「私が鏡だとしても、君の内心をうっすより早く君の外観をうっすことはできないだろう。私も 同じことを考えていたところだ。もし、右側の堤がひどく傾斜しているなら、そこから次の嚢へ 降りられるだろうから、ひとつやってみよう」 ヴィルジリオの言葉が終わるか終わらないうちに、ダンテは、悪魔たちが翼を広げて二人をと らえようとして、あまり遠くない地点まで迫ってきたのを見た。 かか ヴィルジリオはすぐさまダンテを抱えあげて逃げだしたが、それは急に火事が起こったのを見 た母親が、赤ん坊をだき抱え、自分は肌着ひとっ身にまとわないで逃げだすのに似ていた。そし て、彼は堅い岩礁の頂きから、次の嚢の片側を閉ざしている岩壁をあおむけになって滑りおりた が、その速いことといったら、粉ひき車を回転さすため、樋の中を流れる水が車の輻に近づいた ときでさえ、とうてい及ばないほどだった。ヴィルジリオの足が深い底の地面につくと同時に、 悪たちは真上の丘の頂上へ達したが、もう心配無用だった。なぜならば、神の摂理は彼らを第 五の嚢の番人としたが、同時にその嚢から外へ出ることを禁じていたから。 そのとき、ヴィルジリオとダンテは、下方にキラキラ輝く衣服をまとったものを見たので、近 よってみると、それはグルーニの修道士の外套そっくりの、頭巾のついた外套をまとった者たち であった。その外套は外側は金を塗ってあったが、内側は鉛でできており、その重さにくらべれ ば、フェデリゴ二世の着せられた鉛の外套など問題にならなかった。彼らは涙をながしながら、 疲れはて、意気消沈していた。 ヴィルジリオとダンテは、彼らと同じ方向に歩みながら、左へ左へと進んでいった。だが彼ら
天堂篇 しめした。つぎに言葉や合図でダンテのすべ チェを見よ , フと きことを知らせるべアト丿ー ロして、ダンテが頭をめぐらしたとき、彼女の 目は、たいそう強い光をはなって輝き、最後 に見た時よりも一段とすぐれているのを見て = とった。また善行をおこなうとき、心に感じ 。、、 , る喜びが増すことから、自分の徳がたかまる ま / を一 ~ 一 ( 、毆 , のを日一日とは。きり自覚するのと同じく、 ダンテは、かの奇しき聖業がさらに一段と美 ~ みたしくなるのを見て、天といっしょに回りつつ、 ていまやダンテは前よりもさらに大きな弧の上 みで動いているのを知った。だが、顔色の白い を婦人においては、その顔から羞恥の荷をおろ のすとき、その変貌がっかのまにおこなわれる 字ごとく、ダンテがふり向いたとき見た光景は 十 一変していた。それはみずからの中にダンテ 天をうけいれた気候の温和な第六天つまり木星 天の光の白さのためであった。 3 グ
ダンテとヴィルジリオはしばらくのあいだ、雑談をしながら、橋のような形をした岩礁をつぎ 地つぎと渡って、その頂上に達したとき、マレポルジャの切れ目とつぎの苦患を眺めようとして足 を停めたが、そのへんは怪しく暗かった。さて、冬になるとヴ = ネッィアの造船所では、破損し た船の修繕をはじめ、そのため毎日櫪青を煮るが、まさにそのように、そこには火力でなく神の わざ み業によって濃い瀝青が煮え沸ぎり、岸一面にねばりついていた。 ダンテは煮える瀝青へ目をそそいだが、中から沸ぎりながら浮きあがる泡のほかにはなにも見 えず、青は一面にふくれあがっては、またつぶれて下のほうに落ちていった。 ダンテが下のはうにばかり気をとられていると、とっぜんヴィルジリオが「気をつけろ、気をつ けろ」と叫んで、ダンテを自分のほうへ引きよせた。そこでダンテは、一目見れば恐ろしくて逃げ 第二十一歌 第八圏 ( つづき ) ここには欺罔者の魂たちが住んでいる。第五嚢ここでは熊手で武装した 悪魔は沸ぎる瀝青の中で煮られている汚職者を監視している。一人のルッカの長老、マレプラ ルバリッチャと九人の悪の護衛で、二人の詩 ンケ、マラコーダとヴィルジリオの取引き、 人は旅をつづける。
