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検索対象: 日本現代文學全集・講談社版 67 新感覺派文學集 附 新感覺派評論集
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1. 日本現代文學全集・講談社版 67 新感覺派文學集 附 新感覺派評論集

102 したが」 「痛い」 ちょっと、といって女中は奥に引っ込んだ。しばらくすると、夫 「失禮」 トン、トンと足音させて、玄關に出て、靴をはく。表戸の、かぎ人が、今起きたばかりの顔だが、激しい見幕で玄關に出て來た。 「主人は、大阪には參らなかったのでございますか ? 」 をはづしてゐる時、 「僕、一かう存じませんが : : : 」 「口惜しいつ」 「これを、ごらんなさい」 奧の部屋でそんな聲をきいたが瀬木はかまはず、外に出た。 夫人は、一通の電報を瀬木の手にさしだした。 「これで、きれいさつばりだ。瓧長をどうしてくれよう」 「コンヤ、キウョウデオーサカニュク二三ヒカへラス、セギク 兎も角、今日はどんなにかして瓧長をつかまへて、一談判しなく ンモイッショ」と瀬木は讀んだ。飛んだ大阪だ。 てはならぬ。瀬木の財布には、もう電車賃さへ乏しくなってゐるの 「奧さん。御主人に御用がおありでしたら、築地の△△家といふ家 に電話をおかけなさい」 朝、まだ早いので、行きどころがなかった。繁本興信所に今から 行って、瓧長の出てくるのを待たうか、いや、萬一、富田たちと顔「何ですって ? 」 瀬木は笑って答へなかった。 を合はせるやうな始末になっては困る。といふのは、瀬木が歸って 「待合ちゃ、ありませんか」 來ないので、彼等は第二の金策をやったかも知れないのだ、たれか 「もちろんです。あまり御油斷なさると不可ませんね。相手は、す 一人が、つけ馬を引いて、親類に行くとか、質屋に行くとかーーい ごい美人ですよ」 ろ / 、方法はあるだらうから。 夫人の顏が見て居られなくなって、瀬木は逃げるやうにそこを出 が、急に思ひついて、彼は方向を決めた。朝はやく、社長の住宅 を訪れることだ。寢込みを襲って起きて來なければ、一日でも、一一た。 日でも、玄關にガン張ってやる。昨夜から、宅に歸って來ない、な 三十六 どとはいはぜない。瓧長は、どんな事があっても、外泊しないの 瀬木は、取り返しのつかない事をしてしまった、と思った。 だ。夫人が、あのとほり有名なやきもちやきなのだから。 待合で居留守を食はせたのは、大した惡意からではなかったのか 三十分のちに、瀬木は、社長の宅の玄關にゐた。 も知れない。自分をだし拔いて、靑原代議士と何事か安協したと取 るのは早合點だったやうな氣もする。一時にクワッとして、仇かな 出て來た女中が、けげんな顔で瀬木を見あげた。 「旦那さまと、御一緒ではなかったので。こざいますか」と女中の方んぞのやうに、社長を怨む必要はすこしもなかったのだ。 瀬木は、瓧長にあやまらねばならぬと考へた。 がさきに質問した。 さうしないと立っ瀬がない。第一、身の置きどころも無くなって、 「一絡に、とは ? 」 「昨夜、旦那さまから電報が參りましてね。急用で大阪にいらっし代議士になる夢もさめ果てた。つまらぬ男になってしまった 省線驛のそばの自動電話に入って、彼は築地の待合を呼びださう やるといふ電報で : : : 瀬木さんも御一緒のやうに、書いてございま 0

