イルグナー - みる会図書館


検索対象: ゼバスチアンからの電話
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1. ゼバスチアンからの電話

ん、あの自転車の人が、あなたになにをしたって言うんです ? 気をつけて、ハラーさん、私は ハラーさん、大チョンポだ ! で、 まだ生きることに飽きちゃあいないんでね ! あー、あー それからイルグナーは、くしを出してね : こうふん イルグナーは、興奮するといつでも、短く立っている髪をくしけずり始めるのだ。おかしいっ かれ とくにべアティなんかはおもしろが たらない。彼の「大チョンポ』という言い方も、おかしい って、自分でもその言葉を使っている。でもイルグナーは、多額のお金を、道化師としてではな く、自動車教習所の教官として受け取っているんだから。もしイルグナーのせいで、母がびりび レ。ししんた。 りしてしまうなら、母は別の教習所へ行ナま、、 「モースペルクにだって、一カ所あるわよ」私は言った。 じようだん 「冗談じゃないわ」母が大声を出した。「そんなことしたら、また最初つからやらなきゃならな スじゃない 1 イルグナーが悪いってわけでもないのよ。私のせいなんだから」母は、コーヒー をついだ。「今晩、学科の授業を受けに行かなくちゃならないのよ。これ以上、先にのばすわけ 。いかないの」 母はコーヒーを飲み干すと、ひとり考えこんでいた。いよいよ今晩 ! 父はなんと一一一一口うだろ ヘアティさえ、黙 う ? 母が教習所に通っていることに、父はまだ少しも気づいていなかった。・ かく っていたのだ。でも母が今晩、学科の授業に出かけるとなれば、もうこれ以上隠しておくことは できないだろう。 かみ だま

2. ゼバスチアンからの電話

しんりよう 勤め口を求む、ってね。診療助手として ! どう、びつくりしたでしよう ? どうしても、な にかせずにはいられないの ! 自分の不安に打ち勝っためには。ババは私に対してあんなだし、 イルグナーだっておなじだわ。私、自分を勇気づけなくては。わかってくれる ? 」 「もちろん ! 」私は答えた。 「このあいだもね」と母が言った。「イルグナーが私のこと、どなったのよ。それで、私、参っ て、声を出して泣いてしまったの。そうしたら、こう言うのよ。『ハラーさん、私は他の人には、 どなったことなんて一度もないんですよ。本当の私はこんなじゃないんですよ。なのに、あなた が私をどならすんだ。あんまり、へいこらするもんだから』って」 じようだん 「冗談じゃないわ。言いたいこと言って」 「どうして ? イルグナーの言うとおりだわ」母はこぶしを握りしめ、頭を後ろにそらせた。 「だからこそ、広告を出したのよ、ビーネ。もう、へいこらするのいやだから。試験だって、落 ちょうが、落ちまいが、どうでもかまわないわ」 「私だって」と私は言った。「私だって、もうへいこらするのはいや」 それから、私たちは座りこんで話をした。表でイルグナーがクラクションを鳴らすまで。 これが、四日前のことだ。とうとう、その日がやってきた。できることなら私はアルバイトに 行きたくなかった。母の心配そうな顔。うちにいるのは、べアテイだけだ。もちろん、今日も雨 2 う 8

3. ゼバスチアンからの電話

わ」母は、コーヒーメーカーにフィルターをつけた。「私には、運転なんて無理なのよ」 車の教習から帰って来ると、母はいつもおなじことを言った。私は今日もまた、どんなばかで なっとく も運転できるようになるんだということを、母に納得させようと、いろいろ言った。 「そのへんの車のフロントガラスのむこうの顔を、よーく見てみればいいのよ。どんなアホづら が座ってるか。それにくらべたら、ママなんて抜群よ」 母は無理して笑った。コーヒーメーカーに水を入れながら、コーヒーを飲むかと聞いた。 めんきょ 「運転免許なんて」母は言った。「頭のよしあしなんかとは、関係ないのよ。要はセンスの問題 なんだわ。私には、運転のセンスがないのよ。いつもいつも、これがババに知れたら、なんて言 きんちょう われるだろうって、そればかり考えてしまって。ものすごく緊張しちゃって、ちっとも集中で きないの」母は、カップとミルクをテープルの上にならべた。「あのイルグナーも、だんだんイ ライラしてきちゃって」 「イルグナーは、イライラなんかしちゃいけないのよ。ママに運転を教えるのが、あの人の仕事 なんだから」 「イルグナーだって、人間だもの。それに、、 しつも死にそうな目に合わされていたら・ : ・ : 」 私はふきだしてしまった。 「ザビーネまで笑うのね。今日イルグナーがなんて言ったか、あなたも聞いてればよかったわね。 ハラーさん、トラック ! あいつのラジェーターグリルに乗り上げるつもりですか ? ばつぐん

