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検索対象: 学校はめざめよ 教育のブラックホール
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1. 学校はめざめよ 教育のブラックホール

お題目だけで、具体的な目標のない研修をするとは思えない。あまりにも清緒的、非合理的発想では ないであろうか。 たとえばアメリカでは、ほとんどの教員は五年程度の契約制になっている。契約の切れる時期が近 づくと、一般教員は自費で夜間大学へ行ったり、夏休みを利用して講習を受けたりする。それにより 資格を上積みし、実力を高め、次回の契約を結ばうと努力するのである。 アメリカでは教育に関わる裁判が多い。その大部分は、教職員や校長などに対する地位解除をめぐっ て行なわれる裁判である。一般教員が裁判を起こすのは、教育委員会が能力を認めなかったり、父母 が教職者としての適性を欠くと訴えたりした場合である。 ところがそれよりも多いのは、校長をはしめ、教頭や、主任や、カウンセラーなどが裁判を起こす ケースである。これは、彼らの職責面のことや能力に問題があるとして、契約が解除された時、その 取り消しを請求して起こされる。中でも解職された校長による地位の復元を請求して起こされる裁判 はきわめて多い アメリカの例でもわかるように、教員個人の資質・能力を適正に評価すること、ここに研修の本質 がなければならない。すなわち、教育の活性化を図るためには、教員の研修はきわめて重要なものな のである。 しかし、教員個人の研修の成果が、その地位、給与に連動されるような方策が考えられてこそ、真 の教育改革が達成できるのである。ここに研修の方向と、研修に関する一つの提案として私見を述べ る。 236

2. 学校はめざめよ 教育のブラックホール

軋 , 0 " 、いに第を P A R T ー 7 ア、学習への強い動機づけ 出身大学により生涯の成否が決まるという理解が 高一般に定着している。このために、大学入試が生涯 ・中・高を通じて学 における最重要関門となり、 プ習への強い動機づけとなっている。 ルイ、高い教育水準の維持 日本も他の先進工業国と同様、教育水準の低下を ~ 一姦一製一 - こ招くさまざまな要因を抱えて〔る。それにもかかわ 名らず学力的に均質な高水準を維持し、学校の良好な 規律を保っているのは入試制度のお陰である。 こらウ、忍耐力や勤勉性の習得 捌大学入試に至るまでの初等中等教育期間に、 真社会あるいは企業内での生活上きわめて重要な忍耐 の力や勤勉な態度を身につけてしまう。日本では知能 秀指数のような先天的な素質や能力を重視せす、学習 カ努力によって得られる知識や技能を高く評価する。 も非難されるどころか、かえってその努力が賞讃さ 223

3. 学校はめざめよ 教育のブラックホール

P A R T ー 10 スポーツをやりたい子にはスポーツを、本を読みたい子には本を、フラモデルを作りたい子にはフラ モデルを、そしてテレピを見たい子にはテレビをえれはいいではないか。絵や音楽についても同様 である。そのほうが、個性豊かな、自分の才能を発揮できる人間が育つだろう。 次に、親のハ ートの問題である。経済的な余裕を求めるか、子供の成長期に子供と共に時間を過ご すかは、自らの責任において親が決めるべき問題である。働きに出ている間、学校で子供をあずかっ てほしいと望む少数の親の意見に従って、子供との時間を持ちたいと考える親の自由な時間を奪うべ きではない。そんなことをしたら、魅力のない画一的人間が増加してしまうだろう。 最後に、学力の低下の問題だが、これは真に必要な学力を精選し、指導法を工夫することによって、 解決すべきものである。不必要と思われることをたくさん教えようとしている反面、必要なことを徹 底的に教えるという姿勢に欠けてはいないか。そのことを振り返ってみる価値は十分にあるだろう。 この点を教師の研究と努力に期待したい」 これらは、日本人にない発想である。日本は、けっしてアメリカの教育制度をそのまま輸入してい ない。自分の都合で、どんどん捨て去り、また内容を勝手に変えてきたのである。 以上、日本の教育の実像を、アメリカのそれと比較してみた。ここで注目されるのは、日本の教育 界は進歩主義の理念や、カウンセリングといった言葉は導入したが、能力主義や競争主義や自由主義 など、アメリカの教育の本質に関わるものはほとんど受け入れなかったことである。教育の荒廃をも 3 たらしたのは、まさしく日本の教育界そのものであることを忘れてはならない。仮にも、「アメリカの四 教育の真似をしたから駄目になった」などとは一一一口えないのである。

