6 シアリズム を瓧會小説に染めんとする者、最も留意すべき點ならずや。 ( 一 ) 近世の瓧會主義に關する事想を畫けるもの。 さて此れより前に列擧せし社會小説の主要範圍を吟味せんに、第 ( 一 l) 瓧會の個人に對する關係を畫けるもの。 一、近世の瓧會主義は、現時の瓧會問題中、主要なるものゝ一な ( 三 ) 漠然謂ふ小瓧會に關する事想を畫けるもの。 り。下は勞働瓧會對資本家の問題より、上は平民對貴族の關係、被 ( 四 ) 全體としての瓧會の行動を畫けるもの。 以上列擧せる就會小説の重なる範圍を一層明瞭にするに先だち治者對治者の關係、幼者對長者の關係、弱者對強者の關係、無敎育 て、預め作家の注意しおくべきは、小説は元來世態人情の動機を寫界對有敎育界の關係等一《枚擧に遑あらず。フ = ~ ヂナ , ト・ラサ 、ジョルジを産み、マルクス、エンゲルス等を出だ ル、ヘンリー・ すを主となし、動機より現る諸般の行爲事件を寫すを客となすが しゝ瓧會主義は、詩壇の一フサール、ジョルジ、マルクスを出だすに 故に、瓧會小説もまた瓧會現象の動機を寫すを眼目となし、之より 現れたる行爲事件を副となすべきなり。世の作家批評家中、尚作の足らずとせんや。勞働瓧會對資本家の境遇を畫くも可なり、無敎育 大小深淺は、複雜なる世態の動機を畫くと否らざるとに關すること界對有敎育界の事態を寫すも可なり、要は廣く瓧會の歴史上、瓧會 大なるを知らず、一邊己が嗜好を標準として、漫然作の上下を批判主義の現る、原因、勞働瓧會と資本家と爭闘するに至る所以の動 する者あり。近く兩 = 一年來世態の動機を畫けるものが如何に眼ある機、有敎育者と無敎育者と分かる、所以の人世觀等に着眼するにあ り。作家必しも預め想を構へて事を作するを要せざれど、讀み行く 讀者に喜ばれ、動機に直接の關係なき世相のみを畫けるものが、如 何に世に冷遇せられしかを見れば、此の理を知るに難からざる・〈うちに、瓧會主義の起こる動機を讀者に感得ぜしむるを、此の種の 小説の上乘なるものとすべし。 し。所謂社會小説を文壇の良産物となさんとせば、從來の探偵小 第一「瓧會の個人に對する關係は、またこれ瓧會問題の主要なる 説、政治小説、經國小説の瓧會活動の原動力を忽諸に附せるものと は趣を異にし、之れを讀まば、就會の活動する機樞を、暗《裡に感もの、一見重要ならざるに似て、而も甚だ重要なる問題なり。そも そも個人と瓧會との間には何等の約束あるか、個人は實際瓧會のた 得し得るものならんを要す。若し瓧會活動の動機を看過し、徒に 些末の世相のみを畫かんか、其の脚色は如何に巧みに、其の寫實はめに一身を犧牲に供するか、瓧會は實際個人の犧牲を先天の約束と 如何に精妙なりとも、世に何等の感化をか與〈ん。今の政治家瓧交するか、此等諸問題の現る、複雜なる世相を觀ぜば、共の裡に人生 家が、實際社會の複雜なる經驗に富みながら、尚好個の瓧會小説をの祕密を發見し得ざる・〈きか。古往今來の歴史は、此等の祕密を暴 露したが如く、また未だ暴露せざるに似たり。現在は如何、はた將 作するを得ず、又作者にむかひて適當の忠言を與ふるを得ざるは、 來は如何。此の間の淌息はまた作者の奮勵を要する點ならずや。 一は瓧會の波瀾のみを見て、其の動機を觀破し得ざるにも因れり。 第三、漠然謂ふ小社會とは、全分としての瓧會に對する一分々々 着眼常に世態の動機にむか〈る作者は成功の望あり、然らざる者は の瓧會を謂ふ。日はく政治社會、日はく實業瓧會、日はく敎育社會、 到底成功の望なかるべし。動機を穿っこといよ / 、深ければ、共の 小説はいよ / 、深刻なる〈く、いよ / 、大なる動機を活寫せば、其日はく宗敎瓧會、日はく職工就會、曰はく花柳瓧會等、全分として の社會を構成するに主要なる團體を謂ふ。斯く瓧會といふ語を通俗 の作はいよ / 、大なるべし。瓧會小説は個人小説に比較して、其の 範圍概して廣濶、動もすれば動機に關係少なき複雜なる事件のため義に用ふるときは、其の範圍限なきに似たれど、こ、には漠然なが に、動機其のものを看過するの弊は、個人小説より多かる・〈し。筆ら、全分としての瓧會を組織するに要かか郵静と」ふを制限とす
