語源学は、ソシュールがご般言語学講義』の中で「分明な一学科でもなければ、進化言語学 の一部門でもない」という判定を下したこともあって、わが国の英語学界では著しく軽視され る傾向にあった。なにしろソシュールの影響力は巨大なものだった上に、英語の単語の語源に は、興味を持ったところで、辞書で調べる以外、やりようがないという感じであったと思う。 しかもソシュールの晩年の関心が語源に向いていたことはあまり知られず、またドイツではそ の後、実に目を見はるばかりの長足な進歩がなされてきていることも、ほとんど日本の英語学 者の注目をひかなかったようである。 まことに幸運な偶然によって、私は当時ドイツの語源学の一つの中心であったミュンスター 大学に留学することを得、シ = ナイダー教授のもとで三年近く研究する機会にめぐまれた。先 生は当時、ルーン文字資料の画期的な解読をなさっておられた。当時ミュンスターに来ていた アメリカ人の交換教授が、シュナイダー先生のその仕事を、「今世紀前半の最大の言語学的業 績の一つである」と絶賛していた。ところがその仕事は、実は新しい語源学にもとづくもので あることを知って、私は愕然とした。語源などは、辞書に盲腸の如くくつついているものにすめ ぎない、くらいに思っていたのだから。 ↓み しかしシュナイダー先生のところで展開している語源学は、私の先入観をこつばみじんにし
波書店 ) 。これを読んだときの感激は圧倒的なものであって、本を読むこととはこういうことな のか、と知らされた。私は英語・英文学を専攻する学生だったが、英語の古典もこのように読 まねばならぬと覚悟したのである。 幸いに、私がドイツの大学で師事することになったカール・シュナイダー先生は、ルーン文 字 ( 普通のアルファベットが用いられる前のゲルマン人の用いた文字 ) の解読者であり、この方面で の最高権威である。先生がゲルマン人及びゲルマン語についての徹底した小学的知識によって 古英語の文献を講読され、また古語の語源を説かれるとき、私は露伴によって鯤も鵬も小さい 魚と小さい鳥の代表であることを知らされたときと同じ種類の感銘を受け、文字どおり体の中 せんりつ に喜びの戦慄の走るのを覚えた。ついでに言っておけば、古英語は古いゲルマン語の一方言で あって、その学問的研究はドイツにおいて始められ、またその分野の最もすぐれた研究の多く はドイツにおいてなされてきている。 戦後の日本の英語学界の流れは、小学的に古英語の研究をやることからは イメージの考古学 離れていたように思われる。私はシュナイダー先生の研究に取り憑かれて 、た。しかし古い外国語の小学的研究というのは、当然のことながら、はなはだやりにくいもの である。それでも私は何とか細々とやってきた。少くとも日本の英語学畑で、英語の語源につ っ ・ 0
ないが、われわれが目ざしている語源学のあり方は示し得たものと思う。古代人のイメージに おいて、性は中心的な地位を占めるから、どうしても性に関係のある多くの単語を取り扱うこ とになったが、それはやむをえない。また漢語との関係についても、ときどき注意をうながし ておいたが、この点については、その方面の専門家の今後の研究に期待したい。また例として はんみ、 出した古い語形や、推定語形は煩瑣にならないように、ごく少数にとどめた。専門家はここに 書いてあることからだけでも十分に間隙を頭の中で埋めてくれると思うし、また素人の方は、 られつ いろいろ語形を羅列されてもうるさいだけであろうと思ったからである。いずれ、近い将来に 英語の語源辞典を編集する予定なので、そのときに綜合的な詳しい記述を載せるつもりである。 本書は小冊子ではあるが、今まで英語をやってきた人々に新次元の知識を提供するものであ ると信じている。このような形を通じて、恩師シュナイダー先生の学問的方法の一端を日本の 読者に紹介しえたことを嬉しく思う。この本ができるに当っては、例によって講談社の浅川港 氏にひとかたならぬお世話になった。厚く御礼申し上げる次第である。 昭和五十一一年六月 渡欧の日を前にして渡部昇一 5 はじめに