4. ゼバスチアンからの電話

「ティモ ? 」母が聞いた。「ティモっていう名前なんですか ? ええと、私、やってみます。す ぐに申し込み書、書けますか ? 」 「証明写真をお持ちでしたら」イルグナーさんが言った。 母はハンドバッグを開けた。「持って来ました」 「どうして、ちゃんと持ってるの ? 」私は驚いて聞いた。 母はうしろめたそうに私を見た。「ギーザのお母さんが、申し込みには証明写真がいるって、 教えてくれたのよ。それで念のために、写真をとっておいたの」 私は笑った。念のためになんて ! 母も笑った。なにがそんなにおかしいのか、わかるはずも いっしょ ないのに、イルグナーさんも一緒になって笑った。お客様へのサービスなのだろう。 「さあ、これで、いつでも始められますよ」イルグナーさんは言った。「明日の朝、お迎えにあ がっていいですか ? 教習の第一時間めに ? 」 「まあ、たいへん ! 」母は言った。 私たちは、家へと自転車を走らせた。乾いた草の匂いがした。六月。ェッラーリンクに引っ越 して来てからもう二カ月になる。 「・ヘアティには、まだ一言わないほうがいいわね」母が言った。「あの子は黙ってられないから」 「でも、どっちみち、いっかは。ハ。ハに知れるわよ」私は言った。 かわ だま

5. ゼバスチアンからの電話

めんきょ 時機を逃 「運転免許には、ってことですよ ! 」イルグナーが言った。「若けりや若いほどいい。 さず始めることが、お金と時間と神経の節約になるんです」 「だいたい自分の年齢と同じだけの時間数がかかるんですって。それじゃあ、私のお金じゃ、ど うにもたりないわ。三十時間分しかないもの。それで合格できるかしら」母はうめくように言っ ゅめ イルグナーが、だめだというように手をふった。「そんな夢みたいなこと言っちゃ、困ります よ、ハラーさん」 だんだん私は、この教習所に腹が立ってきた。「ひょっとして、一一十歳以下の人しか生徒にと らないんですか ? 」私は聞いた。 " かれ 彼は、いやな顔をして私をじろじろ見た。「まあ、落ち着いて、おじようさん。私は現実的に お話してるんです。できもしないことを約束するところも、ほかにはあるかもしれませんが、私 はちがいます。それが私のお客様へのサービスなんですよ。そりや、三十時間でとれるってこと じゃま もあるかもしれません。その邪魔をするつもりはありませんよ。でも、三十時間でとれるって、 保証はできないんです。さてハラーさん、どうなさいますか ? 」 びき 母は答えなかった。ただ前を見ていた。一匹の犬が、角を曲がってやってきた。しつばをふり ながら私たちのところへ来て、私の靴をくんくん嗅いだ。 「ティモ、おとなしくするんだ」イルグナーさんが言った。 くっ が

6. ゼバスチアンからの電話

かのじよ 「じつを言うとね」彼女は言った。「日曜日の時点では、だめなんじゃないかって、思ってたん ゅうしてっせん ですよ。血液の循環機能がひどく低下してましたから。有刺鉄線のとげから、なにかずいぶん ・一うせい 悪いものが血液中に入ったんでしよう。初めは抗生物質もほとんど効き目がなかったくらい」彼 女は私にほほえんだ。「時には、こんな思いちがいをするんですね。べアティは本当にたくまし いわ。もう、クレーメンスを弟みたいにして」 ゲルトルートさんは、母と同じくらいの歳のようだった。病気の子どもたちを見ながら、彼女 はどんなことを考えているのだろう。そして、だれかが、やつばり死んでしまった時には ? ヘアティと 病院の入り口のところに電話ポックスがあった。私は、店にいる父に電話をかけ、・ クレーメンスのことや、ゲルトルートさんの言ったことを話した。 ローデリンクで電車を降りる時、一枚の広告が私の目にとびこんできた。『イルグナー自動車 教習所。各種クラスあり。ローデリンク、駅前通り番』 以前から、目にはしていたけど、一度もきちんと見たことはなかった。 母に話さなくっちゃ。そして、申し込ませよう。 154

7. ゼバスチアンからの電話

ばっ すれつからしは、ため息をついた。「それじゃあ、たいへんだろうね。その歳じゃ、時間がか かるよ」 「母は、そんな年よりじゃありません ! 」私は言った。 彼女は肩をすくめた。「私とおなじ歳よ。私には、もうとっても運転なんか、習えやしないも 「あなたのご主人が、先生なんじゃないんですか ? 」 「そうさ。私には運転させないんだよ。車をぶつけないかって、心配でね」 せんでん 私は笑い出した。「最高の宣伝だわ ! 」 かのじよ 彼女は、私をいぶかしげに見ると、つつかけをひきずって行ってしまった。ご主人の方が、も っとまともな人だといいんだけど。 いっしょ ぎん しばらく待っていると、そのご主人が、母と一緒に事務所から出てきた。中背、短く刈った金 髪、皮ジャン。そんなに悪くはなさそうだ。 むすめ 「こちら、イルグナーさん」母は言った。「娘のザビーネです」 あくしゅ 彼は私に握手を求めた。「お母さん、こわくてひとりじゃ来れなかったってわけかな ? まあ、 こういう種類のご婦人はね : 「こういう種類って ? 」私は聞いた。 「もう、歳をとりすぎてるってこと」母が答えた。 ん」 かた 168

