報告を受けた後、私も十月の初めに後を追いかけた。 サンチャゴに着く 初冬の日本に較べサンチャゴは暑いだけぞなく 、非常に乾燥しているのに驚いた。飛行機のタラップを降り たとたんに唇がひきつる。市内の至る所に「水を節約しよう」と書かれている。この冬の間のアンデスの降雪 が少なかったのて融雪水に頼っているサンチャゴも水不足になったのだ。チリー在留邦人や大使館の皆さんの 温かい歓迎を受けて嬉しかったが、サンチャゴてはパタゴニアについて知っている人がぜんぜん無いのに驚く いよいよ秘境に向かうという意識がたかまってきた。 チリーの政権は短い期間に次々と交替が起こったが、この頃は軍が政治を支配していて、気象台も海洋観測 所もすべて軍の機関てあった。私たちが行こうとしているパタゴニア地域へは交通の便がきわめて悪い。した がって、漁業や林業に従事する人達も定期的にこの方面へ向かう軍艦への便乗が許されていた。そのことを耳 にした私たちも、やっと頼み込んて軍艦に乗せて貰えることになった。 軍艦に便乗 私たち六名の隊員と大量の荷物を乗せた軍艦アギラ ( 鷲の意味 ) は十一一月九日、チリーて最も美しい港の一つ ヾル。ハライソから太平洋南下の航海に出発した。太平洋の大波はさすがに雄大て周期が長い。食堂ては、今食 I 南水床探険紀行
べている皿一枚だけをしつかり持っていなければならない。皿を手に持った私は椅子に乗ったまま、テー。フル を離れて後ろへゆっくり滑り、壁の近くから再び滑って戻ってくる。山には強いわが隊員たちもさすがに食事 をぬいて寝ていることが多くなってきた。サンチャゴては晴れつづきだったのに 少し南へ来た けて毎日雨 が降る。船酔いにも少しれてきたころ、サンチャゴてやっと手にいれた米軍による航空写真を広げて作戦会 議をする。写真とはいえはじめてわれわれの前に姿を見せた。ハタゴニアに興奮して見入る。南水床の中央付近 から西に流れる雄大なビオ十一世水河を目標とすることにした。出港してから四日目には大陸鉄道最南端の駅 がある南緯四一一度のプエルト・モントの近くの海岸に接岸しこ。 オここまて陸路を来た神戸の六甲学園山岳部の 一行が乗りこんてきて合流する。太平洋の長周期の大波に揺られてきた私たちは、潮充は速いが鏡のように波 の消えた内海に戸惑いを感じる。チリ ー北部の乾燥地域にくらべてこのあたりは雨が多く、緑の常緑樹て覆わ れた海岸線を眺め、北のほうにそびえる富士山そっくりて白雪を冠したオソルノ山 ( 高さは千メートルほど低い ) を見て、日本に戻ったような安心感がよみがえる。一方、行手遥かに水雪を項いた山々がみえてくる。つい ハタゴニアに来たのだ ここか、ら南へフィヨル、ド」一打′し」、 十五年後に再び訪れることになったサン・ラファエル水河に近づくか 艦は再びその西側にあるタイタオ半島を迂回して、太平洋の大波と再会する。南緯四八度から五十度にかけて は、大陸の東側に巨大なウエリントン島がある。この島はかって水河期の浸蝕によって出来た無数の細いフィ ヨルドによって切り刻まれていて、地図を見ても大きな一つの島か、無数の小さい島の集まりかわからないほ
どだ。私たちの艦はこの島と大陸の間に南北に細く延びているイングレッサ毎峡に入ってきた。波はびたりと ルんだが、潮流が速く、島や暗礁の多い海峡のあちこちて海水が鳴門海峡のように渦を巻いている。海面には にからみつきそ - フ。ご。しかも水面下には立日隹 ~ 大きな海草の長い帯がいく筋も浮かんていて、今にもスクリュ ートには楽しい海面だが大型船には最大の難所て、一万トン級の大 が数多く隠されていて、小型のモータ 1 ポ 型商船をはじめいくつかの船が坐礁したまま残骸を止めている。ここぞ亡くなった多くの人たちの霊をなぐさ め、これからの航海の安全を守るため、岸には背の高いすらっとした純白のマリア像が立てられている。緊張 して舵をとる艦長の顔と見くらべていると、ライン川のローレライのように吸いよせられそうになる。 プエルト・エデンへ来た 一週間の航海を終えて私たちは夢にみたプエルト・エデン ( エデンの港 ) ~ 着く。沖合いに停泊した艦上から いくつかのバラック小屋が点在している。どうやら住民も文献て読 見ると、少し大きな建物とそれを取り巻く んだのとは違って、裸てなく服を着ているようだ。荷物は水兵さん達が上陸用舟艇て運んてくれ、私たちは乗 組員と名残りを階しみながら港へ向う。 ハタゴニア上空は世界中ても最も気流の悪い所といわれ、そのためここに空軍の気象観測所がてきている。 ( / 学校があって、校長さん夫妻とその子 トロさんという所長さん以下四名の所員がおり、思いがけないことこト、 供達もこの観測所に同居している。小学生は付近の島々からも小舟てやってくるが、観測所のまわりは原住民 I 南水床探険紀行
