・ヘアテイだって、友だちとけんかすることあるでしよ。でもまた仲直りするじゃない、ね」 「本当 ? 」ペアティは疑わしそうに母を見た。「ヾ。 ) ゝ、 ノノ力しなくなっちゃうなんて、ばく、やだよ」 母はまた、・ ヘアティの髪をなでた。「ママだっていやよ、べアティ。あなたたちにまで、あん な話聞かせて悪かったわね」 ー ) ト ` くたく 母は立ち上がり、食卓を片づけ始めた。私は、じゃがいもいためのにおいを台所から出すた めに窓を開けた。ざあざあという切れ目のない雨の音。これから、ギーザの家へ行くことになっ ていた。きっとまた、びしょぬれになるだろう。本当は、父に車で送ってもらおうと思っていた のだけど、それどころじゃなさそうだった。 ペンチに座ったべアティは、なにか考えこんでいるようだった。これから、どうなるんだろう。 つらぬ 父はどういう態度に出るだろうか。母は自分の考えを貫きとおすことができるんだろうか。 「でもまた仲直りする」って母は言った。 父と母は、きっと仲直りするだろう。 でも、ゼバスチアンと私は別だ。私たちの場合は、あまりにも早くこじれてしまった。 ゼバスチアンがなにか言ってくれればよかったのに。あの時ラヴェンナで。ヴェニスで。旅行 から帰ってきてからでも。「そういうのは、やめてくれよ」って、言ってくれればよかったのに。 「母親は一人でじゅうぶんなんだ。きみはきみ、ばくはばく」とかなんとか。でもゼバスチアン は言わなかった。二人でいると本当に楽しかったから。ゼバスチアンは言わなかった。 なか
なのに、私たちはふたりきりでなかった。まわりには、全校生徒の半分もが立ち、私たちのこ とを見ていた。ゼバスチアンがっかんだのは、私の手だけだった。それだけでは、どうにもなら 「なにか一一 = ロ , んよ」彼が一一 = ロった。 私は、どうしようもないじゃない、と言った。私たちは、とっぜん変わることなんてできない んだって。どうせまたおなじように、おたがいにいらいらするだけだって。あなたの言いなりに なってばかりいるのはいやなのって。自分を、私自身をとりもどしたいんだってー、ー。本当は全 然ちがうことを言いたいのに、それを言ってはならないとなると、なんていろんなことを言って しまうものだろう。私は、これだけ言ってしまうと、手をふりはらって走った。あとを追って来 て欲しいなんて、今度は思わなかった。でも、このまま走って行ってしまうのはこわかった。私 は、心のなかで自分に言っていた。「おまえにはできない、耐えられない、引き返すのよ」なの に、ゼバスチアンに私を連れもどして欲しいとは思わなかった。自分でも不思議だった。だけど、 本当に、連れもどして欲しいとは思っていなかった。 「あんなのから解放されたんだもん、喜ぶべきだわ」とモニカが言った。「あんたの気持ちを傷 つけるばかりでさ」 モニカはなんにもわかっていない。モニカとはもう、ずいぶん前から話ができなくなっていた。
はいぎぶっちょぞう どこかに放射性廃棄物が貯蔵されていることも、草地が有毒物質に汚染されていることも。それ なのに、心底うれしい気持ちになんか、なれるものかしら ? 」 「おかしいわよね」私は言った。「私には、その正反対に思えるわ。花の咲く緑の草地を歩いて る時には、そこに有毒な薬品がまかれていることを知っていても、それでも、私の目には、その 草地は美しいもの。それに、草のにおいだって。私は草地を、美しいと思いたいのよ。わかるで しよ。そう、思わずにはいられないんだもの」 おせん 「じゃあ、セペソの汚染事故はどうなるの ? 」ギーザは言った。「あそこの人たちは、緑の草地 になにをしてるの ? 」 「ムは、セペソにいるわけじゃないわ」 ギーザは首をふった。「考えがあまいのね。どこもかしこも、セペソとおなじなのよ」 「わかってるわ。だから私、化学がやりたいのよ。そして、なんとかしたいのよ。化学に関する ことなら私にもできる。それこそが、私のテーマなの。もし、化学をやってなかったとしても、 カ別のことをさがしてたと思う。なにか、私にできることを」 「そして、世界を救う」ギーザが、からかうように言った。 「なにが言いたいのよ ! 」だんだん声が大きくなってきた。たぶん、本当はこんなにあからさま 冫。言したくなかったから。それにギーザの一一 = ロうことにも正しいところがあると、わかってい るから。でも、そうであって欲しくないと思うから。「そんなふうに考えてたら、本当にすぐに 188
