子ども - みる会図書館


検索対象: ゼバスチアンからの電話
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1. ゼバスチアンからの電話

「。ハバはなにをしたっていいんでしよ。きっと、私をぶんなぐって半殺しにしたって : : : 」 「いつ、おまえを半殺しにしたっていうんだ ? 」父がどなった。 「でも、半殺しにしたってかまわないんでしよ。私の父親だって理由で」 「おまえのことは、一度だってなぐったことはないそ」父が大声を出した。「失敗したよ。『鞭を 惜しむと、子ども : ・ 「『子どもはだめになる』」と私はあとを続けた。「もう、ことわざなんてたくさんだわ」 むすめ 「ことわざぐらいは、言いたいだけ言うからな。自分の娘に文句なんか言われてたまるか」 、 ' ヘアティはロをばかんと開けて座っていた。母は私のこと こんな具合で、言い争いは続した。・ やくそく をひつばったり、父をひつばったりした。もし、父に家具を買う人との約束が入ってなかったら、 どうなっていただろう。 「ババに向かって、なんであんなことを言ったりしたの、ザビーネ」父が出かけてしまうと、母 が一一 = ロった。 つもいつもしつばをまいてるなんて、ごめんだ 「当然でしよ」私は言った。「ママみたいに、い 母は私の方に近づいてくると、手をふり上げた。でも、すぐにまたその手を下ろした。「いっ までも、そんな調子でいるんなら、これ以上話し合ったってむだね」 むち

2. ゼバスチアンからの電話

がいつまでも死なないで、あの家を持ち続ければいいんだ。私はビーダーマイヤーの家具をいっ までも持ち続けるんだから。 私は父にそう言 0 た。そして続けた。「おじいちゃんのそのまたおばあちゃんだ 0 て、このい すに座ってたのよ。そして、いっか私に子どもができたら、子どもたちもこのいすに座るの。こ わた ういうのって、すごいことだと思うわ。この家具は渡さないからね」その時、ことわざがうかん かたみ だ。「『親の形見をなくしたものは肩身がせまい』」そう言ったとたんに、私は笑いの発作のよう なものにおそわれた。ものすごく興奮したりすると時々、そういうふうになるのだ。私はそこに つったったまま、笑っていた。 父は自分のことをばかにしているのだと思って、かんしやくを起こした。そしてどなり始めた。 ししか、おまえはまだ十八にもならないんだからな ! 」 「だれが決めるのか、すぐにわかる。 とっぜん、私は気持ちが落ち着いた。「じゃあ、なに ? 」私は言った。「ババは、私の家具をよ こどりするつもり ? 」 「ザビーネ ! 」母が叫んだ。「パパに向かって、そんなものの言い方がありますか ! 」 ババはなにしたっていいって言うの ? 私を町から無理やり引きすりだしたり、私 「だって , いなか のものを取り上げたりしていいって言うの ? 私に聞きもしないで。ただ、ババが田舎で土をひ つかき回していたいっていう理由だけで ? 」 「ザビーネ ! 」母がもう一度叫んだ。

3. ゼバスチアンからの電話

のせいにしちゃうの。ちゃんと栄養を考えて食事を作らなかったとか、ちゃんと暖かい洋服を着 るように気をつけなかったとか、注意をしたり危険から身を守ることを、私たちにちゃんと教育 しなかったとかってね。永遠にママは、責任ばっかり感じながらおろおろし続けるんだわ。私た ちも、今にそうなるのかしら ? それくらいなら私、子どもなんかいらないわ」 私はちがう。子どもだって何人か欲しい。仕事もしたい。それに、私のことを支えてくれる夫。 私が一人で変に責任なんか感じないでいいような。そんなこと、可能かしら ? 「ねえ」とギーザは言った。「おばあちゃんたちのころのほうが、幸せだったんじゃないかって、 思うことがあるわ。おばあちゃんたちって、そんなこと、考える必要もなかったんだもん」 、 ' ヘアティはよくなっていた。私たちが、ゆうべ思っ 月曜日。私はギーザと電車に乗ってした。・ ていたよりすっとよくなっていた。 ゅうべ、べアティの病室の前に立った私たちは、心配のあまり、満足に息もできないほどだっ じよじよ 「薬が徐々に効き始めています」と看護婦さんが言った。「気を長くもっことですよ」 「面会できますか ? 」母は聞きながら、ドアの把手に手をかけた。 看護婦さんが、思いとどまらせようとした。「おやめになったほうが。ちょうど意識がもどっ こうふん たところなんです。興奮するといけませんから」 とって

