私 - みる会図書館


検索対象: ゼバスチアンからの電話
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1. ゼバスチアンからの電話

しんりよう 勤め口を求む、ってね。診療助手として ! どう、びつくりしたでしよう ? どうしても、な にかせずにはいられないの ! 自分の不安に打ち勝っためには。ババは私に対してあんなだし、 イルグナーだっておなじだわ。私、自分を勇気づけなくては。わかってくれる ? 」 「もちろん ! 」私は答えた。 「このあいだもね」と母が言った。「イルグナーが私のこと、どなったのよ。それで、私、参っ て、声を出して泣いてしまったの。そうしたら、こう言うのよ。『ハラーさん、私は他の人には、 どなったことなんて一度もないんですよ。本当の私はこんなじゃないんですよ。なのに、あなた が私をどならすんだ。あんまり、へいこらするもんだから』って」 じようだん 「冗談じゃないわ。言いたいこと言って」 「どうして ? イルグナーの言うとおりだわ」母はこぶしを握りしめ、頭を後ろにそらせた。 「だからこそ、広告を出したのよ、ビーネ。もう、へいこらするのいやだから。試験だって、落 ちょうが、落ちまいが、どうでもかまわないわ」 「私だって」と私は言った。「私だって、もうへいこらするのはいや」 それから、私たちは座りこんで話をした。表でイルグナーがクラクションを鳴らすまで。 これが、四日前のことだ。とうとう、その日がやってきた。できることなら私はアルバイトに 行きたくなかった。母の心配そうな顔。うちにいるのは、べアテイだけだ。もちろん、今日も雨 2 う 8

2. ゼバスチアンからの電話

「でも、私がなりたいものにはなれないわ」 「だが、おまえだって、銀行に就職することに、同意してたじゃよ、 「あの時は、もう、学校やめようと思 0 てたんだもの」私は言 0 た。「でも、考えが変わ 0 たの。 私は一生、他人のお金を数えてるのなんて、いやなの。大学入学資格試験を受けたいのよ」 「そんな考えは、捨てるんだな ! 」 「私、大学で化学の勉強をしたいの」 こだいもうそうきよう 「他に言うことは ? 」父は、誇大妄想狂でも見るように、私を見つめた。 「ううん、これだけだわ」私は言 0 た。「でも私、もう銀行に、見習いの仕事のロは辞退する 0 て、手紙を書いちゃったから」 父はとび上がった。「私に、なんの相談もなしにか ? 私はうなすいた。 「私に、なんの相談もなく ! 」父はくり返した。小さな声で、とり乱して。「おまえの母親とま 0 たくおなじだな ! ママがおまえに、手本を見せた 0 てわけか ! 」父は、くずれるように、ソ ファーに腰を落とした。「なんの相談もなくー この就職難の時に ! 」 私は、父のソファーのわきにしやがんだ。「。、。、 私、見習いの仕事にはっきたくないのよ。 それに、ママや私がババに相談しなか 0 たのは = = : それはただパパが、私たちの話を聞こうとし なかったからだわ」 202

3. ゼバスチアンからの電話

はら 私は喫茶店から出たかった。でも、その前にアイスクリームの代金を払わなければならなかっ となり た。立ち上がる時に、ムはいすをひっくり返した。隣のテープルの若い男が笑った。私は、、 しす をそのままにしてかけだした。 かれ ゼバスチアンが追いかけてきた。靴屋の前で、彼は私に追いついた。 くる 「気でも狂ったのかい ? 」はあはあいいながら私をつかんだ。「なにもかもだめにする気かい ばかなこと考えるなよ」 ショーウインドーに私たちふたりが映っていた。ゼバスチアンが私の後ろに立って、私の肩に 手を置いている。 だま 彼は黙っていた。 「私をどんな目に合わせているか、ちゃんとわかってるくせに」と私は言った。「私に、気ばか り持たせて、いつも待たせてばかり。気の遠くなるような日曜日。こっちから電話するよって、 あなたはいつも言ったわ。練習がすんだら電話するって。だから私は待ってた。日曜日はいつで 「いくら練習しても、これでおしまいってことはないんだ。そんなこと、わかってるだろう」 「私はもういや。いつも、いつも、電話の前に座りこんで、待って、待って、待って : : : 」 ゼバスチアンが私のロを手でふさいだ。 「きみがそんなことする必要なんか、これつばっちもないんだ」と彼は言った。「なにかしろよ。 きっさてん くつや