ったのだろうか。 ワイア 語源的に「妻」は「包まれた ( 物 ) 」という意味であった。これはおそらく、花嫁を包んだこ とから出たものであろうと考えられる。だいぶ前にヴァイキングを題材にした映画を見ていた なっとく ら、花嫁が完全に布に包みこまれていた。これを見て、「なるほど」と納得した記憶がある。 私の恩師のシュナイダー教授は、嫁入りのときに、他の道具とともに、包まれた花嫁を運びこむ 習慣があり、このとき、花嫁は「包まれたもの」と呼ばれたと思われるが、「包まれたもの」は 「もの」だから中性で呼ばれるようになったのであろうと推測しておられた。日本でも桃太郎 の童話に「車に積んだ宝もの」という言葉が出てくるが、西洋では、花嫁は「布にくるんだ宝 もの」だったのである。花嫁を包んだ理由は、元来は嫁入り途中において他の若い男たちの嫉 妬の目や、嫉妬心に駆られた行為を予防するためだったと思われるが、いつの間にか儀式化し 血 たものであろう。 れ 昭和三十四年に皇太子と美智子妃の御成婚があり、おふたりは沿道の人々にオープン・カー から挨拶されながら皇居から御所に向かわれた。その途中で、少し頭のおかしい少年が投石す生 るという事件があ 0 たと報道された。実害はなか 0 たらしいが、そのとき私はこの花嫁を「包難 まれたもの」とした古代ゲルマン人の習慣がわかったような気がした。花嫁を見る男たちの目
「あなたの国ではだれが肉を切り分けますか」とシュナイダー夫人は私にたずね 肉を切り 分けるもの こ。ドイツに留学して間もないころ、私はドイツ語がろくに話せなかった。それ ではじめのうち、先生のお宅の夕飯に招かれたときには、英語の達者な夫人はいつも英語で私 冫 = 一口りかけられるのであった。 「肉を切り分ける」 (carve) という単語をこのような文の中で出されて、その意味がすぐわか ったことがちょっと愉快だったので今でも覚えている。実は福原麟太郎先生のお書きになった もののどこかで、イギリスのちゃんとした家庭では、みんなの前で肉を切り分けてやるのが家 長としてのたしなみだということを読んでいたから、すぐにその質問の意味がとれたのである。 福原先生の随筆はけっして実用記事ではないが、ときどきこういう意外な実益があった。 「だれが肉を切り分けるか」ということは、結局はだれが家庭の中で威張っているか、という 意味にもなるであろう。昔のことは知らないが、当時のドイツでは食卓で肉を切り分けるとい う情景を見たことがない。農家でも、インテリ家庭でも、実業家の邸宅でも、貴族の城の中で も、いつも肉はすでに料理人によって切られてーーー普通の家庭では主婦によって切り分けられ てーーー皿にのって出てきた。 ところがイギリスでは一座の中でいちばん偉い人が、食卓の上で文字どおり肉を切り分ける
た。それは古代ゲルマン人の世界にまったく新しい展望を与えてくれるものだったのである。 私と同じゼミナールには、その後、この分野でめざましい業績をあげたペニングやデックもい た。また私の住んでいた寮の近くには、ゲルマン語の語源学の大家のトリア教授が住んでおら れたが、その見事な銀髪姿を、学生寮の窓から畏敬の念をこめて眺めていたものであった。そ れやこれやで、私は新語源学の魅力に取りつかれて帰国したのである。 それから早くも二十年以上もの月日が経つ。シュナイダー先生のところではその後も着実に 研究が進んでいたのであるが、先年の大学紛争は先生の貴重な知的エネルギーの多くを濫費せ しめた。何年か前に、再びお訪ねする機会があったが、先生のかっての金髪はおおむね白くな っていた。そして今年のはじめのころのお手紙によると、停年三年前なのに、退職なさるとい う。「くだらない会議にばかり出なければならないことに我慢ができなくなった」とのことで ある。先生の最終講義が行なわれる今年、私はちょうど自分が留学したときの先生の年齢にな っていることに気がついて、感慨無量なるものがある。 新しい語源学は「イメージの考古学」といってよい。それまでの語源学が主として音韻変化 の系譜だけであったのとは大いに異なる。本書では人間存在の基本的な形態である男、女、住 居、食物、父、母など、はんの数個の単語を中心として、そのイメージの関連をのべたにすぎ
