Z5 イ 元來歌舞伎芝居なるものは「型」の芝居である。立役敵役一一枚目 三枚目などと云ふ幼稚で且單純な世の中の見方を幼稚で且單純な印 象主義の下に描がき出した歌舞伎本來の脚本を演ずる爲に、あらゆ る「型」は一層の印象主義的技巧に馳せて新しい世界を作り上げた。 「型」が現はす世界は現實其儘の世界ではない、深く現實に根差し てはゐるものの現實の有する色調を更に廓大し強度化し醇化して創 設せられた一種獨特な世界である。從って「型」夫自身に姿勢と運 動と音樂との優秀な調和がない限り、理解も同感もない役者が紊り に「型」を演ずると云ふことは其立脚する現實と絶縁させて獨特の とってい 文壇で會って見たいと思ふ人は一・人も居らぬ。役者の中では會っ世界を突梯怪奇に變ぜしむることである。 ( 嘗て明治座に演ぜられた て見たいと思ふ人がたった一人ある。會って見たら色々の事情から高麗蔵の「高時」の如きは其適例である。 ) あらゆる藝術は充實した 多くの場合失望に終はるかも知れぬ。夫にも拘らず藝の力を通して内容を件ふ誇張であるとは云ひ條、空しき誇張は虚僞である。單に 人を牽き付けて止まぬ者は此の唯一人である。此唯一人とは云ふ迄「型」の爲に「型」を演ずるのみならば多くは空しき誇張に止まるが 故に、者に怪奇突梯の感を起すも事實止むを得ぬことであらう。 もない、中村吉右衞門である。 文壇で鼓吹された自然主義の效果は在來の作者に附纒った市氣匠「人」として敎育ぜられ又「人」として生活する前に「型」に育て 氣の根を絶やして文藝を人生其物と密接に交渉させ様とした處にあられ「型」に活きた今の多くの役者は「型」を操るには自在の妙を 亠さは る。吉右衞門が歌舞伎芝居の爲に成遂げた ( 或は成遂げんとし成遂得ても「型」に相應しき「心」を盛ることが出來なかった。役者と げつ乂ある ) 功績も「型」の芝居を「心」の芝居に變ぜしめた點ても人である、人と生れた以上或る程度に或る種類の閲歴を積んで ゐることに變はりはないが唯其閲歴の種類と程度とが多くの場合限 換言すれば舞臺に上りて役々に扮するとき藝よりは人、人より られたる範圍を薄く淺く觸れてゐるに過ぎない。從って是等の役者 は其人の精に依って直に我等の生活經驗に迫らんとする點にあ る。文壇の運動は破壞と云ふことには成功しても力ある建設の方面から成立っ芝居ば其佳きものに至っては見て厭きないには相違な には些の積極的貢獻を敢てし得る個性に乏しかった。吉右衞門の破い、又面白いには相違ない、然かも舞臺の人の境遇に又心持に自己 の心全體を擧げて打込む程に劇げしく肉薄せられる感に乏しい。歌 壞は力ある建設夫自身に依って行はれた。吉右衞門が演出する役々 あな歩ら は「型」が動くのではない、又其役々の「人」が動くのでもない、あ舞伎芝居を見る目には常に「遊び」の心を件ってゐる。自分は強 しりぞ に「遊び」の心を却けるものではないが「遊び」の心を件ふ多くの らゆる種相差別相を絶して唯一つの發剌として力ある「心」が動く のである。吉右衞門にあっては「型」と「心」とは二にして一なる經驗は刹那に結びては刹那に消える泡沫の様に淡く且っ短かきに傾 き易すいを物足らず思ふのみである。 ものである、「型」のある處に「心」がある、「心」が溢れて「型」 けだ 蓋し「遊び」の心を件はぜて心肝に徹する心持を味はぜ得ないの となるのである。、あらゆる形に唯一つの心を盛ると云ふ意味に於て は役者があらゆる役々を充分解釋するに足る閲歴を缺くが爲であ 自分は吉右衞門を象徴主義者と名づけたい。 中村吉右衞門論
そのやうな流行としては「悲劇の哲 もののうちに埋れさせ、 給ふであらう、その間は眠ってはならぬ。」といふパスカルの語を 引き、その意味について繰返し論じてゐる。眠を殺して探求を續け學」も日常的なものである、ーー我々自身の主體的な不安から眼を そむけさせることにある。しかるに懷疑の精紳は、日常は蔽はれ不 ることが懷疑の精である。何がそのやうに探究され、また探究さ れねばならぬのであるか。日常は蔽ひ隱され不安において初めて顯安において初めて顯はになる現實に面して最も近く立ち、執拗に間 はになるリアリティである。不安の文學、不安の哲學は、その本質ひつつ踏み留まるといふことである。かくの如き問の固持から文學 も哲學も生れてくる。 において、非日常的なリアリティを探究する文學、哲學である。そ いつの時においても哲學の、そしてまた文學の根本問題は、リア れ故にもしかやうな文學や哲學に對して批判を行ふべきであるとす リティの問題である。いづれの哲學、いづれの文學も、根本におい れば、批判は何よりもリアリティの問題の根幹に觸れなければなら て、リアリティ以外のものを欲するものではない。相違はただ、何 ぬ。