がら故意に活瓧界を避けんとするがごとき妝態に關心し、此の際我すべきものなりとせば、第一所謂歴史小説と異なるは明かなり。所 が小説家が飜然實瓧會に着眼して、デッケンズとなり、サッカレー 謂歴史小説は事も想過去に關すれど、所謂瓧會小説は其の範圍を となり、ユ ーゴーとなり、詩的熱血もて俗腸を洗ひ、汚情を淸め、 現在に限るを便利とすればなり。作の舞臺を或は過去に借り、或は 以て大に世道人心を感化せんを希望し、因りて偉人小説瓧會小説の將來に借るも、主眼とする所現在にあらば、共は就會小説なり。た あなが 出現を要求す。これ將た偶然にあらじ。 だしこは便宜上の問題なれば、社會小説の解釋次第にて、強ちに其 瓧會小説要求の源因ほゞ上の如しとせば、所謂瓧會小説の何たるの範圍を現在に限らざるも可なるべし。次に社會小説は、社會組織 かを知るは難きにあらず。世人が漠然感想する所によれば、今の小 より生ずる重要事想を中心となすべしとせば、個人に關する事想を 説は概して社會の重要かか事件を寫さず、個人に關する些事のみを中心とする通常の小説とも異なれり。一は社會的事想を中心観念と 畫きて團物第第い尹か沁件を寫さず、一部の末事に拘泥して、瓧なし、一は個人的事想を中心顴念とすればなり。瓧會的事想を畫く 會全體に關する大事に頓着ぜず。活瓧會の潮流を追ふを忘れて、徒にも、個人を主人公となすの要あり、個人的事想を寫すにも、境遇 に支流の餘派に隨從す。一言もて蔽〈ば廣く現在の大事件を寫さす瓧會を示すの要あるべけれど、瓧會小説は個人描寫を客となし、瓧 して、一部の些末なる人情を畫くに過ぎず、これ別に瓧會小説を求會描寫を主となし、個人小説は瓧會描寫を客となし、個人描寫を主 むる所以なりと。更にまた厚生利用の點に着眼する者は日はく、今となすの差あり。故に一部の小説に如何ばかり當時の社會が反映せ の小説家にして國家の改造、社會の革新等に思を寄する者殆ど稀なりとて、中心念だに個人的事想ならば、其は所謂瓧會小説にあら 。彼等も亦社會の一員なる限は、當の瓧會に相當の貢獻なかるべず。また如何ばかり個人的描寫に巧みなりとも、中心念にして社 からず、これまた瓧會小説を要求する所以なりと。斯かる所観は多會的事想に關せば、之れを瓧會小説といふ不可なかるべし。・勿論こ 少今の文壇に反對の意氣を表せるもの、其の得失は暫く措きて問はは度の問題なれば、二者の間に截然たる區劃無きは言ふまでもな ず、所の大要ほどを摘まば下の如くなるべし。曰はく ( 一 ) 瑯し、小説を瓧會的と個人的と區別すること既に専斷なれば也。 の社會に何等かの精を鼓吹する作を出だすべし。日はく ( 一 l) 社 所謂瓧會小説を解して、單に現瓧會の重要事想を畫くもの、又は 會組織より生ずる重要なる事件に關する作を出だすべし。日はく 歴史小説若しくは個人小説とは異なれるものとのみにては、解釋甚 (lll) 個人的描寫を主眼とせず、瓧會的描寫を中心とせる作を出だ だ漠として、容易に其の本領を捕捉しがたし。別に共の實質を掲げ すべしと。ち所謂瓧會小説は現在の瓧會の重要なる事件を寫すをて、一層其の本領を明かにするの要あるべし。精確に現就會の重要 主眼とすといふにあるべし。 事想を探求するは、社會學者の當職なり。こゝには單に實際上の便 説勿論瓧會小説といふ語は、近頃の造語なるべければ、上の如く解宜にしたがひて、吾人が思ひ出だせるものゝみを掲げん。若し精密 劒するの是非は、事實の詮議の後に決せらるべし、必しも斯くの如き に此の問題を解かんとすれば、先づ瓧會の何ものたるより攻究せざ 小説現存せりと言ふを要せず。假に上の如き意義の作を瓧會小説と るべからず。現時歐米諸國に於てすら、瓧會學の著く動搖せる際、 いふを得ば、其は如何なる特質を具へたる小説なるべきか。瓧會小 強ひてこゝに定説を附ぜんも要なし。むしろ其の解釋を自由に放任 説の本領を考ふるに先だちて、まづ此の種の小詭を他種の小説より 1 し、其の意義を廣濶なる範圍に廣め、實際の便宜に着眼して、社會 區別すること必要ならん。果して所謂會小説は、現在の瓧會に關 小説の重なる範圍を立つれば
され、その調和の觀念も「人類の意志」のうちにある個と全との調類の意志」という名で、社會から作られている個人を意識していた 和であるが、「個人がさうつくられてなければならない」というよのであり、そこで「人類の意志」による全と個との調和で、市民的 うに、つくるものとしてではなく、ついかれるものとして考えら個人のうちに瓧會を見、自らこの「瓧會」を守るものとしての理想 れ、經驗的自我の立場にたって考えれば、たとえば一フィブ = ツツの主義を説くにいたったのである。個人と瓧會との關係の問題は、白 豫定調和の説に近い相貌をもっているとも考えられなくはない。す樺派の文學においては、經驗的個人に内在しながら、これを超越す なわち、「人類の意志」は個人的自我に内在していると考えられなる普遍的自我のうちに解消してしまったのである。 個人が自己の幸輻を求めて自利的に活動するとき、そこにおのず がら、外在的に個人を超越している溿と同じように考えられた。こ の意味で白樺派の樂天的理想主義を生田長江が「自然主義前派」とからにして調和が生まれるという信仰は、勞働階級の出現によっ 貶下したことも、あえて不當ではないといえるかもしれない ( 「自然て、社會的な不安と混亂をきたし、瓧會は單なる個人の集合體では 主義前派の跳梁」參照 ) 。