の影響の下に茶道が生まれ、德川時代に支那文學の影響の下に元祿 我國の現代文化には、あらゆる方面にそれがある。政治や學問の 0 田方面に於て然る如く、文化一般に於て、外國の新形式と、自國の傳文學以降の德川文學が生まれ、支那劇の影響の下に歌舞伎が生ま 統的形式との、兩者の機械的摸倣の流行がある。傳統的感性の持續れ、時代獨得の聲樂、器樂が生まれたやうな、他國の影響の下に於 を失った日本人が、日本の古いものを摸倣すれば、外國人の「東洋て、自國の傳統的感性による創造をもっといふ段になって、現在又 趣味」と同じ結果に陷るのは當然である。それはただ料理店やカは今後の日本人は、過去の日本人に勝るとも劣るものなきを得るか 何うか、多少懸念される。 フェだけの問題ではない。文化一般、制度一般の問題である。 傳統的感性の純粹性を理解し、體得し、持續せしめるためには、 學校に於て、家庭に於て、社會に於て、敎育に於て、敎養に於て、 娯樂に於て、享樂に於て、要するに生活の全體に於て、目に觸れ、 心に觸れるすべてのものに於て、その感性が養はれ、奪重されるこ とを要する。殊に文學、美術、藝術等は、それらのもの自體のため ではなく、生活一般のために、さうした感性を養ひ、持續せしめる、 根本的勢力である。日本人の傳統的にもっ感性は、われわれのもっ 自然、國家、社會を條件として創造された特徴をもち、しかも國際 かんやう 的影響の下に涵養されたもので、隨って近代以後の、世界の日本 に、決して安當しない性質のものではない。尤も過去の日本人が、 相當高い文化的感性をもって、支那的なるものを日本化したやうな 經驗は、支那人やギリシャ人も、インドや中央アジャの文化に對し てもってゐたが、ただ日本人のさうした感性は、國民的に、傅統的 に、持續され、しかもその感性の質の大陸のそれとの相違が重要で ある。日本の政治と大陸の政治との根本的相違は、政治的の感性に 於ても、日本人のそれをして支那人のそれと徹底的に異るものたら しめたが、その日本人の政治的感性は、日本の政治のために持續さ れねばならぬ。而して生活一般に於ける日本人の感性の特徴も、同 じ意味で、現在も將來も持續されねばならぬ。 然るにさうした感性の傳統的洗煉は、ただ博物館に保存されてゐ るだけで、瓧會的に、國民的に、生きて發展させられる方法をもた ないといった傾きがある。隨って王朝時代に、漢字の影響の下に物 語文學が生まれ、足利時代に、元曲の影響の下に能樂が生まれ、禪
べて現實である。自然主義にいふ現實が、自然主義的現實ともいふ器械的感覺的方面をも、出來得るだけしみん、と味って見たいと言 べき特殊の解釋見方の下に見られた現實でなければならないこともって居られる。或は片上君の徹底的要求とはこの方面に徹底するこ とかと思った所が、やつばりさうではないらしく、かかる人生観に 亦、度々云った。漫然として現實を懷疑するとか、發見するとか、 現實の中に最高靈を發見するとかいっても、これは要するに空しき抗爭する方の要求を徹底的と呼んで居られると見える。此邊の片上 響に過ぎない。現實なる都合好き一語に自然主義の特質を誤化し君の考は實に不徹底を極めて居る。相反した二つの徹底的要求があ るのかと思ふとさうでもない。又一方の主観的要求を徹底的要求と 去るのは極めてずるい手段である。 片上君は哲學上から來た自然主義的人生覿の心持と、文學に於てしながら、其の消極的であることを承認して居る。印ち心靈の方の 徹底的要求は消極的徹底的要求といふものになるのである。 取扱ふ自然主義的人生観の心持といふ鄭重なる區別をせられたが、 吾人は唯主の動搖あるが故に徹底的要求を持つ者ではない。吾 この一事については後に論ずることとして、議論の順序上片上君が 文學に於て取扱ふ自然主義的人生観と言はれたものをば、片上君の人は唯焦燥煩悶するを以ての故に徹底的要求を有するとは見られな 意味する自然主義的人生と見、之について愚見を陳べる。これはい。若し吾人がこの徹底的要求なるものをあくまでも徹底的ならし めんとすれば、吾人は物質的人生とあくまでも抗爭し、これを排 片上君にも異議はないことと思ふ。 自然主義に於ける現實、從っては人生觀上の自然主義なるもの斥して、吾人の精的靈的要求を貫かねばならない。然しながら、 が、哲學上の器械論、唯物論、感覺論、決定論等即ち一言には哲學かく徹底し了せんとする要求、又徹底し了したる所に、何處に自然 上の自然主義に論據を置いて居ることは、恐らくは誰人も認むる所主義的人生観の片影が殘るだらうか ( 靈肉合致といふ様なことをい ふけれども、或る特殊の人を除いては、それは雎漫然と唱へられて であらう。然しながら片上君が稱して自然主義的人生観といふもの は、純粹にはかくの如きものではない。片上君は此等の器械的物質居るに過ぎない ) 。