かくしてまた本來の不安を憂鬱、低徊、焦躁などの日常的な心 理から區別することが必要である。不安は單に心理的なものでなくをリアルとして體驗し、また定立するかにある。その或るものが現 實を破壞するやうに見える場合ですら、これによってただ、ひとっ て形而上學的なものである。 の他の、より深い、より眞なる現實を發見しようとしてゐるのであ 私はここで懷疑がいかに容易に好奇心に轉落するかを指摘しても よいであらう。好奇心は知識欲のやうに見られるが、それにとってる。シェストフがニーチェ、。ハスカル、ドストイ , 一フスキー、チェ ーホフ、トルストイ、その他に關する幾多の評論において倦むこと はもと知識の所有が目的であるのではない。好奇心は定まった物の なく探究したのも、つまり新しいリアリティの問題であった。「唯 そばに留まることを欲せず、つねに先々へ、遠方へさまよひ渉る。 何處にも留まらないといふことがその性格である。好奇心は到る處一つのことは疑はれない、ここには現實がある。新しい、未聞の、 に居り、しかも何處にも居らない。なぜならそれが求めるのは眞の嘗て見られなかった、或ひはむしろ從來決して展覽に供せられなか った現實がある。」と、彼はドストイエフスキーとニーチェの批評 認識でなくー・ー物に近く踏み留まらないで認識を得ることができる であらうか、ーー我々自身を散じさせることである。即ち我々は好の中で書いてゐる。彼は我が國では主として文壇において傳へられ てゐるが、思想的に見ると、彼は現代の哲學から孤立したものでな 奇心において我々をシェストフのいはゆる日常的なもののうちにと て く、いはゆる實存の哲學、ハイデッガーやャス。ヘルスなどの哲學と らへさぜることによって我々自身の本來の不安から眼をそむけよう い っとしてゐるのである。物についての「不安な好奇心」 ( 。 ( スカル ) の或る共通のものを有すると思はれる。 安 現代の哲學、特にあの實存の哲學は、もはやリアリティの問題 もとに隱されてゐるのは我々自身の不安である。この頃いはれる 不 的 を、舊い形而上學のやうに、實在と現象、本質と假象といふ如き區 懷疑はもと何等か不安から出たものであらう。けれども我々の間に おいてその懷疑が本來の精を失って、單に和安か流御を作るもの別をもって考へない。シストフ的思考においても同様にかやうな ス となり、かくして不安な好奇心に轉落してゐるところがないであら區別は場所を見出し得ないであらう。むしろ却って彼は日常的なも うか。シチストフの流行にしても、かやうな一面がなくもない。不のと非日常的なものといふ範鴫のもとに思考した。そして彼は非日 安な好奇心といふものが最近の我が國の文化の著しい現象であるや常的なもの、或ひは「地下室の人間」の權利において、日常的なも 2 うに見える。不安な流行、不安な好奇心の機能は、我々を日常的なの、ひとが普通に現實と考〈てゐるものに對して烈しく抗議する。 かっ あら はんちう しつえう
た心持ちで抱きたい、抱かなければすまない、と思いました。私は 自分に近い人々を一人一人全身の愛で思い浮かべ、その幸輻を眞底 から祈り、そうしてその幸疆のためにありたけの力を盡くそうと誓 いました。やがて私の心はだんだん廣がって行って、まだ見たこと も聞いたこともない種々の人々の苦しみや涙や歡びやなどを想像 し、その人々のために大きい愛を祈りました。ことに血なまぐさい 戦場に倒れて死に面して苦しんでいる人の姿を思い浮かべると、私 はじっとしていられない氣がしました。 私は心臟が變調を來たしたような心持ちでとりとめもなくいろい ろな事を思い續けました。 しかしこれだけなら別にあなたに訴 える必要はないのです。あなたに聞いていただかなければならない 事は、その後一時間ばかりして起こりました。それは何でもないト さい出來事ですが、しかし私の心を打ち碎くには十分でした。 私は妻と子と三人で食草を圍んでいました。私の心には前の續き でなおさまざまの姿や考えが流れていました。で、自分では氣がっ きませんでしたが、私はいつも考えにふける時のように人を寄せつ けないムズかしい顏をしていたのです。私がそういう顔をしている 秋の雨がしとしとと松林の上に降り注いでいます。おりおり赤松時には妻は決して笑ったりハシャイだりはできないので、自然無ロ の梢を搖り動かして行く風が消えるように通りすぎたあとには、 になって、いくらか私の氣ムズかしい表情に感染します。親たちの また田畑の色が盟かに黄ばんで來たのを有頂天になって喜んで顏に現われたこういう氣持ちはすぐ子供に影響しました。初めおと いるらしいおしゃべりな雀が羽音をそろえて屋根や軒から飛び去っなしく食事を取っていた子供は、何ゆえともわからない不滿足のた て行ったあとには、ただ心に沁み入るような靜けさが殘ります。