不快 - みる会図書館


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1. 平常心のレッスン

ものもあります。なっかしく思い出されることには、かって私はふっと手もちぶさたに なったとき、何が何だかわからないけれど「何かが不安で」、いてもたってもいられす 苦しくなる、ということを時々、体験していました。過去に特定の人や物や事に対して 不央になった業が心に刷り込まれ、その不快感が反復するときに、具体的な対象抜きに ただ不央になることもあり、そんなときは漠然とした不安を抱くのです。不快感を心に 刷り込むのをやめていけば、不安に陥ることはなくなりました。 不快の神経システムによって、実際には起きていないことを先読みして危険を察知す る、あるいは不安が明確な対象を持った場合は、「恐れ」という形であらわれます。動 物で考えれば、恐れを感じながら、用心深く行動したほうが生存確率が高まるのは当然 ですから、人間にもそれがあるということです。 このように、わけもなく不安になるときも、勝手に先読みして恐れを抱き苦しい状態 のときも、「また、神経システムによって不安を感じさせられているんだな」と認識す ることで、苦痛は緩和されます。あるいは、「過去に起こったことがまた起こるんじゃ ないかと、先取りして恐れを感じているんだな。あのとき拒絶したことによって、また 100

2. 平常心のレッスン

これは仕事でも同じようなことがいえます。一見苦痛に思える単純作業の繰り返しの よ、つな仕事も、そこに淡々と没入することで「楽」な感じを得ることができます。封同 の宛名張りを延々とするような仕事も、最初のうちは「退屈だな」と思っていても、一 っしかふっと楽な感じを覚えてい 定のリズムで黙々と仕事に取り組んでいるうちに、い る自分に気づくことがあります。 この「楽」な状態、セロトニンが分泌されている状態というのは、言い方を換えれば、 「記意の呪縛」から解き放されて、いま、この瞬間の感覚を味わえている状態だといえ ます。生きていることの「強度」をしつかり味わえているともいえるでしよう。 記憶に結びついて生じる大興奮や、記憶に基づいて生じる不安といったものの支配か ら解放されて、いまこの瞬間の生きている感覚を味わうために、「楽」という状態はと ても有効なのです。「楽」な状態が強まると、過去の快・不快の記憶も抑制され、平常 心の本質であるところの「快・不快から影響を受けにくくなる平静さ」が強まるため、 「央」に対する欲望の反応や、「不央」に対する怒りの条件反射が、生じにくくなります。 仮に「喜」や「怒」が生じても、元々に「楽」のべースがあれば、ニュートラルなとこ 145 3 章喜怒哀楽を、お釈迦さまはどう教えているか

3. 平常心のレッスン

拒絶せよと命じられているんだな」と過去も含めて、認識するのです。 そうすることで不安による苦痛は取り除かれ、落ち着きを取り戻すことができます。 大切なのは普段からの「自己認識」の積み重ねです。 先に申した結論をここで繰り返します。怒ったり、不安になったり、嘆いたり、恐れ て え しつもニュートラ たりするのは「いまの自分にとっては自然なこと」と受け容れつつ、 教 、つ ) 、。「絶対に怒らないぞ」とムキになって ルなところに一民ってくるよ、つにしてやるとしし いるのが平常心というわけでも、ありません。そうではなくて、そういったカみを離れ さ て、怒ってしまう自分をも恐れてしまう自分をも柔らかく受容しつつ心の揺れを静める お ことのできる柔軟性のなかに、平常心というものがあるのです。 を 楽 怒 ドーパミンシステムはうまくいくか ? 喜 つかさど 章 これまで「央 / 不快」のうち、主に怒りという感情と、それを司る神経システム ( ノ ルアドレナリン ) について見てきて、そのシステムではうまくいかないことがわかりま パミン」にしたがって生きていればうまくいく した。それでは「央」に関係する「ドー

4. 平常心のレッスン

嫉妬という感情そのものが苦しいものであることは間違いありませんし、嫉妬という 感清に支配されて、かえって自分がやるべきことが疎かになるケースも多いでしよう。 そうなってくると、央・苦のシステムが生存に有利になるどころか、かえって不利に 働いているといわざるをえません。 もう一つ、嫉妬の他に「苦手意識」という問題もあります。たとえば、ある仕事に失え 敗した、人前でうまく話せなかった、苦手な上司に叱られたといった場合、不快の神経 回路が活性化して、それに対して怒り、その状況から逃げ出したくなります。これが繰 り返されて「苦手意識」にまでなってしまうと、同じような状況に陥ったときに、ます ます、つまくすることができなくなります。 もちろん、状況から逃げ出すことができればそれでいいというときもありますが、逃 げてばかりいては社会人としての役割をまっとうすることができないことのほうが多い 喜 はずです。 また、好きなことをしているのに、ちょっとした失敗を心に刻んだせいで、「好きな のにやりたくない」、といった状况に陥ることもよくあります。

5. 平常心のレッスン

怒るという業を積むと、必すその報いを受ける あることに失敗して、その瞬間にとても興奮をして、「うわあ、いやだ、ダメだ」と る 思ってノルアドレナリンの回路を活性化させてしまうと、それと同じような状況に立た て 、ん されるたびに、同じ神経状況が自動的に再現されるようになります。ノルアドレナリン 教 が条件反射的に分泌され、「はい、苦しいですね。回避しなさい、逃げなさい」という 指令が、好むと好まざるとにかかわらず下されるようになるのです。 さらには、同じような状況に立たされなくても、似たような情報を見たり、聞いたり お しただけで、心理的な不安や恐怖が襲ってくることもあります。ノルアドレナリンが自 を 楽 動的に活性化して、身体と心がつらい状況をつくるのです。 怒 わかりやすい例でいえば、部長に厳しく叱責されたあとに、遠くに部長の顔を見ただ 喜 けで、胸がドキドキとして、不快なイヤーな気持ちに占領されてしまうようなことです。章 このような失敗による苦手意識、あるいは何かを悲しむということも、その状況を受 け容れたくない、拒絶したいという意味では「怒り」と同じことです。