っているのを認めたが、その顔から発する強い光のため目がくらんでしまった。 するとソルデルロが説明のため口をきった。 「二人の天使は聖母マリアの座エン。ヒレオから来たのです、まもなく蛇が現われるので、この谷 を警護するために来たのです」 ダンテはどこから蛇がくるのか、きよろきよろあたりを見回していたが、恐ろしくなってヴィ ルジリオの頼もしい肩にすがりついた。 するとソルデルロがいた 篇「私たちは谷底へ降りて、あそこにいる偉い魂と話をしてみよう、彼らもきっとあなたたちに会 うのを喜ぶでしよう」 ダンテたちが一「三歩降りると、もう谷底へついたが、そこにいた一人の魂がダンテに関心を 浄もってじろじろ見ていた。もう時刻は夜に近かったが、その者の姿はまだダンテにはよく見えた。 そこでダンテは彼に近づいていった。 「ピサの裁判官ニーノ・ヴィスコンティ、私はあなたが浄罪界におられるのを見てどんなに喜ん だことでしょ , つ」 すると彼がダンテに、いっ着いたのかとたずねたので、ダンテは今朝着いたばかりであること、 自分はまだ死んでいないこと、この旅行で得た知識を役立てて、やがて永遠の生命をえたいこと などを語った。 ダンテがまだ生きていると聞いて、ソルデルロとニーノはびつくりして、あとすざりをした。
地獄の烈風は猛烈な勢いで亡者をすくいあげ空中にはこび、回転させ、おたがい同士ぶつけ合わ せて悩ましていたが、風が彼らを断崖のそばまではこぶと、亡者たちは叫び、泣きわめき、嘆い ては神の権力を呪った。ダンテは彼らが生前、理性をすてて肉欲に耽った者であるときかされた むくどり が、彼らは冬空に翼をつらねて幅ひろい密集形をつくって飛ぶ椋鳥のように風のまにまに漂い あちら、こちら、上へ下へとひきまわされ、一刻といえども留まるのを許されなかった。 「ほら、あそこの黒い風にはこばれて苦しめられているのは誰ですか」 ダンテのこのような質問にたいして、ヴィルジリオは答えた。 「あれは多くの言語が話されている国アッシリアの皇后セミラミスだ。彼女は淫乱に耽り、自分 の行為への悪評をまぬがれようとして快楽を法律で正当化しようとしたのだ。次は恋のために自 殺して夫のシケオにたいして操をやぶったカルタゴの女王デイド、そのつぎは淫乱のエジプトの 女王グレオパトラだ。ほら、あのスパルタの王妃ヘレネーを見たまえ。彼女のために大戦争が起 こったのだ。あちらにいるのは恋に負けた勇士アキレウスだ。それにパリスとトリスタンの姿も 見える」 このように、彼は、恋のために身を滅ばした千以上の魂をひとつひとっ差し示した。 ダンテはそのような悲恋に死んだ昔の淑女や騎士の名をきくたびに、憐れみの情が心に湧き、 気が遠くなりそうになったが、勇気を出してたずねた。 「詩人よ、あの二人いっしょになって飛んでいる者と話をしてみたいのですが、彼らはなんと 軽々と風にのっていることでしよう」