かくて片上君の所謂徹底的要求なるものは、消 的人生に對する吾人の主観の抗爭を以て、自然主義的人生の肝極的徹底的要求である。吾人は一方に於ては物質的器械的人生観の 腎なる要素として居られる。そしてかかる主観的精的靈的要求を多大なる壓抑を受けて居る。又かくの如き人生のあくまでも事實な ることを認めなければならぬ。然るに一方に於て我等の徹底的要求 呼んで、徹底的要求といって居られる。 然しながら自分の見る所では、片上君が好んで用ゐる徹底的といなるものは消極的である。かくの如き生活に於て果して何の徹底が ふ語は、極めて不徹底に用ゐられて居る。片上君は自ら自然主義者あらうか。若し徹底があるとすれば、徹底とは小桶の中に入れられ た魚が鼻をつくといふことと同意義でなければならぬ。若し靈的要 と名乘る人であるから、其の徹底とは自然主義的徹底であらうと思 って居たのに、それがどうもさうでないらしく見える。片上君は如求が吾人の要求であるならば、吾人の徹底的要求は靈に於て滿足せ 何に強辯しても、其の所説には明かに自然主義的人生観一點ばりでられねばならぬ、靈的人生に於て滿足ぜられねばならぬ。物質の岩 は到底滿足が出來ないといふことを發表して居る。ち自然主義的石にうち當ることを以て徹底といふことは出來ない。 自分が自然主義的人生観に於て吾人の徹底的要求を持することの 人生観に於ては、主的心靈方面の生活が全然無視せられるに堪へ ないから、更にこの心靈的方面からして人生の新しい價値を感得し難きを云った所以はここにある。吾人の靈的要求なるものが熾烈な たいと云って居られる。片上君は又一方に於いては、人生の物質的れば熾烈なる程、吾人は自然主義的たるに遠ざかるは明かなること
と彼とは無縁でないばかりか、これら一連の政治的に際立った現象仕方には同じえないものがある。ベルジア = フによれば、そこでの の背後に前者が考えられる點で、それらは切離しがたいものに見え逵成は、政治的指導によってであるよりも、寧ろ。シアの民族と國 る。一般に文化が、民族の理想が、瓧會主義が、すべての戦いが、 土に固有な可能性によって、その政治にも抑い開化したものであ 政治が、ある特定の傾向に刺戟されて生起し、そのものによって色ると。政治的指導は寧ろこのものを歪め、誤らせているというの 染められ歪められているのが、現代であると見られるからである。 が、彼の意見であった。 そしてそのすべての過程に於て、次第にあらわになりつつあるの 勿論結論するには、より多くの材料を持たなければならず、また は、精紳の、文化の危機である。そしてその誘因を、現代に於て主窮局は歴史の審判に待たなければならないだろう。かっ 0 シア革命 流的な、卑俗な意味での人間の物質主義的理解に見なければならなは、單に一實驗の一過程にすぎない。他の時代の、他の人間的物質 いことは、近代瓧會の發展がそれに負うところ多いだけ、それだけ的地盤の上ではまた他の過程がとられねばならないことが、問題を 悲劇的に見える。ドストイエフスキイが先驅的に深く惱んだのも、 複雜にする。私にはそうした場所に立ち入ることは出來ない。私の ぎんみ このもの以外ではなかった。 強調したいのは、つねに出發點に立歸ってその前提を吟味し、より 彼に於て既に危機克服の試みは、一方に宗敎的祈念となり、他方現實にして原理と方法を反省しなければならないことに過ぎな 瓧會主義による物質的地盤の再編成〈の希望を含んでいた。紳麼至い。社會主義は「空想より科學〈」進んだと言われたが、なおその すべての權威から自らを解放した人間は、自由であるとされた。と空想的理想主義的部分により多くの價値があり、科學的部分に於て ころでそのあまりもの自由が、今や彼の如き人をして戦かしめる。 は、その資本主義瓧會構造の分析への多くの貢獻に拘らず、なお多 人間はかかる自由に安らうにはあまりに惡しき情念に憑かれ、愚か おきて く批判の餘地があり、わけて人間の理解に於て少なからぬ見を含 であり誤謬にみちていることが發見された。神の掟の消滅の後にあむものと解される。最近に於ける人間の研究は、より深い眞實を開 らわれた、感性の喜びの、自我の、民族の、國家の、階級の等々の 示するように見え、科學の進展もそれを裏づけるのではなかろう 掟の、歸結を知らない爭闘の混沌と錯亂が、再び唯一の聖なる規範か。それが一時代の信念と希望に反し、かくて我々を一時混亂せし を天上に求めしめることがかくて起りうる。例えばカトリシズム めるとしても、我々は卒直に現實の指示に從うしかない。現實はプ は、現在多くの知性にとって、窮局の安らい場所になりつつあるよルジ , ア的理解よりも廣大であったが、また瓧會主義理論よりも深 立うである。しかしあまりに自らを恃み、愛し、自らを自らに於て理いのだろう。 學解しようとする人間の意欲は、その ( 例えばジャック・マリタンの 文學に階級的その他のイデオロギーが浸潤していることには疑い 「三改革者」にみられるような ) 人間の諸欲情、その現實性の拒否がない。