4. ゼバスチアンからの電話

ばかりだった。だめだ、やつばり他の人じゃだめだ。私の気持ちをギーザに説明しようとした。 私に必要なのはゼバスチアンなんだって。ゼバスチアンの抱く疑問や、彼なりの答え。彼の歩き 方や笑い方、頭の上げ方、私と話をする時のようす、私を見つめるまなざし、彼の優しさ。私に 必要なのは、ゼバスチアン以外のなにものでもないんだって。ギーザは、わかってくれるだろう 「さあ、もう一杯お茶をいれましようよ」私の話を聞いたあとで、彼女は言った。私たちは台所 へ行った。 「わかってもらえる ? 」私は聞いた。 「もちろん」とギーザは言った。「それに私、あなたが引っ越してきて、ほんとによかったなっ て思ってるのよ」 そっちよく 私は、ギーザのことをまっすぐに見ていられなくて、顔をそむけた。あんまり率直になにか を言われると、私はいつでも、いたたまれない気持ちになる。自分でも、ばかみたいだと思う。 率直にものをいうのは、、、 しことだもの。 「この前話した化学の実験、一緒にやってくれる ? 」私は聞いた。 ノーが関わらないならね」 ギーザは、ティーポットにお湯を入れていた。「アッハバッ、 ノーがいないと困るのよ。うまくいくわよ、絶対。 「ギーザったら ! 」私は言った。「アッハバッ、 お願いだから、この計画をつぶさないでよ」 かか 1

5. ゼバスチアンからの電話

し宝ー・めい しろ、正真正銘のビーダーマイヤーだからな ! 」 「どんな人たちなの ? 」母が聞いた。 「もちろんインテリさ。広告を出したんだ。今晩、もう一度会うことになってるんだ。これで決 まるかもしれないな」父は満足そうに、私たちの顔を順々に見た。「これで、一件落着ってわけ その時だ。私が口をはさんだ。「ビーダーマイヤーの家具は私のだからね ! 」 父が驚いたようすで私をじろっと見た。「なんだって ? 私のものだって ? うちではなんで も、家族みんなのものだ」 「そんなことないわ。私が相続したのよ。私、手放すつもりはないわ」 「ザビーネ ! 」父の声が小さくなった。本心では、どなりたいと思っているときに、父の声は、 決まって小さくなる。「うちでは、なんだって、家族みんなのものだ。家具を売って手に入るお 金が、新しい家のために必要なんだ。新しい家は、おまえのものでもあるんだぞ」 「私は、あんな家、欲しくなんかないわ」私は言い返した。「欲しがってるのはパパでしよ」 「今におまえが相続するんじゃないか」 「ばくもだよ」べアティが、かんだかい声で言った。「ビーネだけじゃないよ」 「おまえもだ」父が言った。「おまえたちふたりだ」 だんだんと私は腹が立ってきた。新しい家。私はそんなもの相続するつもりはなかった。両親

6. ゼバスチアンからの電話

の人、見たことがあるもの。ねえ、私、気分が悪いわ」 「あの店、この近くのはずなんだ」とゼバスチアンは言いはった。でも、店は見つからず、私た ちは歩き続けた。ぐるぐると同じところばかり回って、また気の狂った女の人のいる橋にもどっ て来た。おなじ路地を行ったり来たり。とうとう私は吐いてしまった。ゼバスチアンも、やっと かれこう力い あきらめた。彼は後悔していた。私に謝った。そして、とてもがつくりきていた。それで私の方 が彼を慰めるはめになった。 「そんなにがっかりするほどのことでもないじゃない」と私は言った。 それつきり、ゼバスチアンは私に謝りはしなかった。 がまん 「あなたの言うとおりだわ、ギーザ」私は言った。「私、だんだん我慢するようになってった。 で、気づいた時にはもう手遅れだった」 ひさん 「結末は悲惨なほうがいいわよ」ギーザは言った。「この次はもっと、うまくやれるじゃない」 いっしょ 「この次 ? 」私は首をふった。そして、また感じていた。ゼバスチアンと一緒にいてどんなによ かったか。ふたりならんで横たわり、彼が私を優しくなでてくれた時。私はすっと、こわかった。 一緒に寝るって、どんななんだろう。痛いのかしら ? その後はどうなるんだろう ? でも、あ の時、ゼバスチアンと一一人でポート小屋にいた時には、ほんとになにもかもが自然であたりまえ だった。なんにも驚くようなことですらなかった。ただ、二人であることの喜びがどんどん増す おく くる

7. ゼバスチアンからの電話

がいつまでも死なないで、あの家を持ち続ければいいんだ。私はビーダーマイヤーの家具をいっ までも持ち続けるんだから。 私は父にそう言 0 た。そして続けた。「おじいちゃんのそのまたおばあちゃんだ 0 て、このい すに座ってたのよ。そして、いっか私に子どもができたら、子どもたちもこのいすに座るの。こ わた ういうのって、すごいことだと思うわ。この家具は渡さないからね」その時、ことわざがうかん かたみ だ。「『親の形見をなくしたものは肩身がせまい』」そう言ったとたんに、私は笑いの発作のよう なものにおそわれた。ものすごく興奮したりすると時々、そういうふうになるのだ。私はそこに つったったまま、笑っていた。 父は自分のことをばかにしているのだと思って、かんしやくを起こした。そしてどなり始めた。 ししか、おまえはまだ十八にもならないんだからな ! 」 「だれが決めるのか、すぐにわかる。 とっぜん、私は気持ちが落ち着いた。「じゃあ、なに ? 」私は言った。「ババは、私の家具をよ こどりするつもり ? 」 「ザビーネ ! 」母が叫んだ。「パパに向かって、そんなものの言い方がありますか ! 」 ババはなにしたっていいって言うの ? 私を町から無理やり引きすりだしたり、私 「だって , いなか のものを取り上げたりしていいって言うの ? 私に聞きもしないで。ただ、ババが田舎で土をひ つかき回していたいっていう理由だけで ? 」 「ザビーネ ! 」母がもう一度叫んだ。

