容の把捉に絶對的に一致がないといふことと、その内容に客性が 關概念であったら、それは同じ論理で、「内容が形式を規定する」 8 幻ないといふこととは別だからね。だからそこからして「客性をも ともいへる。形式があって内容があるといふのも内容があって形式 つのは『形式』のみである」といふ結論は出て來ない。われわれのがあるといふのも結局同じことだ。とにかく僕がさっき言った形式 「内心」は他人によってさまざまにうけとられる。しかしわれわれの二つの意味ーーーまだ他に形式にはいろんな意味があるが、當面の の内心にも一定の客觀性がある。それは勿論われわれの身體と離す 問題に必要な限りに於いてかういふんだ・ー・ - ーその二つの意味を、は ことができず、多くの場合に身體的表現の媒介によって或は身體的つきり區別するのが急務だ。假りに第一をつまり内容の相關概念 表現そのものとして、他人に知られる。しかし、だからと言って身で、内容と離れえない意味をその絶對的意味と名づけ、第二を、つ 體にのみ客性があってわれわれの内心には客欟性がないといふこ まり整ったとか、整はないとか、美しいとか美しくないとかの性質 あら とにはならない。その意味で形式と内容とは身體と精とが離すこ的區別を露はにも或は内含的にも含んでゐる、含まなければ成立た とのできないやうに離すことができない。 ない、從って内容とか素材とかと對立した、意味をその相對意味 0 それは分ってゐる。しかしそれだけぢや問題は解けてゐなと名づけよう。さてそこで僕はもう一度はっきり言はう。形式主義 い。 といふやうな主張はこの第二の形式概念をもとにしてのみ成立つの < 僕もこれだけで問題を解いたとは思ってゐない。今言ったの で、第一の形式概念をもとにしたのでは成立たない、と。しかした はむしろ誰でも知ってゐることだ。しかしこの「誰でも知ってゐる だ第二の概念をもとにしたのではその形式主義は淺薄になる恐れが こと」をよく誰でも閑却したがるんだ。つまり、ここに言ってゐるある。そこに形式主義のディレンマがある。 形式は、内容や素材と對立した意味の形式ー・・・・・整ってゐるとか美し O といふと ? いとかいふやうな性質的規定をもってゐる形式ではなくて、さうい 第二の意味の形式で美しいとか快いとか整ったとか言はれる ふ性質的規定のない、從って内容と常に結びついてゐる、だからま性質は、表面的な外的な感覺的粉飾か、でなければ生氣のない乾 たどんな藝術品にでもある、所謂「形式をもってゐない」藝術品にからびた傳統的形式ーー決して藝術的價値を要求しえない形式、と でもある、さういふ形式の意味なのに、それをみんな内容や素材と 結びつき易い。人が所謂形式主義者を非難するのはその點道理であ 對立する意味の形式と澱可してゐるのだから。しかしさういふ意味る。その意味の形成に對してはわれわれは一方眞實の形式を説くと の、つまり全く内容と離すことのできない形式を根據として、形式共に、他方内容ゅ意味をも説くことができる。さういふ形式に對し 主義といふのなら、それは内容主義と言ってもかまはないことになて、われわれが或種の形式整はぬ藝術品に於いて感する、生きた感 る。 じ、溢れ出るもの、或はまた内に含まれた味ひ、深刻、禪祕ーーーさ はるか 0 さうは言ってゐない。「形式が内容を規定する」から、形式ういふ容感は、遙に價値あるものである。われわれが形式をかか があって始めて内容がありうるから : ・ るものとのみ見るならば、われわれの重んずる形式がかかるものと しかしその場合、その形式といふのがすべての藝術品に してしか形成されないならば、われわれは如何に形式整はぬものと いや存在のす・ヘてにと言ってもいい 認められるものだったら、 いへどもそれを非難する權利はない。その整はぬ形式がもし新しい つまりこの形式が全く内容と離れられないものだったら、内容の相形式を求めるのあまりたまたま陷った陷穽であるとしたら、われわ かんせい
問題は言葉の本質の問題、つまり言語哲學になる。ところが「文學だ〕、或は藝術品に於いて一定の形式にまで把捉ぜられたもの、で の形式」はまた「文學の諸形式」の意味にもなるんで、さうするとある。藝術に於ける形式は内容の在り方〔 die Daseinsweise des lnhaltes 〕ーーーそれによって内容が内容になるところのものーーーで 小説とか劇とかいふ文學の恥の諸種類の形式のそれぞれの獨自性の 考察になる。更にまた律語と散文と云ふやうな區別も文學に於けるある。兩者は藝術作品に於いては一つのものであり、したがって、或 藝術作品に於いて、形式すなはち内容の在りかたを少しでもかへれ 形式の問題として看過ごせないし : ・ さういへばこなひだ新聞の文藝欄で形式主義何とかいふ論文ば、それによって藝術品はどこか異った内容をもっことになる。そ : 内容と形式とは相關概念である。一は他を含ん の逆また然り。 を見かけたつけ。しかしその論文では君の今言ったやうなことは問 題にしてゐなかったよ。 