前 - みる会図書館


検索対象: ゼバスチアンからの電話
240件見つかりました。

1. ゼバスチアンからの電話

なや 試験を受けられるし ノもああだこうだ悩まずにすむ。これでよし、ね ? 」 私は父の方に手を差し出した。そんなつもりはなかったのに、自然と手が出てしまったのだ。 いっしゅん あくしゅ 父は、一瞬ためらっていたが、私の握手を受けると、つよく握りしめた。しばらくの間、私た ちはそうやって、そこに座っていた。父と私、そしてその時の父の顔ーー一一 = ロ葉ではとても言い表 わせない。 「これで、またみんな前みたいに仲よくやっていけるんでしょ ? 」べアティが聞いた。「また、 前みたいになるんでしょ ? 」 前みたいに ? また前みたいになるなんて、私は思わない。みんなで話をしたり、笑ったり、 仲よくしていれば、それで満足なべアティにとっては、前みたいになるかもしれないけど。うう ん、べアティにとっては、きっとそうなる。でも、父と母にとってはちがう。 ・ま / 、 - はっ 一日が過ぎていく。 父と母とべアティはテレビ . の前に座っている。『髪の刑事』 み は′、・はっ はん・一う 起ころうと、まったく同じ。『犯行現場』、『刑事デリック』、そして『白髪の刑事』。観るのはい 。こナど、月日ま 日 つも同じ番組 ! 、パパと私」母は、ついさっき台所で私とふたりになった時 「もう一度、一から始めなくちゃね に、そ、つ一一 = ロった。 私は外に立っている。道のはずれ。草地の始まるところ。月に暈がかかっている。月に暈がか か一 265

2. ゼバスチアンからの電話

きまわり、サン・ヴィターレ教会のお堂でモザイク画の前にじっと立ちつくしていた。 日の光が窓から差しこんで、モザイクが赤い色を帯び、光とたわむれている。 「昔の人はたいしたもんだな ! 」ゼバスチアンが言った。「千四百年前も今も、変わらない美し 、だ」 かがや かた 私は彼の肩に頭を持たせかけた。私たちの前にも、上にも、輝く石でできた模様や絵があった。 ていしん 花、くだもの、動物、家来を従えたユスティニアヌス帝、女帝テオドーラと廷臣たち、十二使徒、 いばら 群衆をひきいて燃える茨の前に立っモーゼ。 「この美しさがどうしてこんなにも長く続くのか、わかるような気がする」とゼバスチアンが言 った。「昔このモザイクを作った人たちには、ひとつの理念があったんだよ。神とか神の国とか っていう理念がね。人々はひたすらそのことを考え、自分のことなど考えなかったんだ。今の芸 ぶくろ 術家はみんな、自己表現ってことしか頭にないんだ。それで、大聖堂にビニール袋をかぶせたり、 砂漠に線をひいたりしていばってる」 し。し力、ないでしよ」 「だからって、現代の私たちが、また十二使徒の絵を描くってわナこま、 し弓 ) いた線は、少 - なくとも。こまかしと 「それはそうさ。そんなのはもっとばかばかしいよ。砂漠こー は言えないよ」 ゼバスチアンは私を抱きよせた。私たちは外の太陽の下へ出た。 かれ 「もちろん、こんなに単純には言えないけど」と彼は言った。「だけどそうはまちがっていない さ - ばく てい

3. ゼバスチアンからの電話

はら 私は喫茶店から出たかった。でも、その前にアイスクリームの代金を払わなければならなかっ となり た。立ち上がる時に、ムはいすをひっくり返した。隣のテープルの若い男が笑った。私は、、 しす をそのままにしてかけだした。 かれ ゼバスチアンが追いかけてきた。靴屋の前で、彼は私に追いついた。 くる 「気でも狂ったのかい ? 」はあはあいいながら私をつかんだ。「なにもかもだめにする気かい ばかなこと考えるなよ」 ショーウインドーに私たちふたりが映っていた。ゼバスチアンが私の後ろに立って、私の肩に 手を置いている。 だま 彼は黙っていた。 「私をどんな目に合わせているか、ちゃんとわかってるくせに」と私は言った。「私に、気ばか り持たせて、いつも待たせてばかり。気の遠くなるような日曜日。こっちから電話するよって、 あなたはいつも言ったわ。練習がすんだら電話するって。だから私は待ってた。日曜日はいつで 「いくら練習しても、これでおしまいってことはないんだ。そんなこと、わかってるだろう」 「私はもういや。いつも、いつも、電話の前に座りこんで、待って、待って、待って : : : 」 ゼバスチアンが私のロを手でふさいだ。 「きみがそんなことする必要なんか、これつばっちもないんだ」と彼は言った。「なにかしろよ。 きっさてん くつや