しかもかれらが自然主義文學の衰退に乘じなくして、個人を超越した實體として出現し、新たに個人と就會と て、かえって夏目漱石の自然と道德の相剋、この近代的自我の分裂の關係が間題になってきた。十九世紀のヨーロッパにおいては、ス と統一〈の志向を繼承して現れてきたことは、わが近代文學の自我ペンサーやコントなどによって瓧會有機體説がとなえだされ、社會 の發展に印して考えれば、これまた不思議ではないのである。白樺の統一は自然法にもとづくものではなくて、各個人が分業におい 派が個人的自我を、もはや作るものとしてではなくして、單に作らて、すなわちその役割において有機的に配置され、秩序づけられて れるものとして考え、啓蒙的功利主義者のように個人の働きから發いるものであると考えられるようになってきた。そこで個人は瓧會 する力を信用できず、むしろ個人を超えた「人類の意志」の働きか有機體の細胞であり、個人的自我はこの細胞の心理現象にすぎない と考えられた。この社會有機體説は、近代における自然科學の勝利 ら生ずる力を認めたのは、「或る男」を讀んでみてもわかるように、 すでに瓧會主義との對決がはじまっていたからである。その瓧會主が生物學、生理學の分野において成功したところからきた生物學的 義は「封建的瓧會主義」と評されたトルストイの人道主義などを中世界觀にもとづくものであり、ここから自然主義文學が生まれてき 心とするが、「平民新聞、を讀んでいたように、クリスト敎的瓧會た。自然主義文學は、生物學的世界觀にもとづいて、個人と社會と の關係を説こうとしたところに發生した。つまり生物的存在として 主義とも無縁のものではなかった。 つまり、白樺派の出現は、封建的就會から自己を解放した市民階の人間をこの現實瓧會のうちにおいて、遺傳や環境からきわめよう としたのである。しからば、わが國において自然主義文學はどうで 級が、市民瓧會の論理である個人主義の發展の必然的結果として、 勞働階級の出現にぶつかり、階級對立を感じだしたことに關係してあったろうか。 わが國の自然主義も人間を生物學的存在として認めることをフ一フ いる。武者小路は、この對立からトルストイなどに敎えられて、 「現代の瓧會組織のまちがってゐること」を悟ったから、そこで「人ンスの自然主義文學から學んではいた。しかしゾラのようにこの生 類の意志」に即して新理想瓧會「新しき村」を夢想したりした。武物學的人間を歴史的瓧會において、すなわち個人と瓧會との關係に 者小路は、啓蒙的功利主義者のように、瓧會から獨立した個人としおいて ( この歴史的瓧會は自然科學的に解釋されたものであるが ) て個人の自由な働きによって瓧會を作ることを考えずに、逆に「人きわめるというようなことはなかった。もっとも、永井荷風の初期
べし。こゝにても注意すべきは、事政治瓧會若しくは實業瓧會に關 すとも、作の中心観念が當の政治瓧會若しくは當の實業社會の事想 を表するにあらずば、瓧會小説とは名けがたきこと是れなり、既に 會小説と言はゞ、當の瓧會全體に關する事想を中心觀念となすべ きこと論なければ也。さて此等諸社會を活寫せんとするに當たりて も、要は此等諸瓧會の活動する機樞に接觸せんを第一用意となし、 單に雜駁なる事件を臚列するを避くべき也。 第四、全體としての瓧會の行動とは、一分々々の小瓧會にあらす アリズム して、全分の大就會の大活動をいふ。便宜のため瓧會學上の問題も 理想主義と現實主義とは思想變遷の二の形式又は其の兩端とも謂 て此の義を説明せんか。そも , \ 衆個人が相集まりて大團體をなすふ・〈きか。廣く理想主義とは、現在當面の人事に想ひを寄せんより 所以は何ぞや、所謂瓧會とは何等の動機に基きて構成ぜらるゝもの は、むしろ主として、遙に高遠にして、遙に深奧なる生活に想ひを なるか、社會は何のために存立するものなるか、社會は如何やうに潜むるの謂ひ、現在當面の瑣たる世態よりは、むしろ主として、 活動するものなるか、如何にせば瓧會は進歩し、如何にせば瓧會は高く美はしく、淸淨にして純潔、壯大にして富麗なる生活に興味を 退歩するものなるか、當の瓧會は進歩又は退歩の如何なる階段にあ感ずるをいふ。廣く現實主義とは、淸淨純潔にして壯大富麗なる理 るか、はたまた瓧會は畢竟無意味のものなるか有意味のものなるか想的生活よりは、むしろ主として、現在當面なる實生活其のものに 等、瓧會學上の問題は一《數〈がたし、吾人は作家にむかひて、斯想ひを潜むるの謂ひ、現在當面なる物的生活、眼前直接なる世態人 か 6 抽象的問題を解かんがために、小説を作せよとは言はず、斯く 情、全生活の地盤なる尋常普通なる生活に興味を覺ゆるをいふ。