4. ゼバスチアンからの電話

られるんだからね」彼女の足は赤く、はれていた。「水がたまってるんだよ」彼女は言った。「、い 臓のせいでね」 ゅうびんきよく バウアー夫人のご主人は、一九四四年に戦死した。彼女が郵便局で働いて、二人の子どもを むすめ めんどう 大きくした。あとになって、下の娘さんの子どもの面倒もみた。「再婚しようとは思わなかった ね」と彼女は私に話した。「グステルが、あんまりいい人だったもんでね。まあ、あんなにいい 人には、二度とめぐり合えなかったろうね」 「再婚したかったのに、だれも申し込んでくれなかっただけじゃないの ? 」そばに立っていたル かのじ・よ ードルファーがそう = = ロうと、バウアー夫人は、彼女をしげしげと見て、ため息をついた。 「トラウデルときたら」とバウアー夫人は言った。「まるで、シャツでもとっかえるみたいに男 を代えるんだからね。ひとりの相手を好きになるってことがどういうことか、ちっともわかっち ゃいないのさ」 しつもこんなおしゃべりをしていた。本当は、仕分けの時は話をしてはい 朝の仕分けの時は、、 けなかった。でも、モースペルクの郵便局では、大きな郵便局なんかよりも、ずっとなごやかに 仕事がすすめられた。 きゅうか 先週からは、フックスさんが休暇をとって、ルードルファーがもどって来ていた。 「へえ」ルードルファーは言った。「そうなの ? ここ、そんなに給料いいかしらね ? 」バウア四 ー夫人が、私のことを「こちらが、アルバイトのザビーネ。まだ学校に行ってるんだって」と

5. ゼバスチアンからの電話

父は母をじっと見ていた。まるで、戸口に立っている見知らぬ人を見ているみたいに。 かいだん 「好きなようにしろ」父はそう言うと、部屋から出て行った。バタンとドアの閉まる音。階段を のばっていく音。あとはなにも聞こえなかった。 めんきょ 運転免許、半日のバート。私は賛成だ。母が正しいと思う。でも、なにもかも一度に言わない 方がよかったかもしれない。 父は母が働くことにずっと反対してきた。 「子どもたちを、鍵っ子にだけはしたくないんだ」と父は言っていた。「一番大切なのはお金で はないさ。『ふとんに合わせて手足をのばせ』だ。身分相応に暮らせま、 でも、もうべアテイも私も小さな子どもってわけじゃないし、もう少し大きなふとんで寝たっ て、なにも害はないだろう。そういうお金の話は別にしても、母がまた社会に出るというのはい しん。りレ 4 う い事だと思う。昔、私が生まれる前には、母は診療助手をしていた。そういう事なら、また母 にもできるかもしれない。私は母の考えに賛成だ。だけど父には、一口すつに切って出すべきだ ったろう。父は、こんな大きなかたまりは食べつけていないのだから。 りこん 「ママ ノと離婚するの ? 」・ヘアティが泣き声で言った。 「どうしてそんなこと ? 」母が聞いた ノとママ、すごいけんかするんだもん」 母はべアティの髪をなでた。「心配いらないわよ、べアティ。けんかはだれだってするじゃな かみ かぎ 129

6. ゼバスチアンからの電話

て子どもが高く評価され、子どもの独自な視点から描くことによって、既成の価値への批 判がなされました。しかし、テーマ主義の行き過ぎ、作品の文学的質の低下などの批判を 受け、今日なお評価されているものはごくわずかです。そうは言っても反権威主義的児童 文学は、年代の児童文学にもさまざまな形で影響を及ばしています。とくにテーマやモ チーフの多様化は、その後の児童文学に大きな可能性を拡げたといえます。 『ゼバスチアンからの電話』にも、女性の自立、農薬や工業の発展による環境破壊、住宅 取得をめぐるローンの問題、成績偏重や厳しい校則といった学校制度の歪みの中に置かれ た若者たちの悩み、性の問題など、さまざまな現代的問題が取り上げられていますが、こ の児童文学の流れと無縁ではなく、またその点ではこの時期のドイツの児童文学のなかで 決して特異なわけではありません。しかし、この作品では、これらの現代西ドイツの状況 がモチーフとして的確に取り上げられ、それらが女性の自立というテーマをしつかりと支 えています。また、このような西ドイツの状況は、日本の若者たちが現在置かれている状 況と、多くの点で共通していると思います。そのような意味でも、この作品は日本の若い 読者にも、共感を持って読んでもらえると思います。 西ドイツの学校制度について簡単に触れておきましよう。義務教育期間は日本と同じで、乃 満六歳からの九年間、そのうち四年までは、みんなが同じ学枚 ( 国民学校 ) に通います。

