十八、二十、兩日の書は、日本の文明及び思想界に對する嘲風 敎の消滅的涅槃が大乘佛敎に於て大我久住の積極的涅槃と轉ぜし あづか 6 同一の變化は、必らす彼れの思想系統に與らざるべからす。嘲風 の感慨を漏らし、ニイチェに對する日本人の批評の妄誕なるこ と、畢竟是の如きは本邦學者の心中には一も摯實なる煩悶と勇猛 はニイチェを以て是の思想の發展者と爲し、而して是の思想の發 もとづ なる健鬪なきことを證すること、苦心なき文明には精なきこ 展は啻に彼れが先人の學説に本きしのみならす、實にショー ハウエル其人の人物に於て活ける動機を受取りしなりと説き、是 と、終りに馬骨人言の著者に言ひ及びて、その全くニイチェを知 らざるに呆然として言の出づるを知らざりきと云ひ、此の如き人 の如くにして天才の尊貴と個人の威嚴とを證し、遂に超人の大理 つまびらか にはニイチェの學説など説明するよりは其人物を紹介する方早道 想に到逹したるまでの徑路を審にせり。然れども嘲風は尚ほニ あきた おもへ イチェに慊らす。以爲らく、ニイチェの個人主義に於て拭ふべか なる・ヘしとて、嘲風が其の師友ドイッセン氏及び其妹プフィトマ らざる汚點は其の排他的、獨奪的なるにあり。彼れが主張する意 イヤ夫人に就いて自ら見聞ぜるニイチェの人物を描寫せり。 志の直進は必ずしも非ならずと雖も、共の意志や餘りに孤獨也。 是の論文に就いて予はに何等の讃辭を加ふること無かるべ 彼れは是の孤獨なる意志のカの爲めに己れ自らの中に敵を見、己 し。唯是の如きは當代人心の苦悶を色讀し、且っ其の救濟の道に れ自らに對して怒るの悲慘なる境涯の中に此世を去りぬ。是れ吾 於て體逹したる人に非れば決して書し能はざるの文字なることを 人の忍び能はざる所也。そも / \ 個人の存在と離るべからざる意 一言せむ。予は讀者諸君が是の書によりて如何の感興を得べきか 志は自他遂に融合の道無きや。他を排せずして自ら滿足する能は を聞かむことを望む。 ざる乎。嘲風は是の疑間の解決をワグネルに得たり。是に於てか 本篇に圈點を附したるは全く予の私意に出づ。著者の關知する 彼れのワグネル問題はち人生最高の間題山。此の一段に於ける 所に非ず。 嘲風の意氣文章共に亦天籟の響あり。予は讀者が特に是點に注目 終りに讀者諸君に告知すべきことあり。本篇は見らるゝ如き長 し、退いて自ら靜思する所あらむを希ふ。 文なるを以て本來一回に掲載すること能はざるものなれども、是 べンハウエル、ニイチェ、ワグネル、三者の比較論は十 を中斷して兩回に分載するは甚だ殘念なれば已むを得す子の執筆 七日の書に入りて一轉して日蓮、基督、ポーロの比論となり にかゝる評論欄の紙面を割いて是に充つることゝせり。 ぬ。嘲風は予の日蓮崇拜に多くの同情を有する能はずと告白し、 是の故に本號の評論欄は啻に雜談の一項を以て責を塞ぎ、一切 而して其の理由は日蓮はワグネル的なりしよりは尊ろニイチ工的 所期の論評は是を號に回附せり。 樗牛生己 ならざりしゃの疑ひあるが爲なりとし、經文の字句を崇拜し、大 卅五年五月十四日 乘有縁説によりて國家の外護を迎合するが如き態度は宗敎家の耻 去る九日僕が新寓に移りし日、君が四月一日の手簡に接し、昨又 辱なりとなし、予が日蓮を基督に比せるに對して、寧ろ使徒ポー 口に近しと論斷せり。是の一段の批評も亦極めて趣味ある文字に同九日のを受けとりぬ、君は病に臥して毎に僕を夢み、僕は他鄕千 里の外に漂遊して、常に病める友を思ふ、事悲むべく、情は慘なる して、文藝宗敎に志ある者の再讀を要求するの權利あるもの也。 但し日蓮上人の批評に關しては、予の見るところ多少嘲風のと同も、此悲慘の中に、此離別の友情の中に、人生の甘みは存せずや、 悲哀の調ある愛、悲痛の事情に發する愛が最も人の心情に銘する消 じからざるものあり。他日を待って細説するところあるべし。 △△ ふさ 一口
に對する反省考察から成り立って居るのであるから、或は誤解があ があるさうである。その事の明かに知悉せられた時には、已に次の モメントに移らんとして居るものであるといふ意味に聞いた。我々 るかも知れない。この邊は特に文藝史や哲學史の知識に豐かな諸君 の經驗に於てもこのことは事實である。我々が我々の生活に批判をからの敎示を願ひたい。さりながら根據も理由も何もない様な漫罵 加へる時には、多くは已に其の生活を離れようとして居るか、又はは、固より受附くる義務を感じない。 少くとも一わたりの經驗を經て來た後のことである。今日自然主義 といふものも、批判せらるべき時代になったのであると思ふ。 あきた 自分は嘗て國民文學欄で片上天弦君と、自然主義の本領範圍につ 然しながら一言辯じておきたいのは、我々が自然主義に慊らない と云ふことを、直ちに自然主義を脱却してしまったことの樣に云ひ いて論じた。これについて片上君は四月の早稻田文學誌上で、自然 なすのは、自ら爲にする所の誇張である。