でゐる、或は一は他を件ふことによってのみその意味を得る。」更 << さうなんだ。今問題になってゐるのは別の意味の形式なんにかういふんだ。さっき内容と素材とを區別したね、その素材の概 。さっきの場念をもってきて、「素材に對立せしむべきは形式ではなくて、むし だ。もっとも全然關係がないといふのではないが : ろ藝術品の形成〔 Formung 〕である。この素材の形成はしかし實際 合と區別していへば「文學作品の形式」、つまり内容と對立させた は、藝術品の内容を素材から取出すことをーー内容をその形式に、 意味の形式だね。 しばく すなはちそれによって内容が内容になるところの形式に、呪縛する 形式美とか内容美とかいふ言葉があるね。 ことにほかならぬ。 ・ : ゅゑに、題材の意味に於ける素材は藝術品 さういふ對立もある。また美といふ概念から離れても ( とい の價値を決着しえない。それは、形成されて藝術品の内容とならぬ ふのは藝術品は美といふ點からばかり見られるものでないから ) 、 一般に作品の價値を決定する規準が形式にあるか或は内容にあるか限り、むしろ藝術品としては決して存在しないで全く藝術品のかな たにあるところの或ものを意味してゐる。クリンゲルと共にいは の間題としてなかなか論爭があった。 ば、藝術品にあらはされてゐる人間がペテロであらうがエンデイミ でそれはもうかたがついてゐるのかい ? <t まだ問題にしてゐる人もあるし、もうかたがついたと言ってオンであらうが、それは藝術品にとってはどうでもよいことであ ・ : 藝術品に於いては形成がすべてである。しかしそれは結局 ゐる人もある。たとへばリップスーーー・さう、この人の言ってゐるこ とを君に一つ聞かせてあげよう。かうなんだ、「藝術品の價値を規また、藝術品の價値はその内容にのみ依存するといふのと同じこと 定するものは藝術品の内容か形式かといふ爭ひは、内容を題材 ( 腹になる。」 それで君はこの意見に賛成なのか ? 案とか素材とか言ってもよい ) と取りちがへてゐるのである。 あた 問 僕には僕の意見が多少あるが、藝術品として見る限りに於い 内容を、眞に内容の名に價ひする意味、すなはち藝術品に含まれて 式 いはゆる 形 てはこの意見に別に反對はしない。しかし、近頃の所謂形式の問題 ゐるもの或は藝術品の中に存するもの〔 das im Kunstwerke Ent- 學 haltene oder darin Liegende だね〕の意味に解すれば、さういふ爭は今言った問題ともちっと違ってゐるのだ。間題の中心は「形式が ひは對象を失ってしまふ。この意味に於ける藝術品の内容は、藝術内容を加定するか、内容が形式を規定するか」にあるやうだ。尤も この規定の間題が、ひいて作品の評價の問題をも規定するだらうか 品のうちに形づくられたもの或は形成せられたもの〔どうもうまく 2 ら、關係があるにはあるがね。 譯せないな、つまり das im Kunstwerke Geformte oder Gestaltete
が存在し、個人主義の原理が市民瓧會の歴史的論理として働いていれた一種の自己感情を出發點とし、やがてさまざまな日常の體驗に 8 たからである。かくてこの論理に保證されて自我の觀念は個人主義よって、體驗の負擔者である意識内容の統一體としての自己を意識 の中核的概念となり、この自我の内容の歴史的追求のうえに安んじ し、これを自己以外のものと對立させて意識するにいたったとき て、近代市民文學を發展させることができた。近代文學における自に、自我の意識が明らかに自覺せられてきたということができる。 我の發展は、封建社會から自己を解放した市民階級の封建主義にた人間は自我の意識において、客體に對立する主體として、主體的に いする鬪爭・反省・自立・解體の歴史であり、そこからもろもろの自己を確立し、客體を對象的に認識できるとともに、また自己を客 こっかく 問題を提出した近代文學の全體を一貫する骨骼なのである。だら觀化し、これを認識できる道を開いた。このような自我の意識が市 日本文學における自我の間題を考えることは、近代文學の全體にわ民瓧會という一定の歴史瓧會のうちにあって人間の具體的意識内容 たって、その中軸からこれを論ずることにほかならない。 として自覺せられたときに、初めて文學の具體的内容として成立 しかしわたしはここではこの大きな問題の取扱いをおのずから し、近代文學としての特色のある性格を形づくったのである。なぜ しつこく 限定せざるをえない。すでに近代文學における自我の發展は、他のならば、市民就會において、人間は初めて封建的桎梏から解放され 機會にやや理想化し、定型的にではあるが、成立から解體にいたるて瓧會から獨立した自由な個人として意識せられ、瓧會は獨立した まで論じておいたから ( 拙稿「近代文學における自我の發展」文學會議・ 個人を要素として組成せられていると考えられるようになったから ふっしよく 第一輯 ) 、自我の問題を問題史的に考察することは省略してもさしである。