7. ゼバスチアンからの電話

届けてくださったな」と言われ、私は感心してみせなければならなかった。それから、フーフナ ーゲルさんは私にサクランボのジュースを持って来てくれた。 かれ 「そうだなあ」彼はそう一言うと、私がジュースを飲むのをじっと見ている。「退職後もなにかす ゅうびん ることを持たなくてはな。おじようさんはいいねえ、郵便配達をすればいいんだから」 フーフナーゲルさんのむ力しし。 、、こよ、一歳から七歳ぐらいまでの五人の子どものいる家族が住ん でいる。『フリードリヒ・ポール博士』とドアのところに書いてある。でも、郵便物はほとんど は . ん・い が奥さんあてだった。通信販売のカタログやパンフレットばかり。ファッションカタログ、下着 けし、よう 会社、化粧品会社。でも、この奥さんが、ファッションや化粧と関係があるようには、どうして も見えない。あんなたくさんのカタログが、いったいなんのために必要なのか、聞けないのが残 念だ。 「夢を見るためさ」とバウアー夫人は言った。「子どもが五人もいて、だんなさんはいつでも留 守。人間だれしも、なにか夢を見させてくれるものが必要なんだ。郵便配達をしていると、もの の見方が養えるよ。学校なんかよりずっとね」 、 , へダルを踏まずに、郵便局への坂を下りる。 一時少し前に、配達が終わった。ほとんど記録た。。 風が顔のまわりをふきぬける。今日も仕事をやり終えたという喜びを、私は感じていた。 かきとめ バウアー夫人が窓口を閉めて、魔法びんのコーヒーを飲んでいた。バウアー夫人に書留と送金 じゅりようしよう の受領証を渡し、空になったかばんをもとの場所こ置、 ゅめ 寺一い 2

8. ゼバスチアンからの電話

訳者あとがき ザビーネは、ゼバスチアンに電話をしたのでしようか ? ザビーネの十八歳の誕生日、 成年に達する日、大みそか、ゼバスチアンの電話番号をザビーネが回しているところで、 この物語は終わっています。ザビーネは、ゼバスチアンの電話番号を最後まで回し、ゼバ スチアンと話をし、彼と再会したのでしようか。それとも、やはり途中で受話器を置いて しまったのでしようか。 この物語は、二月のザビーネとゼバスチアンのけんかの場面から始まっていますが、実 際にはザビーネの十七歳の誕生日である一年前の大みそかに、・・ サヒーネのお父さんが、家 を買うことをはのめかしたところまでさかのばることができますから、ザビーネが成年に 達する、子どもから大人になる最後の一年をちょうど描いていることになります。 表向きは民主的なのですが、実のところ、何でも自分の思い通りにする父と、いつでも 父の言いなりで自分の意見を持たない母に対して、批判的だったザビーネ。自分は絶対に 母のようにはならないと固く心に決めていたのに、い つのまにかゼバスチアンに対して、 272

9. ゼバスチアンからの電話

私たちが家を初めて見に行ってから、五週間が過ぎていた。一週間したら、エッラーリンクへ 引っ越しだ。今までの住まいには、すでに新しい借り手がついていた。 今までの住まい。なんか不思議だ。まるでもう、なんの関係もないもののように聞こえる。五 週間前までは堅く結びついていたのに、この住まいと私は。なのに今は、私がドアを開けると、 まるで壁があとずさりして逃げようとしているみたいに思える。もう私のものじゃないゞだけど 私には、代わりのものがあるわけでもない 五年間分ぐらい、いろいろな あれから五週間。でもふつうの五週間とはわけがちがっていた。 ことがあった。 しらが 三月十七日、おばあちゃんが死んだ。くるくる巻いた白髪で、りんごのように丸い顔をしてい た。子どものころのことを思うと、いつでも私のそばにおばあちゃんがいる。まぶたにうかんで ーマーケットで買物をしたり、 くるふたり、おばあちゃんと私。いっしょに町を歩いたり、スー 駅にいって列車を見たり、路面電車に乗ったり、十月のビール祭でメリーゴーラウンドに乗った かべ かた

10. ゼバスチアンからの電話

ゼバスチアンは首をふった。「そんなこと無理だよ。たぶんばくなんか、音楽の才能なんてこ れつばっちもない子どもたちにレッスンをするのが関の山さ」 「そんなことないわ」私は言った。「あなたはちがう。あなたならできるわよ。私、中等教育課 程が終わったら、学校を出て、お金をかせぐ」 私は、自分の計画を話し始めた。マルクス広場で、観光客と鳩にかこまれて。彼は黙って聞い ていた。いい とも、悪いとも言わずに。 あの時から、私たちのあいだに、変化が生まれた。私が変わり、彼も変わった。毎日、毎日、 ほんの少しずつ、二月のあのけんかまで。 ゼバスチアンのお母さんのせいにすることはできない。私が、望んでやったことなんだから。 今は、もうなにもかも終わってしまった。悲しいことに。それとも、これでよかったのか。い ずれにしても終わったんだ。 でも知りたい。私って本当にこういう人間なのだろうか ? 相手がゼバスチアンだったからこ うなったのか、それとも、次のときもやつばりこんなふうにしてしまうのかしら ? そして、そ の人がそんな私を受け入れて、やっていける人だったら ? だま 118