しかしよき文學がつねにそれを越えていたこともまた疑い には堪えないと見える。 に えない事實である。表面の國家的對立、階級對立、それに拘らずよ 一方ソヴ = トの現實も、ジイドの「旅行記」「修正」などが示し き文學はつねに人間性の地盤に於て交流して來た。そのことは、文 たように、多くの疑問を露わにした。そこに何程かの物質的上昇、 學のよき部分が、かかるイデオロギ 1 的部分にないことを示すので 國力の充實がなされたことは爭えない。しかし我々に問題となるのはなかろうか。屡よ言われるように、文學は新しい社會的イデオ 0 は人間性であり、その將來の展望である。彼處で人間が處分されるギ 1 と、古いそれとの間の新爭過程に生れるのでなく、それらのイ
デオロギ 1 的上層部と、人間にとってより本質的であり好ましくああることは自明である。 人はこの人間性の深層を、それの新たな理解の敍述を、ただ彼が ると、「思考」されるよりは現實の中から「感受」される、より深 奧の表象との間に於て生成するのであらう。かくてそれは形象的で少し注意深くさえあれば、 ( 但しそのためには、自らの危機を體驗 しつつあることを必要とするが ) 殆どいたるところに自ら見、また なければならないのだろう。その結晶がより古い或はより新しいイ デオ 0 ギ 1 圈〈の復歸また到逹で終ることがあるとしても、それは讀むことが出來る。深く自分自身の内面や周圍を見廻すだけでよ 、優れた現代の精紳に耳をかすだけでよい。しかし正に、自らの 「止むをえざる悪」としてであり、その本質はつねに特定のイデオく 現實を偏見なき精禪に於て見ず、様々のイデオロギー的立場・・ーー資 こんこう ロギ 1 圈をつき拔け、人間性の新しい深みに逹しようと志向する。 文學者が一つのイデオ 0 ギーと一時代に於て共働することがあるに本家的、國家主義的、階級的、或はそれの混淆のーーに左右される しても、自律的な世界に生きる彼は、つねにその批判者に轉化しえということが、憂えられている當の事態であることを思えば、この たし、自らの立場を自由に保ったのであった。例えばジイドが最近こともそう容易ではないかも知れない。 になしたように。「ソヴトよりも就會主義よりも、人間性に關心 した」と彼は言った。 最近。ハアル・・ハック女史の「大地」三部作を涌讀してひどく動か それは人間の本質を言って、單に人間性と言うに依って足れりと するのではない。それは内在論ではない。まして瓧會的關心や實踐され、また「今日の支那で一番重要な運動の一つは、支那の若いイ の拒否でもない。ただす・〈ての就會性がイデオ 0 ギ 1 が人間性の立 , テリゲ , チ ~ が自分の國を發見したことである」という彼女の言 場に於て反省され、價値づけられることを欲する。そのことは當然葉になお心打たれた。それは一時代前の狂的な西洋崇拜、自國〈の 人間を單な素材とみ、過程とみることの拒否を含んでいる。それは絶望感からの脱出であり、支那自身に根ざした生活様式、人間觀〈 將來の理想社會のために、現段階の犧牲は止むをえないというようの復歸である。文學の中にも健康なものが、大地の上に簡素で根強 な見解、當面の危機の名に於て人間性の抑壓が是認せられねばならい生活を營んでいる、平凡な人逹の生命の健康さが取入れられ始め たと言われる。 ないという如き見解への懷疑である。 このことの含意は、一見思われるより遙かに深いのではないか。 人間を瓧會性に於て物質性に於て見ることは、近代の一特質であ った。しかしクス・シ = 1 ラーも云うように、様《の人間學が存それは上述の西歐的な文明と人間理解〈の、一つの反省を我《の心 によび起さずにいない。東方の智慧が再び省みられる。しかし、そ 在したし、現に存在する。彼によればマルクス主義もプルジョアジ 1 のそれを繼承する同一の人間理解に立っとされーーこの指摘はかれが單に東洋人の自覺でなく、「クス・シ = 1 一フーが支那に、西歐 なり正當だろうーーかくて同一平面上での技術的能率的優劣の如きの近代とは異る一つの貴重な文化を認めた時 ( この考方は啓蒙思潮 もの、その勢力爭いの如きものが生じるが、それは人間性にとって以來すっと西歐の一部に流れていたものだが ) またヴァレリイが東 本質的に新たな意味を持 0 ものではない。ところでさきに文化の危方を論じて、火藥を發明した支那は、大砲を作らずに、それを夜空 機と言ったものが、このいずれもに懷疑と不安を表明し、より深くの空しい娯樂に花火として消費したし、羅針盤を發明しながら、海 人間性を探ることによ 0 て、新たな念に到逹しようとするものでを越えた征服のためにそれを利用することを忘れた。それは「人格