しかしながら、近代瓧會は一日にして封建主義を拂拭し、 つかえあるまい。わたしには、むしろ本章においては、近代文學に近代人の考えるような市民瓧會を現出させたわけではなく、なお近 おける自我の諸問題をば、その本質的なものと、わが國に特殊なも代社會のうちに封建主義を殘存し、市民瓧會は封建主義と近代主義 のとを考慮しながら、その諸相において考察してみたいと思う。そとの闘爭のあいだに、動搖をくりかえさざるをえなかった。 の諸相において考察するといっても、もともと、自我の念はその そこで、自我の念は近代文學にとって二重の役割をもっことに 内容を歴史的に規定され發展してきたものであるから、歴史的内容なってきた。近代人が市民瓧會において眞に個人としての自己にめ を抽象して論ずることは、ことに文學の場合においては、無意義とざめ、この自我の自覺に發する要求を現實瓧會に實現させようとね いってもよい。だから、自我を問題的に諸相において考察すること がいながらも、なおそこに濃密に遺残しているもろもろの封建主義 は、自我を史的發展においてたどらず、いわば自我に内包する諸問 に阻害せられて對立を意識し、いわばこの瓧會のうちに住みながら 題を、本質的な面においてとりあげ、考えてみようとするものであも外部に立っているかのように、これに批判的態度をとらざるをえ る。 なかった。自我は、この批判の原理として、獨立した個人の要求を 一體、自我とは何であろうか。自我の解釋も、近代の市民意識の封建主義にむかって叩きつける否定の契機をなした。しかし、自我 發展に印して、さまざまに複雜な内容をもって變化しているが、文が批判の原理として否定の契機たる役割を有力に果すためには、他 學について考察するかぎり、きわめて素朴に日常經驗する「自分」面において萬人に共通な原理として深め、または高めるために、個 といったような観念に出發していることはまちがいない。この「自人的自我を超えた普遍的自我にまで追求する積極的態度が要請せら 分」という覿念は、個體としての自己の肉體を中心にして形づくられ、かくて新しい近代主義を建設する肯定の契機ともならなければ
る。もし内容主義を内容さへあれば形式はどうでもよいこととする こば に僕のいふ内面的形式はさうではなくて、形式の「み念を通し て來てゐる。 0 まりす一ての作品に見られるものではなくて、特定ならば、内面的形式の立場はそれを拒む。自己の消化してゐな」内 の作品にのみ見られるものである。それは素杯 0 加いた式、或は容をーー」たづらに大きな事件や生まな思想やを盛り上げて、それ で内容がすぐれてゐると思ってゐるものに至っては論外である。そ 容か最いおく生かす形式と言ってもよい。この性質規定は今まで 便宜上、整 0 たとか美し」とか快とか」ふ性質規定と一緖に取扱れは内容つい加粤内面的形式の立場からは、硬化した形式や粉飾 やが形式ではないやうに、さういふ消化されない、生まな思想や出 ってゐたが、實際には全く區別しなければならないものだ。つまり 物とか美い〔とか快」とか」ふ性質規定は、必すしも素材に適來事やは内容ではな」。かくし内面的形式 0 立場はか聊式主 合ぜず、また必すしも内容をよく生かしたことにはならない。そし義にも誤った内容主義にも對立する。そしてそれは、形式が内か てその意味で内容なしには考〈られないといふ概念ではない。整っら、素材の必然性から、有機的に展開されねばならぬことを説く意 た形式をもってゐても内容のない作品がある。しかし素材に適合し味で内容主義ともい〈るが、形式の制御を、呪縛を、品化を重んず る點で明かに形式主義である。 た形式、内容をよく生かした形式に於いては、その形式は、その言 o すると君のいふ内面的形式は、形式の第一の概念と第二の概 葉がすでに示してゐるやうに内容と堅く結びついてゐる。その意味 念との綜合といふわけだね ? いや辨證法的統一か ? に於いて知「一 6 松念、ナか御か印物擲むもった形式概念の さう言ひたければ言ってもいいだらう。ところで大養氏逹の 中から、ぞ 6 形式がず内容と結びついてゐるいのを特に取り出し つ、それ第一一一の形式概念にいたといふことができる。さっき僕は内面形式だが、さっきも言ったやうにこれは少し混雜してゐるやう 第一一の形式概念に關聯して形式と内容 ( 素材 ) との關係に三種を區だね。もし大養氏逹が單に内容といふ一般的な言葉に内面形式とい ふ言葉を置きかへたなら、それは形式の第一の概念に屬し、したが 別するもののあることを言ひ、そのうちの一つとして形式と内容 ( 素材 ) とが完全に融合したものを數〈たね。第三の形式概念はあってどこにでも見られる、別に性質的規定のないものだ。然るにこ の内面形式をもし所謂「内面形式の原型」に關係づければ、その ひんしつ に類似してゐる。しかし形式と内容 ( 素材 ) とが完全に融合して ゐるといふだけでは實際は未だ不十分なんだ。面物御郁分「内面形式の原型」は「人おのおのの稟質、主義、立場の角度から 視られたもの」として性質的規定をもつものであるから、したがっ 海を、内面かか湧き上か力を、却面第彊む重要視する。