理 の如き諸間題を投與する祕不可思議の瓧會は、作家の詩的解釋を ひるがヘ 想主義を採れる者の眼は常に天上にむかひ「現實主義を採れる者の 俟 0 こと切なりと言はんのみ。飜りて思ふに斯く無量の意義を含眼は常に地上にむかふ。彼れは高く空中に翔り、此れは低く地上に める大社會を、小説の舞臺となさんは容易の業にあらず、むしろ不這ふ。理想主義と現實主義とは、人類の情意の動く兩端とも謂ふ〈 可能の事柄として排斥せられんに似たり。然り而も天才は吾人が先きか。歴史の一時代は主として理想主義に傾き、又他の一時代は主 見し得ざる所を成就す。此の種の社會小説は、到底尋常作者に望むとして現實主義に傾く。理想主義に傾きては更に現實主義に返〈・ べからざるも、社會小説の極致として、天才の現はるゝを俟つ、必 、現實主義極まりて、更にまた別種の理想主義に返〈る、これ思 しも空望にあらざるべし。 想變遷の歴史ならずや。 將 以上假に所謂瓧會小説の主要範圍を列擧しつ、尚此の外にも示擧 の 我が文藝界及び思想界は、目下果たして孰れの方面にむかひて進 藝するに足るものある・〈し。さて假に斯くの如き就會小説が實際成立み 0 、あるか。或は理想主義の方向に進み「、あるか、或は現實主 し得・〈しとせば、其の文學上の價値は如何。こは暫く問題としてこ義の傾向を取り 0 、あるか。或はしかく一定せる方向には向かはず / こに附記し、後日吾人が管見を陳述することあるべし。 して、尚混沌曖昧なる境に彷徨しつゝあるか。我が文藝界及び思想 ( 明治三十一年一一月「早稻田文學」 ) 界の將來は、果たして孰れの方向にむかひて進むべきか、將來の我 アイデアリズム 文藝の將來 れづ
が存在し、個人主義の原理が市民瓧會の歴史的論理として働いていれた一種の自己感情を出發點とし、やがてさまざまな日常の體驗に 8 たからである。かくてこの論理に保證されて自我の觀念は個人主義よって、體驗の負擔者である意識内容の統一體としての自己を意識 の中核的概念となり、この自我の内容の歴史的追求のうえに安んじ し、これを自己以外のものと對立させて意識するにいたったとき て、近代市民文學を發展させることができた。近代文學における自に、自我の意識が明らかに自覺せられてきたということができる。 我の發展は、封建社會から自己を解放した市民階級の封建主義にた人間は自我の意識において、客體に對立する主體として、主體的に いする鬪爭・反省・自立・解體の歴史であり、そこからもろもろの自己を確立し、客體を對象的に認識できるとともに、また自己を客 こっかく 問題を提出した近代文學の全體を一貫する骨骼なのである。だら觀化し、これを認識できる道を開いた。このような自我の意識が市 日本文學における自我の間題を考えることは、近代文學の全體にわ民瓧會という一定の歴史瓧會のうちにあって人間の具體的意識内容 たって、その中軸からこれを論ずることにほかならない。 として自覺せられたときに、初めて文學の具體的内容として成立 しかしわたしはここではこの大きな問題の取扱いをおのずから し、近代文學としての特色のある性格を形づくったのである。なぜ しつこく 限定せざるをえない。すでに近代文學における自我の發展は、他のならば、市民就會において、人間は初めて封建的桎梏から解放され 機會にやや理想化し、定型的にではあるが、成立から解體にいたるて瓧會から獨立した自由な個人として意識せられ、瓧會は獨立した まで論じておいたから ( 拙稿「近代文學における自我の發展」文學會議・ 個人を要素として組成せられていると考えられるようになったから ふっしよく 第一輯 ) 、自我の問題を問題史的に考察することは省略してもさしである。しかしながら、近代瓧會は一日にして封建主義を拂拭し、 つかえあるまい。わたしには、むしろ本章においては、近代文學に近代人の考えるような市民瓧會を現出させたわけではなく、なお近 おける自我の諸問題をば、その本質的なものと、わが國に特殊なも代社會のうちに封建主義を殘存し、市民瓧會は封建主義と近代主義 のとを考慮しながら、その諸相において考察してみたいと思う。そとの闘爭のあいだに、動搖をくりかえさざるをえなかった。 の諸相において考察するといっても、もともと、自我の念はその そこで、自我の念は近代文學にとって二重の役割をもっことに 内容を歴史的に規定され發展してきたものであるから、歴史的内容なってきた。近代人が市民瓧會において眞に個人としての自己にめ を抽象して論ずることは、ことに文學の場合においては、無意義とざめ、この自我の自覺に發する要求を現實瓧會に實現させようとね いってもよい。だから、自我を問題的に諸相において考察すること がいながらも、なおそこに濃密に遺残しているもろもろの封建主義 は、自我を史的發展においてたどらず、いわば自我に内包する諸問 に阻害せられて對立を意識し、いわばこの瓧會のうちに住みながら 題を、本質的な面においてとりあげ、考えてみようとするものであも外部に立っているかのように、これに批判的態度をとらざるをえ る。 