもう色の黑い船頭 ふなはたとも の兒等が、舷や艫に落日をまともに受けて立ち上り、坊っちゃん様を描いて飾って置くやうな、はかないことを考へつき、みんな手 あをたん てやく を拍って、それからは、からす、とウ一、靑丹、菅原など、手役も 坊っちゃんと手を拍いて待ってゐるのだ。やがて銀貨がキ一フキ一フと かぶとちゃう はた 飛び始める。空明りの貼りついた水面へ消え込むのもある。積荷に出來役も、傍で聽いてると、一つ / \ 兜町を浚っていきさうな大 あらし 勝負が、暴風雨を壓する白熱さでつゞくのだった。此の千兩のお花 當ってそのま曳舟底へ涼しい音を立てながら轉げ落ちるのもある。 が、それはどうでも好い。兎に角、あの、日暮前の身震ひのするや見からいけば、彼等は百五十兩の半纒を着て、一食十萬兩は缺けぬ : すっかり投げ食事をとってることになるが、勝負の結果はもちろんそこへひゞい うな空を銀貨が舞ひ落ちる時の美しさったら ! て終って、手をはたいて、さうだ。手をはたいて、ぐるりと振り向て、みんな赤熱した頬をしながら、その「壯烈な」氣分に浸るのだ べたにじ しやくじっ った。 くと、大きな、まんまるい赤日が、くわっと頬っ片に沁んで : : : 」 こんな彼等だから、折角の「出世」も實に危なっかしく、どんな アト探しは、波を打ってる疊へぼとぼと落ちて來る雨洩りをぢっ 道と見詰めながら、こんな意味の思ひ出を詠歎混りに話すのだが、聽に好い場合でも、結局此の長屋の故參となって終ふか、でなけれ そむ ば、免囚が大抵また刑務所へ歸ってゆくやうに、養老院へ、泪橋の こき手は又かと眼を背けて、何の手應へも示さない。 é今度は立ちん坊が、車夫時代に ( それ以上の時代が彼には無かっ向う ( 、無料宿泊所 ( 、も一度落ちてゆく人々だったのだ。 長屋も、もう一段上流になると働き手で意氣地の無いお天氣極ま たのだ ) 世の中が好景氣で毎日稼ぎが餘って、金の使ひ場に困り、 シロウ かちぼう ひまさへあれば酒場で舶來に浸って藝者の三味線に聽き惚れ、梶棒る男と、買ひ食ひと金棒曳きが日課の太平樂な女が、一つの類型に っしつま を握っても浮かれ足で、それで面白いほど客がついたと、少し辻褄なってるが、此處ではちっと違ふことが前述の雜居組の筋向ひの、 ッサノイヤ あらし てすり メリケンこ つにら
いちめん工場で汚して來た自分の頬をごしごしと擦りつけた。奥さ にからだへ沁み渡るやうで、何となくオドオドと脅えてる日だ。ま んは眼を俯せて考へ考へ核を噛んだ。ネズミのおきんは、瞬きもし たそんな日に限って、不思議に巧く盜れるんで、あとで、どうして あご すぢ ずに、五味の、額と鼻と腮にとても量のある、「筋肉と骨タイプ」 あんないゝ智慧が、いや惡い智慧だが、湧いて來たか、自分ながら メリケン と米利堅の人相學なら呼びさうな顔をちっと見てゐた。 驚くほどで、さうしてこんな日の仕事は十に九までバレることがな 「それから、もう一つ。これは僕のことで : : : い又か、佐ア坊、をかった。 ちさんが佐ア坊みたいなあんちゃんだった時分のことだよ。なに ? もっとも、バレたが最後、ひどい折檻で、朝からいちんち穀粒一 あて くわん 髭が痛いのか、あはは」と佐ア坊から頬を離して、五味が濕つぼさっ宛がはれずに、簟笥の鐶へ細引で繋ぎっ放しにされることもあ のちっともない明るい反撥性に富んだ語調で話し續けた。 る。霜の凍る晩に襦袢一枚で雨戸の外へ突き出されたこともある。 だま 僕はみなし兒で、親父は寫眞で知ってるだけ。なんでも、手「此の手で盜ったか ! 此のロで騙したか ! いっそ、お前のトッ の指、腕、脚と順々に機械に喰はれて參ったらしい。おふくろは、 チャンのやうに、指も、ロも、手も、機械に喰はれて、死んちま 多分六ッ頃に亡くなった。盥にこゞみながらよく唄をうたふ女だっ た。それに、やつばり女で、機械を見ると、時計の壞れたのまで、 さう喫いて、ぶつ、つねる、た乂く、その癖伯母は、僕を責める まるで毒虫か鬼みたいに恐れたのを覺えてる。亡くなる時、僕の伯 だけ責めると、自分から先づ泣いて、僕の足もとへつつ伏してしま 母に呉々も賴んでいったさうだ。工場勤めだけはやらして呉れるなふのだ。 と。だから結局僕は、かうやって念入りに職長にまでなったわけ 何故盜みがこんなに伯母の責めるほど惡いことなのか、僕には判 だ。あはははは。 らなかった。たゞ、そんな、痛い、饑じい、辛い目を見ぜられる その旧母にひきとられて、十年ばかり厄介になったが、その間 と、あのおふくろの洗濯唄が、變にまた何處かでしてるやうな氣が に、時々貰ふ小遣ひが不足で、よく旧母のへそくりを盜んだもの してね : : : やつばり寂しいんだ。 だ。それが、盜心の起る日は、朝から、氣持ちが、まったくふだん すると、妙な話だが、此の折檻のアト味が、次に盜み心の起った と違ふ。