を、よし短い間にしても、問題にしたのである。私は外のいはゆして心の底に殘ってゐて、針路をショウべンハウヱルの流派に引き つけたのであらうか。しかし、哲學者として立言するに至らなかっ る「私の生存」がどういふ生存であったか、それを探してゐるので あるが、明治から大正にかけて歴史の中を縱横に交錯して伸びた鷦た。歴史に於ては、初め手を下すことを豫期せぬ境であったのに、 外を追及することを、私は容易のこととは思ってゐない。自分にも經歴と遭遇とが人の爲めに傅記を作らしむるに至った。」 「歳計をなすものに中爲切と云ふことがある。わたくしは此數行を 分らないと言ってゐるものを、私たちが分らさうといふことは、言 ふまでもなく困難である。私は彼の生存の内容へと突込んでゆかう書して一生の中爲切とする。」 と思っては、又ひき返しするのである。 鸛外は更にこれに續けて、「人間は生きてゐる限りは思量する」 私はここで、鸛外の生涯の活動をたとへ手短にせよ語って置く方と言ひ、その思量の具となるべきものに就いて幾分語ってゐるが、 が、鷦外をくはしくは知らない讀者には勿論、かねてその或る期のもう小説は書かないであらうことを示してゐる。 この「なかじきり」のやうな文を書きとめて置くことは、鷦外の 作品のみを讀んだ人にとってもよいことではないかと思ふ。鷦外が 右の小品の中で「私は私の生存をしてゐた」と言ったのは、大正三ゃうな人間でなくてはあり得ぬことのやうにも思はれる。自分の文 學活動をこのやうに簡單に束ねて見せることは、その生存の内容に 年の春のことである。私が前回のところで擧げた幾つかの作品は、 殆どすべて鸛外が、ここに言ふ「生存をしてゐた」うちに入るので於て、その經て來たものの實體に於て、よほどに豐富多端でなけれ ある。だから、私は鷦外論を始めるのに、先づ彼の文學的生涯のいばできないことではなからうか。傅記作者にとって便利なものでは はば頂點のやうなところに立ってみたのである。明治の終り頃からあるが、大膽な爲切を恐れねばなるまい。 大正の初期にかけて鷦外の作品 ( 小説 ) はどっと群がって生れたの である。大正一一、三年以後になってからは勞作は歴史小説へと擴が ってゆき、大正五年の頃からは勞作は傳記へと集中されて行ったの 日本の技術文化と思想文化とが、内からと外からの諸の條件を具 であった。大正六年の秋のはじめに書いた「なかじきり」 ( 中爲切 ) へて、伸びに伸びすすんだ時があった。この「なかじきり」の書か は外の生存を窺ふに大層重要な手引となる。その中の幾行かを次れた頃はその勢づかんとする時であったのである。そのことは鸛外 に擧げてみる。 歿後この兩文化について書かれた歴史を見れば、一目にして瞭然た るものがある。してみれば、鷦外の創作活動の時期は、日本の右の 外「わたくしの多少瓧會に認められたのは文士としての生涯である。 抒情詩に於ては : : : 款を新詩瓧とあららぎ派とに通じて國風新興を兩文化が目ざましい伸展をしはじめる準備の時代であったのであ せいしよう の 夢みた。小説に於ては、濟勝の足ならしに短篇數十を作り試みたる。鸛外はかういふ時代に生きて心ゆくまま ( 彼のいはゆる ) 思量 て とが、長篇の山口にたどり着いて挫折した。鼓曲に於ては、同じ足なをしたのであった。明治四十三年のことである。鸛外は、日本が生 間らしの一幕物若干が成ったのみで、三幕以上の作は徒に見放くる山んだ大きな創作家馬琴に向って、馬琴の時勢の第を羨んでかう言 ったことがある。「馬琴よ。僕は君の八大傅の序文を書かせられて、 たるに止まった。哲學に於ては醫者であった爲めに自然科學の統一 昔愛讀した書の一一三頁を飜して見た。そして偶然君の辯疏の語を發 する處無きに惑ひ、ハルトマンの無意識哲學に假の足場を求めた。 3 恐らくは幼い時に聞いた宋儒理気の説が、微かなレミニスサンスと見した。 : : : 君は明治四十何年に生れないで、幸であった。」鷦 たば
代的」であった聖德太子の時代に於てもさうであった。太子其人文學の淸算が叫ばれたに拘らず、十年代までは、逍遙の「書生氣 も、一方では外國崇拜といはれながら、他方では始めて國史の編纂質」でも、さうした影響から免れきったものではなかった。一一葉亭 を企てられ、又あの有名な「日出る處の天子、書を日沒する處の天の「浮雲」でさ〈江戸文學の強い影響があり、外國文學の態度を、 子に致す」といふ國書をかかれた。その後元明天皇の御代に、朝廷さうした傅統的形式によって表現した観があった。これは德川末期 が始めて漢文の歴史を編纂されんとした時にも、先づ國語の歴史の戲作者文學が、極めて「近代的」性質をもち、且っ形式的にも、 「古事記」を作らしめた。明治時代もさうで、盛に外國の制度を取「近代的」であった故にもよるが、併しその江戸時代特有の表現形 り容れんとしたが、同時に、明治一一年に修史局を設けて、國史の編式は、もはや明治の文明の表現としては凡そ適切でないものになっ 纂を始め、十年頃までに各種の歴史を編纂した。