って回るのは、自分をできるだけ神に似させ ようとするためである。しかも視点の高さに 。応じて、そうすることができるのである。彼 らの周囲を回るもろもろの愛は、神の御姿の 。デ宝座と呼ばれているが、彼らは土星天を司る いっさいの知恵が ニ第三級の天使たちである。 平安をうる真理である神の中に、彼らの知恵 が徹する深さの程度にしたがって、彼らの悦 。それゆえ、 びも増すのだとご承知ありたい、 た福祉を受けるのは、見る行為によるのであっ 現て、その後になす行為つまり愛する行為によ 0 るのではないことは、これを見ても明白であ とろう。見る行為は、功徳ではかられ、またそ 「れは恩寵と善心とから生じ、かくして、一段 一段と進んで行くものなのだ。夜の白羊宮も かけっしてかすめない天堂界の永遠の春に芽ふ き出す、第二級の三つの階級の天使は、三つ の旋律に合わせて、永遠にオサンナをうたい
特定の色をし、特定の記号のついた財布を吊っており、それを食いいるようにみつめているのに 気がついた。 そして、よく見ると財布のなかには、獅子の顔の描いてある黄色の財布や、青色の模様のつい た財布や、一羽の鵞鳥の絵のある赤い財布や、青色の孕んだ牝豚の模様の財布などがあったが、 この最後の財布を下げている者がダンテにいった。 「君はこの濠の中でなにをしているのか、さっさと行ってしまえ。だが、私の左側にいるのは私 しし不オ冫かパドヴァの出身で、ほかの と同郷のヴィタリアーノだということを知っておくと、 者はみなフィレンツェ人だが、彼らはしばしば私の耳のそばでジョヴァンニ・プイアモンテがや ってくるぞとおどかすのだ」 その者はこういってから、ロをゆがめ、鼻をなめる牛のように舌をだらりと外へたらした。 ダンテはあまり長居をしてはならないと警告した者の気を損じるのを恐れてもとのところへ引 き返した。するとヴィルジリオはすでに強い獣の尻にのっていたが、ダンテの姿を見るといった。 くだ 「さあ、気をたしかにもって、勇気を出すのだ、私たちはこの獣に乗って降る。尾が君に危害を くわえるといけないから、君は私の前に乗りたまえ」 お - 一り おかん 瘧をわずらっている人に悪寒が迫るときは、日陰を見ただけで爪の色が変わり、身体中がぶる ぶる震えだすものだが、ダンテがヴィルジリオのその言葉をきいたときも、そんなふうであった。 しかし善い主人の前では下僕も強くなるもので、気恥すかしさがダンテを鞭うった、そしてダン テはその獣のぶざまな肩の上にまたがった。
も深く見た者であった。つぎの小さな光は、パオロ・オロシオの魂で、彼は自分の著作をばロー マ人たるアウグスティンの使用に供したかのキリスト教時代の法官であった。さて、私のほめ言 葉を追って、汝の目を光から光へ移せば、汝はすでに第八の光っまりマンリオ・トルクアート・ セウエリーノ・ポエッイオの魂に渇きを覚えだすことであろう。それは自分の言葉をよく聴く人 に虚偽の世界をあらわす聖なる魂ポエッイオが、い っさいの善を見てよろこんでいるからである。 この魂が出てきた肉体は、いま聖チェル・ドーロ教会に眠っているが、その魂は殉教と逃亡のあ げくこの平安に達したのである。 ほら、・回こうのほ、つに、 イシドロ、べーダおよび思想の高さで人間をしのぐリッカルドの息が 燃えて炎をはなっているのを見たまえ。またそこにいるシジェーリ・ ディ・プラバンテの魂は、 その厳粛な思想のため、死が来るのが遅くて、もどかしがった光明であったが、その魂はパリの 藁の小路でひとに教え、嫉妬を買うにいたった真理を三段論法で説いたのである」 かくてまるで神の新婦が朝の歌を新郎のためにうたい、その愛を得んとしたとき、私たちを呼 ぶ時計の一部が他の部分をひき、ティンティンと鳴り、心構えのできた精神を愛でふくらませる ように、まさにそのように栄光の輪を回りつつ、喜びが永遠につづくところでなければ味わうこ とのできない調和と美とにその声をあわすのをダンテは見た。