自然主義を以て近代主観主義の主觀的要素と題して、自分の所説に對して非難を試み、又片 の一切を盡すことの出來ぬは勿論である。又自然主義を以て近代文上君自身の考を詳説して居られる。然し不幸にして自分は片上君の 學のあらゆる要素を盡すことの出來ないのも勿論である。然しなが説によって、自分の嘗て同君に提出した疑間の解決せられたるを見 ら近代思想近代文學の中に、自然主義的要素が重大なる位置を占めない。自分の自然主義觀は同君によって一つも改められない。しか て居ることは、恐らく誰人も疑はぬ所であらう。我々にとって自然しこの前の自分の文章は短くもあり、又自分でも粗笨であると思ふ 主義はアルフアにしてオメガではない。しかし我々が向後全然自然から、今又同君の所説を批評して、更に自分の自然主義に對する考 主義的思想を脱却し了することが出來るか否かは疑問である。又自を述べたい。文學上の自然主義といふことを全然描寫の上にのみ限 然主義が文學上に取った方法の如きも、向後尚ほ長く用ゐられるも る人もあるが、片上君は在來の所説でも又今度の論文でも、いつも のもあらう。唯吾人が自然主義的思想を以て物足らずとして、更に自然主義的人生觀と離さないで論じて居られる。供もこの點は同感 であるから、主として人生觀の方面からして文學上の自然主義に論 何物をか求めんとするのは、吾人の要求であって又自由である。 自分が今迄自然主義について論じたのは、主として自分の問題と及したいと思ふ。しかしかかる問題は今迄度々絮説を累ねたことで してであった。自然主義的思想人生欟は、自分にとって強き興味をあるから、往々にして重複の點があるであらうと思ふ。 位 牽く所の問題である。自然主義に對する自分の考が何れに傾いた所 の 主が、それは何々派の攻撃何々派の辯護を企圖してのことではない。 る 自分の考へる所では、自然主義の本領はあくまでも現實に終始す 自分の自然主義に對する興味の中心は、人生観上の自然主義であ け 於 る。從って又文藝上の自然主義、哲學上の自然主義にも興味を感ずる點にある。印ち人生觀上に於ては、あくまでも現實を離れず、現 に 義 る。しかし自分は決して歐洲の近代文藝を「かみしめた」とか、精實そのままの生活をなし、藝術上に於ては、この現實をありのまま 然 訷を了解したとかいふことを、天下に向って公言し得る勇氣と資格に描寫するといふより外には出でない。 しかしながら今迄度々いった如ぐ、唯單に漠然と現實の二字を振 とを兩つながら缺く者である。自分の文藝に對する知織は極めて淺 かイ、 り翳した所で、自然主義の能事了れりとしたものではない。現實と 薄である。又哲學上の自然主義とても詳しくは知らない。自分の自 然主義に關する議論は、主として自分の貧少な經驗や、又この經驗いふ語を極めて廣く解すれば、吾人の經驗意識に上るものの一切す ふた そにん かさ
227 小泉先生 ら筆を下されたのでもなく、況やまた之を世に公にする意志は少し 批評論としてでなくただ講義として、私は今その内容に就いて思 しようよう も持たれなかったのである。或人が生前この講義出版の事を慫慂し 附いた二三の特徴を擧げよう。多くの點に於て先生の講義は天下一 かいざん た時、先生は言下に之を斥けて、「あれはまだ十回十五回の改竄を 品であったからだ。 要する。よし改竄を加へても、それだけの勞に値するものでは無 先生はその稀世の名文を以て、我が日本の美を西人に紹介せられ い」と答へられたさうだ。文章に非常な苦心をして推敲改竄に細心 た第一人であったと共に、またその趣味饒かなる講義を以て、日本 の用意を怠らないのは、東西古今すべて皆藝術的良心ある名匠の常の學生に正しく西歐の思想と文學とを傅ふるに最も成功した外國敎 である。かの紅葉山人の如きは書いては直し、直しては書き、餘白師であった。東西兩洋の間に立つ紹介者として、先生をしてその天 が無くなって遂には紙を貼り付けてまたその上を直すといふ有様。 職を全うせしめたものは、獨りその流麗明快なる筆舌と該博なる學 其原稿紙は遂に糊のため板の如くなり、書き人れと線と、墨で消し 殖とのみではなかった。徹頭徹尾眞の世界人たる先生の特異なる人 た跡とが交錯複雜して、眞に活版屋泣かせに成ってゐるのを見て、 格が然らしめたのである。小泉先生は英國人でもなくまた米國人で 私はつくづく感心した事があるが、小泉先生は自著を世に公にせら もなく、さればとて純粹の日本人では無論なかった。國土や國民に れる時、いつもその苦心は非常なものであったと聞いてゐる。一度執着せんとする何等の偏見なくして、足跡は世界にあまねく、到る きゃうてい 書き上げた原稿は數日間故意とこれを筐底にをさめ、よほど時經て所に美を見出して之に同情し同感し、十分に之を享樂し得る人であ のち、更にそれを取出していくたびか添刪補訂し、十分意に滿つる った。西洋人以上に西洋を理解すると共に、日本人以上に日本を理 までは決して之を公にぜられなかったと聞く。