個人としても外國てゐたのであった。それにも拘らず、初期の外國文學者が日本に興 さうとした新文學の表現形式がそれに影響されたのは、面白い現象 崇拜といはれた輻澤諭吉にしろ、森有禮にしろ、何づれも新らしい であった。 意味の傅統奪重者であった。 明治の二十年代に至って、文學は一層古い日本の傅統文學の方 へ、その表現形式に於て戻って行った。德川末期の影響よりは、一 かうした「現代」と「傳統」との提携は、文學の方面に於て殊に 顯著である。「源氏物語」は、漢學が雎一の文學と思はれてゐた時層溯って中期の西鶴に行き、或は中世の軍記物語に行き、更に溯っ て、平安朝の文學の影響さへあった。 代に産まれ、それは極めて「現代的」の文學であったに相違ない 「雅文體」と稱する擬古文の小説さへ現はれ、鸛外の場合の如く、 が、併し「源語」の文學的態度は、當時の漢學意識を越えて、我國 古代の傅で學の態度を繼承したものであった。我國の文學發生期外國文學が擬古文で飜譯された。明治文學の新らしい表現形式を樹 の文學は、日本に固有の「物語文學」ーーまだ文字をもたなかった立せんとした文學者等は、一時は古典に返って寧ろ生硬の「擬古 こと・こと 時代の傳誦文學ーーの發展した形態をとったが、後の文學は、悉體」〈と赴かざるを得なかったのである。その後、日本文學の表現 くこの最初の文學の影響をうけ、各時代の「新興文學」は何づれも形式は著しく進歩して、現代的のそれをもち得たとい ? てもいい が、それらの現代文學の權威者の多くは、古典の眞率な研究者か、 「擬古體」の形式をもって起った。中世の軍記文學は、信侶の筆だ けに漢文の影響をより多くうけたものだが、その文學的態度は、支少くとも愛好者である。 那のそれとは違って、寧ろ我國固有の「物語」式に、英雄譚を語る に、日本人的感情をもってしたものであった。殊に時代の尖端を行 かくの如く、日本人が、一つの時代に於て、一個人に於て、「傅 った文化人の吉田兼好や鴨長明等の文學は、一層の「擬古體」であ った。德川時代の復興文學も亦極めて擬古的形式をもって起り、殊統的」なるものと「現代的」なるものとを併有するといふ、昔から の傾向は、日本の文明の一つの特徴だが、これは國民文明の典型と に文章の構成に於てさうであった。西鶴の文學はその標本的なもの して寧ろ喜ぶ可き性質のものであると云ってもよからう。「自分を として有力になることが出來て、明治の新興文學にも影響を與へ 失はずに人と和する」ことが、瓧會人としての個人の最も穩當の態 げさく 明治文學に於ても、外國文學の影響をうけて、德川末期の戲作者度だとすれば、さうした典型の文明も亦穩當な文明であらう。 へんさん
まっただなか ばっこてうりゃう へんけふころう 先生問うて日く。天才としてのニイチは如何と。 風流沒趣味の就會に於て、偏狹固陋なる思想の跋扈跳梁せる眞只中 ふくいん 答へて曰く。天才とは何ぞや、彼は凡人の發逹したるものに非ず 4 に於て、天來の輻音を聞き、僅かに破顔一笑することを得たる身の いひ 多幸はいかばかりぞ。彼を憎むものは宜しく之を憎むべし、彼を罵や、凡人の超絶せるものの謂にあらずや。單に = イチの文意のみ るものは宜しく之を罵るべし。何の妨ぐることかあらん。余は唯余に就ていふも、彼は古今無比の天才にあらずや。獨逸文學史を通じ ようかい て之を見るも、彼の如き文才を有せるもの果して幾何ありや。彼は が住くべき處に往かんのみ。他人の容喙余に於て何かあらん。 事實に於て狂となれり、ザフトフストフの如きも狂調を帶ぶるとこ 先生問うて曰く。詩人としてのニイチ、は如何と。 答〈て曰く。 = イチは詩人なり、然り大なる詩人なり。彼れ生ろ少からず。此の點に於て彼を狂天才と呼ぶ、必すしも不可なら れて多病、夙に眼疾を憂ひて、讀書に耽る能はず。彼れは先天的にす。然れども狂天才は何が故に貴ぶに足らざるか。間題は終に茲に 學者たるに通ぜざりしなり。鳴呼知らざるものは感ぜざるべから歸着すべし。敢て先生の明答をふ。之を要するに、余が = イチ に關する現今の所信は實に此の如し。病ほ先生の高敎を煩はして再 す。彼れは思惟より轉じて直覺に移れり。これ彼が詩人たる所以の 一。彼れはたしかに人生の一面を歌〈り、彼れ固より自然を歌はび論するところあるべし。 終りに臨みて、余は謹しみて先生に間ふべきことあり。余は難馬 す、戀愛を説かず、神を吟ぜす。然れども彼は斯土を歎美し、人生 すこふ 骨人言文中に於て、頗る大膽なる宣言をなせり。云く、獨逸語を知 の半面を歌へり。これ彼れが詩人たる所以の二。而して彼は彼の思 いは らすしてニイチェを論ずるは人の足を撫して、その容貎を察するが 想を行るに古今絶無の名文を以てせり。獨逸の批評家の言に云く。 如きのみと。