神 - みる会図書館


検索対象: 英語の語源
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1. 英語の語源

ジーニアス genius の根本観念が伝わらない。キリスト教の天使や聖人は守ってくれるだろうが、古代の ジーニアイ 哲学者によれば genius は元来は一人の人間に二人っいていて ( 複数形 genii) 、一人は善神、 もう一人は悪神であった。ただ 庶民はしだいに自分の生誕神を善神のみと考えるようになった のであった。 この生誕神は、創造という能動の原理であるところから、男にだけつくことになっていた。 ′一んげ 女の場合は、女性的生命の権化であるジューノウ (Juno) がついてくれることになっていた。 まっ それで夫婦がいる家では、夫の生誕神と妻のジューノウの女神の両者を祀ることをやっていた ようである。 男の誕生日は、当然その男の生誕神の祝日になる。そのときは香や酒や花や菓子や、ありと あらゆるものをこの神に捧げるのであった。そこでラテン語では、大いに楽しむことを「生誕 カ す 神におごってやる」というのである。この生誕神は個人にあるのみならず、それそれの村や町 出 コンジーニアル にもあった。そこから congenial ( 同じ性質の、気の合った ) という単語が出てくる。すなわち生 con ・ ( ともに ) と生誕神 genius の形容詞形 genial をつけて、「生誕神をともにする」という 然 自 言葉ができたのである。どの村、どの地方、どの都市、どの国にもそれそれの生誕神がいる。 コンジーニアル 同村人、同地方人、同都市人、同国人は、それそれ生誕神をともにする、つまり congenial

2. 英語の語源

レットジ ・であり、人間の 文法的なこまかいことをいえば、人間以外の場合には Let the earth ・ レットアス である。神は単数なのに、ビ s 》を用いているのは、王様と同じく「私」 場合は Let us ・ レット というのとまったく同じことである。この英語の表 は用いないからであって、 Let me ・ 現の差から出てくることは、人間は神の直接創造であり、人間以外は神の間接創造という区別 である。もちろん肉体に関しては、人間も他の動物と同じわけだから、人間には神の直接創造 の部分があるという考え方になる。 では人間の作られ方と、他の生物の作られ方と、どこが具体的に違うかといえ ス。ヒリ》ット ば、それが聖書では「鼻の中に吹きこまれた神の息」ということになるのだ。こ の「神のま」こそ、人間と他の生物を根元的に分かつものである。人間のこの部分こそ神の直 接創造によるものであり、死んでも土に還らない、不滅のものなのである。これこそ神の姿 であり、これを持っているからこそ、人間はこの地の上に生きる生物をすべて支配し、そのす、一 メ べてを食糧として使ってよいと神に許されたのである。 の すると人間にとっていちばん大切なのは、神が吹きこんでくれた「息」ということになる。 スビラーレ スピリット この「息」が spirit( 精神 ) である。これは、「呼吸する」というラテン語の動詞から出たも人 ので、元来は文字どおり「呼気」の意味であった。それがキリスト教の普及とともに、キリス

3. 英語の語源

いずれにせよ、英語やドイツ語で、この世のものでない霊が現われたとき、これはゾッとす ー父親の幽霊が現われると、 るものとしてイメージされたのであった。たと , えばハムレットこ、 ムレットは愕然として、まず守護の天使に呼びかけるのである。 「亡霊現れる ハム南無天使、諸天善神、護らせたまへ ! 」 」一幕四場・坪内逍遙訳 ) ( 『ハムレット その後 ( ムレットがぐずぐずして父の復讐を果たさないでいると、また父の幽霊が現われ 「亡霊現れる なにとぞ ジ 大空にまします神々、何卒我身を護らせたまへ : メ ( 『ハムレット』三幕四場・坪内逍遙訳 ) の この二つの場面とも、情況はまったく同じである。急に父親の亡霊が現われると、ハムレッ トはびつくりしてまず守護の天使に守ってくれるように呼びかける、というパターンのくり返人 しである。逍遙は全体を伝統的な芝居に近く訳しているので、「善神」とか「神々」とかいう る。

