ジェントル この単語は語源的には gentle とまったく同じであるが、フランス語から英語に入ってきた ジェントル 時期が違う。すなわち gentle の方はすでに十三世紀のはじめごろにすでに英語に入っている ジェンティール ジェントル のに、 genteel の方は十六世紀の末ごろに取り入れられた。歴史的にいうと、 gentle という 単語が英語に人ったころ、イギリスはノルマン王朝であり、フランスのノルマンデイから来た 人たちが王位や宮廷の高い地位を占めており、したがって宮廷での用語はフランス語であっ ジェントル た。その意味では gentle という単語は、イギリスの上流階級 たとえフランス語しか使わ ジェントル なかったにせよーーーの自分たちの単語であったのである。だから gentle は外来語とはいえ、 ゥーマン 多分にイギリスの土の臭いがしており、それが man( 男 ) とか woman( 女 ) というアングロ ジェントルマン ジェントルウーマン サクソン語と一緒になって、 gentleman とか gentlewoman という形を取れば、まったく英 語そのものの感じがする。 ジェンティール これに反して genteel が入 0 たときのイギリスは、チ = ーダー王朝のエリザベス一世の治 世で、国家意識がはなはだしく高揚し、シ = イクスビアをはじめとし、偉大な詩人や作家が続 続と出た時期である。こうしてイギリスでは英語が国語としてはっきり成立していたのである ジェンティール から、 genteel は、はじめから外来語として英語に入ってきた。パ リのフランス語を知ってい ジェントル るインテリが、洒落たつもりで入れたのであろう。そしてまったく gentle と同じ意味に用い 102
、安い感じだった。ダーシイという名前は、イギリス系で十一世紀、アイルランド ジーナス 系で十四世紀にさかのばる名門 (genus) である。ダーシイ先生は「生まれがよい」という意 ジェントル ジェントル 味でも gentle であり、「穏和な」という意味でも gentle であった。 幸運な偶然から私はダーシイ先生に個人的な接触を持つようになった。というのはイギリス への帰国のための切符とか、予防接種について行く役目をいいっかったからである。こうした 雑用のためについてあるく学生を探しに、ロゲンドルフ先生が学生寮にこられたのだが、ちょ うど、土曜日の午後で学生寮はがら空きだった。私は例によって一文無しだったから部屋で本 を読んでいたのである。普通の日なら先輩もいたことだったろうし、またもっと英会話の上手 な者もいたはずだし、身だしなみのよい者もいたであろう。しかしそのときはみんな出払って いたのだ。それで三カ月も床屋 ' いかぬばうばう頭の、おんばろ服におんばろ靴の私がついて 血 - 出かけることになった。 なにしろ戦後はタクシーにも乗ったことのない戦犯国の学生が、オッグスフォード の大学者 生 と半日、車で方々まわったのだから大変なあがり方だ。うまくもない英会話はろくに通じたと は思われなかった。なんとか必要な手続きを終えて帰 0 て来たが文字どおり冷汗だらけであっ性 たと記憶丁る。しかし車の中で、ダーシイ先生は終始、温容を変えられず、家族のこととか、
たのは、日本語の場合を考えてもよくわかる。われわれもときどき、「育ちのよい感じの人」 ジェントル というような表現をすることがあるが、それはだいたいにおいて英語の gentle の感じに相当 ジェントル する。少し古風な言い方には「人品卑しからぬ」というのもあるが、これも gentle な感じで ある。 私がイギリス人のいうジェントルマンの概念を最初に得たのは、ダーシイ先生 ダーシイ先生 の話を聞いたときだった。たしか昭和二十七年ごろだったと思うが、オックス フォード大学キャンビオン・ホールの学寮長をしておられたダーシイ先生が文化使節かなにか で来日され、上智大学でも講演をされた。今から二五年も前のことで、イギリス人を見るこ とも稀な時代であったから、田舎出の英文科学生であった私は、この著名な学者であり、ま た『愛のロゴスとパトス』の著者でもあるダーシイ先生の話を一言ものがさずに聞こうと田 5 っ て、会場の最前列に坐った。そのときの風貌から受けた印象は忘れがたい。中学のころに『論 クンン タイラ トウトウ キョウ 語』で「君子ハ坦カニシテ蕩蕩タリ」とか、「子ハ温ニシテ厲シ、威アリテ猛カラズ、恭ニシ ャス テ安シ」などという君子の風貌についての形容の仕方を覚えさせられたが、これは要するに英 語でいえばジェントルということに当るといってよいであろう。ダーシイ先生の感じはまさに タイラ トウトウ たけだけ 「坦カニシテ蕩蕩」であり、威厳はあったがけっして猛々しいところはなく、くだけたところ