世界を驚かしたその解した人であった。かくの如き浪漫的な人格を有った人は、世界に 一代の名文はかくの如くにして成ったのである。從って敎室で爲た於て先生ただ一人あるのみと言っても過言ではあるまい。この點に 講義をその儘、稿本や筆記によって上梓する事は如何なる事情のも於て先生の如きは空前にしてまた恐らく絶後の人であったらうと思 とに於ても先生としては眞に堪へ難き事であったらう。だから私はふ。 今此書を一個の文藝評論集として見るよりも、單に講義として評す 日本人が日本で西洋文學を講ずる事が至難の業であると同じく、 る事の正當なるを思ふのである。今もし先生を地下に呼び起して此西洋人が日本に來て西洋文學を講ずる事はなほ更に困難な仕事であ 書を示すならば、文藝批評としては先生自らと雖も意に滿たぬ節々 る。外國の大學に於ける研究法ーー・しかも舊式な研究法を其儘に應 が頗る多からうと思ふからだ。 用するなぞは固より言語道斷であるが、西洋の文學評論の受賣をし lnterpretations of Literature. By Lafcadio Hearn. て能事畢れりと爲す如きに至っては、學生こそ眞によい迷惑である。 Appreciations of Poetry. By the Same. 日本を愛し日本を研究し、日本婦人と結婚せられた先生は、松江中 Life and Literature. By the Same. (PubIished by Dodd 學や熊本五高に敎鞭を執られた長い間の經驗に徴して、日本人の物 Meod 雀 Co. New York) の考へかた、物のかたが西人と全く異なれる點を十分に理解せら れた。此經驗と此理解とを以て、先生は東京大學の英文學講座を擔 三その特色 任せられた。そして日本人の詩、日本人の思考法に適するやうに 英文學を説かれたのであった。試に此講義集中の如何なる一章をで いはん をは ロマンティク コスモポリタン
る。で、匇々として明治の幕が閉ちて大正の時代に入るまでに、こ の日本のあらゆる文物制度は模倣の物質文明を以て滲透し盡された かの如き觀がある。 今日の我國の情態は皮相な樂者の思惟する如く「若き日本」に あらずして、自墮落に早老した「世紀末」の國家である。民族の頽 が慢性的徴候を帶び出して、それが自棄と驕慢の相に變らうとし ちゃ てゐるのは、宛うど廿年前の佛蘭西を想はしめる。今日マックス、 ノルダウをして日本の地を蹈ましめば、彼はこの極東國に於て彼の 現代文明を評し、田來の新文明を , 「す學説を證據立てる好個の實例を發見するに相違ない。 しかし斯様な从態が永く續きうるものであらうか。一文明が爛熟 してその弊害に耐へられなくなる時に、更に新しい文明が起るべき 筈である。順當な生命の進化に於ては、爛熟はやがて更新の前兆で なければならない。昔から生存力の旺盛な國家が、頽發のどん底か すく ら新意志を創造して、一夜に生れ變った例は尠なくない。これが革 命の奇蹟である。現下の瓧會が何となく物々しい動搖の兆候を示 いはゆる し、所謂「大正維新」を仰望する聲の諸方から聞えるやうになった のは、かやうな點から見て先づ祝着の至りである。それは疲弊と倦 す十九世紀の後半から現代へかけて世界を風靡した物質文明は、人怠との空氣に耐へ兼ねてゐる現代國民の切迫した要求である。生れ かゝってゐる新しい民族意志の無意識的努力である。 を類が嘗て罹ったことのあるいろど、の病氣の中でも、一番大きな、 果して然らば將に來るべき斯の新機運はどういふ性質のもので、 文そして危險なものであった。 新 また如何なる道を採るであらうか。之に對し我等はいかなる覺悟を 日本が西洋文明を採り入れ始めた明治の初年から三四十年の間と の あちら 當いふものは彼方でも此文明が旺盛を極めた時期で、それを我國民は必要とするか。是等の研究はその當然の前提として、先づ現代文明 し何のことはなしに、その儘無差別に模倣し吸收して、政治に、法制の批判から初まらなければならない。 へう ~ っ に、思想に、藝術に、唯だ剽竊を之れ事とする有様であった。わが を 國民の頭腦には、最近の物質文明が西洋文明の總てで而かもその文 代 先にも述べた如く、現代の物質文明は、ひとり我國ばかりでな 明は唯一最高の文明であるかの如く映じた。 現 凡そ今日の如き急轉直下の世の中に於て、四十年は決して短かいく、歐洲の一角から起って世界の隅々まで浸潤し盡した一大時代傾 歳月ではない。あらゆる物は加速度を以て變化しつゝある。時には向である。日本はたゞ之を後入的に模倣し、そしてその爲めに征服 數年、數ヶ月の日子が百年の舊慣を打破するに餘りあることさへあされたに過ぎない。されば世界共通の斯の文明を批評することは、 中澤臨川 かっか、 ふうひ パイタリチー フランス