4. 英語の語源

るものとなりぬ。」 神は人をたしかに土で作ったのである。もちろんほかの動物をも土で作った。しかしほかの 動物を作ったときは、生気を鼻の中に吹きこまなかった。ところが人間の場合は、神は生気を その中に吹きこんだのである。神から生気を吹きこまれた動物が人間であり、吹きこまれなか った動物がその他一般の動物である。その差は決定的なものとしてイメージされることになっ た。動物はその肉体の素材である土と連続し、その秩序の中に組み込まれ切っている。これに 反し、人間は、土とまったく異質な「生気」を神によって吹きこまれたのだ。この「生気」は 土から来たものでないから、死んだ肉体が土に還るときでも、土になることはない。これが不 滅の霊魂である。したがって動物に生まれ変る、などという考え方は生ずる余地がない。ユダ ヤ教、回教、キリスト教で動物神などをあがめる偶像崇拝が徹底的に嫌われる理由は、土に還 し力なる理由でも許せ るべき動物を、土に還ることのない魂を持った人間が崇拝することは、、、 ないからである。このような考えの出てくる根拠を『旧約聖書』は別のところでつぎのように のべている ( 創世記、一・二四ー二八 ) 。 「神言ひたまひけるは、地は生物をその類に従って出し、家畜と昆虫と地の獣をその類に いきもの はうもの けもの 25 「人間」のイメージ

5. 英語の語源

従って出すべしと。すなはちかくなりぬ。神、地の獸をその類に従って造り、家畜をその 類に従って造り、地のすべての昆虫をその類に従って造りたまへり。神、これを善と観た かたどり かたち まへり。神、言ひたまひけるは、われに象て、われの像の如くにわれら人を造り、これ す・ヘてはうものおさ に海の魚と天空の鳥と家畜と、全地と、地に匍う所の諸の昆虫を治めしめんと : すなわち神は、いろいろな種類の生物、家畜や昆虫を「地に産み出させた」のである。この きんてい ところを英語でいうと感じがっかめる人も多いと思うので、欽定訳版から引用してみよう。 And God said, Let the earth bring forth the living creature after his kind ・ ノ ( そして神は言った、地に生物を、その類に従って産み出させよう : : : 、 これが人間のことになると、つぎのようになる。 And GOd said, Let us make man in ou image, after our likeness ・ ・ So God created man in hiS 「】 age ( そして神は言った。さあ私のイメージで、私のイメージに従って人間を作ろうと : : : そ して御自分のイメージに合わせて人間を創造した )

6. 英語の語源

こうとく はくち び、孝徳天皇に奏して改元してもらい、大化六年は、白雉元年になったのである。古代シナで は、国王が清楚にして仁聖なるときは山に白雉を見出すという故事があるから、日本でも大さわ とくしゃ ぎして祝い、官吏はポーナスをもらい、罪人は特赦されるという、国をあげてのお祭りになっ た。これが前例となって、なにか吉兆があれば改元した。亀なども吉兆とされていたことは、 しゅちょう きト ` ううん れいき じんき ほ、フき 霊亀とか神亀とか宝亀などという元号があることからも知られる。このほか朱鳥とか、慶雲と わどう 、養老とか、和銅とか、いずれも祥瑞改元によってできたものである。 きト 4 うちょう この吉兆や祥瑞の反対が凶兆である。農業国であった古代のシナや日本では、気候の不順 が凶兆の第一である。夏に冷雨が降ったりするのがそれである。地震もまた凶兆であり、天下 大乱の予報として受け取られていた。また白色の虹が太陽の面にかかることは、君主に危害が ッラ 加えられる前兆とされ、「白虹日ヲ貫ヌグ」ということははなはだしく忌み嫌われたものであ る。これは東洋の話であるが、西洋でも凶事の起こる前に、その警告として神々は不思議なも 一三ロ のを示すと考えられていた。たとえば足のある蛇とか、翼の四つある鳥とか、頭の二つある人 間とかである。このような奇形のものが出現したら、神々が人間の生活の堕落に不満であっ て、凶事を起こすそ、という前兆であるから、身を慎むようにせよ、などというふうに解釈さ れていた。こうした凶兆は無気味な形をしており、神々とのかかわりあいから、超自然的な色 ようろう ハクコウヒ しようずい

