笑っ - みる会図書館


検索対象: ゼバスチアンからの電話
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1. ゼバスチアンからの電話

夕食は二つの線路の上を進んだ。 きおく ペアティは興奮して、くり返し、くり返しその記憶に値する事故のいきさつを話していた。 「ばく、・ヘニのあとを追っかけて走ってたんだ。そしたら、いきなり、ばたっ ! で、あのくそ ったれのとげとげの鉄線があったんだよ ! 」そしておしまいには、しばらくの間、字を書くこと いだ から解放されるのではないかという期待を抱き始めた。 「だって、右手はなんともないでしよう」と母が言った。 べアティは困ったような顔をした。「でも、あんまり無理するといけないんじゃない ? 」 「いや、無理してかまわないそ」と父が言い、みんなで笑った。 これが一方の線路。予期せぬ流血事故のあとの家族の団らん。 もう一方の線路を走っているのは、父と母のふたりだけだった。ふたりとも笑っていたけど、 おたがいに相手の顔を見ようとしなかった。父がべアティと話し、母がべアティと話した。でも、 父と母とはロをきいていなかった。 「ねえ、どうしたの ? 」べアティが、だしぬけに聞いた。 「なにが ? 」母が、驚いたふうに聞き返した。 ノとママ、なんか変 「どうしたの ? 」べアティは、とほうに暮れたようすで前を見ていた。「パ。、 「きっと注射のせいだ。もう寝た方がいい」父は立ち上がって言った。「まだ「地下室でやるこ こうふん リ 9

2. ゼバスチアンからの電話

彼女はポットを持って立っていた。「わかってるわ、あなたの考えてること。大人げないって 言いたいんでしよう ? どう ? 」ギーザは笑いながら、私の前に立って部屋に入って行った。 夕方、父が車で迎えに来てくれた。雨はあがっていた。灰色の空に切れ目が広がり、とうもろ かがや こし畑がタ日で輝いていた。 「ここ、本当はいいところよね」私は言った。 「そうかい ? 」父はあまりしゃべらなかった。話をする気分じゃないようだった。 「コノテガシワは、もう植えたの ? 」 だま 父は首をふった。「そんなにすぐには終わらないさ」それから、また黙りこんだ。 めんきょ 「自動車の免許のことだけど、ママの言い分が正しいと思うわ」と私は言った。「そうすれば、 ママにとって、いろんなことが楽になるもの」 父は答えなかった。それに、私たちはもう家に着いてしまった。 ヘアティがころんで、有刺鉄線の上に 居間から、耳をつんざくような泣き声が聞こえてきた。・ 倒れたのだ。左腕に、長くて深い傷が一一本できていた。 「痛いよ ! 」・ヘアティは泣き叫んだ。「すごく痛いよ ! 」 「どうして、こんなことになったんだ ? 」父が聞いた。「二本も傷があるじゃないか , ばかなことをするのは、おまえだけだ ! 」 たお むか ゅうしてっせん こんな 1 必

3. ゼバスチアンからの電話

かわりにべアティが、にやっと笑った。「今週、数学のテストがあったんだ。ばく、やらない ですんじゃった。助かった ! 」 「なに言ってんのよ」私は言った。「入院するより、悪い点のほうがまだましよ」 べアティは私をいぶかしげに見た。「今はそう言うけどさ。もし本当にばくがひどい点とって きたら、どうなると思う ? 大騒ぎだよ ! 」 私はべアティの上にかがんでキスをした。「すぐによくなるわよ、ペアティ」 「よせったら」べアティはくちびるをぬぐった。 看護婦のゲルトルートさんが入って来て、私にもう帰るように言った。 「あした、また来る ? 」べアティが聞いた。私はうなずいた。 「クレーメンスがさ、ぬいぐるみを欲しがってるんだ」ペアティは言った。「ばくの古いウサギ、 、 ? クレーメンス ? 」 持ってきてよ。それともサルのほうがいし 「ウサギがいい」と、クレーメンスは一一 = ロった。 「じゃあ、ウサギね」べアティは大きく息をついた。「寝てばっかりいるから、背中が痛いよ」 私は背中をさすってあげた。「もうじき家にもどれるわ、べアティ」 つか べアティは疲れた顔をしていた。それに、泣きたいような顔もしていた。 「さあ、もうお帰りください」ゲルトルートさんが、私を病室から押し出した。外へ出ると、ゲ わき ルトルートさんは、私の脇に立った。 さわ 1