2 4 くわんじよ 氣燼とやらを吐かん爲のみ。「若い衆が發起の臨時祭と同格で、飮 讀者は、余が失言を寬恕ぜよ、著者が動機如何は、固より余の知 みたさ踊りたさが主で、知らぬが怫のさまは、ほんのダシ、遊び る所。然れども、その述作を讀みたる余は、實に此の如き斷案を下 しゃうりゃう がすめばお精靈さま同様、責任も何もかも一切しょはぜて、西の だし得るの利あるを信する者なり。 海へサラリ流さうの寸法なら、尚以て妙案」ならん。 余は再び著者に間はん。著者は果いつ、著ゅ扉物「〕印鉚知 おき 然れども、茲に別に看過しがたきニイチェ歡迎の根本的理由あ さへ有するかと。書齋的勇氣の眞の勇なりや否やは、暫らく措て論 り。何ぞや、今の多數の老若、男女、貴賤、上下は、既に實に於てぜざるべし。唯著者はニイチみを以て、何人も有し得べき畠水練的 ニイチェ宗の大の歸依者、信者、實踐家たること是なり。ニイチェ勇者なりとせり。然るに著者の如きは死者、未見の學者、異國の學 ののし の學説は單にその實に名義を與へ、是認を與へたるのみ。 者を罵れる自己の文に、堂々その名を署することを得ざる程の、勇 たやす 爰に不可思議なるは、モルモン宗の、同じく實に於て歸依されななきものに非すや。果然書齋の勇は容易きものにはあらざりけり。 がら、歡迎されざりしことなり。宗旨にも運と不運とあるは是非も 余は三たび著者に問はん。著者御著者の文む獨物に醂譯い、彼 なし。云々。 國のニイチェ論者に見せしむる勇あるかと。若しこれあらば、余は 以上は、余が馬骨人言を讀みて、余がその大綱と思惟せる所を列著者の無法なるにかざるを得ず。若しこれ微かりぜば、余は著者 きっせき 擧せるものなり。若し余の解釋にして誤謬なかりせば、余は、馬骨 が吾文壇を侮辱せるを詰責ぜざるを得ず。 人言を以て、明治文學に出でたる最も無責任なる、最も粗暴なる、 余は四たび著者に問はん。著者はいかばかり、ニイチェの書を讀 まこと きは 最も淺薄なる評論と斷言するを躊躇せざる者なり。 破ぜると。洵に中央公論記者のいへる如く、ニイチェ主義の如何を究 はばか、、 みたり 余は先づ著者に問はん。著者は何が故に、若しくは何の憚る所あめずして漫に雷同附和するは極めて笑ふべし。然れども、淺薄なる いたっ りてか、無名を以てかかる長文字を公にせるか。通常文壇の評論等智識を以て、徒らに攻撃罵詈の言を放つは、啻に故人に對して無 けだ に於て、匿名を用ゐる場合は、蓋し三様あり。その一、著者がそのなるのみならす、その所行や最も憎むべし。これも中央公論記者に 處女作を以て己れの價値を世間に間ふとき。その一一、著者が己れのなりしと覺ゅ、馬骨人言は近來の大文字なり、學殖盟富、識見高邁 述作に慊らざるとき、ちその作の己れが令名と相件はざるを意識なりと賞讃ぜり。大文字とは恐らくは長文字の誤植なるべし。識見 して世間の批判を恐るる時。その三、己れが地位境遇等に、その文高邁といふ如きは、偶、、自己のニイチェに關する智識の皆無を表す の累を及ぼさんことを恐るる時、是なり。此他の場合に於ては、漫るに過ぎす。憫笑にだも價せざるのみ。馬骨人言の著者は、自から りに匿名無名等を用ゐるべきものにあらず。要するに、匿名無名等獨逸語を知らすといへり。獨逸語を知らざる人の今日、ニイチに を用ゐるは、多くは己れが責任を免れんとする、一片怯糯なる精劔 關していかばかりの評論をかなし得べき。余を以て漫に獨逸通を振 に出づるは、言ふまでもなきことならん。 り廻す者となすなかれ、「ザ一フトフスト一フ」一篇の飜譯を以て、ニイ 第一、第三の場合には、馬骨人言の著者、恐らくは與からじ、然チェを知らんとするは、人の足を撫して、その容貌を知らんとする あひかな らば、著者が特に無名を以てぜるは、その評論の自己の令名と相適よりも、愚なるを如何せんや。しかも、余は「ザフトフ - スト一フ」一 はざるを想ひての卑怯なる責任免れよりならんやも、知るべから篇さへ、果して著者が精讀の榮を得たるや、否やを疑はざるを得 ず。 ず。高山君も既に評せる如く、ニイチェが個人主義本能論等の眞相 るゐ ここ あきた を - えしゃ みだ びんせう ただ
知らずとの謂なりしか。ニイチ , 一が思想家たる價値を疑ひ、天才を士の所信は、衽ぐべからす。而して今日の新聞小説及び新體詩等を いくばく 笑ひ、はた其詩人の名稱を拒否せし先生の言は、轉生論超人説を無通覽するも、その能く危險ならざる者果して幾何ありや。先生の如 がんきうしうとうたた ひんしつ ケエテも危險なり、ダンテも危險なり、ハイネ き見地を以てせば、。 視しての評なりしか。古今人物の評傅品隲は實に汗牛充棟啻なら ず。しかも奇怪權變を極む先生の文の如きは、實に絶えて無くしても危險なり、シ = ヱクスピャもまた危險ならすと云べからす、あら ことごと 稀に見る所なり。自からニイチ = の全評を下だしながら、人のそのず、あらず、一切の詩人小説家は悉く危險なる思想を傅〈んがた めに、斯土に生れたる厄介物となり了すべし。