2. 日本現代文學全集・講談社版 67 新感覺派文學集 附 新感覺派評論集

172 立っその人が云った。「ーーーああ。安井さんからの紹介のあったお守って御覽なさい」 人ですな。お知らせがないから、多分もう止めなすったのだらうと 「ちゃあ、禪關策進だけを伺ってゐればいいんですか」 思ってゐましたよ」 東京の古本屋に禪書を賴む必要もあって、稍よ當の外れたかたち 誰が見ても海水浴を樂しんで來たとしか思はれない、黑光りのしの彼が念を押した。 へきがんろく た、彼の皮膚をじろりと視しらべながら、その人は「多分」といふ 「それは無門關とか碧巖録とか名の通ったものもあるが、かへって 言葉に早速用捨のない響きを含めてゐた。 あなたにはまだよろしくない。禪關策進は古人の修行の苦心を記し たもので、初學者には第一の書物です。一體禪には書物が一番よろ 最初に彼が手荷物を置いた庫裡の疊は汚かったが、方丈も本堂も しくない。この頃の學生共は小才が利いて、本さへ讀めばいいと思 坐禪堂も、氣持よく古雅に纒った鎌倉時代の建物で、ひと口に云へばってゐるが」 ちゅうもん 中門が象徴してゐるやうな小作りの麗しい寺だった。それに和尚は 「ちゃあ學校の本もあんまりいい譯はないんですね」 孤獨を好む天性らしく、寺男としては東京生れの亠円年が一人、ほか 「いやいや、學校の本はよく讀まなければいかん」 に毎夏來るといふ學生の修業者が一人泊ってゐるきりだった。痩せ 彼の反問が單純に響いたので、和尚は自然笑ひ出した。彼は眼の た一國な和尚は此處を小さくて靜かで嚴格な地域にして置きたい様前に面を脱いだ人を見たやうに思った。それで彼も下手な結跏を組 子だった。それが鐵道線路を隔てて筋向うにある圓覺寺の、いかにんだ儘和尚に笑顏を向けた。うつかり笑顏なぞ見せて一喝されるの も大道場といふ趣の多人數とは、一寸意固地な對照をつくってゐ ではないかと用心しながら。 着いたタ方に、彼は方丈に呼ばれて拜禮と坐禪の組み方とを敎は った。彼はまるで體操の敎師から新らしい體操でも敎はった時のや その小作りな寺にゐて最初に感じたことは、彼が住人のなかで一 うに、和尚の前で稽古をして見せた。 番若く陽氣だといふ事實だった。ほかの二人の靑年は何か憂鬱な 「よろしい」と和尚が云った。「いま覺えたとほりに禮をして、室を持って、坐禪に窶れたやうに振舞ふに引替へ、彼はと云へば、最 おにび に入っておいでなさい」 初の日に和尚を驚かしたあの色艶を公らに見せてゐた。漁村の潮臭 彼は改めて廊下から入って行った。すると、和尚は新らたな弟子さが奥地に來て急に目立っ形だった。 なじみ みしゃう として彼に最初の公案を與へた。前から書物で馴染の「父母未生以 朝まだきに彼は井戸水を汲む役目を云ひっかってゐた。灌木の繁 なすばたけ 前の本來の面目」といふ公案だった。 みに隱れた風趣の豐かな井戸であったが、庫裡からは茄子畑を隔て しゃうけん 「あなたはまだ若いことだから當分相見はしません。そのかはりてかなり遠い。しかし彼は、人生の經驗のためにではなく運動競技 ぜんくわんさくしん 『禪關策進』といふ書物を毎朝講釋してあげます」 の激しい練習のために、水汲みはさまで苦しくはないのだ。掃除も しかし相見がないとすれば、彼はただ公案を景物として授ったや同じ事だったが、彼のつい現はしてしまふこのやうな身輕さは、庫 うな氣がした。 裡のなかで妙にちぐはぐな關係をこしらへ始めた。彼にして見れば 「まあ、さし當ってはよく坐る事、よく雜用をする事、この二つを若い人間の若若しいといふ事に或る値打ちを認めようとする、さう はうぢゃう めん

3. 日本現代文學全集・講談社版 67 新感覺派文學集 附 新感覺派評論集

116 日曜の朝だった。鐐三は檜の標札を懷にして父を訪ねた。父は折 よく在宅だった。茶の間で火鉢の灰を篩ってゐた。鐐三は久振りな ので何となく改まった心持ちになり相當の挨拶をしなくちゃいけな い氣がしたが何と云っていいか分らなかったので、今日はと云って 入って行った。父は灰を篩ひながら、 「よく來たな。」と云った。さうして灰篩を置いて向き直った。「近 頃どうやな ? 」 「え又、まあ、ーー」鐐三は句を切って、しかし何も云ふことはなか った。「えゝ、まあーーー」そのあとへ「けふは日曜です。」と足し 父は一軒置いて隣りに住んでゐた。一軒置いた隣りであらうと、 た。父は、 千軒置いた遠方であらうと、それには何の係はりもなかった。それ ほど鐐三と父とは別々の、全然沒交渉といっていい生活を勝手に營「うん、けふは日曜ゃな。」と云った。 父は後ろを向いて旅簟笥の中から煎茶器を取出した。火鉢から火 んでゐた。だから鐐三は滅多に父を訪ねなかった。父はーー父も滅 を白い焜爐に移した。焜爐にぼうふらを掛けた。 多に鐐三を顧みはしなかった。 「かうすれば直ぐゃ。相憎火鉢を掃除しかけたのでな。」 鐐三は門の柱に久しく名刺を貼っておいた。つい面倒なので貼っ うちは 父はさう云って焜の下を小さな團扇で煽いだ。團扇は白く枯れ てはおくものの、名刺は何となく貧乏臭くて嫌だった。さう思ひな た棕相の葉で出來てゐた。鐐三は茶を御馳走になってから、懷中の がら其儘に日を消してゐると或時母が父の注意だといふのを傅へ 標札を出した。 た。名刺を門の柱に貼っておいたりするのは巡査か看守の趣味だ、 したいふ 「これですがね。鳥渡書いて貰ひたいのですが。」 士太夫のすることではない、といふ注意だった。此注意は父が初め 「何やな ? 標札か。」 てしたのではない、もうこれまで度々だったのだと母は其時附加へ 父は機嫌のいい顔も惡い顔もしなかった。鐐三のつもりでは、父 は或は機嫌のいい顔をしやしないかと思ってゐた。父は自分では字 「この間の雨でまたぞろ名刺が何處かへ剥がれて行ってしまってゐ が可なりに上手なつもりでゐた。字を書いてくれといふものがある るから、ちゃんとしたのに仕直したらどうだえ ? 」 と「わしは下手やがな。」と云ひながら得意になって書いた。さう 母はさう云って鐐三の答を待った。それで、鐐三は夜散歩に出た あるし ついでに、露店で檜の標札を一枚買って戻った。露店の主は五十五して常々云った。 「書は男の玄關ちゃ。玄關を見れば、どんな心がけの奴が住んでゐ 六の老人で、鐐三に云った。 るか直ぐ分る。お前逹の字は玄關に下駄がひっくり返ってゐるやう 「私でよかったら、お書きしませうか ? 」 かたかた しかし鐐三は其申出を斷って新しい標札を外套のポケットに入れなものぢゃ。しかも片方は飛んでもなく五尺も離れて脱いであらう て戻った。鐐三は自分で揮毫する自信はなかった。父に賴む氣で始といふものぢゃ。あれちや性根がすぐ分る。書は男の玄關ちゃ。暇 があったら手習するがいい。ほんの朝のうち三十分づっしてみい、 めから居た。 選擧立會人 ひのき ちょっと ふる