余がこの言は、決して飜譯の無價値を言ひたるものに ゲエテ、シルレルの文は之に逹すること能はざるも、蕕ほ摸倣する かうかん ことを得べし。 = イチの文に至ては遂に摸倣だも成すこと能はす非す。 = イチの著述は頗る浩澣なる者なり。その全集は大册十二 と。彼れは韻文をも能くせり、然れどもその超凡なる詩才は、殊に卷より成る。今に人ありて、 = イチの無價値を論斷し、彼の著 散文に於て之を見るを得べし。その文簡潔にしてしかも流麑。奔放書を以て空言暴語に過ぎずとまで宣言したりとせば、そは先づ精細 自在の妙を極めて、奇言警語口を衝て出で、一行一句と雖ども容易に = イチモの著書を研究したる後ならざるべからす。而して馬骨人 言は實に此の如き宣言をなせり。然るに、馬骨人言の記者先生は、 に他人の追隨摸倣を許さざる所、是れ豈に大なる鬼才にあらすや。 くわぶん 自から獨逸語を知らずといへり。余の寡聞を以てせばニイチェの著 これ彼れが詩人たる所以の三。 書の英譯は、ザフトフスト一フ及その他二三篇に過ぎず。されば英譯 先生問うて曰く。ニイチェの個人は如何と。 答〈て曰く。 = イチ , 一の一生は、他の詩人に見るが如き大なる波によりてのみ = イチ、を知れりとい〈る先生の言の、果して眞なら んには、馬骨人言は眞率の研究の餘に成れるものに非すして、先づ 瀾なく、驚くべき轉變なし。かるが故に、赫々たる事蹟の傅ふるべ きものなく、隨うて大にその特色を發揮すべきものも亦甚だ稀な成心を構〈て漫りに痛罵の言を弄したるものに過ぎざるべきを想 り。之を要するに、彼は世の常の一學者のみ、一詩人のみ。彼がⅥひ、その事の頗る故人に對して禮を缺けると同時に先生の = イチ = あひそむ に關する智識を疑ひぬ。これ豈に最も明瞭なる推測に非すや。飜譯 グネルと相背けるを説て、恩師を侮蔑するが如く論するものの如き の重んすべきは、先生の言の如し。余にして自から飜譯の深く推奬 は、ワグネルの世にも稀なる傲慢なる人な第しを知らざるがための ふるつ ひっきゃうせいと 5 やじん するに足らざるを知らば、何そ自から奮てザフトフストラの飜譯を み。畢竟齊東野入の語、取るに足らず。 みた
である。一方に於て自然主義的人生観に支配せられ、他方に於て又る處に宗教的要求は育たない。これより脱せんとし又脱する處に宗 靈的精的要求を棄てることの出來ない我々が、自然主義的人生觀敎は始めて生れるのであると思ふ。 の下にあって、極めて不徹底の心持を經驗して居ることは、片上君 然し又片上君の立場からいへば、自分のいふ如きものは自然主義 の徹底的といふ語が如何に不徹底的に用ゐられて居るかを見ても證的人生顴ではないといふかも知れない。さりながら君のいふ様に物 明せられる。若し吾人にして自然主義的に徹底せんとするならば、 質的人生と精榔的要求とを對峙せしめたものと、一筋に自然主義的 吾人は飽くまでも自然主義的人生観に從って、世界人生の器械的なに徹底して人生を見んとする見方と、何れが自然主義的人生観であ るを認め、無解決なるを認め、意志の自由を否定し、一切の價値的るかは、殆んど説明を要しないことである。 判斷を徹して、偏に自然力の跳梁に一身を委して、生死の海に流沈 四 しなければなるまい。 かくの如き徹底的自然主義的人生觀が宗教的たるに遠いことは固 自然主義的人生に於ける主観の位置妝態について、尚少しく述 よりである。吾人が嘗て凡そ宗敎的たるに遠いこと自然主義より甚べて見たい。このことは已に屡言ったことである。又片上君の論文 しきはないといったのも、かかる消息からである。吾人新人の宗教が載って居るのと同じ早稻田文學に、金子筑水氏の委しい議論があ 的要求なるものは在來の宗敎的要求とは違ふといった人があるが、 る。自分の説は片上君の説と自分の考との差違を明かにするだけに 假令如何なる宗敎にしろ、現實 ( 自然主義的 ) に止まり、現實を離止めたいと思ふ。 自分の考は、自然主義的人生に於いては、人間の主観が占める れない所に、吾人の宗敎的要求はあり得ない。吾人の主が極めて 消極的妝態の下にある自然主義的人生が、吾人の宗敎的要求なる位置は極めて狹小貧弱であるといふにある。何となれば自然主義的 ものを生ひ立たすべき沃土でないことは固よりである。吾人はかく 人生観は、一口には人間を自然化せんとする人生観である。かかる の如き人生の下にあって、吾人の宗敎的要求なるものの弱められ人生観の下にあっては、自ら進んで創造せんとする情意の方面より 仇められたことを感する。五〔人の主が焦燥し煩悶しても、自然主も、一に外圍に感じて之に影響せられる感覺的方面が重んぜられる 義的人生はこの焦燥この煩悶のカ無き果敢なきものたるを感ぜしのは、自然の勢である。自然主義的人生観に於ては、吾人の主調す める。吾人はかかる状態の下にあって、淸新強烈なる主を振り立らもやがては物質化し、器械化し、決定論的たらずば止まざらんと の 覿てようとしても、中々六かしい。