いです。同情的にみてよさそうなのに、むしろ、老人以上に、そういうロのきき方をおもしろく ないと思っているのです。 これはどうしたことでしようか。 わたくしたちの社会が、ことば社会になりつつあることを暗示しているのかもしれません。 これまでの世の中は、経済と地位がものをいう社会でした。すべての人がえらくなりたいと願 いました。金持ちになりたいと望んでいたのです。ところが、中流化した社会では、えらい人間 はむしろ気の毒だと思われます。金持ちに対しては反感をもつようになります。 人間の評価は、どんなりつばな邸宅に住んでいるか、できまらない、と思う人がふえていま す。どんな大きな会社の社長でも、いつも会社をしよって歩いているわけではありません。 もちものや地位よりももっと大切なものがあります。人柄であり、教養です。 いかなる権力家 そういうものはことばにあらわれます。ことばが悪ければ、どんな財産家も、 も、かたなしです。ことばは、いついかなるときも、その人を離れません。ハダカになっても、 ことばはついています。 ことばで人間を評価する慣習はこうして始まります。これまではそれがはっきりした形をとら なかったが、日本人の生活が豊かになるにつれて、ことばへの関心が高まるというところにその へんりん 片鱗をしのぶことができます。数年前にすでに〃ことばづかいが上手になりたい第という願いを もつ人がおどろくほど多かったというのは、さらにそれをはっきり示していたことになります。
そういうことは家庭でもあるし、社会でもあります。同じ会社の中だけでなら、話が通じると いうことがあります。仕事の上では、同じような風が吹いているのです。しかし、ちょっと外へ 出ると、もう違う風が吹いています。そのときに、十分前までは会社で仕事のことで仲間と議論 していた、その調子をそのまま友だちと会ってるときにもち出して、会社でこんな話をしてきた んですよ、ということをやったらまずいわけです。友だちとは全く新しい雰囲気で話が始まるほ う力いいのです。 そのことを、いままでは「きりかえ」といってたのですが、「きりかえ」よりは風見鶏、ある あし いは「風にそよぐ葦」のようだと言ったほうがいし 、ような気がします。 そういう態度を、理想的には小さいときに身につけておきたいけれども、もしつけそこなった ら、なるべくいろんなタイプの人とっき合う努力をします。同じタイ。フの人ばかりと話している と、かた苦しい人になります。ごく親しい人とは話ができても、ちょっと違うタイプの人に出会 へいさ うと、自分を閉鎖してしまいます。いちいち、ああいう人とは話ができないとか、ああいう人は きらいですとか、あの人とはっき合いませんとか言ってると、非常に世間が狭くなってしまいま です。思いがけない人に触れて、それによって新しい生き方が可能になってくるかもしれない。そ れが世間なのですから、なるべくいろいろな人に適応することがだいじだと思います。 や し 125
心がけが必要です。一時間も、一時間半も独演して、い ちども笑い声があがらないといった講演 は、聞いている人たちのハラをポンポンにはらせる、きわめて衛生上も有害な話ということにな ります。 まじめな講演などでは、そういうことが別に珍しくないというのは、講演という特別な形式の おしゃべりを知らない人がたくさんいる証拠です。これだけ教育の普及した社会で恥ずかしいこ とです。 いったい、学校などでは、文章を読んだり、書いたりするのはやかましく言うくせに、話すこ と聞くことにはさつばりカを入れません。 長い独演の話をするときには、適当に聞き手を笑わせなくてはいけないといった、きわめて基 本的なことを全く知らないで社会へ出ます。 そのまま話し方を知らずに、大臣になり、高級官僚になり、大会社の社長になり、学校の先生 になり、家庭の主婦になることができます。 笑うのは聴衆の〃発言″です。 「そうです」 「わかりました」 「おもしろいですよ、そこのところ」 「そうですか、おどろきましたね」 754