4. 日本現代文學全集・講談社版 67 新感覺派文學集 附 新感覺派評論集

われわれの討論は、今や一齊にここに向けられなければならぬ。 九 コンミニストは次のやうに云ふ。「もしも一個の人間が、現下に 私は此の文學的活動の善惡に關して云ふ前に、次の一事實を先づ 於て、最も深き認識に逹すれば、コンミニストたらざるを得なくな 指摘する。 いかなるものと雖も、わが國の現實は、資本主義であると云る。」と。 しかしながら、文學に對して、最も深き認識に達したものは、コ ふ事實を認めねばならぬ。 ンミニストたらざるを得なくなるであらうか。 四 十 此の一大事實を認めた以上は、われわれはいかに優れたコンミニ もしも、文學に對して、最も深き認識に逹したものが、コン、、、ニ ストと雖も、資本主義と云ふ瓧會を、敵にこそすれ、敵としたるが ストたらざるを得なくなるとすれば、コンミニストの中で、文學に どとくしかく有力な就會機構だと云ふことをも認めるであらう。 關心してゐるものは、最も認識貧弱な人物にちがひない。何故な 五 ら、文學などと云ふものは、コンミニストにとっては、左樣に深き しかしながら、此の資本主義機構は、崩壞しつつあるや否や、と認識者の重要物ではないからだ。 云ふことは、最早やわれわれ文學に關心するものの問題ではない。 もし、彼らにして文學を認めるとすれば、文學に對して最も深き 文われわれの問題は、文學と云ふものが、此の資本主義を壞減さす認識者は、コンミニストたらざるを得なくなると云ふ認識も否定す ズ べきであらう。 ・ヘき武器となるべき筈のものであるか、或ひは、文學と云ふもの が、資本主義とマルキシズムとの對立を、一つの現實的事實として 眺むべきか、と云ふ二つの問題である。 かくして、文學に對して最も認識深き者と雖も、コンミニストた 七 らざる場合があるとすれば、この「場合」こそ、われわれ共通の問 更に此の問題は、われわれの問題とするよりも、廣く文學として題となるべき素質を持った存在にちがひない。此の存在とは何であ の問題であると見る所に、われわれ共通の新らしい問題が生じて來らうか。 るべき筈であらう。 彼らの文學的活動は、プルジョア意識の總ての者を、マルキスト たらしめんがための活動と、コンミニストをして、彼らの鬪爭と呼 ばるべき闘爭心を、より多く喚起せしめんがための活動とである。 いへど