倫理に精通し、幼弱 言ひ及ばざる所を指摘して、之に對する先生の意如何と問ふとき、 こは純空想なり。現世間と關係なし、余は = イチ = の惡感化を説け敎育の閲歴たしかなる先生の、嘗ては日本雎一の劇詩人と仰がれ玉 るのみなり、その他を説かざる何の異しむことかあらん、とこたひながら、いかなる風の吹き廻しにや、今や、十九世紀末の偉人を ふ。嗚呼之をして怪まずんば、世に何者か怪むべき。吾等を以て見捕ら〈て、危險呼ばはりの下に無價値の宣告を與〈、縁日の見世物 しろもの れば、ニイチ , 一の轉生論、超人説は、實に = イチ主義の大眼目た同様の代物なりなど絶叫さるるが如きは、これ亦先生の所信として り。その個人主義も、善惡價値轉倒論も一に之あるが爲に活き、之動かすべからずとせば、そは先生の一家言として猶ほ忍ぶべし。然 あるがために理想となり、宗敎となり、詩歌となる。先生は純空想れども、五〔等の如き、空想によりて安慰を求め、詩歌によりて慰藉 を得、天才偉人によりて人生の價値の甚大なるを知らんとする者の を貶することに於て、妙を極むる人なり。余は敢て先生に問はん、 純空想は何が故にしかく賤しむべきものなるか、空想を外にして詩所信を如何せんや。趣味の間題は飽くまで個人的なり。甲の利とす 歌ありや、文學ありや、はた宗敎ありや、嗚呼常識を貴ぶの弊は遂るところ、乙必ずしも之を利とせず、丙の危險なりとなすところの ひっきゃう もの、丁は却て之を推奬するが如きは、畢竟その事の趣味の問題に に此の如くならざるを得ざるなり。恐るべし、恐るべし。 歸着するがためにあらすや。余は殆んど先生の問に對して答ふる所 先生問うて日く。吾國に於けるニイチェの價値は如何と。 以を知らざるなり。 答へて曰く。獨逸に於けるニイチェの價値は、則ち一吾國に於ける 先生また問うて曰く。汝がニイチ工との關係は如何と。 ニイチェの價値なり。而して余が今日ニイチェを祖述する所以は、粗 そん 答へて曰く。余は甘んじてニイチェャンの稱を受くべし。然れど ぼ余が粗笨なるニイチェ論に於て既に説けるところなるが故に、今 も、余は寧ろかかる名譽を與へらるるほどの才なきを恥ちざるべか 再び詳述するの要なかるべし。唯鉉に辯すべきは、先生の所謂危險 如何に在り。余は先づ先生に反問すべし。一切の思想家、一切の詩らす。余はニイチ , 一を嘆美するものなり、ニイチを渇仰するもの 人等の述作に對して、利害の標準若くは危險の有無等を以て、批判なり。この嘆美渇仰の念は、遂に余を驅て = イチ主義を鼓吹唱道 せしめたるのみ、豈に他あらんや。余は洵に先生のいはるる如く、 答品隲をなすことの、いかばかりの價値あるかと。加藤博士は、嘗て くわうふんし 生「賣淫は何が故に不德なるか」とい〈る破天荒の問題を出されしこ身未だ自立にだも逹せざる年少の黄吻兒、幼弱敎育の腕前たしかな 骨とありき。是れ豈に危險なる思想にあらずや。然れども、唯物主義らす、閲歴未だ豐ならず、心理に通ぜす、倫理に逹せざる一靑年な り。しかも生れて何の多幸ぞ、ゲエテ、シルレルの國語を學びたる の見地に立てる博士の所信は、動かすべからず、元良博士は、その 心理學の講演に於て、音樂の影響を解きて、琴を貶し = 一味線を推奬縁に因みて、身千里を隔てながら、十九世紀紀季の一大偉人の謦呀 されしことありき。是れ豈に危險なる立論にあらずや。然れども博に接することを得、以て、今日の如き常識主義橫行の世に於て、沒 いや いかに まこと
片上君の誤は、純粹に自然主義的でないものを偏に自然主義なり この點に於て自分は田山花袋氏の作家として行くべき所まで行かう と強辯せんとする點にある。 とする態度を壯なりとする。片上君は客観尊重、排主といふこと 自然主義の文學が物質的人生觀を偏に主張するといふことは、或を偏に描寫の上にのみ限って居られる。そして日ふには、一主観の は事實でないかも分らない。然しながら自然主義の文學に於ては、 動搖を表白するのであるが、唯抒情的情緖的に歌ふのではない。其 物質的器械的人生を、眼を蔽へども耳を塞げども認めざるを得ない の歌ふべく想ふべき主觀の動搖を引き起した外的物的の諸事物諸事 現實の姿として認める。吾人の主觀がこの爲にどんなに壓迫せられ件を出來るだけ客觀的に描寫して、その殆ど純客観的に描出せられ ても、如何に焦燥苦悶しても、この現實を脱せざる所又脱せんとせたやうな結果が、その諸事物諸事件が招いた主觀の動搖を、當事者 ざる所、印ち現實と生死を共にする點にこそ、自然主義的人生觀は自身と同じ様に若しくは其の以上に深く廣く思ひ味はしめることを 維持ぜられるのである。されば物質的人生觀に基づく人生の現實期する」とある。 は、自然主義文學に於て大いなるエムファシスを置かれて居る。主 實に念の入った説明である。さりながらかくの如き描寫と雖も、 張したとかせぬとかいふのは、要するに不徹底なる辯解である。 