チェの顔を見たその日から、彼は毎日のように彼女を歌の ダンテがこの世で初めてべアトリー 中で描きつづけたが、いまやダンテの技術はその限界に達し、彼女の美を追究することを断念せ ざるをえなかった。そこで、このようなすばらしい美の描写という困難な問題ととりくむことを やめにして、そのような問題はダンテよりも、もっと大きなラッパにまかせることにした。 チェは、確実な案内者にふさわしい声と動 ダンテがこのような反省をしていると、べアトリー 作でいった。 「私たちは最大な大きさをもっ第九天から抜け出して、純粋の光の天体すなわち至高天へ達した えいち のだが、その光は叡智の光で愛にみちており、その愛は真実の善の愛であり、喜悦にあふれ、そ の喜悦はいっさいの楽しみにまさ 0 ている。ここで、おん身は天堂界の二つの軍隊つまり天使と 聖徒の群を見るであろうが、そのうち聖徒の群のほうは、最後の審判のときおん身が見るように 天霊が肉体をつけた姿をしている」 あたかも、電光がとっぜんひらめいて、ものを見る霊を乱し、目がそれよりいっそう強い光の ヴェール 作用を受けるのを妨げるがごとく、生きている光が、ダンテの周囲を照らし、その光輝の面怕で ダンテを巻いたので、ダンテはもはや何物も見ることができなくなった。 えしやく 「この天を鎮める愛は、いつでもこんなふうな会釈で、そこへ来た者を中へうけ入れるが、それ はその者をこの天体にふさわしくするためである」 このような言葉が、そのときダンテに聞こえるやいなや、ダンテの身体の中に力が湧きおこる のを感じた。そして、新しい視力がダンテの体内に燃えて、いかなる強い光にも耐えられるよう
うちに、この王国を安んじたもう神は、おのれの楽しい聖顔の前で、すべての心をつくり、聖旨 のままに異なる恩恵をめぐみたもうのである。汝はこのことを悟ることで満足するがよい。さて、 人の魂には創られたときに、すでに神から受けた恩寵の量の多少があるが、人はそれを知ること で満足し、その理由をきいてはならないことは、汝ら人間に福音書の中で、母の胎内で怒りを発 した双生児の例で知らされているはずである。それゆえ、かかる恩寵の差にしたがって、至高の 光は、彼らの頭上に、各人にふさわしい冠をさずけられるにちがいないのだ。それだから、また きざはし 彼らがおのおの異なった階に座らせられているのは、自分のなした行為の徳によるのでなく、 その神を見る視力の差によるものなのである。世界がまだ新しかったころには、あまり人は罪を 犯さなかったし、その上、両親の信仰があれば救済をうるのには十分であった。第一の時代がお わった後には、男子は割礼によって、その罪のない羽根に飛翔の力を得ねばならなかった。しか し、恩寵の時がきてからは、クリストの全き洗礼を受けない幼児は、辺獄にとどめ置かれた。さ あ、クリストにもっとも似た顔をもっという聖母マリアの顔を、とくと眺めるがよい。その輝き のみが、汝にクリストを見ることを可能にするのだから」 ダンテが仰ぎみると、高いところを飛ぶように創られていた天使たちのもたらす大きな喜悦が、 彼女の上にふりそそいでいた。まえにダンテが眺めたもののなかで、これほど大きな驚きをもっ てダンテの心を奪い、これほど神に似たものをしめしたことはなかった。 そして、さきに彼女の上にくだった主天使ガプリエルが「めでたし聖寵みちみてるマリア』と うたいながら、その翼を彼女の前にひらくと、天の宮廷人たちは四方からこの聖歌にあわせて合