6. 平常心のレッスン

ではノルアドレナリンという神経伝達物質が放出されて戦闘的になるといわれています。 不快な状況に対して怒り、拒絶しようとするのです。 たとえば、鶏の檻の前に野大が現れたら、鶏は生命の危険を感じ、とても不快な状態 る となって、ココココーツと大騒ぎをします。そしてその不都合な状況を打開するために、 て え 闘うか、もしくは逃げるという行動を取るように条件付けられているわけです。檻の前 教 に野大がいるというのは、檻があるので安全かもしれませんが、檻のせいで逃げること ができませんから、鶏にとっては、とても苦痛の状態であると想像することができます。 さ このように人間も含めた動物は、自分の生存にとって好ましいことにはド ーパミンを お 分泌し、好ましくないことにはノルアドレナリンを分泌する、「央 / 不快」の条件付け、 を 楽 仕組みで生きていると捉えることもできます。 怒 喜 章 好き / 嫌いのシステムで、うまく生きることは難しい 「楽」についての説明は後回しにして、この「央 / 不央」「ド リン」のシステムについて、もう少し考えてみましよう。 ーパミンノルアドレナ

7. 平常心のレッスン

喜怒哀楽を、お釈迦さまは どう教えているか 仏道式・感情コントロール 怒と哀 怒ると必ず 報いがあると知る 怒りという「業」を積むと 負のフィードバックがある 怒っているときこそ、 心をモニタリング ノルアドレナリンの ・命令だなと認識する 喜と楽 快と不快は コインの裏表と知る 快を追い求めると、 必ず足りなくなって苦しくなる 「もっともっと」というときは、 心をモニタリング ドーパミンの命令だなと認識 人は記憶に 呪われている 快・不快、喜怒哀楽に : 執着せずに、「そういうものだな」と : : 受け容れて、捨て置く のま辷 農

8. 平常心のレッスン

る て え 教 楽 お ・不快 : : : 怒 ( 哀 ) を 楽 喜びが生じて興奮しているときには、脳内でド ーパミンという神経伝達物質が大量放 出されていると考えられます。脳内は非常に複雑にできていますから、一つの神経伝達章 物質だけで単純化して説明することは少し乱暴なのですが、大雑把にはそのように捉え ることかできるでしよ、つ。 一方、「怒」と「哀」は、二つともマイナスの感情です。「怒」は嫌だと思って怒り、 拒絶している状態です。「哀」は悲しんでいる状況ですが、起きてしまった物事を受け はんちゅ、つ 容れたくない、拒絶したいという心理であり、その意味では「怒」と同じ範疇の感情と して捉えることができます。この二つは「不快」な状態です。 ・ : 喜

9. 平常心のレッスン

じてしまう。そのことで、央を求めていたはずの心に、 かえって不快な状態が生じてし ま、つのです。 あるいは、職場で新入社員は最初は優しくされるケースが多いです。これも徐々に本 る 人の成長のためも考慮されつつ、手取り足取りの指導は減り、これまで先輩が手伝って くれたことも、自分でやらなければならなくなります。これは自分の成長のために必要え 、つ なんだとわかりつつも、これまでしてもらえたことをしてもらえなくなることに、不条 理な寂しさを感じるのも人間なのです。 このように、人間の優しさというのは、通常知り合って最初が一番優しく、慣れ親し お んでくるにつれて、徐々に減っていくのが普通です。たとえ優しさの水準が最初の頃と を 楽 という人がいたとしても、私たちの心には必す「置れ」が 一〇〇パーセント違わない、 生じますから、同じ水準の優しさが奇跡的に維持されてすら満足できなくなるのですか 喜 章 ら、ましてや減ってゆくことは余計に苦痛でしよう。 つまり・、ド ーパミンによる「央」は、「足りない」「 ( 叔しい」「 ~ 古しい」といった「不 ハミンは「手に入れたい」という 足による不快」と密接に結びついているのです。ドー

10. 平常心のレッスン

状態は、必ずしもばーっとしているときにだけ訪れるわけではありません。たとえば走 るのが好きな人は、一生懸命走っているときに心がリラックスしていれば、その状態を 「楽」と解釈して差し支えありません。 る て え こたわらないのが「楽」の共通点 教 「楽」な状態、リラックスできる状態は人それぞれですけれども、すべての「楽」に共 通して〔るのは「あれこれとこだわらな〔」と〔うことです。ものすごく「しくて追〔 求めるとか、ものすごく嫌で逃げるといった状態とは対極にある状態です お 痛いとか寒いとか暑いとか、音がうるさいとか、職場で同僚からちょっと嫌な扱いを を 受けているといった状態に対して、私たちはすぐに回避行動を取りなさいという「不楽 怒 快」からの命令を受けます。この際、快・不快を感じる原因は、過去にそれらを見たり 喜 章 聞いたり触れたりした際に「いいものだった」とか「悪いものだった」という、記憶が 呼びさまされるからです。こうした快・不快の記憶が活性化するとき、脳の扁桃体と呼 ばれる部位が活動を活性化している、といわれています。けれどもたとえば「不央」の