。。しったいどのくらいのい そんなことになってなお、なんとか大学入学資格試験に合格するこよ、、 い成績を取らなくてはいけないのか、私には見当もっかない。 りんり 倫理の授業では、ちょうど『市民としての勇気』というテーマを扱っていた。表向きにはいか にも取り組むに値する問題だ。でも授業で扱うのは学校における『市民としての勇気』ではなく て、ナポレオンと三十年戦争における『市民としての勇気』だった。本当にいらいらする。でも、 クラスのほとんどの人は、お天気とおなじように、どうにもしようがないものだと思っている。 「ああいうのカノノ . : 、ヾレホーファーのお気に入りってわけよ」ギーザが言った。「よかった、あな たが少なくとも政治に興味を持ってて」 本当なら「ゼバスチアンと知り合ってからなの」って答えなくてはならないところだ。 「そういうの読むの ? 」ゼバスチアンが初めて私のことを校門の前で待っていてくれた日のこと かれ だ。彼は自転車立てに腰をかけて、『シュピーゲル』誌を持っていた。 「どうして ? いけない ? 」彼は聞いた。 「だって、政治なんか ! 」私は言った。 「じゃあ、きみはなにを読んでいるんだよ ? 」彼が聞いた。「『プラボー』 ? 」 私は返事をしなかった。あんまり傲なものの言い方に、彼と話をする気がなくなっていた。 「ごめん」彼が言った。「そんなつもりで言ったんじゃないんだ。ただ、政治っていうと、どう あっか
一言も理解してない、他のやつらとおなじだと思ったって。 「でも、そのあと」とゼバスチアンは言った。「きみは冂もっと話して』って言った。その声に、 なにかがあった。それでば y は、きみが本当に知りたがってるんだってわかった。それがきみに とって重要なんだって。それで、ばくは続けることができたんだ。そして、人に話をすることが ね。初めてのことさ。それまで、自分からすすんで話をしたことなんて一度もなかったから」 彼がこの話をしたとき、わたしたちはバルコニーに座っていた。もう暗くなっていて、澄んだ 空に、星がたくさん見えた。午後に、モザイク画を見た日の夜だった。私は心から幸せで、臭い においさえ気にはならなかった。 「もしかしたら、初めからわかっていたのかもしれない」彼は言った。「塀の上に座っているき みを見たときからね。あの子となら、おまえは話ができるって」 「私もわかっていたわ。すぐにではなかったけど。でも、あなたが政治と音楽の話をしたときに は、はっきりと」 私には、はっきりとわかっていた。ゼバスチアンは私になにかを与えてくれるって。私がま とびら だ持っていないもの、私に必要なものを。本当に、たくさんの扉が閉じられていた。それを、ゼ ハスチアンが開いてくれた。 ゼ・ハスチアンに手紙を書きたい。ゼバスチアンへ、今、私には、あなたが必要です。あなたと 話がしたい。助けて欲しい。あなたが本当に本当に必要です。この間、近くの川へ行ったら、一一 くイ -
母とならんで座っていた。そして、じっと母のことを見つめていた。まるで、自分が気をつけて いないと、また母になにか悪いことが起こるかもしれない、とでもいうように。 「どんなだったの ? 」私は聞いた。 いきお もうれつ 「試験官のせいだよ。あのくそったれめ」ペアティが、猛烈な勢いでしゃべりだした。 「・ヘアティ、黙りなさい」母が言った。「そんな言い方をするもんじゃないわ。それに、試験官 はんだん の判断は正しかったんだから」 本当 けれども、・ヘアティはますます調子に乗ってしゃべった。「だって、そうじゃないカ に、ひどいやつだもん。いやでいやでたまんないぐらい、いやなやつ。あいつがなにやったかわ かる、ビーネ ? 一方通行の道だったんだよ。そこに家具を運送してる車が止まってたんだ。こ ーんなにでつかいやつ。ママ、追い越せなかったんだ。そんなの無理に決まってるじゃないか。 それなのにさ、あいつ、ママのこと落としやがったんだ。本当に、くたばったらいいんだ、あん なインチキやろう」 「さあ、もうそのへんでやめときなさい、 べアティ」母が言った。「それに、まちがったことは 言わないでちょうだい。落とされたのは、そんな理由じゃないのよ。追い越そうとして、歩道に 乗りあげちゃったからなの」母は悲しそうな目で私を見た。「ちょうど歩道を歩いてる人が何人 かいたのよ」 「ママ、その人たち、ひいちゃったの ? 」私は驚いてたすねた。 だま 245
しばらくして、気持ちが落ち着いてから、私は思い返した。「私が ? どうして ? 」という母 の言葉。そしてあの驚いた顔。ママはママ自身のことが、そんなにわかっていないのだろうか。 「それは、ババに聞いてみなくちゃーーーそのことだったらババが一番よくわかっているわーーー・そ ヾヾ・ゝ、ないとね、ママだけでは、どうしようもな れなら 、パパに決めてもらわなくてはね いわ : : : 」これが母のロぐせだった。もしかしたら、母は、父との間でどんなふうに事が決めら れているのか、本当に気がついていないのかもしれない。だって、表向きはまったく民主的なん だから。 ロッティ、これでいいカ 、。「ロツ一丁イ、レ」、つ田 5 , っ ? ・ なにかを決める前には必ず話し合し 賛成かい、ロッティ ? 