〃ことばみはステータス・シンポル ー」というのがあります アメリカのミュージカルで大当たりをとった「マイ・フェア・レディ が、このミュージカル、ちょっとおもしろい話です。 人間の価値をきめるのは、金とか地位ではなくて、その人がしゃべっているクことばにある という考え方が、いわばテーマなのです。 原作は、「マイ・フェア・レディー」が流行する四十年も前に、イギリスの・ ウという人が舞台のためにつくった『。ヒグマリオン』という戯曲だったのです。 そのころイギリスの社会に、 ことばは人間のステータス・シンポルになるのだ、という考えが あったことになるわけですが、イギリスはアメリカと違い階級社会です。上流・中流・下層とい うふうに、はっきり分かれています。下層階級の人がすこしぐらい努力しても、中流にはなれな い社会です。 作者 2 ハーナ ード・ショウは、そういう非常にやかましい階級差別のあるイギリスだけれど マイ・フ = ア・レディ 1 のように
たのです。 この場合は、そういうときにふさわしい、校長として言うべきことばがあります。それを言わ ないのなら、いっそそこへ行かないほうがよかったわけです。こういう場合は、きわめてデリケ ートな場合なのです。変なことを言うと、聞いたほうはひどく感情を害したりします。だからお くやみのときは、「このたびはご愁傷さまで : : : 」といったキマリ文句があるのです。 いま、キマリ文句がなくなったのは、各人がその場その場にふさわしいことを、自由にしゃべ っていいということでは自由ですが、だからといって、この校長さんみたいに、うつかり赤信号 のところを突っ走ったりなんかすれば、たいへんな交通違反になるわけです。このごろは、そう いうことばのうえでの交通違反が非常にふえてきましたので、そのために、なんとなくギスギス した社会になっているとか、世間はみんな自分に敵意をもっている、というような妄想に陥りや すいとか、いろんなことがおこっています。 よ の そういう意味で、これからの社会でいちばんだいじなことは、ただ、ことばを上手にしゃべる デというようなことではありません。人間の基本的な教育として、ことばの問題があるわけです。 レ 女性ですと、これまでは、お化粧するとか、きれいな着物を着るというのが、美しく見せる、 ア いいイメージを与える、印象をよくするといううえで有効な手段でした。もちろんこれからも、 フ お化粧が不必要になるということはないと思いますが、これからはかりにお化粧をしていても、 イ マ ことばが上手でないとクマイ・フェア・レディ ー〃になれない。〃 マイ・フェア・レディー
日本語の伝承者であったわけです。美しいことばは女性的だと感じられてきました。 内と外とのきりかえがだいじ きわめてすぐれたことばの感覚をもっていた谷崎潤一郎が、『源氏物語』にせられ、それを 現代語訳することによって、日本語の美をとらえようとしたのは、室内語の純粋なかたちをこの 古典に発見したからでしよう。東京生まれの谷崎が関西に居を移し、関西の女性を夫人としたこ とは、室内語をわがものにするためには、生活そのものをそれに合わせることを示しています。 ところが、社会が変わりました。女性も外へ出て働くのがあたりまえになりました。これまで のように室内語を蚊のなくような小さな声で言っていたのでは、相手にわかってもらえません。 ことばをかえる必要があります。社会的進出をした若い女性たちが、そう思ったのではありま せん。はっきりした自覚はないまま、女性のことばの大変化は始まったのです。このことはあま り注意する人はありませんが、何百年に一度、あるか、ないか、というほどの大きなできごとか もしれないのです。日本語はその性格を根本的なところで変化させようとしています。 これまでの室内語ではいけない、まず、そう感じたのは学校の女の先生であったようです。先 生は話すのが商売です。ぼそぼそしゃべっていては生徒は聞いてくれません。かっての生徒は神 妙におとなしかったが、民主主義的教室はさわがしい。落ちつきのないクラスで授業するには、 よくとおる声で話さなくてはなりません。 100