5. 日本現代文學全集・講談社版 67 新感覺派文學集 附 新感覺派評論集

「例の手拭か、あいつは困るね。榛名も云ってたよ。」 0 お田澤も「例の手拭」を想ひだすと不愉快になった。藤木の手洗に は何時も仲間で有名な汚い手拭が掛ってゐた。手拭かけでもあるこ 田澤は藤木の門をくぐると、玄關へはかからずに、傍の植込の狹 とか、釘を一本打って、それにだらりとタオルがぶらさがってゐ い間を、身を横にして通りぬけ、いつものやうに、庭に廻って、藤 た。タオルは上等だったが、年中薄汚れて、じめっと濕氣を含んで木の書齋の縁側まで、直に行かうとした。しかし彼はふと思ひかへ ゐた。よくこれで平氣でゐられると思はれる品物だった。田澤は、 して、一旦通り扱けた植込からまた門まで戻ってしまった。 いっか厭な經驗をしたのち、不用意に兩三度手を觸れて、ぞっとし たった今湯淺に會ったばかりだ、さうして湯淺が、あんなに激昻 はんから たことがあった。榛名に到っては、家を出るとき、常に二枚の手巾してゐたのを見たのだ、藤木だって或はけふは誰にも會ひたくない を用意して、別別の用に分けて使ふやうな男だったから、藤木の手氣持でゐるかも知れない、 さう考へると直に書齋へ行くのが躊 拭には心から降參してゐた。ーー滋子さんが何んなに綺麗に化粧し躇されたのだ。田澤は、門から踏む小砂利の音を立てて、玄關の格 てゐたって、あの手拭ちゃ、思ひやられるよ、と皮肉な微笑をもら子を開けた。 したことがあった。 出て來た女中は、田澤が玄關から來たのを不審さうに、 きよくにく 「困ったものだも、蜂の頭もあるかい、惡妻の極北さ。惡妻とは何「どうぞ。」と云った。 ぞやと聞かれたら、あの手拭を見せて一切解決といふいタものだ 「ゐるかい ? 」 よ。そいつを藤木が處分せんといふ法があるかい。それに惡妻、近 田澤も改まって訊かでものことを訊ねた。 頃やたらに惡文を發表するちゃないか。書かせる雜誌瓧も雜誌瓧な 「ゐらっしゃいます、お書齋に。」 ら書く阿呆も阿呆さ。なにが面白い ? 「さう。ーーー」 「そんなに脱線しちゃいかんよ。誰が何を書いたっていいぢゃない 田澤は、ぢや取次いでくれとも云ひかねた。いつでも案内を乞う か。君が書いたって、己が書いたって。賴みにくれや、己なんか喜 たことがないのに、今日だけ女中に都合を聞かせるのも、をかしな こんん んで書くな。」 ものだといふ氣がした。植込から玄關へ出直した根本は、藤木の不 「それや、誰が書いたっていいさ。だが滋子如き悪妻はいかん。大意を驚かさない心づかひだったのだが、實際になってみて、むやみ わけ 體、博士夫人だの、大臣夫人だのって、亭主が偉いからって何にな に改まる訣にも行かなくなった。彼は女中の手前、三和土の上に何 るんだ。藤木は成程偉い小説家の一人かも知れん、しかし惡妻は何時までも愚圖愚圖してゐられないので、 あたひ に價するものぞだ。あははは。ちとその暇に手拭の洗濯でもするが 「用もないんだが、」と言譯のやうに呟いた。「一寸遊んで行くか いいぞ。まあ君もこれから訪ねるなら、あの惡臭でもかいで來い。 「どうぞ。」 湯淺は、取ってつけたやうな嘲笑を殘すと、さっさと行ってしま 女中は相變らずにこにこしてゐた。で彼はすとんと勢ひょくステ った。 ッキを立てると、勝手知った廊下を奥の八疊へ、どんどん足音を立 てて向った。藤木の様子を見て、歸った方がよささうだったら、す たたき

6. 日本現代文學全集・講談社版 67 新感覺派文學集 附 新感覺派評論集

まま。いつまで山、またお歸りにお寄り下さる ? きっとね、さあ れしさうな顔が目に浮びます。ーーまったく機關車はやせ馬です。 6 尻っぺたをたたきつけられたやうな悲鳴をたてて汗みどろに下るの泳ぎませう。」 です。木材の新しい香が膚にしみ入る強さです。乘馬の呼吸でまた 手をひきます。水着のねばっこい濕りが鼻先をかすめます。すべ がってゐるのです。うつかりするとふりおとされますから ては矢つぎ早です。だから、わたしも急ぎます。岩かげで洋服をぬ ぎ、裸體で靑い波にまきこまれます。 川内に着きます。貯木場は日吉川の川口にあります。だから機關 車はそこで止ります。海岸まで山が迫り、岩が多くてろくな砂濱も メリイは巧みな泳ぎ手です。靜かな平泳ぎで、波の下から一文字 ない此の邊ですけれど、さすが貯木場附近は川口だけに、ささやか にむすんだロ許を見せます。うふふーーー例の白齒がもれると、顔を な砂濱を持ってゐます。川波が赤く照り返します。もう西日なので つきつけて眼をくりくりします。そして、すぐ方向轉換です。長い す。一哩の下りを十五分もかかるあの玩具汽車だから、夕方になる白い足が、わたしの眼許で、靑い波を蛙またに蹴ってゐます。 のも不思議もありません。わたしは機關車に乘って、機關の説明を わたしは水府流の一重のしで押し通します。女と泳ぐとき、クロ 聞いてゐました。が、所詮あまり必要もないことです。わたしは上 ールはがさっすぎますもの。まさか、もぐるやうな惡戲は致しませ りの空車に乘せて貰ふことを約して、砂濱に向ひました。山の濕氣ん。メリイは鎌倉の海にのたうつクロスワーヅ模様の水着を見せび を踏みつけた足が、久しぶりで乾き切った砂濱をぐんぐん進むとひらかしジャズのサキスホーンのメロディに似た脊筋の媚態を示すモ ダンガ 1 ルぢゃありません。 ろびろと胸がすきます。 「おや。」立ち止りました。岩かげに紺の水着の女がタ日を脊に受 岩かげにやすみます。メリイは岩にへばりついてゐる靑い貝をし けて、長い長い右手を高くかざしてゐます。 きりにむしってゐます。日は海面に落ちてゆきます。メリイの防水 「おーー・お。」 帽からはみ出した金髮が、その日を受けて頬に輝きます。ーー、な 女は叫びます。右手を下ろします。そして足が、美しい跳躍を砂ぜ、あまり足に食ひ人った水着でせう。呼吸が、鼓動が、乳房が、 地に殘して、こちらに伸びて來ます。紺の水着が伸び切った大柄な 心臓がーーあせた紺地にタ日があまり強すぎます。だが、禪の使女 肉體にねつく食ひ入ってます。だから、胸をひろげて走ってくる彼は尚も靑貝をむしります。その貝を、わたしは一つ奪って、ぼちゃ 女が近づくに從って、兩の乳房が、こんもり小山をつくって、ゆすんと波へはふりました。 ぶれて、わたしをぐいぐい招ぎます。 「おや。」靑い眼が上向きます。そして、その眼が水平線を見つめ 夕日を脊負うて、ぬれた素足で砂をはねかへして、波打際をメリてます。しばらく 可成りしばらく、 イが來るのです。 「あなた、愛人があってらして。」 「先日は。さあ泳ぎませうよ。今丁度時間なの。海はぬるいわ。く 靑い眼が鋧角にわたしに回轉したのです。 らげなんてゐないことよ。お父さんは風邪ひき。いえ大したことは ないの。どう、この水着。少し舊式ね。巧いでせうあなた。日がか 「あたし、ありますの。海のむかふーー札幌にゐますわ。九月には げるとだめよ。あたしいつでもここで泳ぐの。川内ぢやここきり 逢へますわ。」 よ。ほかはだめ。あの岩かげにぬぐといいわ。あたし、家からこの