作者及び讀者の自然主義的人生麒を豫想するにあらずば、決してヱ 多くの文學的作品又は文學者を捕へて來て、即ち文藝史上より自 フェクチーヴにはなるまい。固より作者としての人間と、實行者と 然主義的作品又は作家を例示するのは、面倒なことではあらうが、 しての人間との態度を全然同一視することは出來ないけれども、然 近代文學に委しい人があって之を試みれば有益であらう。しかしなも自分は其の自然主義的描寫なるものを、自然主義的な人生の見方 がら同一作品同一作者にも自然主義的の部分もあり、然らざる部分と全然別にすることは出來ない。たとへば一口に主觀の動搖といっ もあらう。從って自然主義の作家といっても、其の主要なる特徴に ても、主觀の動搖にも色々ある。主の動搖が環境を描くことによ ついて言ふ所の大まかな稱呼になる様なことも免れまい。しかし文って如實に寫されるといふけれども、これはやつばり無意識的に作 壇に自然主義なる旗幟を掲げて之を説明する場合には、共の概念は者及び讀者の人生の見方を豫想しての上であると思ふ。かくいふ意 明瞭で其の特相は鮮かでなければならぬ。 味は要するに自然主義的描寫法を以て描かれた人生は、廣くいへば 自然主義的人生觀の下に見られた人生であるといふことである。例 位 へば主の動搖を環境から描くのは、主観の動搖を常に環境より離 の して見ない人生の見方に基づくものである。若しこの主觀の動搖な 主自分は更に進んで自然主義文學に於ける描寫の態度に關して少し るものが極めて自由な空想的なものであれば、其の描寫の態度は又 脳く陳べて見たい。 自然主義的人生麒なるものが主外的なりといふ意味に於いて客變更せられねばなるまい。かの徹底自然主義者と聞く一派が、周圍 主的であることは已にいった。そして自分は自然主義文學に於ける描が感覺に印したままを一つも取捨せずしてそのままに描くといふ如 寫の熊度も、この人生の規定を受くるを免れないと思ふ。この點 自 - きも、人間の主觀を感覺化せざれば止まざらんとする自然主義的人 に於て自分は兩者の共通性を認める。 生觀と通するものであらうと思ふ。 更に自然主義の描寫に於ける價値判斷を徹して、事實をありのま 自然主義文學に於ける描寫の態度は、客觀的に現實の姿を唯あり ひんしつ のままに描寫し、之を品隲せず、取捨按配ぜざる所にあると思ふ。 まに見んとする態度の如きも、自然主義的人生観の、偏に現實の動
る理解とを有ってゐる人は、英米第一流の大學に於てすら餘り多く 京の大學に招聘したる人は、時の大學總長外山正一氏であった。今か うなづ 0 は無いと思ふ。これは既刊四册の講義集の目欽を見ただけで肯かれら十二年前、印ち小泉先生の歿後間もなく出版されたイリザベス・ る事で、年々歳々題目を新にして、沙翁以後幾百幾十の作家と作品 ビズフンド編纂「ヘルン傅及び尺牘集」のなかには、先生が友人に アリイシェイション に就いて、毫も受賣でない自己の鑑賞を語り得る者が、多士寄ぜられた手紙の二つ三つに、當時の東京文科大學の事を書かれた 濟々たる英米の學界に於てすら果して何十人あるだらうか。先生の のがある。なかには讀んでゐて隨分破顏微笑を禁じ得ない節々も多 ライメチヒ 講義の中には純文學のみでなく、・ハアクレイやスペンサアの哲學いが、その一節に自分の同僚の外國人には獨逸文學で莢府大學のド ( 先生のやうな頭の人が何故あんなにスペンサアの綜合哲學を尊崇クトル何とか、哲學では獨逸何とか大學の誰々、そして何處の者と も素性の知れない者は吾輩一人である、といふ文句があったのを私 せられたのか、今でも私は何だか矛盾のやうに思はれてならない ) の講義もあった。また英文學以外に於ては、さすがに佛蘭西で敎育は今でもよく記憶してゐる。如何にもそれには相違なかった。學歴 だの稱號だのといふ看板をプ一フ下げてゐないのは先生一人だけであ を受けた人だけに、近世佛蘭西文學にも十分に精通して居られた。 った。それは兎に角、この四册の講義集を今評壇の驚異として歡迎 かのゴオティエ工の短篇集や、アナトオル・フ一フンスの「シルゴス トル・ポナアルの罪」の英譯本は、先生の筆に成れる巧妙なる飜譯してゐる英米の讀書界は、かかる天才を草廬に見出して此講義を爲 が今日既に標準譯となってゐるのを見ても、佛文に於けるその素養すに至らしめたる故外山正一氏に對して、先づ大に感謝しなければ ならぬ。 の程を窺ふに足るではないか。殊に先生の創作の方面では、先づそ の纎麗なる筆致からして、既に佛蘭西文學の感化に負ふ所大なるは この講義集に用ゐられたる英語は、中學卒業程度の語學力を以て 私どもの毫も疑はない點である。 何等の苦痛なしに理解し得る極めて平易明快なるものである。單に くわいじふ 言ふまでもなく英米大學では、英文學はち國文學の事であるか詩文のみならず、晦澁なる哲學思想の解説に於てすらも、先生は殆 ど難解の語を用ゐずに説かれてゐた。