吾人はかかる時我が生の遂に醉生するのが、共の徹底的傾向であるといふことは明かである。そして る これは唯吾人が哲學史に於て讀み覺えた事實ばかりではない。吾人 夢死に果てゝ、唯茫々たる物質の大海裏にかっ消えかっ結ぶうたか け 於たの如きをずる。しかも近代人なるものに來世の思慕があるわけの日常經驗に於て心持の上にリアライズすることの出來るものであ ) でもない。かかる妝態の下にあって、なほ弛みなく自分の主觀的要る。印ち自然主義的人生襯が徹底的になればなる程、主観の特殊性 鱸求を把持し、偏に徹底的なるを勉め得られる人は強者である。しかは薄れ、次第次第に環境に同化せられ、環境に支配せられる所の傾 し自分にはこの人生觀が一轉せねば、到底そんな充實した生活は出向が盛になって、遂に吾人は感覺、經を有する一個の生物たるに 來ぬ。尤も上に云った如き生活が、やがて吾人を宗敎的要求に促す止まって、殆ど情意の境界を守り難くなるであらう。かくて自然主 一轉機になることはあり得るであらう。さりながらこの妝態を續け義的人生観に於ては、外が主になって内が客になる。この傾向を稱 ひとへ くは
6 5 て、貴族のみに士官の榮を限るを發し改革の遺緒、今如何、人多ひ、國民の性情日に非なるを見る、而も其裏面には段々之に反抗し くいふ、ヰル ( ルム老帝の時世を家康の創業に比すべくんば、今は精神的文明の爲に獅子吼せんとするの聲あるを見る時は、ドイツの 三代の盛時、而して元祿の肉慾時代は踵を接して來れるなりと、今文明の必ずしも直に瓦解すべき者にあらざるを知るのみならず、さ のドイツの盛運を羨望する人よ、其の因て來る所と其裏面の眞相とすがは哲學と文學とに於て一時は偉大の天才を有し、雄大の思想を を考〈、而して其來を推せ、而して後に模倣すべき者は之を模倣蓄〈たる文明なるを歎ぜずんばあらず、飜て日本を見れば如何、 し、又深く前車の覆轍に警むる所あれ、徒に外形の美に目眩するは其弊に於てはドイツに似たる事僕を代ゆるも數〈きれず、而して其 長所に至りては杏として尋ぬべからず、試に思へ維新當初の淸雄 男子のなすべき所にあらざるなり、 大なる理想努力の失落、戰後愛國と稱する、名は美にして實は無智 君よ余がドイツの事を慨して其文明の缺陷に寒心するは決してド ィッの爲にあらず、之に模倣せんとする日本の爲にいふなり、余はの自負にすぎざる氣邇の橫流、工業の勃興に件ふ技機心の旺盛、不 日本のドイツ模倣熱を憂〈又國人に西洋の文明につきて、其根底を德の鬱興、制度の成就に件ふ敎育其他萬般の事物の形式化、此の如 も大勢をも考〈ずして之を羨望して之に模倣せんとする者多きを慨き我國維新後三十餘年の歴史は、宛然としてドイツ統一以來三十年 するは、印今茲にドイツ文明につきて假借する所なく批評を下せしの史と相呼應して相模倣せる觀あり、ドイツの文明は我國のと同 じく精神を失ひ、自家の立場を忘れて虚榮に走らんとせり、されど 所以なり、君よかくいはゞ、人或は日本には此く憂ふべき程のドイ ッ模倣の存せざるをいひて余の杞憂を笑はん、余は固より此が眞に之に反抗し瓧會の總ての方便形式主義を打撃し、個人精の要求に 杞憂に過ぎざるを望む者なり、されど事實は之に反せり、先に學制改無限の嚴を附與せんとする = ーチ , 一主義が滔々として靑年の間に 革を大呼せし人ありき、而して其改革案はドイツのギムナジウム制行はれつゝあるあり、ゲーテの崇拜者たる者多くはドイツ的に其日 己の斷片を求め、書簡の文字を詮索し、之を以てゲーテを知る所以 の机上の直譯なりき、獨乙の國會開會式が議事堂に行はれず、議員言 をなせども、而も彼が偉大なる調和暢逹の精紳、天然の中にも宏大 を皇帝の居城に召集して此處に開會式を擧ぐるを見て、君主國たる なる秩序を認めて之を發揮し、人心の深奧なる調和を歌て、樂で淫 日本亦此くあるべしと主張する人あるにあらずや、醫家にして何々 専門の標榜を擧げ之に依りて特別に高價なる診察料を貪る者漸く多ぜず、哀を傷まざる彼の精訷は、今尚ドイツ人心に一大なる薫陶者 として其勢力を有し、精紳文明の解體を妨げつあるなり、藝術の きは、ドイツ惡風の直輸入にあらずや、余は好で瑣事を摘發ぜんと するにあらず、此小事は却て全般の風潮を示す標本たるを見ればな側に見るも、ワグネルの樂劇は其思想に於ても韻致に於ても音樂に り、ドイツに留學し旅行する人年に多きを加ふ、此等の人々にして於ても、滔々たる就會の形式主義浮薄なる我利主義に反抗し、べク リンの畫は共根本のイデーに於ても色彩に於ても詩趣に於ても、ド 若し單に眼前の隆運に驚くにあらずして、其文明の由來趨勢を日本 いはゆる そしやく ィッの所謂基督新敎的文明、乾燥なる寫實と形式とを打破する改革 の文明に併せ稽へ、批評的に能く此國の文明を咀嚼する人のみ多か らんには、僕の憂は杞憂となり、僕の言論は徒勞とならんのみ、さ的産物たるにあらずや、君よ余が始めてワグネルの樂劇に接せし時 かっ の感は曾て君に書き送りぬ、一言にしていはゞ全身粟して身の世に れど今日は尚此くドイツ文明の短所を疾聲大呼せざるべからざるの ーベルンゲンの第一曲「一ノイ あるを忘れしは彼の時の感なりき、ニ 實妝如何ともすべからざるを如何せん、 君よ余はドイツの時事慨すべく、文明の潮流が忌むべき方向に向ンの黄金」にて、一フィンの河底水碧く岩峩々たる間に、惡精アルべリ かんが