葉めに、だんだん不機嫌になって、とうとうツマ一フない事を言い立て てぐずり出しました。こういう事になると子供は露骨に意地を張り 紙を打っ雨の單純な響きにも、心を捉えて放さないような無限に深い の ある力が感じられるのです。 通します。もちろん私は子供のわがままを何でも押えようとは思い 想 私はガ一フス越しにじっと窓の外をながめていました。そうしていませんが、しかし時々は自分の我のどうしても通らない障壁を經驗 思 る つまでも身動きをしませんでした。私の眼には涙がにじみ出て來ま させてやらなければ、子供の「意志」の成長のためによろしくない あ した。湯加減のいい湯に全身を浸しているような具合に、私の心はと考えています。で、この時にも私は子供を叱ってそのわがままを いつのまにか私は子供のわがままに ある大きい暖かい力にしみじみと浸っていました。私はただ無條件押しつぶそうとしました。 に、生きている事を感謝しました。すべての人をこういう融け合っ對して自分の意地を通そうとしていました。私は涙ぐみながら子供 和辻哲郎 ある思想家の手紙
310 を物語って多様な大川の心理を讀者の心に浮ばせようとはする。けは愛惜すべきものである。容易に身を委ねてしまひたくはない。」 れども、作者も讀者も憎惡の世界へは少しも入ってゆかない。「博といふ告白を取り遁さないで、讀者は讀むであらう。そして更に純 けふだ 士 ( 大川 ) の心ではかういふ時に、いつも卑む念が強く起って、憎一が、「己はなんといふ怯懦な人間だらう」と叱ってゐるのをも、 む念に打勝つのである。卑んで見れば、憎む價値がなくなるのであ見落さないであらう。 る。」作者はさうつけたしてゐる。私たちも亦さう考へてゐる。卑 純一に於ては、女に對する心情も亦、一つの遊動ではないであら しむといふことはひとつの評價である。だが、憎むといふことは評うか。作者がかの「あそび」や「不思議の鏡」の中で漏らしてゐる 價ではない。愛と憎とは人が評價から離れることである。「魔睡」遊動は、遊動者に「苦い味」も「跡腹のいたみ」も殘さないもので は人間的苦惱を評價の手前で見ないでゐるのである。 ある。だから、わが肉體と精神とを愛惜しつつ、苦い味を後に殘さ 私はここで、鸛外がひどく好きな句としてあげた去來の句を想ひないアワンチウルを探し求めた人の姿を、鸛外の中に見るのは、性 起してもよからう。「秋風や白木の弓に弦張らん」。鸛外はかういふ急な遣り方であらうか。純一が「慧愛といふものをいっかはしよう 句がしてみたかったが、まだできなかったと言って ( 明治四十五年 ) と、負債のやうに思ってゐながら、戀愛はしない」といってゐるこ ゐる。私は外がかういふ句を好いたといふことを、改めて言ふ要とも、作者の内生活内奧を探るために差入れる光りの一つにはなる もないやうであるが、私逹はここで鷦外が何故小説を一つの仕事とであらう。 したかといふことを又想ひ出さねばゐられない。「靑年」も「魔睡」 女を知らない純一が、自分を顧みて、「己には眞の生活は出來な も小説として決して功を收めてはゐない。作者は「魔睡」の結末の いのであらうか。己もデカダンスの沼に生えた、根のない浮草で、 ところで、外國の小説 ( ハルトの会 Tan ( ュ s der Narr") をもって來花は咲いても、夢のやうな蒼白い花に過ぎない」と言ってゐるが、 て、まだ描かれてゐない大川の心の動搖を讀者に知らせようとして人間も自然の如く世界のものすべてが、遊動の中のものとすれば、 ゐる。このことはこの作者に屡よ見られる描寫の筆の節約である。 所詮はこの夢のやうな白い花が生活の象徴となってくることも、免 苛酷な評も出るだらうと思ふが、認識の客覿性をと希ふこの作者のれがたいことではなからうか。これは私が鸛外の存在のひろがりと 存在の重さが現はれるのである。それにしても、とにかくに鸛外はして見た彼の spiel の性につながるものであるが、鸛外の存在の重 さとしての認識の客観性の要求もこのひろがりと結びついてゐる。 小説を書いたのである。 「靑年」の中に、純一の内面生活を幾度か亂したことのある或る未物にしてその重さとひろがりの統一してゐないものはない。 亡人が描かれてゐる。彼女の家を訪れた純一が後で、「一時發現し 鷦外の作風は二つのものの合一をよく語ってゐるやうに思へる。 自然認識の客觀的性質を欣求する心は、ほんたうには人間の世の中 たカの感じ、發揚の心状は、すぐに迹もなく消え失せてしまって」 ふち と、積極的感受のないことを語ってゐる。愛慾の縁まで臨むのではの一切を遊動として眺める心であるやうに考へられる。鷦外は作品 にが あるが、「後悔と名づける程の苦い味を感じてはゐない」のである。 の中で、心象の、彼のいはゆる寫象の結ぼれるままに、知識の庫を さくれい 讀者は「靑年」の中で、純一が、「内面からの衝動、本能の策勵」開けてあらゆる事象にわたって敍述するのである。ロマンティック アワンチウル に心の不安を感じてゐるのを見るのである。しかし、「 aventeure に の作者や象徴によってすすんでゆかうとする作家とは異って、描寫 遭遇して見たい。その相手が女なら好い。」でもしかし、「自分の體の上の投機もしなければ、節約に心をくだかうとはしない。彼は高 シュビール シュビール