4. 学校はめざめよ 教育のブラックホール

P A R T ー 7 「戦後教育は能力に応しての教育を無視し、ひとし くばかりを強調することによって教育の画一化をも たらした、それは教育基本法解釈としても誤ってお 校り、能力に応して注目し、個性に応じた多様な教育 高 カこそを保障すべきだという主張は、一九六〇年代の モ多様化論に際して、自民党の政策文書や、そのプレ ンインにみられました。それは現実には、能力のある サ 子にはゆたかな教育を、それが恵まれないものには 校それなりの教育でよいという発想に通していました。 高 リート主義をはげまし、偏差値教育と その結果、エ 学選別の教育とを激化させていったのです , 高校進学率が九五 % にもなり、多様化した生徒に、 ッ 曰個々の学力に応した指導をしようと提案すると必す 否決される。成績の劣る生徒の味方Ⅱ弱き者の味方 ~ 真Ⅱ正義の味方という考え方がどの学校においても主 流を占め、画一的な指導しかできなくなるのである。 いすれにせよ、こうした事態は、みんなで横一列に 並んで行進することで安心するという日本的メンタ 219

5. 学校はめざめよ 教育のブラックホール

P A R T ー 1 ■叱りの構造 生 普通教科に 力を入れさせる 学力低下徒 指導する 秀でている カウンセリング 生 徒 登校拒否 みんな 仲よく 学校集団 非行 叱る ( 指導する ) 生 反 反抗 叱る 生 す 学校は集団からの落ちこほ・れを許さない。 何とかしてもとの集団へ戻そうとする 教師は生徒を集団の中へ 入れようとするカ ( 今 ) が働く 日本型学校集団 上位 個人の能力・責任に任せる 自然態 下位 アメリカ型学校集団 上位 下位 0 予想される生徒集団の分布 ・日本型 : 落ちこほれ生徒のない教育に腐心する ・アメリカ型 : 個人の能力・適性の伸長に留意する 33

6. 学校はめざめよ 教育のブラックホール

このほかにもアメリカには、合理主義に基づく立派な教育制度が数多く存在する。その中にはわが 国が導入すべきものも少なくない。 プレバラトリーアカデミー ( 大学進学予備高校 ) : : : その大部分は私学の普通科高校であるが、日本 ではそれを受験産業に任せている。しかも、日本ではそれを非難するという非合理的な面がある。 0 テスト ( 最低能力テスト ) 州ごとに作成され、卒業認定のために行なわれる。一九七〇年 代後半より高校の学力水準向上のため、各州で行なわれるようになった。その結果、義務教育年限 ( 十 八歳 ) に達しても卒業証書を受け取ることがてきない生徒が急速に増加した。日本のように出席さえ すれは全員卒業というような情緒性はない。 推薦制度 : : : 高校時代の学業の総合力で大学へ進学できるシステム。高校時代に、教師の指導に従い 学力も優秀であり、生徒会や運動部で活躍し、ボランティア活動などによく参加するような生徒が、 結果として良い大学へ推薦されることになる。日本は教育の目標を人間性に置くと言いながら、推薦 制を実施できないままだ。つまり、一点刻みの学力主義に陥っているのだ。大学入試制度が悪である という前に非合理的国民性こそが非難されるべきで、自らの矛盾に気づくことが先決である。 アカウンタビリティ : : この表現は、教育に対する評価、経済的有効性を納税者が教育界に求めたも のである。その原則は教育の選択制、競争原理、予算の効率性である。だから必修制度のもとに教師 が悠然と教科を開講する方式をやめ、生徒をひきつける科目を増やす目的を持っている。つまり、生 徒の自由選択によって、おそまつな授業をなくそうというものである。教員の契約制とも関連するが、 能力のない教師や、不熱心な教師はこれによって淘汰されることになる。 286

7. 学校はめざめよ 教育のブラックホール

い社会などあり得ない。教育においても、また然りだ。それに、この言葉自体も、いわゆる〃思考停 止作用みを持つ「軍国主義、「修身教育」などといった用語と同類と考えられる。つまり、他人の考え を厳しく排斥する一種の圧力用語、権力用語の感が強い。 彼らによると、管理教育とは「子供たちの自由や主体性を認めす、いわば子供たちの人権を無視し て行なわれる教育」あるいは、「生徒ならびに先生に対する厳しい管理、および常に上昇志向させるた めの進学受験体制が貫徹している能力主義的な教育」を意味するようだ。 彼らの批判には多くの事実認識の誤り、誇張、歪曲がある。しかし、それ以上に彼らの言う「自由」 「自主性」とはいったい何なのか理解しがたいのである。管理教育は子供たちの自主性を損なうと言 う。それならば、放っておけば子供たちは立派に成長し、自然に自主性が身につくとでも言うのだろ 子供たちの進路希望達成のために一生懸命に勉強をさせ、学力を伸ばしてやることが進学受験体制 である。この体制は、それほど悪いものなのだろうか。放任しておいて浪人させたほうが、より望ま しいク良いみことだとでも一言うのであろうか。 彼らに批判されている新設校の大半は教師の平均年齢も若い。多くの教師が、教育的情熱を傾けて 他方、優秀な生徒を集めている学校群に属するところは、ほとんどの教員が四十歳以上で、いわゆ るオールドファション的な自由な雰囲気を醸し出している。その対比として、新設校をとり上げ、管 理教育批判が出されているのである。 128