7. 日本現代文學全集・講談社版 67 新感覺派文學集 附 新感覺派評論集

社會の底邊に生きる人たち、の観照が救いがたい虚無的色彩をもっ『綾里村快擧録』 ( 昭和四・ニ・改造 ) 等、發表當時、評判を呼んだ作 て描かれている。長屋の名刺屋の家に間借りしている夜店商人の夫品もあるが、あまり成功してはいない。私は、新感覺派の影響を濃 妻、女房が姙娠して働けなくなって、夜逃げしなければならぬ末厚にとゞめる『生ける人形』の純眞性をみとめたい。興信所員を主 を、『風騷ぐ』は描いている。これは、中風の良人を守って長年仕人公に政界と財界との裏面關係を衝いて圖式的ではあるが、映晝的 立物で獻身的に身をたててきた女房が、良人の死後、生活の ( リを手法によって、最後のどんでん返しまで、輕快に筋を運び、モダ = 失って乞食になる『仕立屋リ子の半生』とも、また貧民窟の居住ズムの適用をしている。新感覺派の影響下にあった『辻馬車』の武 者たちの運命を書き分ける『あの道この道』とも、通じるところが田麟太郎や藤澤桓夫も同じ轍をふむが、新感覺的表現を新興藝術派 ある。伊藤整は『仕立屋「リ子の半生』の基本テー「を「我の放棄流に風俗化すると、『生ける人形』の方向が現れてくる。現代の風 俗的な内幕物の原型がすでにここにみられ、プロレタリア文學とい から來る現世への無關心の發生」と要約し、『唐人お吉』にも通じ ると斷定した。十一谷義 = 一郞が、不幸な半生から、早く人生に絶望うより、ルクス主義による幼稚な暴露小説である。 『文藝時代』同人を退いた後に、『文黨』 ( 大正一四・七創刊 ) をおこ し、この如何ともしがたい成行を、冷靜に、シニイクに對決してい し、片岡鐵兵と同じく、プロレタリア文學に轉換した作家に今東光 るところに、新感覺派の意匠も生まれてきたのだ。 がある。一高出身でもない今は、第六次『新思潮』 ( 大正一一一・七創 片岡鐵兵は、十一谷義三郎とくらべると、まったく時代の子とい 刊 ) に、例外的に參加して、『文藝時代』同人となった。橫光利一 う感じがする。早くから投書靑年として知られ、『舌』 ( 大正一〇・ 八・人間 ) で文壇的出發をしたのだが、新感覺派の積極的な推進者が、今を目して、表現派、ダダイズムに數えた作品の一例として『軍 ・一一・文藝時代 ) を擧げておきたい。頑戸の造船所に であったのに、作品的には圓熟するところがなく、足早に、この時艦』 ( 大正一三 おける一一一萬噸級の軍艦の製作にあたって、設計、製圖から組立、製 代を歩み去った感じがする。 ・一一・文藝時代 ) は、暴風に難破した帆船の舵造を、斷章風に、集團描寫をもって、スピイディに表現している。 『幽靈船』 ( 大正一三 手が燈臺守の官舍の板壁に打上げられて死んでゆくとき、官舍の内この時代の詩的文章として = イクである。 今東光の代表作は、金星堂から出版された短篇集『痩せた花嫁』 部では燈臺守夫妻が爭い、やがて舵手の姿をみて失する様子を、 新感覺の手法で書いたスケッチ風の習作である。これが『色情文 ( 大正一四・一〇刊 ) を最初に擧げるべきである。著者は、「この小著 には一九二三年九月一日の關東大震火災の後、十月十六日の秋晴れ 化』 ( 昭和ニ・四・改造 ) のころになると、擬人法をもちいて、いっそ う新感覺派らしいスタイルをつくりあげ、當時の不安な瓧會、病的の一日、私がめぐり會った一人の驚嘆すべき女性、そして不思議な な人間を象徴的にみせるところまで行った。しかし、反面、構成カめぐり合せから、今では私の妻であるフミ子に係る物語が盛られて 解が足らず、たゞ時代感覺を瓧會的關心からのぞかせ、これを補う傾ある」 ( 自序 ) といい、「愛妻物語」という稱呼をうけいれている。 作向があった。古風な『綱の上の少女』 ( 大正一五・一一・改造 ) は一例で短篇集には表題の『痩せた花嫁』 ( 大正一四・一・婦人公論 ) 等の十四 篇が入っており、自序によって私小説的要素のあることは明かであ ある。ここに、プロレタリア文學に轉換する一原因もあった。 る。もちろん、「此等の物語に盛られた抒倩味は眞實であるが、敍 『生ける人形』 ( 昭和三・六・七ーー七・一一一・朝日新聞 ) は、轉換後に 現れた最初の新聞小説で、通俗性が濃い。プ。レタリア作家として事は必ずしも悉く事實ではない」ということもある。ここには表題 イ 11