8. ゼバスチアンからの電話

いっしょ 「待って、ビーネ」母が後ろから声をかけた。「一緒に教習所へ行ってくれる ? 」 「ママ ! 」私と母の目が合った。母は笑っていた。 こま、ガソリンスタンドもあった。給油機が、建物の横にならんでい イルグナー自動車教習所レ。 た。女の人がひとり、ゴルフの窓を洗っているところだった。緑色のうわっぱりを着て、フェル トのつつかけをはいていた。 私たちは自転車を壁ぎわに置くと、どこで申し込めばよいのかたずねた。 「あっち」女の人は言って、ドアを指さした。「事務所の中で。主人は、五分前に帰って来たか 私は母を押した。「さあ、行って ! 」 いっしょ 「一緒に来てくれないの ? 」 私は首をふった。「みつともないわよ。娘が母親の申し込みをするなんて」 母は、ためらいがちに歩きだした。 ゴルフが走り去った。さっきの女の人は、うわっぱりで手をふきながらこっちに来た。つつか けのかかとがつぶれていた。相当なすれつからしだ。 「あんたのお母さん、運転習うの ? 」彼女は聞いた。「いったい、お母さん、年はいくっ ? 」 「四十三ですけど」私は言った。 かべ 167

9. ゼバスチアンからの電話

私はテープルにつき、新聞を取って、アフガニスタンでの戦争の記事を読もうとした。 ちゅうしゃ 「今朝、またちょっとやっちゃったのよ」母は言った。「駐車する時、フェンダーぶつけちゃっ 「ひどく ? 」 、くる 「たぶんね。イルグナーさん、怒り狂ってたもの。あとになって、きまり悪かったのね、コーヒ ーをごちそうしてくれたわ。『私はちゃんと保険に入ってますからね、ハラーさん』なんて言う こうふん のよ。『なにもあんなに興奮する理由はないんです ! 』って。おかしいと思わない ? 」母は座っ て、手を見ている。指も爪もサクランボの種を抜いたせいで、真っ赤になっていた。「早く終わ あくむ ってくれないかしら、この悪夢」 めんきょ 「あと、三週間じゃない。たった三週間よ ! そしたら、なにもかも笑い話になるわ。免許さえ とれれば、もうこっちのものよ」 かた 「そうね」母は自信なさそうに肩をすくめた。「そうだといいんだけど。、 しつかはすんでしまう んだものね。あなたの、大学入学資格試験と同じよね」 だ とっぜん、私はどうしても母を抱きしめたくなった。「今のママ、とってもすてきだと思う」 私は言った。 「そうお ? 」母は笑った。「私、自分でもそんな気がする。私たち、少しずつ、大人にならなく ちゃね、ビーネ」

10. ゼバスチアンからの電話

なみだほお 母は、もう本格的に泣いていた。涙が頬をつたっている。そして、 ~ このごろ、うちではいつも そうなのだけど、べアティと私も一緒に泣いた。 午後には、雨はあがっていた。空は晴れわたり、日が照っていた。あっという間に、この変わ しらか・は - りようだ。私は寝いすをテラスに出し、手足をのばした。そして、白樺の枝を眺めた。眠りたか ったのだけど、眠ることができなかった。 母と・ヘアティは、洗たく屋のハイスマゲルへ出かけてしまった。ふたりとも、自転車の後ろの 荷台に、洗たく物の入ったをひとつずつくくりつけていた。・ヘアティはいつもなら、こんな仕 さわ 事につきあわされると大騒ぎをするのに、今日は一言も文句も言わずに、物置から自転車を出し てきた。 これから、どうなるのだろう ? イルグナーが言うには、母がもっと安全に運転でき、なにか しつキ一く あったときにでも、大失策を演じないですむようになるには、少なくともあと八時間くらい路上 実習が必要だということだった。八時間の教習料金と、再受験料、全部あわせて二百五十マルク になってしまう。 めんきょ そのくらいのお金なら、私から借りることもできた。なのに、とっぜん、母は運転免許のため には、あのハンニおばさんからもらった千マルク以上は、一ペニヒだって出さないと言いだした。 くる 「そんなことしたら 、パパは本当に気が狂っちゃうわ」母は、すすり泣いた。