る。だからこの単語は英語に入ってくる前は ( つまりラテン語においては ) 、「種属」を意味してい たほかに、広汎な派生的な意味をもっていた。たとえば出生、由来、家族、一族、家門、子 孫、職業、人種、民族、貴族などといったぐあいで、古代人の頭の中で「生まれ」に少しでも ジーナス 関係ありそうなものはすべて genus だったのである。 ジーナス 特に注目すべきことは、 genus が早くから「貴族」の意味を持つようになってきていること であろう。はじめはどんな「生まれ」でもよかったが、「生まれ」とか「家系」が意識される ジーナス のは貴族の間に強かったから、単に genus といえば、貴族を指すように限定されがちだった のであろうと思われる。 ジェントル ジェントルマン これは英語の gentleman ( 紳士 ) の語源とも関係がある。今の英語で gentle といえば、 「やさしい」とか「穏和な」という意味であるが、元来は、「生まれのはっきりした」というこ ノウブル とであり、そこから「高貴な家系の」という意味が出てきたのである。そして古くは noble ( 高貴な ) と同じ意味であ 0 たが、その後、紋章を用いる権利を有するものと有しないものに分れ ジェン / クプルマン けられ「よい家系」のもののうち、紋章のあるのが nobleman ( 貴族 ) 、それのないのが gen ・ トルマン tleman ( 紳士 ) と呼ばれるようになったのである。 ジェントル この「生まれのよい」を意味する gen ( 一 e が「穏和な」「ものやわらかな」という意味になっ
カインド 「品」が「種類」という意味を持つのは、英語の kind と同じことである。また「柄がよい」 という場合の「柄」は満州語、蒙古語の kala' xala と同系の語といわれる。したが 0 て「柄 ジェントルマン ジェンズ がよい人」は「部族のよい人」っまり gentleman のことである。 東西の発想法の相似していることは驚くべきものがあるが、同じ人間だから考え方が似てい ても不思議はない。しかし社会が、部族制や封建制から市民社会になると、 gentle からも kind からも、血統的な要因がしだいに薄くな 0 て、その人の教養的な、倫理的な特色を意味 するようになる。日本でも現在「あの人は品がよい」とか「柄がよい」とい 0 ても、その血統 を意識するよりは、その人の現在の教養水準とか、心がけとか、心情とか、修練を意味するの と同じである。 このように考えると、現在の日本では学歴社会を反映してか、「品」も「柄」も「家系」によ らず学校によ 0 て決ま 0 てくるような印象を受けることになる。「名門校」という場合の「名血 門」とは元来は、名家、貴族、豪族などの意味であ 0 た。生まれつきの身分がなくな 0 た社会れ においては、後天的な身分、つまり学校に名門とそうでないのができてきているらしい。暴力 を是認する特別の活動家グループを別にすれば、一般にい 0 て、学校によ 0 て学生の品格の差女 がわかるようである。つまりいわゆる「名門校」の学生は、印象からい 0 て一般に穏和であると がら
ジーナス ジェンズ のがラテン系の単語では genus( 属 ) や gens(l 族 ) であり、さらにその人たちの性質として ジェントル ジェネラス gentle ( 穏和な ) 、 generous ( 気前のよい、高雅な ) という形容詞が生まれ、それに対応するゲル キンドレッド キング マン語系が kin ( 一族 ) 、 kindred ( 親戚 ) 、 king ( 王 ) であり、その人たちの特性を示す形容詞 カインド として kind ( 古い発音ではキーンド、親切な ) ができたのであった。 そして「生む」という行為は、すぐれて女性的なことであるから、これは語源的にギリシア グネ 語の gune ( 女 ) と同根であることも見た。