8. 日本現代文學全集・講談社版 67 新感覺派文學集 附 新感覺派評論集

ざいます。 が根岸の厄介になるやうになったのは、妾の死んだ母親が病床で病 4 妾はこの奥様の御言葉を聞いても、別段自分を淋しいなどとは考と貧に苦しんでゐた時のことでございます。今はもうその母親も死 へませんでした。妾はもう隨分永い間、さういふ事に對しては自分んで、妾には身寄りの者は只の一人もございません・ : むらう を鞭って參りました。私はもう今ではさんとああいふ關係に立ち 入った事も別段きびしく自分の誤ちだとも思ひませんし、また根岸 の見せた女の手紙といふのはこれである。は私が讀み終ると の主人の厄介に四年もなった事も罪だとも思ってをりませんでし颯爽として云ひ放った。 「つまり復縁从なんだね。自分を汚した以上自分を捨てるな、とい た。妾は只もう何もなしに皆様の中に交じってかうして暮らしてゐ ふ意味なんだね。殊に根岸に別れたといふ所などはね。それからま るのが何よりも樂しい事だとばかり考へてゐるのでございました。 た辯解もあるね、つまり自分は母の爲めに犠牲になったといふ。 しかし、これは妾の夢でございます。夢は覺めれば消えて了ふも ね、さうぢゃないか。」 のではございませんか。ーーー妾は目が覺めてから、別段今の夢と關 連して考へたわけでもございませんのでせうが、突然、妙に、まあ 「違ふ、違ふ。」 と私はに皆まで云はせずにその時口を切った。「君は惡いとり 自分はなんといふ淫亂な女だらうと、ふと口に出して呟いて了ひま した。これは妾が今夢の中で云った自分の言葉と、實際の自分がし方ばかりをする。さうぢゃないんだ。これにはその女の人の苦しみ て參りました事とを思ひ合はせてふと呟いた事かも知れませんけれが出てゐる。この人は苦しんでゐるんだ。だがこんな立派な心の人 ど、實は、妾は初めてあなたにお目に掛った日の事を自分に思ひ出がどうしてそんな誤ちをしたんだらう ? 」 さう私はロに出して云ったが、またすぐそれを打消すやうにして して呟いたのに相違ございません。あの日の事は實は永い間の妾の 苦痛となってをりましたのでございます。突然街上で會った見も知云った。 らぬ男の方に、すぐその日に身體をまかせて了ふなんて。こんな女「いや、この誤ちは非常に美しい誤ちだ。この人は自分の夢を實現 しようとして君に身をまかせたのだ。何故かと云へばこの人は手紙 が他にございませうか。あなたはあの時分、妾をなんと冷やかな陰 氣な女だとお腹立ちにおなりでしたでせう。けれども實は、妾はあにも書いてある通り、非常に不運な境遇にゐるので、まだ人の優し い愛を受けた事がなく、祕かにそれに憧れてゐたのだ。けれどもそ の初めの日の妾の輕るはずみさが、いつまでも私を責め立てて妾に 自由な心の熱を與へて呉れませんのでした。人は最初が大事でござれが得られないので、黄燒の壺を眺めたり、さういふ靜かな樂しみ います。最初の汚れは二十倍の淸めを以ってしても洗ひ落せるものを自分で作ってゐたのだ。彼女はきっと草木を眺めるのも好きだっ ではございません。妾はあなたが妾をお遠のきになり出しました時たらう。また大や猫やさういふ動物と遊ぶのも好きだったらう。き にも、妾からお引とめするだけの元氣がどうしても出ませんでござっとさうだったに違ひない。そこへ君が現れたのだ。あの人は君が あの人を氣に掛けてくれたのが嬉しかったあまり、ついすぐに身體 いました。あなたはとうとう妾をお遠のきになって了ひました。 妾は先刻書きました涌り最近根岸と別れました。これは何もあなをも許して了ったのだらう。かういふ誤ちは誰にもある事だ。だが、 たに關係のある事ではございません。只妾は今までのさまざまな愚可哀さうに今ではもう諦めてゐる。他人の愛といふものに諦めてゐ かな弱さの大膽に氣付いて恐しくなったからの事でどざいます。妾る。そしてその代り自分の天國を作ってゐる。かういふ人に幸あ