アラカルーフ族の保護地区となっていて、百人たらずの住民がおり、その子供達の一部も学校に通っている。 この付近の表面海水温はフンボルト海流の影響て夏は十度ぐらい、冬ても五度ぐらいと比較的高く、したがっ て気温も暖かめてある。この海流は南米大陸の太平洋岸に沿って延々と流れているが、パタゴニア付近ては相 寸的に暖流てチリ ー北部やベルーては相対的に寒流の性質を持つ。しかし深いところは水河の融水て大変冷た 雨量が多いため地表は湿原となっていて、樹木は常緑樹ばかりてある。周囲の山々は、五ー六百米より上 は、夏ても鹿の背中のようなまだら模様の雪に覆われ、山々の頂上はその昔水河によって磨かれ、まんじゅう 型をしている。湿地帯は緑鮮やかな草て覆われ、上を歩くとぶかぶか揺れるところがある。湿原の苔の間には 可愛い小さな花が一面に咲き、星をちりばめたようだ。 一日に何回か強い風が時雨 ( この辺てはシュバスコスと いう ) を伴って吹きわたるかと思うと、またたちまち青空がひろがる。青れている間は日射しもやわらかく、天 国の楽園かと思われるほどのどかておだやかな景色となる。われわれは水河に通ずるフィヨルドの偵察をした 船便の情報を集めたりして、一月二日まて半月もここに滞在した。私たちが最初に使う予定て日本から持 ってきていた船が故障したために出発が遅れていたが、元旦にたまたまエデンにやってきた船が丁度手頃の大 きさだったのて、正月の祝に酒を汲み交わしながらチャーターの交渉を続ける。最初は二千エスクード ( 日本円 て約八万円 ) といっていたが、酒の勢いてとうとう三百エスクードとラジオ用の単一電地六個て一日の航海と決 、 0
氷河へ出発 船長の酔いが覚めるのを待って三日の早朝にやっと出発することになった。幸い雨もあがり、島の人たちに 送られて南東方向のファルコン水路へ入ってい く。船足は予想以上に夬調て、午後になると水路の奧から大き な水山が一つ姿を見せ、やがてはるか前方に水河が見えはじめる。このあたりては風向きが東風に変わるとフ イヨルドの奧から水路一杯に流水が羊の大群のように現われ、航行出来なくなるが、今は追い風て流水群は水 路の奧深く押し込められていて、夕方には予定していた海岸に到着する。私たち六名と大量の荷物を陸暢げし た船は早々に引き返してい フェルト・ エデンのトロさんが毎日一回、気象用無線て天気予報その他の簡単 なニュースを放送してくれるのを、海岸に二十メートルほど張ったアンテナを利用して聞くことにしたが、こ ちらからは送信する手段がない。 たとえこちらに事故が起こっても 一月の末に船て迎えにきてくれるまては、 陸続きに帰ることも不可能て、まさに「島流し」にあったようなものてある 翌日は水河の偵察に出かける。湿地帯を浮草の上をえらんて飛び移ったり、灌木を手て押しのけたり、川を 、さい峠の向うに突如として目的の第十水河が見え、 護ったり、ナンキョクプナの林を分けて数時間行くと」 「遂にやってきた」という喜びが狒き上がる。ファルコン水河の奧深くかくれているこの水河は、かって飛行 機から望見した人はあったかもしれないが、自分の足て近づいたのは私たちが世界てはじめててあろう。水河 だけぞなく、この付近の山々も湖も森もすべて処女地てある。この水河はパタゴニア南水床の南緯五十二度付 近から、西に約十キロメートル、 落差にして千メートルほど流下している真白の美しい水河て、幅は末端て二
キロメー -z- ル、 いだ。水河の末端は近年後退した形跡があり、今ては 上流の広いところぞ五キロメートルぐら 直接海にまて達していなくて、直径二十キロメートルぐらいのとなっている。意外だったのは、水河の近く ぞも、日中気温は十五度ぐらいあることてあり、青れた日には上半身裸ても寒くない。年間降水量は、日本の 四倍以上もあり、水河が後退するとすぐ樹木が成長する。 海岸に上陸して二日目から、湖畔の前進キャンプまての荷物の運搬がはじまる。ヒマラヤ登山の場合はポー ターを雇うことがてきるが、ここぞは働いてくれる人がいない。隊長の私は炊事当番をやり、他の五名が毎日 海岸から湖まて往復五時間ほどのボッカ ( 荷物運び ) てある。私ははじめの三日ほどは海岸の、後の三日は畔 のテントて留守番をする。この湖には水河の末端が崩れ落ちてぞきた大小の流水が無数に浮いているが、北風 が吹くと流水が湖から流れ出る川の出口に詰まって、湖から川への流れが急に停止する。最初に夜半に湖面が 上昇してテントの中の枕元まて波が近づいた時は理由が分からず驚いオ 氷河に立っ 一月十五日にい ( 六人が よいよ全員。て水河の上に登ることにした。日本から持ってきた真っ赤なゴムボートこ、 乗る。真ん中の席は隊長・副隊長て何もしない。後の二人は付近の木を切り削ってつくった櫂て一生懸命漕ぐ 前の二人は水先案内をしながら手に持った櫂て舵取りをし、浮水を押しのける。大きな結品からてきている浮 水はところどころ尖っていて、ゴムボートにとっては大変危険てある。零度近くの水温ては十分間も泳いては
氷河表面の融水の流れがとまると運ばれてきた小石の重みで穴があく . 南氷床第十氷河中流 . N 17 I 南水床探険紀行
ラゴ・エカウクから第十氷河の中流を見上げる . N
ラゴ・エカウク ( ラゴは湖 , 工カウクは発見した京大探検部の略称 ) から氷河源流を望む . N
氷河湖とそ = 、落ち 0 ち 0 、さな懸垂水河 . ~