っこにはこのプライドの問題が横たわっているように思われます。、つつ病の真の原因は まだ医学では確実には解明されていないようですが、プライドから考えてみると見えて くることがあります。 真面目で責任感が強い人ほどうつ状態に陥りやすいといわれていますが、見方を変え わざ ればそれは、「自分はここまでできるはずだ」という過剰なプライドのなせる業だと捉 えることもできます。プライドの高さが「現実にはできない自分」を許してくれす、そ の結果、心が自分自身を罰してョレョレになってしまうのです。 あるいは、最近増えているといわれている、「周りが悪い」というタイプのうつ。会 社で自分が思い通りいかないのは、周りが悪い、周りが自分を正当に評価してくれない からだ、というタイプのうつですが、これも自分のプライドが満たされていないことが 根っこにあるのは同じです。満たされない原因を自分ではなく他者に求めて、自分を責 める替わりに、他人を責めているのです。 いずれもプライドが、「理想の自分」と「理想通りではない現状の自分」を較べて、 その結果、心が苦しんでいるという状態です。
しまっていると申せるのです。 アイデンティティと無我 このように他人や過去の記憶と比較してしまう心の動きには、一定の意味があると思 われます。「プライドⅡ漫」によって他人や過去と較べ、その結果気持ちよくなったり、 落ち込んだりするわけですけれども、両方の場合に共通するのは「自分は〇〇というタ イプの人間ある」というイメージが、いにしみつく、ということです。 「自分は優れている」「自分は劣っている」のいずれであっても、「そのように感じてい る自分が確かにここにいる」というように、自分の存在感を確認することができます。 自分の「位置」「現在」を確認できるのです。 心は「自分はいる」ということを確認したい衝動、自分の位置を確認したい衝動を根 源的に持っていて、そのために他人や過去と較べるのだ、という解釈もできるでしよう。 こうしてこしらえられるのが西洋的考えでいう、「アイデンティティⅡ自己同一性」で あり、過去から現在まで一貫した存在としての自我を確認するために、過去を確認して 35 1 章なぜ、平常心でいられないのか ?
い」とまで一言われることは滅多になくても、テストで良い点を取 0 て、クラスで一番に なったと報告すれば親は喜ぶことが多いでしよう。 また学校では、「君だけにしかできない個性的なことをして、自己実現をするのが大 事なこと」という教育によ 0 て、私たちは自分は特別な存在なのだと洗脳されて育ちま す。しかしながら、あいにく現実には私たちはさほど特別な才能に恵まれているわけで もありませんから、無理をしてでも「他人とは違う、特別な自分」をつくりあげるべく、 四苦八苦するはめになるのです。 こうして成長の過程で、「特別な自分」というプライドをぶくぶくと肥大させながら、 私たちは、「他人とは違う優れた点のある自分」というものをアピールすることで、自 分の存在意義を確認しようともがくようになります。 それは勉強では一番になれなくても、面白いキャラがあることだ 0 たり、洋服のセン スだ 0 たり、あるいは話し上手、聞き上手、などさまざまですが、他人と差別化して、 「自分は人よりここが優れていますよ」と主張することで、自らの存在意義と商品価値 を高めていくのです。 29 1 章なぜ、平常心でいられないのか ?
用すると、その薬に対する耐性がつくため、同じ量では効かなくなって、より強い薬が 必要になるような状態です。 そしてまた褒められることに置れていくと、反対に褒められないこと、批判されるこ とについて、どんどん傷つきやすくなります。 「この私ど、つ田 5 、つ ? ・」 「良いんじゃないの」 といった反応では満足できませんし、「イマイチだね」などと言われようものなら、 激しく落ち込んでしまいます。 そうやって「執着」が進んでいくと、「絵」、あるいは「絵画」という情報にとても過 敏になっていきます。他人の会話が耳に入っていないときでも、「え」「かいが」という 単語だけが突然耳に入ってくるような状態です。わかりやすい例でいえば、人は自分の 名前には慣れ親しみ、「執着」があるものですから、カフェでお茶をしていて隣のテー プルに座っている赤の他人の会話のなかに自分の名字や名前が混じっていると、自分に は関係がないはすなのに、ハッとしてついそちらに意識が行くような状態に似ています。
世の中では人の「商品価値」が問われる 商品価値、というのは何も極端な表現ではなく、労働市場においては、労働者は一つ の商品と見なされます。その商品を値踏みして、買うか買わないかを企業が決めるのが 就職活動、というわけです。 就職活動はまさしく、人と差別化する「アピール合戦」の場です。近年は不況により、 買い手市場が続いていますから、買い手がっかない自分、商品価値がない自分を「自己 否定」して、苦しんでいる学生さんがたくさんいることと思います。もしかしたら、平 常心でいるのがもっとも難しい時期の一つが、就職活動の時期といえるかもしれません。 しかしこの「他人との差別化競争」は社会人になったからといって、終わりを迎える ことはありません。人はさまざまなところで、自分と他人を差別化しようとします。 「私は有名企業に勤めている」「私は年収が大学時代の友人のなかで一番多い」といった ものや、最近では「私は誰よりも仕事をエンジョイして自己実現している。楽しんでい る」といったことにプライドを成じる人もいるでしよ、つ。