ないのだ、どうせ地獄行きを覺悟していた身なんだから。ああ、何で私は死ぬはずの病氣から回復したそうです。回復すると、私は、 6 3 という深い信仰だろう。それに反して、私は、何という小さな知惠今更のようにトルストイに腹をたてた自分がはすかしくなり、罪ほ にたより、そのために、大きな信仰を失ってしまっていることだろ ろぼしのようにトルストイを讀み始め・ました。そこで、今日から う。私は自分があまりにいやしく、あまりに小さすぎるために、大は、私がトルストイから何を受取ったかをお話しいたします。もと きな力を見ることも感ずることもできなかったのだ、とそう思いま よりトルストイの大に比べれば私など物の數でもありませんから、 した。しかし、この思いはまだ漠然としたものであって、大きなカ私が大トルストイの全思想を傳えうるはすがありません。私はただ が何ものであるかなどというようなことは考えても見なかったので トルストイという大海から、私という小さなヒシャクですくい取っ す。私も、また、ある日、ふと、大きな力を感じたのです。しかも たものをお話しするにすぎません。 漠然と。近角先生や池山先生の理性に反した信仰をあわれんだ私 トルストイは、氣むずかしい嚴格な敎師という印象をどうかする は、その時の自分をあわれまねばなりませんでした。私は近角先生と與えがちですが、とんでもないことです。トルストイは、當時最大 や池山先生の前に恥じ入らなければなりませんでした。しかし、私の橢力を持っていた恐るべき皇帝と敎會をも少しも恐れすきびしく は、兩先生のように、信仰に入ったのではありませんでした。あの批判して、いかめしい人のような印象を與えましたが、心はきわめ 人たちのような確信はまだありまぜんでしたから。ただ私は同じ歎てやさしい人でした。彼の娘のアレクサンド一フが書いた「トルスト くわたく んなうぐそく 異鈔の別のところをひらいて「煩惱具足の凡夫、火宅無常の世界はイ」という本を讀んでも、また息子のイリヤの書いた「トルストイ よろづのことそらごとたはごと」と讀んだときに涙が自然にあふれの思い出」を讀んで、も、彼がどんなにやさしい人であったかがよく 出て頬を傳うのを感じ、心がおのすから靜まり、もういっ死んでもわかります。家庭でもやさしい父でありましたが、外へ出ても、や いいと思いました。そして、そのあとで、これは何だろう、どうし さしい隣人であり瓧會人だったのです。トルストイが年をとってか たことだろう、と自分に問いつづけました。ついでに申しておきま ら生れた子が、七歳になって病死して、埋葬されることになり、棺 すと、この文句の大意は、「われわれは肉體的欲望になやまされてが墓穴の中へ沈んでゆくのをじっと見まもっていたトルストイは、 いる凡人だ、われわれの住む世界は火のついた家のようにあぶな大勢の人たちの目の前で、突然すすり泣きをはじめ、そのすすり泣き く、そして常に變化してやまぬあてにならない世界で、そこではすの中で「土から來たんだから、土に還るんだよ」と呟いたというこ べてのことが、うそばかりで、他愛ないことばかりだ」という意味とがイリヤの本の中に書かれています。ここにいるのはただやさし きをん いお父さんです。また、地方に肌饉があったときに、トルストイは です。 一家をひきつれて出かけて行って、私財をなげうち、夜の眼もねず に救濟に當って全ロシアを感動させました。トルストイの小説に 3 罪悪感と反戦思想 「主人と雇人」というのがありますが、これは、主人と雇人が出先 きで吹雪に逢ったとき、雇人が自分の體で主人をかばってだんだん 歎異鈔で心が靜まり、目がさめた私は、ほんとうに靜かな心で死 を待っことができるようになりました。死はいっ來てもかまわない體が冷えてゆくのを感じて、主人が、雇人をはらいのけ、今度は自 と心の底から私は思いました。醫者にいわぜると、その心の落着き分が雇人の上になって雇人をかばい、死がせまったとき、下になっ つぶや