7. 英語の語源

この言語情況をよりよく実感するために、日本の宗教事情を例にひいてみよ ゴッドと「神」 う。古代に仏教が入ってきたとき、仏教の布教者たちは宗教概念を土着語、 つまり大和言葉に翻訳しなかった。仏は「かみ」と訳されなかった。地獄・極楽は、「よみのく たかまがはら に」「高天原」とはならなかった。すべて漢語のまま、つまり日本人からみると外来語のまま なのである。おそらくこのことが、仏教の隆盛にもかかわらず、日本の神道 ( この名称は後世の ものだが ) が消えなかった一つの有力な理由であったろうと考えられる。十六世紀にキリス 教 ( カトリック ) がキリシタンの名前で入ってきたときも、ゼウスを「かみ」と訳すようなや り方はしなかった。 事情がまったく変ったのは明治時代にプロテスタントが入ってきてからである。プロテスタ トリックもこれになら ントは英語のゴッドを「かみ」と訳し、「神」という漢字を使った。カ い、旧来のゼウスでなく「神」にした。これによって重大な問題が出てくることになったので ある。つまり西洋の宗教学の概念が、かってゲルマン人の土着宗教の中にキリスト教の観念が 入りこんできたように入りこんできたからである。山本七平氏に聞いた話によると、ある有名 なプロテスタントの牧師が、日本の神がキリスト教の神といかに違うか、つまりいかに欠点に 満ちているかを指摘したところ、その話を聞いていた神官が、「日本の神様という言葉を、西洋 41 「人間」のイメージ

8. 英語の語源

天使でもない。普通の人間である。普通の人間が書くことに間違いがないという保証はない。 しかし、聖書に間違いがあったのでは困る。それを一字一句そのまま信じて一生を規定した り、殉教さえするのだから。それでキリスト教の神学では、インスビレーションという単語に は特別な意味が与えられているのである。つまりョ ( ネならョ ( ネが、福音書を書いていると き、神が直接に何を書くべきかをョ ( ネに「吹きこんだ」というのである。まさにそれだから 聖書なのである。この場合のインスビレーションは「神霊の導き」とか、「神感」とか訳され ているが、私の好みからいえば香港版の『英華大辞典』が与えている「神霊的啓示」がよいよ 、つに田 5 、つ このインスビレーションについて、神学的にはさらにいろいろの説がある。聖霊は福音書を 書いた人の頭の中に、一語一語書き取りのように吹き込んだという説をとれば、これは逐語的神 インスビレーンヨン ジ 霊啓示説 (verbal inspiration) となる。また逐語的ではないにせよ、福音書に書かれたこと メ は、どの話題についても霊聖の啓示によるものである、という解釈をすれば、それは十全的神 リーナリインスビレーション の 霊啓示説 (plenary inspiration) と呼ばれる。これは米国南部などに多いファンダメンタリ あだな スト ( フ , ンディと綽名で呼ばれることもある ) の解釈に通ずる。聖書に書いてあることは、イブ人 と蛇とリンゴの話であ 0 ても、そのまま真実と受け取ることになる。進化論と最も相容れない 0

9. 英語の語源

インスピレーション 吹きこまれるのが霊魂でなくて、アイデアの場合は、いわゆる霊感で インスピレーション あって、ほとんど日本語としても通用する。詩人や芸術家や発明家がその ミューズの神が 創作上の妙案を得たとき、元来、それは外から来たと考えられたのであった。 すばらしい詩想を吹きこんでくれたと感じられたからこそ、まさにインスピレーションなので あって、本来ならば「神来」と訳すのが正しいのである。しかし十八世紀のロマン主義あたり から、個人の独創性にますますウェイトが置かれるようになってきた結果、妙想は外から吹き こまれたものでなく、天才や詩人の内から湧き出たもののように感じられるようになった。こ うなると同じインスビレーションでも「神来」でなく「霊感」と訳した方がしつくりする。し かし最近はエグソシストなどで見るように、悪魔のような霊力が人間の外に実在し、それが人 間の精神に外から働きかけるという伝統的な考え方、あるいは感じ方が相当広く復活した。悪 魔ではなく、神や天使が働きかけてくれれば、それが本来のインスビレーションの意味になる のである。 キリスト教で最も大切な本は聖書であるが、その聖書は、マタイとかルカとかマルコとかョ ハネとかいうキリストの弟子によって書かれた。この弟子たちが聖書を書くとき、その記憶は たしかだったろうか。間違ったことは書いていないだろうか。この弟子たちは神でもなければ

10. 英語の語源

目次 はじめに・ 序ー語源をさぐる意味 : 鯤と鵬 / 荘子の洒落 / 「小学」について / イ メージの考古学 1 ー「人間」のイメージ : 土に還るもの / 呼吸 / 神の直接創造 / スビリ ット / / インスビレーション / / スビリットと酒 精 / 幽霊 / ゴウスト / 外来語と土着語 / ゴッ ドと「神」 / ソウル / 実体のある魂 / 万霊節 と盂蘭盆 / 海に還るもの / 波の連想 2 ー思考・音楽・記慮 : マヌとマン / 考えるもの / モンスターとデモ ・ワ 1