さっきん しかし、うまれたときから、殺菌されたきれいな水のなかで育ち、人間に しぜん えさをもらいながら生きているムサシトミョは、自然の川にかえしても、生 きのびていけるとは、とても考えられません。 もとあらかわへんか しぜん しやかいきよ、ついくカ ノ丿 ( , イカおきて、自然にいるムサシトミ 社会教育課の人たちは、元荒ー ぜんめつ ョが全滅してしまうことを、もっとも心配していました。そのためにも、で はんしょ / 、 ぶんさん きるだけ数多くのムサシトミョを何か所かに分散して繁殖させて、ふたた び川に放流することにしたのです。 / 、ま、がや ひがし はんしよく この繁殖の仕事を手つだうことになったのが、熊谷市立東中学校です。 でんえんちたい ひがし / 、ま、がや 東中学校は、熊谷市内の東部、水田にかこまれた田園地帯にあります。 学校の中庭には、コイがはいっている池と地下水をくみあげるポンプがあ りました。 この池を、はば一メート ル、長さ三・八メート ル、ふかさ六十センチメー 7 6
ところが、七月になって梅雨があけると、気温の高い日がつづき、水盈も 二十度をこえる日がつづきました。水面温度が二十六度にもなってしまう日 もあります。この高い水温のために、稚魚の多くが死んでしまいました。 いそいで水温をさげないと、すべての稚魚が死んでしまいます。ポンプを 強力なものにとりかえ、くみあげる地下水の水量を多くしました。 また、天気のよい日には、池の上に、日よけのヨシズをはり、日かげをつ くる一、とにしました。 このくふうによって、池は、水面で二十二度、底のほうで十七度にまで水 温がさかるよ、フになりました。これで、水温のせいで、ムサシトミョが死ん でしま、フことはなくなりました。 しかしその後も、とっぜんのタ立ちで、池の水があふれだし、ムサ、ントミ ョが流されてしまったりするという事故もおきました。 っゅ そこ 1 7
東中学校の飼育に、大きな期待をかけていた人たちは、飼育がうまくい かないのではないかと心配をしていました。 しい / 、、がかり・ 社〈 ~ 教育課の俊明さんや、水族館の飼育係の人たちは、何度も何度も 学校に足をはこび、科学部の先生や生徒たちをはげましつづけました。 えっかちょうさ そして、飼育をはじめて五か月後の十月、第一回目の越夏調査がおこなわ れました。 しやかいきよ、ついくカ 科学部員たちゃ、さいたま水族館、社会教育課の人たちは、池の水をく みだしてムサシトミョの数をかぞえました。 六十七ひきです。春より三倍にふえています。 東中学校での成功は、科学部員や、い「しょにとりくんできた人たちだ かんしん けでなく、ムサシトミョの保護に関心をもつ、多くの人たちの大きなはげみ になりました。 せいと
ほ、つど、つ このことは、地元の新聞やテレビでも大きく報道され、ムサ、ントミョへの かんしんわ 関心の輪か、さらに大きくひろかっていくきっかけにもなりました。 しいく ちょ、つさ = 「査かおわると、この六十七ひきは、また池にもどされ、二年目の飼育が はじまりました。 か / 、にん 二年目は、あらたに五十七ひきが確認されました。 もとあらかわ そして、このなかの七ひきが、科学部員たちの手で、はじめて元荒川に放 流されました。 じしん はんしよく 二年つづけて、繁殖に成功したことで、科学部員たちは大きな自信をも しいく ちました。三年生は、あとにつづく下級生たちに、この飼育の仕事をひきっ いで、卒業していきました。 ひきついだ部員たちは、学校の池で飼育をするだけではなく、じっさいに もとあらかわ ムサシトミョが生息している元荒川を、自分たちの足で歩いてみることにし しいく