もう一つの側面は、この自我イメージとは、「膨大な過去の記憶の集積」でもある、 ということです。人は、自分を「他人」とも較べますが、それよりも頻繁に行われるの が「過去の自分、過去の記憶」と較べることです。 たとえば、五十肩になった人は、他人と較べて「あいつはまだなっていないのに」と 思うかもしれませんが、「去年は肩が上がったのに ! 」と過去の自分と較べて、より傷 つきます。そこには、老いや病という人間が避けては通れないものに対する恐怖もあり ます。 五十肩といった、いままでにできたことができなくなった、ということでなくても、 人はあらゆる場面で「過去」を参照しながら生きています。 たとえば「食べる」という行為。お鮨を好きな人が、美味しい鮪の握りを食べている とき、純粋に鮪を味わうことは極めて難しいことです。なぜなら、必す過去の記憶と比 較対照してしまうからです。「いままでで一番美味しい」とか、「この店は、前はもっと 「、ままでと変わらないこの味こそ、自分の好物なんだ」と 美味しかったのに」とか、し か、ね。現在、ロのなかにある鮪を味わうとともに、それ以上に過去の記憶を味わって まぐろ ひんばん
プライドⅱ慢の根源的な意味は「比較する」 プライドというのは、このように比較対象としての座標が必要なものなのです。較べ るのは、何度も述べてきたように、他人とだったり、自分のセルフィメージだったりし ます。較べる対象があって、はじめてプライドは成り立ちます。 このプライドのことを、仏一迫の一言特禾では「慢」といいます。「・目」「傲」の「慢」 ですね。この「慢」という一言葉にも、根源的には「比較する」という意味があります。 人間は漫によって、常に他人と較べ、自我イメージと較べながら生きています。この 自我イメージ、プライドをよくよく考えてみると、二つの側面が見えてきます。 一つは先ほども述べたように、親や社会から要請される価値基準、評価基準を受け容 れて、いつの間にか、心のなかに内面化しているということです。生まれたての子ども しい大学に行って、 しい会社に入ることが幸せだという価値基準はないでしよう けれども、親や社会からの影響によって、知らないうちにその価値基準が内面化されて いくわけです。 33 1 章なせ、平常心でいられないのか ?
の人が辞めてしまうことを見越して、毎年、すいぶんたくさんの新入社員を雇っている のです。よくいわれることですが、新聞にしよっちゅう求人広告を出しているような会 社は、人使いが荒く、社員が定着していない可能性が高いものです。 あるいは、これまでに何人も部下をうつ病や退職に追い込んでも、それをまったく意 に介さす、業績をひたすら追い求める上司もいます。 こういう人がなぜ、部下を病気にするまで追いつめても気にしないかというと、彼の 「慢」は部下が病気になってしまったことを気にするどころか、喜んでいるからです。 「自分の期待に応えられない部下は潰れて辞めても構わない」「他人の心を破壊できるほ ど、他人に影響力を行使できる支配者でありたい」と思っている上司は、部下が病気に かんてつ なって辞めるのを見て、自分の支配のやり方を貫徹できた、自分の支配はそこまで強烈 に強いことを確認して、喜びを味わっているのです。 このように、病的に支配欲としての慢が肥大した人は、残念ながら会社のなかでは一 定数存在するものです。会社は管理職に対して、仕事の「結果 ( 利益 ) 」を求めます。 結果さえ出してくれれば、支配 ( マネジメント ) のやり方は問わない、 というのが会社
れられない、受け容れたくないから、自分の頭のなかの妄想で現実とは異なる願望を抱 いて、現実の他人や自分を責めたりする。あるいは、その場から逃げ出してしま、つ。そ こには、心の動揺があります。それに対して、「これはこれでしようがないな」「この人 は、こういう人だから受け容れるしかないな」と、あるままに受け容れてゆくとき、心 は落ち着くのです。 「落ち着き」 「動じない」 価るがない」 何かよくない事態が起きたとき、ピンチのときにこそ「平常心」が欲しいと考える人 は多いでしよう。落ち着いて、動じず、揺るぎない態度で対処する。そのような平常心 を心に定着させたいと思って、本書を手に取ってくださった方も多いかもしれません。 17 1 章なぜ、平常心でいられないのか ?
がっきまと、つ、ともい、んます・。 これは、平常心とは程遠い状態ですね。最初は絵を描くことが純粋に、単純に好きだ った人が、その行為への執着を深めるにつれて、絵を他人に見せることに快楽を感じる ようになり、人の評価を追い求めるようになってしまう。絵に対する「評価」に執着す おちい ることによって、平常心と対極の不安定な状態に陥ることもあるのです。 人それそれの「条件反射」の癖 そう これは、ある種の躁うつ的な状態ともいえます。褒められれば、気持ちよくなって有 頂天になりますが、少しでも否定されると、ズドーンと落ち込んでしまいます。この快 楽と苦痛のジェットコースターに乗り込んでしまっている人は案外多いものです。 人それぞれ執着するものも違いますし、執着の仕方も違います。 たとえば、世間には一生懸命仕事をしている人は多いと思いますけれども、そうやっ て労力を投入すればするほど、周りからも認められるようになり、「仕事ができる自 分」への執着が生まれてきます。