評論議の書にしてかくも平 ら之にはうんと力を人れてゐる。多い所では此一講座に十二三人の 敎師が掛って仕事をしてゐる。從って銘々が分擔する時代とか題目明なる文辭を用ゐたるものは他に多く類例は無いが、これは學殖文 とかは極めて陜小な範圍であるから、勢ひその學者たちは自分の狹才共にすぐれた小泉先生の如き人にして始めて出來る藝當だと思 苦しい領分内に籠城して固くなって了ふ。沙翁時代専門の人にアン ふ。橫文字の物を縱文字に直した奴を、我が物顏に喋舌ってゐるや とて うな事では迚もかうは行かない。敎師自身にも解ってゐないやうな グロ・サクソンの古文學の話をすると、物理の先生が法律の事でも 訊かれた時のやうな間拔面をしてゐるから可笑しい。日本では外國外國語の術語なぞを矢鱈に振り廻はして、言ふ方にも聽く方にも珍 文學に對してこんな設備をする必要もなく、また周圍の事情も無論紛漢な講義を、決して先生は爲られなかった。私は平易なる英文を 讀み得る凡ての日本の讀者に向って、この珍らしい講義の書を最良 許さない。勢ひ或程度までは八百屋店を張って貰ふ必要があるが、 八百屋式文學講座の擔任者としては、恐らく小泉先生ほどの適任者の文學入門書として、或は手引草として推薦するに躊路しない。 はまたとあるまいと思ふ。 アカデミックキアリア 四おもひで 何等學府の閲歴を有しない新聞記者であった先生の著述を讀ん だばかりで、その學殖と天分の凡ならざるを顴破し、直ちに之を東 せうへい
2 2 之れを最近獨逸思想界の趨勢に徴するに、全體の傾向のおのづか實現らるべきか、一時流行を極めし所謂深刻小説は、最早文壇の ら文藝界のと相一致するものあり。すなはち學術界の趨勢は、最早邁去の傾向として數〈らる乂にあらずや。我が國民性は西洋式の極 部分的研究なる自然科學の知識、極端なる唯物論又は物質的文明の端なること又は激烈なることを嫌ふ。激烈性を喜ばんか、世界のあ みには滿足する能はずして、更に進みてイデアリスムスの建設を催らゆる文明を同化するといふが如きは望むべからざるべし。斯くの しつあり。世は再びイデアリスチッシならんとすと絶叫ぜる學者ごとく、一面に於て、我が國の現實的傾向は、末だ西洋の其れのご 少なからず。若し夫れ果たして前代の理想主義に優りたる大なる新とく激烈ならざるに、早く他の一面に於ては、理想的傾向の次第に 理想主義が文藝界及び一班思想界に建設せらるべきや否や、これ尚高まり來れるを覺ふるにあらずや、活氣ある靑年の好尚は漸く理想 的方面にむかひて進みつ乂あるにあらずや、現實的又は物質的なる 將來の大なる疑間なるべし。 飜りて我が文藝界及び思想界の趨勢を顧るに、種々なる傾向又はものよりは、何等か大なるもの、優れたるもの、高きもの、淸きも のを得んと望みつ又あるにあらずや、而して斯くのごとき理想的傾 主義互に複雜に入り亂れて雜然又混然、其の主なる傾向は果たして 孰れなるや、我が文藝界は將來果たして如何に變化し發逹し行くべ向がむしろ近時の著しき現象ならずや。文壇に於ても既に標象主義 の徴候あり、禪祕主義の徴候あり。又近時の宗敎的自識のごとき きや、容易に判斷すべからざるものあり。此等雜駁なる傾向中に も、一面より言へば、此の理想的傾向の端緒とも見らるべきにあら は、西洋より流れこめるものも多かるべし、されども彼れと我れと はおのづから國民性を異にぜるが故に、西洋に動きっ乂ある傾向をずや、坪内博士の「浦島」「かぐや姫」の如きも、明らかに此の傾 推して、直に我が文藝界の現从及び將來を判斷すべからざるものあ向の變化を示すものにあらずや。されど是れたゞ理想主義に轉ぜん り。犠し假令西洋の種々雜駁なる思想傾向が我が文藝界及び思想界とする徴候のみ、たゞの現實主義より漸く理想主義に向かはんとす に入り込むとも、此等の傾向は直に我が國民性に同化せられて、西る徴候のみ、未だ二十世紀の新理想主義にはあらざる也。 我が國目下の文藝界の趨勢は尚頗る混沌たり、鉉には此の趨勢に 洋に於けるとはおのづから別殊なる从態を取來たるべければなり。 みたり して妄に輕卒なる判斷を試みんとはせざるべし。むしろ將來の文 明治時代は西洋の最近代にも似て、極めて現實的なる時代なるべ し、我が國の歴史に於ては他に比類なき現實的時代なるべし。一班藝の發展に關する平生の希望を述べんか、曰はく、二十世紀の新文 藝は、須べからく高く新理想主義を掲げて、雄大にして富麗なる精 あは の時尚は、最早昔日の花鳥風月に美はしき想ひを寄ぜしとは異なり て、主として直接なる生活問題にむか〈り。壯大富麗又は豪宕不覊活動を創造すべきなりと。鏡利なる顴察眼もて現代生活の精を發 なる精祁よりは、むしろ質實にして細密なる實際的傾向を喜ぶに至き微を穿つは固より妨なし、寫實主義又は自然主義に賴りて、人生 れり。さもあれ、我が國に於ける現實的傾向が、果たして西洋の其の弱點汚點等すべて賤劣醜惡なる方面を深刻に描寫し出だすは固よ り妨なし。されど偉大なる文藝は常に理想的なり。光明に滿てる れのごとく極端まで發展すべきか。例へば我が國の就會主義が果し て西洋の共れのごとく激烈なる程度にまで發展すべきか、我が國の雄大富麗なる精禪活動を創造し出だして、はじめて偉大なる文藝と 悲觀的傾向が果して西洋の如く猛烈なる勢もて傅播すべきか、大ななる、堅固なる現實の土臺の上に、人生の奪嚴を發揚すべき高貴なる る疑ひなくんばあらず。寫實主義又は自然主義は我が文壇にもあ精紳活動を發揮し得て初めて貴むべき文藝となる。日常生活の上に り、されど此の自然主義は西洋のそれのごとく極端なる程度にまで現はれたる瑣末なる人情世態や、一種センチメンタルなるいとも小