4. ゼバスチアンからの電話

かがや 「もうちょっと遅かったら、帰ってたよ」 「すいぶん待った ? 」 「十分」 それなら、ゼバスチアンだって遅れて来たわけじゃよ、 オしか。私はまたいらいらしてきた。いっ だってこうだ。はじめは、ゼバスチアンに会えるだけでいいと思っているのに。そのうち、いら かれ いらしてきて。そのことを彼に気づかれるのが心配で。 だ みけん ゼバスチアンが私を見つめている。眉間のしわはもう消えていた。笑って、私を抱きよせた。 「プンプンプン、みつばちちゃん」ゼバスチアンが言った。 「ふざけないで、ゼバスチアン」 「ばくは遅れたってかまわないのさ」と彼は言った。「きみはだめだよ」 「ばかなこと言わないでよ」そう言いながら、私はもう笑っている。 私たちはならんで座った。ウェイトレスがチョコレートアイスクリームを運んで来た。太陽が 輝いている。なにも一一 = ロうことはない、と私は思っていた。 「あんまり時間がないんだ。まあ二時間ってとこかな」 「だって、今日は午前中に練習したんでしょ ? 」 ゼバスチアンは首をふった。「午前中は、うまく集中できないんだ。午後にならないと、うま くいかないんだよ」 おそ おく

5. ゼバスチアンからの電話

て ? おまえ、あんなに数学できんのに。税理士になれよ。昼間働いて金かせいでさ、ヴァイオ ハンネスになら、び リンなんて夜弾きゃいいじ なしか。もうかるぜ、税理士って」税理士 , ったりかもしれない。でも、ハンネスの数学ときたらみられたもんじゃない。 こう ゼバスチアンが人差し指で私の手の甲をなでている。「行こう。うち、だれもいないんだ」 私は、首をふった。 かれ 「どうしていやなんだよ ? 」彼が聞いた。 ムは、もういやなの、と言った。 もういやなの、と言いながら、私は、自分がなにもかもだめにしてしまいそうで、こわかった。 でも、そう言わずにはいられなかった。今みたいに、こんなふうにしているのが、本当にもうい やだった。いつもせかせかして、会ったと思ったらもう帰る。その間に時計ばかり気にして。前 はちがった。ふたりのための時間があった。いろいろなことを話し合った。そして、ふたりはひ とつだと感じていた。映画や劇を見たり、スキーに行ったり、晩に友だちと会ったり。なにもか もゼバスチアンの思いどおりに、彼のつごうに合わせるのは、もうたくさん。いくら彼に才能が あるからって、彼には気づかいが必要だからって。私はもう、じゅうぶん彼に合わせてきた。こ れ以上はいや ! 「わからないの ? 」私は大きな声でいった。「もういやなの ! 」 「そんな大きな声出すなよ。町じゅうの人に聞こえるじゃないか」ゼバスチアンは言った。 ひ

6. ゼバスチアンからの電話

「ティモ ? 」母が聞いた。「ティモっていう名前なんですか ? ええと、私、やってみます。す ぐに申し込み書、書けますか ? 」 「証明写真をお持ちでしたら」イルグナーさんが言った。 母はハンドバッグを開けた。「持って来ました」 「どうして、ちゃんと持ってるの ? 」私は驚いて聞いた。 母はうしろめたそうに私を見た。「ギーザのお母さんが、申し込みには証明写真がいるって、 教えてくれたのよ。それで念のために、写真をとっておいたの」 私は笑った。念のためになんて ! 母も笑った。なにがそんなにおかしいのか、わかるはずも いっしょ ないのに、イルグナーさんも一緒になって笑った。お客様へのサービスなのだろう。 「さあ、これで、いつでも始められますよ」イルグナーさんは言った。「明日の朝、お迎えにあ がっていいですか ? 教習の第一時間めに ? 」 「まあ、たいへん ! 」母は言った。 私たちは、家へと自転車を走らせた。乾いた草の匂いがした。六月。ェッラーリンクに引っ越 して来てからもう二カ月になる。 「・ヘアティには、まだ一言わないほうがいいわね」母が言った。「あの子は黙ってられないから」 「でも、どっちみち、いっかは。ハ。ハに知れるわよ」私は言った。 かわ だま

7. ゼバスチアンからの電話

なんですもの」 こっちはそれほど風が来ないから」と私は言った。 「前に座ってください しいの。ゼバスチアンは、あなたが隣にいるほうがずっといいんだもの」 「そのとおり」ゼバスチアンが笑いながら言った。「損な役回りは、母親の仕事」 「なに言ってるのよ」と私が言う。ゼバスチアンのお母さんが笑い、私も笑う。 ポローニヤで高速道路を下りる。お母さんが、海沿いの道を行きたがったからだ。二十五年前 とうぎ まっ とおなじように。「センチメンタル・ジャーニーよ」と彼女は言った。農家、陶器工場、松林を まるで時間が止まっ 眺めては、くり返し言う。「少しも変わっていないわ。あのときのまま , てしまったみたい」 しかし、ラヴェンナから海べりへ車で降りていくにつれて、止まってしまった時間のかけらも えんとっ 見当たらなくなった。松もなく、畑もなく、そこにあったのは、工業だった。煙突、配管、タン ク。巨大な工場施設が立ちならんでいた。海底油田が発見されたのだ。私たちの横を通りすぎて いくのは、精油所、化学工場、そして化学肥料工場だった。 きゅうか ークーゼン社だ」ゼバスチアンが言った。「ばくらはここで休暇 「イタリアのバイエル・レー をすごすってわけさ」 ハンガローは海のすぐそばにあった。朝起きると、べッドからそのまま海へ走っていけた。実 際に、そうすることもあった。でも、いつもというわけにはいかなかった。水があまりにもきた となり