よかったかもしれません。すこしくらいつよいことばでも、平気で聞き流してくれる人なら、ロ 八丁手八丁どころかロ十丁手十丁でもいいでしよう。 教育水準が高くなればなるほど、ことばに敏感になります。ちょっとしたことばにも傷つきま す。いったん傷つくと、いつまでもそれにこだわる。小さな傷をひっかきひっかきしているうち に、傷口を大きくしてしまうサルに似ていなくもありません。 学校の勉強はことばの勉強です。国語だけではありません。社会科、理科だってそうです。数 学だってことばと深い関係があります。ことばについての神経が、粗雑であっては学習はできま せん。いまの若い人が年輩の人たちにくらべて、ずっとことばにやかましくなっているのは、偶 然ではないと思います。 ことばが、ひとりひとりのイメージをつくります。いくらきれいに着飾っていても、〃品のな いことばを使ったりしては、・フチこわしです。どういうのが〃品のいいことばで、どういう 。か、それをはっきり知っている人はすくないようです。 のが〃品の悪いこと・よ 方言はあまり上品ではない。たいていの人がまずそう考えます。標準語が〃きれいなことば だろうと思って、テレビをまねた話し方をします。方言が美しいことばでありうることを知って いる人がすくないから、日本中の方言が消えようとしています。けっして健康な社会とはいえま せん。 借りものの標準語さえ話していれば、エ リートらしく見えると思うのは浅はかです。話し方が 792
時代や社会を超えた共通の人間としての美し 四六判 / 七八 0 円 さの原則が、女性の暮らしの中に必ずあるに 鈴木健ニ 違いないと、″女らしさ″にその基調をおく 著者が、聡明な女性のあり方として、人づき 公心明な女とよばれるⅡ章 あい、美しさなど章にまとめた必読の書。 これからの女性は、自分の生き万の選択や責 四六判 / 七八 0 円任を、自身に帰属させ、生涯設計をたてるこ 一酒井美意子 とが必要になる。本書は妻・嫁・姑として自 主的に生きてぎた著者が、女性として、より 谷月よ女の生き方 性耳日オ 賢く生きるための方法をのべた体験的人生論 女 の 料理は、おしゃれと同様に、自分自身の表現 四六判 / 七八 0 円 活・モレシャン であり、他人に対するやさしさの表現、また 社会を反映した文化でもあるといい、世界の と ノ 婦 、リジ = ンヌは食いしん方 上料理にも精通、グールメの定評ある著者の、 主 食べること、生きることを愛する料理の本。 ″自分を生きる″というのが、結局は人生の 四六判 / 八五 0 円 落合恵子 テーマである、と主張する著者が、現在、自 分の生き方に、疑問を抱いている女性を対 に、みずから、なっとくした生き方をするに 自分を生きる女の本 はどうするかを、具体的にのべた指針の書。
Ⅷ ll ⅧⅢⅢⅧ主婦と生活社のファミリー・コミュニケーションの本ⅧⅢ ll ⅢⅢ朏 なだいなだ 親子って何だろう 川上哲治 野球家庭論 四六判上製 / 八ハ 0 円″親子の絆 4 が崩れ行く現在、作家であり、 精神科医である著者が、親と子の正しいあり 方について、あらゆる固定観念や教条主義を 排し、自由に正確に本質を洞察し、核心をつ いて、やさしく説きあかした親子関係の決定 版。内容は、 1 動物の親子 2 人間の親 3 親子というもの 4 めぐりあいと別れ 5 親 子の関係と社会 6 ある親たち 7 文化と親 子 8 親子の理解 9 親子と教育親の目 ・子の目むすびから成っている。 四六判上製 / ハハ 0 円″心のあるチームワークづくり″をモットー に、野球道一筋を歩いてきた川上氏が、「家 庭こそすべての出発点」との動かぬ視点をも って、家庭のあり方、幸せなどをつづった実 践的家庭論。親子関係の不信、家族崩壊、教 育の不毛が、大きな社会問題となっている今 日、川上氏の生きざま、若い選手の鍛え方、 家庭に対する考え方、適切な提言は、若い人 びとや子をもっ多くの親たちの指針となり、 共感と賛同を呼ぶ。
ことばがすばらしければ、その女性は立派な女性になる、ということを言っているわけです。人 間の活動として、ことばはだいじなのですが、それだけではなくて、おしゃれの最も有効な方法 として、ことばの訓練というものがあると思います。それがいままでにないくらいだいじな問題 になってきました。 このように、 ことばも、話しことばについては、学校でほとんど教えませんから、あいかわら ず多くの人は、本を読み、文章を書くことがことばの勉強だと思っています。しかし、実は話す ことばに本当のことばの勉強があるわけです。ただ、これを社会全体として心がけるようになる まで、もうすこし時間がかかるだろうと思います。このことに気がついた人は、いまのうちから そういう努力をすることは非常にだいじなことです。日本も、そろそろ〃マイ・フェア・レディ というものが、わかるようになろうとしているのではないでしようか。 -0