さらに考えると、「生む」ということは、女性に、 特にその性器に関係があるはずである。それははたして言葉に反映されているであろうか。す ジェニタルズ でにこの語根から出ている genitals ( 〔主に男性の〕性器 ) があることはすでに見た。女性性器 についてはどうであろうか。 グスソス クンスス まず考えつくのはギリシア語の küsthos であり、ラテン語の cunnus で チョーサーの用例 ある。特にラテン語の形は、「女」を意味する語根の *gn ・や、ギリシア グネ 語の gune( 女 ) や、英語の k 一 n ( 一族 ) との類似性が一見して明らかである。このラテン語の クンスス クンノ コンノ cunnus ( 女性陰部 ) は、イタリア語の cunno あるいは conno ( 女性陰部 ) 、あるいはフランス 語の con ( 女性陰部 ) の直接の語源になっている。今日、ラテン語の形で直接に用いられる例 カナリンガス としては、 cunnil 一 ngus ( いわゆるクン = リングス ) があげられよう。この単語は、ラテン語の
doughy, 153 dynam icalinspiration, generative, 132 generation, 132 generate, 131 , 135 gene, 131 *gen-, 83 , 92 , 135 0 G four-letter words, 186 food, 192 fodder, 200 fishwife, 81 filial piety, 184 filial, 184 fetus, 184 feminine, 182 , 184 female, 184 fellatrix, 186 fellator, 186 fellatio, 185 fellate, 186 felix, 183 felicity, 183 feed, 192 fecundity, 183 fecundation, 184 fecund, 183 *fe-, 182 family, 83 father, 196 expire, 33 ex-, 28 earl, 109 ・ E 32 generat ive grammar, 132 generator, 131 Genesis, 115 genetics, 131 genital, 135 genitals, 135 genius, 133 gens, 110 genteel, 101 gentle, 87 , 92 , 102 , 110 gentleman, 85 gentlewoman, 102 genus, 83 , 85 , 87 , 110 , 132 ghost, 36 , 38 , 42 *gn-, 110 , 131 , 135 , 136 *gnat-, 114 God, 42 gyne-, 82 gynecology, 82 guardian, 151 heave, 155 HoIy Ghost, 36 , 38 , 42 Ho Spirit, 36 homo, 21 human, 21 , 54 humble, 22 humiliate, 22 in-, 126 inborn, 127 innate, 126 innate ideas, 126 , 129 jaunty, 103 kin, 92 , 110 , 136 kind, 92 kindred, 93 , 136 205 く索 引 >
は人らず、独学で東京高等師範 ( 東京教育大学 ) に進まれたのであるから青年時代に苦労なされ た方に違いない。 しかし私の知っている先生は、どこまでも穏和で猛々しい感じは毛頭なく、 四十歳も年下の私をいつもくつろいだ気持にさせて下さった。私はこの佐藤先生を偶像のごと く崇拝し、「先生のような老人になりたい」と思って英語教師に志したのであるが、先生のあ の温容こそ、ジェントルマンのジェントルの本当の意味だったのだと、今さらながらなっかし く追想している次第である。ジェントルマンは語源的にこそ「生まれのよい人」であるが、理 想的人間像としては「生まれ」にも「育ち」にも本質的に関係ない。私もおそくとも還暦ごろ まではその意味でのジェントルマンになりたいものだと願っているわけである。 