よそ、つ いじよ、つ かんきようあっか ました。予想していた以上に、まわりの環境が悪化しています。 じゅうたく とくに、まわりの住宅から、生活排水がちよくせつ生息場所に流れこん でいるのを見つけたときには、みんな、おどろきました。 「はやく下水道をつくってはしいね」 みんなは、本気で心配になりました。 もとあらかわ ムサシトミョか元荒川にどのくらい生息しているのか、これまでにまとめ ほ、つこ / 、しょ さんこ、つ ちょ、つさ られた報告書などを参考にしながら、調査もしました。 ちょ、つさ すいさんしけんじよう げんりゆ、つ この調査によって、ムサシトミョは、水産試験場のある源流から下流の くいき 一、三キロメート ルの区域にしか、生きのこっていないことかわかりました。 / 、ま力や そこで科学部は、かってムサシトミョがすんでいた、熊谷市内を流れる星 かわ しんほしかわもとあらかわ すいしつ 川や、新星川 元荒川の下流など、二十六か所をえらんで、月に一度、水質 けんさ 検査をすることにしました。 せいかつはいすい 4 7
員 立ロ 学 ーナ よカ ョ 1 す々ー・ 、ンわ 全 ムヨー、 シサ
ちょ、つさ きちょ、つ この調査は三年後、ひとつの貴重なデータにまとめられました。 もとあらかわ このデータをみると、元荒川の上流以外の場所は、どこも水のよごれがひ かんきよ、つ どく、とてもムサシトミョが生息できるような環境ではないことかわかり ます。 しかし、この川をよごしているのは、自分たち人間なのです。科学部員た ちょ、つさ けんきゅう ちょ、つわ ちは、こうした調査や研究をつうじて、自然と人間が調和をはかってい つうかん ことのむすかしさを痛感するばかりでした。 し力し 6 7
しぜん きよ、つりよくひつよ、つ いける自然を守るのには、もっと多くの人たちの協力が必要なことを強く 感していました。 しやかいきよ、ついくカ 一方、ムサシトミョの保護にたすさわることになった社会教育課にとっ みつりよう せいそくかんきよう て、密漁に気をくばったり、 生息環境を守るためには、どうしても、地元 り・カし きよ、つりよくひつよ、つ の人たちの理解と協力が必要です。 一九八七年四月一日。 さいたまちゅうおうぎよぎようきよ、つどうくみあい かいぎしつ この日、久下の埼玉中央漁業協同組合の会議室に、社会教育課と地元 くまヾかやしくげ・ の十五人の人たちが集まり、「熊谷市久下ムサシトミョを守る会」が結成さ れました。 さいたまちゅうおうぎよぎよ、つきよ、つどうくみあいちょ、つくりはらしよういち ふく 守る会の会長には、埼玉中央漁業協同組合長の栗原正一さんが、副 力いちょ、つ たくら 会長には田倉さんがなることにきまりました。 さんか さやだ 参加したのは、全員、久下と佐谷田地区に住んでいる人たちです。子ども けっせい 8 7
ムサシト けっせいしき ミョを守る会の結成式 ( 写真・熊谷市教育委員会 ) 1 。ら、、ゞ もとあらかわ 元荒川の清そう作業をする守る会のみなさん
もとあらかわ のころ元荒川で水あそびや魚つりしたり、 生活に利用してきた人たちばかり A 」い、つ田 5 いん」も です。そして、このきれいな川を子どもたちにのこしたい、 っている人たちばかりです。 あたたかくなってきた五月。さっそく守る会の仕事がはじまりました。 もとあらかわ ますさいしょに守る会のした仕事は、元荒川の川岸にのびほうだいになっ ているアシや、水路内にしげりすぎた水草をかって、水の流れをよくする仕 事でした。 水路にはいると、足をうごかすのもたいへんなほど、ヘドロがたまってい る場所もあります。ドプとガスのにおいが鼻をついて、息ぐるしいほどです。 投げすてられていたあきカンやビンは、大きなふくろに三ばいもありました。 古自転車などもすてられていました。 せいりゅう さんか ムサシトミョのすむ清流といわれながら、このありさまです。参加した 8