4. ゼバスチアンからの電話

かると、 しい天気になると言う人もいるし、雨になると一言う人もいる。けさの水たまりが、まだ 消えずに残っている。 ェッラーリンク。月の姿が水たまりに映っている。 私たちが、また前みたいになることはないだろう。変わっていくだろう。よくなるかもしれな しいずれにしても、前とはちがうはずだ。 かれ 私は、ゼバスチアンとも、もう一度やり直したい。今ならできそうな気がする。でも、彼はも うそんなこと望んでいないだろう。 草地が、月の光に明るく照らしだされている。草地と森。 ばかみたい、ゼバスチアンをこんなに恋しく思ってしまうなんて。 すがた

5. ゼバスチアンからの電話

るんだ」 母はその数字を見ようともしないで、テープルの上を片づけ始めた。ひょっとしたら、母は私 とおなじことを考えていたのかもしれない。父はずっと前からこの計画を練っていたんだろうつ ないしょ て。いろいろ問い合わせをしたり、ローンの計算をしたり。それも、内緒で、一言も言わずに。 家族みんなの問題なのに。 たんじようび 急に、大みそかのことが思いうかんだ。この前の大みそか。大みそかは、じつは私の誕生日 なのだけど、遅くともタ方ごろには、そんなこと覚えている者はひとりもいない。あの晩の光景 が目の前によみがえってくる。バルコニー にいる私たち家族四人。手にグラスを持った父、母、 とう ・ヘアティ、そして私。眼下には町。サーチライトに照らされた塔、ネオンサインやアーク灯がき かね らきらと光っている高層ビル。車の列が一筋のちらちらする光の列になって。町じゅうの鐘が鳴 ひび り響く。打ち上げ花火が上がって、はじけると、空から火の粉の雨になって降ってくる : へいおん 「来年がいい年になるといいわね」と母が言った。「平穏無事にすごせるのが一番だわ」 母は大みそかには決まってこう言った。それまで私には、母の言おうとしていることが、よく はわからなかった。だけど、大みそかまでの数カ月の間に世界じゅうで本当にいろいろなことが あったので、私は初めて母のこの一一 = ロ葉をまじめに考えてみた。そして父の言うことに少し不安を 感じた。「きっと、、つまくいくよ」とかなんとか、父は一一 = ロった。なにがあっても、いつでもそれ に対して備えがあるというのが父のやり方だった。 おそ

6. ゼバスチアンからの電話

て、私の傷を指さした。五月の初めの、休み時間。私は校庭の塀の上に座って、日なたばっこを していた。頭を後ろにそらし、目をつぶっていた。そのとき、ゼバスチアンの声が聞こえた。と いうより、だれかの声が聞こえて、目を開けてみると、私の前にゼバスチアンが立っていた。 かれ もちろん、私は彼がだれなのか知っていた。うちの学校の生徒ならみんな彼を知っていた。こ の何年か、学校でなにか行事があるたびに、ゼバスチアンはヴァイオリンを弾いていたから。で も彼と口をきいたことはなかった。私は九年生で、ゼバスチアンは十二年生だった。それに、ゼ ハスチアンは、ほんの数人の友だち以外は相手にしないようだった。 ′一うまん 「すごく傲慢なのよ、あいつ」と、前になにかのパーティーでゼバスチアンに会ったことがある 友だちのモニカが言っていた。「あいつ、自分が一番えらいって思ってんだから」 そのバーティーで、ゼバスチアンはすみのほうに座っていた。それも一人で。モニカが、隣の 席に座ろうとすると、ゼバスチアンがさけるように立ち上がって、モニカに自分の座っていた場 所をゆずったというのだ。「この席、温まってますから」ってわざわざ言いながら。モニカはか おこ んかんに怒っていた。私だって。ばかなんじゃないって思った。 きより ゼバスチアンはだれかが近づいてくると、必ず距離をおこうとするってことが、今では、私に かんしよう はわかっている。ゼ・ハスチアンには、自分と他人との間に、無人の緩衝地帯が必要なんだ。そ の無人地帯を横切っていいのは彼だけで、他のだれが横切ってもいやなのだ。 五月、ゼバスチアンがとっぜん私の前に立った時、彼はその無人地帯を横切って来たのだ。 となり