8. 学校はめざめよ 教育のブラックホール

P A R T ー 6 一つの行事を成功させるのが主任なり副 のような先生方を集めて、オーケストラの指揮者のように、 校長なりの任務だ。そこでは彼らの企画能力、管理能力が試されている。 もちろん、先生方の中にもいろいろな意見がある。しかし、それらは会議の席ではなく、個人的に 校長や主任に伝えられるし、逆に、校長や主任に呼ばれて、直接個人的な見解を聞かれることも多い そして、それらのうち、どの意見をとり、どう判断するかは、すべて主任や校長の責任にかかってい る。この判断や企画能力を通して、主任は校長に評価され、校長は父母と教育委員会に信任されてい る。さらに一般教員は、自分の学校の校長がいかに良きリーダーシップを発揮し、自分たちをどう指 導して学校の評価を高めるかを見ているのである。これがアメリカにおける民主主義なのだ。 ⑦ュリコ・ロリンズ先生 4 で紹介した米トーマス・ジェファーソン科学技術高校の日本語教師ュリコ・ロリンズ先 生は、自分の教えている生徒を、ぜひ日本に連れて行ってやろうと考えた。彼女はます、知人を頼っ て日本での受け入れ先を探した。次に、企画書を作って、それをいろいろなところに売りこみ、補助 金を得ようとした。米国では、こうした企画に対して補助金を出す企業が多いのだが ( この企画に対 しては、日系の企業が好意的だった ) 、それでも、目標額に達するまでに半年もかかっている。ついで 校長のところへ行って了解を得る努力もし、さらに少し予算をつけてくれと交渉した。校長が認めて くれたあと、父母への説得だ。希望者を募り、迷っている父母には幾度も足を運んで説明した。補助田 金を得たとは言え、自己負担金も多い。最後に、予期せぬ事故に備えての対策だ。米国では、事故と

9. 学校はめざめよ 教育のブラックホール

①国際学力テストが過去十年間に十九回行なわれたが、アメリカが一、二位になったことは一度も ない。先進工業国の中で最下位になったことは七回ある。 ②成人約一一千三百万人が事実上の文盲である。日常生活に堪えうる読み書き能力がない。 ③一九六三年から一九八〇年まで、 ( 大学進学適性検査 ) の得点平均が低下の一途をたどっ た。一一一口語分野では五十点以上、また数学分野では四十点近く下がった。 ④公立四年制大学では、低学力学生のための数学補習講座が一九七五年から一九八〇年までの間に 七二 % も増加し、全講座数の四分の一を占めるに至った。 ⑤海軍の新兵のうち、四分の一は中学三年程度の安全指示文が読めない。補習授業を受けなければ、 複雑な近代的軍事訓練を終了するどころか、始めることすらできない。 ⑦文盲の悲劇 アメリカの代表的週刊誌『タイム』も最近号の中で「識字戦争に負ける」と題して、米国人の読み 書き、計算能力の低さを嘆いている。その中で、一九七五年にテキサス大学が行なった研究結果を紹 介し、五人に一人が事実上の文盲であると報告している。調査対象者一万五千名のうち、二〇 % の者 が小切手を正確に書くことができない。したがって銀行で現金に換えることができないでいる。二〇 % の者が手紙の宛名を正しく書けす、釣銭の勘定ができない者は四〇 % にも上る。読み書きに支障のあ る者が半数以上いた。 最近の米国教育省の調査でも同様の結果である。三千四百人を対象に英語の基礎テストを実施した 9 9

10. 学校はめざめよ 教育のブラックホール

法を、すべての児童・生徒に対して一律に押しつけることは、英才児および遅進児の権利を拒否する ことになる」と言っている。日本のように弱者救済の考え方から、「落ちこばれ」という表現を用いて 0 遅進児の保護のみに努力することは、片手落ちと言えよう。英才教育をタブー視せす、英才たちにも 適切な指導を施してこそ、真の〃教育の機会均等〃と言えるのである。 しかし、フランスを項点とする西ヨーロッハやアメリカのように、あまりにも能力主義を優先させ ることには問題ある。確かに、 この方法によれは一部のエ リートは伸びる。だが、このエー ーダーシップだけに頼る民主主義社会の発展には限界も見えてきている。そうかと言って、日本の ように単なる均質化、画一化志向だけでは、これまた教育の十分な発展は望めない。 日本的な平等主義に、欧米の能力主義をミックスさせるところに、真に生徒のためになる教育改革 の方向があると考えられる。 ④フランスにおける英才教育 アメリカ以外の諸外国でも、先進国と中進国、自由主義国と社会主義国の別を問わす、自国の運命 を託す英才の発掘と育成にはきわめて熱心である。 「自由と平等」の祖国、フランスにおいてもけっして例外ではない。 ア、グランド・ゼコール ( 高等専門学校 ) フランスの徹底した英才教育と、見事な現実的対応ぶりを、八幡和郎著『フランスのエー 法』 ( 中公新書 ) を借りて紹介してみよう。 丿ト育成