答へて日く。ニイチ = は、一面に於て、輿論の聲に反抗し、時代 答へて日く。ニイチは先生の既に知らるる如く、所謂倫理學者 イ精紳に大痛棒を與〈たる者なり。當時の學風に反抗して沒趣味なるに非ず、所謂哲學者に非ざるなり。倫理學者にも、哲學者にも、あ 敎育、沒分曉なる學者を難ぜしは、その一。個人性を有する一切のらざる = イチの所説を以て、直ちに倫理學者の言と同一視して、 人間を平等化せずんば已まざる大危險を有する就會主義に反抗し之を批判せんことの頗る失當なるは余の屡よ説ける所なり。然かれ て、超人間を標榜し、個人主義を唱へ、個人の權能を主張せるは、 どもニイチ , 既に善惡の文字を用ゐ、善惡の價値轉倒論を説き、本 その二。而して彼の本領の前者に非すして後者に在るは、今言ふを 能説威力意志説を立するが故に、假りに彼の理想を以て一種の倫理 みな 要せざる所ならん。然れどもニイチは、他面に於てまた時代精神 見と見做すことを得べくんば、余は、その所謂倫理見の甚だ大なる びまん の代表者なり。しかもそは、先生の言ふが如き、五大洲一面に瀰漫價値を有するを驚歎せざるを得す。何となれば、彼の本能説、意志 せる惡時代精といふが如き仰々しきものに非すして、彼も亦時代説、個人主義はその基く所、全く轉生論と超人論とに在ればなり。 の兒なりとい〈ば足る。言ひ換ふれば、彼も亦明かに十九世紀紀季彼の所説は、先生の言〈る如く平凡なる常識的思索に基くものにあ の思想を脱する能はざる者なり。所謂紀季の思想とは何ぞや。思想らすして、實に大なる理想の下に展發し來れり。彼れは轉生を信 を棄てて現實に傾き、來世を憫愰ぜすして現世を重ずるの傾向、 ず、かるが故に彼は超人を望めり。彼れは超人を望めり、かるが故 ち是なり。ニイチェの「ザラトフスト一フ」は、げに大なる理想な に彼は本能論と威力意志論とを立しぬ。ニイチ , 一が所説の、凡庸な 。然れども彼の理想は、十八世紀のシルレルに見ゆるが如き理想る倫理學者の言と異なるは之が爲なり。余が先生の馬骨人言を以 に非ずして、全く現世斯土に固着す。しかも、これ紀季の文學思潮て、常識を見て理想を見ずとなしたるも、之が爲なり。されば若し の大特點に非ずや。第一一、 = イチはまた當時靑年思想の代表者な轉生論超人論にして、毫末も取るに足らざる空言妄語ならば知ら いやし り。瓧會主義の勢力日に盛にして、個人の權能は蹂躙ぜらる。靑年ず、荷くもその理想の甚大奥妙なるを感ぜんもの、誰かは = イチ しゅしゅ の渇仰禁ずる能はざるビスマルクの如きも、殆んど侏儒と同一視せ の價値を疑ふものあらんや。是に於てか、余は先生に向て改めて大 らるる運命に遭遇せり。靑年等いかでか、かかる凡俗的思想に甘ん に問ふべきことあり。余が馬骨人言の深く轉生論、超人論に言ひ及 ずることを得んや。 = イチの超人説は此に於てか靑年思想の代表ばざるを怪しみて、之を問ひし言に答〈たる先生の言こそ世にも奇 者となれり。ニイチ , 一の説を以て、一面時代精紳といふ何の不可か怪なる者の一なれ。先生日く、 けいがん あや これあらん。されば彼は反動の健兒なりといふを得べく、炯眼の批 「何の異しむことかあらん、予は現世間に惡感化惡影響ありと認め 評家なりといふを得べく、新時代精の豫言者なりともいふを得べ じゅんぞくけうし たる點に關してこそ彼を論じたれ、純空想家としての彼れに對して いささか し。斷じて循俗の驕兒にあらず、盲目の獨斷家にあらす。何そ惡時は殆ど些の用も無きなり。」と。嗚呼果して然るか、馬骨人言の 代精溿の權化なりといふを得べき。かるが故に、彼の文は諷刺文と末章の = イチ評は、果して = イチの全評總評ならざりしか。 いはんよりも、反語といはんよりも、眞面目なる著作なりといふを「人の = イチに隨喜するを見て、之を取り調べたるに、 = イチ = 以て當れりとなすべし。 はかばかりの者なりき。」といへる先生の言は超人論轉生説を脱し 先生問うて日く。倫理主義の上より見たる = イチ = ャ = ズムの價たる = イチの謂なりしか。 = イチの價値は修辭家にのみ存する 値如何と。 が如しといへる先生の言は轉生論超人説を歌ひしニイチ , 一は與かり あづ