9. 日本現代文學全集・講談社版 67 新感覺派文學集 附 新感覺派評論集

ろよさは、云ひしれぬ征服感に、七月の若い男性を跳躍させます。 は、眞中から自棄に折れたまま赤錆びに錆びてゐます。 ことごと 殊に、杣頭の源五郞などは痛快至極です。彼は今日切るべき林の 家といふ家、小屋といふ小屋は悉く釘づけにされて、橫にかし 中で一番高い木によぢ登り、その頂上から切るべき木をあちこち指ぎ、屋根ははがれ、窓は空腹な口をぼんやり開いたままです。僅か 圖してます。そして、最後に自分が登ってゐるままで、その木を切に眞直に建ってゐる廣い事務所の二階から、番人がねぼけ眼でぼん らせます。鉈と鉞が物すごく根株にきざみいります。鋸が憂鬱な刃やり沖合にただよふ煙を見すゑてゐます。竪坑に土が埋り、もう秋 音で喰ひ入ります。葉の枯れた箒木のやうな枝が、斷末魔のうめき草が喙いてゐるではありませんか。 に身もだえします。刃音は愈よ鐃くなります。ぶるるん。空地に方 沖を通る汽船は何故汽笛を鳴らすのでせう。晴れきった七月午前 向をとって、邊に大木は倒れてきます。源五郞は、その頂にしつか の靑空にその音が空虚にひびき、番人は、ここまで聞える大あくび りすがりつきながら、木とともに横倒しになってきます。そのまま をして首を引込ませます。毒々しい南蠻鳥が、事務所の屋根で、夏 地上にたたきのめされるーーーその瞬間、源五郞はひらり身をかはし の孤獨を訴へはじめます。 ます。突如枝から手をはなし倒れた大木の横にすっくと立って手練「敎會はあすこでありました。」 のほどをほほゑむのです。 案内の源五郞は、右手を軍隊式にのばして事務所の左側を指さし かうして、日の入合まで働きつづけます。此の頃ですと、六時ま ました。ミセス・アンダアゾンが主の御許に上天したその家は、ピ でです。實に十三時間の勞働時間なのです。そして杣小屋に歸り、 サの斜塔のやうな尖塔をいただいて、西にげんなり曲ってゐます。 給金を受け取り杣頭に保管を託し、夕飯を腹一杯食べるのです。 此の下北半島の杣小屋に、驚くではありませんか、ビクタアの素 敵な蓄音器が備へられてゐるのです。杣たちが金を出し合って買っ 森林鉞道に乘ってゐるとーー小柄な貨車に積んだ材木の上にまた たのださうです。レコードはむろん安來節浪花節が大部分を占めてがり、煙突ばかり不似合に大きい玩具のやうな機關車にひかれなが をりますが、昨夜、山の端から登る月に向ひながら、放尿してゐる ら、山の中腹から左に笹藪の間を流れる澤の水音をきき、右に遙か と、杣小屋の丸太の隙から、エルマンのユモレスクを奏でる音が、 靑い海の波頭を見て、水色に晴れた大空の下を、とろとろ下ってゆ 星空にむせぶのです。今夜は、近所に熊の氣配がするといって、源 くと、快活な滑稽が胸にこみ上げてきて、ついなんとはなしに、夏 五郞が得意の鉞砲をかつぎ出した此のユリン。ハ澤でです。 の山に向って大聲で笑ひ出したくなるのです。 かうして、わたしは、ユリンパ澤の新田から川内に下ってゆくの 一 0 です。此の機關車の牽引力は十一臺がマキシマムなのでした。とこ の 杜甫が吟じた、城跡に靑草が茂ってゐる情景なら、まだしも餘情ろが、わたしと源五郞との斷定が巧くあたり、昨日から十二臺を何 があります。けれど、安部城の度鑛の跡は、全く此れこそ所謂亡國とか引いて川内まで下るのです。 の慘从とも申しますか、殆ど眼をそむけずにをれません。安部城は 「それ見ろ。」 二三年前發鑛になったのです。盛な頃は赤く濁った雨雲の様な煙を 機關車が煙を間斷なくたてて泣きわめきながら、十二臺を引き出 3 吐いて、 = リ , パ澤のいばをあんなにまで枯らしてしまった大煙突した時、勝ち誇った大音で、他の杣頭に威張り散らした源五郞のう