7. ゼバスチアンからの電話

寝いすをたたんだ。五時だった。一時間以上も眠っていた。 「コーヒー飲む ? 」母が呼んだ。 私が台所へ入ろうとしているところへ、父が帰って来た。ふだんよりすっと早い。父は機嫌が 悪そうだった。庭仕事で日焼けした顔が、なんとなくくすんで見えた。 、つものように冷蔵庫から、ビールを出してきて父 「なにかあったの ? 」母は、い配そうに聞き、し むカ を迎えた。 父はビールを飲むと、コップを置き、ロをぬぐった。「前に残業をしてたんで、その分の時間 早く帰れたから、下水道工事のことを聞きに役場へ行ってみたんだ」父はビールを飲み干した。 「来春には始まるそうだ。いろいろ計算してみてくれたよ」父はそれだけ一言うと黙ってしまった。 小指でテープルに、目には見えない丸や四角を描いている。 ちんもく 「ママ、落っこちたんだよ」べアティの声が沈黙を破った。 父が顔をあげた。「えっ ? 」父が聞いた。「なんだって ? ト 「ママ、落っこちたんだよ」べアティは前よりも大きな声でくり返した。それから、高い声でわ パ。ハ ; いけないんだ ! ママのことほっぱらかしといたからだよ。 めいた。「落っこちたんだー いっし・よ ノ。ハがママと一緒に練習してあげればよかったんだ。ババがママのこと見殺しにしたんだ ! 」べ アティの下くちびるが前につき出た。赤ん坊のころからのくせだった。それから泣きだした。 り - 一ん ノとママ、もうぜったいに離婚するんだ。ばく、どっちについたら 「ババのせいた。それこ、。、ヾ だま きげん 252

8. ゼバスチアンからの電話

お祭りが終わると、アンドレアスは私を家まで送 0 てくれた。自転車で。自動車のキーは、ア ンドレアスのお父さんが、お祭りの前にどこかへ隠してしまっていた。 「親父はいつでもそうするんだ。一番上の兄貴が、事故で六カ月入院してからはず 0 と。ばくは ビールは好きじゃないのに」 私を荷台に乗せてエ , ラーリンク〈自転車を走らせながら、彼は自分の家族のことを話した。 私は、ところどころしか聞いていなか 0 た。くたくただ 0 た。私は彼の背中に頭をもたせかけて 眠っていた。 うちの前で、私たちはすこし抱き合 0 た。でも、彼は私が本当はそうしたくないのに気づいて ・、いび・と 「恋人いるの ? 」 「いわ ~ 、わ」 「ばくもいたよ」彼はそう言うと、また私を抱きよせた。 「やめた方がいいわ、アンドレアス」 「どうして ? そいっとはもう終わったんだろう ? 」 「そうよ。でも、彼のことまだ好きなの」 「わかんないなあ」と、アンドレアス。 「そうでしようね」と、ム。 214

9. ゼバスチアンからの電話

たって文句を言っていた、寝室の大きなタンスは、二百年も前のものだった。 家具のことには少しうるさい父は、おばあちゃんの持っている家具がどのくらいの値打ちなの か、おばあちゃんに話したことがある。「この大きなタンスだけでも、一万五千マルクは下らな 居間の家具だっておそらく、それくらいにはなるだろう。両方で三万マルクだよ、おばあち ゃん」 それは、ある日曜日のことで、私たちはおばあちゃんちでコーヒーを飲んでいた。おばあちゃ ふち んがなにかお祝いごとでもないかぎり出してこない、忘れな草の模様の金の縁取りのついたカッ プで。 だま 「そりや本当かい ? 」と、おばあちゃんはつぶやくと、しばらく黙って前の方を見ていた。「そ れでいて、私はライン河に行ってみたいとずーっと思っていながら、どうせ無理とあきらめてい たんだ」 「行ったらいいじゃないですか」と父が答える。「なにか家具を売ればいいんですよ。それで、 世界一周でもしたらいい」 はだ 「世界一周だって ? 」おばあちゃんが整理ダンスの横に立って、タンスの木の肌をなでている。 「世界一周 ? そんなばかげたことはしないさ。居間の家具はザビーネにやるんだからね。寝室 のタンスはロッテイだよ。明日にでも、遺一一 = ロ状を書こうかね」

10. ゼバスチアンからの電話

「ザビーネ、起きなさい ! 」母の声がする。「六時四十五分よ」 今朝も、目ざまし時計の音が聞こえなかった。こんなにぐっすり眠ったことはこれまでに一度 だってなかった。無理もない。モース・ヘルクまでの行き帰りもふくめて、毎日二十五キロも走っ ているんだから。 シャワーを浴び、パンを一切れつかむと、出発。 ち・ - 一く 七時十六分、私は自分の持ち場に立っていた。一分遅刻だ。ルードルファーが言った。 じようさま 「遅刻したって、お嬢様はかまわないってわけ ? 」 あら とうちゃく ゅうびんぶくろ 七時半少し前に、郵便袋をつんだ車が到着する。仕分け開始だ。まずは、荒仕分け、それか ら通りと番地に従って仕分けする。 「やあ、ビーネちゃん、わかんないことない ? 」アインホルンは私にそう聞くと、すぐそばまで 体を近づけてきた。アインホルンは今日も、前の晩のニンニクの匂いがした。なにしろ、毎晩ニ くき ンニクの茎を食べているのだ。「最高の薬さ」アインホルンのいつものロぐせだ。「男のスタミナ にお