8. ゼバスチアンからの電話

かれ ゼバスチアンのお母さんは、彼のことをまるで知らなかった。彼はたばこも吸わなかったし、 ふる お酒も飲まなかった。手が震えては困るからだ。まして、麻薬だなんて ! ありえないことだ。 「ばくは、公衆便所でくたばるなんて、ごめんだ」と彼は言っていた。「ばくはヴァイオリンが 弾きたいんだ」 かみ ゼバスチアンのお母さんが、私の髪をなでた。「あなたがいてくれてよかったわ、ザビーネ。 めんどう あなた、あの子の面倒をみてくれるわね」 私はうなずいた。 「あなたと私、ここだけの話よ。私がこんなこと言ったなんて、あの子に知れたら、たいへん。 私は後ろにひかえて、あなたが前に立っている方がいいわ」 こんな具合に進んでいった。一日一日少しずつ、私は、彼女が私におしつける役割に入りこん とりで でいった。ゼバスチアンの砦、そして支え。 いっしょ 「あなたたち、一緒に暮らしたらどうかしら」彼女は言った。「手助けはするわ。経済的につて ことだけれど」 「うちの父は、どっちみち、私に大学入学資格試験を受けさせる気がないんです」私は言った。 「来年から銀行に勤めれば、私も少しはお金をかせげるし」 「そうなの ? 」あの時、ゼバスチアンのお母さんが本当に安心したように私のことを見つめてい 115

9. ゼバスチアンからの電話

味を持たせたいって気持ち。そういうことかもしれない」ゼバスチアンは、もっと体を近づける と、私に手を回してきた。 「本当にあるのかしら、死後の世界って ? 」私は聞いた。 かれ 「よくわからないけど」彼は言った。「もしかしたら、音楽と似ているのかもしれないな。ばく そしていっかばくが死んで、 がヴァイオリンを弾くだろ、バッハとか、モーツアルトとか 弓を置いても : : : 音楽はなくならない。いつまでも生き続けるんだ。よみがえらせることができ しってみれば、永遠なんだよ」 るんだ。ばくにも他のだれかにも。メロディーは、、 ばくだんさくれつ 「原子爆弾が炸裂するまではね」と私は言った。 「ばくの言いたいことがわからないのかい ? 」彼が聞いた。 「わかるわよ」 いっしょ にいた。風の音が次 この夜、初めて私はゼバスチアンと一緒に寝た。真夜中まで、ポート小屋 ' 第に強くなっていった。 , 彼の息の音、私の息の音、風の音。私には今も聞こえる。 おばあちゃんが死んだあと、私はゼバスチアンともう一度話をしたかった。私たちは、時々会 うには会っていた。学校の前とか、休み時間のホールとか、町なかでとか。「こんにちは」って 彼は一一 = ロうけど、それ以上は一言もなし。だけど、それは私のせいだった。私たちがけんかをした 7 かいだん しつものように階段の下で私を待っていた。 次の週の月曜日、ゼバスチアンは長い休み時間に、、

10. ゼバスチアンからの電話

起こすと、流れに目をやった。それから、また横になった。「どうにもならないんだ。しばらく は平気かもしれない。でも、長くは無理だと思う。わかってくれるかい ? 」 私はすぐには答えなかった。私、ほんとにわかっているのかしら ? 「きみに会いたいって、毎日思ってたんだ」ゼバスチアンは言った。「でも、いつも、やめたほ 、どうせうまくいかないって、考えちゃってさ。それが、今朝目をさました時、塀の上 に座っているきみが、目にうかんで。そして、きみならきっと、わかってくれるんじゃないカ て思ったんだ」 「ええ、わかるわ」私は言った。 でも、私はわかっていなかった。正しくわかってはいなかった。私は、ゼバスチアンを失いた くなかっただけだ。ゼバスチアンにはヴァイオリンがある、そして私にはゼバスチアンがいる。 おおよそそんなふうに、考えていた。あのころはまだ、化学も私にとって大切だった。私は、こ れでいいと思っていた。毎日少しだけ会って、日曜日にはたつぶり会って。 たくさんの日曜日。シュタルンベルガー湖、イーザー ゼバスチアンの部屋。私には永遠に 続くように思えた。永遠に続く日曜日。ゼバスチアンだっておなじ気持ちだったんだ。でも私に かれ はわからなかったけど、彼にはわかっていた。自分がヴァイオリンを、二番めの位置に下げ始め たことが。そして私は、どんどんゼバスチアンに近づいていった。・ とんどん、近くへ。ヴェニス のあの日まで。