分以上に愛している彼女の眼には。 りないからです。 私はすぐ口をつぐみました。後悔がひどく心を噛み始めました。 私は自分の仕事のために愛する者の生活をいくらかでも犧牲にす ることを恥じます。この犧牲を甘んじて受けるのは、取りもなおさ人を裁くものは自分も裁かれなければならない。私はあの人を少し でもよくしなければならない立場にありながら、あの人に對する自 ず、自分の弱さを是認するのです。私は弱さに安んじたくありませ ん。自分の弱さのために他の運命を傷つけ犧牲にするなどは、あま分の惡感のみを表わしたのです。私の惡感は彼をますます惡くしょ うとも、善くするはずはありません。すでにこれまでにも彼を壓迫 りに恐ろしい。 する事によって彼の自暴自棄を手傳ったのは、私であったかも知れ ません。私もまた彼の頽度について責めを負うべき位置にあるので また、私は人を責めることの恐ろしさをもしみじみと感じましす。ことに私は ( 物的價値に重きをおかないと信じている私は ) 彼 のためにどれだけ物的の犧牲を拂ってやりましたか。物的價値に執 た。私はある思想に據って行爲を非難する事があります。そうして 時には自分の行爲もまた同じように非難せられなければならない事する彼の態度への惡感から私はむしろそういう盡力を避けていまし た。そうしてこの私の冷淡は彼の態度をますます淺ましくしまし を忘れています。 た。ここでもまた私は責めを脱れる事ができないのです。畢竟私の ある時私は友人と話している内に、だんだん他の人の惡口を言い 出した事がありました。對象になったのは道德的の無知無反省と敎非難が私自身に返って來ます。 私は自分の思想感情がいかに浮ついているかを知りました。私が 養の缺乏とのために、自分のしている恐ろしい惡事に氣づかない人 でした。彼は自分の手である人間を腐敗させておきながら、自分の立派な言葉を口にするなどは實におおけない業です。罵っても罵っ 罪の結果をその人のせいにして、ただその人のみを責めました。彼ても罵り足りないのはやはり自分の事でした。 は物的價値以外を知らないためにすべてをこの價値によって律しょ うとし、最も嚴肅な生の問題をさえもそういう心情の方へ押しつけ 私は道德をただ内面的の意義についてのみ見ようとしています。 て行きました。そういう罪過はいろいろな形で彼に報いに來まし そうして他人の不道德を罵る時にはその内面的の穢なさを指摘しょ た。がしかし、彼はその苦惱の眞の原因を悟る事ができないのでし うとします。 た。私はその人の人格に同感すればするほど不愉快を感じます。そ しかし自分の心はどれほど淸らかになっているか。恥ずべき行爲 紙うしてその苦惱に同情するよりもその無知と卑劣が腹立たしくなり をしないと自信している私は、心の中ではなおあらゆる惡事を行な のます。ーーで、私は友人と二人でヒドイ言葉を使って彼を罵りまし っているのです。最も狂暴なタイフントや最も放恣な遊蕩兒のしそ 記た。私の妻は初めから默って側で編物をしていました。やがて ( い をつも惡口をいう時にそうであるように ) 私はだんだん心の空虚を感うなことまでも。もちろん私は氣づくとともにそれを恥じ自分を じて來て、ふと妻の方に眼をやりました。妻も眼を上げて默って私責めます。しかし一度心に起こった事はいかに恥じようとも全然消 5 を見ました。その眼の内には一撃に私を打ち碎き私を恥じさせるあえ去るという事がありません。時には私は自分の心がないもので る物がありました、 私の缺點を最もよく知って、しかも私を自いつばいになっている事を感じます。私たちはこの穢ないものを恥
じるゆえに、抑壓し征服し得るゆえに、安んじていていいものでしをカづけ幸幅にする意味で、他人のためにもいい事です。どこまで 6 1 ようか。私は自分に親しい者たちの心の内に同じような穢ないもの 行けるかなどという事はこの場合間題ではありません。 がある事を想像するのはとてもたまらない。それと同じく他の人も ただ私はこの運命の信仰が現在の無力の自覺から生まれている事 私の心の暗い影を想像するのは非常に不愉快だろうと思います。私を忘れたくないと思います。ここに誇大妄想と眞實の自己運命の信 はどうしても心を淸淨にしたい。たとえそのために人間性質のある仰との別があるのです。成長しないものと不斷に力強く成長するも 點に關する興味が澗渇しようとも。私が他人を罵るのは畢覚自分をのとの別があるのです。前者は自己を誇示して他人の前に優越を誇 罵ることでした。他人の内に臟ないもののある事を見いだすのは、 ります。後者は自己を鼓舞し激勵するとともに、多くの惱み疲れた 要するに自分の内にも同じもののある證據に過ぎませんでした。 同胞を鼓舞し激勵します。 あなたに愚痴をこぼしたあとでこんな事をいうのは少しおかしい 五 かも知れません。しかし私はあなたに愚痴をこぼしている内に自然 あまりジメジメした事ばかりを書いてすみません。しかしあなた こういう事を言いたい氣持ちになって來たのです。 