というときに女性が乳房をかくすというイメージから毋という字を作ったとは非常におもしろ い説だが、佐藤先生のように、「無」という観念を目に見える形で示すときに、母から乳房を 取った字形にした、と考えるのもまた筋が通っているように思われる。古い漢字が、「女」を 示すときに、その柔らかな曲線のイメージを定着させて多という字を作り、「母」というと きはその乳房を強調してその女という字に二つの点をつけてきとしたというのは鮮明なイメ ジの系譜であり、さらにその乳房を取り去って毋を作ったのも大いにありそうなことだから である。それに毋の古い意味も、「禁止」の観念よりは「無いこと」の観念を示すのによく使 プボウノフク われていたようだ。「望外の幸せ」を「毋望之福」などというのがそれである。 ともあれ、漢字という表意文字、あるいはイメージ文字において、母と乳房が分 の 白樺と乳房 かちがたく結びついていることはおもしろい。同じことは古代ゲルマン人の表意 護 保 文字であったルーン文字にも見られるところだからである。ルーン文字のは「白樺」の意味 であるが、その象徴的意味は「母なる大地」である。これは母親の胸を真上から見たところで性 父 AJ ある。ソフィア・ローレンの胸のあたりを真上から見た場合のことを想像すれば、そのイメー 性 母 ジがっかめるであろう。私の恩師シュナイダー教授は、ルーン文字学の世界的権威であられる ビルケ が、この文字がお好きで、ご自分の一人娘 ( ほかに二人の息子がおられる ) に Birke という名前 ・ヘルコ
ることを「街頭ニ春ヲ鬻グ」というのがあったが、 東西そのイメージはまったく 一致する。 この meat ( 食物 ) が人間のものとすると、家畜の「食物」も、また同一語源から出ている マスト mast である。特にゲルマン人は食用動物として豚を重んじたので、その豚に与える滋養のあ マスト る食物である「かしわ、ぶな、栗などの木の実」を総称して mast ( 〔豚〕の滋養食物 ) というので ある。われわれ日本人には、木の実と豚の飼育とはイメージとして結びつきにくいが、私の恩 師シュナイダー教授などは、「自分も子供のときは豚を森の中に連れて行って木の実を食べさ せたものだ」と言っておられた。豚にとっては、栗やどんぐり (mast) がごちそうなので、 ジ ちょうど人間にとっての食肉 (meat) に当るわけなのである。 マメイリア これらの単語の語根の *mad ( 湿った ) は、西欧圏では「乳房」が連想され、そこから哺乳類 の や食物が出て来たが、山中襄太翁はこれは日本語の地名に多い「ムタ」「ヌタ」に関係あるの者 保 ではないかという推測を出しておられる ( 『国語語源辞典」及び「地名語源辞典」校倉書房 ) 。九州 むた の西北半に多い牟田 ( 大牟田 ) 、無田や、そのほか藺牟田、野田などは、いずれも湿地や泥地の性 マッド 意味であり、英語の mud ( 泥 ) と通じるという。たしかに泥の語根は、アルコールを醸酵させど マサー 性 母 るときなどにできるどろどろの澱を示す mother と同じだという有力な説もある。するとい むた ずれも「湿った」という点で、基本的イメージは mud ( 泥 ) と同じく、また、日本語の牟田 ヒサ マド むた おり むた マスト