買ひたい物が絶えず身うちにムズムズと疼づいてるのも事日に、そいつを抑へるどころか、一層煽ってね、忌々しいとか口惜 實だが、それ以外に、もっとひどい力が、ぐんぐん僕を驅りたてる しいとか腹癒せをするなど、そんな性根ぢや決してない。たゞもう ものさし のだ。欲しいなどと云ふ心ちゃない。そんなものとはてんで別な心怯えて恐いんだが、あのびしりと來る物尺や、伯母の泣き聲や、饑 持ちで、まあ早く云へば、寂しいんだな : : : 寫眞だけで馴染みの親じさが、それにまたあの何とも知れぬ寂しさが、何だか怖かったり 道父が、そんな日に限って、妙に頭ん中へ甦って來、それが、指の數戀しかったりして : : : まったく奇妙だ。 こが缺け、片腕が削がれ、脚も一本失くなったところまで想像してみ 僕は酒をやらないが、千代ちゃんのをちさんに訊いたら多分わか åて、その物言はぬ顔へ、他人の子の呼び聲を眞似て、トッチャン、 るだろ。酒呑みには二日醉ひの苦しさが、あとで溜らなく戀しいも あ トッチャンなどと、ロん中で呼んでみたりする。それからまた、死んださうだ。あれとまあ一絡だな。 9 んだおふくろの濯ぎ唄が耳の傍に、遠々しく聽えて來る。落葉も立 いつだったか、例の盜心が起って、そはそはし始め、「いけない、 ち樹も空も、みんな寂しく、ちょいとした荷馬車のひゞきまでが變いけない。」と子供心にも必死に悶掻いた揚句、とうとう夢中で伯 たらひ おび はらい あふ
180 びま る。いづれ暇のをりにくはしくーー」 名刺に書き添へてあるのはこんな事なのだ。 ちゃうだいけんすゐ ところがその後、張大元帥の交通部と滿錻との間に例のむつかし い問題が起って、從って鹽崎は通譯に忙しいと見えて、内地に小さ くつつましくーーー仕方がなしに小さくつつましく暮してゐる私の好 事癖を滿足させるなぞといふ小問題は默殺してしまった。何しろ平 穩無事な學藝欄の記者では默殺されても仕方がないのだ。 しかしその私にもいい日はあった。私は急にヘルメットや日除け ねむ ひどく東邦風なジャンクを模樣にした切手を四枚も貼ってーー北眼鏡を買った。母親から護符を貰った。合歡の花ざかりを夢想した 京から私のところへ小包が來た。差出人は滿鐵公處祕書課鹽崎龍 り銀相場を調べたりした。といふのは、丁度國民革命軍が山東一帶 夫、鹽崎は私の舊友なのだ。副業ともいふべき支那語がうまいのまでのぼって來たあの頃に、うまく瓧の北京特派員にして貰へたの で、それに支那の生活が味ひたさに滿鐵に入って、副瓧長付の通譯である。瓧會部長は私にこんな事を云った。君は隨筆風の筆がたっ ・ヘキンけんもんき をしてゐるのだ。 ね。その筆でもって爭亂の北京見聞記を書くのだ。北京ちうをまめ それは兎も角として、包みをほどくと箱のなかから紫に染めあげ に歩くのだよ。雰圍氣をつかむのだよ。出發までに調査部でもって、 ふくさ た支那絹の袱紗が出て來た。さう云へば鹽崎の長男が生れた時に心 必要なあらゆる智識を復習して行きたまへ。 そこで、私は靑年 ばかりの祝ひ物を贈った。その返禮なのだらう。しかし私の云ひた記者でなくては持ち得ない情熱を持った。 いのはその袱紗の模樣の大變風がはりだといふ事である。 何よりも先づ鹽崎に電報を打った。 ろてきふとう かうりゃうばたけ と白く拔いてあるのは先づ袱紗として當り前だが、變ってゐると 黄ろい海。蘆荻。埠頭。 , ーー柳の街道。高粱畑。夕日。古城 ことぶ当、 クウリイ いふ譯はその壽の字が醉筆とでも云ひたいほどに書きなぐった樂壁。ーー・最後に私は巡警の物物しい北京前門停車場で、苦力の人力 ぼん 書き風のもので、しかし書き手は氣のせゐか凡でない。それから、 車に包圍されてしまった。が、鹽崎の官舍をその車夫のひとりが、 きれ くちく をうそしうこどう 布をすっかり擴げて見ると墨竹があしらってある。が、これは壽の 小蘇州胡同といふ名の並木の暗い住宅町に見つけ出してくれた。實 きかせい 字以上に一氣呵成で、ほとんど怒って描いたやうな勢がある。それを云ふと停車場の物物しい檢閲にくらべて、もうちきに過去の首都 で全體の感じから云へばどこかしどろもどろで、書きそくなひの趣にもならうといふ城内の氣のぬけたやうな靜かさに、私は驚いた ごどう なのだ。しかし私には、こんな風のものを袱紗に仕立てて人に配る ものだ。鹽崎の家にしても小さいながら朱塗の門を閉して、梧桐や はす ゃうな事をする鹽崎の凝り性が面白かった。 蓮の茂った、まるで日時計のやうにひっそりした中庭を持ってゐる うちはひ 「内祝までにこちらの日本店で十枚ほど作らせて見た。布はわるい のだ。中庭があると云って別に贅澤ぢゃない。これが北京の住宅の が模様を見て貰ひたい。繪も字も曾鐵誠といふ爺さんの描いたものあたり前の構造なのだ。 だ。これにはちょっと奇談もある。好事家の君には一寸向いてゐ タ闇が降りて來た。私は浴衣がけでその中庭へ向いた籐椅子に倚 南京六月祭 そうてっせい こう干か ゆかた