に訴えれば私の胸はいくらか輕くなるのです。 私たちが今矮小だという事實は、實際私たちを苦しくさせます。 けれど苦しいからといってこの事實を認めないわけには行きませ 私はどんなに自分に失望している時でも、やはり心の底の底で自 ん。私よりも聰明な人は私よりももっとよくこの事實を呑み込んで分を信じているようです。眼が鈍い、頭が惡い、心臟が狹い、腕が いると思います。自分の小ささを知らない靑年はとても大きく成長カジカンでいる、 どの性質にも才能にも優れたものはない、 する事はできますまい。 しかも私は何事をか人類のためになし得る事を深く固く信じて しかしこの事實の認識はただ「愚痴」という形にのみ現わるべき います。もう二十年 ! そう思うとぐッたりしていた體に力がみな ものでないと思います。愚痴をこぼすのは相手からカと愛を求める ぎって來る事もあります。 ことです。相手にそれだけ力と愛とが橫溢していない時には、勢い 邇命と自己。この間題は久しく私を惱ませました。今でもよくわ 愚痴は相手を弱め陰氣にします。我々から愛を求めている者に對しかりません。しかしこれまで經て來た自分の道を振り返って見る て我々の愚痴を聞かせるのはあまりに心なき業だと思います。 と、重大な事はすべて豫期を絶していました。これから起こる事も 私たちは未來を知らない。未來に希望をかける事が不都合なら末恐らく豫期をはずれた事が多いでしよう。私はいろいろな事を考え 來に失望する事も同じように不都合です。しかし私たちはただ一 たあとでいつも「明日の事を思い煩うな」という聖語を思い出し、 つ、生が開展である事を知っています。私たちはただ米來を信じすべてを委せてしまう氣になります。そうしてどんな事が起ころう て、現在に努力すればいいのです。努力のための勇氣と快活とを奮とも勇ましく堪えようと決心します。 い起こせばいいのです。現在の小ささを悟れば悟るほど努力の熱は しかし私はすでに與えられたものに對してはのんきである事がで 高まって來ます。自分の運命を信じて、今に見ろ今に見ろと言いなきません。運命が自分をいかに變化しようとも自分が他人になる事 がら努力する事は、自分に對していいのみならず、自分の愛する人は決してありますまい。私の個性は性格は私の宿命です。どういう
322 託して人の意を測ってみたり、二つの意味の有る言を云ってみたがら、「まことの我」の自覺が足を縛られた放鳥の自由であっても、 いろいろさまざまに不德を盡す」のであかく反省することによって、また悲慘をきわめた戀愛の體驗をとお り、信じてみたり、 る。人間の本體は、自我はただ「己一個の私」だけを思って、表面して、自我の覺醒をもたらしめたことは認めなければならず、「弱 い心」が自利的な利己心として働いていることをも否定できない。 に無心な顔を裝いながら、自利を計る「私欲、貪婪、淫褻、不義、 けしん 太田が相澤を良友と認めながら、なお一點の憎惡を寄せているの 無情の塊」っまり利己心の化身にほかならなかった。 ところで、「舞姫、の場合はどうであろうか。この小説は、「浮も、これを證するであろう。作者は、ここでは、自我の覺醒を主情 うた 雲」が寫實的な心理小説であったのにたいして、太田が第一人稱を的に詠ったのであり、「まことの我」を、こうした感情の根柢にあ 使って述懷する形式をとった 0 「ンチックな私小説であり、「浮雲」るものとして、その可能な姿をしめし、その後の「うたかたの記」 が言文一致體であるにたいして、情絡的な和文體であった。純情なや「文づかひ」において、このロマンチックな自我を追求したとい 靑年太田は「當世の奴隷」といわれる舞姫エリスを救い、免官となうことができる。 った後も、故鄕の母の死を知り、友人に助けられて新聞通信員とな ってまでもドイツに踏みとどまり、舞姫とのあいだの愛情に生きょ 二葉亭四迷が「浮雲」において利己的人間を見出し、そこに自我 うとした。だが、太田は内海とちがって愛情を得たものの、愛情に 生きるためには、故鄕を棄て、榮逹を忘れ、異國の土となることをの文學をきずいたことは、森鸛外の「舞姫」がまだ自我の感情的な めざめにとどまっているに比較しても、驚異すべきことであった。 覺悟しなければならなかった。だから、「目的なき生活をなすな」 という友人相澤の言に、「弱くふびんな心」から、情縁を斷たんと二葉亭の逹成は、ロシア文學、ことにゴンチャロフの「オプローモ しさ 約束した結果、天方伯に見出されて歸國できることになりはなったフ」あたりに示唆されたものであろうが、その文學的技法、その文 學的粉飾の巧緻をしばらく論外とするならば、自我意識の根柢はす ものの、姙娠していた舞姫を棄てて狂人にしてしまったのである。 