さういふ 充溢から、さういふカから、さういふ緊張からっくられた形式でそてその内面形式も性質的規定をもつものとなる。一方に性質的規定 をもち一方に性質的規定をもたない。この矛盾はどこから來たかと れはなければならない。それは靑ざめた形式であってはならない、 乾かかいた形式であってはならない、硬他いた形式であってはなら言〈ば、それは氏逹が外面形式を單なる文字の羅列としてゐるから ない、粉飾であってはならない。やの意味かかい〈い内面形式はである。いひか〈れば第一の形式概念・ーー形式と内容とが全く相關 的になってゐる第一の形式概念、に於いて内容を拒まうとしたから い容でかしかし同時にそれはその内面的充溢を單に充溢 させるだけではいけない。湧き上る力を制知し、唹縛しなければなである。更に、さういふ間違った形式概念をもって「形式が内容を 決定する」と言はうとしたからである。それの間違ってゐることに らない。適當な形式に晶化しなければならない。そのやうに制御、 ついてはもう前に言ったから繰返さないが、とにかくそれによって 呪縛、晶化によって内面形式は始めて内面的形式となるのであ
てゐる。意識的にさうしなくても多くの作品に親しむうちに自然に つまり卵があって鷄があるのか、鷄があって卵があるのかの さうなるところから來てゐる。もし世の中にただ一つの藝術品しか 幻問題だね。 同じだとはいへないが、似たやうな問題だ。しかしさういふなかったらさういふ感じは起きないであらう。しかしその由來はど 比論をすると問題がかへって面倒になる。かういふ問題はどこまでうでも、今ではさういふ感じはそれぞれの藝術作品の享受そのもの から直接受けとる感じとなってゐる。ここに形式と内容との對立が もその問題だけを取扱って行かなければ : だって君はさっきからいろんな形式の意味をもち出して、なある。しかしもう一つの場合がある。それは内容を素材の意味に、 つまり取扱はれてゐる人物とか、事物とか、事件とかの意味にとる かなか當面の問題にはいらなかったぢゃないか。 < それはまづ、間題になってゐる形式の意味をはっきり規定し場合だ。この場合には内容すなはち素材を前の場合より簡單に、と たかったからだ。そしてそれは大體今までで規定したと思ふが・ いふのは一つには始めから他の作品との比較によらないでも、形式 つまり、第一それは文學作品の形式であること。第二に、それが内に對立させることができる。なるほど、藝術品の鑑賞 0 印いつの 容と對立して問題にされてゐる限り、またそのいづれが他を規定すいへばわれわれは前の意味の内容、つまり作品の中に形成されてゐ るかが問題の中心である限り、リップスなどに於けるやうな内容のるもの、としてより享受も認識もできないのだから、その内容から 相關概念としての、むしろ内容と一つのものであるところの、形式後の意味の内容すなはち素材を想見しうるのは或程度までだ。その 素材をその藝術的形成前に知ってゐるやうな場合は別として、しか 概念ではないことが明かになったと思ふが。 それだけちゃ僕にはまだ分らない。さういふ意味で形式とか しそれに反して制作の場合には、素材を如何なる形式のうちに生か 内容とかいふ、概念の積極的内容が分ってゐない。 すべきかに腐心するし、また一つの形式として出來上ったものが果 してその素材に適合してゐるかどうかが、後の反省の大きなたねに 普通美學では藝術品に於ける感覺的要素の結合統一の關係 つまり多様の統一といったやうなーーー・を形式といひ、その中に なるわけで、それに鑑賞の場合でもいろいろな角度や視點からとに 表出せられてゐる感情とか觀念とか、と言っても單に抽象的なものかくさういふ素材を想見することはできるのだから、その意味で素 ではなくて事物の表象と結びついてゐるのだが、とにかくさう言っ材と形式と一般的に對立する。 ( この點から素材が完全に形式に呪 たものを内容と呼んでゐる。この形式と内容とは本來は分けい扣か縛されてゐないもの、素材と形式とが完全に融合してゐるもの、形 い。それはリップスの言ってゐる通りだ。それは一つのものの二面式が素材に勝ってゐるもの、といふやうな區別をつけるものもある である。しかしそれにもかかはらずわれわれは或藝術品に於いて、 が、面倒だからさういふ問題にはふれない。 ) 形式は整はないが何か感じをもってゐるとか、生きたものがあると さてかうしてそれぞれの意味で形式と内容、形式と素材との對立 か、眞實があるとか、深みがあるとか、つまり内容的に秀れてゐる が考へられるが、この場合の形式といふのは孰れも、整ったとか、 といふ感じをもつ。また或藝術品に於いてはこれに反して、形式は整はないとか、美しいとか、美しくないとか、より素材に適合した 整ってゐるけれど感じがないとか、眞實でないとか、生きてゐない とか、適合しないとか、さういふ性質の差をもってゐる。さういふ とか、深みがないとか、さういふ感じを受ける。これは事實であ質の規定がなければこの場合内容や素材と對立しえない。普通、 る。なるほど、かういふ感じは本來二つ以上の藝術品の比較から來形式はあるが内容は貧弱だと言ったり、内容はあるが形式はないと いづ