108 たに違び無い」とバールは書いて居る。 0 0 0 0 也、音格也、音韻也。傾向晝 (Zweck ・ Gemälde) 及び傾向樂 ロリス、本名はフーゴー ・フォン・ホーフマンスタール (Hugo (Zweck ・ Tonstück) を一嘘に附し、藝術に於ける傾向 ( 目的 ) を von Hofmannsthal 一八七四生 ) と云って、共當時は僅に十七八の 0 0 排斥するものも、多くは傾向詩 (Zweck ・ Dichtung) を信ず。彼等 美少年で有ったが「昨日」 (Gestern) と云ふ一幕物を書いて、一夜 は一方に於ては質料 (Stoff) の藝術上無價値なることを認識しな の中に有名な文士になった。或は自然派の傑作だと評せられ、或は がら、他方に於てはなほ且っ斷えず質料を求む。故に詩文を翫賞 クラシック あた 自然主義を脱却した將來の藝術の初生兒だと祝せられ、或は尚古派 することは、彼等の能はざる所也。ーー・説話 (E 「 zählung) 、現今 あは の様式の再生だと賞められたが、バールは此等の諸評を併せて受く 世人は藝術 ( 文學 ) い、逾仲、 (Reportage) いを混同り。 るに足る程の淸新、高雅、沈靜の趣を具へた傑作で有ると云って、 稱嘆の辭を惜まなかった。夫より。 ハールの紹介で愈よ文壇に現はれ は、日刊新聞、法庭録事、官廳統計書等に及ばざること遠しと雖 て、新詩風を鼓吹することになったので有るが、ロリスは別に年少 も、多少の歴史的價値は有るべし。 劇の刷新は、俳優が全然 文士を集めて新詩社を組織して雜誌を發行し三箇條の綱領を發表し 後景に退きつ、かて可能也。 此の宣言書は、在來の獨逸語の正書法を改新して、名詞の冠字と 0 0 0 0 0 第一本誌は淸新なる感情に基ける精紳的藝術 (Geistige Kunst) コムマとを大部分拔いて居る。語學の先生に見せたら落第點を附け びう を目的とし、藝術の爲めに藝術を作る。故に彼の現實に關する謬るかも知れ無い。共から文章の書方が警句的で、前後の聯絡や證明 戝に基ける、陳套にして價値乏しき詩派に對抗する者也。世人はなどは少しも頓着して無く、た。思ひ付きを書き列ねたに過ぎな」。 現今世界改良と人類幸輻の理想とを以て有らゆる斬新なる者の萌又この新詩瓧は以前の自然派の文士逹が早く世の中に出て、名聞や 芽となすと雖も、本誌は斯かる事物に携はることを得ず。何とな金錢を得むとせしを卑しとして、世俗に知られざることを以て本領 れば、そは固より美事なりと雖も、詩文の領域に屬ぜざれば也。 とし、其瓧の發行に係はる「藝術新誌」 (Blätte 「き「 die Kunst) と 第二舊派の詩文と現今の詩文との間には、固より二三の相違あ云ふ草紙も、會員と會員の紹介を經た讀者にのみ配布し、阿堵物を り。吾人は詭話の虚構を欲せずして、情絡 (Stimmungen) の描以て得ることは出來ない事になって居る。文藝上の立脚地と功過如 寫を求む。觀察と慰樂とを求めずして表現と印象とを欲す。吾人何はさて措き、意氣の盛なるは、多しとするに足ると自分は思ふ。 は如何なる出來事に於ても、如何なる時代に於ても、唯藝術的、 さて彼の三ケゅ紳領を約かつ見かど、斯う云ふいいにかか。詩 感興の一手段を見るのみ。然るに最も自由なる藝術家も、道德的文に於て最却御む有のるいの御想 (Gedanke) 印料つい知い、 被覆を須ゐざること能はず。斯の如きは吾人に向っては、全く價たい情緒のみつある。人間が或る來事 0 物遇すると、一種か情絡 値を有ぜざるに至れり。 を生ずるのである。この情絡か寫いとるのが詩文の任務である。こ 第三吾人は詩形の簡約ならむことを欲す。短詩 (Das Gedicht) の出來事其者を擲印ナかゆい、詩沁ゅ御印っ御無いつ、録擲や は任意の出來事の最高にして終極的なる表現也。思想 (Gedanke) 信者 6 仕事っ和か。御 6 印沖か文物い、一はい録擲ゅゃいかい の再現にあらずして、情緖 (Stimmung) の再現也。繪畫に於て人ので、沁いっ詩沁っ御無い。又詩 0 て勢 sq や琿お 6 蜘 心を動かすものは、排置也、線也、色彩也。詩文に於ては、撰擇述かいとい、哲第第憑躑か他囀であい。最第 0 詩形い短いかい 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0