なかった。自我は、この批判の原理として、獨立した個人の要求を 一體、自我とは何であろうか。自我の解釋も、近代の市民意識の封建主義にむかって叩きつける否定の契機をなした。しかし、自我 發展に印して、さまざまに複雜な内容をもって變化しているが、文が批判の原理として否定の契機たる役割を有力に果すためには、他 學について考察するかぎり、きわめて素朴に日常經驗する「自分」面において萬人に共通な原理として深め、または高めるために、個 といったような観念に出發していることはまちがいない。この「自人的自我を超えた普遍的自我にまで追求する積極的態度が要請せら 分」という覿念は、個體としての自己の肉體を中心にして形づくられ、かくて新しい近代主義を建設する肯定の契機ともならなければ
此場合には瓧會に對して文藝は未だ全く受太刀で消極的自衞的態度である。 0 9 を取って居る。さて第二種の人逹はなかなかさう云ふ態度では滿足 斯様な美的生活論或は文藝中心主義と云ふものが起って來る理由 しない。瓧會に對して全く積極的攻整の姿勢を取る。尤も其社會に は、勿論主として作家の性質に依るのであるが又一方には瓧會の从 交渉する場合になって、一々社會上の間題事件に就て一定の方針な態が刺激になる。例へば瓧會が是より益隆盛にならうと爲る時は、 り意見なりを立てゝそれを主張すると云ふ様な特別交渉の手段を取商賣や工業や又政治上軍事上などの活動が非常に多忙であって文藝 るのではなく、只一般に文藝といふものが人生に於ける價値を非常 の事などは顧慮する暇がない、自然世間で夫れを蔑視する冷遇する に重じて、道德宗敎學術抔に對して文藝の優勝なる事其有り難い理様な傾向になる。さうすると其反動として文藝の利益を主張する者 由を大に吹聽する。さうして又出來る丈は其主義を實行して閉ち文が出て來る場合がある。又それとは正反對で極袞弱した瓧會からさ 藝を中心として個人の生活を美化するなり或は瓧會の事物を總て藝う云ふ主義が鼓吹される事もある。其譯は瓧會が萎靡して一向活動 術的に改造し様とする。たとひ夫れは單に空想であって實現する事しない時は有爲の人物が出て來ても更に其技量を施す所がない。夫 たとひ は出來なくとも少なくともさう云ふ意氣込を以て文藝の製作に從事れで平生なれば縱令文藝に携はる身でも多少瓧會の事物に附いて主 して理想的摸範的の人物や就會を描き出す様に成る。是は前に述べ義なり抱負を持って夫を吹聽もし實行も爲様とする人物であって、 たロマンチックに固有の文藝過重の精が尤も直接に赤裸々に顯は其様な世事日に非とでもいふべき會に居っては迚も其氣力は無 れたもので、文藝中心主義又は近頃流行の辭を借りて言はゞ美的生い。又初めから其點に心附きもしないのである。其處で現在の社會 活主義というて宜しい。尤もさういふ主義を唱へる者はロマンチッ とは全く縁の無い一般の人間と云ふものゝ理想又は一般の就會とい クには限らない。一般に素人文藝家 (Dillettanten) といふ様な者の ふものゝ理想を責てもの心遣りに描き出す様になるのである、併し 多數はさう云ふ考であり、特に文藝ハイカラとでも譯すべき所謂何ういふ事情で起ったとしても、此文藝中心主義と云ふものゝ社會 Aestheten の迚中抔は全く皆此主義の化身、寧ろ Karikatur といっ に對する直接の影響は極少ない。一部の靑年抔には多少感化を及ぼ て宜しいのであるが、さういふ精のものが矢張り又ロマンチックすか知らぬが夫れより以上瓧會一般に對する勢力は甚だ弱い。若社 の中に割合に多い。然し一概に美的生活主義と云っても人々により 會が勃興の時期にあって色々の活動が盛の時には文藝中心抔といふ 色々説が違ふので、或は本能的生活が其特色であるといふ論者もあ事を主張しても眞面目に耳を傾けるものはない。尢も社會が衰頽し れば、又理想の憧憬がその本領であると云ふものもあり、又安逸怠 て居る時であれば美的生活といふ様な事が時好に技じて一層會を 惰といふ事を理想するものもあれば、又理性と感性の調和といふ事柔弱にする媒介になる様に一寸考〈られる。然し此場合にも實際社 を極致とするものもある。外形の優しさを旨とする者もあれば、内會は左したる影響は受けない。よし又漸々墮落して往くとしても夫 心の麗はしさを主とする者もある。種々様々であるが文藝を過重すれは社會自ら墮落に近よるので其際文藝の影響は至て微弱であると る所は皆一致して居る。此精を發揮して居る作品は別して獨逸の いふ事は、獨逸ロマンチックと當時の粃會の關係などを考へれば直 古ロマンチックの中に多い。ゲーテのウイルヘルムマイステルを始に分る。要するに文藝中心主義と云ふものは餘り大袈裟で直接でむ めとしてシルレルの美育論、シ、レーゲルのルチンデ、チイクのス き出しで、却て其目的を逹しない。社會に及ぼす影響は割合に少な テルン・ハルト、ノヴァリスのオフターヂンゲン抔は皆此主義の表現いのである ( 尤もレネサンス時代の伊太利などの如く人文發逹の大