本來第二の概念に屬すべき内面形式を第一の概念の中へ密輸人する主義を内容さ〈よければ形式はどうでもいいと考〈たり、或は沖他 ことになったのである。だから、この場合單なる文字の羅列としてされないままにでも ( したがって晶他されないままに ) 大きな題材 の外面形式といふやうな概念を捨て去り、またさういふ外面形式がや観念を盛りあげることとすれば、それは眞の形式主義と一致しな 内容を決定するといふやうな主張を捨てれば、ここにその内面形式い。しかし内面的形式に於いては、形式と内容とが内的必然によっ はーーいや一般にその形式論は、蘇って來る。勿論これだけでは僕て離れることのできないのは、すでに述べた如くである。武者小路 のいふ内面的形式にならないが、しかし大養氏逹のーーー或は大養氏氏志賀氏の作品にはこの緊張した内面的形式がある。武者小路氏の のと言った方がいいかも知れない , ーー主張の裏に見える ( これが僕形式がどうして當時新鮮であったか ? 武者小路氏が當時の文學の ゐしゆく には見えるつもりだが ) 精を汲むと、結局僕の思ってゐるのとさ 硬化した形式、萎縮した形式に囚はれないで、その獨自の個性、人 う遠くはないやうに思ふ。たとへば大養氏は武者小路氏や志賀氏の生に對する新しい態度ーーー人類に對する愛、普遍人間性への信賴、 例をひいてかう言ってゐる。「いつの時代でも一つのエボックを作を表現の上に生かさうと心がけた ( ? ) からである。硬化した形式 しりそ るほどの作家は、例外なしに新鮮な外面形式〔注意したまへ、『噺を斥けた意味で、またその新鮮な形式が必然的に内面から湧き上る 鮮な』だよ、ここには性質的規定がある〕をひっさげて立った」 力によって形づくられた意味に於いて、それは反形式的であったや 「今日内容主義の代名詞のやうにされてゐる武者小路實篤を例にひうに見える。しかしその湧き上る力はそれに適合した形式をもっこ かう。同氏が最初に多くの讀者をえた時代にしても、當時の讀者に とによって始めて作品のうちに生かされた點からいへば、それは決 とって第一に魅力となったものは、當時の作者の新鮮な表現ーーー外して反形式的ではない。 面形式であった。内容を新鮮に引き出し得るだけの新鮮な形式であ 尢も具體的にはこのやうな内面形式にも程度の差がある。そして った。志賀直哉の場合はこれが一層はっきりしてゐる。」「事實はかその程度の差は大きくなると性質の差になる。形式の第二の概念に くの如く内容主義者の場合に於いても尚〔この言葉をよく覺えてゐ於ける性質規定が本來程度上のものであることはすでに語ったが、 てくれたまへ〕形式は最初の聲高い發言權をもってゐた。」この言それと同じである。つまり結晶の完全不完全である。そこに第一二の 葉に僕は決して反對しない。しかしここに言はれてゐることを押し概念としての内面的形式が第一、第二の形式概念から出て來た、し ゅゑん つめると、かへって氏逹の形式主義の論旨を裏切るやうなはめになたがって常につながりをもっ所以であり、また内面的形式の稀薄な る。言葉をかへて言ふと、ここに言はれてゐることは、大養氏の形ものが結局内面的形式をもたぬものとされる所以である。そこにま 式主義の主張がその論理の表面にあらはれてゐるよりも深い精を た内面的形式が外面的形式 ( ここでは僕は普通の形式概念を、すな もってゐることを示してゐるのだ、といふのは、大養氏はここで内はち感覺的要素の結合統一關係を、僕の内面的形式と區別するため 容主義者たる武者小路氏逹を謂はば 0 また形式主義者にしてゐにかういふのだーー・整ったとか美しいとか快いとかいふ性質規定は る。さういふことができるか ? 出來る道がたった一つある。ち主としてこれに結びつく ) と、いはば侵協する所以である。それに 内面的形式ーーー大養氏逹の内面形式ではない・ーーによって藝術を見よって内面的形式は外面的形式と結びつきもすれば離れもする。ひ 復る道である。形式主義を單に傳統の形式や、粉飾としての形式を重としく内面的形式の緊張をもった藝術品に、より整はぬ形式とより 2 んずることとすれば、それは眞の内容主義と一致しない。また内容整った形式、より美しい形とより美しくない形式などの別ある所以