」父はしんばう強く母の意見をきいてから、結局は自分が正しい ふえ と思う事をする。二十年たっても、ママにはそれがわからないのかしら ? 笛をふいてるのはバ ハで、ママはおどってるだけだっていうことが。 たとえば、今度の台所のことにしたって。父は、家具のメベル・メラー社のセールスマンを しているので、生産中止になったモデルのシステム・キッチンを特別に安く買えることになった。 母はずっと前からシステム・キッチンを欲しがっていた。父が持ってきたバンフレットを、本当 にうれしそうに見ていた。白と赤と黄色の三種類があった。 「・日、がいし 、と思うよ」と父が言った。「白なら、はやりすたりがないし、一番飽きが来ないよ。 ど , っ思 , つ、ロッティ ? 」
「まるで、あなたが興味を持ってたみたいな言い方ね」 「そんな言い方ないだろう」ゼバスチアンがあまり大きな声を出したので、そばを通っていた人 けんめい しと思ってたんだ。あのアイデアさ。きみが一所懸命考 たちの何人かがふりむいた。「本当にい、 えたやっ」 通りにプラスチックのコップが落ちていた。ゼバスチアンがけとばした。コップは少しころが って、止まった。 「だけど、このごろのきみは、ただお手々つないでいたいだけなんだ。そんなの、ばくにはもう 耐えられないよ。それで、きみにこんな態度をしちゃうんだ、たぶん」 がまん 「私だって、もう我慢できないわ」私は言った。「あなたとあなたのヴァイオリンなんか」 「きみにとって大切なものを、またさがせよ」ゼバスチアンが言った。「ばく以外に」 「あなたはもう私にとって、大切でもなんでもないわ。あなたって、本当にエゴイストだわ。あ これを最後 これだけはいけない。 んたなんか、馬にけられて : : : 」私はロを閉じた。いけない、 の言葉にしてはいけない。私はゼバスチアンに背を向けると、地下鉄の駅の方に歩きだした。ゼ かれ いっしゅん ハスチアンが追ってきて、私を連れもどしてくれたらいいのにと、一瞬思った。彼は来なかっ 家に帰ってみると、母が、ふとんカバーをプレス機にかけているところだった。おばあちゃん
たのを、今でもおばえている。「でも、ザビーネ、わかってると思うけど、ゼバスチアンがお金 をかせぐようになるまでには、まだずいぶんと時間がかかるわ。ヴァイオリンのレッスンをして かせぐことはできるでしようけど」 「ゼバスチアンは、レッスンなんかしなくていいんです」と私が言うと、彼女は私を抱きしめ、 キスをした。 ほごどうめい 私たちの、ゼバスチアン保護同盟。 次の日、私たちは、ヴェニスへ行くことになっていた。 はまペ 「ムは、ヴェニスに行くよりも、この浜辺にいるほうがいいわ」ゼバスチアンのお母さんが言っ た。「今日は本当に暑いんだもの」 「ヴェニスのためだったら、ばくたち喜んで汗かくけどな」とゼバスチアン。 きゅうか もう休暇も終わりに近づいていた。あと二日。ゼバスチアンはだんだんいらいらしてきた。 「すっかり、へたになっちゃったよ」彼は言った。「もう、ずっとまともに練習してないもんな。 そろそろどうにかしないとだめだ」 私は悲しかった。このまま永遠に続けばい、 しのにつて思っていたから。彼のお母さんが私たち 二人だけでヴェニスへ行かせてくれたのが、救いといえば救いだった。 あせ 本当に、暑い日だった。ヴェニスへ行ったあの日ほど、汗をかいたことはそれまでなかった。 その夜、私たちがバンガローにもどったころ雷雨があった。 あせ 116
悩んでいるのか、どうやって知ればいいの ? なんにも話してくれないんだもの」 はだし 母は、まだ裸足のままだった。私は玄関に行って、室内ばきを取って来た。 「ありがとう」母は言った。「ビーネ、今の私、どっちつかずで、だめね。 ハ。ハとママは、今ま いっしょ でなんでも一緒にやってきたのよ。それが、今度は : ・ : ・」母は、ティーバッグをひとつ、ポット に入れると、やかんの隣に置いた。「ここのところ、本当にいろいろと考えたの。今では、、 んなことが前とちがって見えるわ。だけど、私はどうしたらいいのかしら ? 」 「ママ、もうちゃんとやってるじゃない。今晩だって、ママ、本当に : : 」私は、びったりする 一一 = ロ葉をさがした。 「英雄的だった」と母は言って、少し笑った。「これからどうなるのかしら ? 。ハバは絶対に許 してくれないわ。青天のへきれきだもの」 「ババだって、考えを変えなくちゃいけないのよ」私は言った。 ちょうどその時、父が台所へ入って来た。 「ハインツ、お茶は ? 」母が聞いた 父は返事をせずに、冷蔵庫からビールを出した。 ノインツ」母は言った。「ビーネから聞いたわ。ふたりで話したこと。大学入学資格試 験のことで : : : 」 「そうか」父は、母を見ようともしなかった。 となり げんかん 208