き姿」において備えた「自然人」に還り、自己の弱小を克服して、 8 ュゴオ風な革命的浪漫主義の様相をとる。泉鏡花、廣津柳浪らの 和意志的に、 = イチ、のいう人祁すなわち超人におもむかなければな「深刻・悲哀の文學」は、國家發展のかげに苦惱する「瓧會下層民 らず、この超人思想において美的生活が現實化する ( 『無題録』 ) との爲めに泣き、其悲慘の境遇を描出して、之を天下に愬〈」るもの 考える浪漫主義にほかならなかった。超人主義が日蓮に據りどころであり、『新日本文學の新光彩』 ( 明治一一八年 ) として評價された。十 をもとめると、晩年の思想に變って行く。 九世紀文明が貧富の懸隔を大きくして、貧者を窮乏のどん底におと 登張竹風は『美的生活論とニイチェ』 ( 明治三四年 ) 『解嘲』 ( 同 ) を しめているのに憤激して、「人生問題」としてゞはなく、「瓧會問題」 書いて、樗牛の美的生活論がニイチに淵源するものであり、ニイ として取組むことを要求した。嶺雲には根本に儒敎思想にもとづく チ , と同じく「詩人の世を憤る聲」として、聲援を送った。これに救民思想があって、悲憤慷慨の熱情を、「大不平家」の面魂をもっ 對して坪内逍遙は匿名で『馬骨人言』 ( 同 ) を書いて批難し、樗牛がて、ここでも吐き出しているのである。もっとも、悲慘小説や深刻 これに答えたが、竹風はまた『馬骨人言を難ず』 ( 同 ) 『馬骨先生に 小説が、奇癖・不具の人間をとりあげ、飢や寒さに泣く眞に悲慘な 答ふ』 ( 明治三五年 ) をもって、樗牛を擁護した。島村抱月が遠く英人々の運命をとりあげていない點を、瓧會下層民のために遺憾とし 國から『思想問題』 ( 明治一一一六年 ) をよせて、逍遙に味方し、東西ニ ていた ( 『詩人と人道』 ) 。 イチ = 論爭の様相をしめした。長谷川天溪、森鸛外等がこれに加っ 德冨蘇峯のひきいる民友瓧が「瓧會小説」の叢書を企書したのは て、賑かなものがあった。なお、高山樗牛の『姉崎嘲風に與ふる ( 明治二九年 ) 、日淸戦後の就會問題のためである。『國民之友』は早 書』 ( 明治三四年 ) を、美的生活論に先だっ浪漫主義宣言の一つとみくから瓧會問題に關心をみせていたから、時代の要求にこたえる當 れば、姉崎嘲風が『高山樗牛に答ふる書』『高山君に贈る』『再び樗然な着眼であったといえよう。内田不知庵が『政治小説を作るべき 牛に與ふる書』 ( 明治三五年 ) は、この浪漫主義に形而上的な神祕的好時機』 ( 明治三一年 ) を書き、後藤宙外が『政治小詭を論ず』 ( 同 ) を 要素を用意するものであったとみられる。すぐれた美學者で、夏目展開したのも、これと關連するが、嶺雲が『詩人と人道』 ( 明治一一九 漱石の友人でもある大塚保治が、この問題に關連して、『。「ン年 ) 『瓧會問題』 ( 明治三一年 ) に述べたことは、就會小説の提唱によ チ ' クを論じて我邦文藝の現況に及ぶ』 ( 同 ) を書いていることに注って、具體化されるはずのものであった。だから、高山樗牛が、こ 目されよう。ここにも、明治の文藝評論には、常に美學的な裏づけの就會小説の提唱に對して、一度は「殊に瓧會の不幸なる階級に同 を必要としていることがうかゞわれる。 情し、是の如き不幸の因縁を以て外圍の境遇に歸せむとしたもの」 これより先、政敎瓧のナシ , ナリズムから育った田岡嶺雲は『ハ で、「社會道德の不健全なる暗潮を代表する文學」として斥けよう イ・ンリ - ッヒ・ ( ィネ』 ( 明治二七年 ) において多情多感な自己の精神とした。後に『評家及び作家としての不知庵」 ( 明治一 = 一一年 ) におい 像を ( ィネを假りて語り、『美と善』 ( 同 ) に自己の文學観をしめしては、その社會小説の實情をみて、前記のような危惧を棄てて、賞 た。嶺雲は自我の主張に諸惡の根源を認めるが故に、自我を滅却し 揚することになったとも考えられる。この瓧會小説是非の論議の間 た無念無想の境地において、沒利害の「絶對の美」と「絶對の善」 に、哲學者の金子筑水は『所謂社會小』 ( 明治三一年 ) を書き、そ との一致を把握する。シルレル的な美育論が、東洋的な無の境地、 の範圍を考え、分類し、問題の所在を示すところがあった。ここで 或いは解脱の境地をみとめて、反近代主義となり、ヴィクトオル・ 注意すべきは、『文學界』から出た馬場孤蝶が、嶺雲と同鄕であり、