れはその整はぬ形式をこそ反って奪重すべきである。ーー・新しい形で、どの程度にまで形式の意味をもって行けるかによって、どちら 式をもとめることは一つの最も生き生きした藝術活動であるから にでも言へる。僕の根本の見解を先づ言はう。業はさっき形式の第 一の意味と第二の意味とを區別したね。第一の意味では形式は全く O しかしディレンマといふのは ? 内容と相關的だ。それは如何なる藝術品にでも見られ、その意味で 第二の意味の形式概念をもとにした形式主義が、もしかうい整ってるとかゐないとかいふやうな性質的規定をもたない。第一一 ふ形式を形式だと思ってゐたらそれは取るに足りない主張だ。しか の意味では形式は整ってるとかゐないとかいふ性質的規定をもち、 も第一の概念だけをもとにしたのでは形式主義が成立たないとすれ從って藝術品によってそれのあるものとないものとがある。また形 ば、形式主義は一般に成立たないことになるから。 式はあるが内容はないとか、形式はないが内容はあるとか、 ( 勿論 0 しかし形はもっと深い意味をもってゐる筈だ。第一、藝術は このある、ないは一定の性質的規定である ) といふ意味で内容や素 形式を離れてはありえない。 材と必すしも結びつかない概念だ。ところで僕はもう一つの、第三 << しかしその意味の形式は内容を離れてはありえない、したが の、形式の概念をもち出さなければならない。すなはち内面的形式 って藝術は内容を離れてはありえない。いまも、もう幾度も、言っ の厩念だ。 0 大養氏逹の言ってゐる ? たぢゃあないか、形式の第一の概念だけをもとにしては形式主義は 成立たない、と。 <t さうちゃない。大養氏逹の言ってゐる内面形式とはちがふ。 O ぢゃあ君は結局形式主義なるものは成立たないといふつもり 僕のは大體ゲーテの innere Form と言ってゐる概念から取ったの なのか ? 。尤もこのゲーテの言葉が美學に取人れられて、一般的に表現内 成立っともいへるし、成立たぬともいへる。 容の把捉の仕方として理解せられてゐるが、僂はその直観性を強調 O 率直にいふと僕は君のその態度が嫌ひだね。もっとはっきり してむしろ表現の仕方、或は表現 ( もしこの言葉に近頃或人逹のし 言って貰ひたい。 てゐるやうに深い意味を與へれば ) の意味にとる。勿論さういふ内 僕はこれではっきりしてゐるつもりなんだ。或種のことはは面的形式はゲーテも言ってゐるやうに「手をもって握むことはでき つきりいふと却ってはっきりしない。はっきり言はない方が却ってない、ただ感ぜられるのみである」が。この點をマックス・シェー 一フーが「他我の理解」について説いてゐる所謂知覺説と結びつける はっきりする。ついでだから言ふが、僕は藝術家が一つの立場に のは僕にとって非常に誘惑的だが、脱線の氣味があるから差控へ 自分の信する立場に腰を据ゑて突進するのを尊重するものだ。 その立場からの獨斷をさへ奪重する。それはたとひどんなに間違っる。それはとにかく大養氏逹の言ふ内面形式ではない。 : : : 尤も大 形 てゐても常にその中に一つ二つの寶石を蔵してゐるからだ。しかし養氏逹の把捉の混雜を整理すればほとんど同じものになるかも知れ ない。これは後で問題にして見よう。しかし氏逹が外面形式を單な 文僕は批評家だ。僕は認識を求めるものだ。認識を求めるものは少し でも獨斷を避けなければならない。ものの區別をしなければならなる文字の羅列とし、内面形式を所謂内容に代はる、或は代はるべ い。それぞれの主張の權利もっ範圍いとを決定しなければなき、概念と見る限りに於いては、それは形式の第一の概念に、すな 2 らない。 : で今の問題にしても、つまり形式の意味の取りかたはちあらゆる作品に見られる形式に、結びつけられてゐる。しかる
ああいふ區別をした大養氏の氣持は分る。しかし區別そのも である。そしてこの場合、ひとしい程度に内面的形式の緊張をもっ 2 のには賛成しない。殊にああ劃然と一を形式活動に、他を内容的攝 た作品のうち、一方が整った形式をもち、他方が整はぬ形式をもっ とすれば、純粹な藝術的立場からは、前者により多くの價値を與へ取や努力に割り當てるやうな意味では、勿論それは半分言葉の取り なければならないであらう。そこで : ゃうで、一方、作家活動にも形式活動と共に内容活動が屬し、人間 活動にも内容活動と共に形式活動が屬する、といふに對して、自分 筆記者もう規定の枚數を大分超過しましたが。 さうですか。しかしここでやめたんでは尻切れとんぼだ。では特に形式活動を中心とするものを作家活動と呼び、それ以外の行 はあまり立入らないで、できるだけ簡單にかたをつけませう。そこ動の總稱を人間活動と呼ぶんだ、と答へることもできる。しかしそ で、さっきの問題にかへれば、結局大養氏は武者小路氏や志賀氏をれにしてもその限界は不確かである。もしかういふ區別をしないで 内面的形式家として認めてゐるのだ。すなはち形式の最も深い意味すんだらしない方がいい。しかも實際しないでいいんだ。ああいふ に於ける形式家として、眞の形式家として、從ってまた眞の内容家區別をしなければならなかったのは、やはり、氏が一方十分な内容 として、認めてゐるのだ。でなければあの論旨は立たない。それに感を、或は内容に對する尊重を持ちながら、しかも他方形式を文字 もかかはらず、つまりセンスの上では武者小路氏や志賀氏の形式をの羅列とし、その意味の形式が内容を決定するといふやうに言はう さういふものと感じてゐながら、その形式を文字の羅列としての外としたからだ。さういふ主張の仕方を捨てれば、そして氏が、それ こそかへって氏の本質に近い内面形式の立場を取れば、問題はもっ 面形式に結びつけようとするから無理があるのだ。