8. ゼバスチアンからの電話

私はテープルにつき、新聞を取って、アフガニスタンでの戦争の記事を読もうとした。 ちゅうしゃ 「今朝、またちょっとやっちゃったのよ」母は言った。「駐車する時、フェンダーぶつけちゃっ 「ひどく ? 」 、くる 「たぶんね。イルグナーさん、怒り狂ってたもの。あとになって、きまり悪かったのね、コーヒ ーをごちそうしてくれたわ。『私はちゃんと保険に入ってますからね、ハラーさん』なんて言う こうふん のよ。『なにもあんなに興奮する理由はないんです ! 』って。おかしいと思わない ? 」母は座っ て、手を見ている。指も爪もサクランボの種を抜いたせいで、真っ赤になっていた。「早く終わ あくむ ってくれないかしら、この悪夢」 めんきょ 「あと、三週間じゃない。たった三週間よ ! そしたら、なにもかも笑い話になるわ。免許さえ とれれば、もうこっちのものよ」 かた 「そうね」母は自信なさそうに肩をすくめた。「そうだといいんだけど。、 しつかはすんでしまう んだものね。あなたの、大学入学資格試験と同じよね」 だ とっぜん、私はどうしても母を抱きしめたくなった。「今のママ、とってもすてきだと思う」 私は言った。 「そうお ? 」母は笑った。「私、自分でもそんな気がする。私たち、少しずつ、大人にならなく ちゃね、ビーネ」

9. ゼバスチアンからの電話

悩んでいるのか、どうやって知ればいいの ? なんにも話してくれないんだもの」 はだし 母は、まだ裸足のままだった。私は玄関に行って、室内ばきを取って来た。 「ありがとう」母は言った。「ビーネ、今の私、どっちつかずで、だめね。 ハ。ハとママは、今ま いっしょ でなんでも一緒にやってきたのよ。それが、今度は : ・ : ・」母は、ティーバッグをひとつ、ポット に入れると、やかんの隣に置いた。「ここのところ、本当にいろいろと考えたの。今では、、 んなことが前とちがって見えるわ。だけど、私はどうしたらいいのかしら ? 」 「ママ、もうちゃんとやってるじゃない。今晩だって、ママ、本当に : : 」私は、びったりする 一一 = ロ葉をさがした。 「英雄的だった」と母は言って、少し笑った。「これからどうなるのかしら ? 。ハバは絶対に許 してくれないわ。青天のへきれきだもの」 「ババだって、考えを変えなくちゃいけないのよ」私は言った。 ちょうどその時、父が台所へ入って来た。 「ハインツ、お茶は ? 」母が聞いた 父は返事をせずに、冷蔵庫からビールを出した。 ノインツ」母は言った。「ビーネから聞いたわ。ふたりで話したこと。大学入学資格試 験のことで : : : 」 「そうか」父は、母を見ようともしなかった。 となり げんかん 208

10. ゼバスチアンからの電話

「元気になったら、うちに来いよ、クレーメンス」退院する時、・ヘアティは言った。「ママ、 いでしょ ? クレーメンスはばくのべッドで寝ればいいんだ。ばくは、エアーマットだってある ししか、クレーメンス、うちに来るんだそ ! そしたら、いろんなもの見せてやるから」 クレーメンスがうなすいた。そして、なんと、にこりと笑った。でも、たぶん、クレーメンス は来られないだろう。もう、助からないだろう、とゲルトルートさんが話していた。はっきりそ うと言ったわけではないけど、私たちには、それがわかった。 ペアティは、こんなこと知る必要はない。まだ何回か、病院にお見舞いに行くだろう。べアテ そのうちペア イには、それから、クレーメンスはよその病院に移されたんだって、言えよ、 テイも、クレーメンスのことを忘れるだろう。モーザー・べニが毎日たずねて来るだろうし、今 にまた学校にだって行かなくてはならなくなるし。 しょ - っげ・き 「さあ、これで、あの朝の衝撃もついにおしまいだな」べアティが車から降りるのを助けなが ら、父が言った。「もう二度とやるなよ。もう、たくさんだからな」父は、明るく言おうとした のだけど、うまくいかなかった。父の心配事は、ますます大きくなっているようだった。おまけ に会社のほうまで。社長のメラーさんは、どうやらもう仕事に復帰できそうにないらしい あと うことは、つまり社長の息子が跡をつぐことになる。 「よりによって、あいっとはな ! 」父は言った。「あいつは、クルミとオークの区別すらできな いんだから」 156