の問題をさまざまな形に設定しながら追求することを怠らないこと になった。 近代文學における自我の観念は近代個人主義の中核として個人的 漱石は、自我の一一元的相剋を一作ごとにぶちまけながら、例の修人間のうちに成立した。個人的人間の内部に自我が内在し、この自 善寺の大患のころから、次第に自己を現實の秩序のうちに整理し、 我にもとづいて理想的な人間性が導き出されてくると確信している 自我脱却の境地に、つまりいわゆる「則天去私」の境地にたどりつあいだは安んじて自我の探求に耽っていることができた。しかし近 いていった。この境地は、「行人」の兄である「多知多解が煩をな代人が人間の本性として自己のうちに見出したものは醜い利己心で し」ていた近代知識人においては實現できず、この知性を超えるこあった。美しい人間性を期待して、かえって醜い利己心を見出した うしな とつまり「意解識想」を投げすてて、「一撃に所知を亡ふ」ことを近代人は、この利己心を人間の自然として、これを超えていくとこ 要した。「明暗」は必ずしもまだ、明らかにこれを示しているわけ ろに人間性の理想があると考えて、個性の價値や人格の奪嚴を考 ではないが、「硝子戸の中」の次の文章はこれを感知せしめる。「私え、これを追求する人間的努力を價値づけることができた。しか すこぶ の罪は、・ーー頗る明るい處からばかり寫されてゐただらう。其處にし、これを可能ならしめていたものは封建的瓧會から脱皮した市民 或人は一種の不快を感ずるかも知れない。然し私自身は今不快の上會が、人間を瓧會から獨立した個人として、個人の自我探求が同時 またが に跨って、一般の人類をひろく見渡しながら微笑してゐるのであ に瓧會の秩序を形づくり、その進歩發展に役立っている限りにおい あたか る。今迄詰らない事を書いた自分をも、同じ眼で見渡して、恰もそてである。自我の追求が同時に瓧會の秩序とならず、市民瓧會は階 れが他人であったかの感を抱きつつ、矢張り微笑してゐるのであ級分裂をきたして、不幸と混亂が現れ、瓧會が單なる個人の集合で る」 はなくして、超個人的な論理をもって發展する實體であることを近 鸛外はどうであったか。すでに「妄想」においてかれの自我の發代人の前に示すにいたった。人間は生物學的な個體として個人であ 展をたどり、「靑年」においては漱石と對決しているが、漱石とち るにはちがいないが、同時に超個人的な實體としての瓧會のうちに がって、ドイツ觀念論に出發したアポロ的人間であった外は、自あり、近代的市民はこの個人的自我をもってこの瓧會と對決しなけ 然科學者として「自然」を重んじ、現象を肯定する「生れながらのればならなくなった。本來、この對決を課題とすべき自然主義文學 題 傍観者」として、自らの立場を「あそび」「諦念」と名づけながら、 は、自我の末成熟のために、かえって自我による自己観察をつづ の おんみつ け、漱石や鷦外や白樺派の時代にいたって、かえってこれと對決し 諏漱石と同じように、隱密のあいだに自然と道德との對立を格鬪し、 る 自我を沒却したところに發する高去な絶對的自由な「自我」の境地なければならなくなった。この對決をとおして、自我は分裂と解體 け ーマニズム おにたどりついていったとみることができる。しかし漱石の近代的知との悲劇をたどることになった。ここから現代のヒ = 性は禪に表明される東洋的虚無主義の前に敗北したが、鸛外の卓越が、新しい課題として、社會のうちにおける新しい人間の發見と確 代した理性は、「妄想」の老翁のように、「炯々たる目が大きくられ立とをもって、新たに考察されなければならないことになる。 ( 昭和二十三年十月「文學」 ) て、遠い遠い海と空とに注がれてゐ」た。そこに、鷦外の瓧會主義 との對決の問題がある。しかしもはやこれを論じていることはでき 3 ぬ。 みは
が、そのやうな結論に到着したのであった。 しかし、その後において、すなはち、大東亞戦展開後において、 私小説への作者側の信賴のたかまるとともに、いつばん文壇の否定 の聲にかこまれた事情は、いかなる推移をかたるものであっただら う。むしろ、眞實をかたるものとしての私小説の否定がおこなは れ、その實感の人間性にもかくべつの價値はたかまらず、ひたすら 作者側からのみ、私小説の價値と榮譽がとなへられたといふこと は、なにを示唆するであらうか。もはや、眞實への希求によって、 人間的素朴さのあらはれによ 0 て、今日の私小説はもとめられてゐ近代文學における自我の問題 ないことをもの語る。それは作者側からも、同時に、批評家や、い つばん文壇的な感情からもさうなのである。 かやうにして、今日の私小説のいつばんは、かっての自己形成へ の努力をわすれ、眞實への希求をきりすて、自己みづからを直接 に、よりよく表現しうる形式としてのみもとめられてゐることを知 りうるであらう。