ジェントル カインド 元米ラテン語系の gentle に相当するゲルマン語系の単語は kind ( 親切な ) ゲン 親族を示す kin である。これはラテン語の gen ・ ( 産む、同門の ) に相当するゲルマン語が グネ kin であることから米ている。 b0 音と音が交替することは queen ( 女王 ) と gune ( 女 ) との関係で見たとおりである。英語で kin といえば、古くは「一族、一門」を意味し、今で キンズマン は集合的に「親族」のことである。また一人一人の親類の人間を示すのであれば、 kinsman キンズウーマン キンズフォーク ( 男 ) 、 kinswoman ( 女 ) というし、両方をまとめて複数でいうときは kinsfolk という。それ で He comes of g004 ( 彼はよい家柄の出身だ ) という言い方もある。 2 9
本では結婚式は、戦後しばらくの間こそ簡素だったがーー・ー簡素たらざるをえなかったがーーち かごろは、当人のみならす、出席者の服装も目に見えて整ってきた。若い人たちも黒い洋服に 銀色のネクタイだったりする。それに三ッ揃いが若い男たちの間にひろまってきている。これ らはいずれも「柄」に関係したことであって、強制や、単なる流行でそうなるものとも田 5 えな い。日本人全体の柄がよくなっているものと解釈したいと思う。今、日本は猛烈な輸出ぶりで 「柄」が悪いとされたり、団体の観光客の「柄」が批判されたりしているが、大きな潮流とし て見れば、柄の向上がいちじるしい。三十年前、占領軍の投げるチョコレートに飛びついたあ たりからここまで来たのだ。そして全体的傾向として上昇の途中であると思う。そのうち「日 ジェンズ 本生まれ」っまり「日本人」という gens ( 部族、一族 ) に生まれ、日本に育ったことが、とり ジェントルネス ジェントルマン もなおさず、かってのイギリスの名門に生まれ、そこに育ったのと同じような、「穏和さ」 血 という美質と連なるようでありたいものである。 れ 「柄のよさ」から来るマナーのよさ、人あたりのよさ、穏和さなど、プラス 「いき」は外来語 生 の面だけをのべたが、それにはマイナスの面もある。育ちのよさ、家柄のよ ジェントル さを示す形容詞は gentle であることは詳説したとおりであるが、これが鼻につくような感じ女 ジェンティール 0 になったときには、同じ語源の単語の genteel を用いる。
ところで「神聖ローマ帝国」のことであるが、その正式の名称は「ドイツ民族の ネイション ホウリイ ジャーマン エン・ハイアオグザ 、不イション 神聖なローマ帝国」 (H01y Roman Empire 0f the German Nation) という ネイション のである。この「民族」を意味する nation 自体が、また「生まれ」を意味しているのであ ジーナス ジェントル る。前に genus ( 種族 ) や gentle ( 生まれのよい、穏和な ) の語根として *gn ・が考えられると ネインヨン いったが、この語頭の音が落ちて、音からはじまった派生語が nation ( 民族 ) なので ネインヨン ジェンズ ジーナス ある。もとをただせば、 genus ( 種族 ) あるいは gens ( 氏族 ) も nation ( 民族 ) も同じ根にも ジェンズ ジーナス どるのである。今では genus は動物学上の「属」に、 gens はローマ史などの「氏族」 , ネインヨン nation は現在では「国民」に用いられ、その適用範囲に差が出ているが、よく考えて見れば、 その核となる観念は「生まれ」であることがわかるであろう。 ネインヨン このようなわけで、 nation という言葉も、はじめのうちは人種的な意味で多く用いられて 政治的統一体とか政治的独立団体としての「国家、国民」の おり、近代になってからしだいに 意味で用いられるようになったのである。中世にはほとんど氏族や家族に近い意味でさえ用い ネインヨン られていた。つまり nation を kin と解釈することさえ可能な場合もあったのである。『カ ネインヨン ンタベリー物語』で有名なチョーサーにも、 nation が「一族」の意味で用いられているとこ ネイション ろがある。そして nation と kin は、今日の英語の形から見れば、まったく類似性がないに 110