氏の形式主義論 を一貫する無理もそこにある。もっとはっきりいへば、大養氏自身と簡單にかたがつく。われわれはかう言へばいいのではないだらう 作家としては内面的形式家なのである。眞の藝術家が常にさうであか。藝術家が藝術家である限り、彼は藝術家としての活動を中軸と る様に、その内面的形式は勿論まだ志賀氏や武者小路氏に於ける様する、そしてその藝術家としての活動は表現活動すなはち形式活動 な完成や切實を示してゐないとはいへ、兎に角氏の作品は生まな消を中軸とする、と。なるほどその表現は内からの必然性をもたねば 化されない念や事件を盛りあげたり、うはつらの塗料や飾りでご ならない。内面的充溢を、湧き上る力を、生活を背後にもたねばな まかしたりは斷じてしてゐない。僕は氏の作品を尊敬し愛してゐ らない。しかしその充溢を、湧き上る力を、生活を、藝術として生 る。そしてまだまだ伸びるべき人だと思ってゐる。氏の作品を見れかすものは表現である、形式である。さういふ充溢を、湧き上るカ ば、氏が淺薄な形式主義を主張してゐないことを、否、主張しえなをもってゐても、それを藝術として表現しなければ藝術家としての い人だといふことを、いやでも認めなければならない。それだの 意味はない。またそれに適合した形式を見出さなければ藝術家とし に : ての價値はない。 : 藝術活動の背後に人間活動がある。藝術活動 規定の枚數が超過してゐるといふのにそんなに本題を離れては人間活動の一つの表現、一つの形式である。人間活動を離れて藝 はいけないね。もら好い加減おしまひにしたらどうだ。少しうんざ術活動はない。しかし藝術家としての人間にとっては藝術活動はそ りしたよ。 の人間活動の中軸であり、意味である。少し古風に敎師風に言へば 0 待ってくれ。もう一つ僕に聞かせてくれ。君はぢゃあ、大養それは囈術家の本分なのである。 : なるほど人間としての活動は 氏のいふ作家活動と人間活動との區別をどう思ふか。 すべて瓧會的歴史的に制約されてゐる。そして藝術活動が人間活動
の一表現ならば、藝術活動も瓧會的歴史的に制約されてゐる。した義的作品によって寓喩化せよと要求するからである。かかる傾向藝 がって表現活動ーー形式活動も瓧會的歴史的に制約されてゐる。し術は非難しなければならない。尤も客觀的内容が傾向的だからと言 かし、であるからと言って、藝術家が表現活動ーー形式活動を中軸ってそれを非難するのではない。ただ劣惡な形式で美術を文學的に とすることを、或はその意義を、否定することには毫もならぬ。或あらはさうとするいかさま表現を非難するのである。われわれは寓 はまた藝術に於ける形式の意味を否定することには毫もならぬ。か喩をでもそのものとしては非難しようとは思はない。ただ寓喩が美 へって、形式はさういふものであることによって一層重大な意味を術としての表現の形式を缺いっかることを非難するのである。スタ もつのである。ルナチャルスキーはそのハウゼンシュタイン論の中ン一フンは自由、平等、博愛に對する寓喩を描き宣傅的直接的に理解 で、ハウゼンシュタインが「藝術は常に時代精の形式づけられた され易い石版刷によって勞働者にはたらきかけた。メンツェルはホ ものとしてのみあらはれる。 : : : 形式は時代の内容性と結合して發 ーヘンツォルレルン家を讚美するやうな挿畫を描いた。しかしスタ 展する」ことを説きながら、依然として「形式主義的考察」に囚は ン一フンやメンツェルはかういふ政治的傾向があったからとて決して れてゐるのを不滿とし不審としてゐるが、われわれにとっては、ル つまらない藝術家ではない。といふのは彼等の『傾向』は立派か表 ナチャルスキ 1 のその不審こそ不審である。藝術がその時代の精現の形式に置きかへられてゐるからである。 一つの時代が知的 文化に偏し、感覺の文字を直接讀むことができない場合には、藝術 の形式づけであり、形式が時代の内容性と結合してゐるからこそ、 : しかし 彼は、ハウゼンシュタインは、形式を重んじ、そしてその形式の社はかういふ一面の傾向なしにはすまされないのである。 會學的考察から立派なーーーいろいろ問題はあるがまあ立派と言ってまたこれと正反對の理論、すなはち『藝術のための藝術』を説くも いいだらうーーー成果を生み出しえたのである。さうでなくて、もしののいふところにも一應の理はある。藝術は形式的のものである。 形式が全く内容から遊離したものであったら、形式の考察は意味を藝術に於いては形式性の最高標準に逹することが最高の論理に逹す もたないであらう。丁度内容が形式を離れて考察されたら、それはることである。尤もこの規定は、間違ってはゐないが、不正確であ 藝術の考察ではなくなるやうに。 る。藝術は、或時代の生活が充ち溢れて最も純粹な藝術的表現形式 ハウゼンシュタインと言ったからついでに引き合ひに出さう。僕をとるときに始めて完成する。或時代の活力が最も強く形式づけら れた時、藝術はその本質の最高頂に逹する。 