しかし、私小説の生命は、今日それ以外にもとめ られぬであらうか。つまりは、自己喪失や、放棄の表現の形式とし てのみしか、やくだたぬのであらうか。國民的感動の表現にさへ個 性の存在をしめすことなく、この亞流と類型のなかに、みづからを 近代文學における自我の念は、近代文學をして近代文學たらし よこたへようと焦ってゐる。それは、みづからの發意と、みづからめている中軸的な観念の一つである。近代文學は市民瓧會の文學と の意志によってではなく、環境への屈從、おのれの欺瞞の錯覺をさ して市民精神にもとづくものであるが、市民精神は營利を絶對の目 へわすれさらうといふ功利心によっていとなまれてゐるのではない的とし、そのことでまず自己の幸輻を實現しようとする資本家的精 の か。いはば、今日の私小説における自己放棄は、當然文學の本質の禪であり、この資本家的精紳は個人の自由と平等とを主張する個人 る 一切の放棄のすがたともなって反映されてゐるのではないか。もと主義の精紳にもとづいている。人間が獨立した個人として瓧會や國 け おめられる國民的、民族的個性への特質的自我の擴充は、かやうな自家の普遍性に優先し、この獨立的個人に本來的な人間の姿を認め、 學己忘却と文學的本質の喪失によってまったうされうるであらうか。 個人の中心原理として初めて自我の念がたてられた。いかなる個 代 * 私小説は懴悔の意識から生まれ、自己潔齋の意味をもっとは私小説人といえども瓧會における個人であり、人間は個人であるとともに 近 擁護派の繰言である。 瓧會であるという二重性をになっているが、人間が瓧會から獨立し た個人であるという意識をもつにいたったのは、とりもなおさず、 3 こういう意識を可能ならしめた歴史的瓧會的現實としての市民瓧會 瀬沼茂對
商品として生産されはじめるや、人間生産物の一種類に過ぎない藝 術品もまたこの規定からもれす、詩人的性能は徐々に職業化せら れ、その製作する詩は貨幤と交換されるために、ち商品として、 製作されることが一般の瓧會通念となるのである。 但し人間の無數の生産物のうち、それぞれ固有の瓧會的役割と、 所屬瓧會の特殊な事情に從ひ、一就會内にあって、ある生産物がす でに商品化されながら、他の生産物がいまだ商品化されてゐないと いふ場合の如きは、きはめてあり得べき現象で、この意味におい て、藝術製作品などが商品化されることの遲れがちなことは考へ得 られるが、しかも商品化の決定的方向からは一歩も逃れ得るもので はない。 これをやや具體的に見るに、わが國最古の小説たる「竹取物語」 の中には、火鼠のかはごろも買受けの追加金として、金五十兩請求 の文句があり、すでに當時においての一般生産物の商品化の深度が 想像されるが、しかし「竹取物語」そのものはいまだ商品として製 藝術品はその他の一般的生産物と等しく、自然的素材に人間勞働作されたのではなかった。印ち原稿料とは縁遠いものであった。 力が加って初めて出現する。從ってひとたび完成されて瓧會的關係「源氏物語」や下って「方丈記」に至るもこれと同様で、もしたれ にいるや否やその他の一般的生産物たる靴、傘、刀劍、自動車等々 かがかりに「方丈記」の作者に向ひ、あの原稿料はどうしたとか、 と何等の區別なく瓧會の經濟關係の歴史的變化に從って、その瓧會版權を登録したらいいだらうなどとオセッカヒな注意を與へたとし 的性質を規定される。 ても、恐らくどんなに説明されても長明先生は版權なる概念がのみ たとへば米や織物のやうな一般的生産物が、一團體内の分擔的勞込めなかったことであらう。 働の産物として生産されるやうな原始瓧會では、詩人もまた自分自 しかも時代を飛躍して西鶴に至れば、すでに敢然としてその諸作 身あるひはごく親近な人々の衝動を代表して詩を製作したので、そ を商品として意識してゐるのである。 たうたう の れも狩獵あるひは農耕の片手間の製作であり、その詩的生産に對し て 更に現代に至っては、一切の作家は滔々としてその製作品を原稿 し て別に報酬も受けず、あるひはきはめて僅かにその他の勞働分擔を料と交換せんことを意圖して、印ち商品として製作せざるものなき 品輕減してもらへたに過ぎなかったであらう。 に至ったのを原則とする。 ところが社會の經濟的發展が一定段階に到逹し、一般的生産物が もちろん、このこと自體は作品の質的優劣とは何等のかかはりも 一團體の自家需要のためにのみ生産されるより以上に生産力が伸展ないことで、トルストイやフローベルの傑作も、その他いかなる高 し、分業制度が確立され、過剩品を交換するために、ち生産物が踏的詩人の作品とい〈ど、稿料と交換される限りは、自ら意識する 杉山平助 商品としての文學