10. 日本現代文學全集・講談社版 67 新感覺派文學集 附 新感覺派評論集

6 夕刊小説「ロ笛吹いて」を始め「新潮」「新となる。六月、「生ける人形」 ( 「東京朝日」 ) 、八同時に、出獄したら世間から振り向かれもし 小説」などに執筆。時事新報での創作月評は月、「面白くなる」 ( 「改造」 ) 、「年少の友」 ( 「新ないだらうといふ覺悟をしなければ出來ない 川端康成・石濱金作・横光利一・中河與一ら潮」 ) 、十一月、「ある經驗」 ( 「戦旗」 ) 。ほかに轉向だった」 ( 「梗概的自傳」による ) 。處女作以來 若い世代の共鳴を得た。同十三年、上京後の「明るき日の物語」 ( 十一月「婦人晝報」 ) などの少の主要作や隨筆を集めた『片岡鐵兵全集』全 十月に横光・川端らと同人雜誌「文藝時代」女小説や通俗小説も書き、左翼作家であると一卷 ( 改造社 ) が出る。同八年、十月、刑期の の創刊に携わる一方、同月創刊の綜合雜誌同時に流行作家ともなった。十一月、國際文四分の一を殘して出獄。十一月、「敢て宣言 「世紀」編集にも關係した。「文藝時代」は千化研究所創立に件い機關誌「國際文化」に關する」 ( 「文藝春秋」 ) 。『女性讃』 ( 改造瓧 ) 上梓。 葉龜雄によって新感覺派と命名された。片岡係し、所員となる。同四年、一月、「大島爭岡山市 ( 轉居した。昭和九年、二月、「組合 は「若き讀者に訴ふ」 ( 大正一三 ・一一一「文藝時代」 ) 議君」 ( 「新潮」 ) 、「打倒六鄕會」 ( 「戦旗」 ) 、「爭議せ」 ( 「文藝春秋」 ) 、六月、「陋」 ( 「中央公論」 ) 、十 や「新感覺派の表」 ( 大正一五・四「新小説」 ) など小話」 ( 「創作月刊」 ) のほか「女性讃」 ( 「婦人世一月、「ダンス・ホール」 ( 「文藝」 ) など。東京 の論文で、横光とともに新感覺派の論客とし界」 ) 、「太刀打ち」 ( 岡日日新聞」 ) を連載。一一淀橋區に轉居。同十年、一月、『花嫁學校』 て活躍した。雜文・創作ともに量産著るしい月、「綾里村快擧録」 ( 「改造」 ) 。掲載誌はこの刊行 ( 中央公論社 ) 。三月、「苦痛」 ( 「文藝春秋」 ) 、 が、この期の創作集に『にがい話』 ( 大正一四・ほか「キング」「少女倶樂部」「サンデー毎四月、「怨憎會」 ( 「改造」 ) 、七月、「第二の更年 春陽堂 ) 、『睡蓮』 ( 昭和一一・文館 ) 、「綱の上の少日」など多岐にわたる。創作集では『片岡鐵期」 ( 「中央公論」 ) 、九月、「現代の幸語男」 ( 「改 女』 ( 昭和ニ・改造瓧 ) があり、少女小説集『薔兵集』 ( 平几社 ) 、『新撰片岡鐵兵集』 ( 改造社 ) 一が造」 ) 、十月、「あねいもと」 ( 「主婦之友」 ) 連載 薇の戲れ』 ( 昭和一一・講談社 ) 、感想集『モダン・ある。同五年、「アデ太プロ吉世界漫遊記」↑一年ナ月完 ) 。同十一年、一月ーー・四月、「戀 ガールの研究』 ( 昭和二・金星堂 ) もある。 ( 四月「戦旗」 ) など。五月に大阪で「娘三人記」愛悲小史」 ( 「オール讀物」 ) 、三月、「變質の分析」 大正十五年十一月、片岡元彌の長女光枝と結 ( 「大阪朝日」連載 ) 執筆中、第三玖關西共産黨事 ( 「文藝春秋」 ) 、「壓迫」 ( 「文藝」 ) 、四月ーー八月、 婚。昭和二、三年の交に左【傾 ( 左轉換 ) する。件で檢擧された。二カ月の未決拘留ののち保「朱と綠」連載 ( 「朝日新聞」 ) など。評論に「長 この系列には「色情文化」 ( 昭和ニ・四「改造」 ) 、釋。保釋中の居住制限のため西宮市に轉居。篇小説とモフル」 ( 一月「新潮」 ) などがある。 「金錢に就て」 ( 昭和ニ・六「新潮」 ) 、「小兒病」 ( 昭創作集『太刀打ち』 ( 日本評論瓧 ) 、『歩きっゞけ『鐵兵傑作全集』全八卷 ( 非凡閣 ) の刊行始ま 和三こ「新潮」 ) 、「藝術の貧困」 ( 昭和三・ニ「中央る男』 ( 改造社 ) が出た。同六年、一月、「愛情る。同十二年、一月、「摩擦」 ( 「中央公論」 ) 、一 公論」 ) など、エッセイでは「片岡鐵兵論」の問題」 ( 「改き ) 、五月、「第三の戀」 ( 「婦人公月・ーー十二月「幻の瀑布」 ( 「現代」 ) 、一月 ( 昭和三・三「新潮」 ) 、「余の左傾と前藝入りに就論」 ) 、八月、「發端」 ( 「改造」 ) 、「今度こそ」 ( 「中翌年一一月、「風の女王」 ( 「日の出」 ) など、涌俗 いて」 ( 昭和三・五「改造」 ) などがある。同三年、央公論」 ) など。五月、大阪地方裁判所で懲役小説の連載多し。同十三年、七月ーーー翌年七 前年度に活躍した力量ある作家に與えられる一一年の判決と同時に保釋を取消され未決につ月、「榮華繪卷」 ( 「講談倶樂部」 ) ほか。九月、漢 渡邊賞を受賞。三月、舊勞農黨に入黨し、前ながれた。控訴する。同七年四月、控訴棄ロ攻略戦に從軍のため渡支。同十四年、一月 衞藝術家同盟に加わる。三・一五事件以後、却、大阪刑務所に下獄。九月、獄中で轉向を 六月、「風のやうに」 ( 「都新聞」 ) 、二月 五月からはナップ ( 全日本彝産者藝術聯盟 ) の一員聲明。「生命が惜しくなって轉向したのだが、翌年二月、「生侖ある河」 ( 「富士」 ) 、八月