の今まで言ったことを裏づけてゐるやうな言葉がここにある。かう : もしも『藝術のた 言ふんだ。尤もこれは繪畫を取扱ってゐる論文だから、文學、つまめの藝術』が、素材的なものを最高度の形式性に置き換〈よいナ か第加か味い、いはば或事柄とその精禪とを素材的なものの重心 り言葉の藝術ーー言葉といふものの性質によって或人逹がイデオロ ギ 1 の藝術と言ってゐるものーーの問題とは多少喰ひ違ひもあるから形式的なものの重心に移しかへることを意味し、しかもそれら 式 が、しかし大體は文學にもあてはまる。「藝術品は意識的に〔つますべてが一時代の生ま生ましい苦惱の精飾に於いてなされるとした ら、その時こそ藝術の意義が、そしてまた『藝術のための藝術』の り傾向的にだね〕時代にはたらきかけなければならないと要求する 卑俗な説の中にも相當深い意味がある。それらの理論のいけないわ唯一の可能な意義が、充たされるだらう。」これは大體の意味を取 紹けは、それが感覺的存在をちっとも理解しないで、知的な説明手段ったのだが、面白いとは思はないかね。しかもマルキシズムの立場 2 をのみ過重に評價し、晝家に、或時代の道徳や海や精む琿からほとんど最初に實のある藝術研究を出したハウゼンシ = タイン
於ける自然主義文學に缺けてゐたものは、實はこのあそびであったもとより、彼は死のことを言はないことはない。シュニツツ一フーの のではなかったかと思ふ。かぞいは本能のことではない。作品「あ「死」といふ小説を譯するに當って何故「みれん」と表題をつけか そび」の中に、官吏であって文學者である木村が同僚から創作につ へたのかわからないが、その小説は外にとって問題であったに違 いて聞かれるところがある。「どう思って潰ってゐる」かと問はれひない。彼が歴史小説の中で武人の死を取扱ったものは少くない。 ると、「どうも思はない。作りたいとき作る。まあ、食ひたいとき一般に死について書いたものが少いとはいへない。事實彼は「時 食ふやうなもの」であると答へてゐる。さうすると、重ねて相手が 間と云ふことを考へる。生と云ふことを考へる。死と云ふことを考 「本能か」と訊く。「本能ぢゃない。」と言ふ。「なぜ」と追究する。 へる」と言ってゐる。しかし、彼は「死の恐怖が自分には無い」と すると、木村は「意識して遣ってゐる。」と明答を與へてゐる。いふことを何度かもらしてゐる。死についての恐怖といふことで 外にとっては人間の本能や衝動のところにやっと自然があるのではは、たしかに鸛外は、蘆花や獨歩とは違ってゐたのである。だか ない。彼にとっては意識してやってゐることも、それどころではなら、さういふ問題を考へることが、彼にとって「生の内容」をなす い、思惟さへも、自然界の動きのやうなものである。「自分の思想ものではない。さういふ點で鸛外は少しも宗敎的ではない。 それどころではない、死についての彼の考へは、彼のかやいの思 が自由行動を取って來る」のである。いったい spiel とは意慾者の ゐない自由行動である。鸛外が「自分は永遠なる不平家である」と想を却って示してゐるくらゐである。「自分には單に我が無くなる いふのは、全體としてのあそびの一つの側面を言ったに過ぎない。 と云ふことだけならば、苦痛とは思はれない、唯刃物で死んだら、 鸛外にとってあそびはそれほど含蓄するところが大きい。彼は、 其刹那に肉體の痛みを覺えるだらうと思ひ、病や藥で死んだら、そ 「自分のゐない筈の所に自分がゐるやうである。」 ( 「妄想」 ) といふやれぞれの病性藥性に相應して、窒息するとか痙攣するとか云ふ苦し うに、休止することなく動いたのである。 みを覺えるだらうと思ふのである。」彼は死に對しても客観的な分 右の言葉は、鸛外の言葉として聞くとき、複雜したニュアンスを析的態度である。彼に於て、「遊びの心持は與へられたる事實であ もって吾々に響いてくるのである。彼は何處に「自分」を見出さう る。」さうしてみると、「死と云ふことを考へた」にしても、それを としたのであらう。 恐怖の故に死を考へたり、それのいはゆる宗敎的解決の故に死を考 へたりしたのではない。さういふことは鸛外にとって、かの「生の 五 内容」を充たすものではない。 外 飆私たちは、此處で最初の問題に戻ってくることができる。波に搖 のられて、ただ動いてゐることを、「生」だと思ふことができなかっ それでは何が彼にとって「生の内容」を充たすのであらう。私た た彼は、何を索めたのであらう ? 疑問はもっとつづいて起ってく 間る。「何をするのでもあぞびである」彼のやうな思想家にとっては、 ちはこのやうに問題を追ひつめてゆくことを、ここで一應止めてみ 何が「生の内容を充たす」のであらうか ? ようと思ふ。それよりも、さういふやうにいはば事務片づけのやう 死への疑問と恐怖を解いてしまふといふことが、彼にとって、最に問題を追及してみることが、鷦外のやうな人間を理解するとき、 3 後の問題であったらうといふやうに考へる人があるかも知れない。 適合したやり方であるかどうかといふことからが、まづ問題なので