でに明治維新による封建的身分制度の撤發にともなう市民瓧會の進 「相澤謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我腦裡に 展とともに準備されていた。逆に森鸛外の「舞姫」が感情的な自我 一點の彼を憎むこころ今日まで殘れりけり」と作者は結んでいる。 のめざめにとどまるにしても、作者自身がそこに彷徨していたとは 鸛外は、自己の靑春の動搖した心情を、「舞姫」一篇に託したの 。、うそう であろう。太田が「奧深く潜みたりしまことの我」「我本領」を悟限らないであろう。のちの「妄想」は必ずしもこれを立證するもの とはいえないかもしれぬが、爾後の鸛外の文學的活動と照應して考 って、「我ならぬ我」とたたかって自由を得たと考えたのは、「足を 縛して放たれし鳥の暫し羽を動かして自由を得たりと誇りし」ようえるときは、「處女のやうな官能を以て、外界のあらゆる出來事に なものであったかもしれぬ。だから、ここではまだ自我が確立せら反應して、内には嘗て挫折したことのない力を蓄〈てゐた」鸛外 : 、ドイツ留學中に、「自分に或る働きが出來るやうに、自分を爲 れず、「我と人との關係を照さんとするときは、賴みし胸中の鏡はカ 曇りたり」で、友人相澤の他動的な決定に俟たなければならなかつ上げる」ために學問をしているが、自分のしていることが役者の役 たといえるかもしれない。太田が自ら反省するように、この自我は割のようなもので、靜かに自分というものを考えたり、役割の「背 「弱くふびんな心」「特操なき心」にとどまるといえよう。しかしな後にある或る物が眞の生ではあるまいか」と考えられ、個人的な自
人に先んじてこの權利を保證されるものとの差別ーなどは無くな見える所謂知識階級の比較的健全なる分子の上に、現實をあるがま 0 幻り、從って阿部氏特愛の高尚な選標準も折角ながら無用に歸してまに見る眼を曇らせ現實の意義をあるがままに感受する心を鈍らせ ゐる譯である ! る力を、氏の心的改浩論が働きかけるからである。 リップスが當來の瓧會に於ける財貨その他の分配原理を各人の人 「此の如き進歩が、良心の苦痛なしに現在の私逹のやうな生活を 格價値に置いたことの誤謬は「リップスの人格主義に就て」の中で 若くは、現在の私逹以上の生活を、支持して呉れる日が來るま かな 指摘した通りである。私は阿部氏からは未だ當來の社會に於ける財で、今日の經濟生活を人格主義の要求に協ふものにするためには、 貨その他の分配原理に就ては詳しい主張を聞かない様に思ふが、上私達は贅澤心を抑制して生活を單純化する方向に注意を向けなけれ 述の如く個人の能力とそれに基づく瓧會的使命の重さとを生存・保ばならない。」 ( 「人生批評の原理としての人格主義的見地し此處で氏はし 健・敎養三權の分配原理とせられ、又「人生批評の原理としての人きりに「私逹」といふ言葉を使って居られる。その意味の範圍はよ 格主義的見地」の中でも「所有權の人格主義的根據は、所有者の く解らないが、少くとも無産者が「私逹」の仲間に屬してゐないこ : にあるのではなくて、これを正當に使用し得る能力がこの權利 とだけは明かである。何故といふに彼等は「私逹」の様に現在以上 の根據とならなければならない」と言って居られる氏は、勿論この に「贅澤心を抑制して生活を單純化する」だけの餘裕を持ってゐな 點に於ても他の多くの點に於けるが如く、リップスの「弟子」であ いからである。「人格主義的見地よりすれば、物質的享樂欲を制限 らうと推察せざるを得ない。何となれば氏の所謂力とは畢竟リッするところに、今日の經濟生活の眞正の進歩がある。贅澤心の抑制 プスの所謂人格價値の別名に他ならないらしいからである。この意 と生活の單純化ーーーこれこそ今日の生活を無底の泥池から救ひあげ 味に於て氏も亦リップスとともに高く美しき空虚の理想を掲げてプ て、私逹の良心に安靜を與へる不動の方針でなければならないであ 1 ルジョアに好個の遁辭を、場合によっては良心の痲醉的慰安をさ らう。」 ( 同上 ) 「贅澤心の抑制と生活の單純化」とが果して「私逹の へ與へる事になるといふ道德的非難を免れる事は出來ない。 ( 序で良心に安靜を與へる不動の方針」であるかどうかは疑はしいが、少 乍ら「各人にはその欲望に從って、各人は其能力に應じて」といふ くともそれは、「私逹」の良心を自ら慰めて「自己の生活と瓧會と 社會主義の標語に於ては、人格主義の分配原理であって能力が生産に於いて實現することを要するものをその心に負うて、情熱と苦悶 原理となってゐる。分配原理としては非實踐的で空虚であった能力との眼を輝かしつつ、明らかに現實の眞相を見る」 ( 「理想主義のため とうあん といふ言葉が、一度生産原理となると忽ち明確な實踐的意義を帶び にし本當の理想主義の眼を曇らせて、一時の偸安に耽らせるだけの て來るのは、面白い現象である。 ) 效果は確かにあるであらう。かくの如くにして良心に安靜を與へら れる「私達」は誠に結構であるとしても、今日以上に「贅澤心を抑 制して生活を單純化する」ことの出來ない無産者は如何にして良心 の安靜を得べきであるか覆 ~ 「、 ーは物質的窮乏とその直接間接の結果 たる様々の不幸との中に当して、やる方なき不平不滿と憂愁憤怒 とに痛く、いの安靜を攪きは・を才 してゐるのに、萬人にその洗體を勸め て止まぬ人格主義が、一卩 . ~ 」のためにはかくも懇切に良心の安靜 阿部氏の人格主義を私が非難しなければならない第二の理由は、 しうけい それにまつはる心的改造論の傾向が、氏の遒勁なる表現と整然たる しらすしらすうち 理路とによって却て一層人心を不知不識の中に腐らす力を揮ふから いづ である。殊に掠奪階級と被掠奪階級との何れにも屬せざるが如くに
時代の風潮となるには、何の困難もない。暗示にかかりやすい、盲佛の力として彼らに受け取られるのである。 音樂に陶醉した彼らは、時々うっとりとした眼をあげて、あの御 目的な民衆は直ちに彼らのあとについて來る。 紳しい偶像をながめる。彼らはもう自分自身のことなどを意識しな 私は偶像禮拜者の歡喜をさらに高調に逹せしめる要素として、讀い。彼らの心は偶像の内に融け入り、ただ無限の感謝と祝輻との内 ーー實際、興 經および儀式の内に含まれている音樂的および劇的影響をあげなけ に、強烈な光と全心の輕快とを經驗するのである。 ればならぬ。 奮した彼らの心は、彫刻に對しても音樂に對しても、きわめて敏感 になっている。その内のいのちの強さと濃淡とは、たとえ明確にで 我々の祖先は今、適度の暗さを持った莊嚴な殿堂の前に、聖な 偶像の美に打たれて頭を垂れている。やがて數十人の老若の僧侶がはなくとも、きわめて強烈に感ぜられたに相違ない。ことに右の場 夢の中に歩く人のごとく靜かに現われて、偶像の前に合掌禮拜しあ合のごとく、すべての藝術的效果と宗敎的感化とが、ただ一點に、 るいはひざまずきあるいは佇立する。柔らかな衣の線の動き。華やすなわち偶像の禮拜に集中している際には、その有頂天がいかに深 かな衣の色の對照。群集の規律ある動作によって起こる劇的效果。 く強いか、ほとんど我々の想像以上であったらしい。かくして我々 堂内の空氣はますます緊張を加えて行く。一瞬間深い沈默と靜止が の祖先は、偶像崇拜において一の美的宗敎的な大歡喜を味わって いたのである。 起こる。突如として鏡い金屬の響きが堂内を貫ぬき通るように響 く。美しい高い女高音に近い聲が、その響きにからみついて緩やか さらにこのことは、「生きがいのある」、より高い生活を求めて な獨唱を始める。やがてそれを追いかけるように低い大きい合唱が 始まる。屈折の少ない、しかし濃淡の細やかなそのメロディーは、 「道場」にはいった多くの像侶において、一屬著しかったに相違な 最初の獨唱によってまた身震いを感じないでいられなかった我々の 祖先の心を、大きい融け合った響きの海の内に流し込む。苦しいほ 當時の寺院は恐らくすべての點から見て文化の寶藏であった。そ どの緊張は快い靜かな歡喜に返って行き、心臓の鼓動はまたゆるやこにはただ修道と鍛練との精進生活があったばかりではない。むし かに低い調子を取り返す。 ろあらゆる學問、美術、敎養などがその主要な内容となっていた。 けれどもこの穩やかさは、視覺に集中した心が聽覺の方へ中心をあたかも大學と劇場と美術學校と美術館と音樂學校と音樂堂と圖書 移す一つの中間妝態に過ぎない。僧侶たちが、佛を禮讃する心持ち館と修道院とを打って一丸としたような、あらゆる種類の精紳的滋 にあふれながら讀誦するありがたいお經は、再び徐々に、しかし底養を藏した所であった。そこで彼らは象徴詩にして哲理の書なる佛 力強く、彼らの血を湧き立たせないではおかないのである。彼らの典の講義を聞いた。その話的な、象徴化の多い表現に親しむとと の 拜心には、絶大微妙な佛力に對する歸依の念が、おいおい高まって來もに、それを具體化した佛像佛畫にも接した。私は彼らの心臓の鼓 る。そうしてそれは音樂が與える有頂天な心持ちとびったり相應じ動を聞くように思う。ーー彼らが朝夕その偶像の前に合掌する時、 ている。時々あの高い聲の獨唱が繰り返されるのも、そのたびごとあるいは偶像の前を回りながら讃頌の詩經を誦する時、彼らの感激 は一般の參詣者よりもさらに一層深かったに相違ない。 のにいくらか合唱が急調になって行くのも、皆彼らの歡喜をあおると 私はこの種の僧侶のうち、特に天分の豐かであった少數のもの ともに、彼らの信仰を刺激し強めないではいない。音樂の力はただ